太陽と魔法のしずく 第3章 二十三人の刺客

第3章 二十三人の刺客


 その日はよく晴れていた。

 天高く上った太陽が、まだ日差しに慣れていない皮膚をじりじりと焼いていくが、ときおり吹きぬける草原の風がその熱をふわっと冷ましてくれる。

 メイの生まれ育った地方ならば真夏といっていいほどの陽気である。

《これでまだ五月なんだから、もう……》

 この平原地帯が夏にはものすごく暑くなるという話は聞いていたが、メイはそのような気候を体験したことがほとんどなかった。

《あのときかなあ……暑かったのは……》

 かつて厨房にまだ勤めていたころ、そちらの仕事でハビタルまで出張したことがあった。それが八月末のことで、ベラの平原ではマジに暑さで死にそうになったことはよく覚えている。

《あっはは。あのときでしたねえ。ル・ウーダ様……じゃなくってフィーネさんと最初に一緒になったのは……》

 そのころはまだほとんどガルサ・ブランカからも出たことがなく、隣国までのお使いとなればもう生まれて初めての体験だ。そのとき同行したのがフィンだった。

《でもあのときはフィーネさんも結構テンパってましたよねえ……》

 いま思い出せば、両者とも初めての任務に緊張してしまっていて、当初はゆっくり話をする余裕もなかった。

 しかしそのあとの騒ぎで、このフィンという人が見かけによらず頼りがいのあることを発見したのだが……

 その印象はメイの思いすごしではなく、彼はその後セロの戦いを制してフォレスを危機から救い、シルヴェストではレイモンのスパイ組織を暴きだし、そして今度はこうして彼女たちをアロザールの魔手から救い出すべく尽力してくれているのだ。

《でも……》

 だが、さすがに今回ばかりは状況が状況だ。無理だったからといって責めるわけにもいかない。

 そこでメイもどうにか覚悟を決めようと思っていた矢先だったのだ。

 ところがあの日、何やら不思議な可能性が見えてしまって、その覚悟というのが全く別の覚悟に変わってしまっていた。

 メイはあたりを見渡した。

 いま彼女がいるのは、腰の高さほどにまで育った若草の草原だ。

 そこから膝立ちで首を出すと、はるか彼方まで緑の絨毯が広がっている。そんな場所に来るとつい走り回りたくなってしまうものだが、ここではそれは厳禁だ。

 なぜならメイのいる場所から少し左に行ったあたりで、草原は垂直に切り立った崖で終わっているからだ。また前方もかなり深い溝になっていて、のぞき込むとその底には馬車が通れるほどの道が通っている。崖下からの街道がここで切り通しになっているためである。

 彼女たちはこれからこの場所で、ルンゴに戻ってくるアロザールの追跡部隊を待ち伏せて殲滅するのである。

 と、そこにニフレディルがやってきた。

「敵が来るまでまだ間がありそうだから、腹ごしらえをしておきましょうだって」

「あ、分かりました。ありがとうございます」

 大魔法使いがいるとかように大変便利だ。

 彼女たちはいま二手に分かれていて、もう一方のフィンたちは深い溝になっている街道の向う側だ。普通なら会話はできない。だがニフレディルとファシアーナの心話を使えばこうして簡単に意思疎通ができるのだ。

「聞こえた? みんな」

「おうよ。腹減ってたところだ」

 そう勇んで答えたのはイルドだ。こういった荒事になればキールの方よりもこちらがいいわけだが―――でもやはりそこはかとなく心配になってしまう。

「お弁当はこちらですよ」

 アラーニャが大きなバスケットを開くと、中からサンドイッチの包みを取り出してイルドに渡す。それからあたりにいた他のメンバーにも包みを差しだした。

「みなさん、どうぞ」

「ありがと」

「わーい」

 にこにこしながら包みを受け取ったのはサフィーナとアルマーザだ。

 サフィーナというのはヴェーヌスベルグ勢ではいちばん小柄で胸も小さく、頭もショートカットだったので、一見したら少年のようだ。

 だがそんな体格差をものともせずにシャアラやマジャーラといったヴェーヌスベルグ最強剣士と互角に渡りあっていて、それでアウラに褒められたりもしていた。

 アルマーザは一行の中では、何というかすごく普通でわりと目立たない感じなのだが、でも実は剣でも弓でも料理でもみんなそれなりにこなせるかなり優秀な人なのである。しかし……

