第8章 あぶない夜
フィンは再び袋をかぶせられるとどこかに移送された。
今度乗せられた馬車は、その乗り心地から結構立派な物だということは分かるが、それ以上のことは皆目見当がつかない。
《………………》
茫然自失とはこのことだ。
頭がアルエッタの事ばかりに行っていて、それ以外のところに全く注意がいっていなかった……
ボニートに捕えられたときに余裕でいられたのは、もちろんリエカ達が助けに来てくれるという確信があったからだ。実際そうしてリエカは来てくれたわけだが……
だが今はどうだ? 彼らがさらわれているということさえ誰も知らないのでは?
その状況でどういった助けが期待できる?
《こんなの……俺のせいじゃないよな?》
注意していたら避けられた状況だっただろうか?
確かにリエカは怪しいと言えば怪しかった。
だがそれだけにドゥーレン達が十分に調べたはずだと思っていたのだ。それに彼女と同じくらい怪しい者ならいくらでもいる。工房の針子達だって全員疑わなければならなくなる……
フィンはため息をもらした。
やっと助かったと安心した瞬間にこれだ……
何にも増して、フィンは今これ以上ないというくらい孤立無援なのだ。
今度はもう助けは期待できない。だとすれば自力で脱出するしかないのだが―――そういう努力をする気さえ起こらなかった。
それはさっき飲まされた薬のせいもあるだろう。
リエカは魔法を使われると困るのでと言っていたが、だとすれば間違いなく魔法封じの薬が入っている。
魔導師が魔法を使う際には一種独特の強い精神集中が必須だ。
だがその薬を飲まされると、何かに意識を集中するのがひどく大変になってくる。
その状況で魔法を使おうとしてもうまくいかない。普通は失敗するが、悪くすると暴発することもある。
ただその薬は精神集中は阻害するが、体が痺れるようなことはない。さっき飲まされた薬には更に痺れ薬もブレンドしてあるのだろう。
そういう薬があることはフィンも魔導師の端くれであるからよく知っていたし、実際に飲んだ経験もある。
《あのときは可笑しかったよな……》
以前彼が銀の塔で魔導師としての訓練を受けているとき、学生達がその薬を実際に飲んでどうなるか試す実習があったのだ。
フィンの場合はぼうっとして何もできなくなった。
だが同級生の一人は『こんなもん何でもないさ』とか言って教官の制止を無視して無理矢理に飛空の魔法を使った挙げ句、天井に激突して目を回していた。
『魔法が制御できなくなるということは、使えなくなるよりももっと始末が悪いのですよ』
教官のあの言葉は今でもはっきり覚えている……
そんなわけなので今の状況で魔法を使うというのは良くて時間の無駄で、悪ければ正真正銘の自殺行為だ。
《魔法使えてもこれじゃだめだけどな……》
それ以前の問題として、フィンの能力ではたとえ魔法が百パーセント使えたとしても大したことはできそうもないことだ。
この状況を何とかしようとすれば―――例えば炎の魔法で縄を焼き切ってみるとかそういったことだが―――現在は目隠しされて後ろ手に縛られている。炎の魔法は対象物をはっきり認識していないと文字通り火傷するのがオチだ。
あと使える衝撃波と軽身の魔法も、この状況では使いようがない。
しかもそれに加えて体が痺れて動かない。それでは縄が切れたところでどうしようもない。
手も足も出ないとはこのことだ……
《あはははは》
この薬はつまらないことでも可笑しくなってくる副作用があったっけ?
まあどうでもいい。もはや好きにしてくれといった感じだが―――でもあまり好きにして欲しくはないが……
《逃げるとしたらどんな作戦があり得るんだ?》
フィンははっきりしない頭で一応考えてみた。
例え自由に動けたところで、普通に暴れるとかいうのはアウラもいないのだからあり得ない。
ハッタリが効けばいいが、そうでなければ勝ち目は全くない。
だとすると何らかの取引をするということだが―――そうなのだ。まだ殺されると決まったわけではない。捕らえられたということは何かの情報を聞き出そうという腹があるに違いない。そうすれば何か糸口が掴めるかもしれない……
だが交換条件にできるような美味しい情報なんてあっただろうか?
《おいおい。ヴォラン達を売ろうってのか?》
生き残るためには仕方がないかも―――とそこまで考えて、フィンは吹き出した。
リエカが裏切り者だったとすると、裏組織に関しての情報は彼女からレイモンに既に流れているのだ。
ところがフィンは新参なので組織に関してはあまり詳しくない。それこそベルナリウスの顔さえ知らないのだ。
《彼女が知らないような情報なんて何かあったか?》
ヴォランと来る最中に他の町でもメンバーに会っているが―――顔は思い出せるが、そのメンバーの名前さえ知らないし……
そのあたりに関してフィンは売るべき情報など持っていなかった。
………………
…………
……
《ってことは?》
はっきり言って方法はない。
完全に詰んでいる。
ゲームだったら投了物だ……
何だかフィンは考えるのも面倒くさくなってきた。
薬がなくてもこれではどうしようもないではないか! だとすれば―――もういい。とりあえず出たとこ勝負だ。なるようになれ! だ!
そんなことを考えていると馬車が停止したのが分かった。やがてぎーっと門が開くような音がしてまた馬車は動き出す。どうやらどこかの屋敷に入ったらしい。
再び馬車が止まると、今度はフィンは男達に抱えられて馬車から荷物のように運び出された。
それからしばらく邸内を輸送された挙げ句、どこかの部屋のベッドの上らしきところに乱暴に放り出された。
「あう!」
フィンは頭の袋を外された。
見るとそこは牢屋ではなく客用の寝室のようだ。
なかなか立派な調度に暖炉が赤々と燃えている。少なくとも凍えることはなさそうだ。
しかし客扱いしてくれているわけではないようで、手足の縄は解いてくれなかった。縄を解かれたところで体が痺れたままだからどうしようもないが……
フィンは力なく辺りを見回した。
上等そうな絨毯が敷き詰められた床には、先程のパドラという男とボニートが縛られて転がっている。
部屋の入り口辺りにはリエカがいて、フィンを運んできた男達に何か指示を出しているようだ。
男の一人がうなずくと、パドラの縄をほどいた。
「アリオール様がお話があるそうだ」
パドラはがくがくとうなずくと男の後に従っていった。
それからもう一人の男に対してリエカが言うのが聞こえた。
「あれをどこかにやって。後は私が」
そういって彼女がボニートを顎で示す。
「OK。レディー」
男はそう答えるとボニートを軽々と担ぎ上げる。ボニートはもがいたがお構いなしだ。男はそのまま彼を担いで行ってしまった。
男が出て行くとリエカは扉を閉じて、フィンが転がされたベッドの脇に歩み寄った。
リエカはそこからじっとフィンを見下ろした。
その顔には今まで彼女が見せたことのない怒りのような表情が浮かんでいる。
でもフィンは彼女に恨まれるような事をした覚えはない。一体何なんだ?
