第4章 アウラ、仕返しされる
図書館の隅で、フィンはおびえながらナーザを待っていた。
ここならば分からないはずだが―――こんな所を見つかったらどうする?
あの日以来、フィンの毎日は地獄になった。
何だか知らないが、アウラは別人のようになってしまったのだ。
それまでは笑顔も見せず、いつも暗い表情で王女に付き従っていただけだったのに、今ではいつもけらけら笑っている―――少なくともフィンにはそう見える。
城の中の評判では“快活な良い娘”になったらしいのだが―――フィンにとっては最悪だった。
あれ以来アウラはことあるごとにフィンにからんできた。
もちろん彼女が来てくれる事自体は決して嫌なことではない。問題はその内容だった。
なにしろすれ違いざま足を引っかけたり、意味もなくぶっ叩かれたり、服の背中に大きな虫を這わせてみたりと、ほとんど子供のようないじめなのだ。
出来事だけをあげつらってしまえば、微笑ましいともいえる。
だがアウラはもう子供ではないのだ。あの薙刀でぶっ叩かれればただでは済まないのだ。
《これじゃ身が持たん!》
フィンがいらいらしながら待っていると、やっとナーザがやってきた。
フィンがこそこそ隠れているのを見て、ナーザは笑いをこらえている。
「どうしたの? フィン。こんな所に呼び出したりして……」
「ナ、ナーザさん! いったいアウラに何したんです?」
あの後すぐ、ナーザは王命を受けてベラまで行ってしまったのだ。
誰に聞いてもアウラが変わってしまった理由を知らなかった。王女に訊きたくても、王女の側には大抵アウラがいる。もちろんアウラ本人に訊くわけにはいかない。
だからフィンはナーザが再び戻ってくるまでひたすら堪え忍ぶしかなかったのだ。
「何って?」
「からかわないで下さい!」
ナーザは笑い出した。
「まあ、そんなひどいことになっていたの?」
「やっぱりナーザさんなんですね?」
「多分そう思うけど……詳しく聞かせて。エルミーラ様から少し聞いただけなのよ」
「とにかくひどいんですよ。例えばですねえ……」
そう言ってフィンは話し始めた。
―――フィンはその時図書館で本を読んでいた。
「いいわね。暇な人は」
フィンは慌てて振り向いた。アウラはその気になったらまるで気配を感じさせずに人の後ろに立つことができる。
振り返ったらすぐ間近にアウラの顔がある。
「うわ!」
フィンはのけぞった。
「何よ!」
「急に出てくるな!」
「何で?」
「びっくりするだろうが!」
「急じゃなきゃいいの?」
「そういう問題じゃなくて……うぎゃああああ!」
そのときアウラは薙刀を杖のようにして体重をかけていた。それだけなら別に問題はない。その下にフィンの足の甲がなければの話だが。
ついでだが、薙刀の石突きには金属の棘も付いている。
「あ! ごめ~ん!」
アウラは笑い出した。
「この野郎! 骨が折れたらどうするんだ!」
「折れてないでしょ。細かいことにうるさいわね!」
「あ、あのなあ……」
絶句したフィンを置いてアウラは行ってしまった―――
「……って具合で、図書館じゃおちおち本も読んでられないんです!」
「まあ。でもそれならば、別なところで読んだら?」
「そうしたんですよ!」
―――図書館では毎日アウラにいびられるので、フィンは屋外で本を読むことにした。
季節はもう初夏だ。木陰の読書は気分がいい。
だが場所が悪かった。
フィンが本に没入していると、上の方から声がした。
「……分かったわ。じゃあ大急ぎで行って来るわ」
「ああ! アウラ! そんなところから!」
「だって階段は遠いでしょ!」
途端に木の上でがさがさっと音がしたかと思うと、いきなりフィンの上にアウラが落ちてきたのだ。フィンは見事に下敷きになった。
「ぎゃああああああ!」
「あら? フィン。何でこんな所にいるのよ?」
アウラはフィンの上に乗ったまま言う。
「重い! のけ!」
「重くて悪かったわね!」
そう言ってアウラはフィンにもう一度どすんと座り直して、それからさっさと行ってしまった―――
「そ、そうだったの……」
ナーザは腹を抱えて笑っている。
「笑い事じゃないです! あの図体で上から降ってこられたら、首の骨が折れます! それどころかですねえ、この間は……」
―――フィンは庭園の人気のないところに隠れるようにして座り込んでいた。ここなら見つからないだろう―――だが、その考えは甘かった。
「じゃ、今日はこの辺で練習しましょうか?」
「はいっ!」
アウラとリモン、コルネの声だ。ど、どうしてだ?