「アラーニャちゃ~ん。あーん

「もうアルマーザったら~」

 アラーニャが両おっぱいを支えるように持つと、サンドイッチがふわっと浮かび上がってぽんとアルマーザの開いた口に入る。

「おひしぃ~

 このように彼女はアラーニャが大好きみたいで、いつでもこうやってくっついているのであった。

《まあいいけど……》

 彼女たちと一緒になってそろそろ十日ばかり。最初はびっくりしたものだが、今ではもう日常の一コマである。それよりも……

「それじゃあの二人にも持ってってあげないと」

 少し離れた崖の上ではリサーンとハフラが見張りについていた。

 メイが二人のお弁当を抱えて行こうとすると、サフィーナも水筒を持ってついてくる。

「あたし、これ持ってく」

「あ、ありがとう」

 包みは結構大きいので、全部持つと結構かさばるのだ。

 二人が草をかき分けて慎重に足を進めていくと、いきなり目の前がぽかっと開けた。

 眼前には広い谷間が広がっている。幅は数十メートル近くあるだろうか。崖下も草原になっていて、その中を青緑色の川が蛇行しているのが見える。

 その谷は両岸が切り立った崖になっていて、メイはその直上に立っていた。

《ひえぇぇぇ》

 それは高さ十メートル程度だとは思うのだが、手すりも何もなくすとんと切り立っているところから見下ろしては、やっぱり背筋がぞっとする。一度そんなところで怖い目に遭ったこともあるし……

