ヴィニエーラのアウラお姉様 第1章 女賞金稼ぎ

ヴィニエーラのアウラお姉様


第1章 女賞金稼ぎ


 どんよりと雲が垂れ込めてときおり時雨のぱらつく初冬のある日、アウラはゆっくりと馬で前方の二輪馬車を追っていた。

 馬車の動きはやたらに(のろ)い。おかげでそれを追いかける彼女もそれに合わせてゆっくり進んで行かなければならない。

 風が冷たい。

 さきほど降った雨が服に染みこんで、体が芯から冷えてくる。

 アウラは馬上でぶるっと体を震わせるとつぶやいた。

「何で出てこないのよ?」

 同時に何だか腹も立ってくる―――そもそもどうしてこんな所でこんな寒い目に合わなければならないのだ?

 だがその答えは問うまでもなかった。

 冬越しの資金を稼がなければならなかったからだ。

 この天気が示している通り、もうしばらくしたら本格的な冬がやってくる。すると今までのように野宿したりや避難小屋で暮らすのは厳しくなる―――ならばどこかに居を構えなければならない。

 しかし宿に泊まるなんて論外だ―――だとすれば、どこかで冬越し用の小屋を借りるしかない。去年もその前も、そしてあの冬もそうしていたように……

 アウラはまたぶるっと体を震わせた。

 胸の傷がまたちょっと痛む。

 今では傷そのもは完全に癒えて、体を動かすのには何の支障もない。

 なのにあのときのことを思い出すと、何故か癒えたはずの傷が疼き始める……

《忘れなきゃ……あんなこと……》

 アウラはうつむいて痛みに耐えると、ともかく目標にだけ神経を集中させるよう努力した。

 彼女が今追っている二輪馬車には中年の男と若い娘が乗っている。

 男は女衒(ぜげん)―――すなわち遊郭のスカウトで、娘は彼に買われて行く所だという。

『けっこうなご身分だよ!』

 それを教えてくれた宿屋の女将は、あからさまに冷たい口調だった。

 アウラにもその理由は分かっていた。生まれついての容姿というのは、本人にはもうどうしようもないことだ。娘は行った先で、女将が何日もあくせくと働いてやっと手にできる稼ぎを、一晩で軽々と稼ぎ出すことになるのだから……

 だが彼女自身はそのことについては何の感情も覚えなかった。

 遊郭? 何だか女が男に抱かれる場所だそうだが、少なくとも彼女とは無関係な場所だ―――最初彼女はそう思っていた。

 だが今の仕事をしていく上では、どうにもそこと無関係ではいられないらしかった。

 その理由の第一として、彼女が相手にしなければならない賞金首はなぜだかよくそういう場所に出没するのだ。

 おかげでそんな場所で聞き込みをしたり、場合によってはそんな現場に踏み込んだりしなければならなかった。

 そして第二の理由は、今アウラが追っているのが女衒を専門で襲う賞金首だったことだ。

 だとすれば女衒を追いかけていればその賞金首が出てくるはずだ。

 アウラが彼らを見つけたとき、最初はよっぽど護衛を申し出ようかと思った。

 だが彼女はその“男”に声をかける気力が出なかった。

 一緒にいた方が彼らは安全だとは思うが―――その男が女を見る目つきが気に入らなかったのだ。その嫌な視線を見ただけで、あの晩の惨劇を思い出してしまう……

 そこで結局彼女は二人を遠くから観察するだけにとどめることにした。

 この男だって一応武装はしているようだし、襲われても十分間に合うだろう。

 心配だったのは、彼が女衒殺しの噂を聞いて別な誰かを護衛に雇ってしまうことだった。そうなったら彼らが襲われてもアウラの出番はない。

 だが、彼らは目前に迫っていない危機にはあまり関心がないらしく、護衛も付けずに郭に連れて行く娘と二人だけで旅を続けていた。

 彼らは二人を追っていくアウラに気づいてさえいなかった。

 アウラはこの何日も彼らと同じ宿に泊まっていた。だが、彼らのいた部屋は高い個室で、アウラがいたのは大部屋の隅だ。偶然顔を合わせることさえなかった。

《不用心よね……》

 だがおかげで賞金首も目を付けやすいに違いない。

 最初は彼らを餌に使うような真似をするのは少し心が痛んだのだが、今ではもうそんなことはどうでもいい。

 ただ、早い所出てきて欲しい、さっさと終わらせて欲しいというだけだった。


 ―――それにしてもこの賞金稼ぎという仕事は、思ったほど楽な仕事ではなかった。

 初回の運が良すぎたのだろう。

 そのときアウラは単に人気のない森を歩いていたのだが、そこに賞金首の方が勝手に出てきてくれたのだ。

 当時アウラはまだ賞金稼ぎなどやる気はなかった。

 もちろんブレスに買ってもらった薙刀は肌身離さず持っていて、その練習も毎日欠かすことはなかったが―――それが人を斬る練習だということについては、今ひとつぴんと来ていなかったからだ。

