第2章 婿候補
「え? え? じゃあ……この人が?」
ルースといえば―――かつて王女の婚約者で、今はベラ首長国の国長、ロムルースしかいない!
しかも義理の関係とはいえ、アウラの従弟に当たる。
アウラはこわごわとロムルースを見る。彼は怖い顔でアウラを睨んでいる。
「あ、あははは! ごめんなさい!」
アウラは慌てて薙刀を収めた。
「いったいなんだ! この無礼な女は! エルミーラの侍従でなければ、即刻機甲馬で踏みつぶしてやるところだ!」
ロムルースは尻もちをついたまま、怒りがさめやらない様子だ。
だが王女は相変わらず笑い転げている。
「エルミーラ!」
ぶち切れ気味の声に、やっと王女は答えた。
「まあ、まだお分かりにならないの?」
「あ?」
そう問いかえされてロムルースは不思議そうに王女の顔を見上げる。
「彼女がアウラよ」
ロムルースは弾かれたようにアウラの顔を見た。
「え? では伯父上の?」
その表情は既にアウラのことは聞き知っているようだった。
「そうよ」
ロムルースは慌てて立ち上がる。アウラは何と言っていいか分からないので二人の顔を交互に見つめていた。
「ガルブレス様直伝の腕前なのよ。見たでしょ?」
ロムルースの目が丸くなった。当然彼も少しは剣の訓練を受けている。だが今の一瞬、全く為すすべもなかったのだ。
「だが……どうして兵士の服などを……」
「彼女がそうしたいって言うから。今ね、あたしをそうやって守ってくれてるの。だからとっても安心なのよ」
「……」
「ともかくここじゃ何だから、奥へどうぞ。アウラも一緒にね」
「あ、はい……」
アウラは恥ずかしさで顔から火が出そうだった。
そのまま三人は離宮に入った。
ロムルースが入ってきたのを見て、中にいたグルナが慌てて礼をする。
「あ、グルナ。大急ぎでお茶を持ってきて」
「あ、はい」
グルナが奥に入ってしまうと、王女とロムルースは部屋の中のテーブルについた。アウラは王女の後ろに控えようとするが、それを見て王女が言った。
「ちょっと。何してるのよ。こちらに座りなさいよ」
「え? でも……」
「そんな所じゃ紹介できないでしょ?」
そこでアウラは仕方なく王女の側に座る。何だかひどく居心地が悪かった。
しばらく三人は無言だったが―――またいきなり王女が吹き出した。
「笑い事じゃないぞ!」
ロムルースが怒った声で言うが、王女は笑いやめない。彼女はしばらく笑い続けてから、やっとこう言った。
「だって、前触れもなしにいきなり現れる方が悪いのよ。それにあなた、ここに入るとききちんと名乗ったの? いつでも勝手に入ってきてたけど」
ロムルースは返答ができず、真っ赤になっただけだった。
王女は更に追い打ちした。
「良かったわね。アウラに切り刻まれなくて! そうやって死にかかったバカもいるのよ」
ロムルースは青くなった。
「ミーラ!」
アウラが真っ赤な顔で叫んだ。
「だいたい、あなたが来るなんて話は聞いてなかったわ。知ってたらアウラにちゃんと言っておいたのに」
ロムルースはまだ言葉が出なかった。
「ともかくもう一度正式に紹介するわね。彼女がアウラ。ガルブレス様がお育てになっていた女の子っていうのが彼女よ」
ロムルースは黙って礼をして、それから少しふてくされたように言った。
「私がロムルースだ」
「あの……アウラです……さっきは、その……」
「いや……いい。君のような人がエルミーラの側にいれば、こっちも安心だ」
「ごめんなさい……」
赤くなってうつむくアウラを見て、ロムルースの表情が少し和らいだ。
そうやって見るとなかなか優しそうな男だ。アウラはほっとした。あんまり怒っていないようだ。
そう思った途端にアウラは急にロムルースが言ったことが気になり始めた。
「あの、一つ聞いていい?」
「なんだ?」
「機甲馬って何? 大きな馬?」
ロムルースは笑った。
「知らないのか? 結構有名だと思ってたがな」
「いえ、知らないんだけど……」
「ハビタルの中央広場に置いてある、足が六本あって、なんて言っていいのかな、大きくて黒っぽい、何かそんな格好の奴だ」
足が六本といえば虫だが、そんな大きな虫がいるのか? アウラは大きなカブトムシが町の広場にいる所を想像してみた。何となくぴんと来ない。
「それって……動くの?」
「ああ。だから重罪人を処刑するとき、本当にそれで踏んでるんだ」
いったいどういう光景だろう?
