賞金首はもっと楽じゃない! 第3章 グリシーナ城の夜会

第3章 グリシーナ城の夜会


 フィンとアウラがグリシーナ城に来てから数日の後、彼らを歓迎する夜会が開かれた。

 そのときフィンはアラン王と共に、城のバルコニーからワイングラスを片手にグリシーナの夜景を眺めていた。シルヴェストの高官や貴族達との挨拶も一通り終わったので、王に誘われて涼みに出てきていたのだ。

 日が沈んでから随分たつが、真夏の夜気はまだなま暖かい。

 だがそれでもこの場所だとときおり涼しい風が吹き抜けていく。

「こんな素晴らしい夜景を見ながら頂くワインは最高ですね」

 城はグリシーナの丘の頂に建っているので、ここからは市街全域が一望の下に見下ろせる。

 町の建物の窓から漏れる燈火の光が一面に広がって、暗闇の中に金色の絨毯を広げたようだ。

「うむ。お口に召したかな?」

「はい。さすがにローリス・デ・ルーナですね。都でも滅多に口にできませんよ」

「我が国にはこれしかないからな」

「ご謙遜を」

 アラン王も上機嫌だ。

 シルヴェスト王国はワインの名産地だ。この国の名を知らない者でも“ローリス・デ・ルーナ”の銘を知らない者はいないと言われているほどだ。

 その半ば伝説化した銘柄を今フィンは頂いている真っ最中だった。多分買おうと思ったら目の玉が飛び出るほどの金額を払うことになるだろうが……

《ってか、どうせ奢りなんだし、気にしてもしょうがないよな》

 この旅に出て結構金勘定にはシビアになってきているが、こんなときぐらいはそんなことを考えずに楽しまねば―――それにせっかく例の手配の一件も片づいたのだから……

 そう思ってフィンは心の底でまた安堵の溜息をついた。

 絶対何かの間違いだとは思っていたが―――それでも手配書が取り下げられるまでは指名手配犯だ。お陰でいい部屋に泊まっていてもおちおち寝ていられなかった。

《にしても……》

 全く何と言っていいやら……

 今日の昼間に王から呼び出されて聞いた事の“真相”は、グラテスの盗賊退治とは全然無関係で、なんと以下のような顛末だったのだ。


 ―――昼過ぎにフィンとアウラはアラン王の執務室に呼び出された。

 ここに来てからアウラはともかく、フィンは心配であまり寝られなかったので少々ふらふらしていた。

 二人がやってくると王が言った。

「ル・ウーダ殿。どうやら分かったようだ」

「それで……どうだったのでしょうか?」

 緊張して答えるフィンに王が言った。

「お二人は、ブエロで少々トラブルには会わなかったかな?」

「ブエロ?」

「グラテスからの街道の途中にある村だが」

 フィンは記憶の糸をたぐったが―――何かあっただろうか? そもそも村の名前にあまり覚えがないのだが……

 アウラを見てもぽかんとしている。そんな二人を見て王は続けた。

「そこで酔っぱらった村の者が旅の二人連れに散々叩きのめされたという事件があったというのだが……」

「ああ⁈」

 それを聞いてやっと記憶が蘇ってきた。

 そういえば―――そうだ! 確かそんなことがあったぞ!

「えっと……もしかして山を下りてすぐの所にある村でしょうか?」

 恐る恐る尋ねるフィンに王は事務的な口調で答える。

「ああ、そうだ」

 そう。確かにそこでちょっとしたトラブルはあった。

 村の宿で夕食を食べていたときだ。フィンが小用を足すためちょっと席を外したときのことだった。

 その宿は村の酒場も兼ねていて、旅人以外にも結構な村人で賑わっていた。そして酔っぱらった男の一人がアウラにちょっかいをかけてきたのである。

 もちろんアウラも最近は前よりは少し進歩していて、肩に触れられたぐらいなら受け流す事ができるようになっていた。

 だがその男は事もあろうにいきなり―――後ろからアウラの胸を鷲掴みにしたのだ!

 もちろん男としては親愛の情を示しているつもりだっただろう。往復ビンタくらいは覚悟していたかもしれない―――だがアウラの反応はそんなものではなかった。

 次の瞬間、彼女は振り向きざま、目にもとまらぬ速さで男の顎に肘打ちを叩き込んだのだ。

 男はそのままKOされて顔面からテーブルに突っ伏した。

 かつてならここで男の耳か鼻が落ちていたのだから、これでも途轍もなく穏やかになってはいたのだが……

 当然そんな光景を見て他の酔っ払いが黙っているはずがない。

 その後はお約束の乱闘となってしまって、結局全員がやって来た警吏に散々絞られる羽目になったのだ―――という、彼らにとっては極めて“ささやかな”事件だったので、すっかり忘れ果てていたのだが……

「でもあの件に関しては、罰金で片がついたと思ったのですが……」

 フィンが恐る恐る尋ねると王は言った。

「うむ。だがそこでアウラ殿に伸された男だが、女に負けたのがよっぽど癪に障ったらしく、知り合いの警吏に例の手配書を書かせたらしい。その警吏は男に借金があって言いなりにならざるを得なかったと」

