ハビタルの48時間 第3章 新任務

第3章 新任務


 うっそうと茂った森の街道を抜けると、眼前には大きな平原が広がっていた。

 同時に雲一つない真っ青な夏空からは太陽がかっと照りつけてくる。直射日光に晒された黒塗り馬車の内部はみるみるうちに温度が上昇していく。

「だあーっ! 暑い!」

 フィンはほとんど無意識に口走っていた。

「旦那。そんなこと言ったって涼しくはなりませんぜ」

 窓の外で併走しているガルガラスが涼しい顔で言う。彼の言うことはもっともだが、高原の空気に慣れきった身にはこの暑さはあまりにも堪える。

《もしかして外の方がマシなのか?》

 そう思ってフィンは窓外に手を差しだすが、すぐに引っ込めた。こんなところに出ていったら軽く焼け死ねるに違いない。

「だってな、もうすぐ九月だぞ。九月っていったら普通秋じゃないか? それなのに見ろよ。陽炎が立ってるぞ」

「そりゃガルサ・ブランカじゃそうでしょうけどね。ここはベラですぜ」

 そうなのだ。

 フィンが今いるのは何故かフォレスを遠く離れた、ベラの都ハビタルに向かう街道上だった。

 しかも供についているのはあの遊郭でアウラと決闘したガルガラスときている。ほんの数日前まではこんな事になろうとは想像さえしていなかったのだが……

「おまえ、ほんとに何ともないのか?」

「だってあっしはこっちで育ったんですぜ。ガルサ・ブランカの寒さの方があっしには堪えますぜ」

 聞くところによればガルガラスの生まれはベラだという。フィンの知識ではベラはかなり豊かな土地というイメージだったのだが、結構フォレスまで出稼ぎに来たり、彼のようにフォレスに住み着いてしまう者も多いらしい。

「いいよな、おまえは……うう、暑い……」

 ベラという土地は間違いなく今後の彼の人生に大きく関わってくる場所だ。それなのにどうだ? いきなりここが嫌いになってしまいそうだ。

 フィンはぶつぶつ言いながら汗を拭くと、隣をちらっと見た。

 そこに座っているのはこれまたなぜかアウラではなく、侍女の衣装をぴっちりとまとった小さな黒髪の少女だ。

「メイ。君も大丈夫か?」

「はい」

 彼女は小声で答えた。



 事の起こりはそれから数日前のことだ。

 フィンはなぜかいきなりエルミーラ王女から呼び出しを受けた。

 ロムルースの唐突な訪問からほぼ一ヶ月が経過している。この間にフィン達の生活には大変動が発生していた。

 というのは、ロムルースがベラに戻って幾日もしないうちに東の国境付近で小競り合いが発生したからなのだ。フォレス王国の東は例のエクシーレ王国と接しているのだが、その国境の山岳地帯でフォレスの国境警備隊とエクシーレ軍が接触したのである。

 前述の通りフォレスとエクシーレは代々仲が悪かった。エクシーレは平原地帯だが、全般に荒涼としていて耕作に適した土地が少ない。収穫の少ない年には食料を輸入しなければならなくなる場合さえある。そのためエクシーレ人は常に豊かなベラや中原に出ることを望んでいた。

 だが中原に出ようと思えば当然フォレスが邪魔になる。またフォレスは山間の小国ではあるが、中原の国々との交易の重要な中継地だった。エクシーレがこの要衝の地を欲しがるのは当然のことだった。

 フィンが生まれる少し前、今から約三十年ほど前にも一度大規模な戦争が起こったことがある。そのときは最初フォレスとエクシーレの紛争だったのが飛び火して、ついにエクシーレとベラとの全面戦争になってしまったのだ。

 だがちょうど時はシフラ攻防戦の後で、ベラは例のフェレントム家とアドルト家の内部抗争もあって国内はがたがたになっていた。

 結局その戦いでベラはエクシーレに領土の一部であるヘンドラー地方を割譲する羽目になった。といってもその土地は百年ほど前にベラがエクシーレから奪った土地であったので、エクシーレから見れば失地回復だったのだが……

 そういう経緯もあったので、それ以降も何年かに一度は必ず国境付近で小競り合いが起こる。今回の小競り合いもその一環というところであった。

 だが小競り合いとはいっても決して侮ることはできない。対応を間違えれば一気に全面的な戦争になってしまうことさえあり得る。そのためアイザック王は国境付近の砦に張り付きになってしまったのだ。