「へえ! それってミーラは見たことがあるの?」
「あるわよ。でも人が踏まれるのは見たことないけど。その下で遊んだことはあるわ」
「え? 踏まれないの?」
「普段は全然動かないのよ。だからいつも子供が遊んでたわ」
それを聞いたロムルースが言った。
「確か君はあの上に登ろうとして落ちたんだったな」
「だってすごく滑るんだもの」
それから王女とロムルースは昔話を始めた。二人ともとても楽しそうだ。
アウラはなんだか取り残されたような気分になったが、こんな楽しそうな王女を見ていると自分も嬉しくなってくる。アウラは黙って二人の話を聞いていた。
昔話に一通りの片がついた所で、王女の表情が少し真剣になった。
「それはそうと、今日はいったい何事なのです? ベラの国長様が直々にいらっしゃるなんて、よっぽどのことなんでしょうね? 昔話をするためだけじゃないでしょ?」
だがそこでまたロムルースは言葉に詰まった。
「ちょうど今お父様とお母様は視察に行かれていて晩までお戻りにならないわ。私で分かることかしら?」
「いや、その……」
再びロムルースは言葉に詰まる。
王女が不思議そうな顔をした。
彼女が疑問を持つのも当然だろう。ロムルースは国家元首である。その彼が他国の王宮を訪れているのだから、よっぽどの理由があって当然である。
だがなぜかロムルースはその理由を話しだそうとしない。
―――そのときぱたぱたと音がして、ナーザが駆け込んできた。
「これはロムルース様。今日はいったい何事なのでしょう? 先触れもなしにいらっしゃるなんて」
その様子を見ればナーザにも知らされていなかったことが明白だ。
だがロムルースはまだ黙ったままだ。ナーザも不思議そうにロムルースを見つめながら席に着く。彼女に王女が尋ねた。
「どうしたのかしら? 何か聞いてる?」
「いえ。心当たりはありませんわ」
そんな会話を聞いてもロムルースは何も話さない。
そこでついに王女が怒りだした。
「ちょっと! ルース! 黙ってないで何か言いなさいよ!」
そこでやっとロムルースは意を決した様子で顔を上げた。
「エルミーラ……だからその……君が結婚するという話を聞いて……」
「え?」「え?」「え?」
王女とアウラとナーザが三人で同時に声を上げる。
それから一瞬の沈黙の後、三人は一斉に言った。
「何寝とぼけたことを言ってるのよ!」
「ミーラ、本当? 誰と結婚するの?」
「いったいどこからその話をお聞きに?」
その剣幕に圧されて、ロムルースは再び口ごもる。
だが王女はナーザの言ったことを聞き逃してはいなかった。
「ナーザ! 今なんて言った?」
ナーザはしまったという顔をした。
「何か知ってるのね?」
ナーザはちらっとアウラの顔を見た。
「いえ、ですから……」
「じゃあ本当なのね?」
王女はナーザをにらんだ。ナーザはごまかせないと思ったのだろう。ため息をつくと答えた。
「確かにそういう話がないわけではありませんが……まだ海の物とも山の物ともつかないお話ですので……」
王女の表情が厳しくなる。
「で、どこのお方なんです? こんな私と結婚したいなどとおっしゃる方は?」
「その方がそう言っているわけではありません。あくまで可能性のお話です」
「でもその方は私“でも”いいんでしょ?」
そこにロムルースが口を挟む。
「エルミーラ! そういう言い方はやめてくれ!」
だが王女はぎろっと彼を睨みつけた。
「あなたは黙ってて! あたしはナーザに言ってるのよ!」
ロムルースはまた黙り込んだ。
「少なくとも、エルミーラ様のそういうところは気になさらないでしょうね」
「ふーん。それではその方はフォレスが欲しいのかしら?」
「まずそういうことはないでしょう」
「どうして分かるの?」
「エルミーラ様もよく知っておられる方ですから」
それを聞いて王女は目を丸くした。
フォレス王家と釣り合いがとれるだけの家柄があって、王女がよく知っていて、なおかつ権力目当てではない男? そんな男といったら……
王女はアウラの顔を見た。アウラはわけが分からない様子で、王女を見返す。
「もしかして、その……」
「ええ……ル・ウーダ様です」
今度はアウラが飛び上がった。
「ええ? 嘘でしょ!」
「だからまだ何も決まっているわけではありませんって!」
ナーザは本気で困っているようだ。
「お父様はなんて言ってるの?」
「悪くはないとお考えのようですが……」
それを聞いたアウラが凍り付いた。王女がアウラの肩を抱いてナーザを睨む。
「ちょっと! 本気?」
「ですから、私に内々に相談されただけですので……」
王女は唇を噛んだ。ナーザの言うことは事実だろう。
フィンはなかなか聡明なようだし、その人柄や家柄を考えれば、王がそういうことを考えてもおかしくはない。だが―――今の彼女にならば絶対事前に承諾を求めてくるはずだ。彼女抜きで話を進めるなんてあるはずがない!
それとも王は結局のところ彼女を信頼していないのだろうか?
そう思って王女は再び唇を噛む。
「ナーザ! お父様はまさか……」
ナーザは王女のそんな気持ちを見取って言った。
「いいえ。アイザック様にそういう無理強いをするつもりがないことは、私が保証いたします。それにアイザック様はお二人の事情もよくご存じですし」
そう言って見つめられるとアウラはまた顔が熱くなった。
「そもそもこの話を知っているのは、後はルクレティア様だけなのですが……」
それを聞いた王女は衝撃を受けた。
―――だとしたらロムルースはどこからその情報を手に入れたのだ? そちらの方が重大問題ではないのか。そんな王家の内情がベラに筒抜けになっているのか? いくら友好国同士だとはいえ、そんなことが許されていいはずがないではないか!
王女はロムルースの顔を睨むと棘のある声で尋ねる
「で、ルース。どこからこんな話を聞き込んだのかしら?」
いきなり問いつめられて、ロムルースは慌てた。
「え? 僕はてっきり、その……」
「てっきり何なの?」
「だから、都の貴族がフォレスに長いこと滞在していると聞いて……だから、その……ル・ウーダとはいったい何者なんだ?」
王女はロムルースの顔をまじまじと見つめた。
「あなた、確証があったんじゃないの?」
「いや、そういうわけでは……」
王女はしばらく絶句した。
それからいきなり吹き出すと、アウラの背中をどんと叩いた。
「アウラ! 聞いた?」
「え?」
「この人はね、勝手に勘ぐってただけよ。あたしがル・ウーダ様を取っちゃうわけないでしょ?」
「え? え?」
アウラは驚いた顔で王女を見るだけだ。
「確かに悪くはないわ。ル・ウーダ一族なら。お父様がそう言うのも当然だわ。でもあたしは嫌よ。だって彼、あなたしか見てないんだから!」
それを聞いたアウラが真っ赤になる。
それから王女は再びロムルースを睨む。
「ル・ウーダ様は冬越しのお客人です。よくお父様の碁の相手をなさっております。確かに近い将来ル・ウーダ様は結婚されるとは思いますが、そのご相手は私ではなく、こちらのアウラなんです」
「ミーラ! ちょっと! まだそう決まったわけじゃ……」
「え? どうして?」