この頃はもう城の女官の間ではアウラがフィンをいじめていることは周知の事実だった。そのため言われなくとも勝手にフィンの居場所を教えてくれる女官も多かったのだ。
フィンは慌てて身じろぎをした途端、がさっと音を立ててしまった。
「あら? 誰かいるわ! リモン。見てきて」
リモンがまっすぐこっちにやってくる。
「あ!」
「あはは」
「アウラ様。ル・ウーダ様です」
「ええ? どうしてそんなところに?」
アウラがわざとらしくにやにや笑いながらこちらにやってくる。
「何やってるのよ。泥棒かと思ったじゃない!」
「お、お前こそ、王女様はいいのかよ?」
「今アイザック様とお話中なの」
「そ、そうか」
フィンは慌ててその場を立ち去ろうとした。
だがアウラはフィンの袖を掴んで離さない。
「あ、そうそう。じゃあ、昨日言ってたのを見せてあげるわ」
「ええ? 本当ですか?」
コルネの目が輝く。その横でリモンが苦笑いをしている。
「な、何する気だよ」
「そこに立って」
そう言ってアウラは薙刀を抜いた。
「お、おい!」
それからアウラは近くに生えていたグミの木から実を一つもいでちょっとかじると、その実をいきなりフィンの鼻に張り付ける。
「こら!」
「動いたら死ぬわよ!」
フィンは硬直した。
途端にアウラが薙刀を振り下ろすと―――フィンの鼻にくっついていたグミの実だけがまっぷたつになった。
「うわあ!」
まさに神技だが、実験台にされる方はたまったものではない。
リモンとコルネが驚きの声をあげる。フィンはへたへたと座り込んだ。
「これは難しいから、真似しちゃだめよ。あなた方はまず基本をしっかりとね」
「は~い!」
そう言いながら二人はフィンをじっと見つめている。
あれは―――哀れみの目だ! フィンはこのまま一生おもちゃにされ続けるのだろうか? ―――
「だったらどうして自分の部屋に閉じこもっていなかったの?」
「それじゃ本が読めないじゃないですか!」
「それは仕方ないわねえ」
「このままじゃいつか殺されます! いったいどうしたんです? あいつは!」
フィンが真顔で懇願するので、やっとナーザは笑うのをやめた。
「そうね。あなたにも訳を話しておいた方が良かったわね」
「やっぱり何かしていたんですね!」
「あなたも気づいてたでしょ? 彼女少しおかしかったって」
「おかしいって、あの男嫌いのことですか?」
「ええ。いくら何でもあれはないでしょ?」
「はい」
「エルミーラ様のお側に控えるのに、やっぱりあれでは困るのよ。それは分かるわね?」
「はい……」
「でね、私たちそれを矯正するために、ちょっと陰謀を企んでたの。結果としてはおおむね成功だったみたいだけど」
「陰謀って……」
「話せば長くなるんだけど、最初はあの日ね。ほら私が脚立から落ちてあなたに支えられてる所に、彼女がやってきたとき」
「あ、あのとき……じゃあ、あれってわざとだったんですか?」
ナーザはにっこり笑う。
「ええ、そう。あそこからだと窓から外が見えて、アウラがやってくるのが分かるのよ」
「はあ……」
「案の定、彼女はかんかんになってたわね。でもそのせいであんな事になっちゃったんだけど。で仕方ないから王様にも頼んで、うやむやにしてもらったんだけど」
「あれはナーザさんの差し金だったんですか?」
「え? もちろんアイザック様がアウラのことを本気で買ってなければ、うんとは言われなかったでしょうね。今回のことはそもそも王様の発案でもあるのよ」
「…………」
「でね、あの裁判のあった夜、アウラが私の部屋にやってきたのよ」
「ええ? 一体何しに?」
「もちろん私を斬りによ」
………………
…………
……
ナーザがあまりにもあっさり言ったので、フィンはその言葉の意味が理解できるまでしばし時間が必要だった。
「はああああ⁇」