「………………」

 二人は言葉も出なかった。

 酒場の喧嘩の逆恨みでこんな目に合うなんて―――絶句している二人に王が言う。

「まあともかく、これで問題はなくなったようだな」

「申し訳ございません。何とお礼を申せば良いのか……」

「あの、すみません。ありがとうございました」

 フィンとアウラは王に礼を言った。

 そんな二人を見ながら王はにやっと笑みを浮かべると言った。

「うむ。だが今後はあまり恨みを買うような行為は控えた方がよろしいな」

「はい、申し訳ございません……」

 二人はぐうの音も出なかった―――


 ―――といった訳だったのだ。

《いや、全く今回は心臓に悪かった……》

 たまたまこんな立場だったからともかく、そうでなければひどい目に会わされていたところだ。

《それにしてもとんでもない奴がいたもんだよなあ……》

 運悪くそんな奴にかかずらっわてしまったというのもあるだろうが―――やはりアウラがもうちょっと大人しくしていてくれれば、そもそもこんな事にはならなかったわけで……

 それは口を酸っぱくして言ってはいるのだが、あんな場合には反射的に体が動いてしまうのだ。

《うーん。やっぱりもうちょっと考えとかないとダメか?》

 罪のない村人を彼女の危険から守るというのは、やはりフィンの責任なのではなかろうか?

 例えばあのときうっかり通路側の席にアウラを座らせていたが、今後は基本的に奥の席にしておくとか―――そんなことを考えていると、ホールの方から歓声が聞こえてきた。

 それを聞いた王が言った。

「アウラ殿かな?」

「そうだと思います」

 二人が中に戻ると、ホールの中央ではアウラが艶やかな衣装を身に纏い、手には身長ほどの長さの(しゃく)を持って一同に向かってお辞儀をしている。

 今日の夜会は二人ために開いてくれたものなので、それに対する返礼としてアウラの舞を見せることになっていたのだ。

「ほう?」

 その姿を見てアラン王が感嘆の声を上げる。

 今アウラが着ている衣装はベラにいたときにしつらえた、踊りのための衣装だ。こういう事もあろうかと今回の旅にも持ってきていたのだが……

《うーむ……ちょっと露出、しすぎてないか?》

 これでもベラの踊り子の標準的な衣装に比べたら随分大人しいデザインなのだが……

 ベラだとそれほどとも思わなかったのだが、ここでは少々―――だがアウラは非常に引き締まった体つきをしているし、胸もそう大きくないので、何だかあまりエロティックには見えない。

 どちらかというと中性的というか、少年的というか、そんな感じで……

 だが、多くの人にとってはアウラの姿はなかなか新鮮に映っているようだった。

 人々が小声で口々に何か言っているのが聞こえてくる。

 そこにリュートの和音が鳴り響いた。

 それに会わせてアウラは体をくるっと回すと、手にした錫を天に向かって差し伸べた。

 まるで何ということはない動きだったが、その一動作でアウラはその場にいる人の視線を釘付けにしていた。

 ちらっと横目で見ると、アラン王も目を丸くしてその舞を見つめている

 アウラはゆったりとした音楽に合わせて舞い始めた。

 人々の間から低い歓声が上がる。

 それまでは全体的にざわついていた大広間が、徐々にしんとしていく。

 その中心でアウラは舞い続けた。

 音楽は最初はゆったりしたペースだったが、徐々に速度を増して盛り上がっていく。それと共にアウラの舞にも激しさが加わっていく。

 その頃には人々は息を呑んでアウラを見つめていた。

 フィンはこれを見たのが何度目かだからこそこうして冷静にしていられたが、初めて見たときには顎が落ちそうなほど驚いたものだ。

 それまでのアウラといったら、それこそ薙刀でばっさばっさ敵を切り倒していくというイメージしかなかったのだから……

 しかもそれがエルミーラ王女探索の合間に、ちょっとした暇を見て覚えたものと聞いて二度びっくりしたものだ。

 何しろこの舞は村祭りの出し物などの踊りとは違って、非常に高度な“舞踊”なのだから―――振り付けは複雑だし、高度なバランスを要求される動きもたくさんある。手にした錫を自由自在に操る技術も必要だ。

 常人ならば何年練習したって、そんな振り付けを覚えることさえ不可能だろう。

 しかもそれだけではない。

 舞踊とは振りを覚えればいいというものではない。

 フィンは都にいた頃からこんな演舞を見る機会は多々あったため、上手と下手の見分けは結構ついた―――と言っても難しいことではない。

 本当に上手な舞とは見る者の魂を鷲掴みにするような何かがある。そんな舞を一度見始めたら、引き込まれてしまって終わるまで目が離せなくなってしまうのだ。

 アウラの舞にはまさに人を引きつけて心揺さぶる何かがあった。

《あいつが最初っからあれやってれば……》

 もし彼女もっと小さい頃から良い師匠について学べていたら、いったいどんな踊り手に成長していたのだろうか?

 師匠といえば―――アウラが良い師匠に育てられたのは間違いない。

 だが彼女を育てたのは舞ではなく剣の天才だった。

 彼女が身につけているその師匠の技のすばらしさ、というより凄まじさは今まで何度となく目にしている。

《だから……》

 アウラの舞を見て人々は心動かされた。

 これが素晴らしいものであるということは誰もが理解できた。

 なのになぜか見終わった後、ほとんど寒気と言っていいような感覚を覚えるのだ―――恐怖と言ってもいい。

 多くの人は何故そうなのかは分からないだろうが―――フィンにははっきりとその理由が分かった。

 ナーザは今アウラが踊っているこの舞は、冬の嵐をイメージして作られたものだと言っていた―――そう。アウラがその師匠より伝授された技は、それがどんなに華麗で美しくとも、最終的には暗闇と静寂で終わらざるを得ないものなのだ。

