太陽と魔法のしずく 第10章 沈黙の宮廷

第10章 沈黙の宮廷


 三日後の深夜、フィン達はアキーラ城の東門にほど近い城壁の下で息をひそめていた。

 空は都合よく曇って星明りもなく、敵に姿を見とがめられる心配はほとんどない。

 もちろんそれは彼らにとっても同条件だったが、同行している兵士達はほとんどがアキーラ育ちか守備隊にいた者だ。これから行くところは彼らの庭のようなものだった。

《とうとう来ちゃったよ……》

 クォイオでの再会からまだ二ヶ月たっていない。

 あのときはまさにダメ元、完全なヤケクソ、毒食らわば皿まで―――といった境地だったのだが……

 フィンはふり返る。

 すぐ後ろにはアウラが控えている。その横で大あくびをしているのはファシアーナだ。

 元々の作戦でここにいるのはこの三人の予定だった。

 だが今日はその先にリモンとサフィーナ、シャアラ、マジャーラ、そしてマウーナも弓を持って控えている。

 “女装兵”が本格活動を始めてからは、あまり彼女たちが前線に出ることはなくなり、主たる任務はメルファラ大皇后やエルミーラ王女の護衛となっていた。

 だがメイの拉致事件によって状況は変わってしまった。

 それさえなければ彼女たちが危険なアキーラ解放戦に無理に参加する必要などなかったのだが、この二ヶ月、共に戦ってきたメイの“人生最大の危機”なのだ。座して待っていられる者など一人もいなかった。

 あのあと再度正式に参加メンバーを募ったのだが、そんな荒事にはまったく向いていないパミーナまでが、自分はケガの治療ができるからと行きたがったくらいなのだ。おかげで誰に諦めてもらうかでさんざん揉めたのである。

《まあ、妥当な線だけど……》

 今ここに来ている彼女たちは、まさに“ベラトリキス”の最精鋭だ。戦いになったら間違いなく信頼できることは、この二ヶ月の間にまさに実証されていた。

 それに残った者も決して遊んでいるわけではない。

 今回の作戦は東、南、北の三ヶ所の門から同時にアキーラに突入することになっている。そのため、まず少人数の兵士が城壁を越えて内部に潜入し、城門の見張りを一気に倒して門を開ける手はずになっていた。

 その城壁越えを迅速に行うために、各門にひとりずつ魔導師が割り当てられていた。

 東門の部隊にはこのファシアーナ、南門にはニフレディル、北門にはアラーニャだ。その彼女たちの護衛と作戦サポートに、ハフラ、リサーン、アルマーザ、キールといったメンバーが回っていた。

 彼女たちの主任務は城壁越えのサポートなのだが、そのあとは空を飛べるという能力を活かして市内の哨戒を行うことにもなっている。アキーラには一般民が大勢住んでいるので、派手な魔法は使いづらいが、それでも必要ならば支援攻撃を行う可能性もあった。

 もちろんそれは決して安全とはいえない任務である。

 ―――と、そのとき前の方から士官がひとりやってきた。ラルゴだ。

「もうそろそろですな」

 彼は小声でフィンに言った。

「そうですね」

 このラルゴという男はアリオールの腹心の部下で、レイモン騎馬軍団の師団長も務めた男だ。この潜入部隊の指揮は彼がとることになっていたが、その点にまったく不安はなかった。

「メイ殿は無事だと良いのですが……」

 フィンは黙ってうなずいた。

 たとえさらわれたのがどのような理由であれ、即座に命を奪うような真似はしないだろう。

 だが―――無事でいるという保証もまったくなかった。

 フィンは一度、彼女がどういう目にあう可能性があるか検討しようとしたが、いやもうむしろさっくりと殺された方がまだマシなのでは? と思って考えるのをやめたのだ。

 ここにいる誰もが同じことを一度は考えたに違いない。

 そしてそのことについては、もう誰も話題にしようとしない。

「ともかく居場所を確認して救出する、それだけですよ」

「そうですな……」

 ラルゴも表情が硬い。

《この人ってけっこう本気でメイを心配してるよな……》

 あまり私的に話したことはないのだが、まだそれほど歳がいっているようでもないし、娘のようにというよりは本気でメイのことが気になっているのだろうか?

《けっこう人気になってるしな……メイも》

 すでに兵士の間では“大皇后と二十人の女戦士たち(ベラトリキス)”としてその名前が(あざな)つきで流布しはじめているのだ。

 もちろんそれは伝聞に伝聞を重ねているので相当にいい加減なのだが、その中に“ベラトリキスのメイ秘書官”という名はほぼ間違いなく数えられている。

《なんか“白き魔法のフィーネ”なんてのもいるしなあ……》

 こればっかりはばれたら袋だたきに遭いそうだが―――ともかくその彼女が捕らえられたということで、兵士達の士気はいや増していた。

 それはともかく……

「来たようですな!」

 見ると城壁の上でチカチカと明かりが点滅している。

 フィンはふり返った。アウラ以下、仲間の女戦士たちが黙ってうなずくのが見える。

「それではお願い致しますぞ?」

 そんなラルゴの言葉に、にたっと笑ってファシアーナが立ちあがる。

「まかしときなって!」

 次いですっとその両脇にアウラとリモンが立ち、それぞれがフィンとラルゴに手を出した。フィンはアウラの、ラルゴがリモンの手を握る。

「じゃ、いくよ? しっかり手にぎってなよ?」

「おう……」

 ラルゴの返事がまだちょっと固い。何度も練習はしたのだが、そもそもレイモン兵は魔導師に慣れていない。彼にとっても初めての体験だったのだ。

「怖きゃ目をつぶってな!」

「だいじょうぶです!」

 途端に五人の体がすっと浮きあがると一気に高度を上げていって、あっという間に五人は城壁の上に立っていた。多分ラルゴは驚く間もなかったかもしれない。

《いや、やっぱすごいよな……》

 そこらの魔導師ではこんなスピードはなかなか出せないものだが……

「うわっ! ほんとに来たわ!」

 城壁の上で待っていた消防隊の女性が驚いて声をあげた。

「ありがとうございました。何かトラブルはありませんでしたか?」

 フィンが尋ねると彼女は首を振る。

「いいえ! みんな順調よっ

 そしていきなりフィンの頬にキスをしたのだ。

「うわっ!」

 暗がりでよく分からないが―――かなりおばさんっぽいかもしれないが―――でも悪い気分ではない。

「みんなのお礼よ! ほらそっちも!」

 と、消防隊員がアウラにキスしようとして……

「あら! もしかしてあなたもベラトリキスの人?」

「え? ええ」

「きゃっ! うれしい!」

 彼女はアウラにだきついた。

「えっと……その……」

 その間に別の消防隊員もファシアーナ、リモン、それにラルゴに抱きついたりキスをしたりで、何やらわけの分からないことになりつつあるが……

「すみませんが、他の兵士を上げなければなりませんので」

 ラルゴが喜ぶ女たちに言った。

「まあ、ごめんなさい。つい嬉しくって」

 気持ちは痛いほど分かるが、こんな所で時間を取ってはいられない。

「では、手はずどおり」

 他のメンバーがうなずくと配置につく。

 ファシアーナが城壁の上に立ち、横にフィンがカンテラを持って合図する。残りの三人はこの作業が邪魔されないように護衛する役だ。

 準備ができるとフィンが合図を送った。それを見て城壁の下に兵士が二人すっと出てきて腕を組んで並ぶ。それを確認するとファシアーナが意識を集中して―――すとーんという感じで二人が城壁上に放り上げられた。

