太陽と魔法のしずく 第4章 或る夜の出来事

第4章 或る夜の出来事


 最初の勝利を収めてから三日後の深夜、彼女たちはいきなり正念場を迎えていた。

「遅いですねえ……」

 草陰に潜みながらメイは小声でつぶやいた。

「あー、もうまだ?」

「もしかして寝ちゃってるんじゃないかしら」

「はあ? 冗談でしょ?」

 リサーンとハフラの不機嫌そうな会話が聞こえてくる。機嫌が悪いのはメイも同じだ。

《早く来てくれないと予定が狂っちゃうんですけど!》

 とはいってもこればかりは相手次第だ。

 彼女たちがいらいらしながら待っているのは、アロザールのディロス駐屯地の“中”だ。

 時間はもう午前三時をずいぶん過ぎている。

「本当に三時に回るんでしょうね?」

 ニフレディルが小声で尋ねてくる。メイはうなずいた。

「そのはずなんですけど……」

 仕入れた情報ではこの時間に歩哨が巡回して、それが行ってしまったらしばらくは安全なはずなのだ。その予定で計画を立てていたのに、その歩哨がなぜかいっこうにやってこないのだ。

《完全に寝ててくれれば決行しちゃってもいいんだろうけど、何らかの理由で遅れてるだけだと鉢合わせしちゃてまずいし……》

 そのときニフレディルが小声でつぶやくのが聞こえた。

「いえ、まだ来てないの……だからそちらももう少し待って……ええ、分かったわ」

「シアナさんですか?」

「ええ。焦らずに待てって。アロザールの兵はたるんでるから、こういうこともあるだろうって」

「わかりました」

 どうやらファシアーナ経由でフィンが指示してくれたようだ。こういうとき二人が心話できるというのは本当に便利である。

 メイは仲間たちに小声で言った。

「夜明けまではまだ時間があるから、みんなもう少しガマンしててね」

 控えていた女たちがうなずくのがうっすら見えるが、それから一瞬間をおいて……

「……ふぁいっ!」

 おかしな声で返事をしたのはアルマーザだ。

「あんた、寝てたでしょ?」

 リサーンの突っ込みにアルマーザが慌てる。

「寝てませんって……あれ? まだ来てないんすか?」

「まだだけど、いびきだけはかかないでよ?」

「んなことありませんって!」

 なにやら言いあいが始まりそうになったところにリモンの鋭い声が飛んだ。

「二人とも静かに!」

「「はいっ」」

 確かにこんな時間にこんな場所でじっと待っているのはなかなか厳しい。

 それからメイは城壁の上を見ると、うっすらと人影が見えた。アラーニャとキールだ。

 彼らも同様にじりじりしているに違いない。そこでメイは手を上げると『もう少し待て』という意味のハンドサインを送った。

 人影がオーケーのサインを返してくる。

 このハンドサインは都の狩りのときに使われているもので、フィンやアウラ、それにメルファラ大皇后も習熟しているというのでみんなで覚えることにしたのだ。

 これがあればこうやって静かに簡単な合図を送れるのだが、相手が見えていなければいけないし、ややこしい会話もできない。

《アラーニャさんとも心話できたらたしかに便利なんだけど……》

 彼女たちがこんな時間にこんなことをしているのはもちろん、この駐屯地を夜襲するためであった。


 ―――それは最初の勝利を飾った日の夜のミーティングの席でだった。

「えーっ! いきなりですか?」

 フィンの提案にさすがのメイも驚いた。

「だって砦を落としたらどうだって言ってたの、君だろう?」

「え? まあ確かに言いましたけど……」

 あのときは思いつきで言ったまでなのだが……

「そうですよ。フィーネさん。こういうことはもう少しみんなが戦いに慣れてからでもいいのではありませんか?」

 エルミーラ王女も首をかしげている。

 だがフィンは首をふった。

「いえ、今ここでやっておくのが重要なんです」

 フィンは全員の顔を見回す。

「今日たしかに僕たちは最初の勝利をあげました。でもこれは本当に第一歩にしかすぎないのは分かってると思います。ここで安心するわけにはいきません。追跡部隊が全滅したことはいずれ相手にも知られてしまうはずです。そうすれば別の追っ手が差しむけられるのは間違いありません」

 それは確かにその通りだった。それを聞いてリサーンが答える。

「それも今日みたいにやっつけてしまえば?」

「いや、そう簡単じゃないってことは君たちだって言ってただろ?」

「まあ、そうだけど……」

「だからここでディロス駐屯地を潰しておく必要があるんです。あそこはレイモン南部のアロザール軍の拠点になっていて、いろいろな報告や中央からの指示はすべてあそこを経由してるんです」

「ということは、そこを潰せば敵の情報が混乱するということですか?」

 エルミーラ王女の問いにフィンは大きくうなずいた。

「はい、そうです! いま僕たちにとっていちばん困るのは、相手に冷静な対応をされることなんです。そのためには相手に正確な情報を与えないことが重要なんです」

「それは分かりますが……でもそれってやはり相当危険な作戦になりませんか?」

 王女の懸念ももっともだった。一瞬フィンは息をのむが、やがてうなずいた。

「はい。正直言いまして、かなりの危険はあると思います。でもあそこを残しておいては、このあたりを自由に動き回ることはできません。ですから……場合によっては少々の被害があったとしても、やっておかなければならないことだと思っています」

 一同はしばらく無言だった。

 そうなのだ。彼女たちはわりと調子に乗ってこのようなことを始めてしまったのだが、いま戦える味方は所詮のところ二十人程度だということは、誰もが認識していることだった。

 それはすなわち、ひとり失うだけで戦力は大幅にダウンするということを意味している。

 これが普通の軍隊であれば一人二人の犠牲など誤差範囲なのだが、彼女たちはここぞという戦い以外では誰一人ケガすることもなく戻って来なければならないのだ。

 だが今フィンは、この作戦がその“ここぞという戦いだ”と言ったのだ。

 こういう判断はもうメイには身にあまる話である。もはや彼を信じるしかない。

 そして最後の決断は―――全員がエルミーラ王女の顔を見た。

 王女は少しばかり躊躇していたようだが、やがてうなずいた。

「分かりました。ここはフィーネさんのお考えに従うことにいたしましょう。皆さんそれでよろしいですか?」

 全員が黙ってうなずいた―――


 このようにメイ達は決死の戦いに臨んでいたのだが、もちろんむざむざ犠牲を出すつもりはない。作戦は可能な限り万端に整えてある。

 今日の昼間にこの基地に潜入してきたのはメイ自身だった。そのおかげで今はずいぶん気が楽になっていた。

《こういうのってやっぱり現場を見ておかないとねっ》

 おもわず頬がゆるんでくる。

 本当にここに来るまではおっかなびっくりだったのだが、昼間に駐屯地の中を見て色々な人と話をしてみたら、逆にこれならわりと楽に行けそうだという気分になっていたのだ。

《もちろん舐めてかかったらダメだけどっ!》

 油断が禁物なのは間違いない。

 痩せても枯れてもこの駐屯地は敵の城塞なのである。従ってその周囲は城壁で囲まれていて、入り口は正面に一つあるだけだ。もちろんそこには門番が常駐していて、夜はがっちりとかんぬきが下ろされてしまう。

 まあ、魔法で吹き飛ばすことは可能だが、その後は出てきた兵士と大乱戦になるのは必定だ。ゆえに単純にそこを突破しようというのは無理だった。

 しかしそこにいる兵士たちはまさにだらけきっていた。

 昼間にメイとリモンが出入りの商人と一緒に中に入ったのだが、その際には名前を聞かれただけで、あとは中を自由に見て回れたのだ。彼らはここが襲撃されるかもしれないとは夢にも思っていないようだった。

