第6章 地下室の将軍
そのころ、アキーラ城では大守グスタールが苦慮していた。
《まったくどいつもこいつも、揃いも揃って無能どもめ!》
事態は好転するどころか、悪化の一途をたどっている。
相手は僅かな数の女兵士なのだ。確かに強力な魔法使いはいるだろうが、それでも捕虜の一人も捕らえられないとはいったいどういうことなのだ?
ディロス駐屯地が壊滅したせいで南からの情報が錯綜している。
分かっていることといえば結局、大皇后一行が女兵士の一団に連れられて逃げたということだけだ。相手の出自や規模もまったく分からない。少数で襲ってきたという報告もあれば、大軍団に囲まれたという話もある。
《しかもどうして逃げだそうとしない?》
大皇后の一派と称する連中が味方の兵をあちこちで襲撃しているのは、本物の大皇后を逃がすためではないのか? 派手に目を引く囮の陰でこっそり脱出するという以外、いったいどんな目的があるというのだ?
そのために国境は蟻の踏み出る隙もないよう封鎖している。もしそのような動きがあれば何かが引っかからないはずはないのだが―――そんな報告はない……
《まさか大皇后は既に脱出している?》
だがグスタールはすぐにそれを否定する。あり得ない! それだったらならもう囮の必要はないはずだ―――だがつい先日にも野営をしていた部隊が襲撃され大被害を受けたという報告が入っている。これの意味するところは、まだ大皇后が脱出していないということ以外はあり得ない!
そんな風にグスタールが堂堂巡りをしているところにフランコがやってきて告げた。
「グスタール様、ジュノス様よりの使者が参りましたが……」
グスタールは目を見ひらく。
「もう到着したのか?」
「はい」
彼はわめき出したくなるところを必死に押さえて平静を装った。
「分かった。通せ」
そのあげくにこのような面倒ごとが降ってくるのだ。
フランコが合図すると、王の間に若い男が入ってきて礼をした。
「バシリカ大守、ジュノス様よりの伝言をお伝えに参りました」
「うむ。遠路ご苦労」
バシリカよりはすでに何度も書状がやってきていた。そして今回は直々の使節だ。
まあ、大皇后の到着予定からすでに三週間以上が経過している。先方の立場としては致し方ないだろうが……
「それでいかなる用向きかな?」
「ジュノス様はメルファラ大皇后様のご容態についてお知りになりたがっております」
「うむ」
大皇后は表向きは、慣れない草原の空気にあたって体調を壊し、アキーラにて静養中ということになっていた。
最初彼は今回のことを出迎え役のル・ウーダ・フィナルフィンに知られたらどうしようかと悩んでいたのだが、何故かバシリカには彼から大皇后の体調が優れぬゆえ到着が遅れるとの直筆書状が届いていたのだ。
《間違いなく脅されて書かされたのであろうが……可哀想に……》
その後、容態はどうだという問い合わせがやってきて、グスタールは初めてそのことを知ったのだが―――ともかく彼はその話に乗っかって、大皇后はその後さらに具合が悪くなったので、一端アキーラに引き返したということにしていたのだ。
「大皇后様におかれましては元来、育ちが北の山国。このような埃っぽい草原の空気がお体には合わなかったらしく、いまだ伏せっておられる」
使者はうなずいた。
「そのことにつきまして、ジュノス様も大変心配をしておられて、あまりに悪いようならよい医師を手配したいと申しておりますが」
グスタールにとってはまさにありがた迷惑の申し出であったが、彼はにっこり笑ってうなずいた。
「おお、それはすばらしいお申し出。こちらはなにしろいろいろと人手が足りておらんので、そうして頂けると大変ありがたいですな」
「承知致しました」
「それでお話しはそれだけですかな?」
グスタールが上目遣いで使者を見るが、使者はこれで話を終わらせるつもりはなさそうだ。
「いえそれとあとこちらにも届いております、よからぬ噂なのですが……」
予想どおりだ―――彼は窓の外の光景を見下ろすふりをして、平静を装った。
「噂とは、どのような?」
「それが、大皇后様は病気なのではなく、逃げだされたという噂なのですが」
それを聞いたグスタールは、ふっと鼻で笑った。
「ははっ。ジュノス殿ともあろうお方が、そのような戯言に迷わされておられるのですかな?」
それを聞いた使節はちょっとむっとした顔になる。
「しかし、それにつきましてはあちらこちらで語られております。私もここに来るまでにいくつもそのような話を聞きましたが」
「ほう? どのような?」
「たとえばクォイオの村にて、大皇后の出迎え役のル・ウーダ様が惨殺されておられたとか、それというのも白銀の都を裏切ったル・ウーダ様に、大皇后様は大変お怒りであったとかで、それでそのあと姿を消してしまわれたとか」
「はあ?」
グスタールはさも意外そうに使節を見つめると、男はさらに別な噂を述べはじめる。
「そのほかにも、逃げた大皇后様がレイモンを救うために、あちこちで我々の部隊を襲撃しているとか。中には壊滅した駐屯地もあると聞きましたが」
グスタールはついに大きな声で笑い出した。
「そんな噂を真に受けておられるのか? まったく話にならぬわ」
「しかし……」
不満そうな使節をグスタールはぎろっと睨んだ。
「貴殿も常識というものがあるなら、そのようなことができるはずないこと、よくお分かりであろう⁉」
「もちろんジュノス様もそんなことが俄に可能だとは思っておりませんが、このような噂がどうしてここまで広まっているのか、その理由を知りたいとの仰せです」
グスタールは怒鳴った。
「噂がどのように広まるのかなど、わしが知っているものか‼」
その剣幕に使節は少々ひるんだようだ。
「しかし、何と申しますか、火のないところに煙は立たぬと申しますが……」
使節の言葉をグスタールは恐ろしい形相でさえぎった。
「貴公はわしを難詰しようとしているのか?」
「いえ、滅相もない」
縮み上がった使節を見てグスタールはにやりと笑う。
「ともかくそんなことは、貴公が大皇后やル・ウーダ殿ご本人にお会いして直接話を聞けば、すぐに根も葉もない噂だということがご理解いただけるであろう」
「はあっ!」
使節は心から安堵の表情を浮かべる。
「大皇后様のご一行はここから少し離れた場所で静養されておられる。今日の午後にでもご案内するので、それまではいっとき旅の疲れをお休めになるのがよろしかろう」
それからグスタールはちらっと後ろに控えていたフランコを見る。
「使者殿にお部屋を」
「承知しました」
フランコは無表情にうなずくと使者を従えて部屋を出ていった。
しばらくして彼が一人で王の間に戻ってくる。
「それで……いかが致すのです?」
明らかに不審な表情だ。グスタールはじろっと彼を見ると、低い声で言う。
「レイモン南部は大変治安が悪化しているので、使節が事故に遭われるなどということも起こりがちだな……」
フランコは一瞬絶句するが、やがてうなずいた。
「承知しました。それでバシリカには?」
「別途書状を出そう。そこには……そうだな。どうもシルヴェストから女だけの特殊部隊が送りこまれていて、国内で破壊工作を行っている形跡があると。噂の出所もそこで、要するに我々を攪乱しようとしていると。部隊が少人数なのでなかなか尻尾が掴めていないが、それだけのことで大事には至らぬと」