 リュートの音楽とアウラの舞は今や最高潮に達していた。

 果てしなく続く分散和音に乗ってアウラはめまぐるしく踊り狂っている。

 やがてふっと嵐は止み、冒頭のリズムが復帰して音楽が静かに終了する。

 それと共に―――アウラはうなだれるように跪いた。

 フィンははあっと溜息をついた。

 何度見ても素晴らしい……

 それから彼は拍手をしようとしたが―――なぜかあたりは静寂なままだ。周囲を見ると人々は固唾を呑んで彼女を見つめている。

《どうやら終わっても声が出せないらしいな?》

 ベラでお披露目した時もそうだった。初めてこれを見せられたら、大抵そうなってしまうのだが―――と思った瞬間だ。リュート奏者は何と音楽の続きを弾き始めたのだ!

「え?」

 それはアウラにとっても意外だった。

 彼女は驚いて顔を上げると周囲を見回す。

 人々がみんな固唾を呑んでアウラの次の挙動を待ち望んでいる。

 アウラはそんな人々の目線の意味を理解したが―――知らないものは踊りようがない。

《おい! ちょっと待てよ!》

 フィンは慌てて周囲を見回した。

 だが周囲にいた観客は、王も含めて皆アウラが続きを踊り始めるのを待っている。

 この曲に続きがあったことを知らなかったのはフィンとアウラだけのようだ……

《ヤバい! どうしよう?》

 やがてアウラの様子がおかしいことに気づいてリュート奏者が演奏をやめる。

 途端に周囲がざわざわし始めた。

「アウラ殿はどうなされた?」

 アラン王が不思議そうな顔でフィンに尋ねる。フィンはしどろもどろで答えた。

「いえ、あの、あそこまでなんです。続きがあるとは知らなくて……」

「なに? あの後を知らぬと申すか?」

「……はい」

 王は絶句した。

 その表情を見てフィンは天を仰いだ。

《どうやらやっちまった……》

 これが一番の得意演目だったのだが、こうなったら―――謝り倒すしかない!

「あの、申し訳ありません……」

 だが王はフィンの言葉を聞いてはいなかった。

 それからつかつかと前に進むと、拍手を始めたのだ。

 あたりの者は一瞬驚いたが、王に促されてそれに追従する。

 途端に周囲は拍手と歓声の嵐となった。

 フィンはぽかんとそんな王の後ろ姿を見つめていた。

 それから王がアウラに手招きをした。彼女は何が何だか分からないようだったが、ともかく王の元に近寄った。

「アウラ殿。素晴らしい舞であったぞ」

 王に言葉をかけられてアウラはぺこっと頭を下げると謝った。

「あの、すみません、続きあるって知らなくて……」

 だが王はそれを遮ると優しい声で言った。

「いいのだ。それよりその舞、誰に習われた?」

「え? ナーザさんです」

「ナーザ? ああ、エルミーラ姫の教育係をされておられる方か?」

「はい」

 それから王はちょっと考え込むとアウラに尋ねた。

「アウラ殿はその音楽と舞がどういったものかご存じか?」

「はい?」

 アウラはぽかんとしている。

 もちろんフィンも同様だ。

「この曲は遥かなる太古から伝えられる“最古のシャコンヌ”と呼ばれる曲で、元は一本のヴァイオリンのみで弾くように書かれたものだという。その曲にあのミュージアーナが振りをつけたのが、いま貴女が舞われた舞なのだ」

 アウラは黙ってうなずいた。何だか今一つよく分かっていない風だ。

 だがフィンは内心仰天していた。

《ミュージアーナ振り付けだって?》

 あの舞がそんなに由緒のある舞だったとは!―――確かに普通の舞にしては難易度が高すぎだとは思っていたが……

 王は続けた。

「だからその舞を舞える者はほとんど数えるほどしかいなかったのだが……私が知る名人はかつてシフラにいたファルシアーナだが……彼女はミュージアーナその人の高弟だったという。だがファルシアーナ本人の舞は見ることが叶わなかった。あの頃でも既に相当の高齢だったのでな。しかしその弟子が舞うのは見たことがある……」

 何だって? そのファルシアーナはシフラにいたって?

《そういえばナーザさん、ラムルス出身って言ってたけど……》

 もしかしたらそのファルシアーナの弟子だったのだろうか?

 でも、そうだとすると―――そんな“本物”と比較されたらまずいんじゃないのか?

《そういえばナーザさん、アウラが興に乗ったら振り付けを勝手に変えてくるんで、合わせるのが大変だとかこぼしてた気がするが……》

 もしかしてそういう邪道な振りを見て、王は怒ってるんじゃ……?

 だが語る王の横顔に怒りは見えなかった。

「ファルシアーナが言うには、この舞は破壊と創造を表現しているものなのだそうだ……だがタミアの舞を見ても、美しいとは思ったが、今ひとつぴんとは来なかった。今まではわしもその頃は若かったからだと思っておったのだが……」

 王はしばらく過去を思い起こすように宙を見つめる。

 それからふっとアウラに向かうと言った。

「アウラ殿。見事であった。わしはこれほどの喜びはこの何年も感じたことがないぞ。さあ、褒美を取らせよう。何か望みのものはあるかな?」

 王の顔には何やら不思議な安らかな表情が浮かんでいた。どうも何か本気でアウラの舞を気に入ってくれたようだが―――フィンは内心胸をなで下ろした。

 ―――だがそういうときに限ってアウラはしでかしてくれる。

「え? 褒美、ですか?」

 驚いた表情でアウラが答えた。

「ああ。何か欲しい物はあるかな?」

「欲しいと言っても……」

 アウラは考え込んだ。それから顔を上げて王に言った。

「あの、物じゃなくてもいいですか?」

「物ではないとは?」

「実は、いい研ぎ師の人を捜してるんです。知りませんか?」

 そう言ってアウラはにっこり笑った。

 今度は王が驚いて問い返した。

「研ぎ師? じゃと?」

「はい。薙刀がちょっと刃こぼれしてて……自分で研ぐとやっぱりどうしても下手なんで」

 うわああああ!

