第7章 王家の末裔
その日の夕刻、フィンは赤い造花のバラを手にして西の門の下でたたずんでいた。
《まだ来ないのかよ?》
吹き抜ける風が冷たい。立っているだけだと体がどんどん冷えていく。
だがまだ陽は完全には落ちていない。
夕刻というのは日没時と決まったわけでもない。
フィンはため息をついた。
《一体どうしてこんなことになっちまったんだ?》
結局のところ彼は、アラン王の裏組織に余計な混乱を招いてしまっただけなのではないだろうか?
確かにここに来て新たな可能性が見えたのは確かだ。
でも新しい事実が出たわけではない。
奥方の言ったことが確実だという前提に立って考えていれば、こっちに来なくても出せた結論ではないだろうか?
もちろんアラン王も百パーセント信頼していなかったからこそフィンが行くことに同意したとも言えるが……
フィンは少し離れた所にある建物の方をちらっと見た。
その前につばの広い帽子をかぶった女性が見える。リエカだ。
彼女は約束通り戻ってきて西門の前の広場を見張ってくれている。
彼女の他にもベルナリウス配下の男が数名いたが、ここからだとそれが誰かは分からない。ベルナリウス本人は後から来るらしい。
いずれにしてもこの時間はまだ人通りが多いから彼女たちの行動が目立つことはないだろう。
そのときだった。フィンに子供が一人近づいてきたのだ。
子供はフィンの側まで来ると尋ねた。
「お兄さん、小鳥飼ってる?」
「え? ああ、飼ってるよ。カナリアをね」
「じゃあこれ」
子供がフィンに紙切れを手渡す。
「これ、誰から?」
「あっちでお姉さんに頼まれたの。お兄さんがカナリア飼ってるんならあげてくれって」
そちらを見てみたがそれらしい人影はない。
「ありがとう」
フィンが子供の頭を撫でてやると、子供はにっこりと笑って立ち去った。
それからフィンは手にした紙切れを読んだ。
先祖のご供養は大切です。たまにはお墓参りに行かれてはどうでしょうか?
近くにあなたの家のお墓がない? それでしたら門外の墓地でも構いませんよ。先祖の先祖のそのまた先祖は兄弟だったかもしれませんから。
無名の友より
―――こうやって出されたら結構ムカつくな。元を自分で書いたとはいえ……
それにしてもこいつ、オリジナリティーという物はないのだろうか? ここまで人のネタを丸パクリされると、何かそっちの方が腹が立ってくるのだが。あれ考えるのって結構時間がかかったのだから……
などとこぼしていても仕方がない。
フィンはリエカの方をちらっと見る。彼女が軽くうなずくのが見えた。フィンはそれを確認するとゆっくりと墓場に向かって歩き始めた。
アキーラの墓地は西の門を出て城壁沿いに少し行ったところにあった。
そこは低い丘になっていて、斜面一帯に灰色の墓石が並んでいる。
《あれかよ?》
そろそろ日が落ちて薄暗くなっているが、丘の下には数名の男らしい人影が見える。
グリシーナのあの墓地と違ってこちらは木は生えていない。そのため身を隠すところはなく、遠くからでも丸見えだ。
《何で俺があそこ選んだか分かってるのかな?》
あそこは身を隠す物が多かったので待ち伏せに適していたし、最悪の場合には逃走しやすいことも考えて決めた場所なのだが……
だがここのような見晴らしの良い場所だと奇襲なんかはできないだろうし―――だが逆にこちらから仕掛けづらいのも確かだ。
ということはそれを狙っているのだろうか?
フィンはもう一度墓地をよく観察した。
男達から少し離れた所に荷馬車らしい物があるのに気がついた。
《あれに乗せて行かれるのかな?》
まあありがちな話だ。その程度ならリエカ達も追跡には困らないだろう。
いずれにしてもここで彼がそんなことを心配していても仕方がない。それよりもあいつらだ!
フィンが墓地の入り口を通って丘の下に差し掛かると、果たしてそこにいた男達が彼を取り囲んだ。
男の一人が言った。
「あんたがフィンか?」
「そうですけど?」
そう言いながらフィンは辺りを観察した。
当然のことながら、ここにアルエッタはいないようだ。
フィンは頭を掻きながら言った。
「先祖のお墓参りに来たんですが、どういうご用でしょうか?」
頭を掻いたのはリエカへの合図だ。彼女はどこかから見ていてくれていると思うが、アルエッタがここにいた場合は耳を触り、いなければ頭を掻くという合図にしてあるのだ。相手がここに彼女を連れてきているかいないかで、その後の作戦が変わってくるからだ。普通そういうことはあまりないとは思ったが……
「そんなことはどうでもいい。こいつをかぶれ」
そう言って男の一人が布の袋を取り出した。
何だか冗談の通じなさそうな相手だ。怪我をしても仕方がないのでフィンは黙って相手の指示に従った。
男はフィンに袋をかぶせると後ろ手に縛りあげた。それからボディーチェックを始めると、彼が一応身につけてきたショートソードを取り上げた。
「こいつは預かっておくぞ」
フィンは黙ってうなずいた。別にそんな物を取られたって痛くもかゆくもない。
続いてフィンは促されて歩き始めた。しばらくして荷馬車に乗せられるのが分かる。全く想像通りの展開だ。
そこで男達は少し何か話していたが、やがて荷馬車がゴトゴト動き出した。
辺りはもうかなり暗い。御者台の男が火打ち石でランタンに火をつける音が聞こえた。かぶせられた袋の布越しに明かりが灯るのが分かるが……
《おいおい……》
暗い中リエカ達の追跡は大丈夫だろうかと心配していたのだが、これではまるで追いかけてくれと言っているようなものだ―――え?