「うおぅ!」

 なかなか滅多にできない体験に、上がって来た兵士が思わず目を白黒させている。

 そんな調子で四人ほど上げた時点でラルゴが言った。

「では私達は参ります」

「お願いします」

 ラルゴに率いられた兵士達が見張り塔内部の安全確保のために下っていった。

 アキーラ城の城壁はたくさんの見張り塔とそれを連結する壁で構成されている。城壁の上り下りにはその塔が使われるが、その中は兵士が常駐できるように兵舎も兼ねている。

 情報ではそこに詰めているアロザール兵は非常に少なく、薬入りの酒でぐっすり眠らされているはずだが、それでも慎重になるに越したことはない。

 そのようにして総勢三十名ほどの兵士が上げられると、最後にシャアラ、マジャーラ、サフィーナ、マウーナが上がって来た。

「じゃあ私達も行きましょうか」

 フィン達が降りていこうとすると、消防隊の一人が尋ねてきた。

「あの……あの子が捕まったって本当なんですか?」

「え? どこからそれを?」

「いえ、そういう噂なんですが……」

 フィンはうなずいた。

「はい。それで僕たちが救出に行く途中なんです」

「そうですか。あんな小さい子が……どうか助けてあげて下さい」

「もちろんです!」

「んです!」

 そう答えたのが―――またリモンとサフィーナだ。

 フィンは少々感慨深げにサフィーナを見る。

 心意気はともかく、最初は彼女を連れていくのはちょっと心配だったのだ。

 何しろ彼女はヴェーヌスベルグ組の中では一番小柄で、戦いでケガもしている。それに今度は乱戦になってしまうかもしれないのだ。

 そこでそのことをアウラに相談してみたのだが……


 ―――ところが彼女は笑って答えた。

「え? いいんじゃない?」

「でも彼女、小さいし……」

「そうだけど、けっこう強いのよ?」

「そうなのか?」

「うん。本当に体が小さいのが残念だけど……でもそのぶん研究熱心でね。最初に立ち会ったときなんか、ちょっとやられそうになったりして」

 アウラはそうあっけらかんと言ったのだが……

「やられそうに? おまえが?」

 そんなことがあり得るのか?

 驚くフィンにアウラはにっこりと笑って答える。

「うん。それがね、なんか低く構えてるから、どうする気だろってちょっと構えを上げてみたら、すごい勢いで下に突っこんできて……思わず柄で受けちゃった」

 えっと―――たしか薙刀の柄で剣を受けたりしたら折られてしまうから、普段は絶対しないって言ってたよな?

「で、びっくりして、それ誰に習ったのって聞いたら、自分で考えたって言うし」

 なるほど―――そういえば以前にも彼女のセンスがいいとか言ってたようだが……

「へえ、でもそれじゃどうして今まで弓隊に入れてたんだ?」

 その問いにアウラはまた笑ってうなずいた。

「うん。それがね、その突っ込みがすごいから、じゃあこれでどうだって下段に構えてみたら……」

「ああ」

「彼女、頭抱えちゃって」

「………………」

 要するに突っ込みを防ぐために低く構えられると、そのあとの手段がないと……

「だからあのときは急場だったから、弓に回ってもらったの。あの子、弓も上手いし」

 アウラというのは人にお世辞をいうタイプではない。従って彼女がこんな評価をするということは、実際にサフィーナはできる子ということなのだが―――


 フィンはそんな彼女の横顔をちらりと見る。

《なんていうか、精悍だよな……》

 あの子を助けると言った彼女の横顔に、迷いなどは微塵もない。

《そんな子が俺を……》

 と、思いかけてフィンはその思いを呑みこんだ。今そんなことを考えている暇はないのだ!

「それでは行きます」

「ご武運を!」

 彼らは先行した兵士達を追って塔を下っていった。

 塔の中は静かなものだった。

 内部は敵の侵入に備えて分かりにくい構造になっていたが、要所要所に消防隊の女が立って道を示してくれたので、まったく迷うこともなかった。

 途中の部屋でアロザール兵が二名、ベッドに縛られたままぐうぐう眠っているそばを通りすぎる。

《彼女たちは完璧に仕事をこなしてるよな……》

 それができたのも事前にやってきたメイ達の指示が的確だったからに他ならない。

《絶対に救出しないと……》

 彼らは決意を新たに塔を降りきった。

 塔の前庭には先に向かった兵たちが勢揃いしている。

「では参りましょう」

 フィン達が合流すると、ラルゴの合図で一斉に部隊は動き出す。

 目指すは東門だ。

 彼らが降りてきた塔は東門から二百メートルも離れていない。

 一行が物音を立てずに壁際を移動すると、すぐに東門が見えてきた。

 さすがに門の前は松明で明々と照らされて、門番が二人立っているのが見える。

 だがあちらが明るいということはこちらは見えにくいのだ。

「では行け!」

 ラルゴの指示に四人の兵士がうなずくと、ふっと立ちあがって何げない様子で歩いていく。もちろん彼らは女装兵だ。遠目からはローブを羽織った大柄の女が歩いてきたように見えただろう。

 門番のひとりが“彼女”達に気がついた。

「あ? なんだ? こんな夜更けに……」

 “彼女”たちは知り合いにでも会ったようなようすで手を振りながら門番に駆けよっていくと、一気に隠し持った剣を抜いて門番に襲いかかった。門番は二人とも声も出せずに事切れた。

《見事な手並みだなあ……》

 最初、この役割はアウラなどにやらせようかという話もしたのだが、彼らも慣れてきたから大丈夫だというので任せたのだが……

「突入!」

 ラルゴの指示に、兵士達が一気に門に向かって走る。

 先の女装兵はすでに門番の控所に向かっている。兵士達はさっと、控所を制圧する者、城門を開く者、あたりの警戒を行う者などに別れてそれぞれの任務をこなしていく。

 フィンはその手際の良さに内心舌を巻いた。

《レイモン兵って……つくづく味方で良かったよな……》

 これまで都やベラはレイモン王国を心の底から恐れていたのだが、それはレイモン人もまた同様だったのだ。

 魔導師に頼らずに国を守るということは、彼らにとっても想像を絶するストレスだった。だから彼らは通常軍の練度を上げることに腐心し、また一方では都との関係改善も模索していたのである。

《おかげで共同作戦もすんなりうまくいってるし……》

 レイモン兵たちは魔法使いに触れたことがないので、大魔導師たちにどう接していいか分からない。そこでその仲介役としてハフラやリサーンなどが派遣されているのだが、そうなるといろんな局面で彼女たちが指示を出すことになる。

 ところが彼女たちはまさに田舎の小娘なのだ。普通ならばプライドが邪魔をしてかなり揉めたりするものなのだが、今回はそんなトラブルはほとんどなかった。

 それはアリオールからの指示が下っていたことと、ハフラやリサーンが実際に的確な指示を下していたからだ。

 要するに彼らは実力至上主義であったのだ。


 がらがらがらがら!


