キケンな出世街道 第5章 クーレイオンの解放

第5章 クーレイオンの解放


 だがしかし……

《マジかよ……》

 フィンは険しい岩山の下からその古城を見上げていた。

 彼の背後からはたくさんの兵士達が続き、その中には魔導師まで含まれている。

 少し先方にはアルデン将軍とファーベル、それにアルクス王子の姿も見える。

「こっから行くしかないのかな?」

 王子の声だ。彼らの前から長いつづら折りの坂道が始まっている。

 この先は馬で行くと長い縦列隊形になってしまって今後の作戦に差し支えるので、ここからは徒歩で行かなければならないのだ。

「はい。城の正門にはここからしか行けません」

「だる~。しょうがないなあ。じゃ、行こっか」

 アルクス王子は馬から下りると坂を上り始めた。まるでピクニックにでも行こうかといった調子だ。

《んー……何なんだろう?》

 そんな王子の後ろ姿を見てフィンは心の中で唸った。

 王子の振る舞いは自他共に、彼が間違いなくこの一団のリーダーであることを示している。

 実際彼はそれだけの知識や統率力を示しているし、それを認めているからこそアルデン将軍達も彼に文句も言わずに付き従っている。

 だがその姿は声変わりもしていない華奢な少年なのだ。将軍から見たら孫のような年齢だ。彼らがアルクスの指示に従っている光景は、まだ新参のフィンには不思議な光景以外の何物でもなかった。

 もちろんフィンにその理由は分かった。

 読心能力を利用することで非常に効率の良い“学習”ができるということは、白銀の都でも知られていることだ。彼は積極的にそれを利用してきたのに違いない。そう考えれば理論的には不思議なことではないと言えるのだが……

《都じゃあまりそういうことしないからなあ……》

 彼のような強い読心能力を持った子供が現れても、銀の塔ではあまりこういった詰め込み教育はしない。知識というのは体や心の成長とバランスが取れていなければいけないからだという。

 たくさんの軍人を従えながら歩く少年の姿を見て、フィンは何か違和感を禁じ得なかった。

《子供時代をすっ飛ばすとこんな感じになるのか?》

 それって何か少しもったいないような気もするのだが―――あのくらいの年齢の頃は確かずっと遊び歩いていたと思うし、湖の岸辺で迷っていたフロウと出会ったのもあの頃だ。あの時間がなかったとしたら……

 などと考え始めた自分に気がついて、フィンは慌てて首を振った。今はそんなことを考えている場合ではないのだ。これからのことに集中しなければ……

 フィンは将軍達と共に彼の後に従った。

 彼らについて歩きながら、彼はこの迅速すぎる展開に現実感が追いついていなかった。

 タルタルより戻ってから、まだ二週間経っていない。

《ここって、来る途中見たところかな?》

 これから上ろうとしているのはアロザール王国北部に点在する山城の一つで、クーレイオンの古城と呼ばれている場所だ。

 このあたりはかつてウィルガ王国が侵攻を繰り返していた時期の最終防衛線にあたり、その頃には北方からの侵略に対する重要な防衛拠点の一つだった。

 だが現在の国境線はもっと北に移動しているために、今そういった重要性はあまりない。

 そのためこういった山城は放棄されて荒廃したり、貴族に買い取られて別邸として使われたりしていたのだが―――その一つが何と本当に性奴隷流通の拠点になっているというのだ。

