賞金首はもっと楽じゃない! 第7章 墓穴は掘られた

第7章 墓穴は掘られた


 それから約一週間。

 フィンとアウラはグリシーナに向かう荷馬車の上にいた。

 御者台でバラノスが手綱を持ち、助手席には大きな麦わら帽子をかぶったフィンが腰掛け、荷台にはアウラとハスミンが日傘を差して座っている。

 ちょっと見には田舎の家族がグリシーナまでお出かけ中といった風体だ―――実際、アウラがハスミンの姉で、フィンがその旦那という設定になっていて、あながち間違いとも言えないのだが……

「それでねえ。そのマーサさんがね、おっかなびっくりでメル君のそばに近づいてったのよ。いくら大人しいから大丈夫だって言っても信じてくれなくて。メル君、体が大きいからそりゃ噛まれたら痛いけど、大丈夫なのよ。甘噛みしかしないから。だからこんな風にすっごく腰が引けててね、でもメル君はマーサさんが遊んでくれると思ったみたいなのよ。それでワンっていってマーサさんにじゃれつこうとしたのよ。そしたらマーサさんびっくりして後ろにこけて、そのままでんぐりがえりしながら坂を転げていったの。回りもびっくりで、でも笑うわけにも行かないし……」

 後ろでは相変わらずハスミンが喋り続けている。

 アウラに聞いたときには、さすがにずいぶん誇張が入ってるよなあと思っていたのだが―――彼女は間違いなく正確にハスミンのことを伝えていたのだ。

 それに対して旦那のバラノスの方は非常に寡黙だった。

 フィンはちらっと彼の方を見る。四十過ぎの見るからに農夫といった風貌だ。

 だがこの何日かのつき合いで、彼はとても信用が置ける人物だということも分かっていた。

 自分からはあまり喋らないが、人の話はよく聞いているし、コメントするときはいつも的を射ている。

《ハスミンはいい人を見つけられたみたいだな……》

 聞けば最初は小作人だったらしいが、あの農園の先代に見込まれて後を継いだらしい。

 そして彼の代になって農園は更に発展して、今ではロタ村近辺では一二を争う大農園の経営者だ。

「ねえお姉ちゃん、お姉ちゃん! アビエスの丘ってあの先だっけ?」

「ううん。まだまだよ」

 ハスミンはこの旅の“設定”のためアウラのことを“お姉ちゃん”と呼ぶようになっていたが、最近はそれが板について何だか本気で姉と妹のようになってきていた。

 アウラも今まで姉妹というものがいなかったせいもあってまんざらでもない風だ。

「そうだっけ? もう随分来たと思うんだけど。やっぱり四人も乗せてたらフェムルでも疲れちゃうのかしら?」

 フェムルというのは彼ら四人の乗った荷馬車を引いている農耕馬の名前だ。

 彼にとっては四人ぐらい大したことはないだろうが、足は元々速くない。

 それに今日は曇り気味とはいってもまだ真夏だ。馬のペースもそう上げられる物ではない。

 そんなことを考えているうちに、ふっと懐かしい顔が思い出された。

《そういやそうか……ハスミンってあいつに似てるか? 少し……》

 もちろんハスミンと会うのは今回が初めてだったが、何故か最初からすぐ馴染めてしまった。当初はアウラからずっと彼女のことを聞かされ続けてきたためだと思っていたのだが……

《ティアか……あいつ今どうしてるかな?》

 そうなのだ。

 彼女はフィンの妹のエルセティアにどことなく雰囲気が似ているのだ。

 姿形が似ているわけではない。ティアの方がもっと痩せていて胸もないし―――それに良く喋る方ではあったが、あそこまでのお喋りでもないし。

《ただ、そうだな……何にしても妙に前向きな所とか、結構かぶるかな?》

 何でこんなことを思い出してしまったのだろう?

 考えてみれば今回の旅はこれで終わりなのだ。

 終わりといってもカロス山脈越えは半端ではないことにはなりそうだが―――その上、密輸業者とコンタクトして道案内もしてもらわなければならないだろうし……

 だがそれが終わればその後はフォレスに直行して、今回の顛末をアイザック王に伝えることになる。そこで今回の視察旅行は終了となるだろう。

 だがそうすると―――都に寄れなくなってしまうのだ。

 実のところフィンは、両親と妹を放り出して都を出奔していた。

 両親と喧嘩したとかそういったわけではない。いろいろあって最初はちょっと自分を見つめ直す旅を―――そんな感じで、一年ぐらいで戻るつもりだったのだ。

 だが何となくずるずる放浪している間に、あんな風にフォレスで仕官することになってしまって―――その上、旅先で出会ったアウラを妻に迎える予定でもある。

 さすがにこれはせめて両親には報告しておかなければならないだろう。

 今回の旅行はそんな目的もあったのだが、このドタバタでは先送りにせざるを得ない。

 実はそれで内心少々ほっとしていたところもあった。

 戻ったら何と言われるか分かったものではないし―――それに……

《ううん、もうそのことは考えるな!》

 フィンは首をふる―――あれはもう終わったことだ!