ニコニコしながらナーザが言う。
「だって彼女が私に別れてくれって談判している姿、想像付く?」
「いえ、それは……」
まさに想像がつかない。
「だから私、彼女を挑発して庭に連れ出したのよ」
それを聞いてフィンは目が点になった。
「そんな危険な……」
「危険なことはないわ。だいたい彼女は元々人殺しが好きなわけではないでしょ? もしそうだったらバルグールなんかは首をはねられてたんじゃないかしら? だから命までは取られないって確信はあったわ」
「でも、怪我したら……」
「そのときはそのときね。でもそれでアウラが治るんだったら、安いかも知れないわ」
「ナーザさんはそこまでしてアウラを?」
「ええ。彼女はそれだけの価値があると思うわ。あなたはどうなの?」
そう言われてフィンは口ごもった。
実際彼自身もアウラを救うために何度も修羅場に飛び込んでいった記憶がある。
あれがなぜかと問われれば―――結局そうするだけの価値があると思ったからに他ならないだろうが……
「それでナーザさんは……アウラに勝ったんですか?」
「ええ」
ナーザはあっさりと答えた。
「ナーザさん、剣も使えるんですか?」
蒼くなって尋ねるフィンに、ナーザは笑って答える。
「まさか! まともにやって彼女に勝てるわけないわ。ハッタリよ」
「ハッタリ⁇」
「そう。彼女ずいぶん頭に血が上ってたから。うまくひっかかってくれたわ」
「…………」
そこでナーザの表情が真剣になる。
「それはともかくね、それから私は彼女を部屋に連れていって、話を聞いたの」
「何の話ですか?」
「彼女があの傷を受けたときの話よ」
フィンは愕然とした。
「傷って、あの胸の?」
「そう。今まで彼女あれについては何も話してくれてなかったでしょ?」
確かにそれはそうだった。
「聞くだけでも辛い話だけど、特にあなたには聞いておいて欲しいの」
そう言ってナーザはフィンに、アウラから聞いた話を逐一語って聞かせたのだ。
―――それを聞いてフィンは返す言葉がなかった。
《なんだって? 目の前で養父を殺されたあげくに、死体の側で強姦されて、ぶった斬られて、雪の中を這いずってただと?》
ナーザは軽く首をふる。
「普通ならそこで終わりよ。でも彼女は生き抜いたの。分かる?」
フィンは黙ってうなずいた。何とも答えようがない。
「でも体は回復しても、心はね……あのままでは彼女はいつか潰れていたわ。取り返しの付かない事件を起こしてしまうか、それとも本人の心が砕けてしまうか……今まで何とかやって来れてたのが不思議なぐらい」
そう言ってナーザは目を伏せた。
「そんな……」
「この心の傷はできるだけ早く癒やさなければならなかったの。だから私はアウラに話をさせたのよ」
フィンは思わず尋ねていた。
「それって残酷なんじゃないですか?」
だがナーザは首をふる。
「それは違うわ。確かに絶対に思い出したくないことよね。だからこそそれを放置しておいたら、その毒がどんどん心を腐らせていくのよ。彼女がそれに立ち向かって、その事実としっかり折り合っていかない限り、永久に彼女はあのままなの」
それを聞いてフィンはなぜか嬉しくなってきた。ナーザがこれほどまでにアウラのことを心配してくれているのを見て、フィンはついこう答えていた。
「よく分からないけど……ありがとうございます」
それを聞いたナーザが驚いたような顔で言う。
「どうしてあなたがお礼を言うの?」
「え、いや、その」
フィンは赤くなった。それを見てナーザは面白そうに微笑んだ。
「ともかくそれでアウラの場合ね、あの事件を忘れるために、ガルブレス様との思い出も忘れる必要があったのね。もちろん彼女はいろいろな出来事を覚えてはいたけど、決して自分からは語ろうとはしなかったし、話すときもすごく辛そうだったでしょ?」
「はい」