 そのときはまだ、彼女が本気でその技を振るえばどんな結果になるかよく理解していなかった。

 だから盗賊が出てきたときも単に放っておいて欲しかっただけだった。

 大体くれてやりたくても金などない。出奔した際に持ってきた金はほとんど使い果たしている。アウラは今後どうするかで頭が一杯だった。

《こんなことならあの村にいた方が良かったのかしら……?》

 アウラは真剣に後悔していた。

 村人は親切だったし、何よりも傷ついて死にかけていたアウラを親身になって看病してくれたのだ―――それなのに、彼女は黙ってそこを出てきてしまった……

 いや、それ相応のお金は残して来たから決して不義理なわけではないはずだ。

 だが夏の間ならともかくこれからは冬だ。どこか働き口を捜さなければならないのだが……

 そんなことを考えていたので、彼女は盗賊をちらりと見ただけでそのまま先に進もうとした。

 だが盗賊の方がそう簡単に許してくれるはずもない。

 男がアウラを引き留めようとして彼女の服に手をかけると―――ポンチョのフードが落ちて彼女の顔が露わになった。

「お前、女かよ?」

 盗賊は彼女が女だと知って少し驚いたようだ。こんな所を若い女が一人でうろついているなんて、普通あり得ないからだ。

 鬱陶しかったので無視して行こうとするが、男はさらにしつこく絡んでくる。

 アウラは大きくため息をつくと……

「それ以上近づいたらぶった斬るわよ?」

 ―――そう盗賊に警告した。

 だがそのその盗賊はそんな彼女の好意を感じ取ってはくれなかった。

 男は彼女の言葉を聞いて爆笑すると……

「ほう? そりゃおもしろい!」

 そう言って襲いかかってきたのだ。

 アウラは仕方なく薙刀を抜き、軽く一振りした。

 すると―――男は死んだ。

 ………………

 …………

 アウラは唖然としていた。

《……どうして?》

 こんなのは子猫がじゃれているようなものではないか?

 ブレス相手ならもっと意地の悪い太刀筋で突っかかっていっても、かすることさえなかった。

 そもそもこんなことで人が死ぬわけがない―――はずなのに、この男は死んでいるのだが……?


 一体何が起こったというのだ?


 その死体を見てもそんな疑問が渦巻くばかりで、なぜかその“死”そのものに関しては何の感慨も湧かなかった。

 初めてその手で人を殺してしまったというのに……

 感じたことといえば―――薙刀が汚れてしまったのが悲しかったということだった。

 これはブレスが残してくれたただ一つの形見なのだ。

 それをこんな屑野郎の血で汚してしまって……

《早く綺麗にしないと錆びちゃうのに……》

 できれば研ぎに出してやりたい。だがそうするお金もない。面倒ごとがまた一つ増えた……

 アウラは呆然と血の付いた薙刀を眺めていた。

 と、そのときだ―――彼女は死んだ男の首筋に大きな蝶のような痣があることに気づいたのだ。

 それを見て、たまたま数日前にジェイルの前を通りかかった際に出ていた張り紙を思い出した。

《そういえば確か……》

 そう思って見ると、どうもその男の特徴そっくりだ。

 そこでアウラは男の首を切り落とすと、ジェイルまで持っていったのだ。

 するとそれが何と―――金貨三枚にもなったのだ!

 アウラは金貨なんて生まれて初めて手にしたぐらいで、おかげでその冬はかなり裕福に暮らすことができたのである。

 そんなことがあったため、彼女は少々勘違いをしてしまった―――冬が近くなったなら、ちょっとこんな仕事をしたらいいのだと……

 冬越しするにはそれなりに金がかかる。

 アウラのようなよそ者を住み込みで働かせてくれるような所はあまりない。

 なおかつ男がいない所などほとんどあり得ない。

 だが賞金稼ぎなら一人でもできそうだ。これは意外に向いているかも? と、彼女はそう思ったのだが―――二年目はそうはいかなかった。

 アウラは賞金首を求めて人気のない森の中などをずっとうろついた。

 だが誰も出て来ず、そのうちに本格的な冬が来てしまったのだ。

 このままではだめだと思ったとき、やっと盗賊団のアジトの場所を知ることができた。

 アウラはもう何も考えずにそのアジトを襲撃した。それが何とかなったというのは―――まさに幸運以外の何物でもなかった。

 気がつくとアジトの中は血の海だった。

 彼女自身も返り血で真っ赤になっていた―――何しろ一人で七人だか八人を斬り殺してしまったのだから……

 いかに彼女の腕が立つといっても、多人数を相手にするのは困難だ。

 相手が一人ならその動きを見ていれば恐れることはない―――だが、相手が増えれば死角も増える。いかなアウラであっても背中に目は付いていない。

 だから混戦の最中に盗賊の一人に取り押さえられそうになったときは、ほとんど万事休すだった。たまたま手を伸ばした先に陶器の椀があったのが幸運で、それで男を殴って隙ができたから抜け出せたので……

 それがなければ、彼女はそこであの小屋の二の舞になっていたことだろう……

 ―――そんなピンチを切り抜けて勝利したというのに、アウラは全然嬉しくなかった。

 逆に周囲と自身の惨状にひどくがっかりしていた。

《着替え……どうしよう?》

 こんな血みどろの格好でジェイルまで帰るというのだろうか?

