第2章 些細な障害
それからというもの、アウラは今までとは打って変わって忙しい毎日となった。
といっても仕事がいきなり忙しかったわけではない。そもそも城の中ではそこら中に警備兵がいるので、王女に付ききりで警護する必要は全くなかった。アウラがしなければならなかったのは、まずは礼儀作法の勉強と城内の様々な決まり事を覚えることだった。
礼儀作法に関しては毎日午後からエルミーラ王女の作法の先生からみっちり教えられることになった。
アウラ自身はは今だにぴんときていないのだが、彼女は系図上はエルミーラの従姉にあたるわけで、一応王族に属するのである。それが今のような山出しの小娘ではさすがになにかと問題があるだろう。
城内の様々な習慣や仕組みに関してはグルナ達が教えてくれることになった。
もちろんそういう物を列挙していったらきりがないので最初は本当に基本的なところだけであるが、それでもアウラは王宮の運営の仕組みの複雑さに頭が痛くなってきた。何をするにしても、少なくともアウラにとって細かい手続きが必要で煩雑なことこの上なかった。
もちろんそれはアウラがこれまで勝手気ままな生活をしてきたせいだ。だからその任務が王女の警護でなかったとしたら、本気でギブアップしていたところだ。
彼女の任務はひたすら王女の近くに控えて王女を危険から守ることだった。
言い換えるとそれ以外のことをしていてはいけないのだ。
そのため通常の者にとっては退屈で忍耐のいる仕事だった。だがそれはアウラにとっては問題ではなかった。
彼女がかつてしていたヴィニエーラでの夜番の仕事も、同様にひたすらじっと待ち受けることが任務だったからだ。
数日後、アウラの元に彼女の新しい制服が届けられた。
アウラの立場は王宮警備隊の一員ということになるわけで、警備隊の制服が必要だったのだ。
「アウラ様! 服が届きました!」
そう言って真新しい制服を持ってきたのはコルネだ。彼女は制服と一緒に、取り上げられていたアウラの薙刀も持ってきた。
「ありがとう!」
それを受け取ってやっとアウラは元の自分に戻ったような気がした。
「ねえ、着てみて下さい」
コルネが催促する。そこでアウラはその制服に着替えてみた。
一種の軍服のようだが、機能一点張りではなく、なかなか女性の美しさも引き立たせるような仕立てだ。
しかもスカートをはくよりも遙かに動きやすい。アウラはこの服が気に入ってしまった。
それにこれだったら朝にいちいちどういうドレスを着るか悩まなくて済む。
びしっと制服に身を包んだアウラを見て、コルネが感動したような声をあげる。
「きゃあ! アウラ様! すごくかっこいいです! あたしみんなも呼んできます」
「え? ちょっと!」
アウラは何だか恥ずかしくなった。
だがコルネはすぐに飛び出していって、エルミーラ王女や他の女官達を呼んできた。
エルミーラ王女は入ってくるなり驚いたような声をあげた。
「まあ! アウラ。すごいわ。とっても素敵!」
同様にグルナも続ける。
「アウラ様、良くお似合いです」
リモンも一緒に来ていたが、彼女は目を丸くしてアウラを見つめるだけで何も言わなかった。
それから王女がアウラに言った。
「ねえねえ、ちょっとその薙刀、構えてみて」
「え? こう?」
アウラは何だか決まり悪かったが、とにかく言われたとおりに構える。
「きゃああ。すごい! かっこいい! アウラ様!」
「…………」
そうこうしているところに、ナーザが入ってくる。
「あら、ナーザ」
「エルミーラ様。ちょっとお邪魔します」
そう言ってナーザはアウラの方を見た。
「アウラ様、どうでしたか? サイズとかは?」
「え? 大丈夫です。ぴったりです」
「あら。本当ですわね。今まで女性の警備兵がいなかったものですから、急遽デザインしたものだったんですが、すごくお似合いですわ」
「え? そうだったんですか?」
「気になさらないで。何にだって最初のケースってのはあるものでしょ?」
それを聞いてエルミーラ王女もうなずいた。
「そうよ。アウラ。あなた記念すべき第一号の女性警備隊員なのよ」
アウラは何と答えていいか分からなかった。
「で、アウラ様。そろそろ時間ですが」
「あ、はい」
この日アウラは王宮警備隊のメンバーに正式に紹介されることになっていたのだ。
彼女は少し不安だったが、もちろん断るわけにはいかない。
アウラがナーザの後に付いて中庭に行くと、そこには十名近くの警備隊員が揃っていた。