「だから私ね、アウラにまずガルブレス様との楽しかった思い出を、もう一度しっかりと思い出すように暗示をかけてみたのよ。あの子はずっと眠っていたみたいなものなの。あの日以来ずっとね。もしその彼女が目を覚ましてくれたら、そのときからもう一度やり直すことができるんじゃないかってね」
「……眠っていたって、それじゃ、今までのアウラは?」
「ええ。今まで見ていた彼女は、辛い思い出から身を守るために彼女が創り出した仮面みたいなものだと思うわ。もちろんそれはそれで本物のアウラだと言うしかないけど」
「…………」
「あなたは前のアウラの方が良かった?」
フィンは慌てて首を振った。
前と今とじゃ、今がいいに決まっている。あんな幸せそうに笑うアウラは―――遠くで見るだけならだが。
だが……
「で、でも、ちょっと今のは、何というか、その……」
「そうねえ。確かに。彼女があんなにいじめっ子だったとは、私も予想外だったわ」
ナーザは平然と言う。
「な、何とかならないんですか?」
「それは……」
そのときだった。
「あ! 何してるのよ!」
「ア、アウラ!」
いきなりアウラが現れたのだ。彼女は二人の顔を見ると言った。
「ナーザ様、大丈夫ですか?」
「ええ?」
「この男にこんな所に連れ込まれたんですか?」
ナーザは吹き出しそうになりながら答えた。
「いえ、そういうわけじゃないのよ」
「ああ、そうだったんですか!」
アウラはそうわざとらしくに言った後、フィンの顔をじっと見つめた。
それからくるっと後ろに振り向くが―――途端に薙刀の柄がフィンの後頭部にぶち当たって、目から火花が出た。
「あ! ごめんね。そんなところにいるなんて気づかなかったわ!」
そう言ってアウラは行ってしまった。
しばらく二人は無言だった。それからナーザが爆笑する。
「笑い事じゃないです!」
「でも……どうしたらいいのかしら? フィン。分かるでしょ? あの子ずっと眠っていたのよ。十四歳のときからずっと。起きたのはつい最近で……」
「……てことは」
「そう。彼女の心はまだあのときのままなの。体だけは大きくなってしまたっけど……」
「十四だったら普通もっと女らしくなってます!」
「普通だったらそういう気もするけど、何といってもガルブレス様に育てられてた訳だし……それに根が子供っぽかったんじゃないかしら」
「だからってどうして僕だけがこんな目に……」
そう言いながら、フィンは途中でその理由に気づいてしまった。
「もちろん理由は分かるわよね?」
ナーザが微笑む。
フィンはしどろもどろになった。
「あ、あの、本当なんですか?」
「本当かどうかは本人に訊かなければ」
「訊くったって、あいつあんなだし……」
「でも放っといたら今のままじゃない? あなたの態度をはっきりさせれば、彼女も分かってくれるんじゃないかしら」
態度をはっきりさせる?―――ということは、彼女に彼の気持ちを告白することではないか。
「そんなこと言われても……」
フィンはまだ心の整理がついていなかった。
だがナーザは言った。
「でもあんまり放置すると、彼女また元に戻ってしまうかもしれないわよ」
「えええ?」
フィンは言葉に詰まった。それだけはごめんだ!
だが……
「とにかくあなたは毅然としている方がいいわね。妙にこそこそしてたら、余計にいじめられるわよ」
フィンは曖昧にうなずいた。
もしかしたらアウラは彼のことが好きなのかもしれない―――その可能性を知ってフィンは心の底からの喜びを感じていた。それはフィンの一方的な感情ではなかったのだ!
だが改めて気持ちを伝えるといっても、それは簡単なことではなさそうだ。
《告白って……》
フィンはちょっと想像してみようとしたが、全然イメージがわかない。今のアウラ相手にどうやったらそんな雰囲気に持ち込めるというのだ?