 それ以上に大変だったのが、首を持って帰る作業だった。

 目の前には落とした盗賊の首が、文字通りに山積みになっている。

 だが彼女は馬車などは用意していなかったし、そのときは金に困って馬まで売ってしまった後だった。

 結局彼女はその首を担いで帰ったのだが―――首というのは重い上に持ちにくい物だ。

 最後まで持ち帰ることができたのはそのうちの三つで―――しかもザコの首だったので、それだけ苦労しながら結局、合わせて金貨三枚にしかならなかったのだ。

 寒かったので腐らなかったのだけがささやかな幸運だったが……


 そんな調子だったので、三年目の今年はもう少し計画的に事を運ぶつもりだった。

 そして目を付けたのが女衒殺しの賞金首である。

 そいつらは二人組らしく、しかもかかっていた金額が一人につき金貨五枚とかなりの額だ。これならば去年のようなことにはならないだろう―――最初はそう思っていた。

 だがこれもまた思ったようにはいかなかった。

 まず第一に女衒なんてそんなにたくさんはいなかったからだ。おかげで彼らを捜し回るだけで時間を食われてしまった。

 さらにいろいろ調べていくうちに女衒殺しの目的は、女衒が連れてくる娘を横からさらっていくことにあるらしかった―――だとすると娘を連れた状態でないと意味がないことになる。

 そんな対象を見つけるのはコネがなければ至難の業だ。

 もちろん彼女にそんなものがあるはずない。今追っている二人を見つけたのは、いい加減諦めかけた頃だった。

《これで何とかなるわね!》

 アウラは安心した。

 だがそんな期待もまた裏切られてしまったのだ―――今度はなぜか賞金首が出てきてくれないのである。

 シルヴェストのかなり辺境の町から彼らの後を付けてきているのだが、グリシーナはもうすぐだ。目的地に着いてしまったらまた一からやり直しなのだ。

「はあ……」

 そんなことを思いながら、アウラは馬上で大きくため息をついた。

 すると寒さのせいか、少し催してきた。

《どうしようかしら?》

 前方を行く馬車は相変わらずゆっくりだ。ここで用を足したからといって置いて行かれることもなさそうだ。

 そこでアウラは馬から降りて近くの茂みの陰でしゃがみ込んだのだが―――だが得てしてこういうときに限って事が起こるものなのである。

 アウラが用を足し終わって立ち上がろうとした瞬間だった。遠くから微かに怒声が聞こえてきたのだ。

《え?》

 アウラは慌てて服を整えると馬に飛び乗る。

 そのまま馬を走らせると、前方の切り通しであの二輪馬車がひっくり返っているのが見えた。

《えええ?》

 アウラは全速力でその場に向かった。

 そこには男が二人いた。

 一人は血の付いた剣を持っており、もう一人は若い娘を縛り上げようとしている。

 地面にはあの中年の女衒が血にまみれて倒れている……

《あー……》

 アウラは思わず天を仰いでいた。

 何て事だ……

 なんて運のない奴なんだ……

 どうしてこんな瞬間にこいつらは出てくるんだ……?

 アウラはため息が出てきた。

 当然ながら女衒を殺した男達は、この突然の闖入者を味方とは思わなかった。

「なんだ? てめえは」

 男の一人が緊張した声で言う。

 だがアウラはそんなどうでもいい問いには答えず、逆に訊き返す。

「あんた達、賞金かかってるでしょ?」

 その声を聞いて男達はアウラが女だと気づいた。

 彼女は頭からすっぽりとポンチョを纏っていたため、一見若い男に見えるのだ。

「何だ? 女かよ?」

 男達は余裕を取り戻した。

 こんな所で賞金稼ぎに会うのは避けたいものだが、こいつなら何とかなるだろう。アウラが女だからという理由でつい彼らはそう考えてしまったのだが―――それが人生最大の間違いだった。

「だったらどうだってのよ」

 剣を持った男が下卑た笑いを浮かべながら答える。

「おめえも一緒に来るか? 賞金稼ぎ何かよりももっと儲かるかもよ?」

 それを聞いて娘を取り押さえていた男が吹きだした。

「プッ。何考えてるんだよ。こんなのが売れるかよ?」

 アウラはその意味はよく分からなかったが、バカにされていることだけは理解した。

 彼女は黙って馬から降りると、賞金稼ぎの決まり文句を口にした。

「ジェイルまで付いてくれば命は助かるわよ?」

 彼女に限らず賞金稼ぎとは本来犯罪者を“捕らえてくる”のが仕事である。

 だが相手が抵抗するなどしてそれが無理な場合は“やむなく”首だけを持ってきても良いということになっていた。

 だが、生かして連れてくるよりも首だけにした方が間違いなく“護送”には都合がよい。そのため大抵の場合は相手がひどく暴れて手が付けられなかった、ということにされてしまうのだが――― 一応、建前上こう尋ねはするのだ。

