あぶない秘密工作 第4章 情報提供者

第4章 情報提供者


 それから数日後の午後、フィンはドゥーレンと共に店の二輪馬車で奥方様の屋敷に向かっていた。

 馬車はアキーラ城にほど近い通りをゆっくりと走っている。

 このあたりにはレイモン高官の屋敷が集まっていて、フィンの下宿先のドゥーレン工房のある地区とは異なり、小綺麗な屋敷が建ち並んでいる閑静な一角だ。

「お屋敷では特に注意することってありますか?」

 フィンは隣で手綱を取っているドゥーレンに尋ねた。

「いえ、あなたの役割さえ忘れずにいれば問題はありませんよ」

 ドゥーレンは振り返らずに答える。

 フィンはうなずいた。それなら特に問題はない。

 彼の役割は遠路はるばるやってきた布地商人ということになっている。それならばこの数ヶ月、ずっと実地でやってきた。

 彼の場合注意すべきは、高官の屋敷であまり堂々としすぎない方がいいだろうということだ。そういう商人にとって、こんな屋敷での商談のチャンスは滅多にないはずだからだ。

 だからそこにさえ注意すればあとは心配なかったが、その奥方様本人がどんな人なのかということはかなり気になっていた。

 彼女がどういった出自でどんな経緯で大臣の妻になったのかは聞いていない。

 だが少なくとも大臣に釣り合うということは、それなりの良家の息女であるのは間違いないだろう。

《そんな人がこんな危険なことをしているなんて……》

 自分だってあまり人のことは言えないわけだが、それ故にどうしてもそこに興味が行ってしまう。

 だが裏の組織では原則そういった個人の動機に関しては、互いに詮索しないというのが暗黙のルールになっていた。実際自分だってあまり突っ込まれたら困るわけで……

 そんなことを考えているとドゥーレンが言った。

「駐屯地では結局何もなかったんですか?」

「あ、はい。何だかいつも通りみたいでした」

 フィンは昨日オールデンと共にあの郊外の駐屯地に行ってきたところだった。

 そこは本当に外部から見た時に想像した通りだった。

 宿舎の大半はがらんとしており、残っているのは管理人と少数の警備兵だけだ。

 オールデンはそこに燃料や食料を届けると駐屯地内部を案内してくれたが、それに文句を付ける者さえいなかった。

「ただ、あの噂はここまで来てるみたいですね」

「あの噂? 君たちが広めていたあれですか?」

 フィンはうなずいた。もちろん例のホモ魔法の話だ。

「ははは。あれは傑作でしたね。こちらでもアイオラがえらくお気に入りで、酒場でよく話してたみたいだからそこからかもしれませんが」

「あはは、そうなんですか」

 あまり女性が口にするには相応しくないネタなのだが―――彼らの仲間のアイオラという女性は、兵士達の集まる酒場の看板娘だ。そんな所だとその手のネタにも慣れてしまうのだろう。

 それはともかく、結局のところ駐屯地の調査は空振りに終わったということだ。

 アキーラに来るまでの間も結局、レイモン軍が動いている証拠は見つけられなかった。ここに来れば何か分かると思ったのだが……

《それにしてもどうしてなんだ?》

 フィンは何か思い違いをしていたのだろうか?

 だがこれはアラン王も認めていたことだ。レイモンが都を攻めるなら国内にそれなりの兵力移動がなければならないのだ。それでなければ……?

《ハッタリって事なんだろうか?》

 それも検討した可能性の中にあった。レイモンが小国連合を釣り出すために偽の情報を流したという可能性だ。それに騙されて進軍したら、大量のレイモン軍が待ち構えていて―――という作戦だが、それにしては腑に落ちない点が多々あった。

 一つはこうして兵力の移動がないことだ。

 レイモンは偽の都攻めの話を聞いただけで、アラン王がほいほいと攻めてくると思っているのだろうか? せめてもう少し隙を見せてやらないとまずいのではないだろうか?

 だが最近の報告でもまだ、小国連合に面しているシフラやバシリカの防備は以前同様固いままだ。これでは攻めて来たくても来られないのではないだろうか?

 またレイモンの行動を見ていると、都攻めはかなり極秘にされているようだ。

 この情報の大元の発信地は奥方様からだが、その後例の男娼ルート経由でフェデレ公にその可能性を示唆してきている。ところが“表組織”の方はなぜかこの情報をキャッチしていないのだ。

 彼らだって別にさぼっているわけではない。彼らなりに色々調べて報告を行ってきている。

 そしてレイモンはその表組織こそがシルヴェストの諜報組織だと思っているはずなのだが―――もし彼らがアラン王を騙そうとしているのならば、そこにこそ情報を流して然るべきなのではないだろうか?