 これだけならばまだフィン達にとってはあまり関係のない話だっただろう。

 だが今回はもう少し事情が少し違っていた。というのは、従来ならばこのような場合ルクレティア王妃が行政を代行してきた。しかしアイザック王は今回その役にエルミーラ王女を指名したのだ。

 もちろん王は王女にやってみるか? と打診したわけだが、王女がNOと言う筈がなかった。

 こうして突如エルミーラ王女が国王代行となったのである。

 そのときより王女の生活は激変した。

 それまでは忙しいとは言っても常にマイペースを保つことができたのだが、政務をこなすようになればそうも言っていられない。その上仕方のないことながら、いくら勉強してきたとはいっても実務はこれが初めてだ。大小の不手際は必ず起こる。そのため王女は夜遅くまで起きて残務をこなさなければならないことも多かった。

 その変化は当然アウラの生活にも波及する。

 王女が公務に就くことが多くなればなるほど、警護としての彼女の出番も増えてくる。夜遅くまで王女に付き合っていなければならないことも多く、フィンの部屋に戻って来られない夜もしばしばだった。

 こんな風にエクシーレの侵入はフィン達の生活にも大影響を与えたのだが―――フィン本人に関して言えば、前と状況はほとんど変わっていなかった。彼は仕官の約束をしただけでまだ具体的なことは何も決まっていなかったし、それを相談できる人はみんな前線に行ってしまっていた。

 結局フィンにできたこととは、せいぜいみんなの邪魔にならないようにおとなしくしていることだけだった―――だが城中がてんてこ舞いの中、自分だけ何もしないというも、ひどく心苦しいものだった。