 もちろん相手もそのことはよく知っていた。

「ほざけ!」

 剣を持った男が襲いかかってくる。

 だが男はアウラのことを舐めきっていた。生かしたまま取り押さえておもちゃにしてやろうとでも思っていたのだろう。具合が良ければこいつも売れば更に儲かるかもとか……

 だが目の前にいたのは、そんな甘い考えでは一瞬たりとて戦える相手ではなかった―――そして、彼がそれを再考する時間はもうなかった。男の剣が空を切った次の瞬間、宙を舞っていたのは男自身の首だったからだ。

 娘を抑えていた男が呆然とする。

 もしそこで全力で逃げ出していれば命は助かったかもしれない。

 だが男はかっと頭に血を上らせると、剣を抜いて斬りかかってきたのだ。

「このアマ!」

 彼らは捕らえた女を売り飛ばすことを生業としてきた。

 それ故に女を自分たちより本質的に劣った、ただの高く売れる物体としか考えていなかった。

 そんな“物体”に仲間の一人があっさりと殺されてしまったのだ。彼が怒るのも当然だ。

 だが―――同様に当然ながら、その剣がアウラを捕らえることはなかった。

 彼女にとってはその男の太刀筋など、子供が手をばたつかせているに等しい。

 次の瞬間、その男も首から血を吹き出しながら絶命していた。

 アウラはそんな男を無表情に見下すと、最初の男の首を拾おうと振り返る。

 だがその首は―――路肩から落ちて転がっていこうとしているではないか!

「ああっ!」

 アウラは慌ててその後を追って路肩を滑り降りる。

 やっと拾ったときには首は泥まみれになっていた。

 アウラは何だかがっくりした。

 それから首をぶら下げて路肩をよじ登り再び路上に出る。戦いでは返り血一滴浴びなかったというのに、今ので膝から下も泥だらけだ。

 彼女は溜息をつきながら首を道端の草むらの上に置いた。

 それからもう一人の方の首を落とそうと体を持ち上げようとしたのだが―――こっちの男は太り気味で体が重い。

 アウラはまた何だか嫌になってきた。

「んー!」

 そのときどこからかうめき声が聞こえる。

 振り返ると縛られた娘が地面に転がっていて、怯えたようにアウラを見つめていたのだ。

 猿ぐつわを噛まされているので呻き声をあげることしかできない。しかも地面を転がされたせいで体中泥まみれになっている。

 たがそれにも関わらず彼女は相当な美少女だ。そういった意味では女衒の目は確かだったのだが―――アウラは今まですっかり彼女のことを忘れていたのだ。

「あ!」

 そこで慌てて彼女に近づくと、縄を切って猿ぐつわをはずしてやった。

 それから彼女に話しかける。

「えっと、ねえ」

「あ! あ!」

 だが体は自由になったというのに娘はパニックに陥っていてまともに喋れない。

 アウラは困ってしまった。こんな場合はどうしたらいいのだろうか?