 駐屯地内部には兵舎が三つあった。手前から単純に第一棟、第二棟、第三棟と呼ばれている。第一棟は頑丈な煉瓦造りだが、残りは木造であとから作って付け足したような感じだ。

 第一棟に食堂やホール、それに士官の個室などがあり、残りの木造の棟には下士官や一般兵士が住んでいる。

 その回りはあまり手入れされておらず、朽ちかけた古い厩舎の周辺は雑草が伸び放題で、隠れる場所には困らない。メイ達がいま潜伏しているのもそんな場所だった。

 ―――と、そのとき向こうの方に明かりが見えた。

「来たわよ」

 一同にさっと緊張が走る。どうやらやっと歩哨がきてくれたらしい。

 こんなだらけた場所でも一応は兵舎なので、見回りの巡回はある。

 だがメイ達はいま駐屯地の“内部”に潜んでいるのだ。彼女たちは魔法で城壁を越えて中に忍び込んだのだが、そんなことができたのは城壁の上にはちゃんとした通路もあるのに、恒常的な見張りが置かれていなかったからだ。

 なぜそんなに杜撰だったかというと、彼らが監視しているのは外部からの侵入ではなく、内部からの脱走者だったからだ。この駐屯地にはかなりの数の現地の女たちが閉じこめられていたのである。

 その理由は食事の支度や棟の管理などの各種雑用であった。現地の男たちは呪いで動けない。もしくはアロザールに忠誠を誓ったものは前線に送られている。そのためそういった作業はみんな女たちがこなさねばならなかったのだ。

 現地人を男女に関わらずレイプしてはいけないという規則はかなり厳格に適用されているので、女たちは少数の例外を除いては乱暴は免れていた。

 しかしそれでも働いている女たちにここから出ていく自由はなかった。

 すなわち襲撃する際には、そんな彼女たちに危害が及ばないようにしなければならないのだ。

《それさえなきゃ正直簡単なのにね……》

 木造の宿舎など、ちょっとした魔法使いの手にかかればあっという間に丸焼きにできるし、煉瓦造りの宿舎であっても―――これは一応は魔法対策であるらしく、二流どころの魔法使いではけっこう難儀するそうだが、でも彼女達の味方は都でもトップクラスのお二人なのである。

 なので問題はいかに駐屯地内に囚われている女たちを救い出すか? という点に絞られていた。

 ―――そんなことを考えていたメイの前を、歩哨があくびをしながら歩いていく。

 あたりを詳しく調べようともせずに、単に担当になったのでしかたなくという風情だ。

 歩哨は潜んでいる女たちの姿には全く気づかずに行ってしまった。

 メイは少しほっとした。最悪ここで少々の荒事が必要かもしれないと考えていたのだが。

 そう思ってちらりと横に控えているリモンとマジャーラの方を見る。

 ヴェーヌスベルグ組の中で最も戦いに熟達しているのが、このマジャーラとシャアラだ。実際この二人はメイより一回り以上大きな体格で、体の筋肉なんかもすごいのだ。

 だから来た当初は二人とも自信に満ちあふれていて―――いや、実際にすごく強いのだが、そのせいでアウラやリモンに突っかかっていってコテンパンにされていたのだ。

《あはは。あれはけっこう見物だったけど……》

 最初はシャアラがアウラと立ちあったのだが、アウラはいつものあの調子で構えもしない。それで熱くなったシャアラが斬りこんでいったら、次の瞬間には剣をはじき飛ばされて勝負がついていた。

 続いてマジャーラがリモンと立ち会ったのだが、今度は始まった途端にもう面を取られている。

 そのあと二人がかりでかかっていっても、アウラはおろかリモンにさえかすりもしない。

《まあ、なんていうか、新人が来たときの風物詩みたいなものなんだけど……》

 彼女たちはフォレス親衛隊のメンバーだったのだが、そこに新人が配属されてきたときにはたいてい同じような光景が繰り返されていた。

 天賦の才を持った者を天才剣士が訓練してその上に実戦を積み重ねてきたアウラと、彼女に直に鍛えられて今ではその背中を任せられているリモンが相手なのだ。メイから見たらまさに妥当な結果なのだが、シャアラやマジャーラにとっては少々カルチャーショックだったらしい。

 そんなわけでそれ以来二人はアウラとリモンの忠実な弟子なのである。

 ただ、それはリモンにとっては少々苦い思い出とも結びついていた。

《ルカーノさんのときもそうだったっけ……》

 あの事件はメイにとっても大変だったが、リモンにとってはもっともっと辛いことだっただろう。

 間違いなくあれを乗りこえて彼女は一段と強くなった。

 だが、その代わりにちょっと遠いところに行ってしまったような気もしていた。

 彼女はメイやパミーナに対していつもどおりに振る舞ってくれているのだが、それ以外の人から見ると、やや冷たくて近寄りがたい雰囲気に見えるらしい。

 メイはじっとリモンの横顔を見た。きっと静かな眼差しで前を見据えている彼女は……

《うふ。やっぱりかっこいいなあ……》

 厨房のころからこの先輩の後ろ姿はずっと見つめていたが、彼女が強くなってメイは本当に嬉しかった。そう思うたびに頬がゆるんでしまうのだが……

「ん? なに?」

「いえ」

 いけないいけない。歩哨はもう行ってしまった。今リモンに見とれている暇はないのだ。

 彼女はふり返ると仲間を確認した。

 すぐ後ろにはニフレディル、その横にリモンとマジャーラ、反対にはサフィーナとマウーナがいて、その後ろにはハフラ、リサーン、アルマーザが控えている。

「それじゃ行きますよ!」

 全員が静かにうなずく。

 それを確認すると、メイは一行に先だって歩き出した。

 道筋は昼間に来て全部見ていた。メイは迷わず第一棟の下に到達した。

 働いている女たちは夜は全員、この三階の角部屋にまとめて住まわされていた。出ていこうとすれば必ず一階の夜警の詰め所を通らなければならない。窓から出ようにも外に足がかりはない。

《王女様だったら逃げられたかしら?》

 エルミーラ王女はかつてシーツのロープで監禁された部屋から逃げだしたことがあった。だがそこは手入れの悪い領主の屋敷だったので、外壁の壊れたところから簡単に外に抜け出すことができた。

 しかしこの駐屯地は城壁で囲まれている。さすがにここを抜け出すのは無理だっただろう。

 そんなことを考えていると、表の方から男の声がした。

 女たちは一瞬緊張したが、どうやら酔っ払って騒いでいる声らしい。

《まだ起きてるんですか?》

 もう明け方も近いというのに。

 ニフレディルがどうするんだ? という表情でメイを見つめる。

 あの兵士たちが宴会をお開きにして宿舎に戻ろうとしたら、棟をつなぐ渡り廊下を通っていくだろう。だが今いる位置はそこからは隠れて見えないはずだ。

 メイは小声で答えた。

「ここは陰になっているからだいじょうぶです」

 それから背後にいるサフィーナとアルマーザに向かって言った。

「でもあたりはよく見張っておいて下さいね」

 二人は黙ってうなずいた。

「それじゃお願いします」

 ニフレディルはうなずくと両脇にリモンとマジャーラを抱えるように立ち、そのままふわっと浮きあがっていった。

 三階に達するとリモンが窓を叩く。やがて窓が開くが―――中からうわっという声が聞こえた。リモンが指を立ててしっと静かにさせている。それからニフレディルを外に残して二人が窓から中に入っていった。

