第2章 賞金首と賞金稼ぎ
二人が店から出て馬止めの手綱を解いていると、さきほどの男達も続けて店から出てきた。
彼らの方を見ないようにはしているが、こっそり横目で観察しているのは間違いない。
フィンはアウラに囁いた。
「それであいつらどうする?」
「ついてきて」
アウラはぱっと自分の馬にまたがると、通りを駆け足で進み始めた。
「おい! ちょっと待てよ! そんなに急ぐなよ!」
フィンも慌てて後を追う。
二人がいきなり走り出したのを見て、男達も大急ぎで彼らの馬を発進させる。
ここまで来ればどう見てもフィン達を追いかけているとしか思えないが、それはいいとして……
《いったい何なんだ?》
例えば落とし物をしたとか、そんな用があったのならあそこで言えばいい。人見知りしそうな奴らではなさそうだし……
《だとするとやはり仕事なのか?》
だが賞金稼ぎに追われるような事は何もしてないのだが⁈
「どこまで行くんだ?」
先行するアウラにフィンは尋ねた。
「もうちょっと先」
そう言ってアウラは先を急ぐ。
やがて二人は妙にうら寂しい一角に差し掛かった。
フィンがちらっと振り返ると遠くの方から相変わらずさっきの奴らが追ってくる。こうなればどこかでちょっと話をつけなければならなくなりそうだが――― 一体アウラはどこに行くつもりなのだ?
「それからどうする?」
「あそこで待ち伏せするのは?」
アウラの指さす先にはこんもりとした森が見えた。
「何だ? あれ?」
「お墓なの」
フィンは納得した。余計な通行人もいないし、町中で立ち回るよりはずっと良さそうだ。
「そっか。なるほど」
二人は墓地に入った。
門をくぐるとそこはちょっとした広場になっていて、その先にはまばらな森が広がっている。
木々の間には様々な形をした灰色の墓石がたくさん並んでいる。
森のひんやりとした空気が心地よい―――とはいっても、あまりデートに適した場所とも言えないが……
「こっちの墓場って森の中にあるんだな」
都でもフォレスでも墓地は大抵開けた野原や山にあって、こんな感じで森の中にある墓地というのは見たことがない。
だがアウラは首を振る。
「ん? そうでもないみたい。ここは特別みたい。墓守の人が掃除が大変だって言ってたわ」
「そうなのか? じゃあ何で森に墓地なんか?」
「さあ……」
などと雑談しているわけにはいかない。
二人は馬から降りると即座に近くの大木の枝に飛び登った。それから息を殺して下を見ていると―――さっきの男達がやってきた。
男達は空になった二頭の馬に気づくと、馬から降りて剣を抜き放ち、慎重な足つきで前に進みだした。
どう見ても友好的な雰囲気ではない。
《どうやら冗談じゃないらしい……》
ここまで来ればフィンも腹を決めるしかなかった。
男達は周囲に注意を払いながらフィン達の潜む木の下に差し掛かる。
だが二人が墓場に逃げ込んでからほとんど時間は経っていない。そのため彼らはフィンとアウラはそのあたりの木か墓石の陰に隠れていると考えているらしい。周囲に絶え間なく注意しながら足音を潜めて前に進んでいくが―――上の方にはまったく注意を向けない。
やがて男達は木の下を通り過ぎて、二人に背を向ける形になった。
フィンがアウラに目配せするとアウラもうなずく。
そして―――二人は男達の後ろ側に、なるべく静かに飛び降りた。
静かとはいっても全く無音というわけにはいかない。男の一人がそれを聞きつけてふっと振り返ると―――その彼に向かってアウラが言った。
「ねえ、何か用?」
「うわっ!」
男は慌てて剣を構える。それを聞いてもう一人も振り返り―――驚愕した。
何しろ今まで前方にいたはずの相手が、何故かあり得ない場所に立っているのだから……
次の瞬間フィンが例の衝撃魔法を放つ。
この魔法は来るのが分かっていれば結構我慢できるものなのだが、男達は完全に虚を突かれていたので簡単に吹っ飛ばされてしまった。
一人はもんどり打ってすっ転び、もう一人は近くの墓石に頭をぶつけて目を回した。
転んだ男は慌てて飛び起きようとしたが、そのときには喉元に薙刀の刃先がぴたりと突きつけられていた。
男は驚きのあまり声も出せない。
その様子を見ながらフィンが言う。
「何か用があったならあの店で言ってくれれば良かったんじゃないか? 変につけ回したりせずにさ?」
だが男は真っ青になって言葉が出せないようだ。
そのとき頭を打った方が、墓石を支えにしながら立ち上がった。
「てめえ何しやがった!」
そう言いながら男は剣を構えるが、まだ少しふらついている。だが、見るからに頑丈そうだし、この調子ではすぐに立ち直りそうだ。
そこでフィンはアウラに制されている男を指しながら言った。
「おい! そういうのはやめろよ。それでなくても彼女短気なんだから」
だが男も頭に血が上っているようだ。
「お前らの言いなりになんかなるかよ! フィーロ! お前の骨は拾ってやるからな?」
「あ! てめえ! 裏切る気か?」
倒れた男が叫ぶ。
だがフィーロと呼ばれた男の叫びを無視して男はにじり寄ってきた。
《おいおい! いきなりそれかよ!》
これは少々まずいことになった。アウラの薙刀は一本しかない。この状況を何とかするには少なくとも片方を戦闘不能にするしかないが……
ともかくフィンはにじり寄ってくる男に叫んだ。
「だからちょっと待てって! 人違いだったらどうするんだよ!」
だが男は全く動じなかった。
「人違いだと? 手配書の人相通りじゃねえか。おい、お前アウラってんだろ? 分かってんだぞ」
「ええっ?」
名前を呼ばれてアウラが驚いて声を上げる。それはフィンも同様だった―――ということは、本当に手配されているのだろうか?
