魔法使いと薙刀娘 第5章 ガルサ・ブランカの予期せぬ客人

第5章 ガルサ・ブランカの予期せぬ客人


 二人は城に着くと立派な客間に通された。

 王女とナーザは彼らに少しそこで待つようにと言ってそのまま姿を消してしまった。

 本当に城に案内されてしまって、二人とも完全にパニック状態だ。王宮に来るまでの間はまだこれが手の込んだ冗談だと思うこともできたが、こうなってしまったらどうにもごまかしようがない。

 アウラはもちろんこのような場所に来たのは初めてらしく、全く勝手が分からない様子で右往左往している。

 フィンも同様におろおろしていた。彼は都の貴族だったのでこういう場所そのものには慣れていたのだが、ここに来るに至った理由があまりにも異常すぎた。

「いったいどうして?」

「だ、だって王女様なんでしょ?」

「なんで王女様があんな所に?」

「だって、よく来るって言ってたわよ。アルトが」

「良く来るって、王女様がか?」

「だって」

「…………」

 アウラに聞いても当然埒があかない。フィンは考え込んだ。

 いったいどういう国なんだ? 王女が堂々と郭に出入りしているなんて! この調子じゃ、城の中はめちゃくちゃ乱れているんじゃないのか?

 だとしたら深入りしたらえらいことになるかもしれない―――そう思うとフィンは段々怖くなってきた。

 そう思ってあたりを見回したのだが、彼はなぜかその考えがあまりしっくり来ないことに気がついた。

《でも……結構いい部屋だよな……》

 しっかりとした石組みで作られた柱や壁には精巧な浮き彫りが施されているが、それ以外の華美な装飾は見あたらなかった。

 壁には数々のタペストリがかかっている。だがそれも派手な色使いの物ではなく、一見質素に見える。

 しかし近寄って見れば、その織物はかなりの名手によって織られたものだということがすぐ分かった。

《結構いいセンスしてるな》

 それと同時に、先ほどの二人のことも思い出された。

 あの二人には、すばらしい気品と風格があった。あのまま都の貴族の間に並べたとしても全く遜色がない―――というより、その中でもひときわ輝いた存在になれそうだ。とてもそんな色狂いの女には見えなかったが―――もちろん人は見かけによらないが……

 こういう場合一体何を信じたらいいのだろうか? フィンはますます混乱した。

 フィンがそんな調子で部屋をうろうろとしている間、アウラはアウラで中央の長椅子の上でかしこまって目を丸くしていた。

「ちょっと! いいの? 触って」

 フィンが壁のタペストリを触っているのを見て、アウラが慌てて叫んだ。

「ああ。大丈夫だよ。なんだ、こういうところ初めてなのか?」

「あ、当たり前でしょ!」

 アウラはやたら居心地が悪そうだった―――まあ確かにそうだろう。なんと言ってもここは一国の城なのだ。普通の平民だったらこんな内部は死ぬまで拝む機会などない。

 そのうえ当然のことだが、城に入るとアウラは薙刀を取り上げられてしまった。フィンは今までずっとアウラと薙刀をワンセットで見ていたので、それがなくなった姿はひどく頼りなげに見えた。

「まあ、何だか分からないが、こっちは招かれたんだから堂々としてりゃいいんだよ」

「だって……王様が出てきたらどうするのよ!」

「普通に挨拶すればいい」

「あんたバカにしてるのね! あたし王様への挨拶なんて知らないわ!」

 確かにそうかもしれない。フィンは小さい頃からそんな環境に育ったから挨拶の仕方など常識の範疇だったが、アウラにとっては知らなくて当たり前だ。

「ああ、ごめん。そうだよな。なに、別に難しくないよ。俺の言うとおりにするんだ。まず立って……」

 アウラは言われるままに立ち上がる。

 フィンはそれから挨拶の方法を教えようとして、はたと困った。

 白銀の都では女性の礼は右手を胸に当てて左手でスカートの端を持って―――といった感じなのだが、今のアウラは旅に便利なように男物の服を着ていた。それでその礼をしたりしたら間抜けすぎる。