 彼女たちは女たちの脱出のサポートと、音を聞きつけて兵士がやって来たときなどの対処を行う役である。

 程なくしてなかから寝間着を着た女が顔を覗かせた。宙に浮かんだニフレディルが手を差しのべると、女はふわっと窓の外に飛び出した。

「きゃっ!」

 女が思わず声を上げる。

「静かに」

「はいっ」

 ニフレディルの制止に女はこくこくうなずくと、今度はふわっとゆっくり下に落ちてきた。

 女の顔が驚きで歪んでいるのが下から見ていてもよく分かるが……

《初めてじゃしかたありませんよねえ……》

 メイが初めて魔法使いに飛ばしてもらったのは確かガルサ・ブランカ城の避難訓練だったと思うが、分かっていてもとんでもなく緊張したものだ。

 女はすとんとメイの側に着地した。

「だいじょうぶでしたか?」

「え? あ、あなたも……」

 女はまだ緊張で息が荒い。

「昼間お会いしましたよね?」

「え、ええ……」

 メイとリモンが昼間に潜入したときは、ばれたらどうしようと気が気ではなかった。

 一応正式な出入りの業者の紹介であるから、手続き上の不備は一切ないはずなのだが。それでもメイは疑われたときの言い訳を十通りくらいは考えていたものだ。

 しかしはっきり言って彼女たちはまさに舐められていた。

 駐屯地内の兵は彼女たちが兵舎の中をうろうろしていても誰も気にしなかったし、逆に雑用を言いつけられそうになってこの人に助けてもらったくらいなのだ。

「それで上には皆さんいらっしゃるんですか?」

 メイは昼間に潜入した際に、今晩助けに来るから全員部屋に集まっていてくれと言っておいたのだが……

 だが女は首をふる。

「いえ、食堂に三人ほど……」

「あの騒いでるところですか?」

「はい……」

 少々面倒な事態だが、一応は想定の範囲内である。メイは自信ありげに胸を叩く。

「でしたらだいじょうぶです」

「本当ですか?」

「はい。あちらからは別な部隊が突入しますから。えっとそれでそのパルデさん、でしたっけ? その方は今日も?」

 女は悔しそうにうなずいた。パルデという娘が若く美人だったので、ここの指揮官に気に入られてしまって毎夜のようにお持ち帰りされてしまっていたのだ。

 そんな話をしている間に女たちが次々に上から降りてくる。

「それではあっちに向かって逃げて下さい」

 メイは駐屯地の奥の方を指さした。そちらの方でハフラとリサーンが手をふっているのが月明かりに見える。

「あちらですか?」

 女が驚く。当然だろう。その方向に出口などないのだから。

 だがメイはにこっと笑ってうなずいた。

「はい。あちらにも魔法使いが待ってますから」

「あ、わかりました」

 女はほっとしたような緊張したような不思議な表情だ。

 それから彼女たちはアルマーザやマウーナの指示に従って奥の方に小走りに去って行った。

《ふう……よっしゃーっ!》

 ともかくこれで脱出の流れはできた。それであとどのくらい残っているのかな? と、上を見上げた瞬間だった。

「うわーっ、だめーーっ!」

 金切り声が聞こえてくる。見ると娘が宙でニフレディルに抱きついている。どうやらひどく高所恐怖症らしい。

「黙って目を閉じて!」

 ニフレディルがそう言いきかせながら彼女をしっかり抱きしめる。

 娘が落ちつくのに少し時間がかかったが、やっと暴れるのを止めたのでニフレディルが彼女を降ろしはじめたときだ。

 がたがたっと音がして、いきなり二階の窓が開いたのだ。

「あー? なんだー? うるさいぞ?」

 そこから寝ぼけた兵士が一人顔を出す―――と、その目の前を娘がすっと降りていった。

 男は絶句して娘が地面に降り立つのを見る。

 それから今度は顔を乗り出して上を見ようとしたのだが―――今度は鈍い音とともにその顔面に、自由落下してきたニフレディルのヒールがめり込んだのだ。

 男はそのまま窓から放り出されて、頭から地面に突っこんだ。

《あちゃー……》

 落ちた男をアルマーザが調べるが……

「あ、こりゃダメですね」

 まあ、あの落ち方じゃしょうがないだろう。

 メイは上空のニフレディルにうなずいた。彼女は二階を覗いて他に起きている男がいないか確認して、窓を閉じるとまた浮きあがっていった。

 こんなときでもスカートにいっさい乱れがないというのが、さすが大魔法使いである。

 彼女は残った娘たちを降ろし終わると最後にまたリモンとマジャーラと共に降りてきた。

「ども。ちょっと予定外でしたね」

「ええ。ああいう子の降ろしかた、どうしましょうか?」

「そうですねえ。どうしても怖がるなら、抱きしめて一緒に降りてあげた方がいいんじゃないでしょうか?」

 聞いていたリモンが口を挟んだ。

「そうしてあげた方が私もいいと思います」

 ニフレディルがにこっと笑う。

「あなたが言うならそうでしょうね。今度はそうしましょう」

 実はリモンもけっこう高所恐怖症ではあるのだ。あれからいろいろ慣れて今回くらいの高さなら何とかなるようにはなっているのだが。

 リモンは今度はメイに尋ねた。

「それで予定は遅れてない?」

「あれ以外は順調です。時間なら予定より早いくらいですよ」

「それじゃ残りを片づけましょ」

「はい」

 一行は第二棟の方に向かった。

 第二棟と第三棟にも囚われの娘はいたが、メイ達は同じ手順でその娘たちを助けだした。こちらの方は今のようなささやかなトラブルさえなく、万事つつがなく終了した。

 最後の娘を救出してメイ達が駐屯地奥の城壁下にくると、そこには先に助けられた女たちが集まっていた。

「えっと……ここからどうやって?」

「同じような感じですよ。今度はここから城壁に上げてもらって、上にいるもう一人が反対側に下ろします。怖い人はいいって言われるまで目をつぶっていて下さいね」

 女たちはうなずいた。みんないちど三階から降りているので、先ほどよりは抵抗は少なくなっているようだ。

「それじゃお願いします」

 メイがニフレディルにうなずくと、尋ねた女とその隣にいた娘が二人同時にふっと浮きあがっていった。女たちは驚きの表情だがもう声は出さなかった。

 このようにニフレディルとアラーニャが女たちを壁越えに次々に運び出すのとほぼ時を同じにして、表の方から何やら派手な音が聞こえてきた。

「あれは?」

「シアナさんたちですよ」

「あっちにはまだ酌をしている人が……」

「だいじょうぶです。任せておいて下さい」

 あちらに行っているのはまさに最精鋭だ。どんと任せておくしかないのであるが……



 メイ達が裏に潜んでいたころ、表の物置の陰にはフィン、アウラ、ファシアーナそれにシャアラの四人が同じようにじりじりと待っていた。

「え? まだやってこないのか? 時間はずいぶん過ぎてるだろ?」

 ファシアーナが仲間に聞こえるように小声でニフレディルと喋っている。

「歩哨がまだ来ないんですか?」

「そうみたいだね」

「救出中に来られると面倒ですから、焦らないでって伝えてもらえますか? 軍紀も適当だし、そのうち慌ててやってきますよ」

「わかったよ」

 フィンは内心ため息をついた。

《まったく……軍隊なら軍隊らしく、時間にはきっちりしろよ!》

 そんな理由で作戦失敗とか、願い下げにしてもらいたい。

 これからの襲撃にとっていちばんネックになるのが、駐屯地内に住まわされている現地女性の救出だ。これは要するに大量の人質がとられているようなものなのだが、フィン達の目的のためには彼女たちを巻き添えにするわけには絶対にいかないのである。