ともかくこの状況はまずい。どうにかしなければ―――もちろんアウラに任せればこいつらをやっつけることは簡単だろう。
だがそれだと何だか知らない罪状に更に罪が加わることになる。見境なしにそんなことをしていたら金貨四十五枚ぐらいまでは軽く行ってしまいそうだし……
とすれば仕方ない。自分で何とかしてみるか……
そこでフィンはアウラに言った。
「そいつを抑えといてくれ」
「うん」
アウラはうなずく。
それからフィンはつかつかと前に出た。相手の男はその動きにちょっと怯んだ。
「てめえ……」
だがそれ以上男は何も言えなかった。なぜならその瞬間に男の着ている服の袖が燃え始めたからだ。
「え? 何だ?」
男は慌ててばたばたと袖を叩く。だが今度は反対側の袖も燃え出した。
「うわあああ!」
男はパニックになった。まるで踊っているようだ。
「早く消さないと火傷するぞ」
「なんだと?」
「どうでもいいから火を消せよ。ほら、そこに水盤があるだろ?」
フィンは男の斜め後ろを指さした。男は一瞬躊躇したが、焼け死にたくはなかったらしく、飛び下がって水盤に両手を突っ込んだ。
「てめえ、魔法使いか?」
振り返った男の目には恐怖の色が見える。どうやらいつものハッタリが効いたようだ。
《これでとりあえず話はできそうだな……》
だがここもう少し脅かしておかなければ―――このあたりの加減はアウラに出会う前からずいぶん上手になっていた。
フィンはにやっと笑いながら言った。
「ともかくさ、君たちには二つの選択肢があるんだ。一つはそうやって生きながら火葬されることと……」
男は真っ青になる。
「もう一つは酒場で俺に一杯奢らせることだ。さあ、どっちがいい?」
男の顔は更に蒼くなった。って、どうしてだ?
「そんなことが……なんだって?」
どうも男は混乱のあまり、何か聞き違えているようだ。
「だから一杯奢ってやるって言ってるんだよ。別に奢ってくれてもいいんだがな、ともかく話がしたい。そういうことだ」
男は目を丸くしている。そこにもう一人の男が口を挟んだ。
「アーゴ! いいんじゃねえか? ほら」
それを聞いて男が我に返ったように言った。
「本当か?」
「本当だよ。そら」
そう言ってフィンがアウラにサインを送ると彼女は薙刀を納めた。
フィーロは跳ね起きるとアーゴに駆け寄って胸ぐらを掴んだ。
「てめえ! 良くも見捨てやがったな?」
「しょうがねえだろ。捕まるてめえが間抜けなんだよ」
「あんだと?」
喧嘩を始めそうになった二人にフィンは怒鳴った。
「いい加減にしろよ。でないと置いてくぞ」
男達は渋々といった顔でフィンとアウラの後に従った。
四人は先ほどの繁華街に戻ると、酒場を見つけて中に入った。
今度の店は一般客にとっては少々ガラの悪そうな店だったが、この賞金稼ぎ達にとってはこういった店の方が居心地はいいだろう。
まだ時間が早かったので他の客はいなかった。
四人は酒場の隅に陣取るとまず酒を注文する。だがさすがに酒とつまみが出てきても、アーゴもフィーロもちょっと口を付けただけで気を許そうとはしない。まあ当然だ。
ならば用事をとっとと済ませてしまうしかない。
そこでフィンは小声で尋ねた。
「で、俺達の手配書ってある?」
「ああ」
アーゴはポケットから手配書を取り出した。
フィンとアウラはそれを受け取って覗き込むが―――ちゃんとした判が押してあって、偽物とも思えない。
それを見たアウラが言う。
「ああ? 金貨五枚ずつ? 結構大物じゃない。あたしたち」
「そういう問題じゃないだろ?」
こいつは置かれている状況を理解しているのか?