 こんな調子で三週間ほどが経過したが、小競り合いは元々たいした規模ではなかったのでほぼ収束に向かっており、城にも安堵の空気が広がってきた。

 フィンが呼び出されたのはそんなときだった。


 ―――エルミーラ王女の部屋に向かう道すがらフィンは考えていた。

《いったい何の用だろう?》

 王女に直接呼び出されるような用事など思い当たらないのだが……

 フィンが柊の間に着くと、すぐに衛兵が部屋の扉を開けてくれた。中から顔を出したのはグルナだ。

「あ、ル・ウーダ様、どうぞ。お入り下さい」

 ここは以前は王女用の応接間だったが、王の代行を始めてからはここが王女の執務室になってしまっている。

 グルナに招き入れられると、フィンは部屋の中を見回した。ここには何度か来たことがあるが、そのときとは随分様変わりしている。

 以前は部屋には立派な長いすとテーブルがあっただけだが、今はそれに加えて中程に大きなデスクが持ち込まれており、そこに王女が座ってなにやら書類を確かめている。

 後方にはあの制服をまとったアウラが薙刀を担いで立っている。

 彼女がフィンの姿を見て軽く微笑んだ。同時に王女もフィンに気づいて顔を上げる。その表情は少しやつれているようにも見えた。

「あ、ル・ウーダ様、ちょっと待って頂けますか?」

 王女の言葉にフィンがうなずくと、グルナが長いすを示して言った。

「そちらの方でお待ち下さい」

「あ、ありがとう」

 そこにフィンは腰を下ろして、再び王女を見た。

 彼女しばらくその書類をめくっていたが、やがて何カ所かにペンを入れると、ばさっとひとまとめにして脇の箱の中に放り込んだ。それから上を向いてふうっと息を吐く。

 そのとき王女はそれを見ていたフィンに気づいて、少し照れくさそうな笑みを浮かべた。

「申し訳ありません。お待たせしてしまって。あ、グルナ。後でこれもう一度お母様の所に持っていって。今度は大丈夫だと思うから」

「はい。かしこまりました」

 王女は立ち上がると、大きくのびをした。

 それからアウラに向かって手招きする。

 え? あたし? という感じでアウラが自身を指さすのを見て、王女が軽くうなずいた。二人がフィンの方にやってきたので、立ち上がって挨拶しようとすると……

「いえ、そのままで結構ですのよ」

 王女はそう言って向かいの長いすに腰掛けた。

 アウラは一緒に座って良い物かどうか躊躇している。それを見て王女が手招きする。

「お座りなさいな」

「え? でも……」

 アウラは勤務中にそんなことをして良いのか心配になったのだろう。

 だが王女はフィンの方を向いて言った。

「本当は一休みする時間だったんですが、ちょっと余計な仕事を増やしてしまいまして、おかげで彼女、ずっと立ちっぱなしなんです。構いませんよね?」

 もちろんフィンに異存があるはずがない。そこでアウラはおずおずと王女の隣に腰を下ろした。

 そこに奥からコルネがお茶を持ってやってきた。

「あ、ありがとう。それから、奥の部屋片づけなくて良いわ。後でまた使うから」

「はいっ。わかりました」

 そう元気に答えてコルネが戻っていく。

 その背中を見ながら王女は軽くため息をついたようにも見えた。

 それから向き直ると王女は話しはじめた。

「えーっと、それで今日ル・ウーダ様に来て頂いたんですが、実はちょっとお頼みしたいことがあるんです。もしよろしければなんですが」

 頼まれごと? 王女直々にいったいなんだろう?

「それはどんな事なんでしょうか?」

「実はル・ウーダ様もご存じだとは思いますが、例のエクシーレとの紛争はほぼ解決しました。昨日の晩、お父様からも書状が届きまして、相手方は正式に撤退したそうです」

「そうでしたか。それは何よりです」

「それでなのですが、このことをベラにも報告しておかなければならないんです。今回の事件はロムルース様も大変心配なされていて、場合によったら援軍を出しても良いとまでおっしゃられていたので……」

「そうなんですか。確かにフォレスが危険になるとベラにも大きな影響がありますよね」

 とは言いつつもフィンは、この程度で介入とか、ちょっと大げさなのではないかと思った。

「ええ。まあ、ルース……ロムルース様は、フォレスの危機をちょっと過大評価されるきらいがありますので……でももちろん大変ありがたいお申し出だったわけです。ですのでその御礼かたがた、状況報告の使者を送ろうと考えておりました。そこで不躾なのですが、それをル・ウーダ様にお願いできないかと思ったのです」

 それを聞いてフィンはさすがに驚いた。

「え? 私ですか?」

「はい。もちろん父や私が行く訳にはいきませんし、ナーザはエクシーレの方に行く事になっております。東の国境線が曖昧だったことが今回の事件の原因ですし、それに関しての協議となるとやはり彼女が適任かと思いますわ」

 それを聞いてフィンは内心愕然とした。ナーザはそんな重要な役割を任されるのか?

 それはとりもなおさず、ナーザはしばらく戻って来られないことを意味しているわけで……

《ちょっと待て。じゃああの話は……》

 あの問題を話そうとしたところをロムルースにぶち壊されてからというもの、ナーザとゆっくり話せる暇はなかったのだ。和睦が成ったことでフィンはやっとその話ができると期待していたところだったのに……

 もちろん王女がそんなフィンの内心を知るわけがなく、彼が驚いたのは役割の重さが故だと解釈した。

「そういうわけなのですが、いかがでしょうか? もちろん無理にとは言いませんが……」

 フィンは我に返った。

 そう。今はそんなことを考えている場合ではない。そもそも何もすることがなくて悶々と生活していたのだ。渡りに船ではないか。

 それにベラにも一度行ってみたかったのは間違いない。はっきり言って断る理由が見つからない。

「はい。もちろんやらせて頂きたいと思います。ただ……」

 王女はちょっと眉をひそめた。

「ただ?」

「いえ、その、ナーザ様はともかく、城には他にももっとこういった使者に向いた方がたくさん残っておられるように思うのですが……コルンバン殿も城におられますし……」

 そう。一番の疑問は何故彼なのか、ということだ。普段ならそのコルンバンという男がこういった役を果たしているのだが……

 それを聞いた王女は軽く口に手を当てて笑った。

「あ! そのことですか。それでしたらご心配には及びません。これは私が推挙しましたから」

 フィンは目を見開いた。

「え? 王女様が?」

「はい。お父様にも承諾を得ております。もちろん単に手紙を届けるだけであれば誰でも構わないのですが、ル・ウーダ様にはいずれいろいろな国にフォレスの名代として出かけて頂くことになります。お父様も良い機会だとおっしゃいました」

「そうだったんですか」

 なるほど。フィンは納得した。

 王はフィンに最終的には都とベラの調停というようなことを期待している。それを実現するためには当然彼はフォレスの外交官としてあちこちに出かけて行く必要がある。だとすれば間違いなくこれはいい練習の機会だ。