《本当かよ?》

 フィンは未だに半信半疑だった。

 だが彼はその場にいて、その情報を引き出した張本人なのだ。

 少なくとも彼らが嘘をついていることはあり得ない。だとしてもそれが信じられるかどうかは別問題なのだが……


 ―――フィンはクリーチ村の宿屋の個室の扉の前にいた。彼の後ろにはファーベルとアルクス王子、それに兵士が三人立っている。

 フィンは彼らに向かって軽くうなずくと扉をノックした。

 中で少しごそごそする音と共に扉が開いて中年の男が顔を出した。

「なんだ? またあんたらかよ?」

 男はフィンとその後ろにいるファーベルを見て言った。

「すみません。ザモスさん。度々。もう一回お話を伺おうと思って」

「話すことはみんな話した。何度聞かれたって同じだよ」

 ザモスは扉を閉めようとしたが、それをファーベルが抑える。

「そう言わずにもう一度お願いしますよ」

 フィンはそう言いながら強引に部屋に入り込む。それに続いて豪華な衣装を纏ったアルクス王子が入って来たのを見てザモスは目を丸くした。

「だれだよ? そいつは?」

「アルクス殿下です」

「殿下?」

 ザモスは目が点になった。

「大丈夫です。非公式ですので、楽にしていてください」

 フィンの言葉に続いてファーベル達も部屋に入ってくるのを見てザモスは蒼くなった。

「おい! 俺をどうする気だ?」

「いや、別に手荒なことはしませんよ。単にお話が聞きたいだけなんで。彼らは単に殿下の護衛なので気にしないでください」

「おい、殿下って?」

「まあとにかくそちらにおかけください」

 その部屋にはベッドの他に小さなテーブルと椅子がいくつかあった。

 フィンはそのうちの一つをザモスに勧める。

 ザモスは渋々といった様子で腰を下ろして、不安げな表情で周囲を見回す。

 その後ろにアルクス王子が立つと、唐突に言った。

「ん~。汚ったない頭だなあ。ちゃんと洗ってる?」

「なんだよ?」

 ザモスは振り返って王子を睨むが、王子はにやにや笑うだけだ。

「貴様、殿下に対して……」

 王子に対するそんな失礼な振る舞いにファーベルが口を挟もうとしたが、王子は彼を押しとどめた。

「細かいことはどうでもいいから、さっさと始めなよ。フィン君」

「はい」

 フィンはうなずいて尋問を開始した。

「それじゃ手短に行きたいと思います。まずこの間お尋ねしたロゼットのことなんですが、確かザモスさんは、メッサの郭に送ったっておっしゃいましたよね?」

「ああ。何度も言っただろう。そうだよ」

 彼がそう答えたとき、アルクスがザモスの両肩に手を置くと、いきなり言った。

「シュピーラーって?」

「は?」

 ザモスが驚いたように振り返るが、アルクスは素知らぬ様子で続ける。

「そんなの、シュピーラーしか知らないって?」

 それを聞いてフィンが尋ねた。

「え? そんな人の名前は聞きませんでしたよ? 誰ですか? その人は?」

「な、何の話だ?」

 ザモスの目が泳いでいる。明らかに動揺している。

「そのメッサの郭に連れてってくれた人がシュピーラーという人なんですか?」

「そうだよ。そうだって!」

 フィンの誘導にザモスは慌てたように答えた。

 だがそれを聞いたとたんにアルクスが言う。

「ともかくそうしとけ、だって」

 そこでついにザモスも状況を理解した。

「おい、お前……」

 アルクスがにたーっと笑って答えた。

「そうだよ」

 ザモスは真っ青になってアルクスから飛び離れた。それからいきなり扉の方に突進しようとする。

 だがそこはファーベル達が既に待ち構えていた。

 ザモスはすぐにファーベル達に捕まって、また手近な椅子に座らされた。

「手荒なことをするつもりはありませんよ。単に質問がしたいだけなんですよ」

 フィンは精一杯の作り笑いをしながら彼に言ったが、それはザモスを心底怯えさせたようだった。

 彼は体が見て分かるくらいにがくがくと震え始めた。

 これは真実審判―――読心能力を利用した尋問の一般的な手順だった。

 読心能力は強力だが、それでも万能ではない。

 人間の記憶というのは膨大な量がある。何か知りたい際にその記憶の海の中を漫然と探っていても時間の無駄だ。だからその中から有用な情報を引き出すには適切な質問が必要なのだ。

 その際に能力者の方は読心に集中した方が良いので、通常はこうして二人で組になって片方が質問、もう片方が読心を行うのだ。

 フィンは構わずに質問を続けた。

「で、シュピーラーってどこの誰なんです?」

 ザモスは目を見開いたまま答えない。だが代わりにアルクスが答えた。

「タルタル……の? 青屋根の屋敷でいつも?」

「青屋根の屋敷って誰の屋敷です?」

「ああ、メダックスだって」

「へえ。シュピーラーという人はメダックスの部下なんですか?」

「そうみたいだね」

「やめろ!」

 頭越しに自分の考えが会話されるのに、ついに彼は耐えられなくなったらしい。

 ザモスは頭を抱えて床にうずくまってしまった。

「いつでもやめますよ。ちゃんと質問に答えてくれれば」

 それからフィンはファーベルの部下の一人に合図をした。彼は予め持ってきた水筒からカップにお茶を注いでフィンに渡す。

「温かいお茶なんてどうですか?」

 そう言ってフィンは慎重に魔法でそのお茶を温める。彼は今でもかなり集中しないとよく失敗する傾向があったが、今回は大丈夫だった。

 湯気の上がりだしたカップを見て、焦点の合わない目でザモスは言った。

「俺をどうする気だよ!」

「だからちょっと話を訊きたいだけなんですよ。ご協力願えませんか?」

 ザモスは完全に脱力したといった様子で、床に座り込んだ。

 それから力なくフィンを見上げると言った。

「何が訊きたいよ」

 その様子ではもう彼に嘘をつく元気はないだろう。フィンがアルクスに合図すると彼はザモスの後ろから離れてのびをした。

 それからフィンは普通に尋問を始めた。

「そのシュピーラーさんのことなんですが、なんでまた黙ってたんです? 単なる仲介者なら、別に話したって困らないんじゃないですか?」

「秘密なんだそうだ。人買いしてることは」

「秘密? なんでまた?」

「違ったルートで売るんだそうだ」

「なんでそのルートは秘密なんでしょうか?」

「知らねえ。でも傷物でも高く買ってくれるんだよ」

「傷物でも? なんでまた?」

「知らねえ! その辺は訊きっこなしなんだよ。ともかく奴は身寄りがなきゃ少々傷物でも、普通より高い相場で買ってくれるんだよ」

「身寄りが、なければ?」

「ああ、そうだ」

 フィン達は顔を見合わせた。

「彼女の行き先には本当に心当たりないんですか?」

 ザモスは首を振る。

「知らねえ。知らねえし、首を突っ込む気もねえ」

 フィンはアルクス王子の顔を見る。王子はうなずいてまたザモスの肩に触れる。

 それからザモスに対してもう一度質問した。

「本当に知らないんですね?」

「ああ」

 それを聞いて王子も黙って首を振った。どうやら彼は本当にこれ以上は知らないようだ。

「ありがとうございました。それじゃ続きはそのシュピーラーさんに訊くしかないみたいですね」

 そのフィンの言葉を聞いてザモスは驚いたように顔を上げる。

「おい、その……」

「大丈夫ですよ。あなたのことは口外しませんから」

「でもさ……」

 もちろんフィンには彼の不安の理由が分かっていた。

「ああ、向こうが勝手にあなたがばらしたと勘ぐるかもしれませんね。それじゃ僕たちと一緒に来ますか? それが一番安全かもしれませんしね」

 フィンは背後の兵士達を指さした。

 ザモスはがっくりとうなだれた―――


 フィン一行はその足でタルタルに向かった。

 シュピーラーとの接触は簡単だった。同行したザモスが彼と出会う段取りをつけてくれたからだ。

 シュピーラーとの会見も似たような展開になった。

 彼は最初とぼけようとしたが、アルクスの力に気づいた後は完全に観念して、訊かれもしないことまでべらべらとしゃべってくれたのだ。

 だが彼も娘の行き先については正確には知らなかった。

 分かったことは、彼の“取引先”から定期的に“注文”があること、その際に半額は前払いされること、送った娘が上玉だった場合は更に割り増し料金が払われること、娘は彼らに直接引き渡すのではなくブラートというシーガルより少し北にある村の宿屋に置いてくると、そこに後から“彼ら”がやってきて娘を連れていくことなどだった。

 これを聞いた時点で全員が気づき始めていた。

 まさかと思っていたことが起こりつつあることに……

 最初はみんなフィンの意見に賛成だったのだ。多分ロゼットは何かの理由で自分の行き先を知られたくなかったのだと。アルクス王子も、まあそんなものだろうと同意していたのだ。

 だがザモスから得られた情報はそれとは少し毛色が違っていた。

 シュピーラーからの情報はそれに輪をかけた。

 それを知ってみんな思ったのだ。これは明らかに変ではないか? ちょっと手が込みすぎているのでは? と……

 娘を郭に売るという行為は、確かに積極的に推進すべきことではないにしても、正直どこでも行われていることだ。中には自分から売り込んでいく娘だっているくらいだ。

《確かあのレジェ姐さんもそうだって言ってたよな……》

 要するにちょっと人に言うには恥ずかしい程度のことなのだが―――それをどうしてここまで分かりにくくカムフラージュしているのだろうか?