それにもしうまく行ったとして、今の彼女を受け入れるということは、一生ああいう彼女のお守りをするということなのでは?
心配になってフィンはナーザに尋ねた。
「あの……彼女はずっとあのままなんでしょうか?」
ナーザは笑って答えた。
「それはないと思うわ。そんなにしないうちに、もっと大人になると思うの。彼女は少し混乱してるだけだと思うわ」
「ほ、本当ですか?」
「うーん。多分ね」
「多分って……」
だがナーザはそれ以上は答えてくれず、ただにこっと笑っただけでそのまま行ってしまった。
フィンは取り残されて頭を抱えた。
毅然と対応しろって言われたって……
その晩アウラはまたアサンシオンのVIPルームにいた。
ベッドの上ではエルミーラ王女と遊女達がきゃっきゃ言いながら戯れあっている。
だが今回はアウラはそれには参加せず、入り口近くのクッションの上で一人考え込んでいた。
エルミーラ王女に過去の経緯を聞いたあの日以来、アウラはここに来てもあまりそちらの方には参加していなかった。
王女がアウラの腕前に恐れをなして遊女達をあまり近寄らせなくなってしまったからだ。
別にアウラはそれに不満があるわけではなかった。
それに彼女が迂闊に参加したら動ける遊女が減ってしまう。アウラは王女がどれほど真面目に勉強してしているか知っていたし、そのためにどれほどのプレッシャーを受けているのかも知っていた。
アウラはそんな王女のささやかな? 楽しみの時をなるべく邪魔したくはなかったのだ。
それに終わった後はいつも王女と一緒に眠ることができた。
アウラにとってはそれだけで十分だった。
彼女にはそれ以上の物は必要なかった。
だが―――その日アウラは少し悩んでいた。悩みの発端はここに来る途中の馬車の中でコルネが言ったことにある。
―――そのとき馬車の中にはアウラと王女の他にコルネと、メイというコルネの幼なじみの女官、さらにその同僚が二名乗っていた。
もちろん彼女たちがアサンシオンまで来るわけではない。彼女たちは市内に実家があるので、城からの帰宅の際に相乗りしていたのだ。
そこでコルネが覚えたての薙刀の知識を熱弁していた。
「だから薙刀って、こういう風に軸が長いでしょ。それでじゅうしんに近い所を持てるんで、女の子でも扱いやすいのよ」
「じゅうしんって何?」
メイが尋ねた。
「それは決まってるじゃない。じゅうしんって、ほらこの辺のことよ」
「どこ? 印か何か付いてるの?」
「付いてないけど、この辺なのよ」
「だったらどうしてそこがじゅうしんって分かるの?」
「それは……」
コルネは良く理解して話しているわけではなかったので、すぐボロを出した。
「あの、アウラ様、どうやったらじゅうしんの場所が分かるんですか?」
「ええ? なんていうか、そこを持ったら左右の重さが釣り合うところかしら? 棒を持つとき、真ん中を持った方が力がいらないでしょ?」
アウラが苦笑しながら答えた。
「そう! そうなのよ」
それを聞いてエルミーラ王女がコルネをちょっと小突いた。
「何なの? 知らないで話してたの?」
「だって……」
「ともかく女だとどうしても男より力で劣るから、少しでも扱いやすい武器を使った方がいいの」
アウラが補足する。
「でもそれだったらどうして男も薙刀使わないんでしょう?」
メイにそう聞かれてアウラも少し言葉に詰まった。
確かにガルブレスが彼女に持たせたのは薙刀だったが、彼自身は剣を使っていた。
だがアウラは実際にいろいろ立ち会ってみると、薙刀を使う際には剣よりも動きが制限されることに気づいていた。
その分はリーチで相殺されるので、それで不利だとは思わなかったが。
「え? 多分剣の方が動きやすいからじゃないかしら。それに相手の剣を受け止めるときは、刃渡りが長い方がいいし。軸で剣を受けたりしたら一発で折られちゃうのよ。それに重くなっても男なら振り回せるし」
娘達はとりあえずは納得したようだった。