 最悪の事態は彼女たちを救出しているところを相手に見つかることだ。だから今日の昼にメイとリモンに潜入してもらって、歩哨の時間や経路まできっちり調べてもらってきたのだ。彼女たちはそれに関しては完璧な仕事をしていた。

 だが調べてきた時間割どおりに相手が動いてくれなければ話にならない。

《まさかこういうことを想定してダミーの時間割を張っていたとか?》

 フィンは一瞬そんなことを考えたが……

「はは。あり得ないよな」

 フィンはアロザール軍の顧問をしていたころ、現在レイモンの守備隊を出している第一軍の視察をしたことがあったが、正直あの頃から軍隊としてはどうかと思ったものだ。

「まだ歩哨、来てないの?」

 そう尋ねてきたのはアウラだ。

「ああ、そうみたいだな」

「来なかったらどうするの?」

「来なかったらだって?」

 正直、そんなことは想定していなかった。もし今後ともずっと来ないのであれば、とっとと作戦実行してしまえばいいのだが、中途半端に来られるのが一番まずいのである。

「もうちょっとだけ様子を見よう。居眠りして寝過ごしてるってのが一番ありそうだから」

「わかった」

 こういう感じのことはアウラとはよくやったが、ファシアーナやシャアラはたぶん初めてだろう。二人とも緊張しすぎてないといいけど……

「ふあ~い」

 と思った瞬間、ファシアーナが大あくびをした。

 それから横にいたシャアラに向かって小声で話しかける。

「あー、暇だねえ。眠くなっちまうよ。お前ちょっと何か眠気覚ましに話してなよ」

「え? あたしが?」

「ああ。何かおもしろいことない?」

 考えてみればこの大魔法使いは神経が図太いことで伝説にもなっていたのだった。

「おもしろいこと……?」

「それじゃ例えばさあ、こっちに来て一番おもしろいって思ったことは?」

 それを聞いたシャアラがうんとうなずく。

「あ、それなら男を独り占めにしていいってことですよね」

「は?」

 さすがにそれにはファシアーナも目がちょっとさめたようだ。

「だってほら、あっちじゃ男となんて、いちど寝られたらそれで終わりだったし。キールみたいなのなんて滅多にいないし」

「ああ、そうだったねえ……って、お前、キールの方が好み?」

「え? だってほら、かわいいし、おどおどしてるのをこっちでリードしてあげるのが、ね

 このシャアラというのも緊張とは無縁の性格らしい。

「へえ、そうか~。じゃ、そこの“フィーネさん”あたりも好み?」

 ぶはっ!

 ところがそれを聞いたシャアラはフィンをちらっと見ると、ぽっと頬を赤らめる。

「え? いいんですか?」

 よくないって!

「まあ、嫁さんが目の前にいるからなあ」

「あ、ごめんなさい」

 そうだそうだ!

 だがその嫁はアウラだった。

「ん、別に、シャアラ、フィンとしたいの?」

 ぶはっ!

「いいんですか?」

「フィンがいいなら」

 シャアラはいきなりフィンににじり寄ってくる。

「アウラ様があんな風におっしゃってるんですけど……」

 確かに彼女はグラマーだった。だがその胸の中身は脂肪よりむしろ筋肉だったりして、そのまま押さえ込まれてしまったら身動きとれそうもないんですけど……

「ちょっと待てって、どうしてそうなるんだ!」

 フィンはアウラに向かって言うが……

「おい、声が高いぞ」

「すみませんっ!」

 それからフィンはもういちど小声でアウラに言った。

「ちょっと待てよ。俺がいいならって、それってなあ……」

 フィンは基本的にアウラ一筋で……

「でもファラのことも好きなんでしょ?」

 ぶはっ!

「いや、だからそれは……」

「それにミーラにもキスしてもらってたし……」

 ぶはっ!

「いや、あれはほら、いわゆる“感謝のキス”だからっ!」

「でも婿候補なのよね? まだ」

 ぶはっ!

 確かに以前そんな話があったような気はするが……

「あれって大昔のことだろ?」

「でもまだミーラ、正式な旦那様、いないし」

「まあそうだけど……」

 エルミーラ王女の婿問題は、いろいろ国際政治が絡んできてややこしいのだ。でもそれは……

「それにチャイカさんのことって本当はどうだったの?」

 ぶはっ!

「いや、あの、それはね……」

 しどろもどろのフィンを指さして、ファシアーナがシャアラに説明する。

「ふふ。わかった? 別にこっちだって女が男を独り占めしてるわけじゃないんだよ?」

「ああ、そうなんですね。じゃあ私も混じっていいのかしら?」

「なに言ってんですかーっ! シアナ様も! というか、まだヴェーヌスベルグの呪いについては未解決なんですよ!」

 ………………

 それを聞いたシャアラがいきなりしょげてしまう。

「あっ、そうだったねえ。ごめんごめん。っていうかあんたが毎日解呪しまくってるから、そっちもどうにかなったって気になってたわ」

 フィンがもううっかり暴れてしまいそうになったときだった。

「ん? 来たって? 分かった。おい、フィン。ノロけてばっかりいないで、向こうは始まったそうだよ」

 ノロけてなんかないって! と全力で心の中で突っこみつつフィンはうなずいた。

 そこからはさすがに場に緊張がみなぎってくる。

 第一棟の一階にある食堂には最初からずっと明かりがついていて、そこから男の声がときどき漏れ聞こえていた。

 メイ達がこれから女たちを救出しはじめるのだ。この時間帯が何かあった場合いちばん危険である。

 フィンは目を凝らして何か変わった事態が起こっていないか観察した。しかし特に動きはない。

《よーしよし。ゆっくりと寝てろよ》

 女たちが脱出できさえすれば、あとはこっちのものだ。

 それからの数分間は、何時間にも感じられた。

 ―――と、ファシアーナが小声で話しはじめる。

「え、ああ。何だって? それで……」

 ニフレディルから通信が入ったらしい。だが彼女はそれを聞くと急に怖い顔になって黙りこんだ。

「どうしたんです?」

 ファシアーナはじろっとフィンの顔を見つめると、沈んだ声で答えた。

「死んだらしい」

 フィンは声を上げないようにするだけで精一杯だった。

「死んだって誰が?」

「それがな、救出の途中、リディールが窓の外に浮かんでたときだ」

「はい」

「下の階からあいつのスカートの中を覗こうとしたバカがいたらしくて」

 は?

「蹴落とされて地面に頭から突っこんだそうだ」

「……あの、それって……」

 ファシアーナはにや~りと笑う。

「ああ。二階のバカな兵隊だ」

 こんなときにそういう冗談はよしてくれ! とフィンが叫びそうになった瞬間、後ろからアウラがフィンの口を塞いだ。

「叫んじゃダメ」

 それで何とか冷静になれたが―――いや、こういう場なんだから、もう少し緊張してはいただけませんか? 本当にお願いしますからっ!