もちろん彼らが警備隊の全てではない。警備隊はいくつかのグループに分けられているが、彼らはそのグループのリーダーやサブリーダーをしている者達だ。
アウラがやってくると彼女に向かって一斉に敬礼をする。アウラは慌ててこういう場合の敬礼を返した。
礼が終わると宮廷警備隊長のロパスが前に出てきてもう一度敬礼した。
アウラはこの男とは昨日会って話をしていた。話と言っても彼女がこれからする仕事に関する打ち合わせだ。
ロパスは若く結構ハンサムな男だったが、その年齢でこういうポストに就いているだけあって、真面目で任務一筋というタイプだった。
ロパスはそのときにはまだドレスを着ていたアウラを前にしても、手を握ろうともせずに黙々と仕事の内容を話して行ったのだ。普通だったらとんでもない野暮天だが、それはアウラにとっては大変有り難かった。
しかしその際にロパスはこんな事も言ったのだ。
―――ロパスはアウラの目を見ながらすばりと言った。
「……で、アウラ様。明日制服が届いたら、班長達に紹介しようと思いますが、そのときやはり見せて頂きたいと思うのですが、いかがでしょうか」
「見せるって何を?」
「もちろんあなたの腕前です。ナーザ様のおっしゃることを疑いたくはないのですが、他でもないエルミーラ王女様の警護となると話は別です。部下達にもやはり疑っている者もおりますので、そ奴らを黙らせるためにも一度アウラ様の腕前を見せて頂きたいのです」
それは彼らにしてみれば全く当然の話だった。一国の王女の命を守る役割なのだ。それだけの実力が示されなければ、彼らとしても納得はいかないだろう。
「それは構わないけど?」
「では明日、皆に紹介させて頂くときに一緒に腕前を見せて頂くと言うことで良いでしょうか?」
「構わないわ。でも腕前見せるってどうやればいいの? だれかとまた立ち会えばいいの?」
「いえ、明日ナーザ様に手伝って頂きます。具体的はしばらくナーザ様を王女様と見立てて、警護して頂きます。配下の者が城内に隠れていてナーザ様を襲いますので、アウラ様に守って頂きたいのです」
「あたしの薙刀使っていいの?」
「それは構いません」
「わかったわ。明日ね?」
「はい。明日には注文しておいた制服も仕立て上がると思いますので」
アウラは腕試しのことよりも、それがどんな制服になるのかが気になった―――
という経緯があったのだが―――アウラはロパスの後ろに並んでいるリーダー達を見る。
彼らはみな興味深そうにアウラを見つめいる。男に見つめられるのは好きではなかったがこの際仕方がない。
挨拶が終わるとロパスは言った。
「それでは始めましょうか。ただここは動き回るには少し狭いようなので、まず噴水の方に参りましょうか?」
そう言ってからロパスは先頭を切って歩き出した。リーダー達もそれに続く。
ナーザがそれに続こうとした瞬間だ。リーダーの一人がいきなり振り返ってナーザに斬りかかったのだ!
だが―――彼は目的を達することはできなかった。
そのときには既にアウラが間に割り込んで、男の目の前に抜きはなった薙刀を突きつけていたからだ。
リーダー達の間から低いどよめきがあがった。
それからロパスが驚いたようにアウラに尋ねる。
「あ、あの、アウラ様。ご存じだったんですか?」
「ご存じって? 何を?」
「……この、いきなり襲撃することですが」
アウラは首を振った。
「ならばどうして分かりました?」
「だってこの人、最初っから抜く気だったじゃない」
そう言ってアウラは斬りかかった男を指さした。
アウラは出会ったときからこの男が挙動不審なことに気づいていて、むしろロパスが驚くことの方が不思議だった。
「今まで引っかからなかった者はいなかったのに……」
彼女はこれまでずっと一人で生きてきた。
だが女が一人で生きのびるのは容易なことではない。
彼女が今までこんなやり方でやってこられた最大の理由は、どんなときにも油断しなかったためだ。特に武器を持った男が周囲にいるような状態では、全ての者の動きを細かく観察するのが身に付いた癖になっていたのだ。
目を丸くしているロパスにナーザが微笑みながら言う。
「ね。言った通りでしょ?」
黙ってロパスは同意した。
それを見てアウラは薙刀をしまいながらロパスに言った。
「じゃ、続きを?」
「アウラ様。申し訳ありませんでした。これで十分です。お疑いして申し訳ありませんでした」
「え?」
アウラは驚いてロパスを見つめた。本当にこれでいいのだろうか?