 彼女はしばらく考えてから自分の馬の所に戻ると、水筒を取り出した。それから何か食べる物も捜したが、昼に食べ尽くしていて何もない。

 仕方なくアウラは戻って娘に水筒を差し出した。

 娘はちょっと戸惑ったが黙ってそれを受け取ると、水を少し飲んだ。それで少し気持ちが落ち着いたらしい。

「あ、ありがとう……あの……」

 娘はうなずくとそれだけ声を絞り出したが、やはりまだ上手く喋れないようだ。

 だがそれを聞いてアウラは安心した。

 ならば問題を片づけなければならない。

「うん。じゃあちょっと手伝って」

「え?」

 娘はぽかんとした顔になる。そんな彼女にアウラは男の死体を指さした。

 それを見た娘はあんぐり口を開けたまま凍り付くが、アウラはお構いなしに言った。

「ちょっとその箱を首の下に入れてもらえる?」

 そう言ってアウラは死体の上半身を持ち上げる。

 首が半分切れてぶら下がっている。首の切れ口からはまだどくどくと血が流れている。そんなものを見せつけらた娘は、まだ凍り付いている。

 だが持ち上げているアウラは手が疲れてきた。そこで彼女は少しきつい声で言った。

「ねえ、早く!」

 それを聞いた娘はがくがくとうなずくと、慌てて言われた箱を持ってきて死体の首の下に差し込んだ。それから飛び跳ねるように後ずさる。

 それを見たアウラは彼女に微笑みかけた。

「ありがと。ちょっと離れてて」

 それを聞いた娘はもう一歩飛び下がる。

 次の瞬間アウラの薙刀がまた一閃すると、首がごろんと路上に落ちた。

 今度は路肩から落ちないように、アウラがその前に首を拾い上げる。

 それから道端に最初の男の首と並べて置いた。

 アウラはふうっと溜息をつくと、自分のポンチョを見た。

《また汚れちゃった……》

 賞金をもらったら買い直さなければ―――そう思って見ると、娘の服にも結構血が付いている。

「あ、汚れちゃったね」

 そう言われて初めて娘は、自分の服にべったりと血の染みができているのに気づいたようだ。娘が泣きそうな顔になった。

「綺麗な服なのに、もったいないわね」

 娘はまた返事はせず、黙ってうなずくだけだ。

 彼女がそれ以上は何も喋らないので、アウラは二つ並んでいる首をぼうっと眺めた。

 やっと一仕事終えてほっとしていた。

 男というのは生きていたら始末に悪いのだが、こうなってしまえばあまり害はない。

 こいつらが金貨十枚になればあと二年ぐらいは何とかなるだろうか? 節約すればだが……

 だがお金というのはなぜかいつの間にか無くなってしまうものなのだ。

《ああ……》

 とりあえず今年の冬は何とかなるだろうが―――何だか先行きが不安だった。

 と、娘がそんなアウラと並んだ生首を、交互に落ち着かなそうに見つめているのに気がついた。

「ん? これ?」

 アウラは首を指さした。娘はそうしている理由が訊きたいのだろうか。

「こうやって血を抜いとかないと途中でぐしゃぐしゃになるのよ?」

 だが娘はさらに蒼くなった。何か違ったらしい。

「それともこの死体のこと? 二人じゃ片づけるの大変だから、次の宿の人に言いましょ。あ、でもこれじゃ通行の邪魔ね。またちょっと手伝って」

 アウラはまた娘を促した。娘は引きつった顔でアウラの言うとおり、死体を道の端まで動かすの手伝った。

「ありがと」

 それにしてもこの娘はさっきから一言も喋らないが、無口なのだろうか? 何だかアウラが一人で喋っている気がするが―――こんなに喋ったのは何だか久しぶりだ。

 それからしばらく二人は無言で座っていたが―――また寒さが身に染みてくる。

 だが焚き火を起こすにはちょっと待ち時間が中途半端だ。

 そこでアウラは立ち上がると薙刀を抜いて型の練習を始めた。

 娘は相変わらず黙りこくって、怯えたようにそんなアウラを見つめているが―――しばらく体を動かしていると体が火照ってきた。

 だが娘は寒そうだ。

「寒くない?」

 アウラが尋ねるが、娘は黙って首を振るだけだ。本当なのだろうか? まあ大丈夫と言うからには大丈夫なのだろうが……

 見ると首の血の気はもう抜けている。

 アウラは馬から丈夫な防水布で作られた袋を取り出した。中にはかなりの量の塩が入っている。アウラは首をその中に入れると馬の鞍にくくりつけるが、馬もそんな物は乗せたくないのか機嫌が悪い。

 娘は相変わらずそんなアウラを黙って見つめるだけだ。

 アウラは娘に言った。

「じゃあ行くけど、あんたどうする? 馬車壊れちゃったね。後ろに乗ってく?」

 娘はびくっとしてあたりを見回した。

 二輪馬車を引いていた馬は先ほどの戦いで逃げて行ってしまっている。

 それ以前に彼女は一人では馬に乗れなさそうだった。

 だがここから歩いていくのも大変だ。まだグリシーナは遠いしそろそろ日も落ちてきている。

 娘が考え込んでいるので、アウラが言った。

「ああ、そうね。後ろだと首の上よね。じゃあ前に乗る?」

 娘は散々考えた挙げ句やっと決心したようにうなずくと、アウラに手助けされながら馬によじ登った。

 彼女の後ろにアウラがひらりと飛び乗る。

「狭いけど我慢してね」

 娘はうなずいた。そのときアウラは娘の体が冷え切っていることに気が付いた。

「ええ? 体冷たいよ? 大丈夫?」

「え? あの……」

 娘は口ごもった。

 アウラは自分のポンチョの前を広げると娘を包んだ。こうするとアウラが後ろから彼女の体にぴったり密着する形になる。それを感じてか娘の体が硬くなるが、この際仕方ない。

「前閉じて」

「え?」

「ボタン閉じないと」

 娘はそれを聞いて慌ててポンチョのボタンを留めた。

「まだ寒い?」

 娘は黙って首を振った。それから一言、言った。

「ありがとうございます……」

 それを聞いたアウラは何だか嬉しかった。

「じゃ、行くよ」

 娘がうなずくと、二人はグリシーナのジェイルに向かった。



 二人がグリシーナに着いたのは翌日の昼頃だった。

 娘が馬に乗り慣れていなかったのであまり速く馬を進めるわけにはいかず、昨夜は結局グリシーナ一つ手前の道中宿に泊まることになってしまったからだ。

 二人がジェイルの扉をくぐると、中には数名の賞金稼ぎらしき男達がたむろしていた。

 男達が一斉に二人の方に振り向く。見ればこういった所には似つかわしくない女の二人連れだ。男の一人が二人に声をかけた。

「何なんだ? お嬢ちゃん。ここは……」

 男が言い終わる前に、アウラは首の入った袋をどさっと投げ出した。

「これ、替えて欲しいんだけど。前出てた女衒殺し」

 男達は目を丸くして顔を見合わせた。

 それから一人がやってきて袋の中を覗くと―――驚いた声で言った。

「これって、あんたが取ってきたのか?」

「そうだけど?」

 アウラがあっさりと答えると、男達がざわめき始める。

 まったく、前回も前々回もそうだった……

 アウラが首を持っていくと、どうしてこいつらはこういつも騒ぎ立てるのだろうか?