「それからどうするのよ」

「どうしよう?」

「どうしようってどういうことよ!」

「いや、ちょっとその服じゃそぐわなくて……」

「じゃあどうすればいいのよ! あんたはいいでしょうけど、あたしだけ恥をかくの?」

「わかった。じゃあ、これだ。こんな風に胸に手を当ててかがんで……」

 フィンは実践して見せた。だがアウラは疑い深そうな目で見ている。

「それは誰の礼よ」

「これは兵士の礼だ」

「あたし兵士なんかじゃないわ!」

「でも、そんじょそこらの兵士より強いだろ?」

「いやよ」

「じゃあどうする気だよ!」

 二人がそんなことで言い争っていると、いきなり客間の扉が開いた。

 入ってきたのはナーザだった。

「アイザック様がいらっしゃいました」

 二人は慌ててかしこまる。こうなったらなるようになるしかない。

 ナーザの後から入ってきた王は五十歳ぐらいで、王というよりも学者のような風体だった。王は二人の顔を見比べるとにこやかに言った。

「おお、君たちがミーラの言っていたお客人かな?」

「はい。私はル・ウーダ・ヤーマンの末裔でパルティシオンの息子、フィナルフィンと申します」

 フィンはそう言って挨拶をした。

 それからアウラの方を見る。彼女は半分パニックの様子だった。

「アウラ!」

 フィンは小声でアウラを促す。

「ア、アウラです」

 アウラは慌ててそう名乗ると、こわばった顔のまま今フィンに教わった戦士の挨拶をする。

 だがたった一度実演して見せただけなのに動きはぴたりとはまっている。フィンは内心驚いた。

 そんな様子を見て王は笑った。

「まあ、そんなに堅くなるでない。これは謁見でもなんでもないからな」

「恐れ入ります」

「ともかく座りなさい」

 そう言って王は手近な長椅子に腰を下ろした。

「あの、こんな夜分に大変申し訳ありません」

「いやいや、気にしなくていい。ル・ウーダ殿。わしもいつも夜更かしだからな」

 そこに城の女官が飲み物を持って入ってきた。

「ともかく外は冷えておっただろう? 少し暖まりなさい」

 フィンは出された甘いお茶を飲んだ。これもなかなか上等な物だ。フィンはアウラを横目で見た。彼女も少し落ち着いてきているようだ。

 二人がリラックスするのを見届けると、いきなり王は言った。

「さてさて、それにしてもミーラやナーザ殿とは、とんでもない所で出会われたそうだな?」

「ええ? あの……」

 いきなり核心なことを言われてフィンは言葉に詰まった。

 だがいったい何と答えたらよいのだ?

 王はフィンの困った顔を見てさらに畳みかけた。

「何と破廉恥な姫だと、そう考えておろう?」

 ますます答えようのない質問だ。フィンは口ごもった。

「良いのだ。そう考えるのが普通であろう?」

「ええ……まあ……」

 口ごもるフィンを王はじっと見つめた。

「これに関してはわしは最近こう思うようにしておる……王子だったら郭通いをしたところで誰もとがめ立てしないであろう? どうして姫だといけないのだ? とな」

 フィンは内心仰天した。

 なんだ? この王様は! どこの世の中に姫の郭通いを認める王がいる⁈

 だが同時にフィンは王の口調が全く真剣であることにも気づいていた。

 そんなフィンの動揺を見透かしたかのように、王はフィンに問いかけた。

「わしはこう思っておるのだが、君はどう思うね?」

 いきなり王に問われてフィンは考え込んだ。

 王の言っていることは何だか変なのだが、一体どう答えればいいのだろうか?