 このあたりを考えるとどうしてもハッタリとは考えにくいのだが……

《ハッタリだったら一番いいんだけどな……》

 それならば要するに都攻めは無いということなのであり、フィンがここでこうしている理由もない。しかもアラン王がそれに引っかかることもなく、中原の戦乱も回避されるだろう。願ったり叶ったりだ。

 そのとき馬車馬が軽くいなないた。見るとドゥーレンがとある邸宅の側に馬車を着けている。

「ここですか?」

「ああ。行くよ」

「はい」

 ドゥーレンが馬車を降りると厩の方から馬丁がやってきた。

「おう。また奥方様かい?」

 馬丁はドゥーレンに手をあげて挨拶する。ドゥーレンもそれに答えながら言った。

「ああ、またドレスを新調なさるそうだ」

「旦那も奥方には甘いよな。そっちは?」

 ドゥーレンはフィンの方をちょっと見ると答えた。

「ああ、ヴォランの所の新入りだ。ベラの方からいい絹製品を仕入れて来たとかでな」

「へえ。絹ねえ。俺には関係ねえな」

 それを聞いてフィンは彼に言った。

「いや、そうでもないですよ。あっちでは最近結構値下がりしてて、ハンカチとかスカーフとかいった小物だったらずいぶんとお安くなってますよ。奥さんとかにプレゼントしたら喜ばれませんか?」

 それを聞いて男の顔がほころんだ。

「ええ? そうか? じゃあ後で見せてくれよ」

「もちろん喜んで」

 実際フィンは今日もそういった小物をたくさん用意してきていた。

 彼と別れてからドゥーレンが言った。

「なかなか商売上手ですね」

「いや、ヴォランに仕込まれましたからね」

 そんなことを話しながら表に回ると、そこでは扉の前で侍女が一人待っていた。

「奥方様がお待ちです」

 侍女がそういって頭を下げるとドゥーレンが彼女に言った。

「ありがとう。シリアさん。この間のはどうだったね?」

 シリアと呼ばれた侍女は顔を上げるとぽっと微笑んだ。

「素敵でした! ぴったりで……でも良かったんですか? あんなにお安くて?」

「元が古着ですから。それにあなたには色々お世話になってますしね」

「ありがとうございます。さあどうぞ」

 シリアは二人を案内して屋敷の奥に導いた。

 ドゥーレンは彼の裏稼業にとって良い職業を選んだと言える。

 彼のように腕の良い仕立屋になると顧客には高貴な女性も増えてくる。

 だがそういった女性は当然自分から店にやってきたりはせずに、こうやって仕立屋の方を呼びつけるのが常だ。

 それは屋敷の中を直接見たり、そこで働く使用人と仲良くなる機会が多いことを意味する。

 もちろんそういった者達は良い情報源だ。

 彼は多分仕立て直しのドレスを彼女に安く売ったのだろう。その作業にはそれなりの手間はかかっているはずだが、彼女からは今後も屋敷の中のいろいろな噂話を聞くことができるだろう。それだけの見返りは十分あるのだ。

《こうして見たら人の良さそうなおじさんなんだがな……》

 そういう風にしか見えない所が彼のプロ中のプロたる由縁なのだろう。

 二人はシリアに導かれ、屋敷の奥のプライベートな一角に足を踏み入れた。

 これもドゥーレンの職業の特権だった。

 こういったプライベートエリアには普通はちゃんとした客人でもなかなか入れないものだ。

 客間や応接間は当然他人に見せるためにいろいろ装ってあるが、私室は家人の人となりが素で現れるものだ。そういう所を直接見ることができるというのはある意味計り知れない価値がある。

 だがもちろんそうなるには多大な信用が必要だ。

 聞けばドゥーレンはアキーラに店を構えてからもう二十年近くになるという。その間こうしてずっと信用を積み重ねて来たために今の立場があるのだ。

《それって大変だったんだろうな……》

 こんな二重生活を続けていくのは、生半可な決意ではだめだろう。彼を動かしている物はいったい何なのだろうか?

 だが向こうから話してくれたのならともかく、こちらから聞くわけにはいかない。それに彼とはそう長く付き合うこともないだろうし―――ただ彼は、アラン王のために敵国の心臓部でこうして秘密の任務をこなし続けている。それだけの何かがある、としか言えない。

 二人は奥方の私室に通された。

 中には別な侍女が一人待っており、彼女に挨拶するとシリアは部屋から立ち去っていった。

「おかけ下さい」

 中で待っていた侍女が言った。

「ありがとう」

 そう言ってドゥーレンは壁際のソファに座った。フィンもその横に座る。

 それを見て侍女がドゥーレンに尋ねた。

「そちらが?」

「ああ。フィンです」

 すると侍女は頭を下げて彼に挨拶した。

「どうも。初めまして」

「え? あ、はい。初めまして、フィンといいます」

 フィンも慌てて挨拶を返す。それを見てドゥーレンが小声で言った。

「彼女はアルテラ。私達の仲間です」

「あ、そうなんですか?」

 フィンは改めて彼女を見た。フィンと同い年くらいだろうか? 結構な美人だと思うが、それよりもその抜け目のない表情が印象に残る。

 アルテラはしばらくフィンを見つめていたが、それ以上は何も言わずドゥーレンの方を向くと小声で尋ねた。

「ところで代わりの方は見つかりました?」

 それを聞いてドゥーレンは首を振る。

「もう少し待ってください。ネイードがいなくなってなかなか大変なんですよ」

「状況はご察ししますが……こちらもあまり時間が」

「分かっております」

 二人の話をフィンがぽかんとした顔で聞いているのを見て、アルテラがドゥーレンに言った。

「フィンさんはご存じありませんでしたか?」

「ああ、まだ詳しくは話していませんでしたね」

 一体何の話だ?