 それに責められるようなことは何もしていないではないか⁈

《ともかく……騒ぎに片が付いたら一度都に戻ることにするさ。アウラを連れて……》

 それで万事は解決だ。

 だが―――そのためにはまずこの国から脱出できなければならないのだが……

「……でね、そうそう。初めてここに来てフェムルに会ったときにはびっくりしちゃったのよ。それでおどろいて、うわーすごい! 大きい! とか叫んじゃって、そうしたらパパがねえ、うちの馬の中じゃ二番目なんだけどね、とか言うのよ。それであたし一番大きなのを見せてって頼んだの。それで見せてくれたのがアマンタだったのよ。確かに体は大きいのよ。でもアマンタって“彼女”でしょ? あたしがっかりしちゃって……」

「ああ、あれってすごいものねえ。馬並みとか言ったって本物にはかなわないわよね」

「そうなのよ! あはははは」

 相変わらずハスミンは喋り続けているが―――アウラが来たことによってかなりヴィニエーラモードになっているようだ。まだ若い娘と言っていいのに、真っ昼間から息つくように下ネタが出てくるのは、はっきり言って大したものだ。

 おまけにアウラも全然動じることなく相づちを返していくし……

 お陰で宿に泊まっているときは、バラノスが二人に釘を刺さなければならなかった程だ。

 酒が入ったら二人ともますますターボがかかってくる。そういうのを他の客とかに聞かれたら、やっぱり少々まずかろう……

 そのせいか誰にも気兼ねしなくていい荷馬車の上では、ハスミンはもう言いたい放題だ―――なのに聞いていても全然嫌らしく感じられないのは、それが彼女の人徳というものなのだろう。

 フィンはハスミンの話を聞きながらずっと苦笑しているバラノスに尋ねてみた。

「彼女はいつもはあそこまで言わないんですか」

「ええ、まあそうですね」

 農場暮らしは彼女に結構合ってはいるみたいだが、それでもいろいろ抑えなければならないこともあるのだろう。まあ何から何まで問題なしなんてことは望めないのが世の中だが……