リエカがそのまま何も言わないので、フィンの方から尋ねてみた。
「リエカさん。どうして?」
それを聞いてリエカはきっとフィンの目を見つめると、歯を食いしばった。
「あの男が……みんなあの男が悪いのよ」
彼女は体を震わせると、堰を切ったように話し始める。
「ネイードが、私があいつを裏切った事なんてなかったんだから! 最初から、最後まで! じゃなきゃこんな所まで来たりしないわ! しかも言いなりになって男に抱かれもしたのに。あいつが言ったんじゃない。やれって。なのに何? そんなに嫌ならどこかに閉じ込めとけばいいじゃない! 鍵でもかけて! あたしは全然構わなかったわ」
一体何を話してるんだ? 彼女は? ネイードって確か……
「ネイードって、あの殺された?」
「そうよ。死んで当然の奴よ」
リエカは吐き捨てるように言った。
「まさか……あなたがその人を?」
リエカはフィンをじろっと見ると不気味な笑いを浮かべた。
「そうだったらどれほど良かったか。でも違うわ。やったのはアリオール様。私が顔を焼かれてのたうち回ってたんで、頭に来たんだそうよ」
そう言ったリエカの表情を見て、フィンはちょっと背筋がぞっとした。
一体どういう状況だったんだ? 何か相当な修羅場だったみたいだが、迂闊に尋ねたりしたら余計怒らせそうだし―――でも話の感じからしたら、彼女の方がそのネイードって奴から裏切られたように思えるが……
「あの、リエカさん?」
フィンは思い切って尋ねてみようとした。だがリエカはいきなりそれを遮るように言う。
「私はリエカじゃないから」
「え?」
フィンはぽかんとして訊き返した。
「みんな私のことをリエカだと思ってたみたいだけど、私はリエカじゃないから」
「リエカさんじゃなければいったい?」
「本当の名前はトリアっていったわ」
要するに―――替え玉だったということか?
「それじゃ、その本当のリエカさんは?」
まさか殺して入れ替わったんじゃ……
「彼女は別なところで働いてもらってるわ。よく気の付くいい子みたいね」
フィンはそれを聞いて安心した。
「えっと、でもよく気がつかれなかったな」
リエカはふっと鼻で笑った。
「ドゥーレン達は彼女を全然知らなかったから。それにあたしの顔も知らなかった。知ってたのはネイードだけで。だからよ」
フィンは納得した。裏組織ではメンバー互いに余計な情報を知らせないようにしていた。
それは芋づる式の逮捕を避けるには有効だが、今回はそれが裏目に出たということか……
結局まとめてみると、彼女は元ネイードの配下だった女性で、理由は不明だがネイードに裏切られて多分殺されかかった所をアリオールに助けられたということか?
アリオールはその場でネイードを殺し、その後のどさくさで彼女が本物のリエカと入れ替わったと?
だがそうすると……
「じゃあ、えっとリエカさん……いや、トリアさんだっけ? あなたがドゥーレン工房に来た時点では、もう組織の情報は漏れてたってこと?」
「そういうことね」
彼女はあっさりとうなずいた。
「いきなり捕らえなかったのは……監視してたってこと?」
「そうみたいね」
フィンは何だか力が抜けた。
組織の裏切りに関して色々とドタバタしていたのを見て彼女は何と思っていたのだろうか?
フィンは力なく笑うと言った。
「最初からずっと見張られてたってわけか……それじゃ来た次の日だったか、僕の部屋を調べた?」
だがそれを聞いて彼女は首を振った。
「それは違うわ。調べたのは確かだけど、それはエッタが服を見たいって言ったからよ」
「は? 服?」
何の話だ?
「エッタが言ったのよ。あなたが綺麗なドレスを抱きしめてごろごろしてたって」
フィンは咳き込んだ―――いや、確かにその通りだが……
「ちらっと見ただけだけど、何だかすごく変わったデザインだったから、よく見たかったそうで。でも直接には訊けないって言うから、それで手伝ってあげたの」
「……いや、あれは、その……」
フィンは顔が熱くなった。
「エッタはいい子よね……直接尋ねたらあなたが気を悪くするんじゃないかって。私はそんなこと思いもしなかったわ。そんな男一杯いたから」
気を悪くするって、いや、だから、何だか思いっきり勘違いされてないか? でもそう思われても仕方ないかもしれないが……
「それにしても変わったデザインだったわね? 何なの? あれ?」
「え? あれはクレアスのシレンがデザインしたドレスで……」
「クレアス? シレン?」
「ああ、ベラにある村なんだけど。シレンっていうのは、そこの仕立屋の娘さんでね。腕のいい。あっちだとあんな風にカットが入るのも結構あるんだ。まあそれだけじゃないけど……」
シレンとはベラから来る際にちょっと会っただけだが、なかなかいい娘だった。アルエッタと話が合うかもしれない……
それを聞いていたリエカに少し和やかな表情が浮かんだ。
「ふうん……そういう話、エッタが聞いたら喜ぶわね……もう話す機会なんてないかもしれないけど……」
そう言って彼女は目をそらす。フィンは少し慌てた。
「おい! エッタはどうなったんだ?」
リエカは首を振りながら答える。
「身の安全だけは保証するわ。私が」
「身の安全だけって……」
「しょうがないでしょ? こうなった以上」
「………………」
実際その通りだ。せめて彼女がアルエッタの安全を保証してくれているだけでもよしとするべきなのだろう。
ともかく裏組織はこれで活動を中止せざるを得ないだろう。ドゥーレン達も捕まってしまう可能性大だ。
だがどうやらそれは必ずしもレイモン側の意図したところではないらしい。本来は彼らは裏組織を監視するだけに留めておきたかったようなのだ。
これでレイモン国内での諜報活動はほとんどできなくなったと言っていいが、ただレイモンに組織を利用されることもないということだ。
《少なくとも最悪の事態ではないってことか?》
最悪から二番目くらいだが―――しかしフィン自身にとってはそうではなかった。
リエカはじっとフィンを睨むように見つめていたが、ふっとベッドの端に腰を下ろした。それからフィンを覗き込むように見つめた。
《??》
リエカの目が据わっている。一体何なんだ?
