賞金稼ぎは楽じゃない 第2章 お金がない!

第2章 お金がない!


「それにしてもあいつ遅いな……」

 フィンはつぶやいた。

「こんな事ならどこか行くって言っておけば良かったかな?」

 アウラのお使いはすぐ済むと思っていたから、それから二人でまた出かけようと思っていたのだ。だがここでフィンが出て行ってしまったらアウラが戻ってきたとき誰もいなくなる。

 フィンはため息をつくと部屋の中を見回した。

 なかなかいい部屋だ。床は綺麗に磨かれ、家具も高級なものだ。ベッドはふかふかで気持ちいい。こういう部屋だと結構部屋代が高いのだがそれは仕方がなかった。何しろベッドが柔らかいかどうかは実はフィンにとって結構深刻な問題だったのだ……

 というのは、夜の親睦を深める際にアウラが、さすがに今ではロープこそ不要にはなっていたが、今だに下になるのを嫌がっていたからだ。

 抱き合ってごろごろしているくらいならいいのだが、気分が乗ってくると何故かいつも彼女が上に乗っかっているのである。フィンもそういうスタイルは嫌いではなかったのだが―――何しろ彼女はいつも元気さが有り余っていた。昼間ずっと旅をしていても空いた時間には薙刀の稽古は欠かさないというのにだ。

 もちろんそのこと自体は大変喜ばしいことなのだが―――そうなるとベッドの固さやシーツの質がが大きな問題となってくるのである。

 最初の頃エクシーレで安めの部屋を取ってみたら、次の日フィンは尾骶骨のあたりが擦りむけてしまっていて、治るのにえらく時間がかかってしまったのだ。

 それ以来、部屋を取るときはなるべくいい部屋を取ることにしているわけで―――何だか少し違うような気もするが……

 だがそんな部屋ばかりに泊まっていると当然ながら宿泊代もかさむ。

《そういや、残りはどのくらいだったっけかな?》

 フィンはちょっと気になって来たので荷物をあさると財布を取り出して中身を調べた。数えてみたら金貨が五枚と銀貨が十数枚だ。

《うーむ。結構使ったかな?》

 彼らはこの旅に出る前アイザック王から金貨二十枚ほど支給されており、それをアウラと半々に所持していた。だから残りは実際には金貨十五枚とちょっとということになる。

 ベラに滞在中は王女と共に行動していたため、彼らが金を使う必要は全くなかった。とするとエクシーレを旅していたときとアイフィロスに入った後の期間で、所持金の四分の一を使ってしまったことになる。

《うーん。今後は少しセーブしないとだめかな?》

 フィン達の道程はまだまだ先が長かった。

 現在の予定だとラーヴルからトルボ、シフラを経由してシルヴェスト王国の首都グリシーナに行き、そこからサルトス王国、アロザール王国を回った後、レイモン王国を縦断するつもりだった。

 更にその後白銀の都の実家に顔を出してからフォレスに戻る算段だ。その旅程を考えたら今のペースで金を使っていたらまず間違いなく後半大変なことになりそうだ。

《しょうがないなあ、それじゃ専用のクッションでも買っとこうかな?》

 フィンがそんな呑気なことを考えていると、部屋のドアがばたんと開いてアウラが包みを幾つか持って戻ってきた。

「ごめん。遅くなって。はい。まずこれね」

 アウラは手に持った包みをフィンに渡す。中には揚げたてのピロシキが入っている。

「おおっと」

「そこで買ってきたから熱いわよ」

「ああ」

 ラーヴルでは町中のあちこちにこのピロシキの屋台が出ている。以前いたときからフィンの好物である。

「お茶頼む?」

「ああ」

 アウラが呼び鈴を鳴らすとすぐにメイドがお茶を持ってきてくれる。こういう部屋の場合サービスが迅速なのはいい点だ。

 お茶がやってきてくつろいだ所でフィンが質問した。

「で、一体どこまで行ってたんだよ」

「ちょっとね。おもしろい剣がいっぱいあって……」

 考えてみたらこんな風に本当にアウラと二人きりで行動するのは、フォレスにやってきたときの旅以来だった。

 あのときはもうアウラに間違えて触れてしまわないかとか、そんなことばかり気になっていたため気づかなかったのだが、この旅行ではフィンがそれまで知らなかったアウラの別な側面が幾つも明らかになっていた。

 その一つがアウラが結構な刀剣マニアだったということだ。

 そしてアイフィロス王国は優れた刀剣の産地として近隣に名高かった。おかげでラーヴルに来てからと言うもの、アウラは暇を見つけては“鍛冶屋小路”に入り浸っていたのだ。

 聞けばそれは彼女の養父ガルブレスの趣味だったらしい。

 剣士が刀剣に興味を持つのは当然と言えば当然だ。ガルブレスとの旅の間、新しい町に行くたびに彼は武器屋に入り浸っていたらしい。それに付き合ううちにアウラも刀剣の事には詳しくなってしまったという。

 だがそれだけでなく実際に彼女はそれが好きなようだった。

「で、はい。これ」

 アウラはフィンに美しい短剣を手渡した。大切にしていた“ファラ”からもらった短剣だ。

「おお」

 フィンが慌てて受け取る。それを見ながらアウラが呆れたように言う。

「研ぎ屋のおっちゃんも呆れてたわよ。こんな宝剣に錆び浮かせる人がいるなんて」

「うう……」

 フィンは返す言葉もなかった。

 この短剣は当然今回の旅にも持参していたが、暑かったり寒かったり雨が降ったり雪に埋もれたりと過酷な旅である。うっかりしているうちに刃に錆が出かかっていたのだ。

 それを見つけたのはアウラだった。

 いつぞやフィンが部屋で眺めていたのを見つけて以来、アウラはこれをずっと虎視眈々と狙っていたのだが、セロの一件以来ついにフィンも折れて、彼女が見たいと言ったときには見せてやることにしていた。何度か見たら飽きるだろうと思ったのだが―――アウラは暇さえあれば何度でも見せてくれとせがんできては、まるで飽くことなく眺め続けるのだ。