急にフィンは心配になってきた。
これってまさか、わざと追って来させようとしているのだろうか? だとしたら―――何なんだ?
わざとそんなことをする理由がよく分からないのだが?
そのためにはこの先にもっと大きな罠が張ってあって、追っ手もろとも一網打尽にするとかそういうことか?
だがこんな夜にそんなことができるのだろうか?
それにこの状況はリエカ達だって怪しいと思うのでは? ならばそう簡単に不意を突かれるようなこともないだろう。そんなことになっても少なくとも逃げることくらいはできそうだし―――いや確かにそうなったら困るが……
だがどちらかと言うと今の状況は、そんな深謀遠慮の結果というよりは、単に杜撰なだけに思えた。
大体今日の昼にアルエッタを拉致して夕方にフィンにやって来いといった手紙を寄越しているわけだが、もし彼がいなかったらどうするつもりだったのだろうか? 色々な用事で工房を空けていることの方が多かったりするのだが……
ともかく今は成り行きに任せるしかない。
そうこうするうちに荷馬車が止まるとフィンは降りるように促された。
《この時間じゃそんなに離れてないな》
荷馬車から降りた足下の感じは土の地面だから、町の中ではない。
「行け」
男が後ろから突くがフィンはまだ袋をかぶせられたままだ。
「行けって、何も見えないんですが」
「やかましい」
男がそう言って再び小突く。フィンは仕方なくすり足で歩き始めた。地面にあまり凸凹はない。しばらく行くと男が言った。
「そこに段差だ」
「あ、はい」
次いで踏み込んだところはどこかの家の中のようだ。
ということは、この辺りに点在している酪農家のどれかということだろうか?
「そこから階段だ」
フィンは恐る恐る足下を探りながら階段を下った。
下りきったところで、男はフィンの頭の袋を外した。
見るからにどこかの農家の地下室と言った場所だった。
壁面には棚があって壺のような物が並んでいる。部屋の隅には樽や箱のような物が置いてある。部屋の中に柱が何本か立っていて、蝋燭の明かりが部屋を照らしている。上方には明かり取りの窓が見えるが、外はもう真っ暗だ。
何だか見事に想定通りなので彼は少し拍子抜けした。
そのとき部屋の隅に誰かいるのに気がついた。アルエッタだ!
彼女は地下室の隅の椅子に縛り付けられてうなだれている。
フィンは彼女を観察したが、さらわれた時とあまり変わった様子はない。どうやら手荒なことはされていないようだ。
「エッタちゃん?」
その声を聞いてアルエッタが顔を上げる。頬に涙の跡が見える。
彼女の顔に安堵の表情が浮かんだ。
「フィンさん? 助けに来て……」
だがそこまで言ったところで彼女はフィンが後ろ手に縛られていることに気づいて絶句した。
それから彼女の目にまた涙が浮かぶ。
「フィンさんも?」
「あはは、まあ、そのね」
彼女が本格的に泣き出しそうになったので、フィンは振り返って男の方を向くと言った。
「彼女はもう関係ないだろ? さっさと解放してやれよ」
「うるさい!」
男はそう言ってフィンを突き飛ばした。フィンは勢い余って床に転んでしまった。
「きゃああ!」
アルエッタが叫び声をあげるが、男がぎろっと彼女を睨むと黙りこんだ。
「さっさとそこに座れ」
男はフィンにアルエッタの横にあった椅子を示す。
フィンが渋々従うと、男はアルエッタと同じように椅子に縛り付けた。それから階段を上がって行ってしまった。
アルエッタはそんな様子を恐怖の混じった目で見つめていた。
二人きりになったところでフィンはアルエッタに囁いた。
「エッタちゃん、よく頑張ったね」
アルエッタは少し驚いたような顔で答える。
「でもフィンさんも捕まって……」
フィンは彼女に微笑みかけた。
「大丈夫。リエカさんとかベルナリウスさんが来てるから」
「え? 本当ですか?」
「しっ! 大きな声を立てないで」
「あ!」
アルエッタはこくこくっとうなずいた。
それからフィンは小声で彼女に尋ねた。
「あいつら誰か分かる?」
アルエッタは首を振った。だろうな―――奴らの正体を暴くのはこれからだ。
そのとき階段から誰か下りてくる気配がした。
来たのは大きな男が二人だ。
うち一人はフィンを連れてきた男だ。
だが二人の後からもうひとり、ひらひらしたドレスを身に纏った若い娘が現れた。
少し大柄だがなかなか顔立ちの整った美人だ。
フィンはぽかんとしてアルエッタの顔を見るが、彼女も首を振るだけだ。
娘は前に出てフィンの顔を覗き込むとにこっと笑った。
「ふふふ。また会えたわね」
女性としてはかなり低い声だが―――それより“また”ってどういうことだ?