「あ、なに?」

 リサーンの声だ。

「お弁当持ってきたの」

「ああ、そろそろお腹減ったなって思ってたのよ」

 二人はリサーンとハフラの横に座りこんだ。

 ハフラは望遠鏡で何か遠くを見ている。

「何か見える?」

「何か花が咲いてるなって。何の花かしら」

「百合の花でしょ?」

「百合っていってもいろいろあるじゃない」

 要するに今のところは事もなしというわけだ。

 四人は座って雄大な景色を眺めながらお弁当を食べはじめた。

 こちら風の黒いパンに、ローストビーフやチーズ、卵などが挟まったある意味シンプルなサンドイッチだ。だがそれに使われている肉というのがかなりの絶品だ。

 食事が終わるとリサーンが大きく伸びをして草の上に寝転がった。

「ああ、お腹いっぱい。いい気持ち!」

「ここのお肉って本当においしいのね」

 ハフラも満足げだ。

「うんうん。。焼き加減だけじゃこうはならないわよね」

「やっぱり私たちのために最上の肉を用意してくれてるんじゃないですか?」

 ハフラがメイに尋ねる。

「え? まあそれもあるけど、こっちってそもそも牛の育て方が上手なんじゃないかな」

 彼女も詳しくは知っているわけではない。

「どうやったらこんなにおいしくなるのかな?」

「やっぱり飼料がちがうのかしら」

「あっちの草って固くて筋が多いじゃない。何か穀物みたいなものを食べさせるとか聞いたけど」

「ええ? 牛にそんなの食べさせるの?」

 などとハフラとリサーンが牛の飼育談義を始める。

 それを聞きながらメイは思わず尋ねていた。

「あのー、二人とも……」

「ん、なに?」

「いやー、何ていうか、余裕だなーって……」

 そう。メイはけっこうな覚悟をしなければならなかったのだ。

 これから彼女たちはアロザールの敵兵を倒さなければならない。たしかに理論的にはこちらの戦力は十分である。そのことはフィンも保証してくれている。

 だが、いつだって理論と実際は違うものなのだが……

 ところがリサーンはぽかんとした顔で答える。

「いや、だってさあ、この構えで負ける図が浮かばないし」

「え?」

「説明、受けたでしょ?」

 メイはうなずいた。ここでこれから行われる作戦については、フィンが全員に詳しく手順を知らせてくれていた。

「まあ、そうなんですけど。理屈は分かるんですよ? 私も。でもなんていうか、実際にやってみるといろいろ違うもんだし……」

「あれ? メイさんってバターリアってしたことない?」

「なんですか? それ」

 首をかしげるメイに、リサーンは剣をふる真似をしながら答える。

「要するに戦争ごっこよ」

「あー、いや、私はそういうのはあまり……まあ、男の子とかはよくやってたみたいだけど」

 メイは農場の娘だったが、小さいころからだいたい家の母親の手伝いをしてきたのだ。

「ああ、じゃあしょうがないか。でもほら、ヴェーヌスベルグって敵が来たら自力で守らなきゃならないから、みんな剣とか弓とか習うって言ったよね?」

「はい」

「習ったなら実際にやってみないと、身につかないでしょ? だからたとえば家ごとに分かれて、やっつけあうのよ。女王様を決めて、互いに首を取りあうの」

 リサーンは首を掻ききるポーズをする。

「首ぃ?」

「もちろん本物の武器は使わないわよ? 煤のついた木剣とかで、黒くなったら負けなの」

「そういうこと、みんなやってたの?」

 メイがちょっと驚き顔で尋ねると、リサーン、ハフラ、それにサフィーナもうなずいた。

《うーむ。だとすれば余裕があってもおかしくないのかしら……》

 考えてみればクォイオでフィンの随行員を“確保”したとき、メイはあまり細々と指令を出す必要はなかった。彼女たちがさっさとみんなやってくれたからだ。

「まあ、だから本当に相手が二〇人とかなら、どうやってでも勝てそうなんで」

「そんなもんですか?」

「うん。そうでしょ? ハフラ」

 リサーンはいきなりハフラにふるが……

「ええ」

 彼女もあっさりとうなずいた。

 メイは思わずハフラの顔を見つめた。

 こちらで一緒になってからというもの、彼女はずっと物静かに本を読んでいるようなイメージだったのだが……

 その視線に気づいてリサーンがにやっと笑う。

「だってハフラったら、こういった卑怯な待ち伏せみたいな作戦が大得意だったのよ?」

 それを聞いたハフラがリサーンをにらみ返す。

「ああ? あんたこそ薄汚い暗殺みたいな作戦が大得意だったじゃない」

「なによ? 最初に仕掛けてきたの、そっちじゃないの」

「当たり前じゃないの。鬱陶しい奴は真っ先に潰さなきゃ」

 あはは。そうなんですか?

「まあ、それはともかくねえ、今日の作戦なんだけど……」


 ―――敵の情報は今日の朝もたらされた。

 偽情報を信じて明後日の方角に大皇后一行を探しに行った部隊は、どうやら騙されたことに気づいたようだった。そこで引き返してきて昨夜は北方の村に宿泊していたのだが、そこで酒に酔ってルンゴの女将を締め上げてやると息巻いていたらしい。

 それを聞いたその村の娘が、夜通し馬を走らせてルンゴに知らせにきてくれたのだ。彼女は女将に逃げろと伝えにやってきたのだが、話を聞きに出てきたのは大皇后の一行だった。

 娘の話では敵の部隊は今日の夕刻にもルンゴにやってくるらしい。そこでフィン達が相手を逆に待ち伏せようということになったのだ。

 ルンゴの北には待ち伏せにちょうどいい場所があった。

 部隊がやってくるには北からの街道沿いしかないが、その道はいまメイ達の眼下に広がっている谷間を越えなければならない。そして崖を上がるためにはこの切り通しを通らざるをえないのである。

 すなわち、この溝になっている場所に敵を閉じこめることができれば、まさに相手は袋のネズミとそういうわけなのであった。

 そこでまず、切り通しの両側面には二手に分かれて魔法使いと弓隊が配置されている。

 こちら側にはメイ、ニフレディル、イルド、アラーニャ、リサーン、ハフラ、サフィーナ、アルマーザの八人。反対側にはフィン、ファシアーナ、アーシャ、マウーナ、ルルー、アカラ、それにメルファラ大皇后だ。彼女までが含まれているのは本人の参加の意思が固く、しかも実際に弓が上手だったからだ。

 続いて敵がやってきたら、まず切り通しに全員が入るまで待つ。そのための道の長さは十分にある。切り通しの出口付近にはアウラ、リモン、シャアラ、マジャーラの“四大剣士”を配置して、敵が抜けそうになったら立ちふさがって前方を塞ぐ。同時に最後尾付近にある大きな立木をファシアーナが倒してしまえば包囲完了だ。そのための細工も済んでいる。

 あとは四方八方からひたすら撃つ! 撃つ! 撃つ! である―――


「……ともかくこんな場所でハマったら相手は身動き取れないし、一番危ないのは先頭だけどアウラ様やリモンさんに、槍もったシャアラとマジャーラでしょ? その上ファシアーナ様やニフレディル様やアラーニャちゃんもいるし。それに相手だってこんなところで待ち伏せられてるなんて夢にも思ってないだろうし、いや、もうこれでどうやったら負けられるかって感じなんだけど」

「まあ、そうなんですが……」

 理屈では理解できるのだ。理屈では―――だがメイはさすがにこういう現場に出たことはあまりなかったので、どうしてもそこまでの確信は持てなかった。

「フィーネさんはどう言ってました?」

 煮え切らないようすのメイにハフラが尋ねる。

「ああ、フィーネさんは特に何も……っていうか、他のことで頭が一杯みたいで」

「他のこと? きゃははははは!」

 リサーンは遠慮なく爆笑する。

「なんか最近げっそりしてるわよねえ」

 ハフラも微妙な笑みを浮かべる。

 あはははは!