「どうしてって……」
もちろんそうなれば嬉しいのだが、アウラはまたさっき悩んでいたことを思いだしてしまった。
王女も言い過ぎたと思ったのだろう。
「とにかく心配しないでいいのよ」
アウラは黙ってうなずく。それから王女はロムルースをじろっと見る。
「以上ですが、よろしいかしら?」
「あ、ああ……」
ロムルースが渋々うなずくのを見て、王女は更に言った。
「で、お話はこれだけかしら?」
「ああ?」
「まさか、私が結婚するかどうか聞きに来ただけってことはないでしょうね?」
ロムルースは真っ赤になった。
「だからどうした! 僕は、居ても立ってもいられなかったから……」
王女はしばらく呆然と彼を見つめると、信じられないといった様子で答える。
「そのようなこと、使者をたてるなり、書状を送れば済むことです。あなたは自分の立場をわきまえておられるのですか?」
「な、なんだと?」
「一国の元首が、こんなつまらないことに時間を潰されていて良いのですか?」
「つ、つまらないだと?」
「あなたはフォレスに高貴なお客人が来る度に、わざわざ確かめにやってくる気なの?」
「エルミーラ!」
ロムルースはテーブルをどんと叩いた。
「君が誰と結婚するかは、ベラにとっても重大な問題だ!」
「まあ、そうでしたの? なら、良いお方をご紹介願えませんこと?」
二人はテーブルを挟んでばちばちとにらみあった。
アウラは二人の言い争いをおろおろして見つめるだけだ。
「まあまあ、お二人とも、ロムルース様はこうして遠くからいらして下さったのですから」
ナーザが苦笑いしながら仲介に入る。
だが王女はつっと立ち上がると言った。
「これ以上お話がなければ、私そろそろ行かなければなりません。今日は父の代行をしなければなりませんので」
ロムルースは王女を引き留めようとした。
「エルミーラ! 君は……」
「なんでしょう?」
見事なまでに他人行儀な笑顔だ。
「……」
「それじゃアウラ。行くわよ」
「え? でも……」
「午後の謁見の準備をしないと。それではロムルース様。どうかごゆっくりしていらして下さい」
王女はそのまま振り返りもせずに外に出ていった。アウラも慌てて後を追う。
アウラは王女に追いつくと尋ねた。
「本当に放っておいていいの?」
「いいのよ……もう」
王女は遠くを見つめながら答えた。
―――という調子で時ならぬ来訪者に城の中は大混乱になっていたのだが、フィンは自室でぐうぐうと寝ていたのでそんな騒ぎには全く気づかなかった。
目覚めるともう夕方だった。
《うわ! 寝過ぎたか?》
窓から夕日が射しこんでいる。なんだかまた一日損してしまった気分だ。
フィンは慌てて起きあがると服装の乱れを直してから部屋付きの女官を呼んだ。夕食はまた自室で取る旨を伝えようと思ったのだ。
最初の頃こそフィンは王の一家と共に夕食を取ることも多かった―――だがそこは王の一家の数少ない団欒の場なのだ。
しかも当然その場には警護のためにアウラが後方に控えている。そうなればもちろん彼女はフィンの方をじろじろと睨むのだ。そんな状況では気になって食事の味も堪能できなかったからだ。
そのためフィンはだんだんと適当な理由をつけて別に食事することが多くなっていった。
実際ナーザなども同様だったので、それで特に角が立つというようなこともなく、今では祝日その他の特別な機会以外は別に食べることが普通になっていた。
この日もフィンはそのつもりだったのだ。ところが呼び出された女官は答えた。
「え? ル・ウーダ様、今日はご会食に参加なされるのでは?」
「会食? だってアイザック様は外出だろ?」
「先ほどお戻りになられました」
「ええ? でも、あれ? 何か行事があったっけ? 今日?」
「ロムルース様が来城なされてますのに、ル・ウーダ様の席も準備しておりますが」
「えええええ⁈」
それはフィンにとっては青天の霹靂だった。
「ロムルース様って、あの、ベラの?」
「はい」
いったい何なんだ? そんな話は全く聞いていないが。こんな重要な話を今まで秘密にしておくというのはちょっとどうだろう?
「会食は何時からだ?」
「七時からです」
七時? 今からだとあと一時間ぐらいだ。まあ、身支度を整えるには十分ではあるが、いかんせん心の準備という物がある。何しろ相手はベラの国長なのだ。
フィンは少し怒ってその女官に食ってかかった。
「ど、どうしてもっと早く教えてくれなかったんだ!」
彼女はひどく済まなそうな表情で答える。
「それが……私どもにも知らされていなかったんです。今日の午後いきなり来られて、皆お迎えの準備でてんてこ舞いなんです」
「はああ?」
いったいどういう事だ? 先触れもなしに国家元首が来訪するなんてことがあり得るのか?
ともかくこの女官に当たっても可哀想なだけだろう。
「で、七時で、場所は?」
フィンは怒りを抑えて、なるべく冷静に言った。
「糸杉の間です」
「わかった。ありがとう」
フィンは女官を解放してやると、しばらく何が起こっているのか考えようとした。
だがいくら考えてもさっぱり分からない。
普通に考えればこれはとてつもない大事件だ。だがそれほどの事が起こっているとしたら、何らかの前兆はあって然るべきだ。だがそれらしい話は全く聞かなかった。少なくとも今日の昼までは城もガルサ・ブランカの町も長閑なものだった。
それともこんな風にベラの長が来るのはここでは普通なのだろうか? 確かにフォレスとベラは非常に親密な間柄ではあるが―――だが先ほどの女官の素振りでは、決してこれが普通のことではないようにも思えるのだが……
それ以上考えていても仕方がないので、フィンは礼装に着替え始める。ここでみっともない真似をするわけにはいかない。
そんな調子だったので、フィンが糸杉の間に入ったのは時間ぎりぎりになってからだった。
部屋に入るとそこには王家の者以外にも、かなりの客が来ていた。人々はまだ席にはつかず、あちらこちらに固まって雑談している最中のようだ。
今アイザック王の側にいるのは見覚えがある男だ。いつかフィンが軍事施設に迷い込んだとき彼を連行してきたネブロスとかいった士官だ。その後ろにはグラヴィス将軍の姿も見える。そのほか城の重鎮もたいていが集まっているようだ。
エルミーラ王女の側には若い男がいて、なにやらしきりに話している。この男は見たことがなかったが、その服装や身振りからどうやら彼がロムルースらしいと想像がついた。
その後ろにはまた見たことのないがっちりした体の男がいるが、彼もベラから来たのだろう。
入ってきたフィンに気づくと王が手招きした。彼が急いで王の元に行くと王は小声で言った。
「これはル・ウーダ殿、なんだか急な話で申し訳ないな」
「いえ、恐れ入ります。私はいつでも構わないのですが、それにしても……」
「いや、わしも少し驚いておるのだ。出先で話を聞いたときにはな」
「そうだったんですか?」
王の言葉にフィンも驚いた。
どうやらこの話は王にさえ伝わっていなかったらしい―――ということはロムルースは全くの抜き打ちでここを訪れたことになる。いったいどういう事なのだろう?