 大体普通ならばこんな事は問題にさえならない。女の郭通いなどだめに決まっているのだが……

「あの、いけない理由は……常識だから、としか言いようがないです……だからどうしていけないのだと言われると、何とお答えしていいのかよくわかりませんが……」

「ふむ。そうだな」

 そう言って王はフィンの顔をじっと見つめた。フィンはこんなことを言って良かったのかどうか心配になった。

 王はくるっとアウラの方を向いた。

「ではアウラ殿はどう思うね?」

 いきなり問いかけられて、アウラは少し飛び上がった。

「え? あの、でもあたしもよく行くし……」

 王は笑い出した。

「わっははは! そうだな! まったくそうだ!」

 フィンとアウラはいったいどう反応して良いのか分からなかったので、ただ黙って笑う王の顔を見つめるしかない。

 ひとしきり笑い終わると、王は言った。

「ははは、まあこれに関してはわしらの問題であるから、君たちはあまり心配しなくとも良いと言いたかったのだ。それはそうと、ル・ウーダ殿は、どうしてこのフォレスに来られたのかな?」

 フィンは少しほっとした。この質問なら難しくない。

「ああ、はい。実は冬越しをここでしようと思ったのです」

「旅の途中だったのかな?」

「ええ、まあ……」

「もしかして、こんな所に呼んでしまってはまずかったかな?」

「いえ、そんなことはありません。大変光栄です」

「ふうむ」

 王は少し考え込んだ。

「もし良ければ、旅の目的などをお聞かせ願えるかな?」

「ええ?」

 フィンは言葉に詰まった。旅の目的? そんな物はなかった。

 だがいったい何といったらいいのだろう?

「これはもしかしてまずいことを聞いてしまったかな?」

 フィンはアイザック王が気にしている事に思い当たった。

「いえ、気になるのも当然だと思います。少し不自然ですよね」

 そう言ってフィンはお茶を一口飲んだ。

「お察しの通り、ちょっと都には住みづらい状態になっているんです。ル・ウーダは序列が低いから、あのときもずいぶん言われました……その反動みたいな物でしょうか。何だかひどく肩身が狭くなってしまって……」

 そのとき横にいたアウラが口を挟んだ。

「何が起こったの?」

 そう言って慌ててアウラは口をふさぐ。それを見てアイザック王が笑った。

「ル・ウーダ殿。彼女には何も話していなかったのかな?」

「え、ええ、まあ……」

「彼女だけ一人かやの外では寂しかろう。別に秘密でもなんでもないしな。何ならわしが話そうか?」

「え?」

「こういう田舎にいると、逆に都の噂には詳しくなったりするものでな。実はな、アウラ殿。ここにいる彼は、世が世なら大皇后の兄君になられるはずだったのだ」

 王に直接話しかけられるということだけでもとんでもないことだ。その上話の内容が内容だ。アウラは目を白黒させた。

「まあ、そんな顔をするでない。何だったらわしを酒場の親父とでも思うがいい」

「え? は、はい!」

 何だかえらく気さくな王様だ。それに今の王の格好はそう見えないこともない。

「それで妹君は、確かエルセティア姫だったかな?」

「はい。よく覚えていらっしゃいますね」

「ははは。わしの妻の名はルクレティアといってな。愛称が同じになるであろう? だから覚えておったのだ」

 フィンはうなずいた。ここでは親しい間柄だと名前の後半を取って略すことが多い。“フィナルフィン”ならば“フィン”、“アイザック”ならば“ザック”。だから“ルクレティア”と“エルセティア”では、愛称が同じになる。こういう習慣は一般の人々の間でも使われているが、かなり気取った言い方になる。また“アウラ”のように略しようのない名前もあるので必ずそうというわけでもないのだが……

「それに、ル・ウーダから大皇后が出るなど、滅多にないのでな」

 フィンはうっと言葉に詰まる。

「あの、どうしてですか」

 アウラが尋ねる。

「家の序列の問題だ。平たく言うとだな、ここにいるル・ウーダ殿は、白銀の都ではあまり偉くないということだ」

 アウラはフィンに言った。

「そうなの?」

「ああ」

 アウラは王のペースにはまってすっかりいつも通りになっている。それにしてもいちいち確認しなくてもいいじゃないか! どうせうちは貧乏貴族だ!