 そんなことを考えているとバラノスが言った。

「見えましたよ」

 前方にアビエスの丘の頂きが見えてきていた。頂に木が三本生えているのでよく分かる。

「ええ? ほんと? ほんと?」

「あ! 見えた」

 ハスミンとアウラが歓声を上げる。

 それからしばらく荷馬車を走らせるとアビエスの丘の麓に到着した。

 一行は荷馬車から降りると荷物を持って丘を登り始めた。

 ハスミンとアウラは身軽だが、バラノスはランチ用の大きなバスケットを持っている。

 気温は高かったとはいえ曇っていたので、以前来たときよりは暑く感じなかった―――といっても、坂道を上っていくと汗がだらだらと吹き出してくる。

 閑散とした木立の間を抜けると広い草原になっていて、頂上の三本の木が見えた。

「どこなの? お姉ちゃん?」

「あっち。あそこを越えた所」

 それを聞いたハスミンがほとんど小走りになった。

「あ、ちょっと待ってよ」

 それをアウラが追っていく。

 やがて二人は丘の端を越えて見えなくなった。

 フィンとバラノスはそこまで急がなかった。一緒になって走っても仕方ない。

 それよりバラノスの持っているバスケットは結構重そうだが、ちょっと代わりに持ってやろうか? フィンがそんなことを思ったときだ。


「いやああああ!」

「ええええ?」


 二人の叫び声が聞こえてきたのだ。

「何だ?」

 フィンとバラノスは顔を見合わせる。

《まさか……敵がいたのか?》

 二人は走り出した。坂を上りきるとすぐにレジェの墓だ。見ると―――墓の前でアウラとハスミンが顔を手で覆って立ちつくしている。

《何なんだ?》

 だが彼女たちの側に到着すると、同様に声を上げざるを得なかった。

「ああああ? 何だこりゃ?」

「どうしたんです? これは?」

 彼らがそこに見たのは―――何者かにひどく掘り返されたレジェの墓だった。

 ………………

 …………

 墓を荒らした奴らはあまり死者に敬意を表する気はなかったらしく、辺りには乱雑に土が散らばり、一応は埋め戻されていたが表面はぐちゃぐちゃだ。

「誰が……こんなことを?」

「ひ、ひどい! 誰よ! だれがレジェ姐のお墓をこんなにしたのよ! ひどい! ひどい! ひどい! お姉様! どうして? 誰がこんなこと?」

 ハスミンはアウラに抱きついてぼろぼろ涙をこぼし始めた。

 アウラも呆然と荒らされた墓を見つめている。

《何だよ? これは?》

 フィンも頭が真っ白だった。

 いったい何と言えばいいんだ? あいつら一体何を考えてやがる? 可哀想な娘をゆっくり眠らせておいてやることさえできないのか?

 フィンの心にふつふつと怒りが湧き上がってきた。

《ふ・ざ・け・る・な・よ?》

 一体どうしてくれよう? ここまで心根の腐った奴らだったとは!

 アウラの体が震えている。頬には涙が一筋流れている―――当然だ! これで怒らなきゃどこで怒る?

 あのくそ野郎共! 気でも狂ったか? こんなことして何になる?

《大体レジェは何も持ってなかっただろ?》

 アウラはそう言っていたはずだ。

 死出の旅立ちに何も持たせてやれなかったって―――レジェが持って行けたのは、スミレの花束だけだったって……

 聞いていなかったのか? 掘ったって何も出やしないんだよ……

 ………………

 …………

 と、そのときだ。


《掘っても……何も出ない?》


 フィンの頭の中で様々なことが渦を巻き始める。

《いや、違うんじゃないか⁈》

 なぜ奴らはレジェの墓を暴いた?

 いくら何でも、死者を辱めるためのわけがない―――だとしたら別な理由があったはずなのだ。

 そんな理由があるとすれば、ただ一つ―――奴らは“何かが出てくると考えた”からだ……

 だが、レジェは何も持っていなかった。

 なのに、どうして何かが出てくると?

 ………………

 …………

 え⁈

 その瞬間、フィンの頭でいろんなことが符合した。

《マジ……かよ?》

 それは最初あまりにも馬鹿馬鹿しく思えて、フィンは首を振って考え直した。

 何度も何度も考えなおした。

 だが―――この考えって結構行けそうなんじゃ? 今まで謎だったことにいろいろと説明がつくように思うのだが? とすれば……



「だーっはははははははは! 奴ら、奴ら……」

 フィンはいきなり頭を抱えながら何度かぐるぐる回ると、大声で笑い始めた。

 アウラは彼が狂ったのかと思った。

 うち沈んでいたハスミンとバラノスも、ぽかんとフィンを見つめる。

 だがフィンはそんなことは意に介さず、笑い続ける。あげくに……

「掘りやがった! 墓穴を! 墓穴を掘りやがったぜ!」

 などと口走り始める。

《なんなの? こいつ……》

 一同は顔を見合わせると、アウラが尋ねた。

「どうしたのよ?」


「だーっははははは! 墓穴を掘って墓穴を掘りやがったーっ!」


 今度は跪いて地面をばんばん叩き始める。

「フィン!」

 埒があかないので少々怒気を込めてその名を呼ぶと―――彼はやっと笑うのをやめたのだが、今度は妙に真面目な顔でおかしなことを尋ねてきた。

「なあ、レジェ姐さんって丸飲みの特技とかなかったよな?」

 はあ?