フランコは一応はうなずいたが、すぐに顔を上げると心配そうに尋ねた。
「しかし……いかがいたしましょうか? 今回はともかく、このままではいずれ……」
「わかっておる」
グスタールは歯を噛みしめる。
「こうなったら……もう向こうから出てきてもらうしかない……」
「出てきてもらう? いったいどうやってです?」
「おまえだってあの噂は聞いておろう? 大皇后様がレイモンのために戦っているとか何とか」
「はい。しかしそれは……」
そこでグスタールはにやっと笑った。
「それを逆用するのだ。たとえば……最初に一行が姿を消したのがルンゴだったな?」
「はい。そうですが」
それからグスタールはフランコにこれからの計画の指示を出しはじめた。
場には重苦しい空気が垂れこめていた。
《正直参ったぞ……これは……》
何か動きがあるとは思っていたのだが―――しかもそれは想定外というにはあまりにもストレートな反撃だった。
というのは今日の朝、各地にアキーラの大守グスタールの名で高札が立てられたのだ。
それにはルンゴ村の宿屋の女将を国家反逆の罪で処刑すると記されていた。
彼女が恐れ多くも都の大皇后の名を騙り、大皇后が逃亡してレイモンを救うために戦っているなどという根も葉もない風説を流布し、国内の治安を乱しているからだという。
処刑の日時は一週間後の六月二十二日、場所はルンゴの村である。
じっくり考えている余裕などなかったのは確かなのだが……
《当然この程度は予測できて然るべきだったんだが……》
―――などと後悔しても始まらない。
今日の作戦会議にはネイとメローネを除く全員に参加してもらっている。それこそまさに生きるか死ぬかの土壇場なのだ。
だが、いくら頭数を増やしたところで、そう簡単に良い解決策が出てくるわけではなかった。
うつむいた女たちを見わたしながら、フィンは何とか脱出口がないか探し求めていた。
やがてぽつっと口を開いたのはリサーンとハフラだった。
「……どう考えても罠よね?」
「もちろん。おびきだそうとしてるんでしょ? 私たちを」
それはもう確定的に明らかだ。
普通ならこういう場合は首都のアキーラで処刑が行われるものだが、それをわざわざルンゴまで出向いて行うというのは、フィン達が出てきやすくしているとしか考えられない。
「当然行ったらタダじゃ済まないわよね……」
「まあ、相手が待ち構えてるところに行くんだし……」
それも絶対に間違いない。
「影武者が代わりに行っても……意味ないわよね……」
「そりゃ、ファラ様のお顔を知ってる人を連れてくるでしょ? 絶対」
二人は顔を見合わせてふうっとため息をつく。
この会話が状況を端的に表していた。
ともかく処刑の場に顔を出すことは自殺行為だ―――だが、そうしないと無実の罪で女将が殺されてしまうのだ。
《あの人には世話になったんだよな……》
事の始まりはルンゴだった。
そこで宿泊中の大皇后一行を、エルセティアとヴェーヌスベルグの女たちが襲ったことから後には戻れない戦いが始まった。
そのときに彼女はやってきた追跡部隊に偽の情報を教えてくれたのだ。今から考えればそれが最初の勝利のための大変貴重な時間になったのである。
だからそのような人を見殺しにすることなど考えられなかった。
《でも……》
いくらそれが嫌でも、避ける方法がなければどうしようもない。
《そこって、敵が待ち構えているだけじゃないんだよな……》
もっと大きな問題は、それが公開処刑だということだ。
すなわち当日のルンゴは各地からやってきた見物人でごった返している。
《そういう人たちまでが人質になってるようなものだし……》
そんな場所では大魔法使いの魔法は迂闊に使えない。彼らの最も得意とする攻撃が封じられてしまったようなものなのだ。
「あのー……」
そのとき口を開いたのがキールだった。
「なんだろう?」
「そこに行かないってわけには……いかないんですよね?」
「行かないって、ルンゴに行かないってことか?」
「はい」
「そんな! あの女将さんを見殺しにするの?」
隣にいたマウーナが驚いたようにキールをにらむ。
「いや、でも無体なことをしてるのはあっちの方なんだし、村の人には話せば分かってもらえないかなって」
フィンは一瞬息をのんだが、やがて残念そうに首をふる。
「多分……確かに、面と向かって話せた人なら理解してくれるかもしれませんが、でも相手は不特定多数だし……それにこう来た以上、相手だってこちらが現れなければそれを宣伝に使う気なんじゃないでしょうか」
「宣伝?」
「そうです。要するに僕たちがレイモンから逃げるために、単に地元の人を利用してるだけなんだって。女将を見殺しにしたという事実があれば、その信憑性も高くなってしまいます。だとしたら……中には相手に協力する人が出てきてしまうかもしれません」
キールを含めて全員がまた黙りこんでしまう。
彼らはこれまでずいぶん調子よく戦って来られたのだが、それはひとえに地元の人々の協力があったからだった。
そのせいでこちらのことは相手に知られずに、相手の情報は筒抜けになった。
攻撃するときには常にこちらから相手を奇襲できたし、夜もメローネ任せでぐっすり眠ることができた。
―――だがもしそんな地元民の信頼がなかったらどうだっただろう?
少なくとも一度や二度は敵の襲撃を受けていただろうし、もしそうなっていたらまさにただでは済まなかった。
要するに、のこのこ出ていってもしかたがないし、かといって行かなければ行かないで非常にまずい結果になる。まさに王手飛車取りといった状況なのだ。
「だとすれば……もう開き直って逃げてしまうしかありませんか?」
そう言ったのはエルミーラ王女だ。
全員がそれを聞いて息を呑む。
「私たちはファラ様をお救いするために戦って参りました。このような状況になってしまった以上、そのことを最優先するしかないのではありませんか?」
フィンはしばらく絶句する。
確かにその選択もあった。だが……
「あの、北の守備隊が動いたのは今回が初めてですよね?」
そこに口を挟んだのがハフラだ。
「あ、多分そうです。今までは国境を固めてたんですが、今度の処刑場を警護するために、そっちから兵が補充されたのは確かみたいですね」
メイがノートを見ながら答える。それを聞いたハフラがフィンに向かって尋ねた。
「これって逃げ道を空けたんだとは思いませんか?」
フィンはうなずいた。
「うん。僕もそう思う。というか、そもそも相手は僕たちがルンゴに出てくるとか、本気では考えてないんじゃないかな。出てくればめっけものって感じで。だから本命はその隙に脱出しようって考えてるんじゃないかと」
それを聞いた王女が尋ねる。
「要するに、逃げればもっと大きな罠に飛び込むことになると?」
フィンは再びうなずいた。
「そう思います」
王女はため息をついて首をふる。
包囲網の一部をわざと解いてやるというのは、囲まれた側の心理からすればシンプルだが効果的な作戦だ。空いた先にもっと周到な待ち伏せがあると分かっていても、出口があるなら出ていきたくなるのは無理もない。