「でも薙刀って長くて邪魔ですよね。いっつも持ち歩くのって大変じゃないですか?」
それは確かにそうだった。
アウラが使っているのは通常の薙刀よりもずいぶん短いものだ。だがそれでも彼女の身長ぐらいの長さは十分ある。
「そうだけど、でもそうするしかないでしょ?」
そう言ったとき、アウラの胸の傷が軽く疼いた。
もしあのとき彼女の手に届くところに薙刀があれば、あんなやられ方はしなかっただろう。
もちろん勝てたかどうかは分からない。だが相手に一太刀ぐらいは入れてやることができたはずだ―――
そのときの話はそれだけだった。
だがアウラはその話が頭の隅になぜかこびりついていた。
それから彼女たちは一人一人別れていき、最後はアウラと王女が二人残って、ここアサンシオンにやってきたのだ。
そしてそのまま郭の中でもアウラはまだ考えて続けていた。
《もし今何者かが押し込んできたら……》
考えてみればこの問題はかなり深刻だった。
郭では普通、武器の持ち込みは禁止である。来た客が武器を所持していたのであれば、通常は入り口で預けなければならない。
だからアウラが初めてここに初めてやってきたとき、あの兵士達が武器を持って小娘を脅していたのは、大変信じがたい行為だったわけだ。
だがそういうルールはあっても、入るときにボディーチェックまでする所はあまりない。従ってその気になれば服の下に隠せるような武器を持ち込むことは可能なのだ。
しかしアウラの薙刀をそうやって隠し持って入ることはどう考えても不可能だ。当然今の彼女は丸腰だ。この状態で何者かに押し入ってこられたら、彼女はそれを撃退することができるだろうか?
もちろん普通なら客がそこまで考える必要はない。
郭で遊んでいる客は色々な意味で無防備だ。そのため暗殺劇の舞台が郭になるというのは良くある話だ。
従ってここのような高級遊郭では、客の安全には細心の注意を払っている。
実際今もこの区画は特別なガードによってきっちりと守られている。
それでも百パーセントということはあり得ない。
その上今ベッド上で戯れている人物の身分が身分である―――彼女は一国の王女の命を守らなければならない立場なのだ。
アウラはもちろん格闘技を全然知らないわけではなかった。
だがそれは薙刀を使う時に組み合わせて更に効果を上げるためのもので、それ単独で敵を倒すような代物ではなかった。
実際組み打ちになってしまったらはっきり言ってお手上げだった。
たとえ彼女が格闘技に習熟していたとしても、相手が男ならばパワーの差は歴然だ。特に相手に体をがっちりと掴まれてしまったりしたら……
「うっ!」
その状況を想像した途端にアウラの古傷が痛む。
「どうしたの? アウラ?」
エルミーラ王女が驚いた顔でアウラを見ている。
王女達は一休みしているようで、遊女達も同様に彼女を見つめていた。
「いえ、何でもないの」
「そう?」
王女は疲れていたのか、それ以上は追及しなかった。
彼女たちの注意が逸れると、アウラは黙ってそっと胸の傷を撫でた。
今の状態では相手にちょっと触れられただけで、彼女は動けなくなってしまいそうだ。
問題は技術以前の話なのだ。
《それじゃだめじゃない!》
その程度で行動不能では確実に護衛失格ではないか?
でもそれでは一体どうしたらいいのだろう?
アウラは警備隊長のロパスに相談して、素手の格闘を習おうかとも思った。彼女は形式上は彼の部下ということになっているからそれは問題ない。
だが彼女は警備隊員の訓練を見学したことがあった。剣の訓練をしているところは一緒にやろうかとも思ったぐらいなのだが、格闘や捕縛の訓練はそうではなかった。
体を掴まれるとかいったレベルではなく、完全に組み敷かれるような状況も覚悟しなければならなかった。そんな状況になったりしたら―――再び胸の傷が疼く。
《でも……せっかくここに置いてもらってるのに、王女が守れなかったら……》
その想いは別な意味でアウラの心を苛んだ。
いやだ! それだけはもう絶対にいやだ!