「そんな? あるわけないでしょ?」

 アウラは目を丸くして答えた。

 大道芸人にはときどきとんでもない物を呑み込めるという芸をする者がいるが、当然レジェはそんな特技は持ってない。

 それを聞いたフィンは更に失礼なことを言い出した。

「なあ、雌鳥ごっこってヴィニエーラでもやってたよな?」

「え?」

 アウラは呆然とした。

《雌鳥ごっこ⁉》

 当然だ。ヴィニエーラで行われる“雌鳥ごっこ”とは、卵形のおもちゃを孕んだり産んだりする大人の遊びなのだ。こんな状況で尋ねるべきことではない。

 だが彼女が答えないのでフィンは同じことをハスミンにも尋ねた。

「え? そりゃやってましたけど? あたしなんか二つくらいしか入らなくって……てなに言ってるんですか?」

 さすがのハスミンも顔を赤らめる。だがフィンは畳みかける。

「当然レジェ姐さんもやったことあるよね?」

「ちょっと、何が言いたいのよ?」

 思わず体が震えてくるが―――だがフィンは平然と言い返す。

「いや、だから雌鳥ごっこは当然レジェも……」

 アウラの中で何かがぷつんとキレた。

「ふざけないでよ?」

 次の瞬間、アウラは薙刀を抜き放つと、その刃をフィンの喉元に突きつけた。

「わわわ! 危ない! 何するんだ?」

 フィンは慌てて尻餅をついたが―――アウラは更に薙刀を突きつけると震え声で言った。

「これ以上言ったら……殺すわよ?」

 視界が涙でにじんでいる。

「違う! 違うんだって」

「何がどう違うのよ!」

 さすがに危険と思ったのか、そこにバラノスが割り込んだ。

「フィンさん、どうしたんです? いったい?」

「ああ、すみません。いや、冗談じゃないんです。でももしかしたら分かったんですよ」

「分かった?」

「ああ。あのとき一体何が起こってたか。それがね」

 あのとき起こっていたこと?

「どういうことよ?」

 アウラが尋ねると……

「説明するから、ともかくそれをどけてくれよ」

 フィンが彼女の薙刀を指さす。

 そこで渋々薙刀をしまうと、フィンは大きな溜息をついた。



《うはーっ! しまった……》

 嬉しさのあまりちょっとハイになりすぎたようだが―――それにしてもアウラは、夫婦喧嘩になったらこりゃ間違いなく命がけだ……

「ともかくここじゃ何だから、とりあえず上の木の所まで行きましょう」

 フィンは三人を前回来た時に休息した木陰に誘った。

 三人はうさんくさそうな顔で付いてくる。

 行く途中に再度考えをまとめ直してみる。

 だが何度考えてもおかしな点は見つからない。それどころか符合することばっかりだ……

 木の下でみんなが腰を下ろすとまずフィンは謝った。

「すみません。ちょっと重要なことが分かった気がしたんで、それで嬉しくなっちゃって……ともかくこれから説明するからちょっと聞いてください」

 三人は曖昧にうなずいた。

 次いでフィンは彼らに問いかけた。

「まず最初に、あいつらレジェ姐さんの墓を荒らした訳ですが、それって何故だと思いますか?」

 いきなり尋ねられてアウラとハスミンは口ごもる。

「何故って……」

 それを聞いてバラノスが言った。

「何か出てくることを期待したのでしょうか?」

「ああ、まさにそうなんです」

 フィンはうなずいた。

「でもレジェは何も持ってなかったわ」

 アウラが口を挟む。フィンは彼女の方を見て答えた。

「ああ。確かに。でもこの墓を掘り返した奴らはね、何か出てくると考えていたから掘ったんだ。それ以外に掘り返す理由なんて無いだろ? すなわちだ。奴らはレジェが何かを持ってたってことを確信してたんだ」

 三人は顔を見合わせる。

 フィンは続けてアウラに尋ねる。

「でも彼女が何も持っていなかったのはお前が確認した。そうだよな?」

「う、うん?」

 アウラはうなずいた。


「でも、レジェ姐さんの体の中までは確認してないよな?」


「え?」

 アウラが凍り付いた。

 その瞬間、他の者達もフィンが言わんとしたことが分かったようだ―――やがてハスミンがおずおずと尋ねた。

「ああ? じゃあフィンさん、レジェ姐が……その、卵、入れてたって……そう言うんですか?」

 フィンはうなずいた。

「その可能性が非常に高いんじゃないかと思うんです。正確にはあの卵型の入れ物になってて、その中に何か大切な物が入ってたんだと思いますが……」

「いったいどうしてそんなことが言えるんですか?」

 バラノスが尋ねる。当然の疑問だ。

 そこでフィンは答えた。

「これから話すのは僕が想像したことなんですが……多分そんなに間違ってないと思います」

 それから大きく深呼吸すると話し始めた。


 ―――ユーリスはパルティールに対して恨みを抱いていた。そのためこっそりとディレクトスを調べていた。ディレクトスはパルティールやその父親のフェデレ公がバックについていたためだ。