いや、間違いなく、面倒なことになったならこいつらを叩きのめせばいいぐらいにしか考えてない。絶対そうだ……
それはともかく、フィンは手配書に不自然な所がないか捜した。
「えっと……若い男と女の二人組で、女はアウラといい薙刀を持っている。男の方はフィンといってやせ気味で中背。旅姿で……ああ、確かに俺達みたいだな。何でだ? どういった罪状で……ああ? ジンギベリーの強盗殺人犯? なんだそりゃ?」
フィンはアウラに尋ねたが、彼女も首を振る。
「ジンギベリー? さあ……聞いたことあるような気もするけど」
そんな二人をアーゴとフィーロはうさんくさそうに眺めている。
フィンは二人に向かって尋ねた。
「ジンギベリーってどこだ?」
「ここから南東の方にある村ですが? ガルデニアへの山越え街道の途中で」
「南東? 俺達はつい最近シルヴェストに来たばかりだ。しかも北からだ。ジンギベリーなんて行ったこともないぞ。それに……」
そのときフィンはその強盗殺人事件の起こった日付を見つけた。
「なんだ? これって三ヶ月前じゃないか! それだったら俺達がいたのはアイフィロスだ!」
聞いていたアーゴとフィーロはまた顔を見合わせる。
それからアーゴが尋ねた。
「じゃあ何でそんな手配されてるんで?」
「何かの間違いだよ」
「手配されてる奴はみんなそう言いますぜ」
「………………」
フィンは返す言葉がなかった。
こいつらにとってはフィン達がそう主張しているというだけなのだ。もちろん口先だけなら何とでも言える。こいつらを納得させるにはどうにかして動かぬ証拠を出すしかないが……
《といっても一体、何がある?》
三ヶ月前にアイフィロスに確実にいた証拠? そういうのはこういう立場になってみると意外となかったりするものだ。
そう思ってフィンが頭を抱えているとアーゴが言った。
「この際どうです? ジェイルまで一緒に来てもらって、そこで申し開きしてもらうってのは? あっしらとしちゃそれで十分なんですがね」
「ああ?」
確かに彼らの言うことは尤もだ。何らかの間違いで手配されてしまったのなら、そこに行けば誤解が解けるかもしれない。
《だが待てよ?》
それは何だか妙にヤバい気がした。
そもそも彼らがシルヴェストに来たばかりなのは紛れもない事実だ。それならば彼らの人相風体を知ってる奴なんているはずがない。ならばこんな風に“うっかり間違えられる”なんてことも起こりようがないのでは?
だとすれば―――誰かと間違えられたのではなく、意識的に嵌めようとしてる奴がいると考えた方がいいのでは? そいつは少なくとも偽の手配書を作れるぐらいの奴で―――ならばうっかりジェイルに行ってしまったら、そのまま地獄行きになりかねない!