 すると奥からジェイルの係官が出てきた。

「うるさいな、どうしたんだ?」

「いや、この子がこれを」

 賞金稼ぎの一人が係官に言う。

 係官はアウラと娘の方を振り返ると―――同様に驚き顔に変わった。

 そんな様子は無視してアウラは係官に告げる。

「女衒殺しの二人なんだけど。たしかザッカルとハルスとかいった」

 係官はまだ二人をまじまじと見つめている。

「そうでしょ? 金貨五枚ずつの」

 アウラに促されて係官は慌てて袋の中を確認する。

 それから顔を上げると驚愕の表情で言った。

「ああ、確かにそうみたいだが……これあんた達がやったのか?」

「違うわよ。やったのはあたし。この子は女衒に連れられてた子。連れてかれそうになってたの」

 係官は周囲にいた賞金稼ぎ達を見回した。

「お前ら、担いでんじゃないだろうな?」

 賞金稼ぎ達は一斉に首を振る。

 それを見た係官は再びアウラの顔をまじまじと眺めた。

「あんた、歳はいくつだ?」

「それが何の関係あるのよ?」

「いや、そういうわけじゃないけどな」

 いい加減アウラは腹が立ってきたので、棘のある声で係官に詰め寄った。

「それで、替えてくれるの? くれないの?」

「いや、替えてやるさ。だがちょっと待って欲しい」

「どうしてよ?」

 そろそろアウラはキレかかってきた。

 こいつは何だかんだといちゃもんをつけて、金を渡さない気なのだろうか?

 そんな表情を見取って、係官は手を振りながら答えた。

「違うんだよ。こいつらの賞金がヴィニエーラから出てるんで、そっちに連絡付けなきゃならないんだよ」

「ヴィニエーラ?」

 そのときアウラの後ろで話を聞いていた娘が言った。

「あ、そこ、あたしが行く所です」

 驚いてアウラが振り返ると、娘は戸惑ったように小さくなって黙り込む。

 それを聞いた周囲の男達の間から低いどよめきがあがったが―――何なんだ?

 アウラが男達をぎろっと睨むと、男達はまた黙り込んだ。

「ともかくそこに使いをやるから、あんた達ちょっと待っててくれ」

 係官はたむろしていた男達の一人を指さして、行ってこいという仕草をした。

 言われた男は何で俺が? という表情だったが、係官に睨まれるとそれ以上は文句は言わずに姿を消した。

 しばらくして二人がジェイルの隅で係官に入れてもらったお茶を飲んでいると、表でがらがらと馬車の音がして、続いてけばけばしいドレスを着た中年の女性が駆け込んでくる。

 女は場違いな雰囲気に一瞬息を呑むが、すぐに片隅にいるアウラと娘を見つけて側に寄ってきた。

「ハスミン? あんたがハスミン?」

「え? はい」

 そのときになって初めて、アウラはその娘の名前がハスミンだということを知った。

 そういえば夕べは一緒の宿に泊まったというのに、自己紹介もしてなかったような気がするが……

 そんな想いはともかく、女はハスミンを抱きしめると矢継ぎ早に喋りだした。

「はあ、知らせを聞いてね、びっくりしてやって来たのよ。またスカウトした子がいなくなったりしたらもう、誰も来てくれなくなるし。ああ、無事で良かった。怖かったでしょ? で、ここまではどうやって? ディオスの姿が見えないみたいだけどどこ行ったの?」

 ハスミンはうつむきながら答えた。

「あの……ディオスさんは……死にました」

「え?」

 女性は更に驚愕した。

「ディオスが、死んだ? じゃあどうやってここに来たの? 一人じゃないわよね? ああ、そうね。賞金稼ぎの人に連れてきてもらったのね?」

 ハスミンは黙ってうなずいた。

 女は振り返ると男達に向かって言う。

「で、女衒殺しを退治して彼女を連れてきてくれたのはどなた?」

 どうもこの女性は、アウラがハスミンを連れてきたということを聞かされていないようだ。

 男達はニヤニヤしながら顔を見合わせている。

 こういった場合どうすればいいのだろうか?