 そこはともかく、あの日ユーリスは男娼と接触して、多分ディレクトスではないどこかで、その男娼から“卵”を奪って殺した。

 ユーリスはその中身を見て、それがとんでもなく重要な物だと知った。そこで彼はそれを持って逃げたが、男娼の仲間の追っ手がかかった―――


「何でディレクトスじゃない場所で?」

 バラノスの問いにフィンは答えた。

「あ、これは別な所で聞いたんですよ。男娼が殺されたのはどこか別な場所で、その後、強盗の仕業にするためにディレクトスとヴィニエーラに火を放ったって」

「そうなのですか……」


 ―――ユーリスはその足でヴィニエーラに行った。

 理由は今ひとつよく分からなが、多分本当に敵の一味ではないと信じられるのがレジェだけだったからだろう。

 そこでユーリスはレジェに“卵”を託した。

 もちろん彼はその後、追っ手を捲いてアビエスの丘で彼女と待ち合わせるつもりだった。

 最悪行けなかった場合でも、卵はレジェが持っている。だから多分彼女には、もしユーリスが丘に来なかったらこれを王の元に届けてくれ、などと頼んでいたのだろう。

 もちろんいきなりそんなことを言われたら困ってしまうわけで……

 アウラが来たのはまさにそんなときだった。

 だが、ユーリスは事を少々甘く見すぎていた。追っ手が予想以上に早くヴィニエーラに来てしまったのだ。だから慌てて出て行ったが―――そこで追っ手と鉢合わせしてしまって、戦ったが倒されてしまった。

 だがそこで追っ手は不思議な行動をしたのだ。殺したユーリスの腹を裂いて内蔵を引きずり出すなどという―――


 そう言ってフィンはハスミンを見た。これは彼女が語ってくれたことだ。

 ハスミンは目を丸くして手で口を覆う。

「その理由は彼が卵を持っていなかったからでしょう。だから彼自身が卵を入れてないかどうか確認するためにそうしたんだと思います……」

 三人は黙って顔を見合わせた。

 フィンは続けた。

「レジェ姐さんとアウラがその後どうしたかは、既にお話ししたとおりです。そしてこの丘の麓で敵に追いつかれてしまったわけですが……」


 ―――レジェはユーリスに何としてもその卵を守ってくれと言われていた。そして敵が来たとき、彼女はとっさにそれを―――自分のアソコの中に隠した。

 普通の女性ならともかく、ヴィニエーラの遊女であった彼女には何の抵抗もない行為だったし、そのときは一番安全な場所だと思ったからだ……

 そこで運悪くレジェは人質に取られてしまった。そのため動けなかったアウラの前で、敵は虫けらのように彼女を殺してしまった―――


「そのことから僕は最初、彼女は何かの秘密を聞かされていて、そのために殺されたんだと思っていました……だとすれば、もはや死人に口なしで……秘密を知る手段はもうありません」

 フィンはそこで一息つくと―――にやっと笑う。


「でも奴らは勝手にそうじゃないことを証明してくれたんです」


 そう言ってフィンはレジェの墓のに目を向けた。

「奴らは墓を暴いたことで、彼女が何かを持っていたはずだと教えてくれたんです。それも体の中に入っていて、三年ぐらい土に埋まっていても腐らないような代物だとね」

「……で、卵ですか?」

 バラノスが尋ねると、フィンはうなずいた。

「はい。あの類の“おもちゃ”なんですが、上等なものだと漆塗りで、濡れたって全然平気ですよね? 実際何年か埋まってるくらいじゃ腐らないんですよ。というか、そういう入れ物だからこそ、その中に大切な物を入れて運ぶのに適してたんだと思います。さらには緊急時にはそうやって隠しやすいということもあったと思いますが……」

 三人は黙ってうなずいた。

「でもそれだったら少々おかしいんですよ。もし奴らが姐さんが持ってた“物”を狙って追ってきたのなら、まずその“物”の有りかを吐かせようとするのが当然でしょう?」

「そうですね」

 バラノスがうなずく。

「ところが奴らはそうしなかった。そこでずっと勘違いしてたんですが……実は奴ら、ちゃんとそうしてたんです」

「そうしてた?」

「はい」

 フィンはうなずくと横にいたアウラの肩を抱いた。

「ん、なに?」

 フィンは驚くアウラに尋ねる。

「あのとき追手はレジェ姐さんを捕まえて何かささやいたって言ったよな?」

「うん」

 アウラがうなずくと、フィンはゲスっぽい笑みを浮かべてアウラの耳元に口を近づける。

「それってな……『あれはどこだ? へっへっへ、やっぱアソコか?』……とかそんな感じだったんじゃないかと……」

 聞いた一同の顔が赤くなる。

 フィンはアウラの肩から手を離す。

「これが卵じゃなかったらさすがにこんな訊き方はしなかったでしょうが……でも追っ手の方もそれが元々どういう使われ方をする物か知ってたとすれば……」

 フィンは再び三人の顔を見た。

「だからレジェ姐さんは図星を指されて慌てたんです。それから『知らない!』とか叫んだにしても……その表情から追っ手は彼女がそれを持ってることを確信したんです」

 三人は愕然とした表情でフィンの話を聞いていた。

「だとすれば……もう彼女の方は用済みです。その上、目の前にもう少し厄介そうな奴がいる。だからこいつに薙刀を捨てさせるために嘘を吐いた挙げ句、さっさとレジェ姐さんは始末してしまったんです」