「えっとどこかでお会いしましたっけ?」
「覚えてないなんて言わせないわよ?」
はあ?
フィンは記憶をたぐったが、こんな娘に会ったことはないと思うのだが……
「えっと……どなたでしょうか?」
娘は眉をひくひくさせると、いきなりフィンの胸ぐらを掴んだ。
「てめえ、本当に覚えてないのかよ?」
覚えてないって! こんな柄の悪い女はっきり言って一切覚えがない―――いや、柄が悪い女には心当たりはあるが、彼女の場合口より先に刃物が出るからこれとは少し違うわけで……
だがそのときフィンは気がついた。
彼の胸ぐらを掴んでいる娘の手は―――女にしては少々ごつすぎないか?
フィンは娘の顔を見た。それから胸の辺りをよく見る。一見立派なふくらみがあるようだが何か嘘っぽいような……
ということは?
「もしかして……君、あの卵を持ってた?」
それを聞いて“娘”はにこっと笑った。
「そうよ。あのとき卵を運んでたのはあたしよ!」
あはははは!
「あ、そうだったんだ。ははは」
“彼女”が卵を運んでいた男娼だったとすればすべては納得がいく。フィンは引きつった笑いを上げるしかなかった。
“娘”は再びそんなフィンの顔を覗き込む。
「それから?」
「それからって?」
何のことだ?
「他に何か言うことはないの?」
あ、やっぱり怒ってるのか?
「えっと……ごめんな。でもこっちもあの場合ああするしかなかったんだ。君に恨みがあった訳じゃなくて……」
だがそれを聞いて“娘”はうつむくと体わなわなと震わせ始めた。
「なによ? それ」
うわ! 何か逆効果だったか?
「あの後あたしがどんな目に会わされたか知ってる?」
「いや……」
知らない! 知りたくもない!!
「それをごめんで済まそうって?」
「いや、でも……」
そんなこと言われたって……
「まずあんたにはあの苦しみをじっくり味わってもらうわ」
聞いていた男達の口元に嫌な笑いが浮かんだ。
ひえええええ!
ちょっと待て。これはかなりまずい状況じゃ?
要するにこれはただの私怨で、こいつは恨みを晴らすことしか考えてないんじゃないのか?
そう考えれば計画が杜撰だったことも納得がいく。だとしたら……
《リエカさん! 早く来てくれ~!》
このままではヤられてしまうーっ‼ ともかく何とかせねば……
フィンはアルエッタの方を見た。彼女はぽかんとしている。
意味が分かってくれてないのは幸いかも―――それはともかくっ!
フィンは“娘”に向かって言った。
「ちょっと待て! 彼女は関係ないだろ? はやく放してやれよ!」
「だめよ。恋人の前だから、もっとスリリングなんじゃない」
「はあ? 恋人?」
何の話だ? フィンは再びアルエッタの方を向いた。彼女が何か変なことを言ったのか?
だがアルエッタはそれを見て慌てて首を振った。
じゃあ何か? 勘違いされてるのか?
「彼女は下宿先の娘さんだよ。それだけで。何の関係もないんだって」
「へえ? じゃあ市場でいちゃいちゃじゃれてたのは何なのよ?」
「市場?」
言われてフィンは思い出した。
そういえば彼女と一緒に買い出しに行った際、女の子を避けてよろけて転んでしまったことがあったが、そのときの娘って……
フィンは“彼女”の顔を見た。何となくあのときの娘のような気もするし、そうでないような気もするし―――ともかくそうだったとしたら“彼女”はあの後アルエッタが汚れを拭いてくれたりした所を見ていたわけだ。
「じゃれてなんかないだろ? 荷物を持たされてただけで」
フィンの抗弁に続いてアルエッタも言った。
「そうですそうです。フィンさんは手伝ってくれてただけなんです!」
アルエッタもそのときの事を思い出したようだ。
「ん? そうなの?」
“娘”は不思議そうな顔をする。なんだ? 特に確信があったわけではないのか?
「そう。だから彼女は関係ないから」
フィンがそう言うと“娘”はうなずいた。
「んー、そっかー。関係なかったのかー。それはごめんね」
フィンは内心胸をなで下ろした。アルエッタの顔にも同様に安堵の笑顔が浮かぶ。
だが“彼女”は続けた。
「でもここまで来たら運が悪かったと思ってあきらめてね」
アルエッタの笑顔がそのまま引きつる。
「お前、約束が違うだろ! お得な商談があるんじゃなかったのか?」
“娘”はフィンの方を振り返って睨んだ。
「あんたにお前呼ばわりされる筋合いはないわよ! あたしにはボニートって名前があるのよ!」
そんなこと知るかよ!
「じゃあボニート……」
「ボニート様!」
フィンは歯を食いしばると言った。
「じゃあボニート様、お訊きしますが、あの商談というのは何でございましょうか?」
「そんなの嘘に決まってるでしょ!」
このガキ! いったいどうしてくれよう―――脳みそを吹っ飛ばしてやろうか?