 いや、笑ったらいけないとは思いつつも、こればっかりは―――なにしろ昨夜も彼はルンゴの村で“解呪の儀式”を行ってきたばかりなのだ。


 ―――さすがにそれを聞いてルンゴの村人も蒼くなった。

「……というわけでそうすることで、呪いが解けるのは事実なんです」

 メイは部屋の中を見わたした。そこはルンゴのとある農家の地下室で、ベッドがいくつか置かれており、その上には何人かの男が伏せっていた。

 その手前には男たちの世話をしていた村の女たちが何人か、目を丸くしてメイと彼女を取り巻く女たち見つめている。

 ここでもまたメイは貴族風のドレスに羽帽子という姿だ。

「そうやって実際に動けるようになった方にも来ていただいてますから」

 メイは後方に合図した。

 やってきていた女たちをかき分けるように、体躯の大きな若い男が入ってきた。

「あ、あなたは……フェルテ小隊長!」

 ベッドで寝ていた男の一人が、その顔を見て声を上げる。

「よう、ゼニエロ。こんなとこにいたのか」

「お知りあいですか?」

「あ、はい。以前、私の部下だった男でして」

「そうだったんですか」

 アロザールの呪いのせいで動けなくなる者が続出したため、アキーラ付近のレイモン軍はほとんど戦わずして消滅していた。その際に動けなくなった兵士はこのようにバラバラに各地の村で匿われていたのだ。

「話は聞いたな? たしかに俺だって最初は信じられなかったさ。でもな、この方たちの言うことは本当だ。だから俺はこうしてやって来れてるし、俺自身、ブランゾの呪いを解くことができたんだからな」

「ブランゾ? っていうと……もしかしてあの?」

「ああ。おまえの義理の兄貴じゃなかったか?」

 男は目を見ひらいて天を仰ぐ。

 それは―――まさに恐ろしい葛藤に苛まれているといった表情だ。

《いや、しょうがないですよねえ、こればっかりは……》

 クォイオのときも最初の説得がかなり大変だったのだ。

 そこでメイはふり返って、後方のすっぽりローブをかぶった女性に目配せをする。彼女は軽くうなずくと前に出てきた。

 それからその女性がルンゴの村人の前で着ていたローブを脱ぎすてると―――人々はまるで凍りついたようになった。

 そこ現れた女性は最高級の仕立ての豪華なドレスを身にまとい、柔らかなブルネットの髪は宝石の煌めく精巧な髪飾りでまとめられている。だがそんな衣装や装身具は、彼女本人の美しさをほんの少しだけ引き立てているだけにすぎない。

 村人たちはこれまで、かような女性と相まみえたことなどなかっただろう。だがそうだとしてもその姿を見た瞬間、彼らは確信したはずだ。

 この人こそが白銀の都の大皇后なのだと。

 メルファラは凍りついた村人の間を抜けてベッドの脇までやって来ると、すっと跪いてその男の手をとった。

「ひっ」

 驚愕する男に、メルファラはにこっと微笑みかけた。

「ゼニエロさんでしたか?」

「え? はいっ!」

 男の声は完全に裏返っている。

「私は白銀の都の大皇の后、メルファラと申す者でございます」

 男はもう声も出せずに、眼差しでうなずくだけだ。

 メルファラは彼に向かって静かに語りかける。

「分かっております。いまあなたがひどく辛い選択を迫られているということは」

 彼女は顔を上げて、その部屋にいるほかの男たちを見わたした。

「確かにそのような行いは、まさに恥ずべきことでしょう。それによってあなた方の大切な誇りが永久に傷つけられてしまうということも、私は分かっております……でも、ここで私はあえてあなた方に申し上げます。そのような傷がいかほどのものなのでしょうか? と」

 男たちの目に怒りの炎がわき上がる。当然だ。

 だが―――いまの彼らにはそれ以上どうすることもできなかった。

 そんな彼らにメルファラは静かに語りかける。

「そんなことより、もっと恥ずべきことがあるのではありませんか?」

 男たちの目が泳ぐ。

「ご存じですか? 私たちが心底あなた方を恐れていたということを。あの大ガルンバ将軍がクォイオの戦いでウィルガの魔導軍を撃破して以来、私たちはいつあなた方が都に攻め上ってくるのかと怯えて暮らしていたのですよ?」

 メルファラは再び男たちを見わたした。

「それなのに今、私の前にいるあなた方はどうなのです? この草原の覇者であるレイモンの男が、このように惨めに横たわっている姿をさらしているのですよ?」

 男たちがうっと息を呑む。

 そんな彼らにメルファラは打って変わって強い口調で語りかけた。

「だから、立ちあがるのです! どんなことをしてででも‼ そうしなければ取り戻せないではありませんか。レイモンの民としての誇りも……そして“レイモンという国”をもです!」