 王はたっぷり十秒ほどアウラを見つめて、それから笑い出した。

「わははは! わかった。紹介しよう。シルヴェスト一の研ぎ師をな」

「え? そんな一番じゃなくてもいいんですが」

 もうやめろぉぉぉ!!

 もはやフォローのしようがない―――フィンは心の底から諦めの境地に達していた。

 そのときだった。

「アウラ殿、一曲お相手願えませんか?」

 アウラに声をかける者がいる。やってきたのはフィンと同い年くらいのハンサムな青年だ。

「え?」

 アウラは驚いてその青年を見る。

「あ、申し遅れました。私サンダールと申します」

 サンダール? 確か聞き覚えがあるが……

《げえっ! もしかしてここの第三王子じゃないか?》

 たしか、エルミーラ王女の婿候補にも挙がっていたような気もするが……

 そんなことを考えているとアウラが心配そうにフィンの顔を見た。

『行ってこいよ』

 フィンはそうサインを送る。

 アウラには何も喋らせずに黙って踊らせておくのが一番よさそうだ。足を踏んだりするようなことは絶対ないだろうし……

 だがああいった男と踊らせるのは少々引っかかる物はあるが―――まあこういう場だし踊るくらい問題ないだろう。

 それに今度の曲はあんまり密着するようなダンスでもない。

 アウラはそれを見て渋々という感じで王子と踊り始めた。

 だがさすがに王子だ。なかなか様になっている―――というか上手い。

 あっという間に二人はまた注目の的になっていた。

 それを見てフィンは本気で複雑な気分になってきた。フィンとてダンスができないわけではないが、どうも実力はあっちの方が少々上手のようだ。そんな後に踊るのは少々気が引けるのだが、やはりここは一度彼女とは踊っておきたいし―――などと思っていたときだ。

 王の所に伝令が一人慌てた様子でやってきて何やら報告を始めた。

 フィンは聞くつもりではなかったのだが、その中の単語の幾つかが耳に入ってしまった。

「……アウラ様が……侍女が……ヴィニエーラの……」

 その最後の単語を聞いてフィンは飲みかけのワインを吹き出しそうになった。

《ちょっと待て! 何でばれてるんだよ?》

 ここではアウラがヴィニエーラにいたことは伏せておくつもりだったのだ。

 別に疚しいことがあるわけではない。

 だが彼女が郭にいたと言ったら、誰だって彼女が遊女だったと思うだろう。

 たとえそこがヴィニエーラという超高級の遊郭だったとしても―――やはり遊女上がりは遊女上がりでしかない。

 そんな誤解を受けるくらいなら黙っておくのが得策と思っていたからなのだが……

 フィンは慌てて振り返った。

 見ると心なしかアラン王も青ざめているように見える。

「あ、あの、アラン様、今、その……」

 それを聞いて王がフィンの方に振り返る。

「ル・ウーダ殿、聞いておったのか?」

「ええ、その、聞くつもりだったわけではないのですが……」

 王はフィンの表情を見て、それが事実だったと見抜いたようだ。

「ということはアウラ殿はまさか本当に?」

「申し訳ありません。その、隠すつもりは……」

 王は納得してくれるだろうか?

 夜番だったなんて、言い訳にも程があるとか言い出すだろうか?

 だがともかく真実を話すしかない!

 そう思ってフィンが説明を始めようとしたときだった。

「ちょっと待て。あちらに行こう」

 王は途中でフィンを押しとどめると、再びバルコニーに連れ出した。

 それから衛兵にバルコニーの前で番をさせると、二人きりなのを確かめてフィンの方に向き直り、真剣な表情で尋ねてきた。心なしか声が震えているようだが……

「ル・ウーダ殿、正直に答えてくれ。アウラ殿が以前ヴィニエーラにいたというのは本当なのか?」

 こうなってしまったら嘘を言っても仕方がない。

 フィンは大きく溜息をつくとうなずいた。

「はい。おりました」

 王が大きく息を吐きだすと天を仰いだ。フィンは慌てて先を続けた。

「でも、そこで客を取っていたとかそういうことではないんです。アウラは……」

 だが王は再びそこでフィンの話に割り込んだ。

「知っておる。夜番だったのであろう?」

「へ?」

 フィンはぽかんとした顔で王を見る。

 そんなフィンの顔を見つめながら王は続けた。

「彼女は“ヴィニエーラのアウラお姉様”と、そう呼ばれておったのであろう?」

「……ご存じだったので?」

「ああ」

 混乱して言葉の出ないフィンに王が言った。

「“アウラ”という名はそう珍しいものではないが、胸に大きな傷跡のあるアウラだと多分非常に希であろう?」

「は、はい……」

 フィンはうなずいた。

「先ほどの舞のためアウラ殿が衣替えを行った際に、手伝いをした侍女がどうもその傷を見てしまったようでな。その話が衛兵達の間に広まって騒ぎになり始めていたのだ」

「はい……」

「ヴィニエーラは兵士達にとっては人気の場所であったから、多くの者が“アウラお姉様”という女性に関する噂を知っておってな」

 考えたらここは地元だから当然の話かもしれない―――だとしたらそもそもの心配が杞憂だったのか?