 大きな音が響いて城門が上げられていくと、その下をくぐるようにして、ばらばらと兵士が駆けこんできた。

「みんな! ご苦労だった!」

 先頭を切っていたのはアリオールだ。

「お待ちしていました!」

「さすがだな! ベラトリキスのみなさんは!」

 そう言うアリオールにファシアーナが答える。

「お世辞はいいよ。とっとと行こうじゃないの」

「もちろんですよ」

 フィン達とラルゴがアリオールの部隊に合流すると、部下達に脇にそれて体勢を整えるよう指示をする。

 その横を兵士たちが次々に市内に向けて突入していく。そろそろあちらこちらから叫び声などが聞こえ始めていた。

「ん? ああ、そうかい。んじゃよろしく」

 ファシアーナが一人でぶつぶつ言っているが……

「リディール様ですか」

 彼女と心話をしていたようだ。

「ああ。南は順調にいったってさ。ちょっと北を見てくるって」

 北門の担当はアラーニャだからちょっと心許ないところがある。リサーンだけでなくアルマーザやキールも一緒だから大丈夫だとは思うが……

「では行くぞ!」

 アリオールが指示を出すと先導役の兵士を先頭に、整然と隊が動き出す。

 彼らが向かったのは薄暗い小路だった。

 一行が入ると暗くて足下もおぼつかない。

《こっちもうまくいってるな……》

 もちろんこの小路にも街灯はあるのだが、町回りが今日はうっかりつけ忘れている―――もちろんそれも計画のうちだ。

 この小路は東門から城に向かう最短経路なのだ。

 しかしこのあたりは道が入り組んでいる。普通なら明かりがなければ間違いなく迷ってしまうのだが、先導役は的確な足取りで一行を導いていく。彼はまさにこの地域で生まれ育った男なので、目を閉じていても自分がどこにいるかが分かるのだ。

 そんな調子で幾つかの角を曲がっていくと、道はいきなり袋小路になってしまった。

 だが先導役はまったく慌てずに、道に面した屋敷の門を叩く。

 すると中から女の声がした。


「フィーネさんの素敵な?」


 それに対して……

「魔法のしずく」

 先導役がそう答えると、門がギーッと開く。

 あたりからくすくすと笑い声が聞こえる。

《でも、これだけはちょっとあれなんじゃないかっ⁉ まったく!》

 確かに細かいことは現場の判断で決めていいとは言った! 合い言葉をどうするかなんて、いちいちトップが決めなくてもいい。後でちゃんと教えてもらえさえすれば……

 だがしかし!

《あいつら、いつか締めてやっからなっ!》

 ケラケラ笑いながら「やっぱこれでしょー!」「だよね~」とかいった調子で合い言葉を決めていたあの三人の姿が目に浮かぶ。

 そのうえ何かあの歌が子供たちの間で流行っているような気もするし。広めて回ってるのか?―――そ・れ・は・ともかく……

 一行は門をくぐって屋敷の中に入った。

 屋敷の女主人が彼らを先導していくが、行きついた先はレンガの壁に囲まれた裏庭だ。

「ガラクタは片づけたんですが、これでいいですか?」

「ああ。全然オッケーよ!」

 ファシアーナがあたりを見回して答える。それから……

「それじゃフィーネちゃ~ん 向こう見てきて!」

「あのですね! その名前はもう止してもらえますか?」

 そんなフィンを女主人が驚いたような顔で見つめているが―――フィンはもう女装はしていないのだ。

「細かいことにうるさいわねえ。ほら!」

 フィンはぶつぶつ言いながらも飛び上がって壁の向こうを偵察した。

 その先はまた裏小路になっていて、城の通用門は目と鼻の先だ。

「大丈夫です。誰もいません」

「よっしゃ。それじゃみんな下がって。危ないからね」

 ファシアーナは片手を前に差しだすと大きく指を広げ、念を集中した。

 すると前面の壁の一部が赤く光りだしたのだ。

 その光はみるみるうちに強まっていって、ついには白くまばゆい輝きとなった。

「うわあぁ」

 兵士たちが驚きの声をあげる。

 ずいぶん離れていると思ったのに、激しい熱気に皮膚が焼かれる。

《こりゃまずいんじゃ?》

 フィンまでがそう思った瞬間―――どろりと壁が融け落ちて通路が開ける。地面には真っ赤に融けたレンガが流れて、まるで火山の溶岩流だが……

 ファシアーナはまったく動じず、再び平然と手を差しのべると、今度はあたりがいきなり凍てつくように寒くなった。

「いえぇぇぇ!」

 また兵士達が驚きのうめきを上げる。

「おっしゃ。こんなもんかな?」

 見ると溶岩は固まって、地面は凸凹した岩の通路になっている。

「なんと……」

 思わずアリオールが感嘆の声をあげる。

 壁を吹き飛ばすと音で見つかる可能性があったので、なるべく静かなこの方法にしたのだが―――こんなことを苦もなくやってのけるファシアーナは、まさに白銀の都の誇る大魔導師なのだ。

 彼女は呆然としている館の女主人に言った。

「あんた、壁の修理代はあとで城に請求しときなよ?」

「は、はい……」

「んで、道は開いたけど?」

 できあがった通路を呆然とみていたアリオールが慌てぎみに命令を下した。

「では行くぞ!」

 兵士達はうなずいて、そこから一気に城の通用門を目指した。

 一同が通用門のそばに達したときには、市内の各地で騒ぎが起こっているのが明らかになってきた。

「ん? どうだった? あ、北も問題ないって? こっちも今から突入。外の見張りは頼むよ? うん。それじゃ」

 ファシアーナがまたニフレディルと心話している。

 どうやら他のチームも順調のようだった。

 彼らはこれから市内各所の制圧をおこなうのだ。

 だがアキーラに常駐しているアロザール兵は数百名。突入部隊は総勢千名を超えているし、この時間なら相当数が寝ているだろう。また屯所の位置や構造などもみんな勝手知ったる場所なのだ。

《この調子なら市内は問題ないかな?》

 ならば残るは城の制圧だ。

 だがアキーラ城はさすがに簡単にはいきそうになかった。

 というのは、こういう場合できることなら内通者を入れておきたかったのだが、城の下働きをしている女たちはみな住み込みで滅多に出入りできないらしい。そのうえ今回はそういった工作をしている時間もなかった。

 そこでこの先は“力まかせに押し通る”ことになっていたのである。

 それでも情報では城内を守る兵士は数十名程度ということだったので、今ここにいる百名近くが一気に突入すれば制圧は十分に可能だった。

《でもさすがに多少の被害はやむを得ないよな……》

 なんといっても大守を守る兵士はアロザール兵の中でも最精鋭だ。そうそう簡単には倒せないだろう。そのうえあちらにはメイという人質がいるのだ。

《彼女がうまいこと正体をごまかしててくれればいいが……》

 そうすれば無関係な者として、むしろ安全な場所に置かれている可能性もあるのだが……

 フィンは首を振る。今さらそんなことを心配してもしかたがない。

「それじゃまたお願いします」

「ああ」

 アリオールの言葉にファシアーナがうなずくと、もう一人の兵士とともに通用門の方に向かっていった。残りも静かにそのあとに続くと、通用門の両脇に死角に数名の兵士が隠れる。

 それから兵士が門を叩いて叫んだ。

「報告! 報告!」

 彼は大声で門を叩き続けたが―――なぜか門番は出てこない。

「どうしたんだ? 居眠りでもしているのか?」

 兵士が首をかしげた。

「だったらしゃーないじゃないの。ちょっとどいてくれる」

 ファシアーナが彼の肩をたたいたので、兵士が慌てて横に避けた。

 それを見計らってまたファシアーナが片手を差しのべると……


 ブァアアアァァァン‼


 派手な音とともに通用門が吹っ飛んでいった。

 それはフィンもよく使う衝撃波の魔法であるが、ファシアーナが使えばこうなってしまうのだ。しかもこれでまだまだ本気ではない。その気になれば彼女は家一軒くらい軽く吹っ飛ばせる。

 見ていた兵士達が一様に息を呑む。

「よし! かかれ!」

 アリオールの命令一閃、先陣の部隊が一気に城内に突入していく。

 ここからは時間との勝負だ!