「レイモンの……国を?」

 ゼニエロの問いに、メルファラはにっこりと微笑む。

「はい。そうです。この国を敵の手から取り戻すために、そのために私はこうして戻ってきたのですから」

「大……皇后……様……」

 ゼニエロの目から涙がこぼれ落ちた。ほかの男たちの目からも、いや、その場にいた村人すべてが泣いていた。

 メルファラは静かに立ちあがると、その場すべての人々に深く礼をした―――


 それはメイが思いだしてもぞくぞくしてくるような光景だった。

 実はあのセリフの原案はメイとフィンででっち上げたのだ。

 最初クォイオで村人を説得するのに手間がかかってしまって、そのため理詰めで行くよりは“大皇后様のご威光”にすがった方がいいのではないかという反省からなのだが……

《ファラ様ってやっぱりすごいですねえ……》

 その場に立っているだけで、彼女はまさに太陽のように照り輝いていた。

 あのあと彼女が『そのために戻ってきた』なんて言って良かったんでしょうか? などと悩んでいたが―――いや、実際もうそんなことになってしまってるわけで、これからの襲撃を実行してしまったらもう、あとは行けるところまで突っ走るだけなのである。

 ―――そのようなことをメイが回顧していると、リサーンの声が聞こえる。

「あれ、そうじゃない?」

 彼女の指さした方を見るが、何も見えない。だがハフラがその方を望遠鏡で覗くと、彼女もうなずいた。

「あ、ほんとだ」

 ハフラがメイに望遠鏡を手渡す。それを覗いてみれば、対岸の崖の上に砂煙が上がっていて、ちらちら馬に乗った男の姿が見える。

「どうやらそうですね……でもリサーンさん、よく見えますね?」

「あはっ。伊達に砂漠育ちじゃないしっ。ま、でも誰かみたいに砂漠で近視のお間抜けさんもいるから、やっぱあたしって偉いのかな?」

 それを聞いたハフラがリサーンをぎろっとにらむ。

 あはははは。確かにハフラはリサーンに比べたら目が悪いらしいのだが、それでもメイに比べたら断然、というかこちらでは普通以上なのだが、砂漠じゃそれではダメらしい。

 それにしてもこの二人は仲がいいのか悪いのか? 大抵は二人セットでいるようなのに、ぺたぺたくっついているのは見たことがない。

 これが他の子たちだと、出会い頭に抱きあってキスしてるようなところにぶち当たったりして、かなり心臓に悪いのだが……

「じゃ、私たち戻るから、あとよろしくね」

 それはともかく仕事である。

「了解っ!」

 リサーンが胸をたたく。

 メイとサフィーナは再び元の持ち場に戻るとニフレディルたちに告げた。

「対岸に敵がきてます。みんなそろそろ準備して下さい」

「わかったわ」

 全員がうなずくと、魔導師以外はみな弓の点検を始める。ニフレディルは目を閉じてファシアーナと心話をしているようだ。

《よっしゃーっ!》

 メイは心の中で活を入れた。



 そのあとはまさに計画通りだった。

 アロザールの追跡部隊は馬に乗って二列縦隊で街道をやってきた。人数は二十二人。ほぼ情報どおりだ。彼らはもちろんここで襲撃を受けるなどと予想もしていなかった。そのため全員が密に固まって、特に斥候も出さずにやってきたのだ。

 彼らが切り通しを抜けようとしたところで、馬に乗ったアウラとリモンが行く手に立ちふさがる。

「隊長さん、いる?」

 アウラの問いに一行の中から部隊長が出てくる。

「なんだ? おまえは?」

 その瞬間、カチリとアウラの折りたたみ式薙刀が継ぎ合わされ、次の一閃で部隊長は馬から叩き落とされていた。

 それ以降は男たちは何が起こったか自問する暇さえなかっただろう。

 同様にリモンが薙刀をふるって別な兵士を斬りたおす。両脇からはシャアラとマジャーラが槍で突きかかる。

 いきなり後方では大木が倒れて退路がふさがれる。

 そこに火の玉がいくつも現れては、縦横無尽に兵士の服を燃やし始める。

 血路を開こうと前方に突撃しようとした兵士が、いきなり鞍から浮きあがると後続の兵士と激突して二人とももんどりうって落馬する。

 そんな彼らに上方からは正確な矢が次々に命中していく。

 最後には上空に巨大な火球が現れると、その下に存在していた“可燃物”をみんな灰にしていった。

 生き残ったのは最初にアウラに叩き落とされた部隊長、ただ一人だった……

《うひゃー……》

 メイは呆然とその惨状を見下ろしていた。

 まさにこれは一方的な虐殺であった。

 だが正直、哀れみは感じなかった。

 なぜならアロザール支配下のレイモンは、まさに獣に蹂躙されているという言葉にふさわしかったからだ。

 たった一つ、例の禁令で女性が無差別に襲われるようなことだけはなかったのだが、それ以外のありとあらゆる狼藉が巷に満ちあふれていた。

 たとえば店の商品はただで持って行かれて当然だった。文句を言えば簡単に殺された。殺人は禁令に入っていないからである。

 また強姦は許されなくとも“同意の上”なら問題がなかった。だから見栄えのいい娘は、無理矢理に合意書を書かされて駐屯地に連れてこられたり、遊郭に売り飛ばされたりした。