「ところがそのル・ウーダの家に大変な幸運が転がり込んできたのだ。というのは、ル・ウーダ殿の妹君が、世継ぎの君に見初められたのだ。世継ぎの君とは知っておるだろう? 時が来れば次の大皇となるべきお方だ。ル・ウーダ殿の妹君は、そのとき同時に大皇后になられるわけだ」

 アウラはうなずいた。

「家から大皇后を出すということは、その家に大変な権力ができるということだ。分かるであろう? ところがそれもつかの間、そのお世継ぎの君が早世なされてしまったのだ」

「じゃあ、フィンの家は?」

 アウラはそう言ってフィンを見た。フィンは機嫌悪そうに答える。

「元の木阿弥ってことだ」

「へえ。大変だったのね」

「ああ。大変だった」

「で、どうしてこんな所を旅してるのよ?」

「だからさっき言っただろ! 都には住みづらくなったって!」

 そう言ってしまってフィンは王の前であることを思い出した。

「あ、あ、申し訳ありません!」

「良い良い。彼女は素直で良いな」

 それを聞いたアウラがうつむいた。一丁前に恐れ入るとは―――まあ当然か。

「そういうことで、都にいても良い職にもありつけそうにもないので、こうして旅に出たんです。特に目的があるわけではないんです。ただとりあえず、東の果てを見てみようかと思いまして……」

「なるほどな」

 王はそう言ってちょっと黙った。

 信じてもらえただろうか? フィンは少し心配になった。別に嘘は言っていない。大幅に割愛した所はあるのだが……

 だが王はそのことに関してはそれ以上触れなかった。

「それで今年の冬はここで過ごそうと考えたのかな?」

「ええ。それで、明日から城下に下宿を探そうかと思っています」

 そう言ったフィンを見て、王は笑った。

「それには及ばぬ。ここに滞在されるとよい」

「ええ? そのようなご迷惑をおかけするわけには……」

「いやいや、こちらも冬の間は退屈でな。それにル・ウーダ・パルティシオン殿がお父上ということは、ル・ウーダ殿もかなりお強いのであろう?」

「え? もしかして、碁のことですか?」

「ああ」

「まあ、打てないことはないんですが、未だに父の足下にも及びません」

 フィンの父親は、碁の世界ではかなり名が知られていたのだ。

「なになに、わしも下手の横好きでな。冬の間相手になってもらえると嬉しいのだがな」

 フィンはちょっと考え込んだ。確かに懐具合はあまり豊かだとは言えない。決してそんなつもりではなかったのだが―――まあいいか?