《だったらとっとと話しときゃ良かったのか?》

 いや、でもやっぱり自分から吹聴することでもないし……

「えーっと、ですので、そういうわけでして……」

 ともかくあらぬ誤解を受ける心配はなさそうだと思って、フィンがほっと一息ついたときだ。

 いきなり王が尋ねた。

「それでル・ウーダ殿はその頃のアウラ殿のことはよくご存じか?」

「その頃と申しますと……ヴィニエーラ時代の話でしょうか?」

「ああ。そうだ」

 王の顔は妙に真剣だ。

「まあ一応話は聞いておりますが……」

 王はちょっと眉をひそめて声を低くして尋ねる。

「だとすると、ヴィニエーラが炎上した際のことも聞いておるか?」

 フィンは目を見張った。

 あの事件について王は尋ねようとしているようだが―――あれは結構微妙な話だし、アウラのいない所で話してしまっていいものだろうか?

 だがこれはあの事件の真相を知る機会だ。

 別にアウラが悪いことをしたわけではないから、話しても構わないだろう……

 そう思ってフィンはうなずいた。

「はい……」

 それを見て王は更に声を低くして尋ねる。

「ならば尋ねたいのだが……アビエスの丘では一体何が起こったのだ?」

「え?」

 いきなりの本質的な質問にフィンは言葉に詰まった。

 王はそんなフィンを見て、彼の方から話し始めた。

「わしが後から聞いた報告では、あの騒ぎの後、レジェという遊女とその“アウラお姉様”が共に姿を消して、その後を追っていった数名がアビエスの丘の麓で死体となって発見されたということだった。そしてレジェとアウラの消息はその後ぷっつりと途絶えたという」

 それを聞いてフィンは考えた。

《これってどう答えたらいいんだ?》

 彼女に聞いたことをそのまま喋ってしまって―――それでアウラがまずいことになったりしないだろうか?

 とすれば―――これはたとえ相手が王だったとしても確認しておくしかない。これまで話した限りでは、アラン王は強圧的に物事を進めるタイプではないようだし……

「申し訳ございません。それにお答えする前に幾つかお聞かせ願えないでしょうか?」

 王はその言葉を聞いてちょっと眉をひそめたが、すぐに答えた。

「何をだ?」

 フィンは王の目を見つめると尋ねた。

「なぜ……レジェは追われていたのでしょうか?」

 王はちょっと目を見張ったが、それから少し考え込む。次いで顔を上げると尋ねた。

「その理由を訊いてどうする?」

「アウラは一体どのような立場なのかと。彼女はレジェと一緒にいたのは事実ですが、純粋に彼女を守るためだけに付いていったと言います。彼女は何も知らないし、あの事件にはそれ以外に関わってはいません」

 王は黙ってフィンの顔を見る。

 その顔は平静に見えた。

 そこでフィンは続けた。

「城下で聞いた話では、あの事件はある“高貴な人”のスキャンダルをもみ消すために起こされたと聞きましたが……」

 王はそれを聞いて苦笑いした。

「何と……ル・ウーダ殿ももうご存じであったか……いくら隠しても漏れてしまう物よのう」

 フィンは驚いて王の顔を見るが―――笑ってはいるが嘘をついているようには見えない。

「それでは……本当だったのですか?」

「ああ。本当だ……彼にリタイアされると非常に困った事態に陥るのでな。その工作はわしが追認したのだ」

「あの……あの晩の事を話す前に、そのあたりの事情をお話願えませんか?」

 王はまたしばらく考え込んだが、やがてうなずくと話し始めた。

「よかろう。ある高官がいた。彼は有能だったのだが、少々身持ちが悪かった。特に愛人としてディレクトスの男娼を囲うなど、そちら方面ではかなり評判が悪かった。そういった所を敵対者につけ込まれたのだ」

「敵対者、ですか?」

 驚いて問い返すフィンに王はうなずいて続ける。

「ああ。このような立場にあれば敵対勢力の一つや二つはあるものだ。そうであろう?」

「ええ、まあ……」

 フィンは曖昧にうなずく。

「そしてあの晩のことだ。その高官が囲っていた男娼が殺されたのだが、それがその高官の息子の仕業に仕立て上げられそうになったのだ。そこでその高官はやむなく男娼の殺害を強盗のせいにするために工作を行った。すなわち、ディレクトスとヴィニエーラに強盗が入ったことにして、その強盗に男娼は殺されたという話にしたのだ。そしてその話を裏付けるために、実際に部下にディレクトスとヴィニエーラを荒らさせた」

「あの、どうしてヴィニエーラまで?」

「男娼殺害の実行犯ユーリスという男が、ヴィニエーラのレジェという遊女の元に逃げ込んだためだ。だからヴィニエーラにも踏み込まざるを得なかったのだ。ユーリスはそこで抵抗したため殺されたが、彼と深く関わっていたレジェという遊女は逃げていた。そこで後を追わざるを得なかった」