ただもちろん相手も弱点を作ってくれるわけだから、うまくすれば逆にそこを食い破ることもできるかもしれないが―――いずれにしても相手の土俵で戦うことになるわけで、やれば間違いなく一か八かの賭になる。
と、そこでリサーンがはっとした表情で尋ねた。
「でもそれって、ルンゴの守りは実はいい加減だってこと?」
「いや、いい加減ってことはないと思うけど……」
「でも相手が本気で来るって思ってなければ、隙はできるわよね?」
「え? そりゃそうかもしれないけど……」
「だったら助け出すこと、できるんじゃない? うまくすれば!」
確かにそれはある意味筋が通っている。そのことに気づいた一同の顔がぱっと明るくなった。
《マジか?》
確かに彼女の言う通りかもしれないが―――考えこむフィンの脇で、女たちが活発に意見を述べはじめた。
「えっと、こちらの処刑ってどんな感じなの? 首を切るの?」
リサーンの問いにメイが答える。
「いえ、絞首刑が普通みたいですけど」
「それだったらアラーニャがいるだけでだいじょうぶよね?」
と、リサーンが自分の胸を持ち上げるが、ハフラが首をふる。
「けどそれだけじゃ。縄を切らないと」
「マウーナの弓じゃ……やっぱ無理?」
マウーナも首をふる。
「さすがに一発で切るなんて無理よ」
「それじゃやっぱ魔法使いの人が?」
「でもどのくらい近づけば?」
問われたニフレディルが答える。
「あまり遠くだとどうしても細かいことはできませんね。まずどうやって近寄って、どうやって逃げるかをきちんと考えておかなければなりませんよ」
「それって広場の平面図とかがいるわよねえ。敵の配置とかも調べないといけないし」
「それに広場は人でいっぱいよね。巻きこんじゃったりしないの?」
女たちが黙りこむ。
そこにアルマーザがぽつりと言った。
「えーっと……もしかして処刑のときじゃなくって、前日の夜とかに牢屋を襲った方がよくないですか?」
みんなは考えこみ、それからハフラがフィンに尋ねた。
「あー……えっとどう思いますか? フィーネさん」
「え?」
だがフィンはその間ずっと別なことを考えていた。
「処刑当日よりも前夜とかに行った方がいいんじゃないかって意見があるんですが」
フィンはあわてて全員の顔を見る。みんながフィンの意見を求めているが……
《やっぱだめだよな……》
フィンは大きくため息をつくと、力なく答えた。
「ごめん……でも、多分それ、できないと思うんだ」
「え? どうしてですか? シアナ様とかがいれば、少々の牢屋くらい何とかなるんじゃ?」
だがフィンは首をふる。
「えっと……いや、当日でも前日でも、確かに慎重に計画を立てれば、助けられる可能性はけっこう高いと思うんだ。でも……そうしちゃいけないんだ」
「そうしちゃいけないって、どういうことです?」
ハフラの声が少し上ずっている。他の女たちも少し怒ったような表情でフィンを見つめた。
彼には彼女たちの気持ちが痛いほど分かったが―――でも言わなければならなかった。
「確かにそういうことをすれば、女将さんは助け出せるかもしれないんだけど、でもそうしたら相手はどうすると思う?」
「え? どうするって……」
「おとなしくそれで諦めてくれる……なんてことは絶対になくって、今度はもっと周到な罠を仕掛けてやろうって思うんじゃないか?」
「………………」
「はっきり言って女将さんへの嫌疑なんてただの言いがかりだから、そんなのいくらでもでっち上げられるわけで……そのたびに僕たちが救出しに行かなければならなくなってしまうんだけど……」
「………………」
「もしかしたら二ヶ所以上で同時に処刑するとか言いだすかもしれないし……そのうち結局どこかを見殺しにせざるを得なくなってしまうんだ。でも他の人は助けてもらったのに、自分のところは助からなかったら、そんな人たちはどう思うだろう? それでも僕たちを信用してくれるだろうか?」
「………………」
「そして何よりもこれって、相手にとっては僕たちを好きなときに好きな場所に引きずり出せるってことなんだ。そんな相手のペースに乗せられてしまったら、今の僕たちじゃひとたまりもないのは分かるよね?」
「でもそれじゃどうすれば!」
「………………」
今度はフィンが言葉を返せなかった。
「ねえ、それじゃどうしたらいいの? あたしたち!」
リサーンが全員の顔を見ながら尋ねるが―――誰も答えられない。
そのときだ。
「はあっ!」
エルミーラ王女が全員に聞こえるような大きなため息をついたのだ。
みんなの視線が王女に集まる。
「えっとメイ。現在動けるようになった方々は何人くらいですか?」
「え? だいたい四百人くらいでしょうか?」
「でもまだ体が弱った方が大部分でしょうね」
「それはまあ……」
「えっと、王女様? もしかして……」
その意図に気づいたフィンの問いに、彼女はうなずいた。
「ええ、決起を早めるというのはどうかと思いましたが、これでは無理ですね」
「……はい。まだ時期尚早でしょうね……」
もう少し人数がいれば何とかなったかもしれないのだが……
「だとすると正直、私たちは非常に困難な立場にあるということですね? ルンゴの女将さんを助けに行くわけにもいかない、その間に逃げるわけにもいかない、かといってこのまま見すごすわけにもいかないと」
「……そういうことになります」
それを聞いた王女は再び大きくためいきをついた。
「まったく……王様というのはつまらない仕事なのですよ。結局のところ、何かを守るためには何かを犠牲にしなければならなくなって……そしてどのような決断をしようと、あとから誹られるのですよ。あの王は何と愚かだったのだろうと……」
「エルミーラ様? いったい何をおっしゃっているのです?」
「お忘れですか? ル・ウーダ様。あなたがどういう判断を下そうと、責任は私が取ると申しましたことを」
「いや、ですが……」
「ともかく私たちは、先ほどのつまらぬ選択のいずれかを選ばねばならないのでしょう? だとしたら少々恨み言くらいは言わせていただかねば」
まだそう決まったわけではない! とフィンは叫びたかった。
だが、今の彼らにそれ以外、どんな方策があるというのだ? 多分もう少しだけ決断を先延ばしにするということくらいだろうが……
そこにエルミーラ王女が静かに続けた。
「それでも私たちは、このことだけは覚えておかなければなりません」
このこと? みんなが不思議そうに王女の顔を見る。
「それは私たちがいったい何を行っているのか? 何故それを行っているのか? そして私たちとは何者なのか? ということです」
全員が凍りついたようにその言葉の意味を反芻した。
ヴェーヌスベルグから来たものでさえ、この有名な“大聖様の三つの問いかけ”は知っていた。
「この言葉の意味は、多分平穏に生きているときにはとても難解に思えるでしょうが、今ならばむしろとても単純だと思うのです。それは次の質問の答えを考えるだけでいいのですから。それは……」
そう言って王女はみんなの顔を見わたした。
「ここで決して譲れない一線とは何だろうか? ということです」
譲れない一線?