ともかくジェイルはまずい。だとすれば……
「分かった。仕方ないな」
フィンは立ち上がるとアウラに言った。
「グリシーナ城に行くぞ」
「え? もう?」
「ああ。ゆっくり見物してから行こうかと思ってたけど……」
元々二人はグリシーナに来てもすぐには城には行かず、しばらくは城下でぶらぶらする予定だった。
城に行けばいろいろ堅苦しくなるし、それにヴィニエーラに行けばどうせしばらくそこに逗留することになるだろうし―――などと考えていたのだ。
それを聞いた男達は唖然とした。
「おい! 何を寝ぼけたこと言ってやがる! お前らごときが相手してもらえるわけねえだろ!」
だがフィンは男達に不敵に笑い返した。
「それはどうかな? ああ、じゃあ付いてきなよ。その方がこっちも都合いいし」
「なんだと?」
フィンとアウラは半信半疑の賞金稼ぎ達を連れて店を出ると、その足でグリシーナ城へと向かった。
「へえぇ!」
グリシーナ城で一行が通された部屋に入るなり、フィンは思わず声を上げていた。
長く曲がりくねった廊下を抜けて、彼とアウラ、それに賞金稼ぎの二人が通されたのは、王の謁見の間に通じる、要人用の控えの間だった。
そこは一般市民の請願者などが待たされる控えとは違って、それだけで通常の屋敷の大広間くらいの広さはある。
だがフィンが驚いたのはその広さではなく、壁面に飾られたたくさんの絵画や各所に置かれている様々な彫像が、松明やシャンデリアでライトアップされている光景にだった。
「すごい!」
アウラも同様に感嘆の声を上げる。
二人はその役柄上、フォレスの王宮やベラの長の館などに何度も出入りしている。その辺の奴らよりはこういった場所には慣れている―――だがこの豪華さは今まで見たものとはちょっと異質だった。
ガルサ・ブランカ城は、アイザック王が余った富を全部図書館の本につぎ込んだせいで、城の装飾という観点からいうとかなり地味だった。
逆にハビタルの長の館はあの水上庭園に代表されるように絢爛豪華極まりない。
だからこのような見事な美術品で飾られている部屋というのは、今まで意外に見ることがなかったのだ。
「凄いですね……見てよろしいですか?」
フィンは案内してくれた侍従に尋ねる。
「はい。どうぞ」
フィンとアウラは侍従に軽く挨拶をすると、その絵や彫刻を順番に鑑賞し始めた。
どれもこれもが素晴らしいものばかりだ。
都育ちのフィンは色々な所でこういった物に触れる機会があったが、いずれもそれに勝るとも劣らぬ逸品ばかりに見える。これを集めた人は間違いなくかなり高い審美眼を持っているようだ……
「ねえ、これ誰?」
アウラが指さしたのは、月の光に浮かび上がる透き通るような白い肌をした女性の絵だ。
「月の女神ディアナかなあ……それとも黒の女王かな……黒の女王も月を背景に描かれることが多いし……」
「へえ!」
アウラは感嘆していたが―――実はフィンの解説はかなり適当だった。
こういった絵や彫刻は嫌になるほど見ていたとはいえ、正直あまり興味はなかった。
だが、園遊会などで他の貴族とお付き合いする上で、適当に会話をするための格好の題材となってくれたので、最低限の知識だけは仕入れていたのだ。
「じゃああれはどこの景色?」
その隣の作品は大きな絵で、山の上に人々の一団が立って彼方に広がる大平原を見下ろしている。
《あ? これなら分かるな……》
フィンは説明した。
「あれは、多分ほら、大聖がカロス山脈を越えて初めて中原を望んだときじゃないかな? ほら、両脇に白と黒の女王がいるし、手前には七つの家族が……」
このシーンは絵だけでなく歌にもなっていて有名だ。
「じゃあフィンの先祖も?」
「えっと、左から二番目だ。うちの紋章がここにほら。俺の剣に付いてたろ?」
「あ! ほんとだ! 丸に斜め線ね。でも何のマークなの? これ。こっちの家族のは壺でしょ? こっちは魚でしょ」
「あ、それは荷車のイメージなんだ」
「荷車? なんで?」
「由来を言うとだな、初代のル・ウーダは荷運びを生業としていたからなんだよ。小公家はみんな元は平民だから、紋章も壺だったり魚だったりとかになってるんだ」
「あ、そうなんだ……」
―――そんな調子で二人が控えの間を一周して戻ってくると、部屋の真ん中のソファではアーゴとフィーロが背筋を一直線に伸ばして硬直していた。
部屋を回りながらちらちら見ていたのだが、二人は蒼白な顔でさっきから身じろぎ一つしない。
フィンは内心可笑しくなった―――まあ当然だろう。
彼がグリシーナ城に行くと言い出したとき、彼らは間違いなく信じていなかった。適当なことを言って隙を見て逃げる気だと思っていたに違いない―――だからフィンとアウラが本当に正面から城に行って、しかも普通に中に通されてしまって、しかもこれから本当に国王に謁見するためにこの控えの間に通されたのだ。
その上この間は国家使節クラスの要人用で、一般民はまず中を覗けることさえないだろう……
更に今の二人の雑談を彼らが聞いていたとしたら、フィンがル・ウーダの一族だと気づいたかもしれない。さすがにどんな奴だって、建国神話に出てくる七家族の名前ぐらい知っている。
彼らはそんな相手を迂闊にも捕まえようとしていたのだから―――普通なら絶対あり得ないことなのだが……
そんな二人を見てアウラもにやにやしている。
それから少々意地悪気に声をかける。