その心配を見透かしたようにナーザが言った。
「アウラ。あなたは見事に合格よ。普通だったらみんなこの一回目には引っかかるのよ」
「でも一回だけでいいの?」
「警護っていうときに最も重要なのは、どんな不意打ちを食っても的確に行動できることなのよ。あなただって誰かを暗殺しようと思ったら、相手が油断してる時を狙うでしょ? 立ち会いでいくら強くても、その一瞬に後れを取るような人はだめなのよ」
アウラはうなずいた。そういう話ならば大変良く理解できる。
それからロパスが言った。
「ともかくこれより私たちはあなたを警備隊員の一員として認めます。今後ともよろしくお願いします」
同時にメンバー全員が再び敬礼をした。アウラは慌ててロパスとリーダー達に敬礼を返す。
こうしてアウラは王女の警護という仕事に関してはある程度自信をもつことができた。
だが別な点ではかなり前途多難としか言いようがなかった。
それはアウラが警備隊員達に認められて、実際に王女の警護を始めた次の日のことだ。
この日アウラはフォレスの貴族や高官達に正式に紹介された。何しろ血はつながってないとはいえ、王女の義理の従姉にあたるのだ。そのため城内からだけではなく、フォレス全国各地から重要な人物が召集されたのだ。
アイザック王は人々を前にして儀礼的な挨拶を終えると言った。
「というわけで、貴公らに紹介しておきたい人がいるのだ」
王に招かれてアウラは恐る恐る前に出た。会場から低いどよめきが起こる。
彼女はこのときは既に例の制服を着ていた。
「こちらにいらした女性は、名をアウラ殿という。少し珍しいと思われるだろうが、これよりエルミーラの警護の任に就いて頂くためこのような出で立ちになっておるのだ」
そう言って王は目配せした。
「初めまして。アウラと申します」
アウラは上がってしまって、それだけ言うのも精一杯だ。どもらなかっただけでも奇跡的だった。
「さてそれだけであれば貴公らをわざわざ集めた意味もないであろうが、実はアウラ殿は、貴公らもよく知っておられる大変高名な剣士によって鍛えられたのだ」
そう言って王は周囲を見回した。
「その剣士とはガルブレス殿だ」
途端に会場から大きなどよめきがあがる。
そしていきなり一人の老人が人々をかき分けて飛び出してくると、そのままよろけながらアウラの前にやってきたのだ。かなりの高齢だ。
「今……今王様がおっしゃられたのは、まことでありますか?」
アウラは驚いたが、ともかく答えた。
「え? は、はい……」
「このようなところでガルブレス様の養い子にお会いできるとは……」
その老人が涙を流しながらアウラの手を取ろうとしたときだ。アウラは反射的に手を引っ込めてしまったのだ。老人は驚いた表情でアウラを見つめる。
どうやらアウラがおびえているのだと察して、アイザック王がフォローした。
「アウラ殿。彼はトラン殿と言ってな、ベラよりルクレティアに付いてきた者だ。彼はルクレティアだけでなく、ガルブレス殿にもずっと仕えておったのだよ」
アウラは驚いて老人を見る。
「あの……父を知ってるんですか?」
「ガルブレス様がまだ子供の頃から、ずっとお仕えして参りました……」
老人は感極まった風にぽろぽろ涙をこぼしながらアウラを見つめている。
アウラは仕方なく手を差し出した。老人はアウラの手を取ってキスをした。
「ほ、本当に感謝いたします。このお手にガルブレス様の技が伝わっているのですな……」
老人はアウラの手を頬に押しつけて、更に涙を流した。
アウラも頭の中ではこの老人が、本当にガルブレスのことを思ってそうしているのだということは理解できたが、彼女の体はそうは反応してくれなかった。
胸の傷がきゅっと痛み、勝手に体が震えだす。
それからアイザック王はアウラがガルブレスに薙刀を習っただけでなく、彼に小さい頃から育てられたということを紹介した。
「……そういうことなので、アウラ殿は実質私の姪に当たるわけであるが、このようにエルミーラの護衛の任を引き受けて下さったのだ」