だがそれほどの事件の割には、人々にはあまり緊張の色は見えない。
そのようにフィンが不思議に思っていると王が言った。
「まあこうなっては仕方あるまい? ともかく紹介しよう」
王はエルミーラ王女に合図する。王女がそれに気づくと軽くうなずいて、側にいる男に何か促した。男は慌てたように振り返ると、王の側にフィンがいるのに気づいたようだ。
その途端につかつかと近づいてくるが―――何だかまるで喧嘩腰だ。
《は?》
フィンは少し慌てた。何かまずいことをやらかしたのか?
だがそこに王が機先を制して彼に話しかけた。
「ロムルース殿、ちょっとよろしいかな?」
ロムルースは慌てて王に礼をする。
「あ、これはアイザック様」
ロムルースはまるで初めて王の存在に気づいたかのような素振りだ。
「ともかく、まずは紹介しておこう。彼がル・ウーダ殿だ」
そう言って王はフィンの肩をぽんと叩く。
そこでフィンはロムルースに正式な挨拶を行った。
「お初にお目にかかります。私は白銀の都ル・ウーダ・ヤーマンの末裔にしてパルティシオンの子、フィナルフィンと申します。以後お見知りおきを」
それを聞いてロムルースは尊大な調子で答えた。
「私がドゥクス・ロムルース・ノル・ベラだ」
それから差し伸べたフィンの手を握ることは握ったが、それ以上は何も言わずにフィンの顔を凝視するだけだ。
《なんだよ? こいつ?》
もちろん相手はベラ首長国の元首である。立場が上なのは分かるが―――それにしてももう少し礼儀というものがあるのではないだろうか? それともこれがよそ者に対するベラのやり方なのだろうか? だとすれば今後のことが思いやられそうだが……
この後どうしようかとフィンが思っていると、アイザック王が割って入ってくれた。
「それからグリア殿にも紹介してよろしいか?」
「あ? ああ」
それだけ言ってロムルースはぷいと背中を向ける。
フィンは少し呆れて王の顔をちらりと見たが、王の表情も少しこわばっているように見えた。
次いでフィンの前にロムルースと一緒にいたがっちりした男が立った。
「グリア殿はベラの軍司令官をしておられる」
「初めまして。私グリア・アンタールと申します。現在ベラ第二軍の司令官を務めさせて頂いております」
グリアはそう言ってフィンに手を差し伸べてきた。フィンはその手を取ると答える。
「初めまして。ル・ウーダ・フィナルフィンと申します」
それを聞いてグリアはにこっと笑った。
「私が都のお方とこうして握手することがあるとは思いませんでしたよ」
「いえ、こちらこそ」
気を許しているという訳ではないにしても、こちらはずっとまともな応対だ。
それから二言三言雑談を交わしたとき、からんからんと鐘の音がした。
それを聞いてアイザック王が言った。
「おお、そろそろ準備ができたと見えるな。皆様方腹も減っていることであろう? まずは食事を致しましょうかな?」
フィンはほっとした。とりあえず食事の間にもう少し状況を観察しよう―――フィンはそう思っていたのだが……。
《え? ここ?》
なぜか案内された席はいつもと違い、エルミーラ王女の隣だったのだ。
「僕がこの席?」
フィンは案内した侍女に小声で尋ねるが、彼女は黙ってうなずいた。
《どういうことだ?》
フィンはフォレスに仕える約束はしたが、まだ誓いを立てたわけではない。従ってまだ公式には客人のままなのだ。だから普段はもっと下座の方に席があって、いつもならこの席にはナーザが座っているのが普通なのだ。しかし彼女は今ははす向かいに座っている。
そもそも王女の横というのは、特にこんな公式の場では重大な意味を持つはずなのだが―――それにこの席の真っ正面にロムルースが座っているではないか! そして相変わらず彼はフィンを怒ったような顔で凝視し続けている。
まごついているフィンに、エルミーラ王女が小声で話しかけてきた。
「ル・ウーダ様。ご心配なさらないで」
「あ、はい……」
心配するなと言われても―――と、そのとき部屋の扉が開いて、侍女に案内された貴婦人が入って来るのが見えた。その貴婦人はフィンの姿を見つけると、そのまままっすぐやってくる。
「こちらよろしいでしょうか?」
その声を聞いて初めてフィンはそれが誰かに気がついた。
「ア、アウラ⁈」
彼女のあまりの変貌ぶりに頭が真っ白になる。最近はあの制服姿しか見ていないせいもあって―――えーと、こういった場合いったい何をすれば……
そこでエルミーラ王女がフィンをつついて、アウラの席を指さす。フィンは我に返って慌てて立ち上がると、アウラのために席を引いた。
アウラは会釈してつつっと席に着いたが―――見事に様になっている。
フィンはますます混乱していた。前方ではロムルースが驚きの表情でアウラを見ている。彼だけでなく、この場にいるたいていの男は彼女を凝視していた。
アウラもその視線には気づいているらしかったが、もう昔のように気分が悪くなったりはしないようだ。ただ、それに対して愛嬌を振りまくような真似はまだ無理だったが……
会食はこんな調子で始まったので、フィンは料理を味わうことなど不可能だった。盛装したアウラが側にいるだけでも気もそぞろなのに、反対にエルミーラ王女が、前からはロムルースがずっと睨んでいるのだ。
フィンは会食中にどんな会話がなされたのかも覚えていなかった。
なので会食がお開きになったときにはフィンは心から安堵した。やっとこれで解放される。全く何だったんだ⁈
ところが、そう思ったときだ。王がフィンに言ったのだ。
「ル・ウーダ殿。このあと少し会議を行いたいのだが、貴公も残っていてはもらえないかな?」
会議だって? そんな場に単なる客人の自分が出て良いのだろうか?