「ねえ、見てこないの? 凄く綺麗な絵よ」
二人はぴくっと飛び上がった。
「え? いや、その」
「まあ、絵なんて分かりませんですし……」
「それじゃあそこの甲冑が持ってる剣、あれってただ物じゃないわよ。すごいから。見てきたら?」
「え? ですが、その」
アーゴもフィーロもしどろもどろだ。
「あ、こういう所初めてなんだ。大丈夫よ。見るくらい」
ついにフィンは吹き出した。
エルミーラ王女達に誘われてガルサ・ブランカ城に初めて入った夜、まさにアウラがあんな感じだったが……
それに気づいてアウラが振り返る。
「なによ?」
「いや、あのときを思い出してな……」
「あのときって何よ?」
「いや、ガルサ・ブランカ城に初めて入った日……」
アウラが赤くなる。
「だって初めてだったんだからしょうがないじゃない!」
まさに隔世の感と言うべきだろうか。
あのときはあのときでかなりせっぱ詰まった状態だったが―――ある意味今回の方が危険度からいったらヤバそうな気がする……
しかし今回の方が気は楽だった。
《まあ、いざとなればアイザック王という後ろ盾もいるわけで……》
今回の目的は中原の視察なのでシルヴェストへの使者という立場ではないが、彼らが来ることはあらかじめ書状も回っているはずだ。
そんな感じでアウラとじゃれ合っていると、奥の扉が開いて先ほどの侍従が出てきた。
「アラン様がお会いになられます」
「はい」
二人は即座に公式モードに入る―――だがアーゴとフィーロはぽかんとしている。
フィンは小声で彼らに言った。
「立って僕たちの後に付いてくるんだ。大丈夫だから。でもあまりきょろきょろするなよ?」
男達は操り人形のように立ち上がった。
それから四人は侍従の後について謁見の間に向かった。
謁見の間はそれまでの控えの間が玄関ホールに思えるほど広かった。
中央には大きな玉座があって、そこに初老の背の高い男性が座っていた。
周囲には数名の兵士が控えているが、急な謁見のためそれ以外の従者はおらず、そのため広すぎてがらんとしている感じだ。
《この人がアラン王か……》
目の前にいる人物を見て、フィンは柄にもなく緊張を感じていた。
フィンもアウラも高貴な人間に会うことにはもう慣れっこだ―――というより普段接している人々が、一般人から見たら雲上人だということを忘れないようにと腐心する必要があったくらいだ。
だがこの男性の前ではそんな心配は無用だった。
王は王座に座っていてもかなり背が高いことが見て取れた。その分少し痩せているようにも見えるが、髪には白髪が混じり、アイザック王同様かなりの年輩なのは間違いない。
だがその彫りの深い顔には老人臭さは微塵も感じられず、そのまなざしにはまるで獲物を探している鷹のような鋭さが宿っていた。
《迫力が……すごいな》
フィンは内心気圧されないようにと自分に活を入れる。謁見でこんなに緊張するのは久しぶりだ……
とは言っても、もしかしたらこちらの方が普通なのかもしれない。
アイザック王と初めて謁見したときは、非常に気さくな感じで話しやすいと感じたものだが、今から考えればあれは古狸の術策にはまっていた、というのが正しかった―――ここぞというときのアイザック王が見せる表情と判断は、ほとんど冷徹と言うべきものだった。
そう考えればもしかしてある意味アラン王の方が人が良いのかもしれない―――などといった考えがフィンの頭をよぎったが、もちろんそんなことを試してみる度胸はない。
見るとアウラもそれを感じ取っているのか、妙に落ち着かなげだ。
《って、ここでビビってどうする?》
ともかくしっかりせねば……
そこでフィンは軽く深呼吸すると王の前に跪いて深々と礼をして、それから自己紹介を始めた。
「私、白銀の都ル・ウーダ・ヤーマンの末裔であるパルティシオンの息子、フィナルフィンと申します。今は縁あってフォレスのアイザック様にお仕えしております。この度はアイザック様より中原地帯の視察を命ぜられ、アラン様に色々とお話を伺いたく、こうして参上致しました」
王は黙って軽くうなずいた。
特に不興を買ったわけではなさそうだ―――そこでフィンはアウラに目配せした。いつも通りにやれば大丈夫だ。
続いてアウラが立って深々と礼をする。
「ベラ、フェレントムの一族、ガルブレスの養い子、アウラと申します。フォレスのエルミーラ王女様の、お側にお仕えしております。この度はル・ウーダの警護としてまかり越しました」
フィンは心の中で胸をなで下ろした。相変わらずの棒読みだが、OK。問題ない。
彼女は立ち居振る舞いならばあっという間に完璧に覚えてしまえるのに、こういった簡単な挨拶でよくトチる。だが今回は申し分なかった。
アラン王は再びうなずくと二人を代わる代わるじっと見つめる。
それからおもむろに口を開いた。
「わしがアラン。レクス・アラン・ノル・シルヴェスト。ぬしらのことはアイザックより既に聞いておるぞ。よくぞ我が城に参られた。さあ、頭を上げられよ」
「は。お言葉に甘えさせて頂きます」
フィンはそう言ってから、初めて頭を上げて正面からアラン王を見た。
途端に彼を見つめる王と目が合ってしまう。
《うわ!》
フィンは内心叫び声をあげた。
ざっくりと貫かれるような鋭いまなざしだ。
このまま見据えられたらどうする? 目を背けるべきなのか? それとも見返した方が?