「えっと……何のことでしょうか?」

「リエカさんがあんなことになってしまったので、その代わりの方のお話です」

 フィンはうなずいた。そういえばドゥーレンがそんなことを言っていたような……

「はい。詳しくは伺っていませんが?」

 それを聞いてアルテラは答えた。

「いえ、実は、私がもうしばらくしたらここを離れることになりますので、後任の方をドゥーレンさんに探していただいていたのです。ある御仁が私めを見初められたそうで……妾に欲しいなどとおっしゃっておられまして。良いお話だとは思うのですが、そうしますと奥方様の身の回りのお世話がいろいろと……」

 そういうことをさらっと言うアルテラをフィンはぽかんとして見つめた。

「旦那様もああいうお方ですから、本当に良い娘ばかりお連れになって……そんな娘の粗探しをしなければならない奥方様を見ていますと……」

 それを聞いてドゥーレンがうなずいた。

「分かってますよ。もう少し待ってください」

 もしかして、これって結構まずい事態なのではないだろうか? 後任ったって、その辺の娘でいいわけがないし。多分リエカさんを見つけるだけで大変だったんじゃないのか? それなのにあんな目にあってしまって……

《こりゃ参るだろう……》

 目の前で結構さらっと深刻な会話がされているのを聞いて、フィンは少々くらくらしてきた。

 そのとき、部屋の奥にあった扉がすっと開いた。

 アルテラは即座に立ち上がるとそちらに向かう。ドゥーレンも座り直して服を整える。

 扉の方に顔を向けると、ほぼ同時にエンジ色のドレスを纏った若い女性が入ってきた。

 フィンはその姿に目を見張った。

 そして次に気づいた時は、ほとんど反射的に立ち上がって礼をした後だった。

 それからちょっと行動が迂闊だったかと心配になったが、同様にドゥーレンも立ち上がって礼をしている。

 女性が二人にちょっと答礼を返すと、アルテラが言った。

「こちらがフィン様だそうです」

 女性はフィンの顔を正面からじっと見据えると、軽く会釈しながら言った。

「そうですか。私、コモドの妻、ライラックと申します」

 その声も澄んでいて美しい。どこをどう見ても都の姫君クラスだ。

「ル……フィンと申します。本日はお招きありがとうございます」

 フィンはうっかりル・ウーダと言ってしまいそうになったのを慌てて堪えた。

「どうぞおかけください」

 ライラックは二人に言った。

 フィンとドゥーレンがソファに腰を下ろすと、彼女も優雅な物腰で向かいの椅子に腰を下ろす。

《うわあ……》

 フィンはその姿を内心驚いて眺めていた。

 このような女性には都でもなかなかお目にかかれないだろう―――いや、美しさとかそういった物であれば、それこそ都ならば彼女以上の者もたくさんいる。

 だが目の前に現れた女性は、見た瞬間にその者を虜にしてしまうようなオーラのような物を発していた。

 ライラックは顔を上げると再びフィンをまっすぐに見つめた。

 緩くウェーブのかかった濃いブラウンの髪の間から、何か非常に強い意志を秘めた瞳が覗いている。

 それから彼女の口元が少し緩む。

 途端に何かぞっとするような色気が浮かびあがる。

《あんな風に見つめられたら、誰だって落ちそうだな……こりゃ》

 もしフィンにファラやアウラがいなければ、この瞬間彼は彼女に忠誠の証を立てていたかもしれない―――それほどの力を持った眼差しだった。

 そんなフィンを見て、ライラックは微笑みを浮かべた。

 フィンはついうっとりとそれに見惚れそうになったのだが……


「あなたが……アラン様を暗殺しにいらっしゃったお方ですか」


 フィンは虚を突かれて咳き込んでしまった。

 もし口に何か入っていたらあのときのように噴出していたかもしれない。

《いきなり、何を言い出すんだ? この人は?》

 そう思ってフィンはライラックの顔を見る。

 だが彼女はにっこりと笑い返すだけだ。