《何が楽しいのやら……》

 城にいた頃はもう朝晩せがまれたりしていたのだが、さすがに旅に出たらその頻度はかなり減少した。そしてラーヴルに来て鍛冶屋小路に入り浸ったせいでやっと大人しくなってくれたと思ったら―――一昨日のこと、久しぶりに見せて欲しいというので取りだしてみると、何と刃にうっすらと錆びが浮いて曇っていたのである。

 そのときのアウラの騒ぎようと言ったらもう、まるでフィンが浮気でもしたかのようだった。

 普段の彼女からは全く想像もつかない様子で、思わず『俺よりもその短刀の方が大事なのか?』と叫びたくなったほどである―――そしてそのまま研ぎ師の所に持って行かれてしまったのであった。

 実際彼女は自分の薙刀の手入れは常に神経質なくらいきっちりと行っていたが、それは実用的な理由の他に、研ぎ澄まされた刃を眺めるのが好きだったからなのだった。

 それはともかく、フィンにとってそれは別な意味でショックだった。

 なぜなら都を出奔して以来こんな事は一度もなかったからだ。

 フィンは寂しいときはいつもそれを眺めて心を紛らわせていた。だから必然的に手入れも行き届くことになる。

 ところがアウラと一緒になって、その機会がひどく減っていたのだ。刃の曇りに気づかなくなるほどに……

 これはどう考えるべきなのだろうか?

 あのことを忘れてしまっていいのだろうか?

 だが―――いつまでもそれにかかずらってはいられないのも事実なのだが……

「それからこれもよ? もっと大切に扱いなさいよ!」

 そんな思いをよそに、アウラは嬉しそうにフィンがいつも使っているショートソードを手渡した。

 これもあの後アウラの点検を受けて研ぎに出されていたのだが……

「これだって結構するのよ?」

「え? そうなのか?」

 フィンがぽかんとして答えると、アウラが少しむっとした表情で言った。

「これだからもう。貴族様は! これだって金貨一枚は軽くするわよ」

「へえ……」

 そのショートソードは成人したときに父親からもらったものだが……

 しかし記念と言うよりは実用品としてずっと使い続けてきたもので、そんな値打ち物だとは今の今まで知らなかった。

「大体この間もこれで果物なんかを切ってたけど、あの後ちゃんと洗ったの?」

「え? 汁はちゃんと拭いたさ」

「それじゃだめよ。洗って油引いておかないと。大体これってそんなの切るもんじゃないのよ!」

「って言われてもなあ……」

「いざってときになまくらじゃ困るでしょ!」

 フィンとてこの剣が護身用であることは知っているが、はっきり言ってそんな羽目になる前に逃げた方が早い。

 これ以上追及されても困るので、フィンは話題を変えた。

「でさ、その柄の交換ってのも終わったのか?」

「ああ、そうそう。いいわよ。持ってみる?」

 アウラはにっこり笑うと彼女の薙刀をフィンに手渡した。

「軽いでしょ!」

「ああ、そうだね」

 今日行ってきた理由はこれもあった。アウラは常々ラーヴルに来たら薙刀の柄を交換したいと言っていたのだ。

 柄には手が滑らないようにきっちりと革が巻かれているため実際の材質は分からないが、持った感じ前よりずいぶん軽く感じる。こんなので大丈夫なんだろうか?

「何なんだって? この材質」

「詳しくは知らないんだけど、遺跡から出てくるんだって。もしかしたらあの機甲馬の殻みたいなものかも」

「へえ」

「でね、こんだけ軽いのに剣でも斬れないのよ」

「そうなんだ」

 今まで使っていた柄は木でできていたため、剣で斬られたら確実に真っ二つにされていた。

 もちろん今まで彼女はそんなことにはならないように戦ってきたのだが、セロの戦いのときにプリムスにへし折られたことを随分気にしていたのだ。

 もちろんそれは奴の魔法のせいだったのだが、いざというときに頼りになる武器が使えなくなるかもしれないというのは心細いものだろう。

 そんな話をしていたら誰かが、ラーヴルに軽くて簡単には折れない軸の素材があるということを教えてくれたらしい。そして彼女は鍛冶屋小路で実際にその店を見つけ出してきたのだ。

「で、これがどのくらいするんだ? 値段は?」

「金貨十枚」

 ………………

 …………

 ……

 アウラはあっさりとそう答えたが―――フィンは我が耳を疑った。

「い、今なんつった?」

「金貨十枚だって」

「十枚⁇」

「そうなのよ? ずいぶん高いこと言うから値切らなきゃいけなかったの」

 ………………

「値切る? って……」

「最初金貨十二枚って言うのよ。でも持ち合わせが十枚しかないっていったら負けてくれたの」

 フィンは目の前が真っ暗になった。

 だがアウラは不思議そうな顔でフィンを見る。

「ん? どうしたの?」

「どうしたもこうしたもあるか! 金貨十枚って、全財産の半分じゃないか!」

 フィンはつい語気を荒げたが、アウラはまだ状況が分かっていない風だ。

「そうだけど、何かいけなかった?」

 そして今まであまり知らなかったアウラの側面の二つ目が露わになったのだった。

 そう。彼女は実は―――あまり経済観念がなかったのだ。

 それまでの旅ではアウラが浪費するようなことがなかった。おかげでフィンはすっかり勘違いしていたのだが、彼女がお金を使わなかったのは単に興味のある物がなかったからだった。