 そこに今まで黙っていたアウラが口を挟む。

「ハビタルまでって、何日ぐらいかかるの?」

「普通に行けば、行きに四日、帰りは五日ぐらいかしら」

「じゃ、九日も?」

「まさか。向こうで何日か滞在するから、十二~三日ぐらいかしら」

 王女の答えにアウラの顔が曇る。それに気づいて王女がにやっと笑う。

「まあ、そんなに寂しい?」

 アウラは慌ててぶるぶる首を振る。それを見た王女が楽しそうに笑った。アウラは王女に食ってかかろうとして、フィンにじっと見られていることに気がついた。

「な、何よ!」

 こんなアウラを間近で見ることは、最近ではあまりないことだった。

 特にいま二人は特別な問題を抱えている。

 別々にいるのは耐えられない。それなのに一緒にいるとますます気まずい雰囲気になってしまうのだ。

「どっちにしたってそんなのすぐよ」

 王女がアウラに言う。アウラは少し顔を赤らめて黙ってうなずいた。

 それから王女はフィンの方に向き直る。

「そういうわけなのですが、お分かりいただけましたか?」

「はい。謹んでお受け致したいと思います」

 王女は微笑んだ。

「まあ、ありがとうございます!」

 それを見ながらフィンは、これがもっとひどい無理難題でも、この王女の微笑みを見せられたらふらふらと引き受けてしまうのではないかと思った。

「それではグルナ?」

 呼ばれて彼女が小さな文箱を持ってきて王女に渡した。王女がフィンの前でその蓋を開くと、中には二通の手紙が入っているのが見えた。

「それではこれをベラのロムルース様まで届けてください。この上の茶色の封筒に入っている文書が今回の顛末を記したものです」

 王女は手紙を指さした。次いでその下にあった水色の封筒を取り上げる。

「これは私からの私信です。これも一緒にお渡し下さい」

「はい」

 フィンは文箱を受け取った。

 彼がその中身をもう一度確認していると、王女が話しかけてきた。

「ところで、ル・ウーダ様はベラに行かれたことはございますか?」

「え? いえ、まだ行ったことはありませんが」

 白銀の都出身の者がベラに足を踏み入れることは滅多にない。特にル・ウーダといった貴族となればなおさらだ。

「だとするとベラの歓待の事もご存じありませんよね?」

「歓待? ですか?」

 訝るフィンに王女は意味ありげな笑みを浮かべる。

「ええ。昔からベラでは、良き知らせをもたらした者は歓待せよ、との格言があるのです。これはもう大聖様がお渡りになられて来る前からの伝統だと言われております。多分今度の場合もル・ウーダ様が行けば歓待して頂けるかと……」

 この言い方は何となく引っかかるが―――歓待って、何か特別な物なのか?

 そう思ってフィンは尋ねた。

「その歓待には何か作法があったりするのですか?」

 だが王女は相変わらずの笑みを浮かべながら答える。

「いえ、特にございませんわ。行けばどうすればいいかは自ずから明らかになると思いますわ」

 まだよく分からない。普通の祝宴のような物なのだろうか?

「はあ……しかし今回の用向きは、そんなにベラにとって良い知らせなんでしょうか? 今ひとつぴんと来ないんですが……」

 実際、エクシーレとの小競り合いが結局何事もなく終わったという話が、それほどの内容なのだろうか? だが王女は手を振った。

「いいえ、違いますわ。良い知らせとはこっちの方です」

 王女は水色の封筒を示した。

「??」

「これにはこの秋に私がハビタルを訪問したいのですが良いでしょうか、と書いてありますの。一度アウラを紹介しに行かなければならないでしょう? 本当はもっと早くに行きたかったんですが。この騒ぎでしたし……」

 それを聞いてアウラがぽかんとした顔で言った。

「え? あたし?」

「そうよ。あなた自分が何者か忘れたの?」

 アウラはあっと口に手を当てた。同時にフィンも彼女がガルブレスの養子だったことを思い出した。ここにやって来たときはそのことでいろいろあったが、今では誰も気にしなくなっていたので、すっかり忘れかかっていたのだが……

「でも……」

 アウラはまだ何か言いたそうだったが、王女はそれを押しとどめてフィンに言った。

「で、多分ルースのことですから、この手紙を見せたら大喜びすると思うんですの」

 フィンは納得した。

 なるほど―――あのロムルースならば間違いなくそういった反応をしそうだ。このあいだ来たときの様子を見れば、どんなに鈍い奴だって彼がエルミーラ王女にぞっこんなことには気づくだろう。