 裏組織に属する者ならば、フィンがシルヴェストで何をしたかは知っているはずだ。

 だからもちろん彼女がそういった経緯を知らないはずはない。

《ってことは試そうってことか?》

 なるほど。そっちがそう来るなら仕方ない。まあ、こういったゲームはどっちかというと得意な分野だし……

 そこでフィンも襟を正すと、彼女に微笑み返しながら答えた。

「はい。お聞き及びとは思いますが、先日グリシーナ城にアラン様のお命を頂きに参ったのは私達でございます」

 それを聞いてライラックはちょっと目を見開いた。

「まあ、そうなんですの? それは心強いですわ。それでしたらそういうお仕事があればあなたにお頼みしてよろしいのでしょうか?」

「いえ、申し訳ありませんが、そちらの方のご依頼は連れと一緒でないとお受けしておりませんので」

 二人のやりとりをドゥーレンとアルテラがちょっと驚いたように見つめている。

「まあ、お連れ様は今どちらに?」

「別な用事がありまして、今そちらをやってもらっております」

「それは残念ですわ。とってもお強くて、お優しくて、それにお上手なお方とお聞き及びしておりましたのに」

 フィンは再び吹き出しそうになるのをようやく堪えた。

 それから満面に笑みを浮かべると答える。

「ああ、そちらのサービスをご所望でしたか? 申し訳ありませんが、あいにく先約が詰まっておりまして、もしかしたら数年ほどお待ちいただかなければなりませんが、よろしいでしょうか?」

 そこまで話したところでついにライラックが吹き出した。

「面白いお方ですね」

「あなたこそ。お人の悪い……」

 フィンは内心ほっと胸をなで下ろした。

「そうですわね。お互いに」

 そう言ってライラックはもう一度フィンを見つめる。

 それからまた笑みを浮かべると言った。

「それでいかがでしたか? アラン様はお元気でいらっしゃいましたか?」

 どうやらここからはまともに会話できそうだ。

「はい。私の見ましたところでは、大変ご健勝のようでした」

 それを聞いてライラックは少し目を伏せると答えた。

「そうですか……今日は本当によくいらしていただきました。こういう空気の澱んだところに籠もっておりますと、色々と外の風に当たりたくなる物ですので」

 ライラックは軽くため息をつく。

 そういう環境ならば確かにおもちゃも欲しくなるだろう。そんな箱入りの姫は何人も知っていたので気持ちはすごくよく分かる―――とは言っても、遊ばれる方はたまったものではないのだが……

「最近少々面白かったことと言えば、あのオカマさん達の連絡経路が潰されたという話で。うちのコモドも実はあれにはかなり関与しておりまして、その慌てぶりを見ておりましたらもう笑いを堪えるのが大変で……」

「そうなんですか」

 フィンは内心苦笑いしながら答える。やっぱり何となく反応に困る人だ。

「はい。それにあなたのお連れ様のことは以前から存じ上げておりました。こちらにももし彼女らが現れたらすぐに連絡しろと指令が来ておりましたので。ですのでお連れ様にも一度お会いしたかったのですが」

 フィンはうなずいた。それならば彼女がアウラのことを知っていたのは当然だ。

 逆にあのときよくアウラはそういった監視網をくぐり抜けていたと感心するが―――まあ監視網といってもそんなに人員を割けるわけではなかったし、おまけに彼女は野宿なんかをしながら転々としていたようだし。見つからなくても不思議ではないが……

「すみません。さすがにこちらは色々と危険なので。彼女にはまた別なお役目もありますから」

「そうですか……」

 ライラックは再びフィンをじっと見る。それからふと尋ねた。

「ところであなたは、どうしてこちらにいらしたのでしょうか?」

「え?」

 フィンは言葉に詰まった。

 彼が来た直接的な目的ならば彼女が知らないはずはないと思うが―――だとすれば、彼女は彼を動かしている動機のことを話しているのだろうか?