 彼女は普通の女性が好むような装身具や服といった物には目もくれなかった。もちろんプレゼントしてやれば喜ぶが、それはフィンがプレゼントしてくれる物だったからで、彼女が自分で欲しがっていたわけではない。

 彼女が本当に欲しかったのは色々な刀だったのだが、今持っている薙刀だけでも結構かさばって大変なのに、そんなものを買い込んだ日には身動きが取れなくなってしまう。

 だが、それが薙刀の柄であったのならもはや何の障害もなかったのである。

「いけないって……じゃあ今後の旅費はどうするんだよ⁉」

 フィンが少々青ざめた顔で言った。

「え? 残りがあるでしょ?」

 アウラはあっさり答える。

「あるけどあと五枚だよ」

「それだけあれば行けるんじゃない?」

「行けるって、中原を一周するんだぞ!」

「これからは暖かいし、外で寝たら?」

 確かに彼女はそんな生活に慣れていたのだろうが―――フィンはそこまでの野生児ではなかった。

「あのなあ、低地だと外は虫が多いだろうが」

「そうねえ……じゃあ大部屋に泊まったら? 安いでしょ?」

 またまた彼女はあっさり言う。

「そりゃ安いけど、大部屋じゃほら、人が見てるだろ?」

「あ!」

 アウラは口に手を当てて考え込む。

 そこでフィンは畳みかけた。

「それに部屋代とかだけじゃなくて、アロザールとかに行くときは船に乗ったりもするし、五枚じゃ全然足りないんだよ!」

 するとアウラが言った。

「それじゃ服とか売ってお金に替える?」

 二人の荷物にはベラのクレアス村でシレンからもらった素晴らしい服とマントが入っていた。

 シレンとはアウラとナーザが盗賊から間違えて救ったあの娘である。

 彼女の家は腕の良い仕立屋だったが、あの事件の後エルミーラ王女に服を注文されて、それからはフォレス王家御用達の店ということで大繁盛していたのだ。

 そのため今度の旅の行きがけにクレアス村を通ったときは、二人ともシレン一家に大歓迎されてそんな服までもらっていたのだ。

「だめだよ。せっかくの好意でもらった服なのに。それにあれ売ったって金貨二~三枚ってところだろうし、大体ぼろぼろの格好でアラン様やハグワール様の所に行くのか?」

 だがアウラはぽかんとした顔で訊き返した。

「え? 誰? それ」

 フィンは力が抜けた。

「おいおい。アラン様はシルヴェスト王国の王様で、ハグワール様はサルトス王国の王様だよ。ちゃんと覚えててくれよ!」

「あ、そうだったっけ?」

「はあ……」

 アラン王とハグワール王に関してはある程度は聞いているが、少なくともアイザック王ほど気さくではなさそうだ。失礼なことは極力避けなければ―――王様の名前を失念するなど以ての外だ。

 だがアウラは一向に堪えた様子もなく、今度は別なことを言い出した。

「じゃあそうだ。フィン、リュートとか弾けたっけ?」

「ああ? ってまさか?」

「うん。そしたらあたしが踊るわよ?」

 フィンもアウラの舞を何度か見たことがあった。最近では出立前にも王女に乞われて舞を披露している。実際何度見てもそれは驚くべき物だ。毎回満場の拍手喝采になるのも当然だ。

 だがフィンは一応都の貴族だった。そうするとそういった物にどうしても目が肥えてきてしまう。彼はナーザも気づいていたアウラの舞の欠点に気づいてしまっていた。

 それはそう。アウラの舞が薙刀の“型”の派生型だったということだ。

 アウラは自分の理解できる“言葉”で語っていたが、それはある非常に狭い分野に特化しすぎていたのだ。

 平たく言えば彼女は剣舞であれば神懸かり的に舞えるが、それ以外だとからきしだめだったのである―――もちろんその“動き”は完璧に再現できるのだが、そこに込められた“情念”という物にどうしても欠けてしまうのだ……

 それを見てナーザがこぼしていた。

『もっと小さい頃からやってたら、ミュージアーナの再来になれたかも知れないのに……』

 ミュージアーナとは白銀の都の伝説的な舞姫の名前である。フィンも実際その通りの感想だったのだが、今更どうなるものでもない。

 そして今回の場合、それ以上に大きな問題があった。

「いや、リュートどころか太鼓もたたけないんだが」

「ええ? そうなの?」

 フィンは音楽を聴くことは嫌いではなかったが、音楽的才能はまったくなかった。

「フランだと結構儲かったのよ? 一晩銀貨十枚ぐらいにはなったし、宿代もただになったし……でも弾けなきゃしょうがないわね」

 そう言って彼女はまた考え込んだ。

《考えてどうにかなる問題じゃないだろ?》

 フィンがそう言いそうになったところで、彼女はふっと顔を上げる。

「それじゃ仕方ないわねえ」

「ああ? まだなんか方策があるのか?」

 フィンの問いにアウラはまたさらりと答えた。


「うん。賞金稼ぎは?」


「はあ?」

 フィンは大口を開けて固まってしまう。

《賞金稼ぎだ? 一体全体……》

 それからアウラに問い返す。

「お前やったことあるのか?」

「うん」

 アウラはあっさりうなずいた。

 ………………

 …………

 ってことは?