 第一陣の突入が終わると今度はアリオールの部隊の番だ。

「それでは一緒に!」

「はいっ」

 フィン達“ベラトリキス部隊”は途中までは彼と一緒に行動する予定になっていた。

 アリオールの目的は大守の確保で、女戦士たちの目的はメイの救出だったのだが、なにしろ彼女が城のどこに閉じこめられているか分からない。

 そこでまず城の兵士にその場所を喋らせて、それが明らかになった時点で別れる予定だった。

 それに―――ことによったらメイは“大守と一緒”の可能性もあるのだ。最悪から二番目くらいの可能性であるが……

《そんなことになってたら……いやいや!》

 フィンは悪いことは考えないようにして、ともかく周囲のようすに神経を集中する。

 通用門を抜けるとちょっとした通廊があって、その先は城の中庭である。

 そこはこの時間でも明々と篝火で照らされていたのだが……

「妙に静かだな?」

 アリオールがつぶやいた。それはフィンも同感だった。

 この時間でもあんな大きな音がすれば、敵も出てくるはずなのだが―――寝ぼけた兵士が数名出てきて即座に始末されていただけで、後続の敵が押し寄せてくる気配もない。

 先陣の部隊もなにやら拍子抜けのようだ。なにしろこの中庭が最初の激戦地になると覚悟して来ていたのだから……

「どういうことなんでしょう?」

「分からん。それとも城の中に罠を仕掛けてあるのか?」

 それって―――計画がばれたってことか?

 メイが捕まっている以上ありえる話だが―――フィンは背筋が冷たくなってきた。

「あの、リディール様に街の方で変わったことはないか聞いてもらえますか?」

「あ、いいよ」

 ファシアーナは心話を始める。

「ん? 街のぐあいは? うん。そう。順調ってことね?」

 ニフレディルの見るところでは、街の制圧は特に大きなトラブルもなく進行中とのことだ。

《どういうことだ?》

 もし作戦がばれて罠が仕掛けられていたなら、街にだって伏兵がいてもおかしくはないのだが……

「ともかく城内に入るしかあるまい?」

「そうですね」

 そして彼らは慎重に城内に突入する。

 だが―――城内にも伏兵はいなかった。その代わりに……

「あ? なんだ? あれは……」

 玄関ホール脇の柱にもたれて、警備兵が座りこんでいるのだ。見るとあちらこちらにそんな人影があるが……

 兵士達が近づくと―――その男はぐっすりと眠っていた。

 一行は顔を見合わせる。

 味方の兵士が剣を抜いて近づいてつついてみるが、男は起きない。

 そこで二~三発張り倒してみるが―――薄目を開けて怒ったような顔をしたが、そのままこてっと寝てしまった。

「どうやら薬を盛られているようですが……」

「薬……だと?」

 わけが分からない。一体どういうことなのだ?

 だが何はともあれこれで玄関ホールはクリアできたということだ。ここも激戦があると想定された場所だったのだが……

 ただ一つ問題は、これではメイの居場所を聞き出せない。

「手はずは分かっているな? 我々は大守を確保しに行く!」

 一同がうなずくと、それぞれの分担に従って散っていく。

 フィン達はしかたなくアリオールについていった。

 ―――状況は他のフロアでもおおむね同様だった。兵士達はぐっすり眠っているか、起きていても寝ぼけていて簡単にふんじばることができた。

 そしてそういった者にメイの居場所を聞いても、そいつらはそもそもメイとかコルネとかいった名前すら知らなかった。

《どうなってるんだ?》

 こうなったら最後は大守自身に訊くしかないが……

 そして彼らがかつてのレイモン王の居住区画に差しかかったときだった。


「ひゃああああっ! ちょと待ったーーっ!」


 遠くから絹を裂くような女の叫びが聞こえてきたのだ。それは間違いなく……

「メイちゃん!」「メイだっ!」

 女戦士たちの目の色が変わる。


「うわーっ! そんなもん、出さないでーっ」


 はあ? いったい誰が何を出そうとしているのだ⁇

「あっちね!」

 リモンを先頭に女たちが声のした方に向かってばらばらと駆け出していく。

「では私達はこれで‼」

 フィンもそう言って後を追ったのだが―――なぜかアリオール達も一緒についてくる。

「どうしたんです?」

 彼らは大守を確保しに行くのが目的のはずだが?

「この先が王の間だ!」

「え?」

 ということは―――メイは大守と一緒? ということは……

 大守がメイに対してナニかを出そうとしているのかっ?


「ゆ・る・さ・ないっ!」「やっつけるっ!」


 激高したリモンとサフィーナを先頭に、一同は王の間に突入していった。



 城に連行される馬車の中で、メイはまさに生きた心地がしなかった。

《ど、ど、ど、ど、どうしよう?》

 なぜ彼女が捕まったかというならば、間違いなく正体がバレたからに違いない。では彼女はどうすればいい?

《えーっと、こういう場合どうすれば……って!》


 やっぱり死ぬのか? 死ぬしかないのかーっ⁈


 城に連れていかれたら何をされると思う?

 もちろん地下の拷問部屋に連れていかれて、壁に鎖で縛られて鞭で打たれたりとか、逆さまに水の中に出し入れされたりとか、親指をネジで締めあげられたりとか、焼けた針で爪の間を刺されたりとかされてしまうのだろうか?

《いや、あたし女だからもっとヤなことされる?》

 そういえばリエカさんが昔の女用の拷問の話、してたけど―――三角の木馬に乗せられたり、おっきなトゲトゲのものを突っ込まれたり、裸に剥かれてヤツメウナギだらけの水槽に入れられたり、おっぱいを縛って天井から吊されたりとか―――あ、それならあたしはだいじょうぶだけど―――じゃなくってーーーーっ!

 ともかくちょっと落ちついて考えてみなければ。そもそも拷問とは彼女から何かを聞き出そうとするために行うわけで、でも……

《えっと、あれ?》

 そう思ってメイは考えこんだ。

 敵はメイの正体に感づいたから捕まえたわけで、彼女が大皇后一派だということは知っていることになる。その上で聞き出そうとすることといったら……

《うげげげげーっ! それって作戦のことよねーーーっ!》

 相手はアキーラ奪回作戦の情報を掴んだが、詳細が分からないのでメイから聞き出そうとしているのだ‼

 まさにそれだけは避けなければならない!

 だがしかし―――もし前述のような拷問を受けて、黙りとおす自信はあるだろうか?

 ………………

 …………

 ……

《無理ーっ‼‼‼‼‼ そんなの絶対無理ーーーーーーーっ‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼》

 メイは目の前が真っ暗になった。

 どうやらそうなる前にあまり痛くない方法で死ぬしかなさそうだ。

《死ぬしか?》

 そう思ったとたんに体の力ががっくり抜ける。

 たしか都に来る前に遺書を書いてきたような気もするが―――でも実際にそうしなければならないとなったら……

「おい、どうした? 気分でも悪いのか?」

 隣に座っていた兵士がなにやら心配そうに声をかけてくる。

「いやー、だいじょぶですー」

 あまりだいじょうぶではなかったが―――そこでメイは少し不思議に思った。

 考えてみたら兵士は少々強引ではあったが、乱暴というわけではなかった。

 手を引っ掴まれて馬車に押し込められはしたが、別に縛られたりはしていないし……

 それにこの馬車は……

《結構いい馬車なんじゃない?》

 落ちついて見てみたらシートは上等で揺れも少ないし、内装もすごく立派だ。

 レイモンは草原の国なので馬車も発達している。この形式の馬車は初めて見るが、相当の高級品なのは間違いない。

《王侯クラスの馬車じゃない? もしかして……》

 とすると―――反逆者をそんな馬車で移送するものなのだろうか?