女たちは互いに顔を見合わせる。
それからアーシャが言った。
「それって……ファラ様をお守りすると言うことですか?」
確かに彼女たちはそのためにこうしてここにいた。
それを聞いた一人がつぶやく。
「だとしたら……逃げるしかないってこと?」
「でもそんなことしたらレイモンの人々を裏切ることに……」
「でもそれでファラ様をお守りできなければ、何の意味が……」
だが、そのときだった。フィンの頭の中にある可能性がひらめいたのだ。
《譲れない一線? ちょっと待てよ!》
「そうだよ……譲れない一線じゃないか……だよな……」
びっくりした女たちがフィンを見つめているが、今はそんなことどうでもいい。
フィンは宙を見据えながらぶつぶつ何かつぶやくと、続いて大声で笑い始めた。
「いったいどうなさったのです?」
エルミーラ王女が驚いたようにフィンに問いかける。
フィンは笑いを抑えると王女に言う。
「いえ、だから譲れない一線って、相手にだってあるわけでしょう?」
王女は一瞬沈黙した後に、今度は目を見ひらいてフィンを凝視した。
同時に他の何人かもフィンの言わんとしたことに気づいたらしく、その表情が変わる。
それからその者達がこんどは一斉にメルファラの顔を見た。
「あの、どういうことでしょうか?」
大皇后が不思議そうな顔でエルミーラ王女に尋ねるが―――彼女はくちごもる。
代わりに答えたのがリサーンだった。
「あの……フィーネさんの考えってもしかして、人質には人質、みたいな?」
フィンはにこっと笑ってうなずいた。
「まあ……そんな感じかな……」
それから彼はいま考えついたことを説明しはじめた。
その部屋は地下室としてはかなり広い部類であったが、ベッドが四つも詰め込まれていたせいで、それ以外のスペースはあまりなかった。
そこできらめく蝋燭の明かりの下、四人の男が隅のテーブルを囲んでカードゲームを行っている。
全員座っている椅子のそばには杖が立てかけてある。
その中の小柄な五十過ぎの男が、ゆっくりと震える手でテーブルに積んであったカードをめくる。それからそれを手札と見比べて、しばらく考えたのちに手札から一枚カードを切った。
「上がりだ」
男の向い側に座っていた、体格のがっちりした三十過ぎの男が言った。
「しまった……やられましたか……」
小柄な男が首をふる。三十過ぎの男がこれも震える手つきで自分のカードを公開する。
「七つ星の夜だ。七百点かな」
「ああ、そちらでしたか……これは読みまちがえた……」
そう言って小柄な男がチップを払おうとするが、男の広げたカードを凝視して言った。
「先生、それは花に見えますが?」
「なに?」
男がもういちど自分の手札を見ると、「ああっ!」と声を上げてテーブルに突っ伏してしまう。
横に座っていた太った男がのろのろとカードをのぞき込む。
「あれまあ、確かに星じゃありませんな」
「あーっ! 今日はもうやめだ!」
「やめるのはかまいませんが、反則金は払ってもらわないと」
「ああ。好きなだけ持ってけ」
男は突っ伏したまま自分のチップを前に押し出す。
「それでは」
残りの三人が自分の取り分のチップを取ると、あとはほとんど残らなかった。
「気になって勝負に集中できませんでしたか? アリオール先生」
「は、まあそういうことにしとこうか。俺はまだあんたみたいに悟りを開ける歳じゃないんでな」
「悟りだなんて、買いかぶってもらっては困りますね」
男は小声で笑った―――その男の名はドゥーレン。
かつてシルヴェストの裏組織を束ねていた男だ。そして負けた男はもちろん小ガルンバ・アリオール。かつてはレイモンの将軍だった男である。
そして残る二人のうちの太った方がかつてフィンと行商をしていたヴォランで、最後の同じくがっちりとした体格の男は、アリオールの部下だったラルゴという男だった。
アリオールがラルゴを見て軽くうなずくと、男は杖をついて立ちあがり、のろのろと歩いて部屋の隅にぶら下がっていた呼び鈴の紐を引いた。
それから彼が再び自分の席に戻ると、ぽつりとドゥーレンが言った。
「さて……どう転びますかねえ……」
「さあな……」
アリオールが首をふる。それを見たヴォランが尋ねる。
「大皇后が本当にやってくると思いますかい?」
「さあな……」
「でももうそろそろ戻ってきますよね?」
ラルゴの問いにアリオールはうなずく。
「まあ、ルンゴまでは急げば一日だが……あいつは馬には乗れないからな。晩ぐらいにはなるんじゃないか?」
「まあ、焦ってもしかたありませんし」
彼らがやきもきしていたのは、もちろんルンゴにおける公開処刑の顛末がどうなったかということだった。
「でもあの男、生きてるんでしょうかねえ」
ヴォランのつぶやきに、アリオールが答える。
「それは多分な。少なくとも今回の騒ぎのまん中に奴がいると考える他ないだろう?」
彼がそこまで言ったときだ。部屋の隅にあったはしご段の上が開くと、若い娘が一人降りてきた。
「なにかご用ですか?」
彼女はそう言って屈託のない笑みを浮かべる。
「酒の用意をしてくれ」
アリオールの言葉に、娘はあからさまに目をまん丸にした。
「えーっ? また飲むんですか?」
「は。かつては小ガルンバとか言われた男も、今じゃ飲んだくれるしかない生ゴミだ。そのうえ盗み酒ができる体力さえ残っちゃいない。エッタちゃんにお願いするしかないんだよ」
それを聞いてほかの男たちも苦笑いする。
彼女―――アルエッタに向かってドゥーレンもうなずいた。
「もう、リエカさんが帰ったら怒りますよ? わたし知りませんからね?」
そうは言いつつも、生来世話好きのアルエッタはいそいそと上に戻っていく。
四人はしばらく黙っていたが、やがてアリオールが口を開いた。
「もういちど整理してみるか?」
「そうですな。時間ならたっぷりありますからな」
ドゥーレンがうなずくと、アリオールは話しはじめる。
「あのとき俺の屋敷からあの男をさらっていったのが、アロザールの手の者であったというのは間違いない。それからアロザールの侵攻があったわけだが、そのときは奴は軍の顧問で、さらに戦後には大皇后様の出迎え役になっていた。要するに奴は元々アロザールのために活動していたということだ」
「それはそう考えるしかありませんが……でも、ル・ウーダ殿は元は都の出身。どうしてアロザールなどの手先になったのですかな?」
「聞けば奴の妹が例のメルフロウ皇太子妃であったそうだな。皇太子の死に関してはいろいろきな臭い噂も聞こえてきていたが……奴が都を出た理由がそのあたりに関係していたとすれば、奴が都に恨みを持っていたとしても不思議じゃない。そのあと中原でアロザールと接触する機会は十分あっただろうし、奴がそれに協力したのもうなずける」
それを聞いて今度はヴォランが尋ねた。
「でも、あいつがフォレスの臣下だったというのも間違いありませんぜ。そのへんに関しちゃアラン様のお墨付きもありますしねえ」
「ということは奴はアロザールについたあと、まずフォレスに潜入して臣下になったということですか?」
ラルゴの問いにヴォランが答えた。
「少なくともグリシーナを出て以降は俺と一緒だったし、その間にアロザールと結んだとかはほぼ考えられないんですがねえ」
そして全員が黙りこむ。
ここがまずもって理解できないところであったからだ。
フォレス王国といえばベラ首長国の属国のようなもので、都の小公家であるル・ウーダ一族の一員が入りこむのは相当に無理があるところだ。しかもアロザール王国は元々都派であるから、フォレスとのつながりは非常に希薄だ。
もしフィナルフィンが都を出たあとアロザールの味方になったとして、どうしてフォレスに行かなければならなかったのだろうか?
しかし結局彼はそこで重用されて、アイザック王直々に中原の視察を命じられていたという。
また不思議なことに、シーガルに向かう大皇后一行にはなぜかフォレスの王女や東方の女剣士が同行しているという。
「ともかく、何らかの形でフォレスが関わっていると考えるしかあるまい?」
だがそんな東方の小国が、この事件にいったいどんな役割を占めているのであろうか?