 それはとりもなおさず、彼女達が人には言えないような所に送られているからなのでは?

 そこでフィン一行はブラートの宿屋に向かって急いだ。

 その宿屋でもまた同じような光景が展開された。

 宿屋の親父は最初は娘のことなど知らないふりをしたが、その嘘は一瞬でばれてしまい、彼女達は“クーレイオンのお館様”の元に送られていることが判明したのだ。

 しかし宿屋の親父はそこで何が行われているかまでは知らなかった。

 彼は単に特殊な符丁と共に連れてこられた娘がいたら、クーレイオンに連絡する役目を担っていただけだった。

 だがフィン達にはそれで十分だった。一行が事情を話すと親父は仰天して館に偽の連絡をすることを承諾してくれたからだ。

 そうしてやってきたクーレイオン古城からの使者に対してまた同じようなことが起こり……

《まさか本当に本当だったとは……》

 古城の現在のオーナーはウィスクム伯爵という元ウィルガ貴族だった。

 彼はウィルガ崩壊の際に馬車一杯の財宝を持って逃げてきたといい、その金で荒れ果てていたクーレイオン古城を買って改修し、それ以来そこに住んでいるという。

 ちなみに“伯爵”とはウィルガの制度でアロザールには爵位というものはないが、そんなわけで付近の住民は彼を伯爵と呼んでいた。

 それはともかく、持ち出すことに成功した財宝以外は全て失ったはずの伯爵が、零落もせずに豪奢な生活を続けられているのは、このあたりの者も不思議に思っていたことだった。

 その理由は古城よりの使者を尋問することで明らかになった。

 ウィスクム伯には彼がまだウィルガにいた頃から続けてきたある事業があった。

 その事業はあまり広い領地を必要とすることもなく高価な設備も不要だった。

 そのため彼はここをちょっと改造するだけで事業再開することができたのだ。

 それはフィン達の当初の想像を超えていた。

 彼らは単にここが娘達を非合法に取引している流通拠点のような物だと考えていた。実際そういった要素もあったが、それだけでウィスクム伯がこれだけの資産を築き、維持するのは不可能だっただろう。

 彼が行っていたのは安価な“材料”から非常に高い付加価値のついた“商品”を生み出すことだったのだ。

 すなわち彼は性奴隷流通ルートの元締めだったのと同時に、高級な性奴隷の“養成”をも行っていたのだ。

 だがそれ以上細かいことはその使者も知らなかった。

 彼はクーレイオン古城の門番でしかなく、城の中で起こっていることの詳細はこれまた知らされていなかったのだ。

《まあ、それはこれから分かることだが……》

 後はもう自分のこの目で確かめるしかない。

 フィンがそんなことを思い起こしながら急な坂道を上っていくと、ふっと見晴らしの良いところに出た。

 そこから山頂付近に建つ城塞がはっきりと見て取れる。

 城の上には高い望楼が聳えていた。

《あそこは景色がよさそうだな……》

 かつてあの場所には日夜兵士が立って北からの侵攻がないか常に監視していたのだ。ウィルガ王国という脅威から祖国アロザールを守るために。

 だがその彼らが今、この城がそのウィルガ文化の最も薄汚れた部分の拠点と化していると知ったならば、いったいどう思うだろうか?

 実際その話を聞いたアルデン将軍は卒倒せんばかりだった。

 巨大な敵ウィルガから祖国を守り通したという歴史は、彼らにとってかけがえのない誇りとなっている。これらの城はその象徴でもあったのだ。

《せめてもっと別なところにしときゃ良かったのに……》

 多分ウィスクム伯はここを選定した際、実際的なことしか気にしていなかったのだろう。

 外から攻めるに難い場所は、中から抜け出すのも難しいものだ。外界から完全に隔離されているという点においては、ここ以上の場所はそうそうない。

 だがそのせいで彼らは娘達に対する非道な行いだけでなく、アロザールの誇りにまで泥を塗るという行為を犯してしまっていたのだ。

 おかげで一行に従っている兵士達の士気は恐ろしく高かった。

 ここに来るためにはかなり無茶な招集や強行軍を行っていたが、文句を言う者は一人もいなかった。それどころかフィン達が慎重に突入の計画を練っていると、それが遅いと言って吊し上げられそうになったくらいだ。

 おかげでフィンはこの数日ろくろく寝ていなかった。

 そのため先ほどまでは少々頭がぼうっとしていたのだが、古城の正門が見えてくればそうも言っていられない。

《それじゃ本番だ!》

 フィンは大きく深呼吸して頬をぴしゃっと叩いた。

 城門は固く閉ざされていた。

 全員がその前で整列して止まると、先頭のファーベルの脇にいた男が一人門の所まで行って、門脇の小窓のある小扉をノックした。彼は宿屋までやってきた古城からの使者だ。

 しばらくしてその扉の小窓が開いた。中から男の声がする。

「あ? お前かよ。なんで勝手に何日も空けてたんだよ?」

「理由は連絡しただろうが」

「んなもん知るか! お館様、お怒りだぜ」

 そのとき中の男は、使者の背後に兵士らしい男達がずらっと並んでいるのに気づいたようだ。

 その中に一人場違いな少年が混じっていることにも……

「おい、何だ? そりゃ?」

「それがな、急にアルクス殿下がここを見学したいっておっしゃられてだな」

「はああ? アルクス殿下って、あの?」

 中の男は仰天したようだ。

「だから開門しろ」

「いや、でもだな。そんなこと聞いてないぞ」

 中の男は混乱したようだ。

 知らないやつが来ても絶対開けるなと言われているのだろうが―――それが皇太子だとしても命令は守らなければならないのだろうか?