 メイ達はこれまでそんな実例を幾つも見てきていた。

《あの崖、崩れちゃったけど、直しとかなくていいのかなあ……》

 だから感想としてはその程度なのである。

 最初の勝利は、何だか気の抜けたサイダーのような味だった。

「それじゃ戻りましょう」

 メイは仲間に合図すると、フィンや王女たちと合流するために歩きはじめた。

「ほらあ、やっぱそうだったでしょ?」

 と、肩をぽんと叩かれる。ふり返ったらリサーンだ。

「確かにもう、あっという間でしたねえ」

「これならもっと人数が少なくても良かったわね」

 ハフラも無表情に戦いの跡を見つめながら言う。

 メイもそんな気がしていた。最初だからまず持てる全力を出してみようと、このような布陣になったわけだが、これはいわゆる“オーバーキル”というものではないだろうか?

「これだったらけっこう蹴散らしていけそうですよね?」

 今の彼女たちの戦力をもってしたら、この程度の敵ならほとんど一方的に戦えるということなのではないだろうか?

 そう思ってメイはちょっと気が大きくなってきたのだが……

「んー、でもこんないい待ち伏せ場所なんて滅多にないし」

 ハフラがつぶやくとリサーンが答える。

「そうよねえ。これで上手くいったからって、ちょっと安心はできないわよねえ」

 うわ、そうなんだ……

「えっと……それって?」

 メイの疑問にハフラが答える。

「このあたりってだいたいが見通しのいい平原だし、丘とか木立とかはあったりするけど、でもそれだけだから。そんなところだと今みたいに敵を囲んでも突破されちゃうのよね。今回は土手で閉じこめられたから良かったけど」

「それにあの突っ込もうとしてた奴、アラーニャちゃんのおっぱいがなかったらけっこう危なかったかも」

「どうしてもどこかに隙ってできるものねえ」

 うーむ。この二人は正直メイよりもずっとこういうことには向いてそうだ。

 するとリサーンが言った。

「それじゃどうする? 傷ついた鳥でおびき寄せるとか?」

「それ、鳥の子がマジ危ないでしょ。さすがにこれって遊びじゃないし。ここぞってとき以外はやってられないわよ。それにそもそもおびき寄せられるようないい場所も少なすぎるし」