だが、王はすぐに隣のアウラ、それから後ろの賞金稼ぎ達に目を向けた。
フィンはほっとした。
それから王はまたおもむろに言った。
「で、そちらは?」
問われたアーゴとフィーロは凍り付いた。
もちろん彼らがまともな作法などを心得ているはずがないし、そもそも何故ここにいるか説明することさえできないだろう。
そこでフィンが答えた。
「彼らは私の友人です。ここに来る途中彼らに大変世話になったので一緒に来てもらいました。そちらがアーゴ、こちらがフィーロと言います」
フィンは二人を指さしながら目配せする。
それに気づいて二人は弾かれたように礼をした。
「ふむ」
王はそんな二人をもう一度じろっと見たが、それ以上は何も言わなかった。
それからまた王はフィンとアウラに目を戻すと微かに微笑んだ。
「それにしてもル・ウーダ殿。もう少し早くに来られるかと思っておったが?」
「はい?」
いったい何の話だ?
「昨年の秋にアイザック殿より書状を頂いてな、しばらくしたらこちらに二人ほど来るからよろしくと書かれておったが」
ああ! そういうことか。確かにあの頃だとスケジュールはまだ決まっていなかったかも。
「それは、申し訳ありません。実は昨年秋から視察は始めたのですが、冬にベラでエルミーラ様と合流致しまして、一冬を越しました。あの時期の山越えは少々厳しいものですから」
「ほう、そうであったか」
王は軽くうなずくと、またじっとフィンとアウラの顔を見る。
「して、エルミーラ姫はお元気か?」
「は、はい。それはもう……ただそろそろ……」
計算してみたら、そろそろ王女は臨月ではないだろうか?
「そろそろ、何だ?」
「いえ、もしかしたらそろそろご出産の時期ではないかと」
王は大きくうなずいた。
「おお、そうであったな。王子が生まれると良いな?」
「はい……」
何と言ったらいいのだろう?
確かにめでたいのは間違いないが―――フィンは手放しでは喜べなかった。
何しろフォレスの命運がかかっている子供なのだ。
確かに一応“父親不詳”ということでベラとは無関係という建前にはなっているが、その子の父親がロムルースであることは公然の秘密だ。王子が生まれたりしたらいつ何時ベラの継承争いに巻きこまれないとも限らない。
そういった意味では王女の方がいいとも思ったのだが―――そのように言葉に詰まっているフィンを見て王はにやりと笑うと言った。
「それともル・ウーダ殿は王女の方がご希望か?」
うわあ! 前言撤回だ!
《やっぱりアイザック王の先輩だって!》
絶対これはテストだろ? あっちが狸ならこっちは狐だな? まさしく―――どう答えたって突っ込まれそうではないか?
ともかくこうなれば下手に言い繕うよりは、ありのままに言った方がいい。
そこでフィンは答えた。
「エルミーラ様には、私は王女をお願いしております」
王はちょっと眉をひそめた。
「お願い? じゃと?」
フィンはうなずいた。
「はい、その、ベラに滞在したおりのことです。ある晩王女が私ども一人一人に、王子がいいか王女がいいかとお尋ねになったのです。そしてその場にいた者が思い思いに答えたのですが、そのとき私は王女をお願いしたのです」
「うむ?」
王は今ひとつフィンの答えの意図が掴めないようだ。
そこでフィンは続けた。
「それを聞いてエルミーラ様は『それでは私は王子五人と王女三人を産めばいいのね』とお答えになりました。『そのくらい作れば世継ぎ問題なんて気にする暇さえなくなるでしょ』とおっしゃられて……」
アラン王は吹き出した。
「はっはっは! それはそうだ!」
王は天井を見あげると目を閉じて、それから喉の奥でくっくっくと笑い始めた―――どうやら気に入ってもらえたらしい……
フィンはこっそりと安堵の溜息をついた。
これはハビタルに滞在中、本当に起こったことだが―――エルミーラ王女様々だ。
王はしばらくそうして笑ったあと、真顔に戻ると言った。
「ああ、一人で笑ってしまって済まぬな。アイザックの所もどうなることかと心配しておったが……」
それから王はフィンとアウラを再度見比べるように眺めた。
「それにしてもわしの想像は全然はずれておったな」
「と、言いますと?」
「いや、お二人とも少々想像していた姿とは異なっておったのでな」
一体どういう姿を想像していたんだろう?