「いいから開門しろよ!」

「あ、ちょっとお館様に聞いてくるから、待ってろ」

 だがそのとき使者を押しのけてアルクスが小窓の前に来た。

「待てないよ」

「でも、その……」

「さっさと開けなよ」

 その途端に中から男の悲鳴が聞こえた。

「僕をこんなとこで待たせるなんて、あんた何様なんだい?」

 彼がそう言うと男の悲鳴がさらに激しくなる。

《おいおい……》

 この声って半端じゃない苦痛を感じているっぽいのだが―――予定ではちょっと痛めつけるだけなのじゃ?

 だがアルクスは平然としている。

「さっさとしないと死ぬよ?」

 男の悲鳴は断末魔のようになって―――それから急に途絶えた。

《ええ?》

 これってまさか……

「あ、やっちゃったみたい。しょうがないからプランBで」

 アルクスは悪びれもせず振り返るとちょっと舌を出した。

《お、おい……》

 フィンは背筋が寒くなった。

《いくら何でもこういう殺し方はダメだろうが?》

 それはフィンが銀の塔で学んでいた際に教官から口を酸っぱくして言われたことだった。

『人並み外れた怪力を持った男が赤ん坊を扱っていると思いなさい』

 それはちょっと間違えただけで致命的な結果を招いてしまうのだ。

 たとえフィン程度の能力でさえ、他人の頭を簡単に吹き飛ばすことができるのだ。

《どうして留学させなかったんだ?》

 こんな力を持った子供がいたら都かベラに留学させるのが当然なのだが―――魔導師は貴重なので留学の費用とかは全部向こう持ちだし、それにその方が我流でやるよりもずっと能力は伸ばせるのだ。そうしない理由が分からない。

 一体アロザール王家の教育方針はどういうことになっているのだろう?

「聞こえてる?」

「あ、承知しました」

 王子の行いを見てアルデン将軍も呆然としていたが、その言葉を聞いて慌てて側の魔導師に指示を出す。

 その魔導師は城門の前に立って手をさしのべると、ズドンという鈍い音が響いた。途端に城門が大きく振動する。

 これはフィンの魔法と同じ物だが、威力は遙かに上だ。

 だが城門も丈夫だった。それ一回ではまだびくともしない。魔導師は続けざまにその魔法をぶっ放し始める。やがて城門はあちこちがきしみ始め、ついには粉々に砕け散った。

《えーっと……》

 フィンは呆気にとられてその作業を見つめていた。

 何というか、荒っぽすぎないか? 妨害とかがあるわけでなし、透視の使える者と組んで閂を念動で動かすとか考えなかったのか?

 ―――などと考察している余裕はなかった。

 壊れた城門の向こうから何やら罵声が聞こえてきたのだ。見ると武器を手にした男達が何人もやってくるのが見える。

《こんなド派手な音を立てれば当然だけど……》

 だが状況に困惑したのはその男達の方だった。

 何しろ来てみたら頑丈な城門は粉々になっており、その先には武装した正規兵がずらっと立ち並んでいるのだ。

「行け!」

 アルデン将軍の声と共に兵士達が突入する。

 それに対して館の用心棒達はもはや為す術もなかった。男達はあっという間に兵士に叩き伏せられて、一行は易々と城内に進入した。

 正門を抜けるとまた長い坂道が続くが、その後はほとんど抵抗らしい抵抗にも遭わずに本館の前庭に達した。

「それではファーベル!」

「はっ」

 将軍の指示の元、ファーベルとその配下の部隊が右手の別館の方に走っていく。

 古城内の細かい構造は捕虜にした迎えの男から聞き出して分かっていた。古城には大きく本館と別館があって、連れてこられた娘達は最初は別館で、次いで本館の地下で教育されるという。

 そのためファーベル達がその別館を、残りの本隊が本館とその地下を制圧する計画になっていた。

「行くぞ!」

 将軍の指令一閃、残りの兵士達が本館の入り口に突進する。

 フィンとアルクス王子、将軍本人もそれに続く。

 館の扉は鍵もかけられておらず、玄関ホールには誰もいなかった。

「それでは殿下」

「まかせといて!」

 アルクス王子に率いられた一隊がまた別れて館の地下に向かう。

 彼は作戦会議でそっち方面の指揮をすると言って聞かなかったのだ。彼にその能力があるのは疑いないが―――絶対かなり不純な動機があるのは間違いないと思うのだが……

「ではフィン殿」

「はい」

 フィン達はこの館の主人であるウィスクム伯爵を確保すべく階上に向かった。その他の兵士達も手はず通りに各階に散っていく。

 館の中は外見からは想像も付かないほど豪奢な内装が施されていた。

《こりゃすごい……》

 その意匠はそれまで見てきたシーガル城などのアロザール風のものとは一線を画している。

 赤を基調とした幾何学模様の絨毯に、壁面は白い大理石が張られている。あちこちに置かれている彫像も間違いなく高名な彫刻家に彫られた物のようだ。

 往時のウィルガ貴族というのはこんな館に住んでいたに違いない。

 普段ならばもっとじっくりと鑑賞していきたくなるような場所であったが、今はそれどころではない。彼らは一目散に伯爵の居室へと向かった。

 伯爵以下ここの住人は、明らかにこういった組織だった襲撃を予期していなかったようだ。

 館の使用人達は一様に混乱した様子で逃げ惑うばかりだ。武器を持った警備員達も散発的に出てくるだけで、一行の姿を見た途端に抵抗もせずに降伏する者が大半だった。

 おかげでフィン達はほとんど迷うこともなく伯爵の居室にたどり着いた。

 部屋の前で将軍が手をさしのべて兵士達を立ち止まらせる。それから扉越しに中の様子を伺った。

 部屋の中から何か言い争うような声が聞こえている。

 将軍がちらっと脇の兵士に目配せする。兵士は軽くうなずくと、三名が並んで一気に扉を開くと中に突入した。

「きゃああああ!」

 女の声がする。

 何事だろうか。フィンも彼らの後に付いて部屋に入った。

 見ると少し手前の方に侍女が一人立っていて、兵士の一人に手を捕まれている。叫んでいたのは彼女だった。

《他には?》

 フィンは部屋の中を見渡す。すると部屋の奥にがっちりとした体格をした白髪の老人と、その脇にあられもない姿をしている女性が跪いているのに気がついた。

《うわっ!》

 フィンの目はその女性に釘付けになってしまった。

 彼女はほとんど下履き一枚の姿だった。そのためすばらしいスタイルをしていることが一目瞭然だ。きゅっとくびれたウエスト、緩やかになびく栗色の繊細な髪、むき出しで揺れている豊かな乳房の上に、可愛いピンク色の乳首がつんと立っていて……