 王はそこまで話してちょっと一息入れる。

 それから再びフィンを見つめると続けた。

「ところが何故かその追っ手は皆、アビエスの丘の麓で冷たくなっていたのだ。しかも全員がただの一太刀で絶命していた。これがもし奴らの仕業だとしたら、ある意味恐ろしいことではないか?」

 そう言って王はじっとフィンを見つめる。

「はい……」

 確かにそんな手練れの暗殺者が敵にいるということだけでも由々しき事態だ。

「だが奴らは何故かそれ以上動かなかった。奴らがレジェを手にしたならば何か動きがあっても良いはずなのにな。結局これが一体何を意味するのか、誰にも分からなかったのだ」

 王は再びじっとフィンの目を見つめる。

「だからわしはそこで何が起こったかを知りたいのだ」

 要するに何か? アラン王には敵対勢力があって、アラン王派の高官がそいつらの罠に嵌ったと? で、その揉み消し工作の一環としてヴィニエーラは潰されてしまったと?

「そのユーリスという男ですが、本当に犯人だったのですか?」

「ああ。それは事実だ。彼は下級警吏だったが、街の外でその男娼を襲って殺したのは事実だ」

「レジェを追わせたのはユーリスと関わり合いがあったからですか?」

「無論だ。男娼の殺害後、ユーリスはわざわざ彼女に会いにヴィニエーラに忍び込んでいる。彼女が関係していると疑うのは当然であろう?」

 それはその通りだが……

「では何で有無を言わさずレジェを殺させたりしたんです?」

「何だと?」

 王が驚いた表情でフィンを見た。フィンは言った。

「追っ手は彼女たちに追いつくなりレジェを殺したそうです。そのためアウラは逆上して追っ手を皆殺しにしてしまったと。どうしてそんな指示が出されていたのでしょうか?」

 王は目を見開いたまま、しばらく何も言わなかった。

 それから静かに言った。

「そんな指示が出されていたとは聞いていない。出すはずもない。もう少し詳しい状況を教えて欲しいのだが?」

 フィンはうなずいた。

「それでは私が聞いたことをお話しします」

 フィンはアウラに聞いたあの惨劇の晩のことを王に話し始めた。

 アウラがレジェの部屋に行くとそこにユーリスがいて何か言い争っていたこと。

 そうするうちにヴィニエーラに賊が押し入ってきて、ユーリスはそれを迎え撃つために出て行ったこと。

 出て行く前にレジェはユーリスとアビエスの丘で待ち合わせる約束をしたこと。

 アウラは夜番の職務として、彼女を守るため一緒について行ったこと。

 そして丘の下で追っ手に追いつかれたこと……

「……そういうわけで追ってきた男達にレジェを人質に取られて、アウラは仕方なく薙刀を捨てたと言います。すると追っ手はその場でレジェを殺してしまったと」

「………………」

 王は驚きのあまり絶句していた。

 フィンは続けた。

「それから男達はそのままアウラも殺そうとしました。しかしアウラは薙刀を拾い上げると、全員を返り討ちにしてしまったといいます」

「そんなことが……」

 王は信じられないと言った顔だったが―――フィンは首を振った。

「彼女がガルブレス様から受け継いだ技は、正真正銘本物です。何だったら証明して差し上げてもよろしいですよ。御前試合でも組んで頂ければ。彼女は最近暴れ足りないようなので、喜んで試合すると思いますが」

 だが王は首を振った。

「いや、それには及ばぬ。間違いはあるまい……ではその後レジェの屍はどうなったのだ?」

「アウラが葬ったと言いました。アビエスの丘の上に……あの世への手向けを何一つ入れてやれなかったと大変悔やんでおりました」

 王は大きく目を見開くと、天を仰いだ。

「何とな……あの丘の上に眠っておるというのか?」

「はい。アウラはそう申しておりました。これが私が聞いた一部始終です。で、話を戻しますが、その追っ手がレジェを殺したりしなければ、アウラもそんなことはしなかったはずなのです。そこが私にはよく分からないのですが……」

 それを聞いて王もしばらく黙りこんだ。

 それから顔をふっと上げると大きな声で笑い出したのだ。

「何と……そうであったのか! ふはははは!」

 フィンは王が笑う理由が分からなかった。訝しむフィンを横目に王は笑い続ける。

 フィンはとうとう王に質問した。

「あの……一体どういう事でしょうか?」

 それを聞いてやっと王は笑うのをやめて、フィンに答えた。

「いや、済まぬ。だが……レジェが殺されておったとは……いや、レジェの死を笑っているのではないぞ。あ奴らめも真っ青だったと、そういうわけでだ」

「どういう事でしょうか?」

 ますますよく分からない。一体王は何を考えているのだ?

「分からぬか? わしらにレジェを殺す理由などないではないか。少なくとも捕らえて事情を聞くのが先だ。だがあちらならばどうだ? レジェがユーリスとつるんで何かを知っていたならば即座に口を封じる必要があるであろう?」

「え? あ!」

 それを聞いてフィンは理解した。

「ということは……追っ手に敵の手の者が?」

 王はうなずいた。

「そういうことだ……これは由々しき事態だと言えるな。あの中に敵の手の者が紛れ込んでいたとは……だがそれはともかくだ。それを奴らの方から見たらどうなる? レジェが姿を消して、追っ手が皆殺しになったのだぞ?」

「ああっ!」

 当然“敵対勢力”は追っ手に裏切り者がいたことがばれたために殺されて、レジェは王の側に保護されたと考えるに違いない! ただその場合、裏切り者以外も皆殺しというのは少々不自然だとは言えるが……

《でもあちら側としても、こっちの手の内を知ってるわけではないんだから……》

 ともかく細かい状況が分からなかったという点では同じだ。

 とすれば―――両者睨み合いで動けなくなるわけだ!