 自分がやったのだから自分がやったと言えばいいのだが―――そこでハスミンが女性の服の袖を引っ張りながら言った。

「この方が助けてくれたんです」

「え?」

 女が振り返ると、ハスミンはアウラを指さした。

 女性は初めて側にいるアウラに気が付いたようだったが……

「あ、そう。あなたが……って、ええ? ええええ?」

 彼女はアウラが女だったことに気づいて、またぞろ驚愕した。

 その様子を見た男達が爆笑する。

「やっぱりあんた達、からかってるのね?」

 だが男の一人が答える。

「いいや、からかってなんかないさ。本当にそのお嬢さんが二人の首を持ってきたんだよ」

 返事を聞いて女は振り返ると、アウラの全身を隅から隅まで眺め回した。

 アウラは何だか気まずくなってきた。

 ともかく金をもらってさっさと立ち去りたかった。

「あの、それで賞金を……」

 だが女は信じられないといった様子でアウラを眺め回す。

「本当にあなたが?」

 アウラは少しむっとした。こうなったらちょっとあの女の髪飾りでも切り落としてやろうか? そう思ったときだ。またハスミンがそんな女をまっすぐ見据えて言った。

「本当です。あたし見てました。あのならず者達をこの人が本当に斬り殺したんです。その薙刀で。もうあっという間にやっつけちゃったんです」

 彼女の目が涙で潤んでいる―――そんな彼女の迫力に女は納得したようだ。

「あ、ああ。そうよね。ごめんなさいね。疑ったりして。でもほら、あなたみたいな子が賞金稼ぎやってるなんてなかなかないじゃない? ごめんなさいね」

 女はアウラの手を握る。それから振り返ると大きな声で入り口に向かって叫んだ。

「ウィーギル、ウィーーーギル!」

 その声を聞いて表からがっしりした男が入ってきた。彼がウィーギルなのだろう。

「何ですかい? 姉御」

「この方に賞金をお渡しして」

 姉御はそう言ってアウラを指さした。

「へえ。分かりました……え?」

 ウィーギルもアウラの姿を見て驚いたようだ。

「えっと、お嬢さん。あんたが?」

「うん」

 男はしばらくぽかんとしてアウラを見つめていたが、それから慌てて懐から財布を取り出すと中から金貨を出して数え始めた。

「ほい。十枚だ」

「ありがと」

 アウラはやっと金貨を受け取ることができて少しほっとした。

 だがそれにも関わらず、あまり喜びは感じられなかった。

 去年もひどかったが今年もあまり大差ない。とりあえず食っていくためとはいえ、これからずっとこんなことを続けていかなければならないのだろうか?

 内心アウラは溜息をついたが―――ともかく、これでこの冬は何とかなるだろう。先のことは先のことだ。今心配しても仕方ない。そう思ってアウラは席を立つ。

「それじゃ」

 ところが、そう言って出て行こうとした所を、姉御が引き留めたのだ。

「あなた、もう行くの? どこにいらっしゃるの?」

「え?」

 もちろん行く当てなどない。

「宿屋、捜そうかと」

「宿屋? そんな、どうせならうちに泊まってらっしゃいな。その辺の宿屋よりずっといいお部屋があるのよ」

「え?」

 まごついているアウラを見て、ウィーギルと呼ばれた男がささやいた。

「姉御さん。でも今あそこは」

「え? あ、バルティさん、まだ居座ってるんだっけ?」

「へえ。そろそろ何とかしないと奥方がぶち切れたりしませんかね?」

「そうねえ。でもいいお得意さんだし……」

 アウラには二人がいま何を話しているかはよく分からなかったが、とりあえずヴィニエーラがどういう所かは大体想像がついていた。

 ―――だとすれば答えは決まっている。アウラは二人に向かって答えた。

「やっぱりいいです」

 聞いた姉御が残念そうに言う。

「え? せっかくハスミンを助けて頂いたのに……来る途中、これはアイリスにサービスさせなきゃとか話してたのに、でもそれはちょっとないわよねえ……それじゃお食事はどう? お腹すいてない」

 アイリスのサービスというのが何かは分からなかったが、最後の提案だけは魅力的だった。

 考えてみたら今日は宿の朝食しか食べていない。言われた途端にお腹がすいてきた。

「あ、それなら」

 アウラの返事を聞いて姉御はにっこりと微笑んだ。

「じゃあ行きましょう」

 アウラは姉御たちの後についてヴィニエーラの馬車に乗り込んだ。

 その馬車はアウラが今まで見たこともないような豪華な馬車だった。

 本体は黒い漆塗りで、金銀や虹色に輝く貝殻の象眼が施されていて、ともかく派手だ。しかも中は香水の香りが充満している。

 乗った瞬間アウラは少し頭がくらくらした。

「あなた、お魚とかは好き?」

「え? はい」

 アウラは喜んでうなずいた。

 魚はアウラの主食に近い食べ物だった。野外で一人で食料を得るにはこれが一番確実で腹にもたまる。ブレスと旅をしていた頃から彼らは川があったら魚を捕っては料理して食べていたのだ。

「ハスミン、あなたは?」

「大好きです」

「それじゃあの店にしましょう」

 姉御が馬車を御しているウィーギルに指示を出すと、彼はうなずいて馬に鞭をくれた。

 馬車が走り出すと姉御が尋ねてきた。

「ねえ、それであなた、お名前は?」

「え? アウラです」

「まあ、いい名前ね。そよ風って意味よね?」

「はい」

 それから姉御はアウラの薙刀を見つめながら尋ねた。

「で、それであいつらをやっつけた、のよね?」

 アウラはうなずいた。

「それって誰に習ったの?」

 アウラの胸の傷がずきっと痛む。アウラは下を向いて答えた。

「ブレス……です」

「ブレス?」

「父です」

「そうなの。強いお父さんなのね。お父さんは今どちらなの」

 もちろん姉御に決して悪気があったわけではない―――しかしこれはアウラにとっては最悪の質問だった。

 胸がまたずきりと痛んだ。

 アウラは胸を押さえてうつむくが―――それを見て慌てたのが姉御だ。

「まあ、まあ、どうしたの?」

 アウラは首を振った。いつものことだ。

 それから顔を上げると小さな声で答えた。

「なんでもないです。ブレスは……死にました」

 姉御は手で口を押さえると目をあちこち泳がせた。

 それからまたアウラの手を取る。

「まあ、まあ、ごめんなさいね。そうだったの。寂しかったでしょ?」

「え? ええ……」

 アウラもこういった人が親切心で言ってくれていることは理解できている。

 だがそう問われても答えようがない。

 寂しかったからといって、どうすればいいというのだろうか?