そのときだった。階上の方からどたどたと騒ぎが聞こえてきたのだ。
《来た!》
リエカ達がどうやら間に合ったようだ。
「なんなの?」
ボニートが男の一人に尋ねる。男は軽く首をかしげると階上に上がっていった。
上から何か大声で何か喋る声が聞こえてくる。だが特に争っているような感じではない。
《ん? 何やってるんだ?》
来たのがリエカ達なら少々の戦いは発生しそうなものだが……
それからすぐに誰かがどたどたと階段を下りて来た。
やって来たのは中年の痩せた男だった。
フィンの知らない男だ。アルエッタもぽかんとした顔をしているところを見ると、彼女も知らないようだ。じゃあ誰だ?
その男は部屋の中の様子を見るなりわめいた。
「お前、何やってる?」
それを聞いてボニートがにこにこしながら答える。
「あ、パドラ様、どうしてここが分かったんですか? でも見て下さい! 捕まえましたよ。あの男を」
パドラと呼ばれた男は体をわなわな震わせた。
「だ・か・ら、誰が捕まえろと言った!!」
何だかすごく怒っているようだ。
「え? だってこいつが張本人ですよ? いろんな事知ってるに決まってます」
とぼけた調子で続けるボニートにパドラはにじり寄る。
「そんなことはわかっとる! 俺は放っておけと言ったはずだ!」
何か様子がおかしい―――というか、少なくとも来たのは仲間ではないのは間違いないが……
「でも……」
「でももクソもあるか! このガキが! 勝手な真似しやがって。“放っとけ”と言うのは“泳がせとけ”ってことだって分からなかったのか?」
それを聞いてボニートは数秒ほどぽかんとした後、「あっ!」と声を上げた、
「あっ、じゃねえ!」
男はボニートの頭を拳骨で殴りつけた。
「痛い!」
ボニートが涙目になる。
「当ったり前だ!!」
ここまで来れば何となく状況は分かってきたのだが……
それからパドラと呼ばれた男は振り返ってフィンの顔を見た。
「あんたがフィンか?」
「ええ、まあ」
パドラは大きくため息をついた。
「全くどうしてくれるよ。これ……」
「えっと、あの、このことは言わないから放してもらう、とかできませんか?」
だがパドラはフィンの言うことは端から聞いていなかった。
フィンに背中を向けると腕組みをしてしばらく考える。
「こうなったらしょうがねえな。アリオール様の所に連れてくしかないか?」
男は再びフィンの顔を見た。
「あんたがあのフィンならな、ここまでやってきた理由は何だ?」
フィンは言葉に詰まった。いきなりそんなことを訊かれても……
「答えたくないのか? ならまあいいが。お屋敷に行けば嫌でも喋りたくなるだろうがな」
ちょっと待てよ!
ともかくここは落ち着いて方策を考えなければ―――でもまず何をすればいい?
そこでフィンは気がついた。
《そうだよ! リエカさん達が近くまで来てるはずだよな?》
ならば彼女たちが今、何をしているのかと言えば―――間違いなく突入のタイミングを見計らっているに違いない!
だが多分この男が来たせいで何か算段が狂ったのだ。
だとすれば―――ともかくもう少しここで時間を稼ぐ必要があるということだ。
ここからまた移送されたりしたら色々と面倒なことになりそうだし……
《どうしよう?》
そのときフィンは気がついた。
彼らがあの男娼ルートの関係者だったとすれば、フィンの事は知っていても裏組織のことは知らないはずだ。
ならばとりあえずそのことだけでも確認しておいた方がいいのでは?
そこでフィンはパドラに言った。
「ちょっと待ってくれよ。あんた達何か勘違いしてないか?」
「ああ? どういうことだ?」
「まさか僕がシルヴェストのスパイか何かと勘違いしてないか?」
パドラはじろっとフィンの顔を睨む。
「何を寝ぼけたことを? それじゃなきゃ何だってんだ?」
「だから何を証拠にそんなことを言ってるんだよ?」
それを聞いてパドラは怒ったような声で言った。
「証拠もクソも、このバカから卵かっぱらってうちらの仕事を潰してくれたのを、覚えてないってのか?」
これは幸先がいいようだ!
そこでフィンはちょっと目を見開くと、おもむろに首を振った。
「いや、それはそうなんだけど……あれはその、不幸な事故みたいなもんで、そういうつもりじゃなかったんだって!」
「何が言いたい?」
パドラは眉をひそめた。
どうやらかかったようだ。フィンは続けた。
「だから、あれは“たまたま”だったんだよ。こっちに来たのも別にスパイ活動をしに来たんじゃないんだって。いや、確かにあんた達の立場ならそう思うかもしれないけどな」
「それじゃ一体何をしに来たんだ?」
「それは……」
彼らはやはり裏組織の事については知らないと見て間違いないだろう。でなければフィンの出まかせにいちいち取りあったりはしないはずだ。
だとすれば―――これから話をでっち上げなければならないのだが、どうしたものだろう?