やはり、どうにかしてこれは克服しなければならないのだ。もしそれができなかったら、結局またアウラは前のような生活に戻ることになるだろう。たった一人で行く先もなくさまよう生活に……
だが以前ならそう思っても何とも感じなかったのに、今は耐えられなかった。
アウラはもうこの城を去りたくなかった。
ここには王女がいる。三人娘がいる。アイザック王やルクレティア王妃がいる。そして―――フィンの姿が目に浮かんだ。
アウラは慌てて首を振ってその像を追い払おうとした。ところがそれとは逆にアウラの脳裏にはあの滝壺の出来事が浮かびあがってきたのだ。
あのときは確か―――生まれたままの姿でフィンの前に突っ立ってはいなかったか?
途端にアウラの顔がかっと熱くなる。
心臓がどくどく音を立てるほど高鳴ってくる。
《??》
あのシーンは今まで何度も回想しているはずだ。だのにどうして今回は前と違うのだ?
これまでだったら、その後のフィンの慌てっぷりを思いだして、それを嘲笑してから眠りにつく、そんな流れになるはずだった。
だが今回はなぜか違う。
想像の中のフィンがそのままアウラの方に歩み寄ってくる。
なぜかアウラは動けなかった。
フィンが黙って微笑むと、アウラの手を握って―――それからアウラの肩を引き寄せると……
「やっ!」
アウラは思わず声を上げてしまう。
それを聞いてまた王女が尋ねる。
「ん? 何か言った?」
「え? いえ、何も」
いつもなら王女はこういうときにはもっと突っ込んでくるのだが、今回はまだ疲れていたのだろう。またそれ以上は何も尋ねなかった。
アウラはこっそりとため息をついた。
一体全体、どうして今日はこんな妄想が浮かんでしまうのだろう? 王女や遊女達の声のせいだろうか?
しかしアウラはヴィニエーラにいた頃から、あんな声は聞き飽きるほど聞いている。今更どうということはないはずなのだが……
《でももしあのときフィンがそうしてたら……》
アウラの心臓はもうずきずき痛むほどだ。
それを追い払おうとして、彼女はまた別なことを思いだしてしまった……
『あの方は、お優しかったです……』
そう言ったのは、確かユーノという遊女だった。
彼女は何回か前に来たときに呼んだ娘の中に混じっていた地味な娘だったが、アウラを見た彼女の様子が変なので問いつめてみたら、フィンが彼女の馴染みになっていることを告白したのだ。
ユーノはフィンとアウラが二人きりで旅をしてきたことを知っていた。アウラの前に出て緊張するのは当たり前だった。
そのときはそれを聞いても別に何とも思わなかった。
というよりは、心の底から浮上してきそうなある感情を瞬時に圧殺していたのだが―――そして気づいたらアウラは、そんなことは気にするなとユーノを慰めていた。
それ以降彼女のことはすっかり忘れていたのだが、なぜか今、そのときのユーノの言葉がアウラの脳裏に浮かび上がってきたのだ。
《フィンが……優しい?》
途端に胸がずきんと疼いた。
「うっ!」
それを聞いてさすがにエルミーラ王女も何か変だと感じたようだ。
「どうしたのよ? アウラ。さっきから?」
王女はベッドから降りるとアウラの横に座った。
「何でもないの。何でもないの!」
「本当?」
王女はそう言ってアウラの目をのぞき込む。
「本当よ! 本当に!」
アウラは慌てて目を逸らす。
もちろん王女は一目でアウラが何か隠しているのに気がついた。だが彼女はそれを追及していいかどうかは今一つ自信がなかった。
そこで王女はとりあえず、隠し事をしていそうな遊女に対するように振る舞ったのだ。
「一体何隠してるんだか!」
そう言って王女はアウラの乳首を軽くひねったのだが……
「あんっ!」
アウラは思わず声を出してのけぞっていた。
その瞬間体に今まで感じたことのないような衝撃が走ったのだ。
「???」
気づくとエルミーラ王女が驚いた表情で彼女を見つめている。
もちろん王女はこうなることなど全く予想していなかった。本当に何の気なしにそうしただけなのだが―――なにしろ今までアウラにそういうことをして、反応が返ってきた試しがないのだから……
でも今のは?