「……で、訊きたいんだけど」
「え? 何を?」
何かひどく真剣な表情だが……
「あのドレスは、どんな人が着ていたの?」
?? どういうことだ? 何でそんなことを訊くんだろう?
「僕の婚約者なんだが?」
フィンが答えると、彼がアウラの名前を出す前にリエカが言った。
「強くて、優しくて、とてもお上手だって言う?」
フィンは吹き出しそうになった。
「君も聞いてたのか? はは。まあそんな風には言われてたらしいけど……」
奥方様もそのことは知っていたし、どうもアウラは随分興味を持たれていたらしい。
だがリエカは笑わなかった。
「その人ってここに何があるの?」
そう言いながら彼女は胸を斜めになで下ろすように指さした。
《ん? 彼女は知ってるのか?》
報告にはアウラの傷の事まで書かれているのか?
「ああ、その、傷跡だけど……」
「あなたは……それを見たの?」
そう言ったリエカに目の奥には何か妖しい光が灯っていたが、フィンはそれに気がつかなかった。
「え? ああ……」
フィンは特に考えることもなくうなずいた。何しろ一緒にいるときにはもう日常の光景の一部のようになっていたものだからだ。
ところがそれを聞いた途端、リエカは体を震わせながら立ち上がった。
「嘘よ! あり得ないわ!」
「え?」
驚いて彼女の顔を見ると、リエカの目には怒りのあまり涙がにじんでいる。
「お姉様が男にあれを見せるなんて、あり得ない!」
「はい?」
何だって? どうして彼女はそんなに怒ってるんだ?
というか今、彼女、何て言った? 『お姉様』って言ったような……
《お姉様⁉》
もちろんアウラに妹がいたわけではない。ということは……
「もしかしてリエカさん、君、ヴィニエーラにいた?」
リエカは歯を見せて笑った。
「ええ。そうよ。あそこではエステアって言ってたけど」
エステア? その名前には覚えがある! アウラの話の中に何度も出てきていた。確か最初はレジェ付きの小娘で……
「じゃあ、アビエスの丘で、レジェさんにほっぺた引っ張られて……」
途端に、リエカ=エステアの頬がぽっと赤くなった。
「そんなことを……誰に聞いたの?」
「いや、だからアウラから……」
エステアはしばらく黙り込んだ。それから小さな声で言う。
「嘘だと言ってよ……」
「え?」
ぽかんと聞き返したフィンに今度は彼女は怒鳴った。
「嘘だと言いなさいよ!」
「え? じゃあ、その嘘です……」
フィンは勢いに呑まれてそう答えたのだが……
「もう遅いわ!」
どうしろと言うんだ!!
「嘘よ……お姉様がこんな男と……レジェ姉と一緒だって思ってたから、我慢してたのに……」
エステアの目から涙がこぼれ落ちた。
《ちょっと……これって》
フィンは遅まきながら途轍もない地雷を踏んでしまったことに気がついた。
「レジェ姉は死んでしまって……アウラお姉様まで……」
「いや、その……」
エステアはフィンをぎろっと睨んだ。
それから彼女はいつもかぶっていた帽子を取った。
フィンは初めて彼女の顔をはっきり見た。
それまではじろじろ見るのは失礼だと思っていたせいもあって、帽子のつばの端から垣間見える顔を見るともなしに見ていただけだ。
だが今はその顔がよく見えた。
彼女の髪は綺麗な金髪だったが、顔の左半分は頭の辺りまで醜く焼けただれて禿げているようになっている。
左目も盛り上がった焼け跡で半分閉じかかっている。
だが顔の残り半分はいまだかつての美しさを失ってはいなかった。
フィンはまざまざと彼女の元の顔を想像することができた。
《前は……美人だったんだな……》
エステアはその心を見透かしたように言った。
「どう? この顔」
「え?」
フィンは答えに詰まった。
そんなフィンを見てエステアの口元が歪む。
「化け物みたいって思ってるでしょ? 前は綺麗だったのに、とか」
「………………」
フィンは答えられなかった。
「いいのよ。そう思ってくれて。今はもう、身も心も化け物なんだから……」
エステアはそういって乾いた笑い声を上げた。
「でもお姉様なら……お姉様なら絶対……こんなあたしでも……」
エステアはうつむいて体を震わせる。確かにアウラなら絶対動じないと思うが……
彼女は再び顔を上げるとまたフィンを睨んだ。目の光がますます何かヤバい感じで……
エステアは懐からナイフを取り出すと、すらっと抜きはなった。
《ちょっと、えっと……》
何する気だ! 俺を殺そうって言うのか? それはお門違いと―――絶対言えないこともないが、やはりここはもう少し話を―――と言いたくても声が出ない。
しかもさっきの薬はまだ効いたままだ。動くこともできないし、魔法も使えそうもない。
だがエステアはいきなりフィンを刺したりはしなかった。
彼女は再びフィンの横に腰を下ろすと手にしたナイフを弄びながら尋ねた。
「お姉様は……幸せ?」
フィンはうなずいた。それは事実だ。事実のはずだ。でなければ……
「そう? 本当?」
フィンは再びうなずく。どうしてそんなことを訊く?