 困った表情のフィンを見てライラックは軽く首を振る。

「いえ、特に深い意味はございません。ただここにいる皆は……」

 そう言ってライラックはドゥーレンやアルテラを見た。

「それぞれにここにいる理由がございます。だからあなたにもそういった訳があるのだろうなと、そう思いましたので……」

 ライラックは再びフィンをじっと見つめた。

「少なくともアラン様はそれを聞いて納得されたということなのでしょうね……」

 それは質問と言うよりは独白のような感じだった。

 フィンは黙ってうなずいた。

《理由? でも本当のことはあまり詳しく話してないんだが……》

 フィンがここに来た訳は、それは間違いなくファラを救うためだ。そのことはまだ誰にも話していない。アウラにさえ言えなかったのだ。

 アラン王にはフォレスへの忠誠がどうとかと言ったはずだ―――だがあの王が額面通りそれを信じたとは思えない。多分彼が信じたのはフィンの“必死さ”だったのだろう。

 それだけは間違いなく本物だったし、今でも実際その通りだ。

 そう。ともかく今はその目的のために為すべき事を為さねばならないのだ。

 そこでフィンはライラックの顔をまっすぐに見返すと言った。

「ありがとうございます……で、よろしければ少々仕事上のお話をさせていただきたいのですが?」

 ライラックはうなずいた。

「もちろん構いませんわよ。何なりとお訊き下さい」

「はい。ではまずは都攻めに関して、マオリ王が何を考えているかなのですが……頂いた報告では王は白銀の都の大皇后にご執心であるとか」

 それを聞いてライラックはあっさりとうなずいた。

「はい。それは事実でございます」

 フィンは驚いて言葉に詰まる。ライラックは続けた。

「先年あった新大皇様のご即位式ですが、そこにマオリ様も列席しておりました。その際にお見かけになった大皇后様の姿が忘れられなかったそうでございます」

 その日のことはフィンもよく覚えている。

 新大皇の即位というのは、白銀の都のみならず世界中の王侯貴族の集まる大イベントだ。

 そこにはアイザック王も来ていたというし、首長こそ来なかったがベラからも高位の使者が来ていたくらいだ。

 そこでカロンデュールと並び立っていたメルファラの姿は、もはや神々しいと言っても良かった……

「それだけならばよろしかったのですが、戻ってからあまりにもマオリ様がそのことをおっしゃるので、寵姫の一人が、それほどお気に召されたのならば手に入れてしまえばよい、などと煽ったのです。あの都とベラの連合軍を打ち破った軍があるのだから、それもできるだろう、などと……」

 おいおい! いや、確かにあり得る話だが―――でもいくら何でもそんな動機で都攻めをするなんてことが本当にあるのか? いや、確かに傾国の美女とかいった言葉があるくらいだから、そういった例がなかったとは言えないわけだが……

 どっちの国が傾くかはともかく……

「それで、本気になったのですか?」

 フィンの問いにライラックはうなずいた。

「はい。ガルンバ様やティグレ様は大層反対なさっていらしたのですが」

 なんだって? フィンは驚いて問い返した。

「反対されていたと? 大ガルンバ将軍がですか?」

「はい。そうです」

 フィンは考えた。ということは―――この侵攻は実は軍は反対だと言うことなのだろうか?

 もしかしてマオリ王を満足させるために形式だけの侵攻をしようとしているのか?

 だったらこれはある意味吉報のような―――そこでフィンは尋ねた。

「ライラック様は現在レイモン軍の動きがないことはご存じでしょうか?」

「はい。聞いておりますが?」

「その意味が分からずこちらは苦慮しているのですが、もしかして将軍達はマオリ王の手前、侵攻のふりだけをしようとしている、などということはないでしょうか?」

 それを聞いてライラックは少し考え込んだがやがて首を振った。

「私は軍事のことにはあまり詳しくはありませんが……それはないのではないでしょうか?」

「といいますと?」

 訝しげな顔のフィンにライラックは答える。

「ガルンバ様やティグレ様の忠誠は、本物でございます。それ故にあの方々は先代のルナール様に対してでも、歯に衣を着せぬ物言いで知られております。ご機嫌取りなどなさるお方ではございません。その方々が攻めるとおっしゃられております以上、私としても疑う理由はございません」

「ですが、彼らは反対していたのでは?」

 それを聞いてライラックはちょっと口に手を当てた。

「ええ、はい。確かに当初は反対しておりました。でもしばらくしてから翻意なされたのです。マオリ様も諦めかかっていた所に、将軍様方の方から都攻めは可能だと申し入れて来られたのです」