「じゃあ何か? 出会う前って、えっとヴィニエーラの夜番じゃなかったのか?」

「もっとその前よ。それと夜番を辞めた後。大体あのときの宿代払ってあげたじゃない」

「あのとき?」

「ほら、グラテスで冷たくなってたとき!」

「あ!」

 二人が出会ってグラテスに行って、そこでフィンが酔っぱらって凍死しかかったときか?

 あのときは―――最初は金がないと言ってたのに、後からフィンの宿代を払った挙げ句かなりいい馬まで買っていたが……

「じゃああのときの馬とかは……」

「うん。あんなお祭りだと浮かれた賞金首が出やすいのよ?」

 フィンは納得した。いろいろあってすっかり忘れていたが、確かにずっと疑問に思ってはいたのだ。これでささやかな謎が解けたわけだが……

「これならフィンもできるでしょ?」

「ちょっと待て。できるっていうか、やったことないよ」

「悪い奴をやっつけるだけよ。セロでフィンも戦ってたんでしょ? あれより楽よ」

「いや、だけど……」

「これだったら最低でも一人金貨二~三枚にはなるわよ。どんと稼ぐにはこれがいいんじゃない?」

 確かにそれ以外の事をしてもこんな大金は簡単には稼げないが……

「それにフィンがいれば首をたくさん持って帰れるから、盗賊団みたいなのも狙えるかも。それだったら金貨十枚ぐらいすぐよ。前やってたときは一人だったからたくさん持って帰れなかったの。首って重いのよ。結構。それにすぐ臭くなるし」

「あのなあ……」

 何だか物凄い話を聞いているような気もするが―――これもまた彼女の別の側面か?

 いや、最初に出会った頃の彼女を思い起こせば決して意外ではないが……

 それはともかく、もしかしてそんなに悪い考えでもないんじゃ? その辺のチンピラ相手ならアウラが後れを取ることはなさそうだし、彼が支援してやれば更に確実になるだろうし……

 それに賞金稼ぎとはは少々野蛮といえば野蛮だが、不法な仕事というわけではないし……

《他にいい方策ってあるか?》

 最悪シルヴェストのアラン王に援助を頼むというのがあるが―――アイザック王から連絡が行っているはずとはいえ、いきなり無心というのもちょっと恥ずかしい。やはり自分の食い扶持ぐらいは自分で何とかしたいし……

 そしてフィンは心を決めた。

「んじゃまあ、ちょっとやってみるか? でもそれって簡単にできるのか?」

 アウラはにっこり笑った。

「それはジェイルに行ってみないと分からないわ」

 ここでは賞金首はまず“ジェイル”で公開され、賞金稼ぎが賞金首を捕まえたらそこに本人を引っ立てて行くか、首を持っていくことになっている。

 ジェイルとは本来は拘置所のような場所だが、そこが賞金稼ぎ事務所も兼ねているのだ。

 そこで二人は宿屋を出た。



 ラーヴルのジェイルは城の裏手にある石造りのがっしりした建物だった。窓にはごつい鉄格子がはまっており、見ただけでそれと分かる。

 二人は中に入っていった。

 フィンはこんな所に来るのは初めてだったので、おっかなびっくりだ。

 入ってから恐る恐る中を見回すと、そこは小さなホールになっている。

 ホールの奥には木の手すりがあって、そのさらに奥に鉄格子のはまった扉がある。その向こうが牢獄なのだろう。

 中央には大きいテーブルが、右横には小さいテーブルがあって、小さい方に若い男の係官が一人座って何かの書類を書いていた。係官は二人が入ってきてもちらっと顔を上げただけで気にも留めようとしない。