「無礼な! 貴様ら、何者だ?」

 男の怒声にフィンは現実に引き戻された。

 いや、いかん。こんなときにそんなことを気にしていてはいけない。

「お主がウィスクム伯爵か?」

 男に向かって将軍が言った。男は答えた。

「いかにも! 私がこの城の主、ウィスクムだ。貴様達は何故このような狼藉を働く?」

「私はアルデン。アロザール第三軍の軍団長にして、アルクス殿下の親衛隊長でもある。殿下の命により、このクーレイオン城内部の検分に参った」

 そう言って将軍はアロザール王家の紋章の入った盾を掲げた。

 それを見て伯爵は口をぱくぱくさせて、それから叫んだ。

「嘘だ! 嘘をつけ!」

「抗うとためにならんぞ?」

 ウィスクム伯は理由は分からないが、ともかく自分が大変な窮地に陥っていることに気づいたようだ。

 彼の目が一瞬泳ぎ、次いで横に跪いていた女の手を掴むといきなり後方の壁の方に向かって走ったのだ。

「ああっ!」

 引きずられた女は悲鳴を上げてそれでも彼に付いていこうとしたが、いきなりのことでバランスを保てず再び床に倒れ込む。

 ウィスクム伯はそのまま彼女を引きずって壁際まで行くと、そこに掛かっていた剣を手に取って足下にうずくまっている女に突きつけた。

「来るな!」

 アルデン将軍と他の兵士達が息を呑む。

「動いたらこいつを殺す!」

「ご主人様……」

 女が哀れな声を上げる。

「こやつ……」

 将軍が歯を食いしばる。

 フィンはあたりを見回した。

《どうするよ?》

 ウィスクム伯の行動はもはや自暴自棄としか言いようがない。こんなことをしたってここから脱出できることなどあり得ないはずなのだが―――それとも時間を稼いだら何かいいことがあるのだろうか?

《だとしたらどうする気だ?》

 フィンがそう思って見ていると、ウィスクム伯は女性に顎で立つように指示をした。

 女は黙ってその命に従う。

 伯爵は女の腰に手を回すと、彼女に剣を突きつけたままじりじりと壁に沿って動き始めた。

 将軍達もそれに併せて少しずつ横に移動するが、距離を詰めることができない。

《何をする気だ?》

 やがてフィンは伯爵が部屋の隅にあるアルコーブの方に向かっていることに気がついた。

《あそこに逃げ道があるのか?》

 だったら彼が行き着く前にどうにかしないとややこしいことになりそうだ。

 フィンはもう一度二人をよく観察した。

《そういえばアウラが言ってたよな……》

 誰かを人質にとるときは刃物の持ち方には注意したほうがいいと。でないと腕を切り落とされてしまったりするわけで―――明らかに伯爵はあまり上手な持ち方はしていなかった。

 とはいってもフィンにそんな技術があるわけではないのだが……

《じゃ……やってみるか?》

 確かに彼は手を切り落とすことはできないが……

 フィンは心を決めると一歩前に踏み出した。

 アルデン将軍がちょっと慌てるのを見てフィンは手で合図して抑える。

「来るな!」

 伯爵が裏返り気味の声で叫んだ。

「無駄なことはやめるんだ」

 フィンはそう言いながら両手を広げて、しかし意識は別なところに集中した。

「あがっ!」

 途端に伯爵が剣を取り落とす。

 彼の持っていた剣は飾り用で柄の部分も金属でできていた。だからそこをちょっと熱くしてやると人は反射的に手を離してしまう。

 それを見るやいなやフィンは軽身の魔法を使って一気に間合いを詰めた。そして魔法の範囲に娘と伯爵が入るやいなや、その娘の手を取って引き寄せると伯爵は思いっきり蹴飛ばした。

「うおっ!」

 伯爵は吹っ飛ばされて壁にぶつかり、跳ね返って前のめりに突っ伏した。慌てて彼は立ち上がろうとしたが、そのときには周囲を兵士に取り囲まれていた。

「おのれ……」

 伯爵が何か言ったようだが、そのときフィンは別なことに気を取られていた。

 彼は今、助けた娘が倒れないように片腕でしっかりと抱え込んでいた。娘は怯えた表情で彼にぴったりと身を寄せて震えている。

 その彼女は上半身は完全に裸で、下も形ばかりの腰布を纏っているだけだ。

 しかも彼女のスタイルは先ほど見たとおりに見事なもので、今ではその柔らかな感触までじっくり堪能できる状況になっているわけで―――ほとんど反射的に体の一部が硬くなり始めていたのだ。

「うわわわわ!」

 フィンは慌てて彼女をふりほどくと目をそらした。

「あの……」

 それから周囲を見回すが適当な物がないので、慌てて上着を脱ぐと彼女に差し出した。

「ともかく、これ着て!」

 女はちょっと驚いたような顔をしたが、黙ってそれを受け取ると身につけた。

 それから彼に向かって深々と礼をすると言った。

「あの、助けて頂きまして、誠にありがとうございました」

 男物の上着から生足が出ている姿は―――あまり状況改善しているようにも思えないが、フィンは目のやり場に困りながら答える。

「いや、こういった場合当然だから」

「それであなた様は?」

「え? フィンっていうんだけど」

「フィン様でございますか?」

 そういって娘はまじまじとフィンの顔を見る。こうやってみると顔立ちもなかなか悪くないが―――と思った瞬間、娘はいきなり慌てだした。

「ああ! 申し訳ございません。いきなりお名前をお尋ねするなど、なんとご無礼なことでございましょうか。私めは、その、チャイカと申します。申し訳ございません。少々動転しておりましたゆえ、大変ご無礼なことを致してしまいまして……」