「そうよねえ……」

「傷ついた鳥?」

 メイが首をかしげるとリサーンが答える。

「あ、囮のこと。見つかって逃げるふりして、待ち伏せてるところに誘いこむ作戦。親鳥が傷ついたふりして巣から敵を引き離すの、見たことない?」

「ああ、それ知ってます。小さいころ何度か見たことがありますよ」

「でも人間様にはそれで逆に巣のある方が分かっちゃうのよね」

「そうやって雛鳥を捕ってたんですか?」

「そんなことしないわよ。かわいそうじゃないの」

 ―――などと話していると、前方に人だかりが見えてきた。

 そこでは捕らえられた部隊長が女たちに取り囲まれて小さくなっていた。

 戻ってきたメイ達にエルミーラ王女が言った。

「みんな、お疲れさま。だいじょうぶだった?」

「こちらは全くだいじょうぶです。それより前の人たちこそケガしませんでしたか?」

「アウラにリモンよ? あんなの相手にケガなんてするわけないじゃないの」

 そりゃまあそうなのだが……

 この手のことに関してならもう絶大な信頼がおけるのは間違いない。

 メイと王女の会話を、間に挟まれた部隊長が不穏な目つきで聞いている。

「で、この隊長さんはどうするんですか?」

 部隊長がぴくりとする。それを横目で見ながら王女が答える。

「もちろんじっくり尋問しますよ。始末するのはその後で」

 部隊長の目が見ひらかれる。

 それを見ながらメイは芝居がかった調子で王女に尋ねる。

「でも、始末って……この人、あのル・ウーダみたいな裏切り者じゃありませんよ? 燃やしちゃうのはちょっとかわいそうなんじゃ……」

 部隊長がぴくりと体を震わせる。

「でも、役に立たなければ足手まといにしかなりませんし……」

 それから王女は捕虜の顔を正面から見据えて、にこーっと笑う。

「あなた、足手まといにならないって、なにか証明できます?」

 部隊長は真っ青になった。

「とりあえず知ってること、みんな話していただけますか? そうすれば、中には役立つ情報があるかもしれませんし」

「は、は、話します! 何でも話します! だから命ばかりは!」

 部隊長はべらべらと話しはじめた。

《あははは。やっぱこういうとき傭兵ってダメなんですねえ……》

 もしレイモンの人々が同様の目にあったのなら、殺されたって何も言わないだろう。だがこの敵は単なる寄せ集めで、アロザールに対する忠誠心は大したことがないのだ。

《これは幸運って思った方がいいのよね……》

 これがゲームをしているのなら強い相手の方がおもしろいのだろうが、本当に生きるか死ぬかの場合、相手は弱ければ弱い方が心が和むのである。


 それはともかく、まずは一勝ということだ。



 その日、アキーラの大守グスタールはかなり機嫌がよかった。

 彼が今いるのはアキーラ城の王の間だ。城の最高階にあるその部屋からは、アキーラ市街とそれを取りまく大平原が一望の下に見渡せた。

「くっくっく……」

 それを見るたびにグスタールはこみ上げてくる笑いを禁じえない。

 これがかつて中原を支配したレイモンの大王ルナールやマオリが見ていた光景なのだ。

 レイモン王国といえば、ほんの数ヶ月前までは自他共に認める草原の盟主だった。その頃の彼はアロザールの雇われ将校の一人でしかなかった。それが今ではかつての大王が見ていた光景をそのまま目にしているのだから!

 傭兵上がりの彼は、生来の如才のなさでアロザール軍の中でのし上がってきた。だがそれでも一国一城の主などという、そこまで大それた野望を抱いていたわけではない。戦で軍功をあげて、貴族にでも取りたててもらって、そこそこの領地でももらえれば御の字だ、その程度に思っていた。

《それとも欲がなかったのがよかったのかな? ふふふっ!》

 その彼が、いまやかつてのレイモン王国の都、アキーラの大守なのである。

 もちろん彼が支配している領域は旧レイモン領域、すなわち大河アルバの西に広がる平原地帯だけだ。だがそれでもまさに広大な地域と言っていい。

 現在アロザール王国のほぼ全軍が大河アルバの東に展開して、シルヴェストを中心とする連合軍と対峙しているが、それはもうグスタールにとっては対岸の火事だった。

 彼にとっての現在の興味は、与えられた領地を確実に守ること、ただそれだけだ。

 だが正直それも楽勝な話だった。

 なぜならアロザールの呪いのおかげでここには彼に抗えるような敵勢力など存在していないのだから。

 確かに田舎の方にはまだ呪いの届いていない地域もあって、そういうところの輩は鎮圧しなければならないが、残りの大部分はもう完全に平定済みだ。

 あとはもう、東方の戦いが無事終わるよう、ここで祈っておればよいのだ。

 ―――と、そのとき、フランコという彼の腹心の一人が、伝令の兵士らしき男と一緒に慌ただしく入ってきた。

「閣下、ディロス駐屯地よりの急報です」

「ああ? いったい何だ?」

 つまらない報せなら、どやしつけてやろうか? グスタールはそう思ったのだが……

「おい、閣下に申し上げろ」

 フランコに促されて伝令の兵士が言った。

「それが……メルファラ大皇后の一行が、いなくなったそうなのです」

 ………………

 …………

 ……

 その言葉の意味が大守の脳に染みわたるまでには、少々の時を要した。

「なん……だと?」

「大皇后一行がルンゴにて宿泊中、何者かに襲撃されて随行員はみな倒され、大皇后の一行はそこから姿を消したということです」

「大皇后が……消えた?」

 グスタールは二週間ほど前、このアキーラ城に大皇后を迎えていた。

 その姿はまさに輝かしいと言うべきで、ザルテュス王がアルクス王子の妃に迎えようとしたのはまさに納得がいったのだが―――そのときには別に怪しいことなど何もなかったはずだ。