「いちおう彼は、レイモンの都侵攻を阻止するのは、フォレスの国益にもなると言ってましたねえ」
ドゥーレンの言葉にアリオールはうなずく。
「それは俺も聞いた。確かにフォレスはシルヴェストとは親交が深かったからな。小国連合が瓦解すれば、こんど矢面に立つのはフォレスなのは間違いないが……だがはっきり言ってあのアラン殿をそう簡単にどうにかできるとは、誰も思っていなかったのではないか?」
そう言ってアリオールはにやりとドゥーレンに笑いかける。
「まったくですな。私も楽しみでしたよ。いつあなた方の喉に食らいつけるのかとね。まったくあんなことさえなければ……」
二人はにやにやと笑いあう。
「まあともかく、だから奴にはもう少し説明を聞きたかったのだが。何がいったいフォレスをそんなに必死にさせていたのかと……」
そのときラルゴが尋ねた。
「これには本当にフォレスの息がかかっているのですか? フォレスを出てからシルヴェストに入るまでの間なら、アロザールと接触することは可能でしょう」
「だが、あの地域にはほとんどアロザール人は出入りしていないのだが」
「その可能性はないことはないにしても、やや考えにくくはありませんかな?」
「まあ、そうなのですが……」
ラルゴが黙ってしまったので、アリオールが話を変えた。
「それでは別な方向から考えてみるとするか……父上達が計画した都攻めだが、あれは元々ハヤセ・アルヴィーロ殿の方から接触してきた話なのだ」
「おやまあ、そうだったんですか?」
ドゥーレンが意外そうに答える。アリオールは笑った。
「今となってはもう秘密でも何でもないからな。それはともかく、奴がそもそも皇太子の死に関わって都を恨んでいたとする。だとしたら奴は都ではジーク派だったことになるな?」
「妹がメルフロウ皇太子妃であった以上、当然ですな」
「だがアルヴィーロ殿もジーク派の重鎮だった。いうならば奴はアルヴィーロ殿の味方と考えるべきなのだが、都攻めを阻止するというのはむしろそれに敵対していたことになるわけだ」
「なるほど……でもジーク派といっても一枚岩ではなかったでしょうしねえ」
「まあ、そう言ってしまえば終わりだが……ともかく奴はアルヴィーロ殿とは違って、レイモンの都攻めをどうにかして阻止しようとしていた。それは多分アロザールの国益にかなったことであった。だから囚われた奴を、アロザールの魔導兵がさらっていったりしたのだ。アロザールにとって奴はそれだけの価値があったということだが……」
アリオールはそう言ってちょっと間を置いた。
「だが……そもそも今回のような呪いが使えるのであれば、アロザールは正直いつだって牙をむけたことであろう。にもかかわらず奴らがそうまでして同盟阻止工作をしたかった理由はいったいなんなのだ?」
男たちは顔を見合わせるが、誰もが首を捻るばかりだ。
そこにラルゴが尋ねた。
「あの男一人で同盟を阻止するなんて、本当にそんなことが可能だったんでしょうか?」
それを聞いてドゥーレンが答えた。
「彼が握っていた情報によってはそんなこともできるのでは?」
「何か心当たりが?」
「さあ、私たちも何も聞いてはいませんが……例えば彼ならばアルヴィーロ氏の動静をいろいろと知っていてもおかしくないでしょうし……それはかなり有力なことでは?」
それを聞いていたアリオールがうなずいた。
「まあ多分、その線が一番ありそうなことだとは思っていたのだが……でも結局我々は都攻めを行っているのだ。その結果はご存じの通りだがな。アルヴィーロ殿がなんでか都で失脚してしまったせいで、シナリオが狂ってしまったためだが……ともかく、アロザールはあの男をさらっていったにも関わらず、都攻めを阻止することには失敗したということだ」
男たちはまた顔を見合わせる。
そこでドゥーレンが尋ねる。
「元々の予定はどうだったのです?」
「そうだな。もっと早くに都とは講和を行っていたはずだった。だがそれができなくなり時間がたつうちに、背後からあのように襲われてしまったというわけで……」
「アルヴィーロ殿の失脚までが相手の思う壺ということは?」
ドゥーレンの言葉にアリオールは眉をひそめる。
「そのようなことができるということは、元々アロザールに今回の陰謀が筒抜けだったということではないのか? もしレイモンと都の同盟を阻止したければ、そのことを仄めかすだけでも我々は動けなかっただろう」
「まあ、そうなりますね。では……ということは実はアロザールはレイモンに都を攻めてもらいたかったということになりますか?」
そこでヴォランが意外そうに尋ねる。
「はあ? でもそうなるとフィンの旦那の立場はどうなります?」
「はて? 確か彼は都攻めを阻止しようとしてましたね? 彼はアロザールの手の者だったのでは?」
男たちは顔を見合わせた。
と、そこでヴォランがはっとした顔で言うが……
「ということは……アロザールはル・ウーダに都攻めを阻止されたらまずいからさらっていった?」
ドゥーレンが首を振る。
「いやいや、だったら放っておけば先生が始末してくれてたでしょう?」
アリオールが黙ってにやっと笑う。
「そうですよね。ははは」
そこにラルゴがぽつっと言う。
「そもそもの話ですが、アロザールは元々都の方につながりの深い国。最悪レイモンと都の同盟がなっても、そちらに鞍替えすることだって不可能ではありませんよね? 小国連合の盟主であるシルヴェストとは違って」
「それもその通りだ……」
要するにアロザールには最悪その手が残されているわけで、レイモンと都の同盟を何が何でも阻止しなければならないわけでもないのだ。
「まあ結果としては同盟は阻止されたわけですが」
一同はまた黙りこむ。
このあたりの事情も考えれば考えるほどわけが分からなくなってくる。
男たちが考えこんでいると、はしご段の扉が開いてアルエッタが降りてきた。
「なんだ? 遅かったですね」
ドゥーレンが彼女に声をかけると……
「これ作ってたんです」
アルエッタはそう言って手にした盆を前に差しだした。
その上には酒瓶とグラスの他に、ゆでたソーセージやピクルスなどが満載された皿が載っている。
「わざわざそんなことしなくても良かったのに」
そう言ったラルゴにアルエッタは指をふった。
「だめですって。何も食べずにお酒ばかり飲んでたら、胃をこわしますよ」
それからふり返ると全員に向かって言う。
「でも、あまり飲みすぎないで下さいね。潰れても私、起こせませんから」
「ああ、もちろん約束しますよ。お姫様」
アリオールがそう言って大げさに頭を下げる。
「またその冗談を!」
ほがらかに笑いながら、アルエッタは男たちにグラスを配ると、酒を注ぎはじめた。
そんな彼女にラルゴが尋ねた。
「エッタちゃん、フィンって男のこと、どう思った?」
「え? フィンさんですか? すごくいい人でしたけど?」
そこにドゥーレンがぼそっと突っこむ。
「見かけが良さそうだからって騙されるな」
するとアルエッタがむっとした顔でドゥーレンに言う。
「でもすごくやさしかったのは本当だし。それに残してきた奥さんのこと、すごく好きだったのも本当だし」
「どうしてそんなことが分かるんだ?」
アリオールの問いにアルエッタはにっこり笑う。
「だってフィンさん、アウラさんのドレスを抱きしめてごろごろしてたんですよ?」
「は?」
「何かすごく変わったデザインのドレスだったけど……まだあるから見ます?」