だが王がそう言う以上残らないわけにはいかない。
「え? もちろん構いませんが……」
こうして広間には王と王妃、エルミーラ王女、ロムルースとグリア、ネブロスとグラヴィス将軍、それにナーザその他数名が残された。
アウラは他の者と一緒に帰ってしまった。
フィンはなんだか取り残されたような気になった。
一同が落ち着くと、王が話し始めた。
「本来であればこちらからご挨拶に伺わねばならなかったのだが、今日ロムルース殿が来てくださったのも良い機会かと思う」
それから王はフィンをみんなに紹介する。
「もうここにいる方々はご存じだと思うが、彼がル・ウーダ殿だ」
全員の目が一斉にフィンに注がれた。
フィンは慌てて会釈を返したが、まるでさらし者にでもなっているような気分だ。
相変わらず何が起こっているのかさっぱり分からないのだが―――ここで何か言わなければならないのだろうか?
だが王はそのまま続けた。
「ご存じの通り彼がこの城に滞在していることが、微妙な問題をはらんでおるのは間違いない。わしは城の者にもまだ詳しい説明は行っておらなんだが、まずここではっきりさせておく必要がある。それはル・ウーダ殿は今後もずっとフォレスにいるということだ」
それを聞いた何人かが驚いて王とフィンを見比べる。
しかしロムルースは相変わらず彼を睨んでいるだけだし、エルミーラ王女はなぜか全く無表情だ。
「たまたま今日だったのだが、ル・ウーダ殿はフォレス王家に仕えてくれると約束してくれたのだ……といってもなかなか納得のいかない方もおられるだろう。皆様方に集まってもらったのは他でもない。このル・ウーダ殿の仕官がフォレスにとっていかなる意味を持っているか、その点に関して説明したいと思ったからなのだ」
この時点でやっとフィンは納得した。
確かにこれは彼が参加しなければ話にならない会議だ。フィンもいずれこういうときが来るだろうとは思っていたが―――それにしてもいきなり過ぎないだろうか?
続いて王はふっと立ち上がると部屋の端に行き、大きな紙を持って戻ってきた。王はそれをテーブルの上に広げると言った。
「さてさて、皆様にはまずこれを見て頂こう」
それを見たグラヴィス将軍が言った。
「これは世界の地図ですな」
「そうだ。これによればフォレスはここだ。この山の中にある。小さな国だな」
続けて王は各地の説明を始める。
「我々の知っている世界は、このアイオーラ山脈とカロス山脈によって東西に分けられている。東を旧界、西を新界とも呼ぶが、この東の部分に我らのフォレスやベラ、それからエクシーレといった国がある。西側にはまずここに白銀の都がある。それからその南には大きな平原が広がっており、ここを中原と呼ぶ者もいるが、ここに今レイモン王国がある。それを取り巻くようにアイフィロス王国、シルヴェスト王国、サルトス王国、アロザール王国がある」
王はそう言いながら地図の上の国を指していった。
「さてこの中原だが、ここにはかつて、といってもつい最近までといった方が良いな、ここにはウィルガ王国とラムルス王国があった。これらがレイモン王国に滅ぼされたことは皆よくご存じだと思う。そのため、レイモンがこのように今、最強の勢力を持っているわけだ」
地図上でレイモンは最大の領土を誇るが、実際にそれだけの力も持っている。
「その状況で三十年間平和が続いているわけなのだが、これが何故だかは注意深く考える必要がある。なにしろ二つの王国を滅ぼした国なのだ。ウィルガ王国は当時、少なくとも今レイモン王国と接しているどの国よりも強大だったのは間違いない。それを滅ぼしたのだから、レイモンが更に他の国を侵略しようと考えてもおかしくはないだろう? それなのになぜ今これほど平和なのだろうかな?」
王は一同の顔を見回した。
「どうだ? ネブロス?」
問われたネブロスはうなずくと答える。
「恐れながらそれは小国連合のせいではないでしょうか? シルヴェストのアラン様を中心にあの四カ国が結束しているが故に、レイモンも迂闊に手を出せないのではないかと考えられます」
王は微笑んだ。
「まさにその通りだと思う」
そのことにはフィンも異存がなかった。
現在レイモン王国を取り巻くアイフィロス、シルヴェスト、サルトス、アロザール各王国は、個々の勢力を見ればレイモン王国と比較にならない。
だがこの四カ国が“小国連合”という名の軍事同盟を結んでいるため、同盟全体ではレイモンと戦力拮抗しているのだ。
この同盟の中心人物がシルヴェスト王国のアラン王という人物だが、彼はアイザック王とは旧知の仲らしい。またフィンとアウラが来る途中にあったアイフィロスとシルヴェストをつなぐ駅伝システムを整えたのもこのアラン王だ。
「さて、問題はこのような状況でわしらはいったい何をすれば良いのか、ということだ」
そう言って王は再び一同を見回した。
「まずはフォレスの立場だな。今のところ同盟が盾になってくれているおかげで、フォレスは安泰だと言っていい。だがこの同盟が未来永劫続くかどうかだ。もしこれが破綻でもしようものなら、ここはいったいどういう事になると思う?」
それを聞いて再びネブロスが答えた。
「レイモンが新界を得ただけで野望を諦めるとは思えません。必ずや旧界にも手を伸ばしてくるでしょう。その場合東西の大動脈上にフォレスは位置している事になります」
そのことも同様に自明の話だった。
カロス山脈を東西に結ぶ道は何本かあるが、多くはやっと歩いて超えられるだけの道である。荷馬車で安全に超えられるルートは、フォレスを経由するルートただ一つと言っても良い。
ネブロスの答えを聞いて王は満足そうにうなずいた。多分王は彼にもフィン同様次世代のフォレスを担ってもらおうとしているのだろう。
「そうだな。もしそうなればレイモンの次の目標は間違いなくフォレスだ」
一同は低くおおっと声をあげた。
だがロムルースは相変わらずフィンを睨んでいるか、そうでなければエルミーラの方をちらちら見ている。