フィンは周囲を見回した。
アルエッタが怯えたような目でこちらを見ている。
《よし。じゃああの線でいってみよう》
フィンは大きくため息をつくと渋々といった様子で話し始めた。
「まあ、こうなった以上は話すしかないみたいだな……」
フィンはパドラとボニートの顔を見ると尋ねた。
「あんた達、僕がどこから来たかは聞いてるか?」
「ああ? シルヴェストだろう?」
「いや、どこからシルヴェストに来たかだ」
「ああ、それなら確かフォレスの使者とかいった触れ込みだっただろ」
「ああ。その通り」
それを聞いてアルエッタが驚いたようにフィンの顔を見る。
フィンは彼女にうなずいた。
「実際僕は、フォレスのアイザック王に仕えていたんだが、そこで極秘の任務を受けたんだ」
フィンはパドラ達を見回した。いいぞ。奴ら興味を持っているようだ。
「知ってると思うが、フォレスの王妃であるルクレティア様はベラのフェレントム家の姫君だ。フォレスとベラは昔からすごく親密な関係にあるんだが、そのルクレティア様には仲の良い幼なじみがいたんだ。えーっと、名前はマルガリータ姫といったんだが、彼女はアドルト家の令嬢だった。で、知ってるかな? ベラでお家騒動があったことを?」
パドラ達は首を振った。フィンはうなずいた。
「今から何年前になるか、あのシフラ攻防戦の後に、ベラでお家騒動があった。当時のベラの首長の後継ぎはアドルト家から出すことになっていたが、当時のアドルトの若君がベラの魔導軍を解散しようとしたため、それに反対するフェレントム家と抗争になったんだ。そしていろいろあった挙げ句、結局フェレントム家のグレンデル様が首長となったんだ。そしてアドルト家に属していた者は、処刑されたり国外に追放になった」
このあたりはほぼ歴史的事実なので、すらすらと話すことができる。
「それじゃその姫も?」
パドラが尋ねた。フィンはうなずいた。
「ああ。当初は国外に逃げる際に死んだと思われてたんだ。ところが最近になって、彼女がどこかに逃げ延びていたことが判明したんだ。多分追っ手を撒くためにそういった工作をしたんだろう。それを聞いたルクレティア様が僕に、彼女の行き先を探せとお命じになったんだ」
一同はフィンの話に聞き入っていた。
「でもアドルト家はベラでは今でも朝敵だ。だからそういった調査はなるべく秘密裏に行わなければなかったんだ。だから僕たちは各地の視察という名目であちこちを調査していたんだ」
フィンは一同の顔を見るが―――どうやら疑っている様子ではない。
「で、ラーヴルにいたときに有力な情報を掴んだ。どうも彼女はシルヴェストに行ったらしいんだ。そこで僕たちはグリシーナに来たんだ。アラン様とアイザック様は旧知の仲だし、何か情報を掴めるかと思ってね」
そこでフィンはもったいぶった様子で言葉を切った。
「それでどうなったんだ?」
パドラが焦れたように促す。フィンはうなずくと話を続けた。
「うん。そこで調べてもらったら実際にマルガレーテ姫はシルヴェストに来ていたことが分かったんだ」
そのときボニートが口を挟んだ。
「姫の名前ってマルガリータ姫じゃなかったの?」
フィンは一瞬慌てた。
「ああ。そうだよ。でもシルヴェスト風の言い方だとマルガレーテ姫なんだ」
「へえ……」
ボニートはそれで納得したようだが、フィンは内心安堵した。どうもこいつはバカっぽいが結構記憶力はいいみたいだ―――あんな手紙を書けたのも納得がいく。
「ともかく、姫はシルヴェストに逃げてきていたんだが、そこで田舎の村で裕福な農夫と結婚したんだ。そこで二人は幸せに暮らしました……とそうなるはずだった。でもそうはならなかったんだ」
フィンは一同を見回した。
一同はフィンの話に引き込まれて、固唾を呑んで次を待っている。
フィンは軽く咳払いをすると続けた。
「姫の一家には不幸が次々に降りかかってきたんだ。最初は凶作だった。ご存じの通り、シルヴェストはワインで有名だけど、その農夫もブドウ畑を持っていたんだが、それが冷害で全滅してしまったんだ。農夫は仕方なく他の商売をしようとしたが、それもことごとく失敗してしまった。そこで農夫はグリシーナに出稼ぎに行こうとしたんだが、運の悪いことに途中で盗賊に襲われて殺されてしまったんだ」
「じゃあ残された姫は?」
パドラが尋ねる。フィンは首を振った。
「彼女も頑張ったんだ。でもお姫様育ちで農場の経営なんて無理だったんだ。やがて悪い奴に騙されて、本当に一文無しになってしまった。そして……ついに売るしかなくなったんだ。彼女に残されたたった一つの財産を……」
「それって?」
パドラの問いにフィンは少し言葉を切ると、おもむろに答えた。
「彼女の一人娘だ」
「ええ?」
声を上げたのはアルエッタだ。彼女も話にのめり込んでしまっているようだ。
フィンは調子に乗って話し続けた。