「いや、まあ機会があったらでいいが……」
アリオールはあまりドレスのデザインには興味がないようだった。
そこにヴォランがつぶやく。
「ああ、それにあいつ、俺がいくら誘っても郭に行こうとしなかったなあ。その奥さんに義理立ててるとかで」
「ほう? その話は初めて聞いたが……だとしたらえらく律儀なことだな?」
アリオールが首をかしげる。
「まあ、怒らせたら怖いから、とかかもしれませんがね」
ドゥーレンがにやっと笑うと、ラルゴが尋ねる。
「確かその奥方は、ヴィニエーラのアウラという女傑だったとか?」
「そのようですな。いろいろ逸話のある女性のようだが、私は会ったことはありませんが」
「リエカさんがよくご存じだったとかで?」
「ああ」
アリオールがうなずいた。
ルンゴの処刑を見に彼女が行っているのも、大皇后の従者に“ビニールのエイラ”とかいう東方の女剣士がいるとかいう噂を聞きつけたからだった。
「でも彼女の話だと、そのアウラという女性は大変な男嫌いで通っていたとか。いったい何があったんでしょうね」
「さあな……少なくともあいつはまったく信じてないようだが」
アリオールがそういってふっと笑うと、ドゥーレンが言った。
「それはともかく、その恐妻家のル・ウーダ殿が、驚くことに大皇后様の出迎え役に抜擢されたわけですな」
「彼が都のしきたりをよく知っているからだということなのでは?」
「それもあるかもしれませんが……でもいろいろ不思議ですよね?」
「確かに。いろいろ不思議だった……」
「あれで、人を集められていたらどうなってましたかね?」
「そうだなあ……」
アリオールが考えこむ。
今回のことでまずもっておかしかったのが、都から大皇后を王子の妃に迎えるという大事業であるのに、驚くほどその警備が甘かったことだった。
「もっとお祭り騒ぎになると思っていましたが……」
「私はアルバ川を下るかと思ってました」
ヴォランやラルゴも同様につぶやく。
一応現在は戦時下であるから派手なことは慎みたいとか、そんな説明はあったようだが……
「あのときはてっきり罠だと思っていたのだがな……」
アロザール側もアリオール達がこのように潜伏していることは知っていたはずだから、それをあぶり出すためのトラップであった可能性は高かった。
「まあ、結局行きたくても行けなかったわけですが」
ドゥーレンの言葉にアリオールがふっと鼻を鳴らす。
呪いのせいで動ける男はいなかった。またレイモンにはそのような荒事を任せられるような女の部隊も存在していなかった。
「でもそのために大皇后を囮に使うなんていう危険は冒さないでしょう?」
ラルゴの言葉にアリオールが首をふる。
「まあ、本物ならな。でもあのときは本物が来るかどうかさえ分からなかった」
「そうですが……」
だが結果論から言えば、やってきた大皇后は本物だったのだ。
そしてそのあとに起こった騒ぎはまさに驚天動地ものであった。
なにしろその大皇后が逃亡したうえに、各地のアロザール部隊や駐屯地を襲いまわっているというのだ。
しかもその理由というのが、レイモンをアロザール人の手から解放するということらしいのだが……
「あの人達は本気なのでしょうか?」
ラルゴの問いにアリオールも答えようがない。
「さあ。もうそればかりは昨日の結果待ちとしか言えないな」
「ですよね……」
そのとき、話をずっとそばで聞いていたアルエッタがふっと尋ねた。
「あの、アリオール様? その大皇后様って本当に本物なんでしょうか?」
「さあなあ。暴れまわっているのが本物かどうかは分からないが、少なくとも大皇后様が逃げたということは本当だろう」
「そうなんですか?」
「でなければグスタールはとっとと本物の大皇后様を出してくればいいことだ。だがあれ以来大皇后様は病気療養中とかで、姿を見た者は誰もいない。少々具合が悪くともちょっと謁見するくらいならできるだろう?」
さらにドゥーレンが付けくわえる。
「それに大皇后様がそんなご病気だったとしたら、別な意味でもっと騒ぎになってるでしょうな」
「へえ……でもそれじゃどうして大皇后様が私たちのために戦ってるんでしょう?」
男たちはそれを聞いて顔を見合わせる。
それからアリオールがドゥーレンの顔を見た。
「アラン殿は、何もしていないのだよな?」
「私は聞いておりませんな。もしそうなら情報が来ないはずはありませんが」
「ん? どういうこと?」
それを聞いてアルエッタが首をかしげる。
「いや、だからシルヴェストのアラン王が特殊な部隊を送りこんできて大皇后様をさらっていったという話もあるんだ。でもそれならこのドゥーレン殿が知らないわけがない」
「知らないんですか? お父様」
「ああ。我々がまったくの無力ではないことはアラン様もご存じのはずなのですが……」
と、ドゥーレンはアリオールの顔を見て笑った。
「そうそう。ケンカしてるよりはお友達でいる方がずっといいですもんね」
彼女にそう言われた男たちが苦笑いをする。
なにしろここにいるメンバーはかつてはまさに仇敵同士であり、文字通りに血で血を洗う戦いを繰りひろげてきたのだ。
実際にドゥーレン一派はあのあとアリオールの部隊の急襲を受けて全員が捕虜になるか死んでいた。それによってレイモン国内のシルヴェスト秘密組織は完全に壊滅していた。
ただアリオールの側としては本来ならば泳がせて利用する方がもっと効果的だったのだが、やむを得ない事情でそうせざるを得なかった。従ってドゥーレンの側にとっては、それが避けられただけでもよしとするといった状況だったのだ。
ところがそのあと一転して両者は共通の敵を得ることになった。
その結果、彼らはこうして協力して秘密活動をすることになった。
特にアリオールの側としては、シルヴェストへのパイプができたというのはこの上もない幸運だった。
だがなんといっても男が動けないというのでは、効果的な活動はあまりできない。そのため今のところ情報の収集とシルヴェストとの定期連絡ぐらいしかできてはいなかった。
だが、もしアラン王がレイモン国内で何かしようとするのであれば、彼らの協力には非常に大きな価値があったはずなのだ。なにしろ今ではアラン王は自前のものだけでなく、旧レイモンの情報網なども利用できる立場になっていたからだ。
すなわちもしアラン王がレイモン国内で何かしたければ、少なくともその情報くらいは伝えてくるはずなのだが……
「あれはご本人を逃がすための陽動ではなかったのでしょうか?」
首を捻るラルゴにアリオールは漠然と答える。
「そう考えるのが一番自然なのだがな……」
そもそも白銀の都の大皇后がレイモンを救うために戦っているとか、まさにヨタ話である。都とレイモンはそれこそ何十年も敵対をしてきたのだ。常識では考えられない。
だから当然、囮になった者が派手に暴れて、その隙に本人が脱出するというのが一番あり得るシナリオだ。
だがそのくらいはグスタールだって読んでいるようで、国境の警備は以前よりもずっと厳しくなっている。そのため逃げようにも逃げられなくなっていることは考えられる。
「でも、もう一月近くになるな?」
「そうですね。ディロス駐屯地の襲撃は、先月の末頃でしたか?」
男たちはまた顔を見合わせた。
もし彼らの動機がそれならば、まだ大皇后は脱出できていないということだ。すなわちその陽動作戦には効果がなかったのだ。
それなのにどうして今でもしつこくその“陽動”を続けているのであろうか?