そんなフィンの想いを見透かすように王は言った。
「ル・ウーダ殿はセロでは大変な御活躍だったそうで」
王は再びフィンの全身を眺める。
「いえ、まあ……」
これはどう言うのがいいんだろう? まあ確かに活躍したのは事実だが―――はっきり言ってオチが悪すぎる!
それに王が何と言おうと、あの戦いはフィンの命を救うためであったし、そのための犠牲者も多数出ているのだ。それを差し引いたらプラスマイナスゼロぐらいの気分で、あのときのことを得々と他人に話す気分になれなかったのだが……
「あの作戦はル・ウーダ殿が発案したものと聞いておるが?」
「いえ、自分の命がかかっておりましたし……それに実現できる所まで練り上げられたのはネブロス殿がいたからこそです」
「だが自ら前線に赴かれたとか?」
「あんな場合に後ろに隠れているのはちょっと耐えられませんでしたので……」
王はフィンをじっと見つめると言った。
「なかなかできることではないな」
フィンはかっと顔が熱くなってきた。
「お褒め頂いてありがとうございます……」
フィンは何とか礼を言うことができたが、心臓がどきどきしていた―――それから妙に頬が緩んでくる。こんな風にストレートに誉めてもらえるのはやはり嬉しい……
次いで王はアウラに向かって言った。
「それにアウラ殿も、姫の救出では八面六臂の活躍であったとか?」
「え? あ、はい」
いきなり話を振られてアウラがちょっと飛び上がる。
「もっと凄い女丈夫であるかと思っておったのだが、このような可憐な方であったとは」
フィンは吹き出したくなるのを懸命に堪えた。可憐? それは何か違わないか?
だがアウラはぽかんとして、それから赤くなってぺこっと頭を下げる。
そんなアウラを見て笑い出さずにいるには、最高の自制心が必要だった。
「聞けばアウラ殿はガルブレス殿の養い子と聞くが?」
「え? はい」
アウラは慌ててうなずく。それを見て王はにこっと笑うと言った。
「ガルブレス殿には何度か手合わせをして頂いたことがある」
アウラが驚いたように顔を上げる。
「え? 本当ですか?」
「ああ。大昔、ベラに留学しておった頃だがな。まだガルブレス殿がル・ウーダ殿ぐらいの歳だった」
「え? そうだったんですか?」
「ああ。手もなくひねられたがな」
「すみません」
王は不思議そうにアウラを見る。
《すみませんじゃないだろ。どうしてお前が謝る⁈》
それに気づいてアウラはまた赤くなった。
その表情を見て王はまたくっくっと笑い出す―――それからフィンの方を向くと小声で言った。
「良い娘じゃな」
「え? あ、はい。まあ、その……」
いきなり言われてフィンも再び顔が赤くなる。
そんな二人の顔を王はしばらく交互に眺めながら微笑んでいたが、それから真顔になるとおもむろに言った。
「で、ル・ウーダ殿」
「はい?」
「そろそろ本題に入ることにするかな?」
そう言って王はちらっと背後の賞金稼ぎ達の方を見た。
そうだ。そろそろこっちの話をしなければ……
「お分かりでしたか」
「まあな。このような時間だ。急な用でもなければな。もしかしてそちらのご友人と何か関係が?」
そう言って王はアーゴとフィーロをじろっと見つめた。
二人は震え上がった。それには構わずにフィンは続ける。
「はい。そのことなんですが、その、少々トラブルに見舞われておりまして……」
「トラブル?」
王はちらっと眉をひそめる。
「はい。ちょっとこれをご覧になって下さい」
そう言ってフィンは懐から例の手配書を取り出すと、王に渡した。
「私たちはつい先日シルヴェストに来たばかりです。それなのに見て頂きますとお分かりだと思いますが、私たちはなぜかこういった手配をされてしまっていたのです。ジンギベリーなどにはそもそも行ったこともありませんし、事件の起こった時には私たちはアイフィロスにおりました」
王は手配書を光にかざしてよく見る。
「ふうむ。偽物とも思えぬな」
訝しんでいる王に対してフィンは続けた。
「後ろの二人は、私たちがこうして手配されているということを教えてくれて、この城に来るまで警護して来てくれたのです」
「ほう、なるほど? そうなのか?」
王が尋ねると二人は真っ青になってうなずいた。
「へ、へい!」
「へいっ! それはもう……」
フィンの言ったことはほぼ正しかった。手配されていたことを教えてくれたのは紛れもない事実だし、城に来るまでの警護というのもあながち嘘ではない。
賞金稼ぎの不文律として、他の賞金稼ぎの獲物を横取りしないというのがある。だから彼らが側にいる限り、他の賞金稼ぎに狙われることはないのだ。
《ま、若干一名、そういう奴もいたらしいが……》
フィンはちらっと横のアウラを見るが……
それを聞いて王は少し考え込んだ。それからフィンに尋ねた。
「ふむ。それは災難であったな。だが、全く何も心当たりはないのかな?」
ないわけではない。だがどこまで話したものか?