「いや、そんなこと気にしなくていいよ」

「そんな、なんとお優しいお言葉なのでございましょうか?」

 彼を見つめる彼女の目は既に潤んでいる。

 いや、なんなんだ? この娘は? とはいってもフィンと同じぐらいの年齢だろうが―――何だか調子が狂うのだが……

 そのとき部屋の入り口から別な兵士がやってきた。

「アルデン様はこちらに?」

「どうした?」

「階下の制圧は完了しました。いかがなさいますか?」

「殿下の方は?」

「まだのようです」

「ならばそちらに助勢に参る。案内せい」

「了解しました」

 アルデン将軍がフィンの方をみる。フィンもうなずいた。まだ作戦は完了しているわけではない。

「えっと、あの……」

 何が起こっているか分からない様子のチャイカにフィンは言った。

「これから地下に向かう。そっちの仲間も救出するんだ」

「え?」

 チャイカは驚いて声も出ないようだ。

「ともかくこれからは僕から離れないように。いいね?」

「あ、はい……承知致しました」

 チャイカがうなずいたのを見て、フィンも兵士達の後を追った。

 捕虜にした使者の情報から、本館には地下にも娘達が囚われているらしいことが分かっていた。地下倉庫にそこに行くための秘密の入り口があるらしい。

 フィン達は一目散にその倉庫に向かった。

 そこは見かけはただの地下倉庫のようだったがその奥の棚が秘密の入り口になっていて、現在は大きく開け放たれていた。

 入り口をくぐるとそこは警備員の詰め所だったらしく、ちょっとした戦いが起こった形跡があった。

 詰め所から更に地下に向かう階段が降りている。

 階段を下りきるとまた広い廊下に出た。その廊下の方から見ると階段への通路が壁に偽装された隠し扉になっているが……

《うわ……》

 そこは篝火で煌々と照らされた、今まで見てきた上のフロアと変わらないような豪華な内装になっていた。

「なんだ? ここは?」

 周囲の兵士達も戸惑っているようだ。

 彼らが廊下を進むと大きな扉があって、その先は広いホールになっていた。ホールの一端にはちょっとしたステージがあって、かなり大規模な演劇の上演会や舞踏会が開けそうだが……

《もしかしてここって……》

 これが本館の中にあったのなら本当にそういった目的に使われていたのだろうが、わざわざこんな隠し通路の先にあるということは……

《ここで性奴隷の売買が行われていたのか?》

 だとしたらこのステージというのは―――想像すると胸が悪くなってくるが、今そこは人気もなくがらんとしている。

「殿下は?」

「こちらです」

 先導役の兵士がホールのステージ脇に向かう。

 そこにはまた頑丈な扉があったが、それもまた開け放たれていて下に続く階段が見えている。

 一行がそれを下りきったところに再び警備員の詰め所があり、今度は男の死体が一つ転がっていた。

 詰め所を抜けると今度は今までとは違った、磨かれた石でできた廊下に出た。

 廊下の両側には所々に木でできた扉がついている。

 それもまた探索済みのようで全て開け放たれているが……

《一体何の部屋だ?》

 その中の一つを覗くと……

《うわ!》

 フィンは目を見張った。

 その部屋は壁一面に大きな箪笥が幾つも置いてあるのだが、先行部隊が中身を確認したらしく引き出しは乱雑に開けられていて、その中に様々な形状をした張り型や各種の“卵”、鞭や怪しい衣装、その他の使い方もよく分からないような道具類が入っているのが見えたのだ。いくつかは床にも散乱している。

 フィンは目をそらして別な部屋を覗いてみた。こちらに置かれていたのはがっしりとしたベッドだが―――その四隅からはなぜか輪のついた縄が伸びている。

《あれって……》

 フィンはついアウラとの初めての時を思い出して顔と体が熱くなる。

 彼はまた慌てて顔を背けると、心を落ち着けてから前の兵士達の後を追った。

 続く部屋には―――様々な形をした椅子のような物が置いてあった。

 だが一目でそれは単に座るために作られたものではないことが分かる。あちらこちらには不自然な切り込みが入っており、体を固定するためのベルトのような物もついている。いくつかはその形からどのように娘が縛り付けられていたか想像できて、フィンはまた色々な所が熱くなった。

《これって、ちょっと……》

 フィンは今更ながら悟っていた―――少々見積もりが甘すぎたということに……

 当然想定するべきだったのだが、今の彼にはちょっと刺激が強すぎたのだ。

 本来なら突入に付いてくる必要などなかったのだ。

 だが、彼にはまだそんな物には興味がないなどと言って澄ましていられるだけの人生経験もなかった。

《それに……》

 フィンは随行してくるチャイカをちらっと見た。

 彼女はフィンに言われたとおり、あれからずっと本当に離れないように付いてきている。

 そのせいで急に彼が立ち止まったときなどには、何度もそのふっくらとした胸が彼の背中にぶつかっていた。しかもその髪からは何だか風呂上がりのような石鹸の香りを漂わせているし……

《うー! いかん!》

 現在は作戦中なのだ。こんなことで気を散らしていてはいけないのだ!

 フィンはともかく前方に意識を集中する。この先ではまだ戦闘が行われているかもしれないのだ。

 果たせるかな、廊下の突き当たりの扉の先から誰かが叫ぶような声が聞こえてきた。

 一行は一瞬顔を見合わせる。それから先導役の兵士が、扉をばんと開いた。

「殿下? ご無事で? 将軍を……」

 だが彼はその先を言わなかった。不思議に思った将軍が兵士達をかき分けて部屋に入るが……

「どうしたのだ? これは……」

 それっきり声がしなくなる。

 兵士達は顔を見合わせる。勝手に入っていっていいのだろうかといった顔だ。一体何が起こったというのだろう?