「それで襲撃したのはどんな奴だ?」

「それが、全員女だったそうです」

「女、だと?」

 ふざけるなとわめきそうになって、それからグスタールは思いあたる。

「ということは、呪いにかからないために女の戦士を用意したと?」

「そういうことかと」

「いったいどこの誰だ! そいつは!」

「それは分かりません」

 グスタールは頭にかっと血が上った。

「とっとと調べんかっ!」

「えっと、その……」

 彼は単なる伝令でしかない。それに気づいてグスタールは歯を食いしばる。

「他にはっ!」

「はい。それから現地の女を問いつめたところ、大皇后一行は北西の方角に向かったらしいとのことです」

「北西? それで?」

「もちろんその方面に追跡部隊を送りこんでおります」

「当然だな。それから?」

「あとは……以上のことは出迎え役のル・ウーダ・フィナルフィン様にもお知らせしてありますとのことです」

「ああ、そうか。それから?」

「以上ですっ!」

「よし、下がれ」

 伝令は礼をして下がっていった。

「閣下、それでいかが致しましょうか?」

 残ったフランコが尋ねるが、グスタールはそれには耳を貸さずに部屋の中をうろうろ歩き回ると、いきなりどんとテーブルを叩く。

「逃げられた……だと?」

 状況を鑑みれば、要するにそういうことなのだが―――あり得ない! まさにあり得ない話だ。

《いや、だが落ちつけ!》

 大守は大きく深呼吸する。それから考えた。

《絶対にどこかの勢力が関与しているに違いない!》

 そもそも大皇后が自力で逃げることなどあり得ない。

 ということは一行は何者かによって“逃がされた”のだ。

 その何者かはレイモンの領域に入ればアロザールの呪いから逃れらないことを知っていて、そのために女戦士で構成された特殊部隊を差しむけたのだ。

「そんなことをする奴は……アラン王だな?」

「はい? 都の手の者ではないのですか?」

「愚か者が! 都のわけがないだろう? こんなことをするくらいなら、どうして最初から拒否しないのだ?」

「それは……」

 グスタールはフランコに教え諭すように語りはじめる。

「大皇后をいちばん助けたいと思っているのは、多分アイフィロス王、エルゲリオンだろうが……でも奴にこんな策略を弄する頭があるとは思えんわ。それよりも怪しいのはシルヴェストのアランだ。もし奴が大皇后を救出できたとしたら他国に対する影響力は絶大になるし、それに何よりも我が国に対する切り札を手に入れることになる」

「だとすれば……」

「ともかく国境を固めろ。特にロータを中心に、アルバ川沿いは厳重にな。北西に向かったなどというのはブラフだ。どこかで東に方向を変える気だろう」

「は。しかし……そちらは前線になっておりますから、突破はきびしいのでは?」

「ふん。女戦士どもを送り込んできたのだ。抜け道などいくらでもあろう」

「承知いたしました。で、南の方はいかが致しましょうか」

「南? そちらにはル・ウーダ殿がいるだろうが! そんな方向に逃げるわけがない!」

 そう言いながら、グスタールはちらっとフィナルフィンが都出身だったことを思いだすが……

《んなバカな!》

 出迎え役が大皇后を連れて逃げるだと? フィナルフィンとはアロザールに仕えてからまだ日は浅いようだが、第二王子の叛乱を押さえ、北上の途中ではあのガルンバ将軍の奇襲を予想するなど、既に王の片腕と言ってもいい男だ。それがどうしてそんな真似をするというのだ?

「承知しました。それとあと、ザルテュス様やシーガルへの報告はどう書けばいいでしょう?」

「あん?」

 グスタールは一瞬考えこむ。

 これは―――まさにあり得ない話だったから、まったく無警戒だったのは事実だ。いったいどんな奴が輿入れしにいく大皇后が逃げだすなどと思う?

 だがどれほど理不尽な出来事だったにしても、これがこの地を管理しているグスタールの失態になるのは間違いない。

 そして、あのアルクス王子がこのメルファラ大皇后に、ことのほかご執心だという……

《それを逃がしたとか言ったら?》

 グスタールは背筋がぞっとした。

 それからちらっと窓の外を見る。そこには相変わらず大平原の光景が広がっている。

 グスタールはふっと鼻で笑うと答えた。

「報告はしなくていい」

「え? しかし……」

「だいじょうぶだ。おまえも知っているだろう? ルンゴのような平原のど真ん中ならともかく、国境に近づけば近づくほど兵士は増えるのだぞ? 逃げ切れるわけがない。とっとと捕まえてしまえばいいことだ」

 フランコは一瞬言葉につまるが、彼もまたアルクス王子がキレたら何をするか分からないことはよく知っていた。

「承知致しました」

 下がろうとするフランコをグスタールが押しとどめる。

「ちょっと待て、もう一つ……」

「なんでしょう?」

「囮には注意せねばならんぞ? 誰かが大皇后のふりをして目立つ行為をして、その隙に本物に逃げられてはかなわんからな。もしそういう奴が現れたら、反対側にも気を配っておけよ?」

「はっ」

 フランコは感服したように頭を下げて、下がっていった。

《ふっ、愚かな……女ばかりでいったい何をしようというのだ?》

 むしろこれで退屈が紛らわせる―――グスタールはそう思った。