「何しろ私が最後にベラを訪ねたのはもう八年も前になるんです。ルースの方はちょくちょくとこちらに来てはいたんですが。でもあまりゆっくりと会ってはいられませんでしたし……」

 エルミーラ王女は伏し目がちにそこまで言うと、ふっと顔を上げてまた微笑んだ。

「それにこの間のルース……ロムルース様の顔を見れば、使者がル・ウーダ様だと知れたら不機嫌になるとは思われません? なのでちゃんとしたおみやげを持っていってもらおうかと」

 言われてみれば彼は決してロムルースに好かれていたわけではない。一応誤解とは分かっているはずなのだが、本気で納得してもらえたとはとても思えない―――ということは?

 フィンは水色の封筒を手に取り、それから王女を見つめた。

「あの……そこまで考えて頂けていたんですか?」

 それを聞いた王女がまた笑う。

「いえ、どちらにしろ送らなければならない手紙ですから、ついでに持っていって頂こうと思っただけですのよ。ただ、これを見たルースがどんな顔をするかあまりにも想像がついてしまって……」

 そう言って王女は笑った。

「ありがとうございます」

 フィンは王女に頭を下げたが、内心はあまり穏やかではなかった。

 この使命はもしかしたら、思ったほど簡単ではないかもしれない。ここでフィンが迂闊なことをしたら十分にまずいことが起こり得る。実際フィンの身分はかなり微妙だ。立場上はフォレスの名代だとしても、結局彼は“ル・ウーダ”なのだから……

 王女はそれを見越して彼女の手紙も一緒にことづけたのだろうか?

《だが……これって……》

 フィンは内心驚愕の目で王女を見つめた。

 この王女は普通にそういうことを考えるのか?―――だとしたら本気で侮れない王女なのだが……

 それとも王か王妃が後ろで糸を引いているのだろうか? 確か王の許可も取ってあると言っていたから、そっちの方がありそうかもしれないが……

 だがたとえそうだったとしても、王女の態度には微塵もそんな気配は感じられなかった。

「そういうわけですのでル・ウーダ様、大変急なのですが、明日の朝、出立できるように供の者なども準備させますのでよろしくお願いします」

「承知しました。お任せ下さい」

 フィンは思った。こんな彼女にこれから仕えていくことになるのだと―――そんな感慨を抱きながらその場を辞そうとしたときだ。

「あ、それともう一つ。彼女は?」

 エルミーラ王女がグルナに尋ねる。

「奥に控えていますが」

「じゃあ連れてきて」

「はい」

 不思議そうにフィンが見ていると、グルナが奥から小さな黒髪の少女然とした侍女を連れてきた。

 彼女には見覚えがあった。

《あれって……確かメイって子だっけ?》

 彼女についてアウラからときどき話を聞いていた。

 なんでも三人娘の一人、コルネの親友だそうで、今は厨房に勤めているということ。先日のバルグール事件のときには、コルネと一緒に襲われてアウラを呼んでくる役をさせられたこと。それに学校の勉強がよくできたとかで、エルミーラ王女の側仕えに抜擢しようという話もでていること……

 だがこれまで彼女と直接話したことはなかったし、そんな彼女を意識したこともなかった。

 メイはやって来るなりフィンに必要以上の力のこもったお辞儀をした。

「初めまして、ル・ウーダ様っ。メイと申しますっ!」

「あ、こちらも初めまして……」

 そう答えてからフィンは不思議に思ってエルミーラ王女の顔を見る。

「あの……?」

 すると王女はにっこり笑って答えた。

「今度の旅に彼女も連れていって欲しいのよ」

「今度の任務にですか?」

 もしかして身の回りの世話のために? 何だかそういうことをされると余計に気を使ってしまいそうなのだが……

「でも、それほど大げさな任務でもないと思うのですが?」

 王女はフィンの意図を察したようだ。

「違うのよ。彼女も公務なの」

「公務? ですか?」

「まあ、公務といっても厨房のお仕事なんだけど。お母様がね、お魚が大好物なのは知ってるでしょ? だからハビタルから定期的に取り寄せているのよ」

「あ、あの魚って、そうだったんですか?」

 ルクレティア王妃の故郷であるベラ首長国は内陸の国だったが、エストラテという大河に加えて喜びの海と呼ばれる大きな内海がある。そこでは海にも負けないほどの水産物が水揚げされていた。