「ちょっと空けてくれ」

 そこでフィンも兵士達の間を縫ってその部屋に入ると―――思わず目を見張った。

「やあ、遅かったね」

 アルクスが言った。

「殿下、これはいったい……」

「いや、彼女達、すごいよ」

 その部屋は天井に太い梁が何本も渡してあって、丈夫な縄が何本も掛けられていた。

 そこに今、三人の男と二人の女が逆さまに吊されていたのだ。しかも全員一糸纏わぬ裸で、両手を後ろ手に縛られているのだ。

 その周囲を取り囲んでいた者達というのが、六名の若い侍女だった―――少なくともその服装からはそうとしか言いようのない娘達だ。

 とは言っても、こちらの侍女の服装は前述の通り、胸元が結構大きくカットされていたりスカートにスリットが入っていたりするので、こういった状況でもあまり不自然ではなかったのだが……

 アルクスと先行部隊はさらにその奥の壁際に並んでいて、そんな一同が入ってきたアルデン将軍やフィン達の方を見つめていたのだ。

「その者達は一体……」

 やっとアルデン将軍が言った。

「ああ、彼らがここの調教師様なんだって」

 アルクス王子がにやにやしながら答える。

「何かもう、話にもならなくて。もうちょっとこう……」

 アルクスは剣を振り回す仕草をした。

「アクションシーンがあるかって思ってたら、寝てる奴らをたたき起こして終わりなんて信じられる? だから色々訊いてたんだ」

「一体何をです?」

 アルクスは笑いながら答えた。

「もちろん色んな道具の使い方だよ。見ただろ? 変なのが一杯あったの」

「えっとそれを訊くために彼らを吊されたのですか?」

「え? なんでこいつらに?」

 ぽかんとした将軍を見て、アルクスはにやっと笑って吊された調教師達を取り囲んでいる侍女達を指した。

「訊いたのは彼女達にだよ?」

「は?」

「彼女達がここの生徒さんらしいんだ」

「え? ではどうしてこやつらは……」

「もちろん実演してもらったんだよ。彼女達に」

「はい?」

 何だか微妙に話が噛み合っていない気がするが―――ともかく大体の様子は分かった。

 王子一行が来たときには何故かみんな就寝中だったらしく制圧はあっという間に終わってしまったので、捕まえた捕虜や解放した娘達に色々余計なことを尋ねていたと、そういうことらしい。

《本気で遊びに来てるよな……》

 フィンはますます心配になってきたが、そのときアルクスが彼女達に向かって言った。

「さ、それじゃさっき言ったこと、やってみてごらんよ」

「あの……本当によろしいのでしょうか?」

 娘の一人が恐る恐る尋ねる。

「大丈夫さ。もうマスターはこいつらじゃない。僕の言うこと、聞けない?」

「いえ、それでは……」

 そのときフィンはその娘が長い鞭を手にしていたことに気がついた。

 娘はその鞭を振りかぶると、いきなり空中でパチンと鳴らした。

 その音だけでつり下げられた男が身をよじる。

「おや、どうしたのだえ? この音が、怖いのかえ?」

 娘は再び鞭を慣らす。

「やめろ!」

 男が叫ぶ。

「おやおや? 何をやめて欲しいのじゃ?」

 途端に男の背中にぴしっと鞭が当たる。男は悲鳴を上げて悶えた。

「ほらほら。言わねば分からぬぞ?」

「ひいぃぃぃ!」

 悲鳴を上げる男を娘は何度も鞭打った。

 アルクスはそれを目を丸くしながら見つめていたが、ついに吹き出すと彼女に言った。

「あはは。もういいよ。なんて言うか、君、優しいね」

「え? その……」

 アルクスは娘の手から鞭を取り上げると、びゅんと振った。それを見て吊られていた男の顔色が変わる。

「やめ……」

「あん?」

 アルクスはいきなり男の背に鞭を振り下ろした。バシーンという音と共に、男が絶叫を上げる。

 それを見て初めてフィンは気がついた。本当に彼女は優しく鞭打っていたということに。

 彼女が打ったときには一見派手な音はしていたが、その鞭跡はちょっと赤くなる程度だった。だが今のアルクスの一撃の跡からはもう皮が破れて血がにじんでいる。

「こんな風にしないと罰にはならないだろ? 喜ばせてどうするのさ?」

 アルクスは娘に鞭を返した。

 それからその様子を見守っていた他の娘達に向かっても言う。

「さ、みんなもわかった?」

 娘達は目を見開いた。そして互いに顔を見合わせる。

 やがて一人の娘が手にしていた鞭に視線を落とすと、やにわにびゅんと振り上げて目前にぶら下がっている女の尻に向かって振り下ろした。

「アウッ」

 女が呻いた。その尻には斜めに真っ赤な鞭跡が付いている。

 それを見た娘の目に何か炎のような物が宿った。

 途端に娘はまるで何かのたががはずれたかのように鞭打ち始めた。

 部屋の中に女の絶叫が響き渡る。

 フィンは耳を塞ぎたくなった。ちょっとこれは……

 だがそれを見ていた娘達はそうは思わなかったらしい。

 彼女達の目にも何か妖しい光が宿り、手にしていた鞭で目の前に吊り下がっている獲物を全力で鞭打ち始めたのだ。

 もうみんな先ほどのような洗練されたやり方ではない。それまで心の中に深く押し込められていた感情が堰を切ってほとばしっているようだ。

 たくさんの鞭音と調教師達の悲鳴。

 鞭打っている娘達の口からも、叫びとも嗚咽とも分からない声がこぼれている。

《お、おい!》

 なんだよ? この光景は?

「ちょっと、将軍……」

 フィンはその光景を見て凍り付いているアルデン将軍に話しかけた。

 将軍は我に返った。

「あの、殿下、これは一体……」

「え? なんだい?」

 涼しい顔でそう聞き返す王子にアルデンは返す言葉がない。

 さすがにちょっとこれはないのではないだろうか?