それを見てエステアが笑った。
「じゃあ、証拠を見せてちょうだい」
「証拠?」
エステアはそれには答えず、手にしたナイフでフィンの服を首の辺りから縦に切り裂き始めたのだ。
「え? ちょっと……」
「動くと知らないわよ」
「………………」
確かに両刃のナイフだ。下手に動くと怪我をしそうだ。フィンは身を固くした。
エステアは腹の辺りまで切り裂いたところで一旦手を止めると、服の裂け目を左右に広げ、フィンの胸を露わにした。
素肌に冷たい空気が触れる。
エステアは露わになったフィンの胸をなで回し始めた。
「あなたがお姉様を本当に幸せにしてあげてるのなら……許してあげられるかも」
「幸せって……」
「当然知ってるはずよね? お姉様が一切感じなかったこと」
「え? まあ……」
「あたし達、一生懸命頑張ったんだけど、だめだった……それをあなたが治してあげたんでしょ?」
「え?」
フィンは段々彼女の言わんとしていることが分かってきた。
ある意味それは当たっていると言えば当たっているが―――だが、もしかして彼女は壮絶な勘違いをしてるのではないだろうか?
いや、まさか、そんな―――そう思った瞬間だった。
エステアはフィンの股間に触れた。
「ここって……そんなにいいの?」
ヤバい! 何だかすごくヤバい!
「いや、だから、その……」
説明する言葉が出てこない。
そもそもあれはいろんな経緯があった結果であって、一口で言えることではないし、そもそもあれが克服できたのはナーザさんのおかげだと言った方がいいわけで……
金魚のように口をぱくつかせているフィンを見ながら、エステアは更にズボンも切り裂き始めた。やがてついにフィンの下半身が露わになる。
エスエアは現れた物をじっと凝視した。
《やめてくれ!》
こんな状況では当然だが、フィンのモノは縮こまったままだ。
それを見てエステアが言う。
「どうしたの? 私なんかじゃだめ?」
うわあ! どうしよう! 大体体も動かせないこんな状況で―――そう思った瞬間だった。
《これは? もしかしたら少し状況改善できるか?》
他にできることもない。フィンは試しに言ってみた。
「体が痺れて動けないから無理だよ」
それを聞いてエステアはふっと笑った。
「まあ! そうなの? 痺れを抜いて欲しいのね?」
わはは。見透かされてるか―――痺れと魔法封じのどっちかでもなくなってくれれば、少しは状況改善の足しになると思ったのだが……
「いいわよ。でもそれじゃ……」
「え?」
エステアは立ち上がると部屋の隅にあった箪笥から縄の束を取り出してきた。
それからフィンの手を縛っていた縄を解くと、その代わりに持ってきた縄で彼の手をベッドの柱にくくりつける。同じく今度は足の縄を解いて、同様に足もベッドに縛り付けた。
フィンはベッドに大の字に縛り付けられて動けない状態になった。
「えっと、その……」
それからエステアは部屋の戸棚から瓶を取り出すと、中身をカップに入れて、それを水差しの水で薄めた。
「さあ、飲んでね」
エステアはそのカップをフィンの口にあてがうと強引に中身を注ぎ込んできた。
フィンはむせながらその薬を飲む。今度のはひどくまずかった。
エステアが後片付けをしているうちに、フィンの体に段々力が戻ってくるのが感じられた。
だが解毒剤は痺れ薬用のようで、意識が集中できないのは相変わらずだ。
うっかり魔法封じまで解除してくれるようなヘマはしてくれるわけがない。
「どう?」
「え? まあ……」
「これなら腰は動かせるわよね?」
「………………」
さてこれは―――さっきより状況好転しているだろうか? はっきり言って大差ないような……
でも今彼女は一応フィンの言うことを聞いてくれた。だったら……
「えっと、これだとさ、胸を撫でたりしてあげられないし……」
それを聞いてエステアはくっと笑う。
「まあ。手も自由にして欲しいのね?」
「まあ……そうだね」
「でもそうしたら自由になった手で私の首を絞めたりしないって約束してくれる?」
あはははは。
「約束する。絶対しないって」
だがエステアは顔の前で指を振った。
「だ・め・よ。お姉様を逝かせられるくらいの腕なら、あたしなんて簡単でしょ? このくらいのハンデなんて当然じゃない?」
「ハンデ?」
何の話だ?
だがエステアはそれには答えず、フィンの横に背を向けるように腰を下ろすとフィンのモノを弄び始めた。
《うわあああ!》
絶妙だ。さすがプロ中のプロ! なんて感心している場合ではない!
しかも彼女は今、絶対わざとだが―――焼けていない方の横顔だけが見えるように座っている。これだと単にものすごい美女が彼を愛撫してくれているようにしか見えない、というか、そうなのだが……
そう思ったらフィンのモノが反応し始めた。
「まあ!」
エステアがそれを見て微笑んだかと思うと、ふっと立ち上がる。そしてそれまで着ていた厚い冬用のポンチョを脱ぎ捨てた。
その下は工房でよく着ていた私服のままだったが、今度は彼女はその服の帯を解き始めた。
《………………》
フィンの目は彼女の一挙一投足に釘付けになった。
単に普段着を脱いでいるだけなのだが、一見さりげないその仕草がどうしてこんなにエロチックなんだ?