 王妃はそこで育ったために大の魚好きで、ディナーにもよく魚料理が出てきていた。魚の種類にそれほど詳しくはなくても、山国では取れそうもない魚が出てくるなとは思っていたのだ。

「そうなの。その契約が近々切れるんで、彼女に手続きをしに行ってもらおうと思うのよ」

「ああ、はい……」

 フィンは再びメイを見る。そういうことなら別に同行することは構わないのだが―――何といってもまだ子供に見えるのだが大丈夫なのだろうか?

 そんな表情を見てか王女がにっと笑った。

「彼女ももう十七ですから」

「えっ!」

 と、声をあげてしまってフィンは慌てて口を押さえた。

 王女がにやにや笑いながら続ける。

「この間ルースが来たときも、大活躍だったそうよ」

「いや、それほどでも……」

 メイが苦笑いしながら口を挟むが、王女は続ける。

「一国の首長様に失礼なお料理は出せないでしょ? だから彼女が街中から食材をかき集めてくれて。この子がいなかったらルースには残り物のハムサンドを出さなければならなかったところなの。まあ、そうなっても自業自得だったんだけど」

「えっと……そうだったんですか」

 考えてみたらあれはもう正直めちゃくちゃだった。迷惑はフィンだけでなく、こんな少女にまで波及していたらしい。

《でもこの子が?》

 言われなければ絶対そんな風には見えない。その辺の子供のようだ。

 だが魚の買い付けとはいえハビタルにまで行かせるということは、間違いなく王女は彼女をずいぶん買っていて、フィン同様に実務の経験を積ませてやろうとしているのだ。しかも彼女は王女が側にいるというのに物怖じもせず自然に振る舞っている。

「それじゃメイ、よろしくな」

「はいっ! ル・ウーダ様!」

 ベラへの旅に彼女が同行していたのはそんな経緯だった。



 こんな調子で全く唐突にフィンとメイはハビタルに旅立つことになったのだったのだが……

「ぐえー……暑い……」

 知らなかったとはいえ、この暑さは少々計算違いだった。

 相変わらず馬車の中はゆだるような温度だ。街道の両脇は見渡す限りの小麦畑が広がり、陽を遮りそうな物は何もない。

 フィンは併走しているガルガラスに話しかけた。

「なあ、もしかしてハビタルまでずっとこんな感じか?」

「そうですぜ」

「ぐああああ!」

 フィンはうめくと水を飲もうとした。だがさっきの宿駅で補給したはずなのに水筒の中身はほとんど空っぽだ。

「我慢して下さいよ。旦那。ちょっとそれ小さすぎましたか? 次の宿駅でもう一本新しいのを買いますかい?」

「ああ、そうだな。それがいい……」

 全く彼らと一緒でなかったら途中で挫けていたかもしれない。

 フィンはフォレスの正式の使節としてベラに行くので、王女は護衛を何名かつけてくれた。

 本来は一人旅の方が気が楽だったのだが、国の体面なども関係してくるし、メイもいる。少々堅苦しくなるのはやむなしと思ったのだが―――その護衛というのが例のガルガラスとその部下のヴィアスとロッシという男たちだと知ったときには仰天した。

 何しろアサンシオンでアウラに大恥をかかされたのが彼らなのだ。城内でフィンとアウラが同棲していることは公然の事実である。だとすればフィンにも恨みを感じているというのは十分ありえる話で、よっぽど断るか代わりの者に代えてくれと頼もうかと思ったくらいだ。

 だがどうもその人選もたまたまではなく、王女が直々に行ったらしい。

 だとすれば断ることはできない。しかたなくフィンは同意したのだが―――旅に出た当初はまさにおっかなびっくりだった。

 ところが、なぜか彼らは借りてきた猫のように神妙にしている。憎しみをぶつけてくるどころか、一緒にいても仲間と軽口を交わすようなことさえせず、フィンがちょっとでも何かしたそうな素振りを見せると、誰かが慌ててやってきて用を足そうする。まるで心底フィンを恐れているようだ。