 アウラは係官に向かって言った。

「手配書、見ていい?」

 男が顔を上げる。

「あんたがやるのかい?」

「そうだけど? あと彼も」

 彼女はフィンを指さした。

 男はいかにも面倒くさそうに、対面の壁際にある引き出しのついた大きな書棚を指した。

「はあ。そこだよ」

 フィンはアウラみたいな若い娘が賞金稼ぎをすると言ったら少しは驚くかと思ったのだが、その男は全然気にならないようだった。

 アウラはその書棚の引き出しを開けて中から分厚い書類を取りだすと、中央のテーブルの上に広げた。

 二人はその手配書の束をのぞき込む。

 そこには犯罪を犯した者の名前、人相風体、特徴などが詳しく書かれていた。

「結構いるな」

 フィンは手配書をぱらぱらめくりながら言った。だがアウラは今一つ気に入らないようだ。

「でもみんな居所が分からないわ」

 言われてみれば所在地はみんな不明となっている。

 だが考えてみたら賞金首が決まった住所に住んでるわけがないような気もするが……

「そうだな。そういった場合どうするんだ?」

 アウラはあっさり答えた。

「探すのよ」

「探すって、いるかどうかも分からないのに?」

「うん。だから大変なの」

 その返答にフィンはちょっと脱力した。

「ちょっと待てよ。そんな悠長に犯罪者探しなんてしてられないだろう?」

「ときどき居座ってるのがいたりするんだけど……ねえ、そんなのいないの?」

 アウラはまた側で書類書きをしていた係官に尋ねた。若い係官は顔を上げると答えた。

「ああ、しばらく前まではいたけどね、狩られちまったよ」

 二人はため息をついた。やはりおいしい話はそうは転がっていないということか。

 そのとき男がぼそっと言った。

「あんたら何か急いでんのか?」

「え? まあな」

 フィンが答えると男は言った。

「じゃ、情報教えてやったら幾らくれる?」

「なに? いい話があるのか?」

「結構いいかもよ?」

 フィンは銀貨を一枚取り出すと男の前に置いた。

「これでいいか?」

 それを見て男はにっと笑ってうなずいた。

「ああ。じゃあ、グラテスに行ってみたらどうだ?」

「グラテスに? 何があるんだ?」

「いや、こないだ来た奴がさ、あっちで近く大がかりな狩りがあるって言ってたからさ」

「狩り?」

 フィンの問いに答えたのはアウラだ。

「盗賊狩りよ。どんな奴ら?」

 アウラは男に尋ねる。

「あの周辺をずっと荒らしてた一派だ。おかげでとうとうシルヴェストでも本気になったみたいで、ツィガロからも結構派遣されてきてるって話だ」

 ツィガロとはグラテスからシルヴェストの都グリシーナに向かう街道途中にある村だ。

「今からでも間に合うかしら?」

「さあ。でも行くなら急いだ方がいいかもね」

「ありがと」

 アウラは嬉しそうに言ったが、フィンは今ひとつ状況が掴めていなかった。

「要するになんなんだ?」

 それを聞いてアウラが答えた。

「グラテスで大きな盗賊団を潰そうとしてるのよ。そういうのって相手も多いから、たくさんの賞金稼ぎが集まってきて討伐団を作るのよ。それに入れれば結構実入りもあるし、相手を捜し回らなくても済むし」

 フィンは納得した。だがちょっと気になったことがあったので男に尋ねた。

「ふーん、そうか……でもあの周辺を荒らしてたって、結構前からか?」

「ああ。数年前かららしい。最初はパロマ峠方面に出てたけど、最近はアンゴル峠の方に良く出るとか」

 それを聞いてフィンはぴんときた。

「そいつらって……まさかあいつらじゃないよな?」

 アウラもあっという表情になると男に尋ねた。

「え? あ! ねえ、ねえ、そいつらに片手の奴とかいない?」

「え? ああ、いたような気がするな」

 二人は顔を見合わせた。それからフィンが尋ねる。

「そいつってギイとか言う名前じゃないか?」

「ギイ? あ、そうかも。ギアデスって奴だからそう呼ばれてるかもな」

 二人は再び顔を見合わせる。

 もしこいつらがパロマ峠の上で出くわした盗賊団だったのなら―――これはリベンジ戦ではないか! あのときは仕方なく撤退したが、その借りを返してやれるのでは?

 二人の様子を見て男が不思議そうに尋ねる。

「もしかしてそいつらに何か恨みでもあるのか?」

 フィンはにやっと笑って答えた。

「前一度やられたことがあるんだよ。馬とかみんな。でもそのギイを片手にしたのはこいつだけど」

 フィンがアウラを指さしながら言うと、男は呆れたという顔をした。

「なんだよ。それじゃあんたらの方が恨み買ってるんじゃねえのか?」

 言われてみればそうかもしれないが―――だがあのときには馬を含めて結構な物を盗られているのだ。差し引きは絶対こっちが損をしている。してないわけがない!

 そう思ってフィンが振り返ると、アウラはもうやる気満々だった。

「あの馬、結構好きだったんだから! フィン。行きましょ!」

「そうするか」

 フィンもやられっぱなしなのは嫌だった。


 ―――こうして二人は予定を急遽変更してグラテスに向かうことにしたのである。

 だがその際にはちょっとした問題があった。そう。ここからグラテスに向かうには、トレンテの村を通らなければならなかったのだ……



 トレンテの宿屋の主人に案内されながら、フィンはアウラにこっそりと『静かにしてろよ』というハンドサインを送った。ちらりと見たアウラが黙って同意のサインを返す。

 これはフィンの故郷で狩りの際に使用される一種の手話だ。

 狩りは都の貴族が必ず(たしな)んでおかなければならないスポーツで、フィンもとりあえずは人並みには参加していた。

 その際に獲物を待ち伏せていたり、相手が遠くにいたりして普通の会話ができない状況はよくあるが、そういった場合に使われるものだ。

 アウラと二人で旅に出てからもう半年以上になる。

 それだけ一緒にいればどうしたって取り立ててすることがない日も出てくるが、そんなときにフィンはこれをアウラに教えてやっていたのだ。

 アウラもこういったことは結構好きだったようで、今ではこの手話だけで簡単な会話ができるぐらいになっていた。

 二人がこんな風にコソコソしなければならないのには、もちろん大きな理由がある。

 かつて二人が出会ったのはこのトレンテより少し先の川の畔だったのだが、そのときアウラはテッドとかいう村人に大怪我を負わせて逃げている最中だった。フィンは知らなかったとはいえアウラに荷担して、追ってきた村人を脅かして追い返してしまったのだが……

《多分絶対悪いのはこっちだったよな? きっと……》

 そのときの詳細はまだ訊いたことがなかったが、あの頃のアウラならまず間違いのないところだ……

 二人は緊張してあたりを見回した。

《まさか俺たちの正体を知った上で、宿屋に引き入れたんじゃないよな?》

 そうして退路を断っておいて一気に袋だたきに―――などと悪い妄想がふくらんでくる。

 だが宿屋の親父も他の村人も、彼らの正体に気づいた様子はない―――ように見える。

《やっぱり素通りした方が良かったかなあ……》

 フィンは少々後悔していた。

 しかし道中宿ならともかく、旅の途中にこんな村を素通りする者はほとんどいない。

 旅慣れている者ならば特に、こういう場所で確実に食料や水を補給して、更には村人にこの先の様子を色々聞き込んでも行く。でなければ見知らぬ土地でどのようなトラブルに遭遇するか分かったものではないからだ。