このあたりは何だかアウラとは全然違う。
何と言ってもアウラ自身が客を取ってたわけではないし。何か本物の凄みというものをまざまざと見せつけられたような―――比肩できるとすればハビタルで出会ったパサデラだが……
《でもあれって最初っから限界ギリギリの格好だったし……》
などとフィンは思わずあの晩のことを思い起こしてしまったのだが……
《しまったああああ!》
それは最大の失策だった。
なぜならその途端、まぶたの裏にあの夜の光景が浮かび上がってしまって―――彼の上で行われていたあの二人の絡みが、その艶めかしい声と汗ばんだ肌の感触までまざまざと蘇って―――フィンのモノはますます堅くなっていった。
《わああああ!》
思わず目を開くと―――エステアが着ていた肌着を脱ぎ捨てて、見事な乳房が露わになったところだった。
その大きさもさることながら、完全に均整がとれている。
フィンは思わずそれに見惚れていた。
彼女はそれを知ってか知らずかという素振りで、最後の下履きもするりと脱ぎ捨てた。
そうやって露わになった裸身は―――素晴らしいという以外に言葉が出ない。
エステアはその姿で再びフィンの側に座ると、またフィンの堅くなったモノを弄び始めた。
「ちょっと、その……」
あんまり触られたら逝ってしまいそうだ。そもそも最近は禁欲状態が長いのだ。しかもアイオラの絡みを見てしまったり、変な夢を見たりとかで妙に刺激されていた所にこれでは……
「まあ、見事にかちかちね!」
エステアがフィンのモノを少し持ち上げて放すと、ぶるぶると振動した。
「うあ!」
フィンは思わず声を上げた。
《いかん! このままでは……》
フィンはまた目を閉じるが―――そうするとまぶたの裏の光景にはアウラとパサデラだけでなく、アイオラやアルエッタまでが混じってきて……
《うわああああっ!》
まさに目を白黒させているフィンにエステアはにっこり微笑むと、濡れたタオルで彼のモノをきれいに拭き清め始めた。
《ちょ! ちょ……》
それが終わるとエステアは別な瓶を持ってきてその中身をフィンのモノの上に垂らす。
見たところ郭でよく使われる、海草から作るぬるぬるした液体だが―――ということは……
エステアはその瓶をテーブルに置くとその液体を手のひらで塗り広げ始めた。
フィンは言葉が出せなかった。上手いなんて物ではない。
彼女は一体何がしたいんだ? いや、何をしたいかは分かるが、何の目的で? というより、そうなる前に果ててしまうぞ? この調子では……
そう思った瞬間だった。
エステアはふっと手を止めると、そのままフィンの上にまたがってきたのだ。
「うわ!」
彼女のその部分がフィンのモノに触れるのが感じられる。既に熱く濡れているようだが……
エスエアは不気味な笑いを浮かべながらフィンを見下ろした。
「さあ、それじゃ私を満足させてちょうだい」
「え?」
「だから簡単な事よ。お姉様にやったみたいに、私を逝かせてくれればいいの」
そう言いながら彼女はフィンの胸を撫でまわした。
だがフィンの目は彼女のもう片方の手に釘付けになっていた―――いつの間にか彼女は再びナイフを手にしているのだ。
「でも……もし私が逝く前に逝ったりしたら……」
エステアはそう言ってナイフの刃をぺろっと嘗める。
《ちょっと待てぇぇぇ!》
そんな勝負、勝てるわけがない!―――というか文字通りに秒殺されそうなのだが……
ここは何とかしないと。
といってもどうする?
幸せっていうのはこういう行為をするだけじゃなくて、もっと二人の絆が―――とか言っても聞いてくれそうにないし……
フィンが抗弁する前にエステアは腰を前に動かし始めた。
「あんっ!」
「うっ」
次の瞬間抗うこともできずに、フィンのモノはするりと彼女の中に入り込んでしまっていた。
《!!!》
逝ったら殺される!!
というのに体は反応し続けている!!
いや、萎えたら萎えたでまた何されるか分からないが……
「さあ、どうしたの?」
エステアが腰を振り始めた。
《うわあぁぁぁぁ!》
だめだ。天国だ! これでは本当に……
と、そのときだった。
「おいおい。尋問する前に殺さないでおいてくれ」
二人が驚いて振り返ると、部屋の入り口に男が立っている。
がっしりとした体つきで、髪は短く刈り込んでいる。
男は腕組みをして二人を面白そうに見つめている。この男は―――アリオールだ。
こんな状況で入ってこられるというのは普通ならば最悪なものだが、今回ばかりは違っていた。
「あ、あの……」
エステアが顔を赤らめる。
「どうだ? そいつは?」
「だめですわ」
「じゃあ下りろ。ちょっとそいつに用があるんでな」
「はい……」
フィンは心の底から安堵した。しれっと何だかえらく失礼なことを言われたような気がするが、そんなことは全く気にならない。
エステアはフィンの上から下りるとガウンを羽織った。
それから出て行こうとしたところを、アリオールが引き留める。
「そこに残っていろ。お前に訊くことがあるかもしれない」
「はい」
エステアはおとなしく近くの椅子に座った。
アリオールはつかつかとやってくると、ベッドに縛り付けられているフィンを見て笑った。
「さすがにこれでは……」
それを聞いてエステアが立ち上がると、毛布を持ってきてフィンの上にかける。アリオールがうなずくと彼女は元の場所に戻る。
その仕草を見ているとさっきとはえらい違いだが、二人は一体どういう関係なのだろうか?
少なくともエステアの方はぞっこんな感じに見えるが―――などとじっくり観察している余裕はあまりない。ともかくちょっと命がつながったわけだから、ここを大切にしなければ……
「えっとあなたはさっきの……」
「申し遅れたな。私はガルンバ・アリオール。そう言えば分かってもらえるかな?」
「ええ、まあ……」
先程エステアから聞いているから驚きはしないが―――だがこうやって話してみると結構気さくな感じだ。これならとりあえずは問答無用で殺されることはないかもしれない。
そんなフィンを見ながらアリオールが言った。
「さて、何から訊いたらいいかな? ル・ウーダ殿」
彼はフィンの名字を知っているのか? どこから聞いたんだ?
「僕のことをどこまで知ってるんですか?」
「うん? あまり知ってるわけではないよ。フォレスの方から来られたこととか、その割には変わった名字であるとか。それに変わったお連れがいたとか?」
そう言ってアリオールはちらっとエステアの方を見た。エステアがうつむく。
「その“お姉様”のことは彼女からよく聞いてるんだがな。その人にも会ってみたかったが、来られなくて残念だ」
フィンは考えた。
これらのことは裏組織のメンバーは知っていることだから、エステア経由の情報か?
「で、単刀直入に訊こうか。そのあなたがレイモンに何しにやってきたか、ということなんだがね」
まずは当然の質問だが―――そこでフィンは答えた。
「レイモンが都に侵攻しようという情報を得たから、それを阻止したいと思ったんです」
「うん。それは聞いた。でもどうして君がそうしたいんだ? 君がフォレスの臣下だとしたら、変じゃないか? フォレスはベラの同盟国だしな」
やっぱりそう来たか……
「それがフォレスの国益になると考えたからです。ベラの同盟国だからと言って、都が陥ちるのを単純に喜んでもいられないでしょう? それに都が陥ちてレイモンの傘下に入ったら、小国連合なんて吹っ飛ばせるんじゃないですか? そうしたら次の目標はどこですか?」
アリオールはその答えを聞いて少し考え込んだ。
「なるほどね。でもそれでは君は、どうして都が陥ちると思ったんだ? そんな簡単な事ではないだろう? 実際アラン殿もそうは考えていなかったと思うのだが?」
フィンは思わず目を見開いた。
《どういうことだ? こいつ……都を陥とす気はなかったってことか?》
いや、それは何か違うぞ。えーっと。どういう事なんだ?