「本当にどうしようもなかったんだ。そうしなければもう二人とも死んでしまうしかなくなってね。でもそんな最悪の中でもまだ運が良かったのは、その娘はひどく美人だったんで、うんと高く売れたとことと、売れた先がヴィニエーラだったってことだ」
パドラとボニートが顔を見合わせた。
「安い娼館だったら本当にひどい目にあってただろうね……でもヴィニエーラは別だ。あそこなら下手な姫君よりもいい暮らしができる場合もあるし……実際彼女は努力して、そこの八角御殿に部屋を持てるまでになったんだ」
それを聞いてパドラが驚いたように尋ねる。
「おい。その部屋持ちってまさか……」
フィンはうなずいた。
「ああ。そのまさかだ。彼女の名前はレジェと言った」
しばらくは誰も何も言わなかった。やがてパドラが口を開く。
「おい、じゃあ……」
「ああ。だから僕たちは彼女のことを調べてたんだ。そうすればその母親のことも分かるだろうと思って」
それを聞いてアルエッタが口を挟んだ。
「お母さんは? 姫は、どうなったの?」
フィンは彼女の方を向くと首を振った。
「だめだった……レジェを売った後、彼女は体を壊して亡くなってしまっていたんだ」
「そんな……」
「だからせめてレジェの行き先だけでも調べたかったんだ。だけど……」
そう言ってフィンは黙り込んだ。
「え? どうなったの?」
アルエッタが尋ねる。するとパドラが代わりに答えてくれた。
「死んでたのさ。彼女も」
「ええ? そんな……」
「現実ってのは物語みたいには行かないんだよ。お嬢ちゃん」
「でも……そんなのって……」
アルエッタの目がうるうるしている。
ここまで感動してもらえると話し手冥利に尽きるというものだが……
しかしパドラの方はもう少し冷静だった。
「で、それからどうなったんだよ? それに、じゃあ何であんたがここにいるんだ? 王家の末裔の姫様はみんな死んでたんだろ?」
そう問われてフィンは言葉に詰まってしまった。
《しまった! 出任せで喋ってるうちに、最初の目的を忘れてた……》
何をしようとしていたかというと、ここに来た理由をでっち上げようとしていたのだ。
それなのにこれでは話が完結してしまっている―――ともかく話を繋げなければ……
フィンは咳払いを何回かすると続けた。
「もちろんだよ。このままじゃ話は終わりだからな。実際あの後、僕たちは報告をまとめて帰ろうと思っていたんだ。でも手ぶらじゃ何だから、姫のいた村まで行って遺品があればもらって来ようと思ったんだ。ところが行ってみると何かおかしいんだ」
「おかしいって、どうおかしかったんだ?」
「うん。確かに姫の残したという王家の指輪はあった。それは間違いなく本物だった。でもそれ以外がない。ちょっとした小物とか手紙とかがあってもいいと思ったんだが、なぜかそれ以外が一切ないんだ。しかもその母親の人相風体が聞いてたのとは何か違ってるんだ」
「ということは?」
フィンは一同の顔を見回してから答えた。
「そうだ。彼女は替え玉だったんだよ」
「なんだって?」
フィンは首を振った。
「どうやらレジェの母親は姫から指輪をもらって姫のふりをしていたみたいなんだ。多分追っ手をごまかすためだと思うけど。でもそのせいでみんな騙されてたんだ。レジェの母親は姫じゃなかったんだよ」
「じゃあ本物はどこに行ったんだよ」
「ああ。僕たちもそう思って、また最初から調べ直したんだ。そしたら、レジェの母親がある旅の踊り子と仲良くなっていたことが分かったんだ」
そう言ってフィンはアルエッタの方を見た。
「エッタ。君のお母さんはどこの出身って言ってたっけ?」
アルエッタはいきなり話を振られて一瞬ぽかんとしたが、すぐに不思議そうに答えた。
「え? セイルズだけど? そこの大きな魚屋さんで生まれたって。だから魚料理がとっても得意だったの。こっちにはあまりいいお魚がないってよく言ってたけど……」
それを聞いてフィンはおもむろにうなずく。
「そうか……君にはそんな風に言ってたのか」
「え? なに? それどういうことよ?」
アルエッタが驚いて周囲を見回す。
そんな彼女をパドラやボニートが目を丸くして見つめ、それからパドラが振り返るとフィンに尋ねた。
「おい! それって……」
フィンはうなずいた。
「ああ。彼女はベラの王族の血を引いてるんだよ」
「なにぃ?」
「ええええええ?」
パドラとアルエッタが同時に叫ぶ。
「ほ、本当なの? フィンさん?」
「ごめんな。今まで黙ってて……」
「ええええええええええええええええええええ?」
アルエッタは目を白黒させている。フィンは内心彼女に謝りながら続けた。
「分かるな? だから彼女を傷つけたりしたらどういう事になるかわかるな? ベラと戦争したいんなら別だが……」
パドラは目を丸くして口をぱくぱくさせる。
だがそのときボニートが口を挟んだ。
「でもアドルトの姫って朝敵じゃなかったの?」
フィンは吹き出しそうになった。つまんないこと覚えてるんじゃないよ! このガキが!―――などと言っているわけにもいかないので、フィンはおもむろに首を振る。