「そうであったか……はっきり言って分からなかったのだ。追っ手を倒したのが奴らだったならば、レジェは既に敵の手に落ちているはずなのに、何故か何も動きがない。まさかアウラ殿が……」

 王は大きく溜息をついた。

「やっと喉に刺さった小骨が取れたような、そんな気分だ……まったく……」

 王は手にした杯をぐっと空にすると、城下を見やった。

 そろそろ遅くなってきているので明かりの数は減ってきていたが、それでもまだグリシーナの夜景は地上の星のように美しい。

 しばらくその光を見つめた後、王は半分独り言のように言った。

「ル・ウーダ殿はご存じだろうか? ベラにいた頃、アイザック殿とルクレティア姫とは随分とつるんで悪さをしでかしていたものだが……」

 いきなり何だろう?

「ああ、ちょっとだけ聞いたことがあります」

「あの頃が懐かしいな……まだシフラも燃えておらず……わしらも若かった。よく語り明かしたものだ。エストラテの河畔でな。いつかは我らの手で世界を掴んで見せようと」

 そう言って王は妙に真剣な目でフィンを見つめる。

「世界、ですか?」

「ああ。ル・ウーダ殿はそういうことは考えたことはないかな?」

 王は真面目な顔でそう問いかける。

「いえ、そこまではちょっと……」

 普通そんなことは考えないだろう? 真面目には―――というか王様になろうと思ったことさえないし……

 特に今では“王”がどういった立場の人間かよく分かっているから、なってくれと言われてもお断りしたい所だ。

 だがやはり王家に生まれたら、そういったことを考えるのが普通なのだろうか?

 だが王にはフィンの答えはどちらでも良いようだった。

 王は遠くを眺めながらふっと笑う。

「だがどうだ? あれからもう二十五年も経っているが、世界はおろかこんな小国を統べるのにも汲々としておる……」

 王は城下の光を、彼がずっと守ってきた光を眺めた。

 そんな王の横顔を眺めながらフィンは考えた。

《これで一件落着なのか?》

 だがフィンは内心判然としなかった。

 あの事件は、とどのつまりはアラン王派の高官のスキャンダルを隠蔽するために行われた工作だったということか?

 そんなことのためにレジェは命を失い、ヴィニエーラの娘達も離散してしまったのか?

 当事者にとってははっきり言って、洒落にならない事態なのだが……

《でもこれは俺がどうこう言えることではないよな?》

 フィンは溜息をついた。

 以前ならばひどい奴らだと怒ることもできただろう―――だが今のフィンには王の立場の方が良く理解できた。

 多分その高官が失脚したら、国内の政治バランスが大きく変わってしまったのだ。

 そうなったらシルヴェストは内部分裂してしまったかもしれない―――そんな状況をレイモンが大人しく見ているだろうか?

《それこそ、千載一遇のチャンスじゃないか……》

 アラン王はそれを避けてこの国を守るため、やむなくそうしなければならなかったのだろうが……

 フィンは以前にアウラが裁判にかけられたときのことを思いだしていた。

 あのアイザック王のやり方は厳密に言えば反則だ。

 確かにバルグールは悪人だったが―――少なくともあの件に関しては被害者だった。

 だがアイザック王はバルグールの別件の悪行を引きずり出して、事件をうやむやにしてしまった。

 そんなことを続けていたら、王の権威に傷がつく恐れもあるというのに―――そうまでしてアイザック王はアウラを守ってくれたのだ。

 もちろん今の彼らがあるのは、その王の決断があったからに他ならない。

 あのような立場に立つということは、決して白いままではいられないということを意味する。そのことは、もう良く分かっていたのではないか?

 フィンが考えなければならないのは、それがフォレスにどう影響するかだった。

 アラン王が清廉潔白だったとしても、それで国が滅んでしまったのでは本末転倒だ……

《ともかく……そういうことにするしかないよな……》

 これ以上事を荒立てても仕方がない。

 だが―――それにしてもちょっと気になるのが王の敵対勢力だ。

 王は敵と睨み合いになって互いに手を出せない状況になったというが―――だとすればその勢力はまだ存在していて、何らかの活動をしているということになる。王はその勢力を掃討したとは言っていないし……

「ああ?」

 そこまで考えて、フィンはある可能性に思い当たり、思わず声を上げた。

 アラン王が振り返る。

「どうなされた?」

 どうしようか? そんなことあるはずないと思うのだが……

《でも、一応話すだけ話してみるか?》

 そこでフィンは恐る恐る言った。

「いえ、ちょっと……その仮定の話なんですが」

「なんだ?」

 王が眉をひそめる。

「実は以前お話ししたグラテスの盗賊団ですが……その“敵対勢力”とは関わり合いはないですよね? まさか……」

 王は一瞬目を見開くと、真剣な声で問う。

「なぜそう思う?」

「いえ、あの街道はシルヴェストにとっては非常に重要な交易路ですから、あそこを荒らせば国にダメージを与えられますし……それに資金源にもなりますし……あ、それにあの盗賊団の財宝はあのとき既に運び去られた後だったし、もしかしたらあいつら消されたのかな、とか……」