 そう思ってメイは首をふる。

《いやいやいやいやーっ! 絶対油断させようとしてるでしょ? これって!》

 やはり死ぬしかない!

 そのために一番良さそうなのは高いところから身投げすることだが―――今は馬車の中だ。

 頭から飛びだして地面に突っこんだら死ねるかもしれないが―――窓は小さくて十文字の窓枠が入っている。メイでも抜けられる大きさではない。

 舌を噛んで死ぬというのは―――意外に確実性が低いというし……

 隣の剣士の剣を盗むとか―――もう話にもならないし……

《だとすると?》

 もしかしてこれって手詰まり?

 少なくとも今ここでどうすることもできなさそうなのだが……

 などということをぐるぐる考えているうちに、馬車は城門を過ぎてアキーラ城内に入ってしまった。

《うわあ……逃げだすチャンスが……》

 おしっこ漏れそうとか言って止めればよかったか? いや、そんなことしたって彼女の足では逃げ切れそうもないし……

 こうして馬車は城の正門前に到着した。

「よし、出ろ」

「はいーっ」

 恐る恐る馬車の外に足を踏み出すと……

「コルネ殿、お待ちしておりました」

 そこで出迎えたのは……

《げげっ! この人ってフランコって人じゃない?》

 大守グスタールの腹心で、ルンゴの処刑のときにやってきた人だが―――あ、そういえばこのあいだの夜、大守と一緒にいたのもこの人だったっけ?

「えと、あのー……」

 フランコは彼女を上から下までじろっと眺めると……

「ああ、ちょっとその格好ではまずいな。着替えを用意しろ」

 と、近くにいた部下の兵士に命令する。

《着替えって……囚人服?》

 想像は悪い方へ悪い方へと転がっていく。

 だが、彼女が連れていかれたのは地下牢などではなく、ごく普通の従者の間で、そこで着せられたのはアキーラ城の侍女の制服であった。

 それから彼女はフランコに先導されて、王の間に連れていかれた。

《ど、どうするつもり?》

 まさか彼女を侍女にするというわけではないだろうが―――もちろんやれと言われれば完璧にこなす自信はあるが、大守が素性もしれない者を侍女にするなどあり得ない……

《え?》

 そのとき彼女の脳裏に別な可能性が浮かんだ。

《もしかして……側女にしようとか?》

 いや、さすがにそれはないわよね⁈ 自分なんかあのイルドが洟もひっかけないような発育不良だしっ!―――それは普段ならコンプレックスの根源だったが、今はまさに心強い事実‼ なのだが……

《えっと……でもそういえば……》

 そのときメイの脳裏にかつて心の闇の奥底に葬ったはずの、とある忌まわしい記憶が蘇ってきた。

《あたしのこと……“逸材”だとか抜かしてくれてたわよねえ……あの小娘は……》

 ………………

 …………

 とある必然性があってハビタルの三大遊郭の一つ、アンゲルッススに行ったときのことだ。そこで出会った小娘カロたんに新入りと勘違いされて言いふらされた事があったのだが……

《えーっと……それってあたし、入ったらあそこでやってけたってことかな?》

 ………………

 …………

 ……

 ぶーっ!

 脳がそういう思考を完全拒否していたから今まで思い至らなかったのだが―――世の中には年端もいかない子供が好きな変態野郎がいるというが……

 もしかして彼女はそういった連中にとっての理想の体型だったりするのでは?


《ま・さ・か、あの大守って、そういう趣味⁉》


 考えてみればあのときメイを見て妙ににこにこしていたし、年齢を確認していたりしていたが……

《うひゃあ……!》

 そんなことになったら……

 そんなことになったら……

 いや、それって―――今までの想像よりはまだマシな事態ではないのか?

 彼女はちょっと安心したが……

《うげげげげーっ!》

 正直あーいうおっさんは趣味ではないのだ。初めてはやはりできれば若くてカッコいい人の方が良くって―――などと思った瞬間、久方ぶりにあの“リ”のつく奴の顔がフラッシュバックしてしまう。

《ぎゃああああああ!》

 彼女のファーストキスはペペちゃんとだし! って―――いやいや、それって何? それじゃあたしがやっぱりそういう子ってことになっちゃわない?

 などとメイはしばらく錯乱していたが……

《でも……ここで我慢さえしておけば……》

 そうなのだ。数日の間さえ我慢しておけばアキーラ解放作戦が行われるのだ。そうすれば彼女も同時に解放されるわけで……

《でも……我慢するって……》

 実はあの頃と違って現在のメイは已むに已まれぬ事情により、そそり立った男のモノとか、それがどこぞに出入りしている様とかをわりとよく目にしていたのであった。

《あんなのが……入ってくるの⁉》

 いや、フィンと比べたらあの大守は一回り以上体が大きいのだが?

 ということは―――それに比例してもっと大きな……⁉

 ………………

 …………

 ……

 ぎゃああああああ!

 ダメ! ダメ! やっぱダメ! そんなの、本当に壊れちゃうから!

 メイは気が遠くなってきた。

《うー……やっぱどうにかして死ぬこと考えた方がいいかな?》

 でも……

 でも……

 やっぱまだ死にたくない!

 それに―――誰だっけ? 出てくる赤ちゃんに比べたらどんなに大きなモノだって爪楊枝みたいな物よって―――えっと村の誰かだったっけ?

 それを思いだしたらちょっとだけ気持ちが軽くなるが……

《でも……作戦って深夜よね?》

 その時間だと―――ちょうど大守にあんなことやこんなことをされてる時間帯なのでは?

 だったらこの娘を殺すぞって人質にされたりして―――二人とも全裸で……

《うわーっ! それも嫌だなあ……》

 ―――などとメイはガクブル状態で王の間に通されたのであった。

 その部屋はまさにレイモン王が住んでいたと思われる部屋だった。

 あの国の王らしく質実剛健で過度の装飾はないが、例えばテーブルは大きな木から取った磨き抜かれた一枚板で、その塗り一つにしても見事な職人が作った物だということが見てとれる。

「おう、よく来たな。コルネ」

 その向こうに大守グスタールがにこにこしながら座っていた。

「あ、あのー……」

「そう固くなるな。そこに座れ」

「はあ……」

 メイはおずおずとそばの椅子に座ったが、そのクッションも王の調度にふさわしい最高の柔らかさだ。

「きょう来てもらったのは他でもない」

 メイは緊張した。ここで彼女の運命が決まるのだ!

 これから地下牢で拷問されるのか?

 それとも夜な夜な体を弄ばれるのか?