「それで、このお仕事は長いの?」

 アウラが答えないので姉御は別の話を始めた。こちらの方がまだ答えやすい。

「え? えっと二年ぐらいです」

「女の子にはきつくないの?」

「え? でもこれしかできないし」

 姉御はまたアウラの顔をじっと見つめた。

「これしかって……あなたなかなか綺麗なのに、もっといい仕事あるでしょ?」

 綺麗? アウラは姉御をぽかんとした顔で見つめ返した。

 綺麗だって?

 そんなことを言われたのは初めてだが―――しかし姉御はアウラが呆然とした理由を少し勘違いした。

「いえ、別にうちで働けってそんな意味じゃないのよ? でもこんな仕事よりはもっと女の子らしい仕事があるんじゃないの?」

 そのことはアウラも薄々承知していた。

 今までも何度か宿屋などで、住み込みで働かないかと声をかけられたことはある。

 その仕事ははっきり言って賞金稼ぎよりは楽そうだった。それに別に薙刀を使うのを止めなければならないわけでもない。

 だが、彼女にはそれができない致命的な理由があった。

 そうなのだ。そういう仕事では常に男と接していなければならないのだ。

 女と話すのであれば今もそうしているように全然苦にはならない。だが男相手では……

 アウラは黙って首を振った。

「やっぱりこれしかないです」

 姉御は不思議そうに首を振る。彼女のような人間としては当然の反応だろう。

 若い娘がチンピラや盗賊の首を刎ねるのを生業とすることなど到底容認できるはずがない。

「それじゃ、ずっとこういうことを続けてくの?」

 アウラはそれもあまり考えたことがなかった。

 だが今の調子ではそうなりそうなのは明白だ。

 しかしそう思うと嫌だった。

 こんなことを続けていくなんて……

 あんな奴らと戦っても面白くも何ともないし、そういう奴を見つけ出す手間はもっと鬱陶しい。首を持ってジェイルまで旅するのも嫌いだ……

 でもそれでは他に何ができるというのだ?

 他の人間と関わらずに彼女の技を生かせる仕事なんて――― 一匹狼の賞金稼ぎ以外、何があるというのだ?

「やっぱりこれしかできないから……」

 アウラの答えを聞いて姉御も考え込んでしまった。

 そのとき御者台のウィーギルが言ったのだ。

「ねえ、姉御。ボンバの後釜なんてどうですかい?」

 姉御ははっとして顔を上げる。

「え? まあ、そうよね。考えてみたらぴったりじゃないの?」

 それから向き直るとアウラに言った。

「ねえ、あなた、うちで働く気ない?」

 もちろんアウラにはまだ何のことやら分からない。

「え? でもあたし……」

 姉御は首をふる。

「違うのよ。夜番の仕事なんだけど」

「よばん?」

「そう。夜番。要するにまあ、なんて言うか、用心棒みたいな仕事なのよ」

「用心棒?」

 世の中にはそういう仕事があるということも彼女は知っていた。実際にブレスは時々そうやって小銭を稼いでもいた。

 それは技術的にはアウラでもできそうな仕事だった。だが、もちろん男と関わらずにいられるわけはない。

 それと遊郭の夜番とはどう違うのだろうか?

 確かに遊郭と呼ばれる所には、女がたくさんいることは知っていた。だとすればあまり男と関わらずにいられるのだろうか?

 訝しげなアウラに対して姉御は一気にまくしたてた。

「そうなのよ。ほら、うちって女の子ばっかりじゃない。そうするとね、用心棒雇うのも難しいのよ。ウィーギルみたいな人ってなかなかいなくて。この間もボンバって奴が娘の一人と駆け落ちしくさったのよ。夜番をしたがる奴ってのは多いんだけど、みんな下心見え見えで。信頼置けるのなんてのはまず滅多にお目にかかれなくて」

 アウラは姉御が言っていることがよく分からなかった。

「えっと?」

「でもあなたなら大丈夫でしょ。そうでしょ? あなた女だし」

「え? ええ……」

 よく分からないがアウラはうなずいた。彼女が女なのは間違いなく事実だが―――姉御はそれをアウラの同意と受け取った。

「それじゃともかく、ちょっとうちにいらっしゃいな。しばらくやってみて、それでどうしても合わなければまた賞金稼ぎに戻ってもいいんだし」

「え? ええ」

 こんな調子でアウラは姉御の剣幕に押し切られる形で、ヴィニエーラの夜番になることになったのだった。