フィンはぼうっとした頭で必死に考えた。あの薬は普通に物を思い出したりするのにはあまり影響しないのだが、何かを本気で考えようとするとひどく集中しづらくなる。
こんな状態で相手を騙そうとしても無駄だろう。フィンは正直に言ってしまうことにした。
「僕の名字を知ってるのなら分かるでしょう? 都の銀の塔の中のことはよく知ってます。だからその可能性もあると思ったんですよ」
「ふーん。それではその君がどうしてフォレスの臣下なんかに?」
「それは……いろいろあって……」
「いろいろね。もう少し詳しく聞かせてもらえるかな?」
ここは―――仕方ない。話すことにしよう。
「えっと、アリオール殿。あなたはメルフロウ皇太子のことを覚えていますか?」
「え? ああ。聞いたことがあるが……病死した?」
「ええ。ではその彼の妻がル・ウーダの家から出たことは?」
アリオールは目を見開いた。
「なに? ということは、まさか君は?」
ル・ウーダという苗字だけなら都に行けばたくさんいる。
「そうです。メルフロウ皇太子の妻、エルセティアは僕の妹です」
それからフィンはそのときの経緯を話し始めた。
妹が世継ぎの幼なじみだったこと。ジークとダアルの確執。その結果メルフロウが暗殺されて彼らも命が危なかったところをカロンデュールに救われたこと。そんなことに関係したせいで都に居づらくなって出奔してきたこと―――そういったことをフィンはアリオールに話した。
もちろん本当の詳細は伏せてある。以前アイザック王に話したようなバージョンだ―――というのもフロウが実はファラだったとか言い出したら嘘っぽすぎるからだ。本当の事なのだが……
「……そういうわけでアイザック様に拾って頂いて、こうして重用してもらっているんです」
聞き終わってしばらくアリオールは考え込んでいた。
「ふーん。皇太子殿が暗殺されて、ル・ウーダ殿はその秘密を知っていたため出奔してきたと……そして途中でアウラ殿と出会って、フォレスに一緒に行って召し抱えられたと?」
「そういうことです」
だがアリオールは笑いながら首をかしげた。
「信じてないんですか?」
「いや、そういうわけでもないんだが……」
どう見ても信じていないという顔だ。何か矛盾でもしていたか? 嘘は言っていないはずだが?
「それでは何が可笑しいんです?」
アリオールはフィンの顔をじっと見ると答えた。
「実はな、先程ちょっと聞かせてもらったんだよ」
「聞いたって……何をです?」
「君の話さ。あの農家を囲んだとき、地下室の明かり取りから中の様子が見えてな。君がおもしろい話をしていたものだからつい聞き入ってしまって」
フィンは愕然とした。
「え? っていうと……」
「ああ。あの娘が王家の末裔だったとかいった話だがな」
うわあああ! あれを聞かれたってか?
「君の作り話の才能はすごいね。あの話をあの場ででっち上げたんだろ?」
「え? 確かにあれはそうですが、これは本当に……」
フィンはしどろもどろになった。
「私が君の友達だったら信じても良かったんだが、不幸なことにまだそうじゃないしな」
「でも本当なんです!」
フィンは目の前が真っ白だった。
今までフィンは色々なピンチをある意味、舌先三寸で切り抜けてきた―――だが今その最後の手段が封じられてしまったのだ! しかも自分のせいで……
「それじゃもう一度まとめてみようか? 君はレイモンの都攻めを阻止するためにやってきたと言ったね?」
フィンはうなずいた。
「だがその理由が今ひとつ納得いかない。確かに君の言うとおり、もし我々が都を攻め陥としたらフォレスも無関係じゃいられないだろう。でも常識的に考えればそんなに簡単に都が陥ちるはずがない。それにまかり間違えて陥ちたとしても、今度はアラン殿と戦をしなければならない。君はさっき小国連合なんか簡単に吹っ飛ばせるって言ったが、あの男をそう簡単に吹っ飛ばせると思うかい?」
「いえ……」
フィンは首を振らざるを得なかった。
「そう。実際、十何年も謀られ続けて来たんだからな。全く、ある意味運がいい。マオリ様がああでなければ、間違いなく親父どもは攻め込んでただろうからな……そしてあいつに食いつかれて大怪我をしてたことだろう……」
これって、あの男娼ルートのことか? だとしたらアラン王の策は成功しつつあったということか? なのにマオリ王が優柔不断だったせいで、たまたまレイモンは救われていたということか?
「彼女が来てくれたのは本当に運が良かった。でなければまだ騙され続けてたところだ」
アリオールがそう言ってエステアを見ると、彼女は恥ずかしそうに顔を伏せた。
《一体どういう経緯で彼女は裏切ったんだろう?》
だがさすがにそういったことを訊いている余裕はない。
「お陰で今度はこっちの番だと思っていたのに、あのバカどもが……」
アリオールは大きくため息をつくと、フィンに尋ねる。
「で、確かフォレスのアイザック王は、あのアラン王の友人だと聞いたが本当か?」
「え? はい……」
「だったらアイザック殿は当然彼が切れ者だということも知っているはずだな?」
「え? はい……」
それを聞いてアリオールはにっと笑った。
「だとしたら、フォレスに危機が及ぶのはまだ遠い先の話だな?」
彼の言うことはもっともだった。
「え? まあ、確かに。でもアイザック様はそれを見越して……」
「じゃあそういった遙か未来の危機を見越して、アイザック殿は君を工作員として送り込んできたということか? 成功するかどうかも定かでない我々の都攻めを阻止することがそれほど重要だと? 他にもっとすることはないのか?」
フィンは返答に詰まった。
彼がフォレスの家臣としてここに来ているとすれば、それはアイザック王の意志と考えるのは当然だ。
すなわちアイザック王が都攻めをどうしても阻止したいと考えていることになるが―――それもわざわざ自国の家臣を派遣して秘密工作させるなんて、相当に切羽詰まっていると取られても不思議ではないが……
「ル・ウーダ殿。そういうわけでもっと正直に話してもらいたいのだがな。今のままではちょっと納得がいかないのでね」
「………………」
フィンは口の中がからからになった。
今のフィンの説明ではアイザック王をそこまで必死にさせている理由が分からないが、それは当然だ。そんなもの存在しないのだから……
答えないフィンに対してアリオールが更に尋ねた。
「まだ君は話してくれてないことがあるんじゃないか? 例えば……」
そこでアリオールは少し間を置いて尋ねた。
「君は、我々が都を陥とせるという確信があったりするのではないのかな?」
「え?」
フィンは一瞬アリオールの言っていることが分からなかった。
都を陥とせるという確信? そんなものがあるはずない。全て仮定の話だし―――でもどうして彼は今思わせぶりにそんなことを言った?