「そうなんですか?」

「はい。そうです」

 ライラックはきっぱりと肯定した。

 フィンは混乱した。

《ちょっと待てよ? これはどういうことだ?》

 彼女の言うことが正しければ、レイモンのガルンバ将軍やティグレ将軍が本気で都攻めをしようとしていることになる。

 だが調査ではレイモン軍は未だ動く気配もないのだ。

「あの、侵攻する時期がいつになるかご存じでしょうか?」

 ライラックは首を振った。

「それは詳しくは存じませんが……アリオール様が呼び戻されておりますので、そう遠いことではないのではないでしょうか?」

「アリオール様というと、ガルンバ将軍の養子だった方ですね?」

「はい。まだお若いのですが、トルボの守りを任されていた方です」

 トルボとはアイフィロス王国方面の守りの要となるところだ。レイモンの周辺防衛の拠点の一つだ。

《一体何なんだ? これは?》

 フィンはちらっとドゥーレンの顔を見る。彼も軽く首をかしげる。

 そのときアルテラが近づいてくるとライラックにささやいた。

「奥方様、そろそろお時間が……」

「分かりました」

 それからライラックはフィンに再び微笑みかけた。

「他にまだ訊きたいことはございますか?」

「いえ、十分です。本当にありがとうございます」

 実際フィンがここで知りたかったことは、本当に将軍や王に都侵攻の意図があるかどうかだった。それについて彼女は十分な答えをしてくれたのだ。

 礼をするフィンにライラックは言った。

「短い時間でしたが楽しかったですわ」

「いえ、こちらこそ……」

「またいつかゆっくりとお話しできるといいですわね」

「はい。そうですね」

 この人と話すのは疲れるけど面白い。それはフィンの本心だった。

 それからライラックはドゥーレンの方に目配せした。

「それでは本業の方のお話に参りましょうか」

「かしこまりました」

 ドゥーレンはうなずくと、持ってきたトランクから様々な布地やドレスのサンプル画を取り出すと、彼女が新調するドレスのデザインについて話し始めた。



 ライラックとの会見からの帰途、フィンは考え込んでしまった。

《一体これはどういう事なんだ?》

 もし彼女の言うことが正しければ、今まで得ている情報とは完全に矛盾しているように見える。

 だがこちらの方はフィン自身でも裏を取ってきた確実な情報だ。だとすれば―――本当に彼女は正しいのだろうか?

「えっと……ドゥーレンさん?」

 フィンは横で手綱を取っているドゥーレンに尋ねた。

「ん? なんだね?」

「こんなことを言っていいかどうかなんですが……」

 ドゥーレンがちらっとフィンの方を見てうなずいた。

「ああ」

「奥方様の情報というのは、その、大丈夫なんですよね? いえ、彼女が嘘をついているとか言うわけじゃなくて……」

 それを聞いてドゥーレンはフィンの顔を見て少し眉をひそめるが、やがて軽くうなずくと答えた。

「そう考えるのも無理ないでしょうね。でも我々としては十分信頼できると考えています。それだけの実績がありますから」

「そうですよね……すみません」

「いや、あなたの立場なら当然そう考えて当然でしょうね」

「はあ……」

 再びフィンは頭を抱えた。

 だとしたら一体どういう事なのだろう?

 彼女の言を信じるならば、レイモンのガルンバ将軍達は本気で都を攻めようとしているのだ。

 だが軍は動いていない。

 侵攻するためにはそれなりの軍勢が必要になるが、元々白銀の都方面には大した軍団は常駐していない―――だからフィンもアラン王も、他から軍団を移動させて“都侵攻軍”を編成しなければならないはずだと考えていた。

 それならばレイモン内に張り巡らせた情報網でキャッチできるはずだが……

 でもそういった情報は得られていない。

 これは一体何を意味するのだろうか?

 第一義として考えられることは、そもそも軍団を動かしていないか、もしくは彼らの情報網ではキャッチできないほど巧妙なやり方で動かしているかのどちらかだ。

《俺たちに知られずにそんな人員を動かせるのか?》

 確かに各地から少人数ずつ、時期を分けて動かしていけば発見しにくいだろう。

 それでも最終的に彼らはどこかに集結しなければならない。

 万単位の人間が集まってしばらくでも生活するとなると、まずはそれだけの場所が必要だし、大量の食料補給なども必要になる。

 従ってそのような場合は物流を調査していれば何か変わったことが見つかるはずなのだ。

 しかしそういった異変は今のところ一切見つかっていない。

 一方、兵士の供給源となる場所はシフラやバシリカといった前線の拠点になるわけだが、前述の通りそちらの兵士が減ったという情報もない。これもまた分からない点の一つだ。

《振りだけっていうのなら良かったんだがな……》

 これが、マオリ王の手前、仕方なく侵攻の振りだけはしてみました。うまくいかなかったらごめんなさい、的な話であれば納得いったのだが―――ライラックの話では将軍達は本当に本気らしい。

《何なんだよ? じゃあ、首都防衛隊だけで都を陥とすとでも言うのか?》

 フィンは大きくため息をついた。

 レイモンの国境防衛に携わっていないのは首都防衛隊の数千名だけだ。それだけで行くつもりなのであれば、確かに兵員の移動は発生しないわけだが……

 もちろんそんなことができるわけがない。

 できるわけが……

《え?》


 本当にそうなのだろうか?


 そもそもセロの戦いはどうだった? フィン自身が千五百のネブロス連隊だけで数万の侵攻軍を食い止めたのではなかったか?

 そう思ってフィンは吹き出した。

《あれとこれとじゃ話が全然違うだろ? そもそも立場が全く反対だし!》

 これが都側ならまだあり得る話だ。

 メリスから都に行くまでの街道はベラからフォレスへの街道と結構似た感じの、山間の川沿いの街道だ。そのため都軍ならばあのような待ち伏せを仕掛けやすい地点が何カ所もある。

 だから都を防衛する立場であれば、かなり少ない数でも目的を達成できる可能性は十分にある。

 だが今回のレイモンは“攻める方”なのだ。

 確かに都の軍隊はヘタレているだろう。

 だがそれでも全軍を挙げればその規模は一万は軽く超えるだろうし、そもそも都の魔導軍はスペック的には世界最強なのだ。さすがに敵がそんな少数で来たのを見れば受けて立ってくるだろうし―――そうなった場合レイモンはどうする気なのだろうか?