「あの……本当によろしいのですか?」

「構わぬぞ」

「それではお言葉に甘えさせて頂きます……それと甘えついでにもう一つお願いさせていただけませんか?」

「何かな?」

「お城の図書館の本を見せて頂いてもよろしいでしょうか?」

「ほう? 本がみたいと?」

「はい。これはこんな形にならなくとも、お願いに上がろうかと思っておりました」

「もちろん構わぬぞ。存分に読みたまえ」

「ありがとうございます」

 フィンは内心小躍りした。ガルサ・ブランカに来たはいいが、門前払いされるのではないかとびくびくしていたのだ。

 フィンのそんな表情を見て取ったのだろう。王が言った。

「ル・ウーダ殿は読書がお好きなのかな?」

「はい。何しろ……」

 しかしフィンはその後の言葉を続けられなかった。

 というのも、そのとき部屋の扉が開いてエルミーラ王女が入ってきたからだ。フィンは目を見張った。

 お色直しをしてきた王女は先ほどとは打って変わって、清楚な雰囲気を漂わせている。どこから見ても一国の王女だ。

「遅くなって申し訳ありません」

「一体何をしていたのだ? それに何でそんなにめかし込んでおる?」

「当然ですわ。都のお方を前にみっともない格好は見せられません」

 フィンは何と言っていいのか分からなかった。

「今更寝ぼけたことを言うでない! わしは都のお方ではなく、アウラ殿にお見せしたがっているように見えるがな」

 王女はちょっと赤くなった。

「もちろんアウラ様にも見て頂きたくて、一生懸命おめかししたんです。どう?」

 王女はアウラの横に座る。

「え? と、とてもきれい……」

「ありがとう」

 フィンとアウラはますます何と言っていいのか分からなくなった。

 王は呆れたようにエルミーラ王女を見つめた。だがその表情は決して怒っているようではなかった。

 エルミーラ王女は唐突にフィンに話しかけた。

「それで、お話は終わりました?」

「ええ? 何のですか?」

「私の悪口を言ってたんでしょ?」

 フィンはまた絶句した。どうしてこの親娘は答えられないような質問ばかりするのだ?

 王女は答えを期待していなかったようだ。すぐに彼女はアウラに向かって小声で、しかしあたりにははっきりと聞こえるようにささやいた。

「後でなんて言ってたか教えてね」

「え? でも……」

「そんなひどいこと言ってたの?」

「ミーラ!」

 王がたまりかねたように声を荒げた。

「ごめんなさい」

 だがもちろん反省しているような色は全くない。

「で、もうアウラ様にはお話をお聞きしたのですか?」

「そういえばまだだったな。今まではル・ウーダ殿のことをお聞きしておったのだ」

「そちらのお話はもうお済みになったの?」

「お前はよっぽどアウラ殿のことを聞きたいと見えるな」

「だって……アウラ様は本当に格好良かったんです。あのガルガラスをまるで子供扱いにしてしまって」

「ふむ。確かにそれは見てみたかったな……」

 そう言って王はアウラの方を向いた。

「ガルガラスは我が軍でも指折りの使い手だ。いくら酔っていたとはいえ、あの男を手玉に取るとは見事なものだ」

 アウラは何と答えて良いか分からず、黙ってうなずいた。

 それを聞いてフィンは背筋が冷たくなった。

 なんだって? あいつそんな強い奴だったのか? そいつをこいつはあんな簡単に? そんな危ない女とずっと一緒にいたっていうのか?

「その若さでその腕、天分だけでそこまでになることはできまい? よっぽど有能な師匠について鍛錬したのであろう? いったいどなたに習われたのかな?」

 ところがなぜかアウラの表情が曇った。

「薙刀を教わったのは……父です……でも、本当の父じゃないんです。私を拾って育ててくれたんです」

 フィンはアウラを見つめた。

 そういえば彼女の身の上話をまともに聞くのは初めてだ。

 確か彼女の父親は料理の上手な剣士だったはずだが―――ええ? 今拾われたと言ったが、ということは彼女は捨て子か何かだったのか?

 そんなことを考えていたので、フィンはアイザック王が眉をひそめたことに気がつかなかった。

「ほう。すばらしい父上だ。で、お名前は何という?」

「ブレス……ガルブレスといいました……」

「なに?」

「ええ?」

「何ですって?」

 ところが―――それを聞いたとたんに王と王女、それにナーザまでが一斉に驚いて叫んだのだ!

 アウラは驚いて目を白黒させる。

 王が少しよろけながら立ち上がるとアウラに歩み寄ってきた。

 アウラはおびえて体をすくめる。

「今、何と言われた?」

「ええ? あの……」

「ガルブレス。本当か?」

 アウラはがくがくしながらうなずく。

 王はしばらく顔を覆って立ちすくんでいたが、そのときナーザが言った。

「ルクレティア様をお呼びしましょうか?」

「ああ。たたき起こして来てくれ!」

 即座にナーザは部屋を出ていった。

 フィンには何のことだかさっぱり分からなかった。

 だが残った王もエルミーラ王女も目を丸くしてアウラを見つめるだけで何も言おうとしない。

 アウラは訳が分からず泣きそうになっている。

 そこでフィンは思い切って尋ねてみた。

「あの……申し訳ありませんが、いったいガルブレスというのはどういう方ですか?」

 それを聞いて王が我に返ったように答えた。

「ああ……そうだな。御存じなくとも仕方ない……」

 王は気を静めるように冷めたお茶を飲み干した。そして一息つくと言った。

「ガルブレス殿は、わしの妻ルクレティアの兄上だ」

「えっ?」

 それにはフィンも驚いた。

 アイザック王の妻とはすなわちフォレスの王妃である。確かそのルクレティア王妃は、フォレス王国に北にあるベラ首長国の長の血筋だったはずだ―――ということはアウラを育てた剣士ガルブレスとはベラの王族だということになるが……