「あの……死にますよ?」

 思わずフィンも王子に向かって言っていた。

「かもね」

 同様に涼しい顔で答える王子にフィンは尋ねた。

「いや、ちゃんとしたお裁きはしなくてよろしいんですか?」

 それを聞いて王子は顔を上げてフィンとアルデン将軍、その他この状況を見てどん引き状態にある兵士達に初めて気づいたような顔をした。

「ああ、確かにねえ……」

 王子はちょっと考えると残念そうに言った。

「仕方ないなあ」

 それからぱんぱんと拍手すると鞭打ちを続けている娘達に言った。

「さあ、おしまい! おしまいだよ!」

 それを聞いて娘達が手を止める。

「残念だけどね。でも国には法律ってのがあってね、わかる?」

 娘達は目を見開くと、手にしていた鞭を名残惜しそうに見つめた。

「承知いたしました……」

 彼女達が一斉にそう言ったときだ。

 娘の一人がフィンの方を指さして叫んだ。

「あっ! チャイカさん!」

「ひっ!」

 それを聞いてすぐ後ろで彼女が息を呑む声が聞こえた。

 途端に娘達がフィンの方ににじり寄ってくる。

「なんでそんなところに?」

「逃げようっての?」

 チャイカが反射的にフィンの後ろに隠れる。

「え? どうしたんだ?」

 フィンはチャイカに尋ねるが彼女は震えるだけで答えない。

 それを見てにじり寄ってきた娘が言った。

「どいてくださいまし。その女をこちらに」

 フィンは振り返って彼女の顔を見るが―――その表情は激しい怒りに歪んでいる。

「彼女が何かしたのか?」

「教師は吊せとのご命令です」

「は?」

 フィンは振り返ってチャイカを見た。

 チャイカは相変わらず小さくなってぶるぶると震えている。

「えっと……君は?」

 フィンは彼女に尋ねた。それを聞いて彼女はくったりと跪くと小声で答えた。

「はい……その、なんと申しますか、私めはこちらのスタッフをさせて頂いておりまして……」

 フィンは頭の中が真っ白になった。彼はその可能性を全く失念していたのだ。

 えっと、えっと……

「さあ!」

 そう言って娘の一人がチャイカの手を取って引きずり出そうとする。

「お許しくださいませ!」

 チャイカはアルクス王子の方に向かって土下座する。

「ちょっと待て。えっと……」

 フィンは慌ててチャイカと娘の間に割って入った。

 それからアルクス王子の方を見る。王子はそれに気づいて助け船を出してくれた。

「彼女も君たちにひどいことをしたのかな?」

 王子の言葉に娘達は一瞬戸惑った。それから奥にいた娘が言う。

「チャイカさんはあまり……」

 だがチャイカを捕まえようとしていた娘が激高して言った。

「こいつだって知ってたんだろ? だったら同罪じゃないか!」

 それを聞いて別の娘も叫ぶ。

「そうだそうだ!」

「やっちゃえ!」

 それを聞いた別の娘が慣れた手つきで梁にロープを掛け始めた。

《おいおい!》

 娘達はもうまともな精神状態ではない。これではただのリンチだ。

「ちょっと待てって!」

 ともかく彼女達を落ち着かせなければ。そう思ってフィンはチャイカを引きずり出そうとしている娘の腕を掴んだ―――と思ったのだが、焦っていたので腕をつかみ損ねて彼女の服の袖を引っ張っただけだった。

 ところが彼女の服は袖口が広くなっていたため、腕がずるっとむき出しになってしまったのだ。

「あっ!」

 フィンは思わず叫ぶと、もう一度彼女の腕を、今度はがっちりと掴んだ。

「なによ!」


「君、ロゼット?」


 むき出しになっている彼女の二の腕には、大きな火傷の跡があったのだ。

 フィンの手をふりほどこうとしていた娘は、それを聞いた途端に凍り付いたようになった。

 フィンは確信した。

「君、ナダールって名前に覚えはあるか?」

「え?」

 娘は大きく目を見開いてフィンを見つめる。

「僕はね、彼に頼まれてきたんだ。君を捜して欲しいって」

「ええ?」

「君はロゼットなんだろ? クエンタ村の」

「どうしてナダールが……」

「ずっと謝りたかったって言ってた。それから話があるって」

「話って?」

「それは戻って本人に聞かないと」

 ロゼットの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。

「嘘!」

「嘘じゃないよ。だから、もうそんなことはやめるんだ」

 フィンはチャイカを掴んでいたロゼットの手を取った。

 途端に彼女はくたっと跪くと、大きな声で泣き出した。

 周囲の者は一連の出来事を呆気にとられて見ていた。

 しばらくは声を出す者もいなかったが、やがてアルデン将軍が言った。

「それで殿下……」

「ああ、そうだね。ともかく彼女達を連れてかないとね。あとそれも」

 アルクスは梁からつり下げられている調教師達をゴミでも見ているかのような目で見る。

 兵士達は我に返ったようにまた彼らの仕事を始める。

 そのような光景を見て、フィンは大きくため息をついた。

《何なんだよ、これって……》

 そのときアルクスが彼に話しかけてきた。

「いやあ、面白かったね。まさかこんなことになるなんて、思ってもなかったよ」

「え? はい……」

「おかげで兄貴の方もどうにかなりそうだし、それに……」

 娘達を見つめるアルクスの目は、何というか、郭の見せ場で部屋無し達の値踏みをしているというか―――彼女達は少なくとも彼に比べたらみんなずっと歳上だ。そんな人を見ている少年の眼差しとはとても思えないのだが……

「フィン君が来てくれて良かったよ。ロクスタもいい奴を紹介してくれたな」

「ありがとうございます……」

「これからもよろしく頼むよ」

 そう言ってアルクスは娘達の後を追っていった。

 その後ろ姿を見ながらフィンは思った。


《まずいだろ……これって……》


 フィンはこの解放作戦におけるアルクス王子のやり方を見て、何かずっと背筋に冷たい物を感じていた。

 確かにここの連中はゴミ以下だが、それでもやはり通すべき筋というのがあるだろう。

 だが王子の様子はちょっと興奮して暴走したとかいったものではない。最初からずっと子供がおもちゃで遊んでいるような、そんな態度で一貫していた。

《フィーバスとか何考えてるんだ?》

 彼はベラの国長の一族だ。いくら何でもこういうのがまずいということは分かるのではないだろうか? だとしたら何故それを放置しているのだろうか?

 フィンは都を出てから、世界は広く、様々な異なった考え方を持った人たちがいることをその目で見てきた。だから少々納得のいかないことがあっても、なるべく目くじらは立てないようにしてきたのだが……

 これはさすがに、立場の違いと言って放置できる問題ではないように思えるのだが……

 とは言っても、それに対して今のフィンにできることが何もないことも明らかだった。