「ああ。あのときはそうだったけど、今では姫には罪はなかったってことで恩赦が出てるんだ。現首長のロムルース様は寛大なお方だからな」
「へえ……」
ボニートは納得したようだ。
そこでフィンはパドラの顔を見据えると言った。
「そういうわけなんで分かってもらえただろうか? これが不幸な事故だったってことが。別にこっちはあんた達をどうこうしようって思ってたんじゃないんだ」
パドラはちょっと首をかしげて考え込み、しばらくして尋ねてきた。
「ふうん。要するにあんた達はレジェの行方を捜してただけだって言うが、それならどうしてあのバカから卵をかっぱらったりしたんだ? そのときにはもう彼女がどうなったかは分かってたんだろ?」
フィンは一瞬言葉に詰まった。
《おい! あまり突っ込まないでくれよ……》
ともかくごまかさねば……そこで彼は首を振って答えた。
「それは……彼女の死の真相を調べたかったからだよ。アウラが。彼女はレジェとはすごく親しかったんでね」
パドラはうなずいた。
「アウラ? ああ、一緒に来てた女薙刀使いか?」
「ああ、そうだよ。彼女がレジェの親友で、あの騒ぎの時に別れ別れになってて探してたんだよ」
それを聞いてパドラは再びうなずいた。
「そうだ。そういえばそのアウラっていうのはヴィニエーラにいたんだっけな。じゃあそいつから何か聞けなかったのか?」
「え?」
「グリシーナに来る前にそいつに出会ったんだよな? 一緒に来たって事は」
「まあ……その通りだけど?」
ぽかんとしているフィンにパドラが言った。
「そのアウラからレジェとか姫のことを聞いたりはしなかったのか?」
フィンは内心舌打ちした。
「いや、そのときはまだレジェが姫の娘だって事は分かってなかったからな。彼女がすごい美人だったって事は聞いてたが……」
うー。そろそろ段々苦しくなってきたんだが―――これ以上細かく突っ込まれたらどうするよ?
実際パドラは少し首をかしげると考え込んだ。
「それじゃ何か? アウラと旅の途中でたまたま出会って、探していた姫の娘がたまたまそのアウラの親友だったということだな? で、それを知らずにあんたは姫の行方を捜していたと、そういうことか?」
あはははは!
「まあ、そういったことになるかもな。でもほら、人生っていうのは偶然の積み重なりだって誰か言ってただろ?」
そう言ってフィンは笑った。
だがパドラは笑わなかった。これはもうだめかも……
そう思ったときだ。階上からどたばたした物音が聞こえてきたのだ。
《来たぁぁぁぁ!》
今度こそ、今度こそ本物のリエカ達に違いない!!
「ん? 何だ?」
パドラが後ろにいた男に目配せする。そこでその男が階段を上って行こうとすると―――怒声と共に上から誰かが転がり落ちてきたのだ。
上ろうとした男は避けることもできずその下敷きになってしまった。
「なんだ? おい!」
パドラがそうわめいた瞬間、今度は上から何かが部屋の中に放り込まれたかと思うと……
ボンッ!
そんな音と共に地下室に煙が立ちこめたのだ。
「きゃあああ!」
アルエッタの叫び声がする。
同時に他の男達の叫び声も聞こえてくる。
《エッタ!》
フィンは彼女の方を振り返った。彼女は大丈夫か?
だが彼女は特に襲われてはいない。驚いただけらしい。それより……
「げほっ、げほっ!」
フィンとアルエッタは思いっきり煙にむせた。二人とも両手が縛られているので鼻を隠すようなことができない。
その前で煙の中、何やらドタバタと格闘が行われているようだ。
やがて煙が徐々に晴れていくと、目の前にはマスクを着けた男が三人現れた。
パドラ達は全員床に倒れている。
《まさか殺したのか?》
フィンは少し背筋がぞっとしたが、よく見ると血は流れていない。多分殴り倒されたのだろう。
男達は慣れた手つきでパドラ達を縛り上げると、階上に運んでいった。
フィンとアルエッタが呆然としているところに、リエカが下りてきた。
「リエカさん! リエカさん!」
その姿を見るなりアルエッタが叫んだ。
その声を聞いてリエカが駆け寄った。
「エッタちゃん、大丈夫だった?」
「うん。でも……リエカさーん……」
そう言うなりアルエッタは泣き出してしまった。
「大丈夫よ。もう」
リエカはアルエッタを抱きしめると、懐からナイフを取り出して彼女を縛っていた縄を切った。
「大丈夫?」
「うん。大丈夫だから……」
アルエッタは泣き声だが一応声はしっかりしているようだ。
リエカはもう一度彼女を抱きしめると、水筒を差し出して言った。
「さあ、エッタ。ちょっとこれ飲んで」
「何これ?」
「お茶よ。少しお酒とお薬も入ってるけど。心を落ち着かせるお薬よ」
それを聞いてアルエッタが眉をひそめた。
「ええ? お薬? 苦くない?」
「大丈夫よ。甘くしてるから」
アルエッタは渋々といった顔で水筒を受け取ると中身を飲んだ。
だがすぐに顔に笑みが浮かぶ。