「ちょっとわしの食事を作ってほしいのだよ」

 ………………

 …………

 ……

「はあ?」

 まさに拍子抜けだった。

 メイがぽかんとしていると、グスタールがフランコに目配せする。フランコはうなずいて、部屋の隅にあったテーブルから食事の盆を持って戻ってきた。

「それをどう思う?」

「はい?」

 メイは出された食事を見た。ステーキのようだが―――火加減が強すぎたのか、表面は黒焦げなのに中は完全な生なのだ。レアのつもりなら脂が溶けるくらいに暖まってないとまずいのに……

 それにステーキにかかっているソースもなんか変だ。

「ちょっと舐めていいですか?」

「ああ」

 そこでメイはそれをちょっと味わってみたが……

《あちゃー! なにこれ?》

 サワーソースのようなものがかかっていたのだが、なんかスパイスの配分がおかしくて、変に酸っぱい。まあ一応食べられなくもないが―――作ったのがプロの料理人なら即座にクビといった代物なのだが……

「あのー……なんですか? これは……前は……」

 もっと美味しかったのに、と言いそうになってメイはあわてて口を閉じる。

「ん? 前はどうした?」

「いやー、前にお城の料理ってすごいんだぞーって聞いたものですからー」

 それを聞いたグスタールは鼻を鳴らす。

「普通はそうだがな。あの女ども、料理人が寝込んでしまったからこれしか作れんとかほざくのだ!」

 メイは一瞬納得したが……

《でもこのあいだ頂いたときは、そうじゃなかった気がするんだけど……》

 大皇后一行は来る途中ここにしばらく滞在したのだが、そのときはさすが元レイモン王国の都、最高級の肉に見事な業前だと感嘆したものだ。何だかんだで厨房訪問をしている余裕がなかったのがたいへん残念だったのだが……

《でもそういえば、田舎の料理がお口に合うかどうかとか、変に気にしてたっけ?》

 そこでみんなで料理を褒めたら、大守はすごく安堵してたような……

 そのときは相手が都の大皇后だから恐縮しているのかと思っただけだったが……

「そんなわけでお前にわしの料理を作ってもらいたいのだ」

「い、いや、でも私はしがない酒場の料理人でしてー、大守様のお料理なんてとてもとてもー」

「何を言う? あの一品は絶品だったではないか? 肉の焼き加減もそうだし、あのカレーラ風ソースも舌の上でとろけながら、香ばしいナッツの香りがふわっと広がって……付け合わせだってまさに吟味されておった。そんなゴミを食わされるくらいなら、酒場メニューの方がましだろうが!」

 大守はまずい料理をよっぽど腹に据えかねているらしい。

「えっとでもー」

「厨房の女どもにはもう言ってある。お前の邪魔をしないようにとな。人も食材も好きに使っていいからな」

「あのでもー」

「ああ、それから給金もはずむぞ。月に金貨五枚でどうだ?」

 ひええええ! それって普通の人の五倍くらいの月収では? 一年やったら酒場が開けてしまうではないか……

「は、はあ……そこまでおっしゃられるなら……」

 決して金に目がくらんだわけではないが、どうもこの大守は本気で彼女を料理人にしようとしているようだ。だとすれば―――ともかくここは話に乗っておくしかない。

「よしよし。それじゃコルネ殿を厨房に案内しろ」

「承知しました」

 メイはそのままフランコに連れられて厨房に向かった。

 厨房ではすでに料理人達が待ちかまえていた。

 みんなメイより年配の、見るからに熟練していそうな女たちだ。

「これがここの料理人だ」

「はあ……」

「それじゃ仲良くな。それと、料理は私の分も頼むぞ」

「はあ……」

 戻っていくフランコの背中にぺこぺこお辞儀をしてからふり返ると……

《ひええええええ!》

 女たちの目にはまごうことのない敵意が浮かんでいる―――というより、これはもう殺意と言った方がいいのでは? 一瞬でも気を抜いたら刺されてしまいそうな、そんな殺伐とした雰囲気なのだが……

「あの、どもー。わたし、コルネといいますー」

「………………」

 女たちは冷たい目でメイをにらんだまま、挨拶を返そうともしない。

 しかしそれは逆にメイの中である確信を育てていた。

《ってことはこれって……》

 そこで彼女は女たちに言った。

「あのー、厨房を見せていただいていいですかー?」

 料理長とおぼしき女性が黙ってうなずく。

 そこでメイは中を見て回る。

《やっぱこれって……》

 広い厨房は清潔で掃除も行きとどいており、鍋や調理道具の管理も文句ない。包丁はきれいに研ぎ澄まされている。

「あのー、食材の倉庫も見せて頂いていいですかー?」

 先ほどの女性がうなずくとついてこいと仕草で示す。

 メイが彼女について食材倉庫に来ると、そこもきちんと整頓されている。各種食材についても、肉や野菜は新鮮だし、スパイスなどもきっちり分類されて棚に収められている。

 そこでメイは彼女に言った。

「あの、料理長さんですよね?」

「だったら?」

「わざとあんな料理を作ってたんですよね?」

 料理長の顔が一瞬険しくなる。

「そんなことありません。シェフがいなくなって私達だけでは……」

 だが彼女の目は泳いでいる。絶対に根は正直な人に違いない。

「いや、でも美味しかったじゃないですか。大皇后様の晩餐に出してもらったのなんか特に」

「え?」

 料理長が驚いてメイの顔を見る。

「あれってバシリカの宮廷料理だったんじゃ? オードブルのマリネからして、おおっときましたよ? あれに使ってたオイルはただ物じゃありませんよね?」

「………………」

「それに次に出てきた川マスのムニエル、表面がぱりっと、中がふわっと、あんな風に焼くのは難しいですよねえ。身が崩れやすくって。それにかかってたほのかなチーズ風味のクリームソースですが……」

 と、メイは晩餐で出された料理を順番に品評しはじめた。

 聞いていた料理長の目の色が変わる。

「ちょっと、あんたいったい……」

 メイはにっこり笑った。

「私、本名はメイといいまして、あそこで一緒にお料理を頂いてたんです」

 料理長の目が丸くなった。

「メイ? まさか……メイ書記官様ですか?」

「いや、“様”はいりませんから。あはは。あと一応“秘書官”ですので」

 料理長はしばらく驚愕の眼差しでメイを見つめていた。

「それで、そのあなたがどうして……」

「いや、それがどうもこうも。三番小路のポプラ亭ってところでアルバイトしてたら、大守に連れてこられてしまって……あ、私、元々ガルサ・ブランカ城の厨房に勤めてたんですが……」

 メイは料理長に手短にこれまでのことを説明した。

 開いた口の塞がらない彼女にメイは言った。

「……そういうわけなんで、ちょっと協力してもらえませんか?」

「協力って、いったい何を……」

「とりあえずは三日ほど、私が大守に料理を作るのを邪魔しないでもらえばそれでいいんですが……」

「三日? どういうことです?」

「まあ、詳しくは言えないんですが、ちょっとおもしろいことが起こるかもと……」

 料理長は一瞬ぽかんとしていたが、やがてはっとした表情になるとうなずいた。

「分かりました。そういうことなら……」

 メイはほっと胸をなでおろした。

 要するに彼女たちは意識的にサボタージュを行っていたのだ。ならば彼女たちは間違いなくメイの味方であって、もはや当面はなんの心配もない状況だったのだ。

 だとすればあとは……

「あー、それと私が勤めてたポプラ亭ってどうなったか分かりませんかねえ?」

「それなら出入りの商人に聞くことはできますよ」

「ああ、でしたらお願いできますか?」

「わかりました」

 このことをどうにかして仲間に伝えなければ! なにしろみんな彼女の正体がバレたから捕まったと信じているに違いない。実際さっきまでは彼女もそう思っていたわけで―――そうなれば計画の詳細が漏れたと考えて、今度の作戦を中止してしまうかもしれないのだ。

 だがそんなことになったら、まさにすべての苦労が水の泡だ。

《ともかくそれだけは何とかして伝えなきゃ……》

 ところが……

 ………………

 その晩、料理長のゼーレさんが暗い顔で報告するには、ポプラ亭にはしばらく休業するという張り紙があって、閉まっていて中には誰もいなかったという。

《げーっ!》

 考えたら当然だった。メイの正体がバレたのなら、仲間が疑われるのは当然である。のこのこと居残っているはずがない。

《……ってことは?》

 アイオラがいなくなったらメイにはまったくコネがない。消防団の人たちの居場所は分かるが、彼女たちもポプラ亭が連絡場所になっていて、直接中央のアリオールに接触する手段がないのだ。

 ポプラ亭がなくなってしまったらメイは孤立無援なのである。

《でもとりあえず消防団の人に伝えておく?》

 だがすでに根回しは終わっており、もうよけいな接触はしないということになっている。アイオラなどが彼女たちにメイの消息を尋ねに行くとは思えないし……

《うげーっ!》

 これってまたもや詰んでいるのか?