そう言葉を結ぶと、再びアイザック王はアウラに目配せした。
「若輩者ではありますが、よろしくお願い申しあげます」
アウラはやっとの事でその言葉を口にした。
彼女は老人にキスされたことでいまだにパニックだったが、それからもっととんでもないことが起こったのだ
というのはなんと、来ていた人々が順番に並んで、自己紹介をしながらアウラの手にキスをし始めたのだから……
当然のことながら城の有力な人物はほとんどが男である。
それはアウラにとっては途轍もないことだった。
この何年、こんなに男に触られたことはない。男一人がアウラにキスする度に胸の傷が疼くのだが、だからといって手を引っ込めることもできない。
もちろん彼らに何の悪意もないことは分かっている。だからこそ何とか耐えられたといった方がいいだろう―――しかし最後の方にやってきた男は不愉快だった。アウラはその男を見ただけでなぜか背筋がぞっとした。
その男はバルグールと名乗った。
男は立派な身なりをしており、喋り方も他の男以上に丁寧な口調だったが、なぜかひどく嫌みたらしく聞こえる。
彼が近寄ってくるだけで胸の傷が疼き、何か言うたびに悪寒が走る。
だがそれだけでは儀礼を拒否することもできず、アウラは成り行きで彼に手を預けたのだが―――途端に胸まで苦しくなってきて、本当にその場で倒れてしまいそうになったのを何とかこらえたのだ。
その後は立っているのもやっとだった。
アウラはこんなことが無限に続くわけがない。いつか絶対終わりは来る、ということだけを信じてその苦しみを耐え忍んでいた。
その様子は王やエルミーラ王女も気づいていたが、彼らはまだアウラの男嫌いの事を知らなかった。そこでアウラが何か具合が悪いのだろうと推察した。
会見が終わると本来ならもうすこしいろいろと行事があったのだが、王は王女とアウラを下がらせてくれた。
王女と共に控え室に戻ったときにはもう耐えきれずに、アウラはへたへたと床に崩れ落ちてしまった。
「アウラ! 大丈夫?」
王女が慌ててアウラを支えてソファに座らせる。
「いえ、なんでもないの」
「でも顔が真っ青よ。気分悪いんでしょ?」
「なんでもないのよ」
「そんなわけないわ。お医者様を呼んでくるわ」
医者? それは当然男に決まっている!
「やめて!」
王女が不思議そうにアウラの顔を見つめた。
「それじゃ、始まっちゃったの? だったらこっそり言えば良かったのに」
「違うの。そっちじゃないわ」
「じゃあ一体どうしたの?」
アウラは仕方なく王女に説明した。
「あたし……男に触られると、胸が苦しくなるの……」
王女はしばらくぽかんとしてから答える。
「ええ? 触られるって、だってみんな手にキスしてただけじゃない」
「それだけでもだめなの……」
彼女はそんな話は聞いたこともなかった。だがアウラが嘘を言っているようには見えない。
そのときルクレティア王妃とナーザ、それに水差しを持ったコルネがやってきた。
「アウラ様が倒れられたって聞いて。とりあえず水をお持ちしました」
「コルネ。気が利くわ。とにかくアウラに」
アウラはコルネにもらった水を飲んで少し気が落ち着いた。
その間に王女が王妃とナーザに経緯を説明する。二人もそれを聞いて驚いたようだった。
「そんな話、私は聞いたこともないわ。ナーザはどう?」
「男に触れられるのが嫌いな娘はいますが、ここまでなのはちょっと……」
それを聞いてアウラは辛くなってきた。
「すみません……」
「あなたが謝ることはないのよ。でもちょっと驚いたから」
ルクレティア王妃はアウラの言葉を遮って、アウラの肩を抱いた。
「でもだとしたら……今までどうしてたの?」
エルミーラ王女がアウラに尋ねた。
「ずっと一人だったの。ヴィニエーラは女の子ばっかりだったし……」
「でも……ル・ウーダ様と旅してたんでしょ?」
「あいつには触ってないわ!」
「…………」
王女は不思議に思っていた。
この二人はどう見ても恋人同士に見えたのだが、いったいどういう関係なのだろう?