 フィンは既にクォイオの戦いやシフラ攻防戦について十分に研究してきた。

 だから一般的にあまり認識されていないのだが、その実あれは“周到に準備をしたレイモン軍の作戦勝ち”だということに気づいていた。

 そしてレイモンの将軍達ならばそのことを一番よく知っているはずなのだ。ならば彼らが防戦体勢を固めている一万以上の軍に対して、わずか数千で突っ込んでいくような真似はしないだろう。

 要するに、常識的に考えればそんな侵攻などあり得ないのだが……

《にもかかわらず勝算があるってことだよな?》

 ということは―――彼らには何らかの“常識的でない作戦”があるということなのだろうか?

《作戦ったって……》

 防衛する状況であればまだしも、敵の本拠地への侵攻なのだ。そんな状況で一体どんな作戦があるというのだ?

 あるとすればそれこそ、最初からの出来レースだったとかだが……

「え?」

 フィンは思わず声をあげていた。

「どうしました?」

 隣のドゥーレンが不思議そうにフィンを見る。

「いえ、なんでも」

 ちょっと待て! そんなことってあるか? あり得ないだろう? さすがにそれだけは……

 フィンは頭を抱える。

 確かに“都の協力”があると仮定すれば、それこそ何でも有りだが……

 ………………

 …………

《いくら何でもそれだけはあり得ないだろ?》

 そもそも都とレイモンは単なる敵同士とかいった間柄ではないのだ。

 これが通常の国家間なら、誰がどこと同盟するかはそのときの利害関係によってどうにでも変わり得る。それならばフィンもアラン王も最初から最悪そういったケースもあると想定していただろう。

 だがレイモンと都の間はそれとは本質的に異なっている。

 両者の間の溝は利害ではないのだ。

 レイモンは都に対して“絶対にしてはならないこと”をしてしまったのだ。

 白銀の都とは、その実態は実のところ山間の小王国に過ぎない。その規模はフォレスよりもう少し大きいくらいの小国家なのだ。

 そこがこれまで世界中に君臨できていた理由は、都から派遣される魔導師たちがいたからだ。

 だがレイモンはその魔導師達の軍勢を、魔導師に頼らずに撃破した。

 すなわち都の権威そのものを根底から否定し、それを実証したことに他ならない。

 それはベラ首長国にとっても同様だ。

 だからこそアイザック王は長年の確執を超えて都とベラとの調停が行えると考えたわけだし、アラン王はその考えに賛同したからこそ、フィンがここで工作するために協力してくれているのだ。

 しかもレイモンと敵対している小国連合の国々は、それでも都やベラを信頼して魔導師を派遣してもらい、それに対して高額な対価を支払っている。

 レイモンと組むということは、そういった国々の信頼をも全て裏切るということなのだが?

《シルヴェストがベラ派だからって見捨てるとか……あり得ないよな? いくらなんでも……》

 この状況の意味を考えればそこまでケツの穴の小さい事をやるとは思えないが……

 そこまで考えてフィンは首を振った。

 そもそも都がグルなら侵攻などする必要はない。さっさと同盟を結んでしまえばいいだけだ。レイモンが都を攻める理由などないはずだ。

《やっぱ、そうだよな。そんなことあるはずが……》

 そこまで考えて、フィンはあることに思い当たってしまった。


《ちょっと待てよ? 例えば、内通者がいたら……》


 フィンは目を見開いた。

 都に内通者がいたとして、レイモンが攻めてきた際に―――彼が例えばこっそりと夜間に都に軍勢を導き入れるとか、そんなことになればどうだ?

「ちょっと待て?」

「はい?」

 ドゥーレンが驚いたような顔でフィンを見る。

「いえ、すみません。ちょっと考え事を……」

 フィンはドゥーレンに手を振ると、また考え込んだ。

 都の内部に敵が入り込んで市街戦になってしまったらどうなるのだ? もはや簡単には撃退できなくなるが……

 大きな魔法を使ったりしたら下町の市民までが巻き添えになってしまう。

 それにもしそんなどさくさで高位の貴族や、それこそ大皇本人とか人質になったりしたら……

《奴らは……それを狙っているのか?》

 これならば軍勢の数があまり多い必要はない。

 首都防衛隊の数千規模でも実行可能なのではないだろうか?

「フィン君?」

 肩を叩かれてフィンは我に返った。ドゥーレンが心配そうにフィンの顔を見ている。

「すみません」

 フィンは慌てて手を振った。

「いったいどうしたのです?」

「いえ……」

 さすがにもう誰が見てもおかしいと思うだろう。

 フィンは迷った。どうするか? 今思いついた事を彼に話した方がいいだろうか?

 まだ単なる可能性にしか過ぎない。何の根拠もないことなのだが……

 しかしこれを放置してはまずいような気がしていた。

 フィンはまた前にも感じたような何だか嫌な気分がしていたのだ。

 こんなことは普通あり得ないはずなのだが、それでもなぜか引っかかる―――今までもそうだったように、放置したからといって誰にも誹られるようなことはないはずなのだが……

 そう思ってフィンはぷっと吹き出した。

 今までそういうところで常にそんな“余計な選択”をしてきたのではないのか? 今更悩んでどうなるというのだ?