 そのときばたんと部屋のドアが開いて真っ青な顔をした中年の女性が飛び込んできた。

 本当に寝ていた所を叩き起こされたかのように、化粧もせず髪の毛はばさばさで、寝間着の上にナイトガウンを羽織っただけだ。その年齢は隠しおおせるものではないが、若いときには相当の美女だったことが伺われる。

 女性はいきなりアウラの前にやってくるとアウラの両肩を掴んだ。

「ブレスの忘れ形見というのはあなた?」

「え?」

 女性の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。

「どうしてもっと早く来てくれなかったんです?」

 そう言って女性はいきなりアウラを抱きしめたのだ。

 アウラは完全にパニックに陥った。見かねてアイザック王が言った。

「ティア。アウラ殿がおびえておる。お前の顔は怖いぞ」

「ふざけないで! ザック!」

 アイザック王はルクレティア王妃をアウラから引き離すと自分の側に座らせた。

 そのときナーザが盆に良い香りのするお茶のポットを乗せて戻ってきた。

「王妃様。とりあえずこれをお飲みください。アウラさんも」

 取り乱している二人にナーザがお茶を出す。

 それで二人がやっと落ち着くと、アイザック王が口を開いた。

「アウラ殿、驚かせてすまなかったな。何しろガルブレス殿の最期に関しては、ほとんど何も分かっておらなかったのだ。わしらが事件を知ったのは、ことが起こってから何ヶ月もしてからだったのだ」

 それに続けて王妃が言った。

「アウラさん。兄は……いったいどうしてなの?」

 それを聞いた途端に、今度はアウラの目から涙がこぼれ始めた。

「こら! ティア! 尋問をしているのではないぞ」

「あ……ごめんなさい。やっぱりあなた、聞いて。私が話したらだめみたい……」

 フィンは呆然としてそのやりとりを聞いていた。

 どうやらアウラの養父ガルブレスは殺されたらしいが―――それ以外の細かいつながりがさっぱりだ。それにアウラも全然状況を理解していないように見える。

 このまま問いつめられたら何だかアウラがかわいそうだ。そこでフィンは口を挟んだ。

「あの、すみません。ちょっとよろしいですか?」

 ルクレティア王妃はそのとき初めてフィンの存在に気づいたようだった。

「あら、あなたは?」

「私、ル・ウーダ・フィナルフィンと申します」

 それを聞いて王妃が慌てた。

「ル・ウーダですって? 白銀の都から?」

「ええ。まあ……」

「まあ! なんてことでしょう! 私こんな格好で……」

「いえ、お気になさらずに。今はアウラの……アウラさんのことの方が重要でしょう?」

「ええ。まあ……で、お話とは?」

「実は私、訳あって彼女としばらく一緒に旅をしていたんです」

 アウラが驚いたように振り返った。

「彼女がこちらに来たのもほんの偶然でした。で、想像なんですが、たぶん彼女はガルブレス様からは何も知らされていなかったのではと思うのです。ガルブレス様から王妃様のことなどを聞いていれば、彼女はもっと早くこちらにやってきたのではないかと思うのですが」