それに業を煮やしてグスタールの出してきた策が、今回の公開処刑である。
「大皇后はほんとうにやってきますかね?」
ヴォランの問いにドゥーレンが答える。
「さあ……普通はありえないでしょう?」
彼女たちが戦っている理由が本当にレイモンを救うためだとすれば、この理不尽な公開処刑を看過できないはずである。だがもちろんこれは誰がどう見たって罠である。そんなところにのこのこ出て行けるはずがない。
これがもし暴れているのがルナール王の忘れ形見とかであったなら話は違っただろう。レイモンのために命を賭してくれていると間違いなく信じられるからだ―――だが今回の話に関しては、誰もが半信半疑であった。
「でも来なかったら機運が潰れてしまいますねえ」
「しかたないだろう?」
アリオールは悔しそうにつぶやいた。
たとえそれが誰であれ、彼らのために戦ってくれている仲間がいると思えることは、まさに希望の灯火だった。
もしも本当にそうなのなら―――人々は心の底でそう思いはじめている。
このように人の心が一つになれるタイミングはそうはあるものではない。この機を逃してしまうと、次はいつになることやら……
「でもそれならあの男にもそれは分かるのでは?」
ラルゴの言葉にアリオールが問い返す。
「それでは大皇后は来るというのか?」
「あの男が仕掛けてるのであれば……」
「そうだな……」
アリオールはふっと笑う。
こうしてまた話は振り出しに戻ったわけだ。
「これにアラン殿が噛んでいないとすれば、それこそ奴以外には考えられないわけだが」
「でもル・ウーダ殿は死んだことになっていますよね」
「ああ。確かクォイオで逆さ吊りにされていたとか?」
ヴォランがそう言ったところに、アルエッタが口を挟む。
「ええ? そうなんですか? 私は生皮を剥がれて、塩水をかけながら遠火でじっくりと骨まで焼き尽くされたって聞いたんですけど。凄く痛そうですよねえ……」
「おいおい、どこから聞いたんだ? そんな話は?」
「みんな話してますよ。大皇后様を裏切ったかどで、そんな風に焼き殺されたって」
アリオールがくっくっくと笑う。
「ともかく奴の死体をちゃんと見た者はいないわけだ。そんな焼き肉パーティーに参加した者もな」
それを聞いたヴォランが尋ねる。
「要するに死んだふりをしてるってことで?」
「多分な。元々奴は都出身だし、裏切る理由はある。それにアロザールの内部にも詳しいわけだしな。こんな騒ぎを起こせるのは他には奴しかいないだろう」
「でもどうしてそんなことを? そうする目的とは?」
男たちが考えこむと、そこで答えたのがアルエッタだった。
「え? 大皇后様をお助けしたいからなんじゃ?」
聞いた男たち全員が顔を見合わせると、ぷっと吹きだした。
アルエッタがむっとした顔で全員をにらむ。
「どうして違うんですか?」
そんな彼女にヴォランが言った。
「あは。エッタちゃんはかわいいなあ」
「なんですか? それって。アイオラさんに言いつけますよ? ヴォランさんが言い寄ってくる~って!」
「ちょっと、そんな意味じゃないって!」
ぷんぷん怒っているアルエッタにラルゴが諭すように言う。
「でもさすがにそれはないんじゃないでしょうか?」
「えー? でも、だってフィンさんの妹っていうのが前の皇太子様のお妃だったんでしょ? だったらフィンさんって前から大皇后様と知り合いだったってことでしょ? だったら大皇后様をお助けしようって思ったって変じゃないでしょ? もしかしたら好きだったのかもしれないし。大皇后様のこと!」
男たちは一瞬ぽかんとして、続いて大爆笑した。
「ちょっと、それはいくらなんでもないでしょう?」
「えーっ! どうして?」
アルエッタがドゥーレンをにらむと、ラルゴが言った。
「じゃあ、そんな好きな人を放り出して、どうして都を出ていってしまったんです?」
「え? あ、でも……ほら、心の傷を癒やすためとか……」
それを聞いた男たちはまた吹きだしそうになる。ラルゴが笑いながら尋ねるが……
「それではそのあとどうしてフォレスなんかに臣従してしまったんでしょうか? あそこは都の敵国のようなものですが」
「さあ、そんなこと私には……」
アリオールも続けて尋ねる。
「そのあとアロザールに与したのも、大皇后を助け出すためってことになるが、奴はアロザール王がそうするってあらかじめ知っていたのか?」
「え、でも……」
「だいたいあいつってアウラって奥方にぞっこんなんだろ?」
ヴォランの言葉に、アルエッタは涙目になって黙りこんでしまった。
男たちは彼女をちょっといじめすぎたことに気づいた。
「ともかくほら、お姫様? お酒の瓶が空になっちまったんで、どうにかお願いできませんかね?」
アリオールが彼女をなだめようとするが……
「知りませんっ!」
彼女にすねられると、男たちは意外に困るのだ。
「ああ、ごめんって、謝るから」
「エッタちゃん、悪かったって」
と、そのときだった。ラルゴがはっとした顔で言ったのだ。
「あの、今の“お姫様”っていうのも、そのル・ウーダが言いだしたんですよね?」
それにアルエッタが答えた。
「ええ。前に捕まったとき、時間稼ぎにそんなお話しを作ってたんですけど。私がベラの王家の末裔だったんですって」
「はは。それは私も聞かせてもらったが、なかなか楽しかったぞ」
アリオールもそう言って笑う。だがラルゴは笑わなかった。
「いや、ということはその男はその場しのぎにそんな込み入った話を考えついたわけですよね?」
「何が言いたい?」
「だから、我々の知っている奴の情報って、本当に正しいのでしょうか? その場しのぎでそんな話ができるなら、じっくり考えたらまったく矛盾のないストーリーを作れるのでは?」
男たちがまた顔を見合わせる。
「ってことは、あいつの出自とかがみんな嘘だということか?」
アリオールの問いにラルゴはうなずいた。
「その可能性もあるということでは? そもそも、妹が前皇太子妃とかいろいろできすぎじゃありませんか?」
アルエッタも含めてその場にいた全員が顔を見合わせた。
ラルゴの言うことはもっともだった。なにしろ彼らはル・ウーダ・フィナルフィンという男に関しては、基本的に本人の口から聞いた情報しか知ってはいないのだ。
少なくともフォレスに臣従したあとに関しては調べようはあるが、それ以前となると彼が言ったことがすべてだ。
「要するに何もかもが作り話だと?」
アリオールがドゥーレンの顔を見返す。
「だとしたら……いったい奴は何者なのだ?」
場に沈黙が訪れた―――と、そのときだ。階上の方からがたがたと大勢の足音が聞こえてきたのだ。
男たちは顔を見合わせた。
「見てきましょうか?」
アリオールは行こうとするアルエッタを引き止める。
「いや、待て。ここにそんな大勢が来るはずない」
「え? それじゃ……」
「静かに! 明かりを消して」
アルエッタがうなずいて、部屋の蝋燭の火を消した。
あたりは真っ暗になって、はしご段の上の扉の隙間からかすかな光が差しこんでくるだけになった。
だが階上の足音がまっすぐこちらに近づいて来る。
続いてはしご段の開き戸がぱたんと開くと、さっと光が差しこんできた。
「あら? どうして真っ暗なんですか? もうお休みに?」
そこから顔の半分が醜く焼けただれてた女が頭をのぞかせたが、それについては誰も頓着しない。