「あ! おいしい……」
「怖かったと思ったから作ってきたのよ」
それを見てフィンは感心していた。
《何か彼女、すごく機転が利くよな……》
さすがとしか言いようがない―――そう考えると重ね重ねあの事故に遭ってしまったのは残念なことだが……
「エッタ、大丈夫かい?」
「うん。もう平気……ありがとう。フィンさん」
「ん? まあ、ね……」
感謝されてもフィンはあまり素直に喜べなかった―――何しろ彼女がさらわれた原因は、彼がいたからとしか言いようがないのだから……
だがともかく彼女に怪我などがなくて良かった……
そう思ってフィンが安堵の息を漏らしていると、アルエッタが尋ねた。
「でもフィンさん、あれってやっぱり嘘よね?」
「え? 何が?」
「お母さんの話」
え? 本当に信じてたのか? フィンは吹き出しそうになったがそれは何とか抑えて答えた。
「ああ、ごめん。嘘なんだ。みんな。何かまた場所を移されそうな感じになってきたから、リエカさん達が来るまで時間稼ぎにね」
それを聞いてアルエッタも笑った。
「あはは。やっぱり……でも最初は本当にどきっとしたんだから」
そう言いつつ彼女は何だか心底残念そうだ。
そんな彼女を見て、フィンはうっかり言ってしまった。
「ごめんね。でもエッタちゃんのお母さんはお姫様じゃなかったかもしれないけど、決して平凡な人たちでもないよ。お父さんとかもっとすごい人なんだよ」
「ええ? それって何?」
それを聞いてアルエッタが不思議そうな顔をする。フィンは少し慌てた。
《しまった。これって秘密にしておかなければならないことじゃ?》
フィンは咳払いする。
「いつか話してくれるよ。お父さんも色々大変だから、君が信じてあげてないとね」
「……うん」
フィンは何とかごまかした。
「ともかく帰りましょう」
「うん」
アルエッタは緊張が解けたせいか、何だか眠そうだ。
リエカは彼女を立たせると、階上に連れて行こうとした。それを見てフィンが彼女に言う。
「えっと、あの、リエカさん? 僕の縄もほどいてもらえないかな?」
フィンは未だ椅子に縛り付けられていたままだ。
それを見てリエカがあっという顔をした。
「ごめんなさい。すっかり忘れてました」
忘れないでくれよ―――リエカさんでもやっぱりうっかりすることはあるんだな。
リエカは謝りながらフィンの縄も切ってくれた。
それから彼にも先程の水筒を差し出す。
「フィンさんもどうですか?」
「ありがとう」
実際、喋り続けた上に煙を一杯吸い込んだせいで喉ががらがらしている。
フィンは水筒の中身を飲んだ。
確かに言ったとおりで、上等のお茶に少し酒が混じっていて、甘く味付けしてある。なかなか美味といっていい。少々薬臭いのも確かだが……
その間にアルエッタは別な男に連れ添われて出て行った。
「じゃあ帰りましょうか?」
フィンはリエカに言った。だがリエカは首を振った。
「ちょっと色々お訊きしたいことがありますので、少し残っていただけますか?」
「ああ。そりゃ構わないけど。でもお腹もすいたし」
「すみません。もうちょっと待って下さい」
確かにこんなことがあった以上、ここをすこし調べておきたいというのは納得いく。
今のところはどうもボニートが暴走していただけのようだが、彼の行動がどの程度知られているのかとかは聞き出しておかないとまずいだろう。
これがレイモンの上層部に知られていたとしたら、ここから裏組織のことがばれてしまう可能性もあるし―――戻ったら今後のことをじっくり協議する必要がありそうだ。しかも早急に……
フィンは仕方なくリエカにもらったお茶を飲みながら待つことにした。
それほど経たないうちに上から誰かが降りてきた。がっしりとした男だ。
「えっと、ベルナリウスさんですか?」
そう尋ねながら彼は何か違う気がした。
確かベルナリウスはドゥーレンよりも更に年上と聞いた気がするが、この男は少し若すぎる。
それに歩き方がまるで軍人のようだが……
「いえ、違いますよ。フィン君」
「えっと、それじゃ……どこかでお会いしましたっけ?」
「いえ、多分初めてでしょう。それより立てますか?」
「え? もちろん……」
フィンはそう言って立ち上がろうとした。
だがなぜかめまいがしてバランスを崩すと床に倒れてしまった。彼は慌てて体を起こそうとしたが、何だか体に力が入らない。
「あれ?」
「ごめんなさい。フィンさん」
なぜかリエカが謝った。
「え?」
フィンはぽかんとして彼女の顔を見る。彼女はうつむき加減に喋っているので帽子のつばで表情は見えない。
「あなたに魔法を使われると困るので、お茶にお薬を混ぜておきました」
「え?」
一体何を言ってるのだ? リエカさんは?
だが次の瞬間、状況を理解した。
「あの、それじゃこの人は……」
「アリオール様です。巷では小ガルンバとも呼ばれているお方です」
………………
…………
……
青天の霹靂とはまさにこのことだった。