 フィンはちらりとアウラの顔を見る。

「それから奴らはこいつまで殺そうとしたわけですが……馬鹿なことに、あいつらがもう少し慎重だったら何もかもが変わってたかもしれないのに……」

 アウラがうつむいて肩を震わせ始める。

 フィンはその肩に再び手をかけて、今度は優しく抱き寄せた。

 それからフィンはアウラに言い聞かせるように続けた。

「ともかく奴らは返り討ちにあったわけです。そして彼女の亡骸はこいつがそこに葬ってしまった……その結果、奴らの側からしたら、それはとんでもない謎になってしまったんですよ」

 フィンはにやっと笑う。

「何しろ追っていった奴らが全員、丘の麓で一刀両断されていて、挙げ句にレジェも卵もどこに行ったかまったく分からないんだから……多分奴ら、しばらくはその卵が敵に渡って謎が明かされないかと、夜も寝られなかったでしょうね」

 フィンはアウラの髪を撫でた。

「でも……いくらたっても相手は動きを見せない。そこで卵は単に失われていて、敵には渡っていないのではないか? などと思っていた所にやってきたのが俺達だったと、そういうわけです」

 そしてフィンは再びバラノスとハスミンの方を向いて言った。

「最初俺達は何で奴らに狙われてるかさっぱり分からなかったんですが。でも今なら分かります……それはレジェ姐さんの墓の場所だったんです」

 フィンはふり返ってその場所を見た。

「そこに奴らにとって何よりも大切な物が埋まってたんだから……あいつらから見たらさぞ危なっかしかったでしょうね? 何をしてでも奪還したい秘密のすぐ側で俺達はふらふらしていたわけだから……」

 再びフィンはふっと笑った。

「そして……墓の位置が分かった以上、俺達は用済みだった。そこで事故を装って殺そうとした。と、まあ、こんな感じだったと思うんです」

 フィンは話を終えた。

 しばらく誰も、ハスミンでさえも口を開かなかった。

 それからやっとバラノスが言った。

「それって……本当なんですか?」

 フィンは首を振る。

「いや、はっきり言って想像にしか過ぎないんですがね」

「それじゃどうしようもないのでは……」

 だがバラノスの言葉をフィンが遮る。

「いや今回は違います」

 バラノスが不思議な顔でフィンを見る。

「どういうことです?」

 フィンは再び大きく息をついてから答えた。

「ユーリスは男娼を襲ってその秘密の卵を手に入れたわけでしょう?」

「はい。そうですが?」


「だったらこっちも男娼を襲ってみたら、同じような物が手に入るかもしれませんよね?」


「はあ?」

「ええ?」

 バラノスとハスミンが驚いて声をあげる。

 同時にアウラも弾かれたように顔を上げた。

「それって……あいつらに仕返しできるってこと?」

 フィンはうなずいた。

「ああ。もし俺の想像が当たってたら、だけどな」

 アウラの表情にぱっと光が差した。

 それはフィンにとっても同様だった。

 今回の件はアウラだけでなく、フィンにとってもひどいストレスだった。

 わけも分からず命を狙われた上に、関係した者が何人も、まさに彼らに関係したという理由で命を落としているのだ。

 もちろんその死に彼らが直接責任があるわけではない―――だが無関係と切って捨てることもできなかった。

 自分たちのためだけでなく、彼らのためにもしてやれることはないのか?―――彼は今までずっとそう心に問うていた。

 だが、今の今までできることは何もなかった。

 だから、せめて生きて戻ること―――生きてさえいればいつか彼らの無念を晴らす機会もあるだろうと、そう考えてシルヴェストを脱出しようとしていたのだ……

 だがここでなぜか、とんでもない可能性が見えてしまったのである。

 上手くいけば奴らに一矢報いることさえできそうだし……

 それに今これができるのは彼らだけなのだ。

 それだけでなく―――もしかしたら現在のフィンの任務にも直接関わりそうなのだ……

「で、どうする?」

 フィンはアウラに微笑みかける。

「うん」

 彼女が微笑み返した。

 それを見てフィンはうなずくと、バラノスとハスミンに言った。

「そういうわけなんで俺達、ちょっとこれから過激なことをしようかと……それで、あなた方には本当に感謝してます。でもこれからは本当に危険になりそうなんで、ここでお別れした方がいいと思うんですが……」

 だがバラノスは首を振った。

「いや、今更そんなことを言わないで下さいよ」

「え? でも……」

「そーよそーよ。水くさいじゃないの」

 状況が分かってないのか? これ以上彼らを巻き込みたくないのだが―――今でも十分に危険なのに……

 だがフィンがそう言う前にバラノスが問い返してきたのだ。

「すみません。一つお尋ねしますが、フィンさん、あなたその卵の中に何が入ってたと思いますか?」

「え? そりゃ何とも言えませんが……」

 想像はつくのだが―――それを聞いてどうするつもりだ?