 だからそうせずに村を素通りしたりしたら逆に目立ってしまうのだ。

 親切な村人なら心配して追いかけてきてくれたり、反対にお尋ね者と思われて通報されてしまったり―――だから普通の旅人のふりをして休息だけして先に進むのが一番目立たないはずだった。

 だが実際に来てみると心に(やま)しいことがあるせいで、ずっと監視されているような気がして落ち着かない。

《ともかくさっさとお茶飲んで出立しよう》

 そんなことを思っていると、宿屋の奥から中年の男がお茶とお茶菓子を持ってやって来た。

 前掛けをしている所からこの宿の料理人だろうか。フィンはちらっとその男を見てつい声を上げそうになった。

《あ、あのときの……》

 この顔には見覚えがある! 河原まで追ってきた奴らの一人じゃないか?

 フィンはちらっとアウラの顔を見た。彼女もそれに気づいたのだろう。落ち着かなげだ。

「旦那様方はどちらまで?」

 男は二人の正体には気づいていないらしく、にこにこしながら話しかけてきたが、それが逆にフィンには腹に一物あるように思えて不安をかき立てる。

「ああ、トレンテまでね」

「トレンテ?」

 男は変な顔をした。当然だ。フィンは慌てた。

「じゃない! トレンテってここじゃないか。グラテスまでだ」

 大丈夫だろうか? 変だと思われなかっただろうか? だが男はふうんとうなずくとアウラを見て言った。

「へえ。そちらのお美しい方は奥方様で?」

 アウラはそれを聞いてちょっと赤くなったが、フィンの指示通り声は出さずに黙ってうなずいた。それを見てフィンがフォローする。

「うん。まあな」

 男がにやっと笑ってうなずいた。もしかしたら駆け落ちか何かと勘ぐったのかもしれないが、突っ込まれなければそれでいい。

 男はしばらくそんな二人を交互に見ていたが、やがて二人がお茶に手を付けないのを見て言った。

「そのお茶、もしかしてお気に召しませんでしたか?」

「え? いや、そんなことは」

 フィンは慌ててお茶を口にした。つられるようにアウラもお茶をすする。

 頂いてみるとこれはいいお茶だ。

「ああ。おいしいよ」

 フィンが微笑みながら答えると男が喜んだ。

「ありがとうございますだ」

 フィンは内心ほっとした。とりあえずこの調子で適当にこの先のことなどを聞いて、あとは携帯食でも買い込んで出立すれば良さそうだ。

 それからフィンはアウラの方をちらっと眺める。村人にばれてないのであれば、後の心配の種はアウラの方だ。

 とりあえずこの様子なら内気な貴族の奥方あたりに見えるかもしれないが―――何かの弾みでうっかりいつもの調子で話し出したら、一発で怪しいと見抜かれてしまうだろう。特においしい物を食べたときなど反射的にはしゃいだりするし……

 しかも出されたお茶菓子は本当においしかった。どうやら本物の貴人と見て最高の物を出してくれているらしい。

 だがさすがにアウラもそれではしゃいだりはしなかったので、フィンは内心胸をなで下ろした。

《これで何とかなりそうかな……》

 そう思った瞬間だ。男がぽつっと尋ねたのだ。

「ところで奥方様がお持ちになってるのは、薙刀ですかい?」

 フィンはむせそうになった。途端にアウラも臨戦態勢だ。

 そんな反応に男の方が仰天した。

「ど、どうなさったんですかい?」

「い、いや、薙刀だけど。それが何か?」

 せっかく今までごまかせそうだったのに、薙刀から忘れていたことを思い出すかも……

「いえね、薙刀ってのはこの辺じゃあまり見かけないでしょ? それで思い出しちまったんですよ」

 うわああああああああああああああ!