単なる旅の道連れにしては、アウラが決闘したときのフィンの慌てようはすごかったが……
ともかく今問いただしても仕方ない。これから長いつきあいになる。いずれわかることだ。
「ともかくアウラは今日はもう休んだ方が……」
行事はまだまだ続く。彼女は王女としてそれに参加しなければならない。従って本来ならアウラの役目もそれと共に続くわけだが、さっきの様子ではとても無理に見えた。
だがアウラはもう回復しているようだった。
「いえ、もう大丈夫です」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫です」
王女は王妃やナーザの顔を見た。
アウラの状態を考えれば、彼女は休ませた方が良さそうだが、今回の召集はアウラの紹介が目的でもある。その本人が引っ込んでしまったら本末転倒だ。
ルクレティア王妃はそんなアウラをしばらく見てから言った。
「アウラ、触れられなかったら大丈夫なの?」
「ええ。それでしたら」
「それではそういうようにして続けましょうか?」
「はい!」
彼女の正式な紹介はもう終わっているし、この後は基本的にエルミーラ王女の側にいるだけでいいはずだ。夜にはまた晩餐も開かれる予定だったが、そこでも彼女は婦人として参加する予定はなかった。
そんなわけでその後はアウラも何とか今まで通りに役割を果たすことができた。
だが王女も王妃も、それにアウラ本人もこれで問題が解決したとは思っていなかった。
このことがこれからのアウラの任務に対して大きな障害になりそうなことは明らかだった。
「ふうむ。なんとな……」
その日の夜遅く、アイザック王の居室では王と王妃、フォレス軍最高司令官のグラヴィス将軍、それに加えてナーザが話し込んでいた。
将軍はかなりの年齢であるが、がっしりした体格で鋭い目つきをしていた。
「私も最初はご気分が優れないのはてっきり月の物か何かだと思っておりました」
王の言葉に答えたのはナーザだ。
「だが一体またどうして、そのようなことになっているのだ? アウラ殿は?」
「まだ分かりません。ただ推測するに、これは彼女の胸の傷に関係しているような気が致します」
王は考え込んだ。それから王妃に言った。
「そういえばガルブレス殿の最期の事に関しては、まだアウラ殿は語ってくれてはいなかったな?」
「ええ。ザック。でもこのお話を聞いたら私、ますます無理に聞き出すのはむごいんじゃないかって思えてきたのよ」
「そうだな。もしそれが元で彼女がそんな風になっているのだとしたら……ある意味筋は通るか」
「アウラはここに来てまだ日が浅いし、私たちに完全に心を開いているというわけではないでしょう? 私あの子が気に入ってるし、失いたくないのよ」
そのときそれまで黙っていた将軍が口を開いた。
「恐れながら王妃様。アウラ様に関してはまだ必ずガルブレス様のお育てになっていた娘であるという保証は……」
「まだそんなことを言ってるの? グラヴィス! あの子の話はみんな本当よ。ブレスとずっと暮らしてないと、あんな事まで覚えてないわ」
「もちろん私も疑っているわけではございません。ただ、もしアウラ様が本物であっても安心なされるのはよろしくないかと」
ルクレティア王妃が何か言い出そうとするのを、アイザック王が押しとどめた。
「ティア。これに関してはグラヴィスの言うことの方が正しいな」
「でもザック……」
「わしもアウラ殿はまず間違いなくガルブレス殿の養い子だと信じておる。もはや問題はその点ではないのだ。お前も分かるだろう?」
王妃はちょっと唇を噛んだが、黙ってうなずいた。
それを見てグラヴィスが言った。
「しかしそうしますと今回のことはどう考えるべきなのでしょうか?」
「わしは彼女はありのままなのだと考えるのが一番いいかとおもうが、どうかな?」
「ありのまま、ですか?」
「そうだ。たぶん彼女は何も知らない。お前も彼女の振る舞いをいろいろ見ておるだろう? もし内に何か秘めているなら、とてつもない演技力というべきかな?」
グラヴィスは少し考え込んでから答える。
「だということは、アウラ様が何らかの目的をもって送り込まれてきたのではないということで?」
「まだ百パーセントそうだと決まったわけではないがな。少なくとも彼女は危険な存在ではないと、そういうことだ」
「しかしあの方がその気になったら……」
「確かにナーザ殿の話でも、ロパスの報告でも、アウラ殿の技は凄まじいようだな」