《え? これってもしかして……》
そのときフィンは思い当たった。
もし都にレイモンと通じている内通者がいたら、という仮定の話だが―――あれが本当に事実だったとしたら?
《もしそれが本当なら、常識的には無理なことが実は可能だということになる……》
今までの彼の話っぷりは都を陥とすのは困難だということが前提だったが、実はそれは事実なのではなく―――レイモン側がそう信じていて欲しいと願っていたことだとすれば?
《ちょっと待てよ!》
レイモンが都を陥とす特別な手段を持っていたのなら、それこそ極秘にしたいはずだ。そうでなければ都を陥とすなんて夢物語だ。誰も取りあわないに違いない。実際アラン王でさえそう思っていたわけで……
そんな所に『都が陥とされるかもしれない』と言って工作する者が現れたらどう思われるだろうか?
だとすればその者は―――レイモンの秘密を知っているからそう言っているのでは? と勘ぐられてしまうのでは?
フィンの背筋に冷たい物が走った。
《……んなもん……知らないって!》
フィンのそれまでの人生で一つ得た処世術があった。
それはいざというときには正直になれということだ。本当の事を真摯に話せば相手も分かってくれると。
だが―――ここに来たのは実は個人的な理由で、危険が迫っている大皇后を救うためなのだ、などと言って信じてもらえるだろうか?
フィンは咳き込んだ。
あり得ない! これだったらアルエッタが王家の末裔だった方がまだましだ!
「どうしたんだ?」
だがフィンは茫然自失で天井を見つめるだけだった。
それを見てアリオールはフィンが黙秘しようとしていると思ったのだろう。首を振った。
「ああ、やっぱり簡単には喋ってもらえないようだな……」
それから彼は立ち上がると暖炉の側まで行って、鉄の火かき棒を取り上げた。
《な、何する気だよ!》
アリオールは手にした火かき棒で暖炉の中を何度かかき回して炎を大きく立ち上げた。
それから火かき棒の先を暖炉に突っ込むと、そのままフィンの側まで戻ってきた。
「都には真実審判師という便利な人がいるらしいが、残念ながらここにはいなくてね。あまりエレガントではない方法に頼らざるを得ないんだよ」
彼の意図は明白だ。
「ちょっと! ちょっと! 待って下さい!」
蒼白のフィンを見ながらアリオールが楽しそうに言う。
「大丈夫。先が赤くなるまではもうしばらくかかるからな。今ならまだ間に合うぞ」
そうしたいのは山々だった。だが話したくても話す内容が―――というか、それをこれから調べようとしていたところなのに!
だとしたら残るは―――もう泣いて命乞いするしかないのか?
アリオールは軽くあくびをすると、ふっとエステアの方を向いて言った。
「そういえばこの間お前、話してたな。あの痛い話の好きな娘」
「アミエラですか?」
「そうそう。あれ試せるかもしれないぞ?」
途端にエステアの顔が赤くなる。
《ちょっと待て! どんな話なんだよ!》
顔色の変わったフィンを見てアリオールがにやりと笑った。
「聞きたいか?」
フィンは慌てて首を振る。
だがそれを見てにた~っと笑うとアリオールは話し始めた。
「なんでもエクシーレの古い拷問なんだそうだがな。男のオチンチンがあるじゃないか。その竿の付け根部分の皮だけを、こうカミソリで一周させて切るらしいんだ。そしてその皮を裏返しながらはがすんだってさ。そうしたらほら、亀の頭のところまではきれいにはがせるだろ? それから細い紐で先っぽを縛るんだってさ。亀の頭を包んだ巾着みたいに……」
だああああ! やめろ!
「そうした状態で水をがぶがぶ飲ませるんだそうだ。するとやがて催してくるだろ? でも出したところで先が閉じた袋になってるわけで、それがぱんぱんになるともう出せなくなって、出したいのに出せないのがそれはもう地獄の苦しみだとか……」
フィンは口から魂が抜けたような気分になってきた。
《だめか? こりゃ……》
もう何も考えられない。ここで終わりなのか? 何だか短い人生だった―――これならさっきエステアに殺された方が百万倍ましだったかも……
そう思った瞬間だった。
バタンと音がしていきなり部屋の扉が開いたかと思うと、男が二人飛び込んできたのだ。
「なんだ?」
入ってきた男達は覆面をしている。どう見てもこの家の者ではないようだ。
「貴様ら、誰だ?」
だが男達はその問いには答えず、一人が剣を抜いた。さすがにここではアリオールも帯刀していない。
彼は弾かれたように立ち上がると暖炉のところに走る。そして火かき棒を手にして振り返るやいなや、剣を持った男に逆襲しようとした。
だがその瞬間、もう一人の男が間に挟まれるように立つと手を前に差し伸べると……
ズドン!
そんな音と共にアリオールが吹っ飛ばされて壁に叩きつけられるのが見えた。
《え?》
一体何が起こっているのだ? これは―――魔法か?
「アリオール様!」
エステアが慌てて倒れたアリオールのところに駆け寄っていく。
そのときには剣を持った男がフィンの縄を切っていた。
「立てるか?」
「え? ああ……」
フィンは立とうとしたが腰が抜けている。
それを見て男は剣を置くとフィンを抱え上げて魔法を使った男の方に差し出した。
「こいつを!」
「おお」
受け取られるのと同時にフィンの体がふっと軽くなった。
《!!》
明らかに彼の体は浮いている! 間違いなくこの男は魔導師だ!