「そうですわね……」

「とにかく、彼女はガルブレス様の出自や経緯を知らないと思います。できれば先にそのあたりの事情をお話し願えないでしょうか?」

 それを聞いてアイザック王が言った。

「ル・ウーダ殿の言うことはもっともだな。確かにガルブレス殿なら、そういうことは話さないかも知れぬ」

 王妃は黙ってうなずき、王の方を見る。そこで王はフィンに尋ねた。

「ル・ウーダ殿はグレンデル殿のことはご存じかな?」

「はい。たしかベラの先代の長だった方ですね?」

「その通り。ならばル・ウーダ殿は、グレンデル殿が長になった経緯をご存じであろうか?」

「え? いえ、詳しいことは……ただ少しごたごたがあったように記憶していますが……」

「そうだ。本来ならばグレンデル殿は、二重の意味で長になるべき方ではなかったのだ……」

 王は語り始めた。


 ───当時のベラ首長国には、有力な王族が二系統あった。一つがフェレントム家、もう一つはアドルト家といった。

 フェレントム家には三人の兄弟がいた。長男がガルブレス、次男がグレンデル、そして末の娘がルクレティアだ。

 そのときの次の長の継承権はアドルト家にあった。だがそのアドルトの跡継ぎというのがひどく評判の悪い男だったのだ。折しもちょうどその頃は、シフラ攻防戦の直後で、ベラの国内は大混乱に陥っていた。

 シフラ攻防戦とはフィンが生まれる前の話であるが、この世界に非常に大きな影響を与えた戦いだった。

 それまでは戦争というと各国は魔道軍を主体に戦っていた。そのため魔導師を多く輩出するベラ首長国と白銀の都は非常に重要な立場にあった。

 だがそのとき平原のレイモン王国という国にガルンバという天才将軍が現れたのだ。

 彼はクォイオの戦いと呼ばれる合戦で、ウィルガ王国という国の魔道軍を、魔導師を全く使わずに打ち破ったのだ。

 それはベラと白銀の都にとってはショックな出来事だった。

 なぜならこの世界での彼らの地位は魔導師が戦いにおいて非常に重要であるということに依存していたからだ。それ以外の国はほとんどがどちらかと契約して魔導師を雇い入れていた。

 ガルンバ将軍に破れたウィルガ王国の魔道軍は主に白銀の都から雇われた者で構成されていたが、それはベラ首長国にとっても他人事ではなかった。

 それから数年後、白銀の都とベラ首長国の最精鋭を集めた魔道軍が城塞都市シフラでガルンバ将軍率いるレイモン王国軍と決戦を行った。

 だがその戦いもまたガルンバ将軍率いるレイモン軍の大勝利だったのだ。

 そんな事件の後である。ベラが大混乱になるのは当然のことだ。

 ガルブレスとグレンデルは、ぼろぼろになった魔道軍の建て直しに奔走していた。だがアドルトの跡継ぎは、魔道軍は用無しだと言って解体しようとしたのだ。

 それをきっかけに国内は内乱状態になる。だが軍を味方に付けたフェレントムの勢力が、アドルトの勢力を駆逐することに成功した。一種のクーデターである。

 そのまま順当に行けば、次の長はガルブレスになる。

 そこで今度は兄弟の間の意見の食い違いが露わになったのだ。

 実はガルブレスは魔道軍を率いてアドルト一派をを追い出したのだが、彼自身の考えはアドルト一派の方に近かったのだ。

 彼は元々魔法よりも剣の道の方に価値を見いだしていた。そのために魔法の才があったにも関わらず、剣の修行ばかりをしていた。

 もしあのような混乱がなければ、彼は傍系王族の少し変わり者の跡継ぎ、といった程度で何事もなかっただろう。だが時代は彼にそうさせなかった。

 彼は考えた。現在のベラの混乱をどうにかしなければならないことは確かだ。だがその仕事は彼には不向きだ。ベラは魔道で立つ国である。その長がそれに疑問を持ってどうするというのだ? 皆を納得させるだけの何かがあれば話は別だろう。だが彼には代わりの方策など思いつかなかった。