「お話を聞いて私も考えてたんですよ。卵って、そんなに大きな物じゃないですよね?」

 聞いていたハスミンが口を挟む。

「え? ウズラくらいのから鶏くらいまでいっぱいあるのよ。でもやっぱり鶏のサイズを入れると結構大変で……」

 バラノスは分かったというようにハスミンにうなずくと続けた。

「まあ、ともかく、そのくらいのサイズの容器に入っていて、すごく貴重な物って、そりゃ色々考えられますが―――でも中でも一番危険な物といったら、やっぱり密書の類じゃないかと思うんですよ」

 げ! バラノスさん、鋭い!

 その可能性はフィンも一番考えていた。

 もしそれが密書だとすると、当然誰かと誰かが連絡を取り合っているということで……

「私、グリシーナにはよく商用で出かけるのですが、その途中、結構ディレクトスの馬車を見かけるんですよ。ハスミンも言ってましたが、ディレクトスって男娼の入れ替わりがかなり激しいようでして、その入れ替わりの先って……やはりシフラとかバシリカあたりですよね?」

 どうやらバラノス氏は気づいてしまったようだ。

「やはり……そんなに良く会いますか?」

 バラノスはうなずいた。

「え? なに? どういうこと?」

 ハスミンが不思議そうな顔でフィンとバラノスを交互に見つめる。

「だとしたら……すごく危険だって事、お分かりですよね?」

 だがバラノスは首を振った。

 それからじっと真剣な目でフィンの顔を見る。

「おっしゃることは分かりますよ? でも……実は私の両親はラムルス出身なのです」

「え?」

「元はラムルスの王宮に仕える身だったといいます。それがあの戦いで全てを無くして、こちらに流れてきて、今の農場の先代に雇われたのです」

 フィンは目を見張った。

 バラノス氏にそんな経緯があったのか―――だとすれば……

「これを放置したらどうなりますか? またこの国が滅ぼされてしまうようなことにはなりませんか? そうしたら今のこの暮らしはどうなりますか?」

 バラノスがふっとハスミンを見る。

 それから振り返ってフィンをまっすぐ見つめると、言った。

「レイモンの奴らにまたぶっ壊されるなんてことになりませんか?」

「まだそう決まった訳では……」

 そうは言いつつも、フィンはうなずかざるを得なかった。

 そうなのだ。

 男娼文化の中心地は旧ウィルガ王国のバシリカであった。ディレクトスの馬車がそこと頻繁に行き来するのは自然だが―――バシリカは今ではレイモン王国の一部なのだ。

 すなわち、その馬車に密書が積んであったとしたならば、それはシルヴェスト国内にレイモンと通じている勢力がいることを意味することになる。

 そんな奴らが敵だとすれば―――この必死さは全て説明が付く。

 当然だ。もしフィンがその仲間の責任者だったとしても、秘密を知った者はともかくみんな消せと指示を出すことだろう。

 そしてそんな奴らがいるとなると―――それはフィン達の今後に大きく関わってくるのも間違いなかった。

 もちろんその陰謀を阻止せよなどと言われているわけではない。

 だがこれを放置して帰ってしまって、後からクーデターなどが起こってしまったら、どういうことになる?

 もちろん、彼らに責任はない。

 でも―――そう。一生悔やんで生きていくことになるのだ。

 やって悔やむか、やらずに悔やむか―――どっちもどっちかもしれないが……

 もちろんまだ『そうだったとしたら』という状況だ。

 だが今回状況が異なるのは、街道を行くディレクトスの一行を調べれば、その証拠が手に入るかもしれないということなのだ。

「本当にいいんですか?」

 フィンが心配そうに尋ねると、バラノスが答えた。

「私より貴方がそこまでしようとする事の方がよく分かりませんが?」

 フィンはぎくっとして一瞬絶句した。

《この人は……》

 それからフィンは答えた。

「レジェの無念を晴らしてやりたい……アウラのために、だけじゃだめですか?」

 バラノスはしばらくじっとフィンを見て、それからうなずいた。

「わかりました……でもこいつは……」

 そう言って彼がハスミンの方を向いた瞬間だ。

 ハスミンはバラノスの腕に抱きつくと言い始めた。

「なに? それ? もしかしてあたしを仲間はずれにしようとしてるでしょ? 分かるのよ。どうしてレジェ姐の敵討ちに混ざっちゃいけないの? いや! いや! いや! あたしだけ仲間はずれにしないでよね?」