そのときベラのグリアが言った。
「しかし、あちらから来ようと思えばパロマ峠を越えねばなりますまい。これは簡単なことではないのでは?」
それを聞いたグラヴィス将軍が言った。
「確かにあそこを超えて攻め込むのは簡単ではありません。だが何と言っても戦力が違いすぎます。中原の全軍に取っ替え引っ替え攻めて来られれば、フォレス軍だけで守りきることなど到底不可能でしょう」
グリアは黙ってうなずいた。それを見て王が言った。
「そういったことになればベラにも多大な援助を仰がねばならなくなるだろうな。だができうることであれば、そうならないようにしたいのだ」
一同はうなずいた。
「言い換えれば、この小国同盟はフォレスにとって生命線と言える物だ。だが、この同盟はどう見ても強固なものではないな?」
王は全員を見渡した。
「同盟を構成する国家の中で、シルヴェストとサルトスは姻戚関係もあって、すこぶる良好な関係を築いている。だが残りのアイフィロスとアロザールだが、この同盟以外の点では常に距離を保とうと努力しているように見受けられる。基本的にはこの同盟は敵の敵は味方だという論理のみによって保たれていると考えて良いな。そしてこういった関係がいかに脆いものであるかは、歴史が証明しておる」
王は少し言葉を切った。それから一同に問いかけるように言った。
「何故このような同盟が三十年も破綻せずに、レイモンの進出を食い止められたのか? わしにはこれは奇跡のように思えるのだ。それとも誰かこの理由をご存じだろうか?」
場はしーんと静まりかえった。
もちろん王は答えを求めていたのではなく、やがてまた静かに語り始める。
「いま、確かに各地でほとんど争いらしい争いは起こっていない。その原因は結局レイモンが拡張を自発的に止めたからだとしか言いようがない。だがそれは彼らが友愛に目覚めたからなのではなく、何か拡張を後回しにせざるを得ない理由があったからなのだろう。その一つは、先代ルナール王のご病気であろう……」
シフラ攻防戦でレイモンが都とベラの連合軍を打ち破ったそのすぐ後、今のレイモン王国を築き上げたルナール王が病に倒れたのだ。そこでいったんレイモンの進出が止まったのを機に、シルヴェスト王国のアラン王が現在の小国同盟をまとめ上げたのだ。
そのためレイモンの全体計画が狂ってしまったのかもしれない。ともかくそれ以来レイモンと小国同盟の睨み合いが続いているのだが……
そこで王は大きく首をふると言った。
「だがいずれにしてもそのあたりのごたごたは十年前には片づいていたはずなのだ」
ルナール王が崩御したのは今から十五年ほど前のことだ。シフラ攻防戦から崩御まで同様に十五年、王は病身でレイモン王国を統治していたことになる。
こんな場合、普通なら息子に王位を譲るものだが彼はそうしなかった。レイモン王国の内情に関してはよく分からないが、当然何らかのトラブルがあったことが予想される。
そして王の崩御後、息子のマオリ王が立ったわけだが、継承後しばらくは国内の各勢力を把握するために時間がかかるものだ。だが少なくとも十年前にはそれも終わっているはずだ―――アイザック王はそう主張したわけだ。
「だとすれば、そろそろ時は満ちていると考えられるのではないか? それにレイモンではガルンバ将軍もティグレ将軍も、高齢とはいえまだ存命だ。戦いを行うのであれば、彼らが元気なうちに行った方が良いのではないか?」
王の言葉に口を挟む者は誰もいなかった。
「もしも今ここにレイモンが動いたと伝える使者がやって来たとしても、わしはそのことに驚きはしないだろう」
あたりは重い沈黙に包まれた。
「そこでこれから我々にできることは何なのか? それが問題になってくる。すべき事はたくさんあるだろう。例えばいざ事が起こったとき、我々はどこをどう支援するべきなのか、などという問題があるわけだが、ここでそれらをいちいち列挙してはおられないし、今わしがすべてを把握できているわけでもない。ただもしここで小国同盟をもっと堅固な物にする方策があるのなら、それは非常に有効な方策と言えるのではないだろうか、ということなのだ」
フィンは軽くうなずいた。王は彼をちらっと見てから話を続けた。
「もしわしがレイモンの立場であるのなら、まず同盟を骨抜きにすることを考えるだろうな。そうした場合、いったいどこの国を狙うのが良いだろうな? ル・ウーダ殿?」
いきなり指名されてフィンは軽く飛び上がった。
だがこの質問は彼にはもはや自明と言っていいようなものだった。
「あ、はい。それは間違いなくアイフィロスでしょう。あの国とシルヴェストはグラテスを巡って争っていた長い歴史を持っていますし、魔道軍の出自も異なっています。両国が同盟したなどということは長い歴史上、今回の同盟が初めてです。アイフィロスにとっては、この同盟でシルヴェストが主導権を持っていることはあまり面白いことではないでしょう」
王はうなずいた。
「そうだ。そこがあの同盟の最大のウィークポイントといえるだろうな。もちろん問題はこれだけではないにしても、ここを強化できれば同盟は以前より遙かに強固になり得るわけだ。そしてル・ウーダ殿がなぜこの国に必要かという理由も、そこにある」
人々の何人かはうなずいた。
そこで口を挟んだのはエルミーラ王女だった。
「でもお父様、ル・ウーダ様は都ご出身ですが、だからといってアイフィロスがル・ウーダ様の言うことをそんな簡単に聞くでしょうか? それにアイフィロスにとってシルヴェストと関係を深めるということは、都との関係には悪影響があるでしょうし」
「その通りだ。もちろんそんなことはないだろう。しかし、それが都の意志であればどうであろう?」
「ええ?」
「ル・ウーダ殿ご自身の権限でアイフィロスに言うことを聞かせるなど、もちろん無理に決まっておる。しかしル・ウーダ殿を通じて都の面々に現状を理解して頂ければどうだろう?」