「それは間違いございません」
ナーザが答える。
「それでもしアウラ殿がエルミーラに危害を加える気だったら、そもそも最初に出会った瞬間にどうして襲いかからなかったのだろうな?」
「それは……」
グラヴィスは口ごもる。
「彼女がそのために送り込まれてきたのであれば、あそこほどふさわしい場所も他にはなかろう。そうではないか?」
「確かにその通りで……」
「しかも城に潜り込んだからと言って、彼女がエルミーラやわしらに近づけるかというとそうでもなかろう?」
「確かにその通りです」
「だからわしは、もしそうであればアウラ殿はもう一つの能力の方を使うのではないかと思っておった」
「もう一つ? もう一つとは何でしょうか?」
それを聞いて王はにやっと笑った。
「貴公も“ヴィニエーラのアウラ”の名前には聞き及んでおろう?」
「は……!!」
「そうだ。もしその噂が本当ならば、エルミーラならそれこそあっという間に籠絡されてしまいそうであろう?」
「まことに、その通りでございます……でしたらあのようなポストに置かれるのは問題なのでは?」
「うむ。確かにそうなのだが、実はそれも終わっておるのだ。なんとアウラ殿が来られた次の日にはあの大馬鹿者が、アウラ殿を自分の寝床に引きずり込んでおったのだからな!」
そういって王は笑った。
「あなた! 笑い事ではないでしょ!」
王妃が王をにらみ付ける。
だがそれを聞いたグラヴィスは真っ青になった。
「して、して、エルミーラ様は!!」
それに答えたのはナーザだ。
「全く大変でしたわ。私ずっと見ておりました。次の日は寝不足で大変でしたわ」
「あの……」
「子犬のように抱き合って眠っているお二人を一晩中のぞき見ているというのが、どれほど辛いかおわかりになります?」
「…………」
「もしもそういう目的だったとしたら、どうしてアウラ殿はこんなチャンスをものにしなかったのであろうな?」
「それは……もしやナーザ殿が見張られていたことに気づいていたとか?」
「だとしても、あのときもアウラ様は最初から全然乗り気ではなかったように見受けられました。その上次の日にはここを出ていくとかおっしゃられて。あそこで王様が引き留めなさらなかったら、本当にアウラ様は出ていってしまわれたと思います。もし見張られていたことに気づいていたからあんな風に行動したのなら、次のチャンスを狙うためにも城にとりあえず残るはずでしょう? それにそもそもアウラ殿は自分が不感症だとか主張する必要もなかったかと……」
それを聞いてグラヴィスが咳払いする。ナーザは慌ててそれ以上の言葉を呑み込んだ。
ルクレティア王妃がちょっと顔を赤らめている。
国王がちょっと慌てて付け足した。
「まあともかくそういうわけで、アウラ殿は本人の思ったとおりに行動していると考えるのが最も筋が通るとそういうわけなのだ」
グラヴィスは王に言った。
「では結局アウラ殿は問題ないと?」
「そうだな。わしらは本当に、大変有能なミーラの護衛を手に入れたということになるわけだ」
グラヴィスはうなずいた。それから再び王に尋ねる。
「はい。ではもう一方の方ですが……」
それを聞いて王は頭を掻いた。
「そうだ。そっちの方が頭が痛いな」
それを見てルクレティア王妃もうなずく。
「そうですわね。あの方をあまり疑いたくはないのですけどね」
「ああ。だがアウラ殿を連れてきてくれた者が、白銀の都の小公家の者だというのは、偶然にしてはかなり出来過ぎているしな」
「では……あの方がアウラ殿を裏で操っていると?」
「そのような証拠はない。だがそうでないという確証もない」
それを聞いてグラヴィスは考え込んだ。
「ではどう致しましょう?」
「とりあえずは今のままだ。もし何か裏があるのならば、そのうち行動を起こすであろうし、彼もまた見たままの存在なのかもしれないし」
「そんなことが……あるのでしょうか?」
「わからん。だが人の人生とは出来過ぎた偶然の連続なのかもしれないしな。わしとティアが出会ったのもそうかもしれないし、ナーザ殿が今ここにいることだってそうかもしれない」
「……はい」
「ともかく一々疑ってかかる必要はないが、油断もするな。そういうことだ」
「わかりました」
───といったようにフォレス王家は安全保障上の問題で困惑していたのだが、もちろんフィンもアウラもそんなこととはつゆ知らず、安らかに惰眠をむさぼっていた。