 そんな状態では逆にフィンの方がやりにくかったので二日目の夕食のとき、恐る恐る尋ねてみることにしたのだ。


 ―――フィンに呼ばれてガルガラスとヴィアス、そしてロッシはぎくっとしたような様子で振り向いた。

「へえ、何でございましょうか?」

「えっとそのさ、公式の場ならともかく、今は僕たちだけなんだし、もう少しその気楽にしてくれてもいいんだけど」

 それを聞いて三人は顔を見合わせた。明らかに困惑している。

「それに君たち、酒を頼んだりしないのか?」

 三人はまた顔を見合わせる。ガルガラスがおずおずと言った。

「よろしいので?」

「全然構わないんだが」

 三人は顔をほころばせた。というより、彼らが酒好きなのはどう見たって明らかだ。フィン自身は気分が乗ったときしか飲まなかったから気にしなかったのだが、昨晩も彼らは飲んでいない。これはある意味異常なことではないだろうか?

「じゃあ、今日は頼もうか? アルカでいいか?」

 彼らは大喜びでうなずいた。どうやら我慢していたらしい。

 酒が入ると彼らも少しずつうち解けてきた。そこで適当なタイミングを見計らってフィンはガルガラスに尋ねてみた。

「なあ、ガラス。もしかしてアウラのことなんだけど……」

 案の定ガルガラスは硬直した。

《あ! やっぱり……だけどどう言ったらいいんだ?》

 ここで妙な慰めを言っても失礼に当たるだけだろう。郭の中ということで実際に見た者は少なかったものの、彼がアウラと決闘して負けた話はすぐにガルサ・ブランカ中に広まっていた。さぞや肩身の狭い思いだっただろうが……

 でもあの場合の非はほとんどガルガラス達にあるわけで、それについてはフォローのしようがない。

 だが彼らの反応はフィンの予想とはちょっと違っていた。

「いや、ありゃあっしらが悪かったんですから、どうかお許しを」

「あの、小娘にはもう手を出しませんので」

「そうです。そうです。それともまだアウラ様はお怒りなんですか?」

 ガルガラスだけでなく、部下のヴィアスとロッシも一緒になって謝り始める。フィンはこう来られるとは思っていなかったので少し慌てた。

「いや君たちを責めてるとかそんな訳じゃなくて、ほらあいつって喧嘩っ早いから、もうちょっとその、うまい場の治め方があったんじゃないかなって思ってね」

「いえ、あれはアウラ様の言うことがもっともだったわけで。もしまだお怒りなんでしたら、あっしらは十分反省してるってお伝え願えませんか?」

「いや、そうじゃないんだ。あいつは全然怒ってなんかないよ」

 三人はほっと胸をなで下ろした風だった。

「そうじゃなくて僕は、君たちがあいつのこと恨んでるんじゃないかって思って……」

 ところがガルガラスはぽかんとした顔をした。

「はあ? ってか、最初っから恨んでなんかいませんぜ?」

「え? あ、そうなのか? でも僕だったら女に叩きのめされたら恨むけど……」

 それを聞いてガルガラスはにやっと笑った。

「ああ、そのことですかい。まあ、そりゃ喧嘩に負けりゃ少しは頭には来ますがね、ありゃ勝つとか負けるとかそんなもんじゃなくて、何ていうかね、人間業じゃないです。あっしだってね、一応これで身を立ててるんですが」

 ガルガラスは腰の剣を叩く。

「あんなまるで歯が立たないって相手だと、逆に冷めちまいますよ」

 そういうものなのか? フィンは曖昧にうなずいた。

「そうでさ。それに、いくらあの女が強いからって、百人隊を指揮できますかい? それとこれとは全然別でさ」

「あ、確かにそれはそうだよな。アウラじゃそれは無理だな」

 ガルガラスが喜んだ。

「でしょ? 兵士って言うのは剣豪である必要はないんですよ。戦場で頭を上げていられるだけの勇気があればいいんでさ」

「ああ⁈ そうなんだ……」

 その言葉はフィンにとっても目から鱗が落ちるようだった。もしかするとこのガルガラスって奴は結構すごいんじゃないか? とフィンが思ったときだ。ロッシが小声で突っ込んだ。