王女は驚いて黙り込んだ。それを見て王は続けた。
「今まではアイフィロスやシルヴェストの立場としては、たとえ彼らが望んだとしてもあまり強固な同盟は結べなかった。なぜなら彼らの宗主国である都やベラの意向に背く行為であるからだ。だが時代は変わりつつあるのだ。レイモン王国とは都やベラに対する共通の敵なのではないかな? だとすれば我々はどうすべきだと思う?」
王は王女に微笑みかける。
それを黙って聞いていた王女はまた少し考え込み、それから目を大きく見開いた。
「あの、まさかお父様はベラと都の和解を考えていらっしゃるのですか?」
正面のロムルースの目がかっと見開かれる。
だが王はそれを横目に静かに答えた。
「ああ、そうだ」
ここに至って一同は王がどういうビジョンを持っているのか、それにフィンがどのように関わっているのかについて理解した―――約一名を除いては。
途端にロムルースが立ち上がってフィンを指さしながら言ったのだ。
「アイザック様。そのためにエルミーラをこのル・ウーダ殿と政略結婚させると言うのですか?」
一瞬場が静まりかえる。
フィンはロムルースが何を言っているのかすぐには理解できなかった。
《結婚? 何の話だ?》
静寂を破ったのはエルミーラ王女だった。
「ルース! いったいあなた何言い出すのよ!」
王女も立ち上がってロムルースに食ってかかりそうな勢いだ。
アイザック王がそれを押しとどめる。
「もしそれが必要ならば、そういう可能性もある。しかし……」
それを聞いてロムルースは更に激高したようだ。
彼は剣の柄に手をかけながら叫んだ。
「私は断じて許せないぞ。事もあろうにエルミーラを都の人質にするような真似は!」
「ロムルース殿!」
王が厳しい声でとがめた。
「貴公は何か勘違いをされてはおらぬか?」
「だがエルミーラとル・ウーダ殿を……」
「そうだ。確かにその可能性があるとは言った。だがそうするとはまだ言っていないぞ?」
「しかし……」
「ロムルース殿。エルミーラもやがて婿を迎えねばならないことは理解して頂けるであろう?」
ロムルースは不承不承うなずいた。
「父親がそのための婿の候補をあげつらってはいけないかな?」
ロムルースは無言だった。
「フォレス王家にとって世継ぎの問題は非常に切実だ。どういう婿殿を迎えられるかはフォレスの命運に関わるとも言えるだろう。違うかな?」
ロムルースはうなずいた。
「そういう意味で、ル・ウーダ殿はエルミーラの婿候補に入っていると、それだけのことだ。ちなみに他の候補を挙げてみれば、まずはシルヴェストの第三王子サンダール殿、それからサルトスのガラッハ殿が挙げられるな。少し遠いがアロザールのザルテュス殿にも何人か王子がおられると聞く。アイフィロスのヴェンドリン殿は少し難しいかも知れないな。まだお若いし……だがこれが皆ル・ウーダ殿同様に、可能性のある婿候補だ」
ロムルースは何か言いたそうだったが言葉が出てこないようだ。
そこにエルミーラ王女が割って入った。
「それでしたらお父様、エクシーレの、例えばセヴェルス王子などは候補には入ってらっしゃらないんですの?」
その名を聞いたロムルースが我に返る。
「エクシーレだって?」
もちろん隣国のエクシーレはフォレスやベラと長い間敵対関係にある。
だが王女は涼しい顔で続けた。
「セヴェルス様に来て頂ければ、それこそエクシーレと和解できるかも知れませんわ」
ロムルースが絶叫する。
「だめだ! そんなことをしたらエクシーレに乗っ取られてしまう!」
「もちろん私がそんなことはさせません!」
王女のきっぱりとした態度にロムルースの返答は言葉にはならず、金魚のように口をぱくぱくさせるだけだ。
それを見ていた王が突然笑い出した。
戸惑ったようにロムルースが振り返る。王はしばらく笑い続けたあげくにこう言った。
「ははは! そういうことなのだよ。ロムルース殿。わしはこうやって候補をあげつらうことはできる。だが最終的に決定する者は、エルミーラ本人なのだ」
「しかし、その、これは……」
「これが普通の王女であれば、もちろん婿を決めるのはわしの役目だ。だがわしはエルミーラにこのフォレスを譲ろうと考えておる。一国を率いていこうという者が、自分の配偶者ごときを選べないでどうする?」
そう言って王はロムルースとエルミーラ王女を見つめた。
「ありがとうございます。お父様」
王女の目は輝いていた。ロムルースも諦めてうなだれた。
それから王は一同の者を見渡して言った。
「突然の話であったが、エルミーラの婿取りの件に関しても、今のところはこういうことなのだと理解して欲しい。このことに関しては懸念してくれておった者も多いと思うのでな。いずれにしても具体的な話になるのは、まだまだ後のことだ。それまでにこの娘にはもっとすることが残っておるのでな」
アイザック王がエルミーラ王女を見つめるその目は誇らしげだった。
フィンが自室に帰り着いたのは深夜になってからのことだった。
部屋は暗い。アウラはまだ戻ってきていないようだ。
フィンは明かりをつけるとソファに倒れ込むように座った。
《婿候補って……》
今日は朝からややこしい出来事の連続だが―――最後のこれはちょっと堪えた。
あの会議のあと、更にフィンは残って王から直々にこの話を聞かされたのだ。
『もちろん、これはたくさんある選択肢のうちの一つだということだ。誤解せんでほしい』
王はそう言った。
そう言われて彼は初めて自分の立場という物に気づいたのだ。
フィンは今の今までそんなことは全然考えていなかった。そうだと知っていたらこんなに呑気に城暮らしなどできていなかっただろう。
彼はここに来て初めてエルミーラ王女を女性として意識した。
確かに妙な性癖を除けば非の打ち所がない。話し相手としても申し分ないだろう。それになかなか美人だし、アウラより胸は大きいし、後宮を作っても彼女なら喜んでくれそうだし―――じゃなくって!