「リエカ? 後ろにいるのは?」
アリオールのその言葉に秘められた緊張に気づいて、リエカは慌てたように手をふった。
「ああ! だいじょうぶです! 危ない人たちじゃありませんから」
男たちは顔を見合わせる。この言い方は敵に脅されているのではない。そのような場合の符丁は決まっているのだ。アリオールはアルエッタにうなずいた。
彼女が再び蝋燭の明かりをともす。
明るくなった地下室にまずリエカが降りてくると、はしご段の上に手を差しのべた。
「え? あたし?」
上から女性の声が聞こえる。
「いいから!」
リエカの手招きにはしご段を降りてきた人影を見て、男たちは身を固くした。レイモンの田舎貴族風のドレスに、ヴェールの垂れた鍔の広い帽子をかぶっていたのでその顔は見えなかったが、その物腰はまるで貴婦人のようなめらかなのだ。
リエカがものすごく嬉しそうに彼女を紹介した。
「ご紹介します! アウラお姉様です!」
それに答えて女が帽子を取ると、その下からは黒髪の整った顔が現れた。
「えっと……アウラです」
彼女はそう言ってお辞儀をするが、その物腰と喋り方が今ひとつマッチしていない。
不意を突かれた男たちから言葉が出ないので、アウラはばつが悪そうにあたりを見回した。
それからやっとアリオールが答える。
「えっと、あなたがヴィニエーラのアウラ殿ですか?」
「はい、まあ、昔はそうでした」
「………………」
それ以上彼女が何も話さないので、アリオールが困ったようにリエカの顔を見た。
彼女はずっとにこにこしながらアウラを見つめていたが、やっと気づいたように答える。
「あ、お姉様は殿方とお話しするのがあまりお好きじゃないので」
「エステア? えっとそれで……」
「あ、そうですわね」
リエカはうなずくと階上に向かって手招きをした。
「階段が急なので気をつけて下さいね」
それから順番に四人の女が降りてくる。全員が同じようなドレスにヴェールの下がった帽子をかぶっていた。
降りてきた女たちをリエカが順番に紹介しようとするが―――最初の女を見ていきなりむっとした表情になると、その帽子をむしり取った。
「うわっ!」
そんな声とともに、その下からはなぜか男の顔が現れた。
「この男はご存じですわね?」
男たちはその女装男を見て目を丸くした。それからアリオールが満面の笑みで答える。
「ははっ! もちろん! まさにいま君の噂をしていたところだよ。どうしたんだ? 地獄から蘇ってこられたのか? ル・ウーダ殿」
「はは、まあその辺の話はおいおい……」
と、フィンが話し出そうとしたのだが……
「邪魔ですのでどいていただけますか?」
と、リエカは彼をどんと突きとばすと部屋の隅に押しやった。
それから続く女性の紹介に入る。
「こちらのお方が、フォレス王国の王女であられますエルミーラ様です」
その人物が帽子をとると、栗色の髪をした女性が現れた。
その女性の凛とした眼差しに、男たちは気づいたら思わず頭を下げていた。それからアリオールが驚いたように顔を上げると、もういちど王女の顔を見る。
そんな彼に王女が微笑んだ。
「お初にお目にかかります。ガルンバ・アリオール様でしょうか?」
「はい。このようなところで失礼申し上げます。わたしがガルンバ・アリオールです」
アリオールは立ちあがって礼をした。それから男たちが次々に彼女に挨拶をする。
「私はドゥーレンと申す者でございます。シルヴェストのアラン様にお仕えしております」
「私はラルゴと申します。アリオール様の副官をしておりました」
「私はヴォランと申しまして、同じくアラン様にお仕えしております」
「ご丁寧なご挨拶、恐縮でございます。エルミーラと申します。お見知りおき下さい」
王女はそういって礼をすると、すっと横に移動して後ろの女性を前に誘った。
リエカがその人物の紹介を始める。
「このお方が、白銀の都の大皇后、メルファラ様でございます」
「わたくしが今ご紹介にあずかりました、メルファラと申す者でございます」
そう言って彼女は帽子を脱いだのだが―――男たちはそれを予想していたにも関わらず、その姿を見て言葉を失った。
それはもはや美しいとか気高いといった言葉で表せるようなものではなく、彼女がそこに佇んでいるだけで暗闇の地下室が煌々と照らされているかのようだった。
「これほどとは……」
アリオールは思わずそうつぶやいてしまってから、赤面した。
「いえ、申しわけございません。私はガルンバ・アリオールと申す者。先頃は都やあなた様方に大変な無礼を働いてしまったことを心からお詫び申し上げます」
「いえ、ガルンバ様。そのようなことをおっしゃらないで下さいませ」
「しかし私たちは……」
メルファラはそういうアリオールの言葉を押しとどめる。それからリエカの顔をちらっと見てうなずいた。
「私はもう皆様の味方ですから。そのようなことはお気になさらずに」
「でも、しかし……」
アリオールは都攻めの軍を率いた張本人でもあったのだ。簡単には引き下がれるはずがなかったのだが……
「アリオール様。ともかくまずはルンゴで起こったことをお聞き下さい」
リエカが彼を諭すように言った。
「もちろんだ。だが……どうしよう? こんな場所で……」
「私どもは全然かまいませんが。それこそ最近はずっとこのようなところで暮らして参りましたし。椅子が足りなければベッドに座ればよいのではありませんか?」
男たちが驚きの表情で大皇后を見つめる。
返事がないので同意と考えたメルファラは近くのベッドの上に座ろうとするが、それを見たヴォランが蒼くなった。彼らがずっと使っていたベッドは、ひかえめに言ってあまりきれいではなかったからだ。
「そ、そちらよりどうかこちらに」
彼が自分の椅子を空けて彼女に勧める。メルファラはにこっと笑うと勧められた椅子に座った。同時に男たちはみんな席を立って、他の女たちに椅子を勧めた。
メルファラ、エルミーラ王女、アウラと続いて最後に……
「あ、どうもすみません」
そう言って帽子を取ったのは、まだ少女のような娘だった。
「あなたは?」
彼女に席を勧めたドゥーレンに娘はお辞儀をした。
「あ、エルミーラ様の秘書官をやっております、メイと申します。お見知りおき下さい。ドーレンさん?」
「ドゥーレンです」
「あ、ごめんなさい。ドゥーレンさんですね」
そんな彼女を見てアリオールが目を丸くした。
「あなたのような可憐な方が秘書官をなさっているのですか?」
それを聞いたメイが頭を掻く。
「いやあ、何と申しますか、こちらも人手不足なんですよ」
そう言って彼女はテーブルの上にノートを広げた。
こうしてテーブルを囲むようにメルファラ、エルミーラ、アウラとメイが座り、ベッドにはアリオール、ドゥーレン、ヴォラン、ラルゴが座った。リエカとアルエッタは部屋の隅にあった予備の丸椅子を持ってきてテーブルの近くに座る。
最後に余ったフィンにアリオールが手招きする。
「さあ、男同士ならこちらだろう?」
「ああ、じゃあすみません」
ドレスを着たフィンが彼の隣に座ると、アリオールが親しげに肩を組む。
「あのとき以来だなあ」
「そうですねえ。あはは」
フィンは引きつりぎみの笑顔だ。
それを見ながらメイが言った。
「それじゃどうしましょうか。フィーネさんからお話ししますか?」
「ああ、そうしようかな」
フィンはこほんと咳払いすると、話しはじめた。