 いや彼を責めるべきではないだろう。今に至っても良い方策を思いついた者はいないのだから……

 それ故にガルブレスはベラを出奔した。出奔するときに彼は妹ルクレティアにだけ訳を話した。ルクレティアには兄を引き留めるだけの力はなかった。

 それから彼は一度もベラには戻らなかった。便りも寄越さなかった。ただ時たま風の噂に放浪の剣士ブレスの武勇伝が伝わってくるだけだった……

 そして次に彼の消息を聞いたのは訃報でだった。

 ある日サルトス王国という国の田舎の商人がベラのグレンデルの元に一本の短剣を持ってやってきたのだ。

 商人は、故郷の村で冬越しをしていた旅の剣士が何者かに殺されたという話をした。

 さらに旅の剣士が一緒に連れてきた十三~四歳の娘は、大怪我をしていたが何とか命を取り留めたこと、だがその娘もしばらくして姿を消してしまったこと、村の者が剣士の遺品にベラの紋章がついた短剣を見つけてこうしてやってきたことなどを……

 グレンデルとルクレティアはすぐさまサルトスに赴き、その剣士が実際にガルブレスであったことを確認した───


「だがそれ以上のことは結局何も分からずじまいだった……」

 アイザック王は一息ついた。

「わしが不憫に思うのはルクレティアのことだ……こいつは最後にガルブレスに会ったということで、ずっと思い悩んでおる。どうしてあのとき引き留められなかったのかとな」

 王妃の目にはまたうっすらと涙が溜まっている。

「だが過ぎてしまったことは仕方ない。だからアウラ殿。せめてルクレティアにガルブレス殿の思い出なりを話してやっては下さらぬか?」

 だがアウラはそれには答えず、黙ってうつむいている。

 フィンは彼女が泣いていることに気づいた。

 向かいに座っていたナーザがそれに気づいたのだろう。王に何か耳打ちした。

 王はナーザの言うことを聞くと納得した顔をした。

「ああ。だが今すぐ話してくれなくともいい。今日は疲れたであろう? まずはゆっくりと休んでくれ」

 王はナーザに目配せをした。彼女はうなずくと、アウラの肩を抱いて言った。

「アウラ様。とにかく今日は休みましょう。お疲れでしょう?」

 アウラは黙ってうなずいた。ナーザはアウラを連れてそのまま部屋を出ていった。

 フィンはナーザがささやく言葉を聞く気はなかったのだが、その中に「……を目撃されて……」とか「……彼女も傷を負って……」とかいう言葉が混じっているのを聞いてしまった。

 フィンはアウラの胸の巨大な傷跡を思い出した。

 もしこの話が本当ならばアウラのあの傷は―――養父が殺されたときに同時につけられたのに間違いない!

 フィンはまるで自分が斬られたような痛みを感じた。腰の古傷が疼く……

 残った者達はしばし無言だった。それから王が言った。

「ル・ウーダ殿……なんだかとんでもないことに巻き込んでしまったようだな」

「い、いえ、というかアウラは私が連れてきたようなものですから……」

「それについては大変感謝しておる。ともかくわしらも混乱しておる。今日は皆、休んだ方が良いようだな。ル・ウーダ殿の部屋も用意してある。後で案内させよう」

 そう言って王はほとんど脱力している王妃を立ち上がらせた。続いてエルミーラ王女も立ち上がる。

「済まぬが、先に失礼させてもらう」

「いえ、お構いなく……」

 フィンは部屋の中に一人取り残された。

 頭の中はもうぐちゃぐちゃだった。

 いったい何なんだ? 今日は? こんなにめまぐるしい日は生まれて初めてだ。

 遊郭にアウラが出てきて、お姉さまだということが判明して、いきなり決闘を始めて、なぜか王女が現れて、城に呼ばれて王様と面会していろいろ問いただされて―――最後はアウラのこれだ……

 フィンはぐったりと長椅子の背にもたれかかった。

 そのとき部屋に女官が入ってきた。

「ル・ウーダ様。お部屋にご案内いたします」

「ありがとう」

 フィンは彼女に従って歩きながら思った。

《せめて一日一個ずつにしてくれ!》

 フィンは案内された部屋の調度を楽しむ余裕もなく、ベッドに倒れ込むようにして眠った。