ともかく何かが違うのだ。
王女を見ていても、アウラを見るときのような言い知れぬ感情は湧き上がって来ない。
何か美しい花を眺めているようなそんな気分だ―――確かに彼も男だから、それを手折ったらどんな気になるだろうといった想像はできる。
だがそれはアウラと一緒のときに感じるような、心の底からの欲求とは次元が異なっているのだ。
もちろんもしアウラに出会っていなかったならどうなっていたかは分からないが……
また王はこうも言った。
『君とアウラとの間のことはわしも知っている。だがそれは問題にはならないだろう? ある意味わしの最大の間違いは、ルクレティアしか妻に持たなかったことにあるのだからな』
王はアウラを妾妃として迎える方法もあるとほのめかしたのだ。
全くその通りだった……
王家に関わる者の結婚とは好き嫌いだけで済まされるものではない。フィンの育った都でもこのようなことは普通だったし、王女もそのことは当然理解しているはずだ。
だがいずれにしてもフィンは断るつもりだった。
王女と結婚するということは、単に世継ぎを与えるという意味だけではない。彼はフォレスの家臣という立場を超えて、エルミーラ王女と共にフォレスを背負って立つということだ。悪くすれば今後、激動の世になるかもしれないのに―――どう考えても彼にそれは重荷に思えた。
《でも、彼女は一人でそうしようとしてるんだよな……》
フィンは王女の決意を知っていた。男でも大変なことなのに、女一人でやりとげようとしているのだ。
今はまだアイザック王やルクレティア王妃が健在だからいい。だが二人がずっと今のままでいるわけにもいかない。
あの王がそんなところに気づかないはずはないだろう。王がフィンを選択肢に含めていたということは、王はフィンをそれだけ買っていてくれているということも意味しているのだ。
《俺にそんなことができるのか?》
フィンにはよく分からなかった。
だが少なくとも言えることは、五年前まで王女もそんなことは全く考えていなかったということだ。この五年で彼女はあそこまで成長した。ならばフィンだって本気になれば……⁈
「うう!」
フィンはうめくと、立ち上がってチェストの引き出しを開けると、その中から一本の短剣を取り出した。
見事な造りだ。
長さはそれほどでもないが、鞘の細工を見ただけで名匠の手になる物であることがすぐ分かる。しかも柄には大きな宝石がはめ込まれている。
フィンは黙ってその短剣を見つめた。
胸の中に過去の情景が去来する。
《一体何してるんだ? 俺は……》
そのときだった。いきなり扉が開くと、アウラが戻ってきたのだ。
「あー、疲れちゃった」
アウラは大きくのびををする。そんな彼女にフィンが話しかけた。
「遅かったんだな」
「部屋でリモンと一緒に待ってたのよ。そしたら王女様、帰っても良かったのにとか言うし」
そう言いながらアウラは制服を脱いで寝衣に着替え始める。それをあまり凝視していると目の毒なので、フィンはあらぬ方を見ながら言った。
「そういえば今日またバカなことやらかしたんだって?」
アウラがロムルースを叩きのめそうとした話はフィンも聞き及んでいた。
それを聞いたアウラが体中赤くなる。
「だ、だって! ロムルース様だなんて知らなかったんだもの」
しまった! 余計に目の毒だった―――フィンはなるべく平静を装って答える。
「ははは。ぶった斬らなくてよかったな! そしたら国際問題だ!」
「だって! 勝手にずかずか入ってくるのよ!」
アウラはむっとした顔でフィンをにらんだ。
「でもおかげで夜会のドレスが見られたな。きれいだったよ」
それを聞いてアウラは更に赤くなった。
「どうせまた……」
そう言おうとしたときだ。彼女はフィンが手にしていた短剣に気づいたようだ。
「あら? そんなの持ってた?」
「え? ああ……」
「ちょっと見せて!」
途端に目にもとまらぬ速さでフィンから短剣を奪い取った。
「おい! それは……」
「いいじゃない!」
アウラがさっと短剣を抜くと、蝋燭の明かりにきらりと刃が輝く。
「すごい!」
アウラは目を丸くして短剣を眺めている。
アウラが物にこんなに興味を示す姿は初めて見たような気がするが―――きれいな服とか宝石とかを見てもこんな反応を示したことはない。
「そうか?」
喜ぶアウラを見るのはフィンにとっても嬉しいことなのだが……
「すごくいい短剣よ! これだったら二~三人首をかき切っても、刃こぼれしないんじゃない?」
何か観点が違っている。そもそもこれはそういう使い方をするものとは違うのだ!
「あ、あのなあ! とにかく返せ!」
フィンはアウラの手から短剣を取り戻そうとした。
だがアウラは返してくれない。
「これ欲しい!」
「だめだ!」
「どうしてよ」
「これだけはだめだ!」
フィンはアウラを睨んだ。
その形相を見てアウラは渋々短剣をフィンに返した。
それからアウラは黙って着替えの続きをする。その間にフィンは短剣を再びもとの場所にしまったのだが……
「そこにいつも入れてるの?」
「持ってくなよ!」
「持ってったりしないわ。でも見るだけならいいでしょ?」
「だめだ!」
「どうしてよ!」
「これはファラにもらった大切な……」
そう言ってしまってフィンはあっと口を押さえた。アウラが彼をじっと見ている。
「えっと、その……」
フィンは口ごもる。
彼女は黙ってフィンを見つめている。
今まで浮かんでいた悪戯っぽそうな笑みは消えている。
「あたし……やっぱりいない方がいい?」
その目から涙がこぼれ落ちる。
「ちょっと待て! 何を言ってる!」
「あたし、こんなだし……やっぱり王女様の方が……」
アウラはそのまま部屋を出ていこうとした。フィンははじかれたように飛び上がって、慌てて彼女を後ろから抱きすくめる。
「バカなこと言うな!」
「でも……」
フィンはアウラを振り向かせると、唇を合わせた。
「お前はここにいるんだ」
「ごめんなさい……」
二人はまたいつものようにベッドに入る。
アウラが眠ってしまった後、フィンは考えた。
《結婚……か》
彼女の寝顔が間近に見えるが―――今日はいつにもまして細く折れやすく感じた。