 メイの正体がバレていないということは、何とかして中央に伝えなければならないのだが、その手段が全然ないわけで……

 だがそのときふっとメイの頭にある思いがよぎる。

《あれ? でももしあたしが大皇后の一味だって知ってて捕まえに来たのなら、他のみんなも一緒に捕まえてるわよねえ……》

 もちろん大守の意図がこれだったから他の者には目もくれなかったわけだが……

 ということは?

《えーっと……それってフィーネさんとかもきっと不思議に思うわよね?……だとしたら、もしかして、私が別件で捕まったんじゃって思うんじゃないかしら?》

 別件―――さすがに料理を作れと言われたとは思わないだろうが、まあ他にもいろいろ理由はあり得るのだ。実際それで自身も先ほどまでガクブルしていたわけで……

《ともかくバレて捕まったんじゃないんだって考えれば、作戦は決行するわよね?》

 そうなのだ! もし誰かがそう考えてくれたら、メイは危険を冒して今の状況を伝えようとしなくてもいいのだ。

《フィーネさんだったらきっと気づいてくれるわよね?》

 あの人ならそういうところは信用できる!―――ような気がする。

 だとすれば?

 そう。もう何もすることはない。作戦決行までただ大人しくしていればいい!

 ―――のではあるのだが……

《でもそうしたら、お城の中が大変なことになっちゃうのよねえ……》

 メイはこの作戦立案からずっと関わってきた。そのため城の中には内応者がおらず、最後のアキーラ城突入はまさに力業になるということも知っていた。

 城内のアロザール兵はやはり田舎にいた奴らとはひと味違って、すごく屈強そうに見える。戦いは激戦になるだろう。

 それは味方の兵士達だけでなく、いま協力してくれている厨房の人たちなどにも被害が及ぶ可能性があることを示している。

《どうしよう?》

 もちろん余計な無理をすることはないのだが―――でも今の彼女の立場を利用すれば、酒にも食事にもまさに“盛り放題”なのだ。



 かくして時機は到来したのだが……

「うふふふふっ!」

 王の間のみごとなテーブルの上にサンドイッチの皿を並べながら、メイは思わず含み笑いをこぼしていた。

 まさに完璧だ!

 なにしろ彼女たちは城内の食事すべてをまかなっているのだ。誰がいつどこで飲み食いするかはみんな把握している。

 ならば即効性と遅効性の眠り薬を使い分けて、作戦の時間帯に全員じっくり寝ていてもらうように仕向けることも難しくない。

 その結果、城内はまさに沈黙しているのだっ!

《うふっ! こんなに上手くいくなんて

 あとはもう“お客様”をお待ちするだけなのである。

 ―――そのとき控えの間からゼーレさんが追加のサンドイッチを運んできた。

「メイさん。これで最後ですよ」

「あ、ありがとうございます。城内のようすはどうでした?」

「見たところみんな寝ているようですが……」

 その口ぶりはかなり心配そうだ。

「だいじょうぶですよ。きっと来ます。信じて待ってて下さい」

「はい……」

 彼女が不安なのは無理もない。

 もし計画が実行されなければ彼女たちが薬を盛ったことがばれてしまう。そうなったらもちろんただでは済まないのだが……

《ま、それだったらトンズラしちゃえばいいだけで……》

 門番だって寝ているはずだから、その間にみんなで逃げてしまえばいいのだ。

 とはいえ正直そんな事態にはなって欲しくない。そうなれば間違いなく、こんな工作を行う勢力があることが相手にバレてしまって、その後の行動が非常にやりにくくなることを意味しているからだ。

 だがメイは作戦が実行されることをほぼ確信していた。

 まず絶対にフィンか誰かが別件で拉致されたことに気づいてくれるだろうし、そもそも作戦の中止そのものがすごく難しいのだ。

 なにしろアキーラ奪回に呼応して、レイモン各地での蜂起も平行して行われることになっているのだ。

 その中止を伝えるには時間ががかる。そのうえ連絡が行き届かなくて部分的な蜂起が行われてしまったら、相手も何が起こっているか気づくだろう。

 そうしたら次の機会など来ないかもしれないのだ。

《アリオール様だったら罠だったなら食い破ってやる! とか言ってそうだし……》

 今のレイモン兵はまさに死にものぐるいなのだ。中途半端な罠なら実際にそうなってしまうだろうし―――そんなことを考えながらメイが皿を並べていると……


 バァァァァーン!


 いきなり裏手の方から何かすごい音が聞こえてきたのだ。

《キターーーーーーッ!》

 この音は間違いなく通用門の方からだ!

「なんですか? あれは……」

 ゼーレさんが青い顔で尋ねる。

「みなさんが来た音ですよ! 間違いなく!」

 やっぱり彼女が別件で捕まったと推測してくれたのだ!

 だとすれば……

「うわーっ! 並べるの手伝ってくださいーっ!」

「あ、わかりました!」

 目の前には追加分のサンドイッチが山なしているが、せっかくなら来るまでにきれいに盛りつけて花なんかも飾っておきたいものだ。

 これを発案したのは料理人の一人で、メイも楽しそうだから賛成したのだが、実際しんとした城内でただ待っていたら手持ちぶさただったのは間違いない。

 もちろんこれはやってくるアリオール達へのささやかなねぎらいだ。

 彼らの目標は大守の確保だからこの部屋に来るのは間違いない。また彼らは戦闘態勢で来るわけだから、そういう格好でも食べやすい物でなければならない。

 そこでこのような仕儀になったのだが……

《でもただのサンドイッチじゃないんだからね! ふふっ

 トップクラスの腕をもった宮廷料理人が丹精をこめて作った最高級サーロインのサンドイッチなんて、そう滅多に食べられるものではないのだ。

 並べながらもその香ばしい香りにお腹が鳴ってきそうだ。

 だいたいを盛りつけ終わったところでメイは思いついた。

「あ、そうだ。それからお酒もいいの持ってきてもらえますか? もう秘蔵の奴をばんばんと」

 どうせなら祝杯もあげてしまおう!

「はい。わかりましたわ」

 ゼーレさんがにっこり笑って控えに戻っていく。

 と、そのときだった。


 ばたーん!


 大きな音と共に王の間の扉が開かれたのだ。

《あっ! 来たっ!》

 でもこれってちょっと来るのが早すぎないか? あ、でも城内で戦う必要がないから、予定より早く来られるのか?―――そう思ってメイが顔を上げると……

「大守様っ! 一大事です!」

 入ってきたアロザール兵とぴたり目が合ってしまったのだった。

 ………………

 …………

 ……

 二人はしばらく呆気にとられて見つめあうが……

「いったい何をしている?」

 うわーっ! どうしてあなた起きてるんですか?―――などと尋ねるわけにはいかない!