 ともかく、救出部隊はその程度のトラブルで作戦を終えたらしい。

 フィンは息を整えると残りの三人に向かって言った。

「ならばあとはこちらですね」

 三人はうなずいた。

「それではお願いします」

 四人は手をつないで立つと体がすっと浮きあがり、そのまま音もなく飛んでいくと明かりのついた窓の下にふわっと降りたった。

 中を覗くと、まだ騒いでいる男達がいる。酔いつぶれた者も多数。そこにまだお酌をさせられている娘が三人いるのが見えた。

「ちっ」

 フィンは小さく舌をうつ。予定では娘が連れこまれている士官の部屋を襲撃するだけで済むはずだったのに。それだったらこの四人でかかれば十分だった。だがこちらに来てからこんな遅くまで兵士が騒いでいるのが判明し、そこで酌をさせられている娘たちの救出もしなければならなくなったのだ。

 そのためしかたなくフィンとアウラが士官の部屋に、ファシアーナとシャアラがホールにいる三人の娘の救出に回ることになった。

 まあいちおう想定はしている事態だったのだが―――ファシアーナに好き勝手やらせてだいじょうぶなのかという、そこはかとない不安はある。

 とはいってもこうなったら任すしかない。

「それではこちらの子はお願いします」

「わかった。おまえらも気をつけろよ」

「はい。シャアラさんもよろしく」

「要するにシアナ様に寄ってくる奴をみんなぶった切ってればいいのよね?」

 シャアラは腰に差したショートソードをぽんと叩く。

「後ろの方を特に注意してくれな?」

「はい」

 彼女の腕は一応アウラの保証付きではあるから、その点は問題ないはずだが―――ともかくすべてが初めてのようなものだ。

《ま、いいさ。何にだって最初ってのはあることだし》

 もうそう思っておくしかない。

 フィンはアウラと目配せをすると、二人で第一棟の入り口に向かって走った。

 報告では玄関ホールに入るとすぐ夜警の詰め所があって、そこを通らないと棟の中には入れないという。ホールに入ると中はがらんとしていて、棟内に入るための丈夫な木の扉と、監視するための小さな窓があるだけだ。だがそこから外を覗いている目はなかった。

 フィンはアウラともういちど目配せすると、ドアのノブを回す。

《本当に鍵もかかってないんだ……》

 メイがそのドアにはいつも鍵はかかっていないと言っていたが、正直半信半疑だったのだ。

 ともかくこれで扉をぶちこわす必要はなくなった。

 フィンがアウラとともにすたすたと詰め所に入っていくと……

「あー、なんだ?」

 彼らに声をかける者がいる。さすがにそのまま通してはくれないらしい。

 そこには数人の不寝番がいたが、いま声を上げた男以外はみんなうたた寝しているようだった。

「実はなっ!」

 フィンはいきなり衝撃の魔法をぶっ放した。その兵士はそのまま壁に叩きつけられて昏倒した。

 アウラが残った兵士を片づけている間に、フィンは士官の部屋の鍵を手に入れた。

「行くぞっ」

「うんっ」

 ああ、これって何だか久しぶりだ。彼女とこんな風に騒ぎを起こすのは―――この間は確かアラン王を殺しに行ったときだったか……

《あはははは!》

 だがあのときの孤独感、絶望感に比べたら、今回はまさに大船に乗っているような気分である。

 ―――などと感慨にふけっている暇はない。

 二人は全速力で階段を駆けのぼった。

 と、下の方からボカーンとすごい音が聞こえてきて、宿舎がぐらぐら揺れた。

「うわ、何やったんだ? シアナ様は?」

「ピアノの……音?」

 確かにあのホールには大きなグランドピアノがあったが―――あれで兵隊たちをなぎ倒してるのか?

 続いて階下からは今度は男たちの悲鳴だ。それに混じって「化け物だ! 逃げろ!」といった声まで聞こえてくる。

《あはは、化け物とか言ったらシアナ様、ぶち切れるんだけどなあ……》

 もちろんその様を確認などしていられない。

 フィンとアウラは三階のフロアに達すると、娘が連れこまれている士官の部屋に一直線に向かった。

「ここだな?」

 メイの情報が正しければだが……

 フィンはそっと扉を開けようとするが―――さすがに内側から鍵がかかっていた。そこで詰め所からもってきた合い鍵を使うと、ドアは簡単に開いた。

「ん~、なにごとだ~?」

 中から寝ぼけたような声がする。

 フィンとアウラは再び顔を見合わせると、部屋の中に一気に突入した。

「んな~っ?」

 男はどうやら下の騒ぎに気づいて起きようとしていたところらしい。いきなりの闖入者を見て下着のままでも剣に飛びつこうとしたのは、さすがは士官といったところだろうか。

 だが、もちろんアウラの前には無駄なあがきだった。

 薙刀が一閃すると、男はそのまま床に突っ伏していく。見事な峰打ちだ。

 それからフィンは隠し持っていたロープを取りだして、男の両手両足を縛りあげた。その間にアウラがベッドの中で震えていた娘を見つけ出した。

「だいじょうぶだった?」

「ひぃぃ?」

 どうやら娘は少々パニックになっている。

「だいじょうぶ。助けにきたのよ」

 だが娘はアウラが手にしていた血のついた薙刀を見て、ますます身を固くする。

「いやあぁっ! 来ないで!」

 フィンは娘のそばに近寄った。

「えっとパルデさんだよね? 君を助けに来たんだ。他のみんなも一緒だから」

 だがパニックになった娘はますます怯えるばかりだ。そこでフィンはアウラに向かって言った。

「しかたない。ともかくまずこの子を先に下ろすから、待ってて」

「うん」

 それから窓を開けはなち、娘を抱えて軽身の魔法で窓から飛び降りようとしたのだが……

「きゃーーーーっ! やめてーーーーーっ!」

 娘は大暴れをはじめた。

「うわっ、静かにしてって!」

 だが今の彼女には言葉が通じそうにない。こうなったらもう黙らせるしかないのかと思ったときだった。

 娘の体がふわっと浮きあがると、すっと窓の外に飛んで行ってしまったのだ。

「ほーら、だいじょうぶ。もう怖くない~」

 外に浮かんでいたのはファシアーナだ。彼女は娘を腕に抱くと軽くキスをした。すると娘の体の力がふっと抜けて、眠ってしまったようだった。

「まったくこれだから。劣等生は……ほら、そっちも寄こしな!」

「あ、すみません」

 フィンはふんじばった士官を彼女に渡す。

「あとはおまえらだけでだいじょうぶだな?」

「はい」

 下を見るとホールから助けられた三人の娘が手をふっているのが見えた。さすがのファシアーナでも助けた娘合計四人に、捕虜一人とシャアラを抱えて飛べば余裕がなくなる。

 フィンはアウラと目配せすると二人で肩を組み、続いて窓の外に大きくジャンプした。



 脱出は順調に進んでいた。

 だが同時に表の騒ぎも大きくなってくる。

 居あわす女たちは心配そうに顔を見合わせている。まあ無理もない。

「だいじょうぶですよ。みんなあの騒ぎの方に行っちゃいますから、こっちはだいじょうぶです」

 これについてももちろん計算済みだ。

 士官の部屋に連れこまれていたり、ホールで酌をさせられていた娘たちを助けるには、ある程度の騒ぎはしかたない。だとすれば上手くタイミングを計って、こちらの脱出時に兵士をそちらに集めてもらえれば、こっちの行動がスムーズに行くという案配なのである。

《それであと残りは?》

 メイは脱出の順番待ちをしている女たちを数えた。

 囚われていたのはけっこうな数になるから、やっと半分といったところか。

「フィーネさんたち、遅いですねえ」

 アルマーザがつぶやく声が聞こえる。

 確かにそろそろこちらと合流してもいい頃なのだが―――それとも何かあったのだろうか?

 メイは急に心配になってきた。

「あ、それじゃちょっと見てくるから」

 この場所からは何が起こっているのか分かりにくい。それに今すべきことも特にない。そこでメイは偵察に向かおうとしたのだが、それを聞きとがめたリサーンが尋ねた。

「ん? どこに?」

「あっちのようす、ちょっと見てくるから」

「一人じゃダメよ。サフィーナ一緒に行って」

「うん」

 サフィーナがうなずくとメイにぴたりとついてくる。

 そんな大げさにしなくともいいように思ったが、断るほどでもない。メイはそのまま彼女を従えて表の方に向かう。そして棟の角を曲がった瞬間―――いきなり走ってきた兵士とぶつかりそうになってしまったのだ。

「きゃああっ!」

 メイは思わず尻もちをついた。

「うわっ……て、なんだ? お前は!」

 兵士はびっくりした顔でメイを見下ろす。まあ、確かにこんな夜更けに子供みたいな娘と鉢合わせしてしまったら驚くのも無理はないが―――いや、だからどうして兵隊がこっちにやってくるのだ?