 そんな彼女をバラノスが諭そうとするが……

「お前、何しようとしてるか分かってるか?」

「パパがあたしを仲間はずれにしようとしてるって事は分かるわ。どうしてそんなこというのよ?」

「でもこれは……」

「パパだって危ないんでしょ? お姉様だってフィンさんだって。どうしてあたしだけのけ者なのよ? そんな意地悪言わないでよ。そんなこと言ったらパパのあのこと言いふらすわよ」

「こ、こら! でもだなあ」

 口げんかでは間違いなくバラノス氏に勝ち目はなさそうだ。

 どうしようか? ここまで来た以上一人で帰れとも言えないし―――それにまだ具体的にどうすればいいかも決まっていない。準備段階の間なら、いてもらってもいいかも……

 そこでフィンは言った。

「ともかくもうしばらくは一緒にいましょう。色々準備をしなければならないと思いますし。そのためにハスミンさんがいた方がいいかもしれないし」

 バラノスは不承不承うなずいた。

「わかりました」

「きゃー! やったー!」

 絶対何か間違えてるだろ?

「そうと決まったら、まず何か食べましょ? お腹すいてない? お姉ちゃん」

「え? うん」

 言われてみたらその通りだ。

 そこでバラノスが持ってきたバスケットを開く。昨夜泊まった宿屋で作ってもらった弁当だ。

「わあ! おいしそう」

 アウラが満面の笑みになる。

 それから四人は食事を始めたが―――それは見かけだけでなく味もなかなかだった。

「あそこの宿屋さん、お料理の腕いいのね。覚えとかなきゃ」

 そんなこんなでお腹が一杯になったところでハスミンがまた喋り始める。

「それにしてもフィンさん、すごいですねえ。あんな事からこんな秘密が分かっちゃうんだ」

「え? まあそうかな?」

 誉められるというのはまんざらでもない―――とは言っても、まだ証拠を掴んだわけではないのだから、そのあたりははっきりしておかないと……

 などと言おうとしたときだ。ハスミンは続けた。

「でもフィンさんって、すごくエッチなんですねえ。びっくりしちゃいました。一見まじめそうなのに。やっぱりムッツリなんですか? あ、怒らないで下さいね? 男の人ってみんなそうですから。でもフィンさんもやっぱりそうなんだなあって」

 ぶはっ!

 フィンは頬張っていたサンドイッチを少々吹き出してしまった。

「な、何でだよ⁈」

 ハスミンはニコニコしながら答える。

「だってレジェ姐の体の中に何かあったって分かった瞬間に、卵だって思ったんでしょ? 普通そんなこと思わないと思いますよ? それはあたしだってよく使ってたけど、レジェ姐、何か呑み込んでたのかなって思っただけで……ほら、宝石とかだったら呑み込めるし。でも卵だってのは気づかなかったなあ。すごいですよ。ほんとに」

 誉められてるのか? 貶されてるのか?

 だが、ハスミンの喋りはまだまだ続く。

「ねえねえ、お姉ちゃんお姉ちゃん。フィンさんと雌鳥ごっことかした?」

 するかよ!

「してないわよ!」

 アウラが赤くなる。

「でももしかしたらして欲しいのかも……あたしのお客様でもね、見かけはすごくまじめそうなのに、実はそういうことが好きな人って結構いたのよ? でもそういう人っていきなりは言い出せなくって、だからこっちからいろいろ鎌かけてあげたりするの。そうしたら赤くなっちゃったりして、おもしろいのよ?」

 アウラは目を丸くして―――それからフィンの顔を見る。

「ほんとなの? フィン」

「だから違うって!」

 せめて鎌をかけて来いよ!

《はあ……》

 確かに早々そんな連想はしないと思う―――だが、フィンが最初にそれのことを思い至った理由は、はっきり言ってハスミンにあるのだ。

 来る途中の馬車の上で彼女があれほど猥談を連発していなければ、フィンだってまずは何かを呑み込んでいたとか考えただろうし……

《そう考えれば最大の功労者は、この子だったってこと?》

 そもそもお墓参りを望んだのは彼女だったわけだし……


 ―――もちろん全てはこの想像が当たっていたらという話であるが……