「え? 思い出した? なにをかな?」

 フィンは声が裏返らないように、精一杯の努力をしなければならなかった。

「それが今から何年か前の話なんですがね、この村でえらい騒ぎが起こったことがあるんでさ」

「へえ? どんな?」

「それっていうのが、薙刀を持った女が村にやってきたことから始まったんですがね」

 ………………

 …………

 どうする? まずいぞ! これは―――だがここで騒ぐともっとまずいかも……

 フィンはちらちらとあたりを観察した。特に怪しい雰囲気ではない。ならばここは一つ流れに任せて―――などと考えていると、アウラが震えているのが伝わってくる。

 フィンは慌ててアウラの手を握ると『落ち着け』のサインを送る。

 ともかくもう少し相手の出方を見ないことには……

「へえ。それでどんな話なんだい?」

 フィンは必死に平静を装って男に尋ねた。もちろん内心はびくびく物だ。いつでも逃げ出せるように心の準備だけは完了させる。

「お聞きになりますか?」

 男が何だか嬉しそうな顔で言う。

《一体何が嬉しいんだ?》

 まさか俺たちに仕返しができるのが嬉しいんじゃないだろうな?―――などと妄想は悪い方にばかりふくらんでいくが……

「ああ。聞かせてくれよ」

 フィンが成り行きでそう答えると、男は喋り始めた。

「じゃあお話ししましょう。あれは何年か前の秋のことだったんですがね、この村に薙刀を持った妙に陰気な女がやってきたんでさ」

 途端にアウラが男に食ってかかりそうになる。フィンは慌てて彼女の足を踏んだ。

「きゃ!」

「あ、すまん」

 と言いながらフィンは『黙っていろ』とサインを送る。アウラがフィンを睨むが、状況は分かっているらしくおとなしく従った。

「ごめん。話の腰を折っちまったな」

「いいんでさ。でその女なんですがね。変だったんですよ。村に来た時からずっとなんですがね。とにかく挙動がおかしくて、何だか怪しさの塊みたいな奴だったんですよ」

 アウラがわなわな体を震わせている。まずい! これはまずい。アウラの忍耐の糸があまり太くないことはフィンもよく知っていた。

 そんなフィンの気持ちをよそに男は話し続けるのだが……

「何がおかしいかっていうとですね、まず酒場にやって来ていきなりミルクを頼むんでさ」

 ………………

 …………

「は?」

「ミルクですぜ。酒場で。完全に変でしょ?」

「まあ、変といえば変だけど、でもそれだけじゃ……」

 フィンはちらっとアウラの顔を見た。

《こいつ、酒場でミルクなんか頼んだのか?》

 別に悪いとは言わないが―――でも彼女とは結構長いがミルクが好物だとは初耳だが?

 それはアウラにとっても少し意外だったようで、彼女はぽかんとした顔で男を見つめた。

 男は興味を持たれたと思ったのだろう。ますます言葉に熱が入ってきた。

「もちろんそうでさ。でもそれだけじゃないんでさ。その女がミルクを飲むときの飲み方なんですがね、普通だったらこうごくっと飲むでしょ? でもなぜか舌でこうぺろぺろするんですよ」

 男はコップを取り上げて実際にそのふりをしてみせる。

「そして極めつけはその女の側をネズミが走り抜けたときのことなんですがね、それを見るなりその女は舌なめずりしやがったんです」

「………………」

 フィンはまたアウラの顔を見る。アウラもフィンの方を振り返る。互いに何も言わなかったが、心の中で思っていたことは伝わった。


 いったい何なんだ? これは?


「いやまあ、だからといってそれだけじゃまだ悪くはありませんよね。でもその後がいけません。その女はミルクを飲み終わると、表に出て行ってから通りで遊んでいた子供の一人に声をかけたんですよ。その声が何とも甘ったるい猫なで声でね、『うふふ~、そこの坊や~、ちょっとあたしと一緒に来にゃい~』みたいにですよ?」

 男はその女の口まねをして見せた。

「その頃になるとさすがにみんなちょっと気味悪くなってですね。そこでテッドって奴が勇気を出して近づいてったんです。そして奴が『その子をどうする気だ』ってその女に聞いたんですよ。でもその女は『あんたには関係ないでしょ?』とか言って相手にもしないんでさ」

 そんな感じは、そこはかとなくよく分かるが……

「そしてその子供にですよ? 一緒にきたらお菓子をあげるから来ないか? なんて言うんでさ。そろそろみんなこれはヤバいって思いましたよ。そこでテッドがその女の手を掴んで止めさせようとしたんでさ。そしたらその女『手を離さないとぶった斬るわよ』とこうですよ」

 その言い方は前のアウラの言い方そっくりだ―――ということは、実際そんなことが起こったというのか?

「でもテッドは手を離さなかったんです。子供が心配だったんでしょうね。その途端ですよ。テッドの耳がぼっとり落ちてたんです。女の手には抜き身の薙刀が握られていました。いやあんな早業見たことありませんぜ。ショートソードとかならあのぐらいの速さで抜けるかもしれませんがね、薙刀ですよ。薙刀。あんなもんをあんな速さで抜けるなんて、人間業じゃありませんよ」

 まあ薙刀を抜く速さは事実かもしれないが……

「その騒ぎを聞いて人が集まって来たんで、その女はさすがにまずいと思ったんでしょうね、とっとと逃げ出したんですよ。まあ逃げてってほっとしたのはほっとしたんですが、でもこんな危なそうな奴を放っとくわけにもいかないでしょ? で、あっしと他に勇敢な奴らが五人、後を追っかけたんです」

 そう言って男は胸を叩いた。

「ははは。で、その女は見つかったのか?」

 フィンはともかく話を合わせる。

「へえ。見つかりましたよ。その女を追いかけていくと、森の奥に入っていくのが見えたんでさ」

「森の奥?」

「へえ。ここから山手の方に広がる森でさ。昼間でもうっそうと茂ってて怖いぐらいなんですけどね、そこにちょっと森が切れて広場みたいになっている所があるんでさ。女はそこに逃げてったんですよ」

 何だかこの辺からはもう完全にオリジナルストーリーになってないか?

「するとですね、そこにはとんでもない奴がいたんですよ」

「へえ。どんなとんでもない奴だ?」

 フィンはそろそろ余裕が出てきていた。そのため男に気軽に訊き返した。すると……

「へえ。それがもうとんでもなく凶悪な魔法使いなんでさ」


「ぶはっ!」

「ぷっ」


 フィンがむせかえるのと同時にアウラが吹き出した。

 その反応を見て男が不思議そうに訊いた。

「どうなさいました?」

「いや、ちょっとお茶がむせてね、で、ははは、続きはどうなったんだ?」

 それを聞いて男はますます芝居がかった様子で話し続ける。

「へえ。そいつなんですがね、もう何だか悪魔から魂を奪い取ったみたいな凶悪な面構えをしてやがってですね、何だか地面に不思議な魔法陣を描いててですね、魔法陣の真ん中には妙な炎が燃えてるんでさ。ありゃまともな炎じゃありませんでしたぜ。地獄の業火を呼び出した奴に違いねえです」