 と思って見てみるとと、向こうからはさらに別の兵隊が―――逃げてくる!

「助けてくれーっ! 化け物だーっ!」

 何やらそんなことを叫んでいるようだが……


《お・ま・え・ら、仕事しろよぉぉぉぉっ!》


 敵がやってきたら相手が化け物だろうと戦うのが兵隊の役目だろうがぁぁぁぁっ!

「で、なんだ? お前は!」

 しかし男は化け物には弱くとも、目の前のか弱そうな獲物には強気になる性格らしかった。

「いや、何でしょう? あはは」

「あいつらの仲間かっ!」

「知りませんって!」

 だがさすがに敵はそれでは納得してくれなかった。兵士はいきなり剣を抜くと、メイに突きつけた。

「おい! どうしてこんな所にいる!」

 ヤバい! これはかなりヤバい! と思った瞬間だ。

「ぐわっ」

 男が変な叫びとともによろめいた。

 見ると男の脇腹にサフィーナが食らいついて―――剣を突きたてている!

「なにしやがる」

 だが彼女の体が小さい分、傷は浅かったようだ。

 男はサフィーナを突きとばすと、ぶんと剣を振った。サフィーナはのけぞるように吹っ飛んだ。

《え? いま……どうなったの?》

 メイは血の気が引いた。まさか斬られたのか?

 だが、彼女はそのままころころ転がっていってから片膝をつくと、きっと男を見据えて剣を構えなおした。

「このガキは……」

 男が彼女を追おうとするが、どうやら受けた傷のせいで動きが鈍い。

 これはチャンスだ!

 メイは懐に手を入れると、大声で叫んだ。

「こら、ちょっと待てーっ!」

「なんだ?」

 男は思わずふり返るが……

《今だっ!》

 メイは隠し持っていた胡椒玉を、思いっきり男の顔に叩きつけた。

「ぐわぁぁぁぁ!」

 さすがにこれは効くだろう。

 メイは慌ててその場を逃げだしてサフィーナのそばに近寄った。

「だいじょうぶ?」

「ええ。何とも」

 いつもどおりのようなのでメイは少しほっとした。

 だがピンチはまだ終わってはいなかった。

「どうしたーっ!」

「敵だぁ! こっちに敵がぁぁぁぶぇっくしょん!」

 今の男が顔を押さえてくしゃみをしながらわめいている。それを聞いた兵士が何人かやってくるのが見えた。

《ぎゃっ! まずいよ? これって……》

 どうするか? とっとと逃げたいのは山々だが、女たちを連れ出しているところに敵を呼びこむわけにはいかない。ニフレディル様は手が離せないし、リモンやマジャーラは腕が立つにしても、まだ女たちがたくさんいる。

 ということは―――ここで彼女たちが食い止めるしかないのか?

《でも、どうやって?》

 いくらなんでもサフィーナ一人では荷が重い。胡椒玉だってあと一つしかないし……

 そう思ったときだった。

「下がって」

 ふり返るとそこには薙刀を手にしたリモンの姿があった。

 彼女がそのままつかつかと前に進んでいくと、ちょうど後続の敵兵がやってきた。

「何だおま……」

 だが男はそれ以上は何も言えなかった。一閃されたリモンの薙刀の前に、そのときにはもう絶命していたからだ。

 そこにさらにもう二人敵がやってきたが、彼らは言葉を発することもできずに倒れ伏した。

 最後に胡椒玉を投げつけられてのたうっていた男が安らかになる。

「もうやってこないかしら?」

「はい……」

「ここは私がもう少し見てるから、彼女を連れていきなさい」

「え?」

 見るとサフィーナはまだ地面に膝をついたまま―――というより、腰を押さえてうずくまっているではないか。

「え? やっぱり斬られてたの?」

「だいじょうぶ。大したことないから」

 しかし月明かりにも腰に大きな血の染みが見える。

「大したことなくないからーっ!」

 メイは膝ががくがくしてきて、このままへたり込んでしまいそうになる。

《んなことやってる場合かーっ!》

 メイは自分に活を入れると、サフィーナに手を貸した。

「立てる?」

「うん。だいじょうぶ……」

 といいつつサフィーナは顔をしかめる。メイは彼女と肩を組んで一同の元に戻った。

 するとそこでもちょっとしたトラブルがあったようだ。

「え? その人たちは?」

 近くに兵士が二人倒れているのだ。

「反対からやってきたので、彼女たちが」

 そちらには血のついた剣を手にしたマジャーラ達がいた。

「まったく……シアナったらやり過ぎなんじゃ? 敵を引きつけてくれなきゃ困るんですけど」

「それよりサフィーナさんが」

「え?」

 ニフレディルがサフィーナの腰の傷に気がつく。

「見せてごらんなさい」

 彼女はサフィーナの傷を見るが、軽くうなずくと答えた。

「だいじょうぶ。浅いわね。とりあえず何か巻いて押さえておきなさい。今は彼女たちの脱出が優先よ」

 そこにはまだ何人も脱出を待っている女たちが残っていた。

「はい……」

 メイはそう答えたものの、頭の中は真っ白だった。

《えっと……えっと……》

 彼女がドジを踏んだせいでサフィーナが大けがをしてしまったのだ。いったいどうすれば? ともかく謝ろうか? いや、いま謝ってもしかたがないし―――ああ、そうだ。彼女の傷の手当てだ! ニフレディルは何と言ったっけ。そうだ。何か巻いて押さえておけと……

「えっと、何か巻くもの! 巻くものっ!」

 だが手足に巻く包帯くらいなら用意していたが、腰の傷には細すぎて役に立たない。

《えっと……こういった場合、どうしたら良かったっけ?》

 メイの慌てている姿を見て、リサーンが言った。

「そんなのその子の胸の当て布でいいじゃない」

「え?」

 そういえば彼女たちはこういう戦いの場に出るときは、胸は長い布でぐるぐる巻いていたのだった。だがサフィーナの場合、必要なのか? などと思わずメイが思ってしまったところに、リサーンがニヤニヤ笑いながら言う。

「見栄はって巻いてて良かったじゃない」

「見栄じゃないもん。弓の弦が当たったらすごく痛いんだからね!」

 むっとした顔でサフィーナが答える。

 あはははは。などというのはともかく……

「ごめん、それ取るから」

 メイが当て布をほどいていくと、月明かりの下、彼女の胸が露わになる。彼女はヴェーヌスベルグ勢の中では一番胸が小さいことは分かっていたが……

《うわーっ、でも負けてるっ!》

 そこにうっすらと盛り上がった膨らみは、それでもメイよりは大きくて―――じゃなくって!

 メイはほどいた当て布で彼女の腰をしっかり縛った。

「どう? 痛みは?」

「だいじょうぶだってこんなの。なめてたら治るから」

 それを聞いてリサーンがまた突っ込むが……

「あんた、そんなところに舌が届くの?」

「…………」

 いや、そこが問題?