 そこでフィンは顔を上げると、ドゥーレンに今思いついた可能性を話した。

「……とかそんな場合、すごく少数でも都をどうにかできるかもしれないって思ったものですから……」

 ドゥーレンは最初は冷静な表情でその話を聞いていたが、その重大さを認識すると額に大きな皺をよせた。

「まさかそんなことが……本当にあり得るのですか?」

 フィンは首を振る。

「分かりません。普通はあり得ないと思うのですが……絶対とまで言えるかどうかは……」

「そうですか……」

 ドゥーレンもまた考え込む。

「まだこれは僕の想像の域を超えていない……というよりただの空想といった方がいいかもしれませんが……」

 だがそれを聞いて彼は即座に答える。

「しかし可能性は、ゼロではないのですよね?」

「……はい。多分……」

 フィンは少し言葉に詰まったが、そう答えるしかなかった。

《ちょっと待て……なんだよこれは?》

 もしこれが正しかったとすれば―――ますますレイモンの侵攻を止めねばならなくなる!

 これまでは彼らは“普通の戦争”をすると想定してきた。

 それならばある意味後方は安全だ。ファラにすぐに危害が及ぶことはない。

 だがもし今想定したような事態になったらどうなる?

 その場合レイモン軍の作戦として一番考えられるのはまず間違いなく、一気に敵の頭、すなわち大皇を押さえることではないのか?

 そうなったらどうなる? 大皇后とは常に大皇の側近くにいるのだ。

 フィンはくらくらしてきた。

 それから頭を上げると考えた。

《これって……もうやるしかないのか?》

 そっちがその気ならこっちだって―――相手の頭を取りに行くしかないのだろうか?

 だがフィンは首を振った。

 大体敵の頭って何だ? レイモンにはガルンバとティグレという名将が二人いる。その息子小ガルンバも評判が高いという。そのうちの一人を殺したくらいで彼らが作戦をやめてくれるだろうか? それともマオリ王本人を……?

《いや、あり得ないし……》

 確かにフィンはあのときアラン王に肉薄できたわけだが、あれは様々な幸運が重なってのことだ。元々城の中の様子はよく知っていたし、何よりもアウラが一緒だった。

 それよりも何よりも、今となってはたとえそれに成功したからといって侵攻が取りやめられる保証さえないのだ。

 だとすればそんなことをしても単に命を無駄にしているだけではないのか?

 フィンは頭を抱えた。それからドゥーレンに尋ねる。

「どうすればいいんでしょう……」

 尋ねられたドゥーレンも困った顔で答える。

「私にも何とも……ただこれはアラン様に報告はしておく必要があるでしょう。あくまで可能性だとしても」

「そうですよね……」

 だがアラン王に報告が行って戻ってくるまで、どれだけ時間がかかるだろう?

 その指示を待っている余裕なんてあるのだろうか?

「着きましたよ」

 フィンは顔を上げた。馬車は仕立屋の前に到着している。

「先に戻っておいてください」

「はい」

 フィンは馬車から降りると仕立屋の玄関をくぐった。

「おかえりなさーい!」

 アルエッタが笑顔で迎えてくれる。こんなときでも彼女の笑顔は心を和ませてくれる。

「フィンさん。さっきヴォランさんが探してたわよ」

「え?」

「奥で待ってるって」

「わかった」

 フィンは下宿している工房に向かい、二階に上がるとヴォランの部屋の扉を叩いた。

「フィンですが」

「おー。入ってくれ」

 中から声が聞こえる。

 フィンが入るとヴォランがベッドに座って何か考え込んでいる。

「どうしたんです?」

 ヴォランは大きくため息をついた。

「いやな、ちょっと手伝ってもらいたいことがあって……」

「何です?」

「アイオラのことなんだが……」

 そう言ってヴォランはちょっと黙り込んだ。

「はい?」

「下手したらあいつが例の件に関わってるかもしれないんで、ちょっと見張るのを手伝って欲しいんだよ」

 そう言ってヴォランは辛そうな表情でフィンを見上げる。

「アイオラっていうと、あの人ですね?」

 あれからフィンは何度か彼女に会っていた。ちょっとケバい感じの、見るからに水商売の女といった姿だったが……

「ああ。やな仕事だが……」

「……分かりました。手伝いましょう」

 約束した手前、断るわけにも行かない。

「すまねえな……」

 フィンは思い出した。

 やってきた次の日、駐屯地の調査から戻ったところで、部屋が荒らされていたように感じたことがあったが―――確かその日もアイオラが来ていたとアルエッタが言わなかっただろうか?

 だとすると―――こっちもまた何だか面倒なことになりそうなのだが……