 フィンはしどろもどろだったが、王はその言葉に耳を傾ける。

「もう少し詳しく説明してくれぬか?」

「は、はい。その、ボルトス一派がその敵対勢力の手先だったとします。そいつらが少々やりすぎて煙たくなってきたので始末しようと考えた、そうすると結構筋が通るような気がするんですが……」

 王はじっと黙って先を促した。

「それでなんですが……あの賞金稼ぎのロゲロ達ですが、どうもあいつら、財宝がないことをあらかじめ知ってたきらいがあるんです。普通ならまずアジトを念入りに探しますよね。でもあいつら、いきなり首を持って逃げ出したりして……多分その状況はロゲロを煽った何者かに知らされていたんではないでしょうか。ボルトス一派が敵の手先だったからこそ、その内情は敵には分かっていたはずで……」

「それで?」

「はい。だからあいつらは最初からボルトス一派を消すことだけが目的だったんです。その上念の入ったことに、ロゲロ達まで始末されて……」

 話ながらフィンは自分の言葉に半信半疑だった。何の根拠もあったものじゃないのだが……

 だが王はその話に真剣に聞き入っていた。

 あまりに顔が真剣なのでフィンは何だかばつが悪くなってきた。

「あの、あまり真剣に聞かれても……今思いついただけの話なので……」

 彼らが消されたという可能性は、以前にもちょっと考えてみたことはあったが―――まさかそんなことはあるまいとすっかり忘れていた話だ。

 だが王は真顔で答えた。

「いや、これは重要なことかもしれない。奴らにつながる鍵かも……」

 それから王はしばらく考えて、はたと言った。

「とすると、もしやル・ウーダ殿達が手配された一件もこれに絡んでいたりするのか?」

 それを聞いてフィンは愕然とした。

《あれは終わったんじゃないのか?》

 呆然とするフィンに王が言った。

「もしそのロゲロという賞金稼ぎが消されなければならなかったのなら、それに関係していたル・ウーダ殿達も危ないのではないか?」

 ちょっと待て! 何だって? だが……

 いや、確かにその場合、そういうことにもなるわけだが……

《マジ関係てしてたことを知らなかったから?》

 だからこそエレバスはあんなに紳士的に接してくれていたとすれば……

 フィンは背筋が寒くなった。

「だとすると……すまぬが早めにここを発った方が安全やも知れぬな」

「そう……ですね」

 何だか大事になってきた。

 確かにこれ以上首を突っ込むとシルヴェストの内紛に巻き込まれる可能性大だ―――というより、首を突っ込まなくてもここにいるだけで巻き込まれてしまいそうなのだが……

《残念だけど、アラン様の言う通り、早めに次に向かうしかないかも……》

 シルヴェスト王国の中はもう少しゆっくり見ていくつもりだったのだが……

 と、そのときだった。

「あ、アウラ様!」

 衛兵の制止を振り切ってバルコニーに、息せき切ったアウラが飛びこんできたのだ。

「フィン! 何でこんな所にいるのよ!」

「何でって、アラン様とちょっとお話が……」

 それを聞いてアウラは初めて王に気づいたようで、慌てて礼をする。

「あ、すみません」

「構わんよ」

 そんな彼女を見て王は微笑んだ。

「それよりフィン。どうしよう。ねえ」

 何やらひどく慌てているようすなのだが……

「どうしようって、何が?」

 彼女は何があっても大抵マイペースだ。何をそんなに慌てているのだ?

 だが次のアウラの言葉はフィンの脳天も直撃した。

「プロポーズされちゃった」

 ………………

 …………

 ……

「はああ? 誰に?」

 フィンが思わず大声で尋ねるが……

「サンダール様」

「なんだって? サンダール……様?」

 フィンは頭の中が真っ白になった。

《サンダール様だって⁈》

 何を考えてるんだ? 一体? 他人の婚約者に……

「あ奴め? そんなことを?」

 それを聞いて王も驚いた顔で尋ねた。

 そこに今度は王子本人がやってきた。

 彼もアウラを追いかけていたのか、汗をかいて荒い息をしている。

「アウラ殿。こちらでしたか」

 だがアウラは首を振って答えた。

「ごめんなさい。あたしやっぱりフィンが……」

 それを聞いた王子はフィンをじろっと見る。

「ル・ウーダ殿はアウラ殿と何か約束を交わされているのですか?」

 フィンは唖然とした。

《んなもん見れば分かるだろうがっ!》

 王子といえど、フィアンセがいる女性にいきなり求婚するとか、失礼だっての‼

 などとはいきなり言えないので……

「そうですが?」

 と、なるべく冷たい声で言うと、右手の指輪を見せた。

 例の鹿の文様の合わせ指輪だ。これとアウラの指輪を組み合わせて見せてやれば……

「これを彼女の指輪と合わせると……」

 ところがそこで王子が遮った。

「彼女のとは?」

「え?」

 驚いてフィンがよく見ると―――何故かアウラの指には指輪が嵌っていない!

 ちょと待てーっ!

「おい! 指輪は?」

 フィンは思わず彼女の手を取って尋ねたが―――アウラはしれっと答える。

「え? しまってあるけど?」

「何で!」

「だって傷ついたら嫌だし」

 ………………

 …………

 ……

 フィンは床にへたりそうになった。

「いや、だからこういう場合こそなあ……」

 そのやりとりを見ていた王子が笑いながら言った。

「それは私にもまだチャンスがあるということですね?」

 いや、だから……

 敵対勢力よりも何よりも、こっちの方が遥かに問題なグリシーナの夜だった。