「それとも誰か、ナメてほしい人がいるのかな~?」

「いないもんっ!」

 えっと―――まあ、このようすならともかく傷は軽そうなのだが……



 そのころフィンとアウラは城壁の上を二人で走っていた。

「まったく手間取っちまった……」

「みんなだいじょうぶかな」

「どうだろう?」

 基本的な計画ではファシアーナが騒ぎを起こして敵を引きつけて、その間に女たちを助け出すという手はずだったのだが、敵は強力な魔法というものに慣れていなかったらしく、パニックを起こして四散しはじめたのだ。

「奥に行った奴ら、もういないよな?」

「さあ。反対から行った奴らがいたら分からないし」

「だよなあ……」

 あちらではいま、メイ達が女たちを駐屯地外に逃がしている真っ最中のはずだ。そんなところに兵士が乱入したらえらいことになってしまう。そういうのを見つけしだい片づけてはいたのだが、取りのこした奴らがまだいるかもしれない。

 だがフィン達が脱出地点に着いたときには、そこにはもう誰もいなかった。駐屯地の内側にはなにやら兵士の死体がいくつか転がっているようだが、生きた人影はない。

 それから外を見ると―――脱出用の馬車付近に人だかりがあって、誰かが手を振っているのが見える。

 フィンはほっと胸をなでおろした。どうやら上手くいったらしい。

「じゃ、アウラ」

「うん」

 フィンは彼女と肩を組むと、一気に城壁からジャンプした。

 二人はそのまますうっと空中を滑空して、すとんと味方一団の近くに着地する。

「なんだ、遅かったなあ」

 ファシアーナは既に帰り着いているようだが……

「そりゃ、帰り道に奥に逃げてく奴らを何人も始末してましたから」

 フィンは少しむっとした声で答える。

「あー、そりゃ悪かったなあ。ごめんごめん」

 ファシアーナはあっけらかんとしたものだ。

 フィンはため息をついた。とはいっても、あまり彼女を責めるわけにもいかない。なにしろこんな戦いはここにいる誰もが初めてだったからだ。

「えっとそれで、負傷者とかは?」

「ああ、サフィーナって子がケガしてたな。ほかはみんな無事だよ」

「サフィーナ?」

 確かショートカットのボーイッシュな感じの子だったか。

「それでケガの具合は?」

「その子のケガはそれほどでもないんだけど、それよりメイちゃんがね」

「メイもケガを?」

「いや、じゃなくってすごく落ち込んでて」

「落ち込む?」

「ああ。彼女がケガした理由ってのが、メイちゃんを守ろうとして相手に飛びかかってったせいとかで」

「ああ…………」

 フィンは何となく状況を理解した。それでメイが責任を感じてしまったわけか?

「彼女は?」

「あっちだ」

 フィンは急いでファシアーナの指さした方に向かった。

 そこではメイが地面に座りこんでいて、回りにリモン、リサーン、それにサフィーナがいた。

「しっかりしなさいよ」

「うん。ありがとう……」

「そうよそうよ。ドジ踏んだのはサフィーナなんだから。気にしちゃダメって」

「そうよね。ありがとう……」

「ねえ、私もうだいじょうぶだから」

「ありがとう。でもごめんね……」

 受け答えに全くいつもの精気がない。

「えっと……」

 近寄ってきたフィンにリサーンが言った。

「あ、フィーネさん。ちょっと彼女慰めてあげてよ。さっきからずっとこんな調子で」

「ああ、うん」

 と、うなずいたものの、こんな場合いったいどう慰めればいいというのだ?

「やあ、メイ」

「あ、どうも。フィーネさん。すみません。私が至らなくって……」

 メイは顔を上げると虚ろな顔でフィンに笑いかける。

「ともかく今日の作戦は大成功だから。メイはすごく良くやったよ」

「そうですか。ありがとうございます……」

 メイは機械仕掛けのように答える。

《あちゃー、こりゃどうしよう?》

 彼らはこのような難事業をかなりその場の勢いで始めていた。

 確かに理論的には可能かもしれない。連鎖的に呪いを解いていければ、そのうち仲間が増えてレイモンを奪回できるかもしれないのだと―――だが、そのためにはどうしたって何らかの犠牲は払うことになる。ささやかな例ではフィンの解呪の儀式だってその一つだ。

 そして必ずどこかで敵と戦う局面が発生する。そうなれば犠牲は男の名誉だけでは済まされず、仲間が傷ついたり、場合によったら命が失われることだって覚悟しなければならないのだ。

《それって……きついよなあ……》

 メイは秘書官としてはとても有能なのは間違いない。今度の作戦の立案にも関わって、全体の手順もよく理解している。だからついいろいろ任せてしまいがちなのだが―――何よりも彼女は普通のやさしい女の子なのだ。こんな戦いの指揮に向いていないのはしかたがない。

《最悪の場合、死んでこいって送りださなきゃならないわけだし……》

 そんなことになったらフィンだって二の足を踏むだろう。自分の命なら自分だけのものだ。だがこれが多くの部下の命を預かる立場だとしたら?

 そのとき、リサーンがフィンの脇腹をつついた。

「あ、ちょっといい?」

「え? なんだ?」

 リサーンは少し離れた所にいフィンを連れていく。そこにはハフラが待っていた。

「彼女、意見があるって言うんだけど」

「意見? どんな?」

 そこでハフラが言った。

「あの、私思ったんですけど、メイさんをあまり前に出すのは良くないんじゃないですか? 彼女、剣とかが使えないし」

「あー、それ私も思った。だいたいメイさんって替えがきかないし、ねえ」

「ああ、まあ……」

 彼女たちが言うことはまさにもっともだった。

 とは言っても誰かがこういった役目を引き受けなければならないわけで―――だとするとやはりフィンがもう少し頑張らなければならないのか?

 そう思った瞬間くらくらしてくる。解呪の儀式を続けるというのは心身ともにいろんなダメージが溜まってくるのだ。そこに現場の戦いの指揮とか……

《でもほかに誰が?》

 そう思ったときだ。

「だから、あれだったら私とかリサーンができるんじゃないかなって思うんです」

「え?」

「ずいぶん大がかりだけど、要するにバターリアみたいなものだって思えば、それならやったことあるし」

 バターリアって、確か彼女たちがやってた戦争ごっこのことだったか?

「君たちが?」

「うん。それにうちの子のことはあたしたちの方がよく分かるでしょ?」

 答えたのはリサーンだ。

 フィンは一瞬躊躇した。こんな重要なことをまだ会ったばかりで素性もよく分からない彼女たちに任せてしまっていいものか?

 そのとき別な方から声がした。

「それは私もやってみる価値があると思いますよ?」

「え?」

 ふり返るとそこにはニフレディルが立っていた。

「私は見ていましたが、彼女たちはなかなか冷静でしたよ」

「そうなんですか?」

「ええ。メイちゃんが危険になって、リモンさんだけでなくマジャーラさんまでが駆けつけようとしていたのを止めてましたから。そのせいで反対から来た敵に対応できましたし」

「あはは。だってリモンさんだけで十分でしょ? あの人それこそ化け物みたいに強いんだし」

 フィンは驚いてリサーンとハフラの顔を見る。そんな場合、うっかりするとみんなでメイのところに駆けつけてしまって、本体ががら空きとかいったこともありえるものだが……

 フィンはうなずいた。

「わかった。帰ったらそれについてはもう少しゆっくり話そう」

「はーい」

 これって―――もし彼女たちに現場の指揮が任せられたら、すごく楽になるんじゃないのか?

 何だかすごくぶっつけ本番のような気がするが―――いや、今の彼らにはそうでないことの方が少ないだろう?