「え? え?」
わけが分からずに左右を見ているアウラを王女がじっと見つめる。
「アウラ、あなた……」
「え?」
そこで王女は再びアウラの乳首をまさぐったのだ。すると……
「あんっ!」
またアウラは声を出していた。
そのときにはアウラも気づいてきていた。
エルミーラ王女は今度は、アウラの胸に唇を這わせ始めた。
「や、やめて、あ! だめ!」
アウラは身をよじって王女から逃れた。
《これって、これって……》
アウラにはどうしていいか分からなかった。
今まで相手がそんな風になっているのはたくさん見たことがある。だが自分がそうなってしまったのはこれが初めてなのだ。
アウラは思わず逃げ出そうとしたのだが―――そのときは既にエルミーラ王女がアウラの腕をしっかりと握っていたのだ。
「みんな。見た?」
「はい」
それを聞いて遊女達が声を合わせて答えた。
それから遊女達はベッドを降りてきて、アウラの回りに集まった。
「さあ、アウラ、ベッドに行きましょうか?」
「え? あの、ちょっと」
アウラは抗おうとしたが、遊女達はアウラを掴んで離さない。
彼女はそのままベッドに連れ込まれてしまった。
「ちょっと、その、やめて……」
だがここにいる遊女達は、みんな一度はアウラに足腰立たなくされた経験を持っている。彼女たちがこんな逆襲の機会を逃すはずがない。
「ミーラ、ねえ、ミーラ!」
アウラは一縷の望みをかけて王女に問いかけてみた。
だが王女はにこにこ笑いながらこう答えただけだった。
「だってあなたがいつもしてたことじゃない」
「意地悪ーっ!」
そしてアウラはそれまで自分がさんざんしてきたことの報いを受けることとなった……
―――終わったときにはもうみんなへとへとだった。
今まではアウラが一方的に攻撃していたようなものだ。だから自分が何をしているか、冷静に見つめることができた。
だが今回は違った。
はっきり言って何がどうなったのかさっぱり分からなかった。
周囲にはそこかしこにアウラ同様に脱力した遊女達が横たわっている。
エルミーラ王女はアウラの横で既に寝息をたてている。
まだ体中が痺れているような感じがしている。
アウラは深く息を吐き出して、目を閉じた。
アウラは嬉しかった。
彼女は壊れているわけではなかったようだ。
どうしてだか知らないが、スイッチが入ってくれたらしい。
ともかく―――これで彼女が今までいろいろな遊女達にしてあげたことは、ひどいことではなかったということが実感できた。
彼女たちがこんな気持ちを味わってくれたのなら、アウラは間違ったことはしなかったのだろう。アウラはちょっと安心した。
それからアウラは横で眠っているエルミーラ王女の肌を撫でた。
王女がちょっと寝言を言って、寝返りする。その肌のぬくもりが心地よかった。
今まではその暖かみだけがアウラの喜びだったのだが―――今では王女とそれ以上の一体感を感じていた。
王女の言っていたのはこれだったのだろうか? 王女が彼女に与えてくれたこと、アウラが王女に与えてあげたこと―――それを実感したとき、心にわき上がってくる喜びの感情が何倍にも増していくような気がする。
しばらくそうやってアウラは幸福の余韻に浸っていた。
次いでアウラの考えは妙なところへと漂っていった……
もしこれをフィンと共有できたなら、どんなにいいだろう……
途端に顔から火が出るような気がして……
「いやっ!」
また思わず声を上げていた。
「……んん?」
エルミーラ王女が目を覚ましそうになる。
「何でもないの……何でもないのよ……」
アウラは慌ててそうつぶやいた。
本当に何を考えているのだろう?
あの日の朝から何かがおかしい……
彼女は一体どうなってしまったのだろう?
アウラは全然後悔はしていなかったが―――だが漠然とした不安も感じていた。