「そ、そうなのか?」

 フィンはもう笑いを堪えるのに必死だった。

「へえ。間違いありませんぜ。で、女が戻ってくるとその魔法使いは言ったんでさ。『いけにえはどうした? 何で手ぶらで戻ってきた』ってね。その声はもうなんて言うか、全く人間の感情ってのが感じられねえ、もう悪魔その物みたいな声でしたよ」

「はあ……そうなんだ」

「そうなんでさ。もう聞いてるだけで気が遠くなりそうな気分だったんですがね、ともかく勇気を出して見てると、女が答えたんでさ。『村の奴らに邪魔されて失敗しました』って。するとその魔法使いは滅茶苦茶怒り出して、もう凄い剣幕で女を罵り始めたんです。いやもう、あんな罵り言葉を聞いたら地獄の鬼だって赤面しそうな、もう聞くに堪えないひどい罵りでね、聞いてる俺たちが可哀想になってくるぐらいにね」

「はは。ひどい奴なんだなあ」

「そうなんですよ? そうした挙げ句にそいつは『役たたずめ! さっさと元の姿に戻れ!』とか言って、何やら妙な呪文を唱えたんです。するとその女の姿がぱっと消えて、黒い猫になっちまったんですよ」

「猫?」

「へえ。黒い猫でさ」

 二人は唖然として男の話を聞き続けた。

「あの女はこの魔法使いの使い魔だったんですね。まあ元がネコだったと分かって、ミルクが好きだったりネズミに舌なめずりしたりってのは納得いったんですが、それはともかくですね、あっしらはそれを森の陰から見てたんですが、さすがにそんなもんを見せられたらビビっちまうじゃないですか。で、仲間の誰かがうっかり物音を立てちまったんですよ」

 お約束の展開だが……

「で、どうなったんだ?」

「もちろん気づかれちまいましたさ。その魔法使いがこっちを見て言ったんですよ。『見たな? 俺の秘密を知った以上生かしてはおけんぞ』ってね。もうあっしらは腰が抜けちまって、逃げようにも逃げられなかったですよ。もしかしたらあれも魔法だったのかもしれませんがね。それはともかくその魔法使いは両手をこう上に差し上げて、訳の分からない言葉で長い呪文を唱え始めたんです。その途端に魔法陣の中の炎が一挙に燃え上がってこっちに向かって襲ってきたんです」

 男は体をくねらせるように業火を表現した。

「それでどうやって生き延びたんだよ?」

 フィンが突っ込むと男はうなずきながら答えた。

「まったくでさ。そのときはもう本当に万事休すって思いましたよ。でもそのあっしらを救ってくれたのがあの猫だったんです」

「は?」

 フィンとアウラはちょっと顔を見合わせてから男の顔を見る。男がにやっと笑って続けた。

「ところがでさ。その業火は俺たちに襲いかかる直前にふっと方向を変えると、術をかけた魔法使い本人に襲いかかってったんでさ。最初は何でか分からなかったですよ。でもよく見たらやってたんですよ」

「やってた?」

 男はにたーっと笑った。

「そうなんでさ。魔法使いが怪しい呪文を唱え出したとき、あの猫が魔法陣の一角でがりがりと爪を研いでたんですよ! そのせいで魔法陣が一部消えてしまって、そのせいなんですよ。炎が逆流していったのは」

「おおっ」

 フィンはもう素直に男の話に感服していた。

「あの断末魔はもう凄まじかったですよ。声聞いてるだけで魂まで持ってかれそうな気がしましたがね、でもともかくそれであっしらは一命を取り留めることができたんでさ」

 そう言って男は話を切った。フィンは思わず訊き返していた。

「おい、本当かよ、これ?」

 だが男はにたっと笑って答えた。

「まあ信じて頂けなくてもしょうがありませんがね、でもこれはそのときに受けた火傷のあとなんでさ」

 そう言って男は腕をまくって見せた。

 それはフィンがあのとき火の玉をぶつけた痕だった。

 ………………

 …………

「あはははは。じゃあその猫はどうなったんだ?」

「あれ? 表で見ませんでした? 旦那といつも一緒にいるんですがね」

「あ、あいつか⁈」

「村の守り神だってんでみんなに可愛がられてますよ」

 フィンはしばらく呆然として男の顔を見ていたが、やがて懐から銀貨を数枚取り出して男に渡した。

「いや、面白かったぞ。これ取っとけ」

「え? こんなに? いいんですかい?」

「面白い話を聞かせてくれたお礼だよ」

 この男は間違いなく作り話の才能がある! あの事実からこんな話をでっち上げてしまうなんて、宿屋の料理人にしておくには惜しいかも―――などと思ったが、もちろんそう口に出すわけにはいかない。

 それからもうしばらく歓談した後、二人はトレンテの村を後にした。


 二人はしばらく無言で馬を駆っていたが、村が見えない所までやってくるとついに二人は顔を見合わせて爆笑した。

「アウラ! お前の正体はネコだったのか?」

「フィンこそ悪魔の手先だったじゃない!」

 二人はまた爆笑した。

「あの親父、語り部やった方がいいんじゃないか?」

「面白かったわね。帰ったらコルネとかに話してあげると喜ぶんじゃない?」

「彼女こんな話が好きなのか?」

「うん。メイもよ。ベラの村でいろんな話が聞けたって喜んでたじゃない」

「そういやそうだな」

 そんなこんなでトレンテ村通過はつつがなく終了できたのだった。

 あとは川で転ばないようにするだけだ。