 フィンがそんなことを考えていると、ニフレディルが言った。

「それより、そろそろ最後の仕上げをしようと思うのですが、いいですね?」

「え? あ、はい。お願いします」

 ニフレディルはふっと浮きあがって飛んでいった。

 それを見送っているとハフラが尋ねた。

「その“仕上げ”っていったいどうするんですか?」

「あはは。いやたぶん見物だぞ。あっちに行こう」

 ブリーフィングでは時間がなくてあまり詳しくは説明できなかったから、不思議に思うのはもっともだ。だがそれこそ百聞は一見に如かずである。

 フィンはハフラとリサーンとともに、脱出用の馬車を隠してあった駐屯地近くの丘まで戻った。

 そこには女たちがみんな集まっていた。エルミーラ王女やメルファラ大皇后も中にいるが、その前をニフレディルとファシアーナが手を取りあってちょうど飛び立っていったところだった。

「あの二人が本気出したらすごいんだよ」

 みるみるうちに二人の姿は小さくなっていって、そのまま城壁の上に降りたつのが見えた。そこで二人がじっと祈りはじめると―――いきなり駐屯地の上空に火の玉が現れ、それがどんどんどんどん大きくなっていったのだ。

 あたりから驚きの声が上がる。

 だがこんなものは序の口でしかないことはフィンはよく分かっていた。

 あのような火の玉を出すだけなら他にもできる者はいるだろう。しかし―――次の瞬間、誰もが息をのんだ。

 その火の玉が“孵化”したのである。

「ええ? あれなに?」

「龍、かしら?」

 孵化した火の玉から現れた細長い龍は、今度はみるみるうちに成長しはじめた。それが成長しきると天上でとぐろをまいて―――巨大な口から次々に火の玉を吐きだしはじめたのだ。

 駐屯地にはまさに炎の雨が降りそそいだ。

 あっという間に木造の棟が焼けはじめたと見えて黒い煙が立ち上りはじめたかと思うと、すぐに赤々と天を焦がしはじめた。

 それから炎の龍は一挙に下降していくと城壁の向こうに姿を消した。

「ああ、最後のとどめはここからじゃ見えないか……」

「何やってるんです?」

「煉瓦造りの第一棟を溶かしてるとこだけど。しまったなあ、見物するなら城壁の上からだったか……」

 さしものリサーンやハフラも目を丸くして焼け焦げる空を見つめるだけだ。

 それからしばらくしてハフラがぽつっと尋ねた。

「あれって何か名前がついてるんですか?」

「え? ああ、あれは“炎の龍”ってやつで、ファシアーナ様のパワーとニフレディル様の技術が組み合わさって初めてできる大技なんだ。もし人質がいなければ最初からこれ一発で終わってたんだけどね」

 それを聞いたリサーンが尋ねる。

「へえ。なんかまんまの名前。じゃあ“永遠なる業火(マグナ・フレイム・エテルナム)”っていうのは?」

 フィンは吹きだしそうになる。

「あ、その名前言ったらダメだからね? 特にファシアーナ様の前ではね」

「??」

 もう忘れかかっていたというのに!

《ヤバいよなあ……シアナ様の黒歴史の技名、散々言いふらしちゃったからなあ……》

 あの人が思い出したらどんな無理難題をふっかけられることか?


 ―――それはともかく、これで第二の作戦も何とか成功したということだ。

 この先どうなるかは全く見当がつかないが、それでも前進していることには間違いない。



 アキーラ城の王の間では大守グスタールがうろうろと歩き回っていた。

 先ほど入ってきた報告は、まさに彼の予想外の内容だったからだ。

《ディロス駐屯地が……壊滅だと?》

 その前には大皇后の追跡部隊が全滅したという知らせが入ってきたばかりだ。

《いったいこれはどうなっているのだ?》

 大皇后は逃げたのではなかったのか?

 確かに今回の事件に大皇后が関わっている可能性はある。聞けば駐屯地は巨大な白く輝く怪物に焼きつくされてしまったと。実際に見てきた報告でも、木造家屋は全焼して、煉瓦造りの棟も高熱で溶かされたような惨状になっていたという。

《こんなことができるのは都の魔導師だけだ!》

 グスタールもこれまで魔導師を見たことがないわけではないが、これほどまでの威力を持つ者はいなかった。

 だが白銀の都やベラ首長国が最強の魔導師を自国用にとっているというのは当然のことであろう。実際大皇后に随行してきた二人の女魔法使いは、銀の塔の教官をしている大魔導師だという。

 だが問題はどうしてそんな魔導師が駐屯地を襲ったかということだ。追跡部隊を倒したことは理解できる。追っ手を撃退するのは当然だからだ。

《だがそれならどうしてわざわざ戻って駐屯地を襲ったりしたのだ?》

 生き残った兵士の報告では、彼女たちは中にいた現地の女を助け出してから、駐屯地を怪物で焼き払ったという。

 そんな手間をかけている暇があればとっとと逃げてしまえばいいのに。

《それとも……大皇后を逃がすのが目的ではないのか?》

 彼女たちの行動には少なくとも外部からの手引きがあったはずだ―――だとしたら、今回のことに関しても、その外部勢力の意思が反映されていると考えるべきだが……

《要するに後方攪乱の真似をしているということか?》

 例えばシルヴェストの立場から考えれば、アロザール軍の背後に控えるレイモンが不穏になれば有利なのは間違いない。これで慌てて一部でも後方に兵を戻すようなことがあれば、アラン王にとってはまさに大成果である。

《ふん。そんな手に乗るものか!》

 敵には強力な魔法使いがいるとはいっても、所詮は少人数の女の軍団である。今回は予想外のことなのでうまくやられたかもしれないが、今後はそうはいかない。

 要するに相手の戦力を考えれば、こんな調子で今後も荒らし回れるはずがない。

 すなわち慌ててもしかたがないのだ。

《それよりもはやく大皇后様の居場所を掴まなければ……》

 一番の問題がそれだった。

 あれ以来、大皇后一行の足取りもまだ掴めていないのだ。街道筋を通ったという報告はないから、平原地帯に潜んでいる可能性が高い。

 だとすると少々厄介だとはいえる。なにしろあの広い平原だ。それに対してアロザールの守備隊の人数は限られている。

 そういう場所を探索するには少人数に分散して行わなければならないが……

《いや、それはまずいだろう……》

 二十名以上の追跡隊が全滅しているのである。

「うぬぬ……」

「いかが致しました?」

 部屋の端に控えていたフランコが尋ねるが……

「いや、なんでもない!」

 ともかく相手を探し出して追いつめなければならない。そのためにはもう少し人数を投入せねばならないのだが……

 グスタールはしばらく考える。

「フランコ。南部に展開している部隊を、大皇后の探索にむけろ」

「は。しかし、ディロス駐屯地が失われたせいで、連絡に時間がかかりますが……むしろトルボあたりに支援を要請した方が……」

「馬鹿者! それではこの失態が露見してしまうだろうが!」

 今さら泣きつくわけにはいかないのだ。そのことはフランコも承知していた。そこで彼は少し考えると答えた。

「……それでは国境の守備隊を回すのは?」

「国境の?」

 その瞬間グスタールはひらめいた。

「ああ、そうか……要するに奴らの目的はそれなのだ!」

「はい?」

「要するに奴らは国境を突破するのが厳しいからこんなことを行ったのだ! この派手な作戦は囮だ! たぶん大皇后様の本隊は国境近くに潜んでいて、そうやって警備が甘くなった隙に逃げるつもりに違いない!」

「ああ、それでは……」

「やはり南の部隊をむけろ。いいな!」

「承知しました」

 出ていくフランコの後ろ姿を見ながら、グスタールは歯を食いしばる。

《ふん。なにやら楽しくなってきたじゃないか》

 獲物が少々あがいてくれた方が狩りはおもしろいというものだ。