 ここは何とかして誤魔化さねば……

「え? いえ、見ての通りパーティーの準備ですがー」

「なんでこんな時間に?」

「いやー、そういう風に命令されたからですがー」

「命令? 誰に?」

「だから大守様ですがー」

「大守様はどちらに?」

「奥でお休みですがー」

「ともかくお知らせせねばならないことがある!」

 兵士はつかつかと奥の寝所に向かって行く。

《やばっ!》

 そちらにも寝ている警備兵や侍従がいるわけで、見られたら間違いなく怪しまれる!

 だが、メイにはそれを止める術がなかった。

「あーっ、そっちは……」

 メイは思わず叫んだが……

「なんだ?」

 兵士はちらっとふり返っただけで、そのまま奥の間の扉を開く。

 するとその先には太った侍従が床の上に伸びていた。重たくてメイ達には片づけられなかった奴だが……

 兵士はぴくっと固まり、次いで怖い顔でメイの方にふり返った。

「おい! どういうことだ!」

「えっと……どういうことって? なにがでしょー?」

「と・ぼ・けるな! 変な音で目がさめたら城中の者が寝ているので、不思議に思って報告に来たら……」

「えーっ! そうなんですかー? それはたいへんだー!」

 とにかくひたすらここは誤魔化さねばーっ!―――だが兵隊はぎろりとメイをにらんだ。

「おい?」

「なんでしょー?」

「おまえはどうして起きている?」

 あははははっ!

「え? どうしてって、お料理してただけですけどー」

「料理? そういえば……寝過ごして晩飯を食いそこねたが……」

 あーっ! それで起きてたわけね?―――などと、ささやかな謎は解けたのだが……

 兵士はさらに恐ろしい顔でメイをにらんだ。


「それじゃ……やったのは貴様かーっ!」


 ひえええええ!

 ある程度の知能がある奴ならこういう結論になるのであった。

「違いますってー!」

「何が違うっ! おまえ以外に誰が城中に薬を盛れるんだーっ‼」

 正しく推論して怒り狂った兵士がメイに詰めよってきた。

「ひゃああああっ! ちょと待ったーーっ!」

 彼女は慌ててテーブルの反対側に逃げるが―――兵士はすらりと剣を抜いて追ってくる。

「うわーっ! そんなもん、出さないでーっ」

 テーブルの回りで追いかけっこが始まるが、もちろん相手の方が足は速い。

《ひええええええ!》

 ってか、夕食を食いっぱぐれるとか、どっかでサボって寝てたんだろーっ!

「えーい! ちょろちょろとっ!」

「そんなー! だから違うんですってーっ!」

「とぼけるなーっ!」

 兵士が剣を振りかぶる。

《ひええええええ!》

 なんかもう死んだっ!―――そう思った瞬間だ。


 びぃん!


 という音とともに……

「うがっ!」

 兵士がいきなりのけぞって動きを止めたのだ。

《え?》

 見るとその背中に―――矢が刺さっている!

 同時に開きっぱなしの王の間の入り口から、誰かがばらばらっと駆けこんでくる姿が目に入る。

《あ・れ・って……リモン⁈》

 見違えるはずがない!

 薙刀を振りかぶり先陣を切って突進してくる金髪の女性といえば―――もちろんリモンだ!

 メイは兵士の後ろを指さして大声で叫んだ。

「あーっ!」

 それで兵士が思わずふり返った瞬間だ。


 ざくっ!


 リモン手練の左袈裟に、男は即座に絶命していた。

 その隙にメイを守るように剣を手にして立ち塞がっていたのが―――サフィーナだ!

「メイ! だいじょうぶ?」

「え⁈……どうしてあなたが……」

「助けにきたの」

「え? でも予定じゃあ……」

 そもそもここに来るのはアウラとファシアーナとフィンの三人のはずだが……

「なに言ってるの。あなたを助けに来たんじゃないの」

 リモンがメイを抱きしめる。

「本当に無事でよかった……」

 見れば彼女たちだけでなく、他にもシャアラやマジャーラ、それにマウーナの姿もある。

「それじゃその矢はマウーナが?」

 メイが倒れた兵士の背に刺さった矢を指さすと彼女は胸を張る。

「あったりまえよ。こんな距離で外すわけないじゃない!」

「ありがとう!」

 そこに他の仲間も駆けよってくる。

「だいじょうぶ? メイ!」

「ひどいことされなかったか?」

 メイは状況を理解した。彼女がさらわれたから、救出のためにみんなで来てくれたのだ!

「そうだったんですかあ! ありがとうございますぅ!」

 嬉しくって嬉しくって、なんだか視界がにじんでくる。

「よかったなあ、何か元気そうで」

「ファシアーナ様!」

 大魔法使いの顔にも安堵の笑みが浮かんでいる。

 その横に同様にほっとした顔のフィンとアウラがいる。

「メイ!」

「アウラ様に、フィーネさんも……」

 それを聞いてフィンがため息をつく。

「だからもうその名前はやめてくれないか?」

「あ、そうですね。あははは!」

 そこに人々をかき分けて出てきたのがアリオールだ。

「メイ殿! 本当にご無事で良かった……」

「いやあ、本当にお早いお着きで助かりましたあ」

 メイは涙を拭きながら答える。

 だがそこでアリオールは不思議そうにあたりを見回しながら尋ねた。

「しかし……これはどういうことなんだ? 大守はどうしている?」

「大守様なら奥で寝てると思いますが」

 一同は不思議そうに顔を見合わせる。

「で、これは?」

 アリオールがテーブルの上に積まれたサンドイッチを指さすと……

「あはは。皆さん、お疲れになってるんじゃないかと思って。あ、これには薬は入ってませんから」

 それを聞いて一行はおおまかな事情は察したようだ。

「では、君が城の兵士達に薬を盛ったというのか?」

「まあ、私だけでなく、厨房のみんなも協力してくれたんですけど」

「いったいどうしてそんなことができた?」

 どうやらみんな彼女が捕まった真の理由はまだ知らないらしい。

 メイはにっこり笑った。

「それがですねえ、実は捕まってお料理を作らされてたんですよ。なんでもお城の料理がまずいとかで」

「な?」

 一同がなぜか硬直する。

「どうしてまた……」

「それがですねえ……あ、ゼーレさん達も、もう大丈夫ですよ。出てきても」

 それとともに控えの間からエプロンを着けた厨房の女たちが何人か現れた。

 扉の陰からこちらを見守る何人もの視線に、先ほどからメイは気づいていたのだ。

「あ、この方々が、アキーラ城の料理人のみなさんなんですが……」

 女たちが頭を下げる。

「なんでもあいつらにすごくムカついたからって、ゲロまずな料理を出してたそうなんですよ。男の料理人がいなくなったから、こんなのしかできないとか言って

 ………………

 …………

 ……

 場に妙な沈黙がおとずれた。

「あの? どうしたんですか?」

 そのときの彼ら全員の脳裏には、勝ちほこるアルエッタの姿がまざまざと浮かんでいた―――などということはもちろんメイには知るよしもなかった。



 翌朝、人々はアキーラ城の上に、かつては仇敵同士だったレイモン王国と白銀の都の国旗が並び掲げられる様を目撃した。

 続いて開かれた東門からフォレス王家の馬車に先導されて、大皇家の紋章が入った漆黒の馬車がしずしずと入場してくる。

 まさに大いなる変化を象徴するその出来事に人々は熱狂したが―――アキーラの前大守グスタールはまだ眠っていたので、残念ながらその歴史的瞬間に立ち会うことはできなかった。