男はフィンを受け取るとそのまま肩に担いで部屋から走り出た。もう一人もすぐさま後を続く。
部屋から出ると男は手にしていた剣を扉の取っ手にかんぬきのように差し込んで、中から出られないようにした。
男達はそのまま屋敷の廊下を走り抜けた。
所々にこの館の住人らしい男達が倒れている。二人は廊下の突き当たりの窓からフィンを担いだまま外に飛び出した。
《わ!》
彼が閉じ込められていたのは屋敷の三階だったようだ。
だが二人はそのまま中庭の上をジャンプして飛び越すと、反対側にあった棟の屋根に飛び降りた。
そこには更に二人の別な覆面男が待っていた。
彼らに対してフィンを担いできた男が言った。
「おまえらだけか? もう一人は?」
「いなかった。あいつらは先に行った」
「しょうがない。それじゃあ行くぞ」
「おう」
それとほぼ同時に館の中から武装した兵士がばらばら出て来るのが見えた。
それを見てフィンは少し慌てた。
《ここからどうやって逃げる気だ?》
かなり広い邸内だがジャンプで外まで出られるのだろうか?
だが次の瞬間、全く問題がないことが分かった。
なぜなら四人はふわっと浮き上がるとそのまま空を飛び始めたからだ。
《飛空の魔法か?》
これはちゃんとした魔導師であれば、大体できる魔法と言っていい。人によって飛べる距離とかスピードなどは異なるが、少なくとも館から飛び出すくらいならなんの問題もない―――といよりこの程度もできないフィンの方がだめなのだが……
男達はアリオールの館の敷地内から出ると、そのままアキーラの上空を飛び始めた。
フィンは呆然としながら眼下の光景を見下ろしていた。
《……助かった……のか?》
ともかく何だかよく分からないが、少なくともあそこで拷問されて殺されることはなくなったような気がする。
フィンはほっとした―――それと同時にとんでもなく寒いことに気がついた。考えてみればあそこでエステアに服をずたずたにされたままだ。
そのことは男達も少々気になっているようだった。
しばらく飛んだところで男達は一旦人気のないところに下りると、一人が着ていた上着を脱いでフィンに着せてくれた。
「ありがとう……」
「もうしばらく我慢しろ」
「あ、ああ……」
色々尋ねたいことはあるが、ともかく今はそういう場合ではない。
それにしても誰なんだ? 魔導師がこんな荒事をやっているというのも珍しいが―――ということは都の関係者か? それならばある意味納得がいくが……
だが都がレイモン内で工作をしていたのか? そんな話は聞いたことがないが―――もちろんフィンの知らないところで色々動いていたのかもしれないが……
一行はやがてとある大きな商家らしい館の中庭に着地した。
深夜を過ぎてもう明け方が近いが、まだ町は活動を始めてはいない。多分彼らの姿を見た者はいないだろう。
フィンはその館の中に通された。
外見からはよく分からなかったが、内装はかなり上等だ。
《どこだろう?》
一つ言えることは、この内装はどう見ても都の趣味ではないと言うことだ。
まず足下の絨毯の模様が独特だ。人や動物、鳥といったモチーフでぎっしり埋め尽くされている。また部屋の明かりが燭台ではなく、天井からたくさんつり下げられたランタンのような物になっているのも目を引く。
こんな雰囲気の場所は今まで見たことがないが……
フィンはそのまま二階の客間らしいところに通された。
その部屋のソファの上に髪が白くなりかかった男が座っているのが見えた。
男は居眠りをしていたようだが、彼らの気配を感じると体を起こして振り返った。
「おお、帰ったか?」
男は目をこすりながら言った。
「あ!」
その姿を見てフィンは思わず声を上げていた。
「やあやあ、フィン君。大変な目に会ったみたいだね」
あの人じゃないか! ヴォランと一緒に駐屯地を調査に行ったときに会った、えっと確か―――何て名前だったっけ?
「えっと、あの毛虫の……」
それを聞いて男は笑った。
「ロクスタじゃよ」
あ、そうだそうだ。ロクスタさんだ! フィンは彼に向かって頭を下げた。
「すみません。ロクスタさん。えっと、その、何というか……」
文字通りにお礼の言葉も見つからない。
「ははは。確かにこの歳でこういった荒事は、少々堪えたがな。でもフィン君にはランチを頂いたし。これで借りは返せたかな?」
「え? それは、というか……」
借りって、そりゃ確かにあれはそうだが、でも弁当代にしては高すぎないか?
そんな彼を見てロクスタは笑った。
「ま、もちろん。それだけじゃない。実は君に大きな借りがあったというのはわしじゃなくて、連れの方でな」
連れ? そう言えばあのとき彼は連れを待っていた。その帰りが遅かったので食事を一緒にしたわけだが……
《でも、そんな貸しなんてしたことあったか?》
彼らはフィンをアリオールの屋敷から助けてくれた。
だがそれは間違いなく命がけと言っていい行為だ。そうまでして助けてもらえるほどの貸しなんて、誰かにしてやったことがあっただろうか?
あるとすれば例の山荘事件絡みだが―――だとしたら彼らはカロンデュールの手の者か?
でもあれは個人に対して貸しがあるって感じじゃないし―――まさかカロンデュール本人が来たとでも?
そんなことを考えていると、誰かが入ってくる気配がした。
「おう。戻ったか」
「はい。師匠」
フィンは何だかその声に聞き覚えがあるような気がした。
振り返ると覆面をした男が立っている。男はフィンの姿を認めると顔を隠していた覆面を取った。
それを見た瞬間フィンは腰が抜けそうになった。
「やあ、ル・ウーダ殿。お久しぶりですな」
もちろんその顔を忘れるはずがない! 声に聞き覚えがあったのも当然だ。
「プ、プリムス! 何でここに……」
フィンは慌てて振り返った。
「って、師匠?」
「うむ。奴はわしの弟子なんじゃが、なかなか良くできた奴じゃろ?」
ちょっと待て!
「……じゃああのときの連れって?」
「うむ。話を聞いてわしもびっくりじゃよ」
「………………」
確かに貸しならあった。
あのベラ転覆計画はプリムスが長い時間をかけて練り上げ推進していたに違いない。そしてそれがもう少しで成功しようとしたときにフィンとアウラが現れたせいで何もかもが水泡に帰してしまったのだから……
フィンはぽかんとして天井を見上げた。
《おいおい……》
何でか今日は青天の霹靂が大安売りだ。途端に目の前が暗くなる。
男でもショックのあまり気絶することはあるらしい。