ともかくまずヤバそうなのはやはりあの盗賊退治だが……
「全くないわけでもございません。あるとすれば……グラテスで盗賊退治に参加したことですが……」
王の目が丸くなった。
「盗賊退治だと?」
「はい」
フィンがうなずくと王は驚いた顔で問い返す。
「何でまたそんなことを?」
当然の質問だが―――フィンは内心ちょっとアウラを呪った。
《こいつがあそこであんな無駄遣いをしなければ……》
だがアウラは全くどこ吹く風といった様子だ。フィンは小さく溜息をつくと答えた。
「お恥ずかしいことですが、実はちょっとアイフィロスで路銀が不足してきまして……それで少々手っ取り早く金を稼ごうかと……」
それからフィンは例の盗賊退治に関して話した。
細かい作戦とか武勇伝を言い出すときりがないので適当に端折り、起こったこと、すなわちバルコやロゲロ達とボルトス一派のアジトを襲って何とか一派は倒したが、こちらの被害もかなりあったこと、どさくさでロゲロが賞金首を持って逃げたこと、アジトは結局空だったこと―――などを手短に話した。
「……そして、バルコと共にツィガロに行ったのですが、ロゲロはそこから逃げた後でした。ところがその後を追おうとしたら奴らが死体になって帰ってきたのです」
「死体だと? それまたどうして?」
「どうも彼らは私たちを出し抜いて気が大きくなっていたのでしょうか、そこで金貨五十枚の賞金がかかっているエレバスという別な賞金首にちょっかいを出したみたいで……それで返り討ちにあったようです」
「エレバス? 聞いたことがあるような気がするが……」
なんだ? あいつは王にまで知られるほどの悪党だったのか?
「とんでもなく腕が立つ奴のようで……それ以外のことはあまり分かりませんが」
「ふむ……」
王は考え込んだ。
それからふと顔を上げると横の兵士に向かって言った。
「ファルクスは今どこに」
「詰め所の方かと」
「今すぐ呼び出せ」
「はっ」
それから王はフィン達の方を見て言った。
「うむ。よく分かった。この件はすぐに調査して善処させよう。だがもちろん調べるには少々時間がかかるが、それまでこちらに逗留されるであろう?」
「はい。もしお許し頂けるならば」
「うむ。それではすぐに部屋を用意させよう」
「ありがとうございます」
フィンは礼をした。
まあ確かにそんなにすぐ真相が分かるわけがない。その間あまりうろつくわけにもいかないし、しばらく少々肩のこりそうな生活が始まりそうだが―――まあ、その分食事は豪勢になるだろうし、ベッドも柔らかくなりそうだ。
フィンの礼に合わせてアウラも同様に礼をする。
それを見て王が軽く会釈をすると、後ろの二人に声をかけた。
「さて、そちらの二人はどうなされるか?」
それを聞いて二人は固まってしまった。当然だろう―――とは言っても、フィンとしてもここはどうすればいいのだろうか? 連れてきた手前どうにかしなければならなそうだが……
だがフィンが発言する前に王が続けた。
「まあ枕が変わると寝付けぬ事もあるだろうしな。ならば家族の元に戻ってゆっくりするが良かろう」
それから別の兵士に向かって言った。
「彼らに金貨五枚ずつを渡してお引き取り願え」
「はい」
二人は一瞬ぽかんとして、それからぺこぺこ頭を下げる。
「あ、ありがとうございます」
「か、感謝致しますです。はい」
それを見て王はつけ加える。
「うむ。それとこの件に関して何か尋ねる必要が出るかもしれぬ。そういったときのために、常にジェイルより連絡が取れるようにしておいてもらえるか?」
「は、はい。もちろんです!」
「わかりやした」
二人はまたぺこぺこ頭を下げる。
その様子にフィンも安堵の溜息をついた。
《ともかく今晩は、柔らかなベッドでゆっくり寝られそうだな……》
どうやらフィン達にとっても賞金稼ぎ達にとっても、最善の結末を迎えられたようだった。