「って、ナーザ様が言ってたのそのままじゃないですか」

 それをガルガラスは聞き逃さなかった。

「あんだと? 何か文句があるか?」

 ロッシはすくみ上がった。

「ナーザ様?」

 フィンはそっちの名前の方に驚いた。それを聞いてもう一人の部下のヴィアスが答える。

「そうですよ。あの次の日、どういう処分をされるかってびくびくしてるところへ、ネブロス連隊長とナーザ様がやってきて、そこでおっしゃられたんです」

「へえ。じゃあ処分は?」

「名誉の決闘が行われただけなんで、関係者全員処分なしって事で」

「へえ、そうだったんだ……」

「おい! お前勝手にぺらぺら喋ってんじゃねえぞ!」

「うわあ! すみません」

 それにしてもあのナーザという人は、未だによく分からない。軍の顧問をしているどころか、ほとんど前線にも立っているようだし、エクシーレにも使節として行ってみたり……

 ともかくこれで彼らとのわだかまりも少しは解けてきたようだが、それでも相変わらず彼らの堅苦しさは取れない。都の貴族という肩書きがそんなに重いのだろうか?

 だがフォレスにおいては都の威光はそんなに大きくないはずだ。

 実際城のいろんな人々と会ってきたが、ル・ウーダという名前に最初は驚かれるが、だからといってそれ以上特別扱いされるようなこともない。他の客人と大差ない待遇だ。

 では彼らの態度はいったい何が理由なのだろう?

 そんなことを考えながらフィンが彼らに酒を勧めていると、何か意を決した風にガルガラスが尋ねてきた。

「あの、旦那。ちょっと訊いていいですかい?」

「ああ。何だい?」

「旦那はどうやってあの女をやっつけたんですかい?」

「は?」

 フィンはガルガラスの意図がよく分からなかった。

「あんな女に勝てるなんて、いったいどういう技をお使いになったんですかい?」

「いや、別に勝ったとかそういうわけじゃないし」

「でも戦ったんでしょう?」

「?? いや、戦ってはないが。戦ったりしたら真っ二つにされるに決まってる」

「でもあのアウラって女は、戦って勝った男にしか身を任せないんですよね?」

 フィンは飲みかけのアルカ酒を吹き出しそうになった。

「ちょっと待て! 何だ⁇ その話は……」

「だってアウラってのはそういう女なんでしょ? やっぱり魔法なんですかい?」

 それを聞いてフィンも大体の理由が呑み込めてきた。

 フィンはアウラの近くにいすぎたせいで、そういった町の噂は聞きつけていなかった。だがどうも噂は噂を呼び、大きな尾ひれがついていたようだ。

 慌ててフィンが聞き出してみると……


 ―――“ヴィニエーラのアウラ”は薙刀だけでなく閨房内のテクニックがまた凄まじく、彼女をモノにできた男は天上の悦楽を得ることができるのだという。

 だが彼女は自分より強い男、すなわち彼女と戦って勝った男にのみそれを与えようと、そして負けた男の首は即座に首をはねてしまおうと心に決めていた。

 そんな彼女に今まで九十九人の男が挑戦したのだが、ことごとく敗れ去って屍をさらしてきたという。そして百人目に彼女の前に現れたのが、白銀の都からやってきたル・ウーダという男だった。

 その戦いを見た者はいない。しかしアウラが今その男と恋仲である以上、ル・ウーダという男はアウラに勝ったのだ。

 ということは、その男はとてつもなく強い奴に違いないのだと―――


「なんだよ、それは! んなわけないだろ⁈」

 何だか色々な昔話がごっちゃになっているぞ?

「だってみんな言ってますぜ。だからよっぽどあんたはすごいんだろうって」

「ちょっとまて、おまえだって決闘しただろ? 生きてるじゃないか!」

「ありゃ別にアウラをモノにするための決闘じゃなかったですからね」

 ガルガラスがそう言ったとき、ヴィアスが口を挟んだ。

「隊長は眼中になかったって話もありますがね」

「なんだと?」

「だ、だからそういってる奴がいたんですよ!」

「誰だ! そいつは!」

 ガルガラスは剣を抜こうとする。喧嘩っ早い奴だ。そういうところはアウラとどっこいどっこいだが……

 フィンは慌ててガルガラスをなだめた。

「まあまあ、とにかくそんなの嘘だって! あいつはそんなに危ない奴じゃないって」

 ないこともないが―――ともかくそれを聞いて三人も一応フィンの言うことを信用したようだ。

「じゃあ、やっぱりあの噂はインチキだったんですね」

「当然じゃないか。大体九十九人も男を殺した奴なんて、間違いなく賞金首だろうが? そんな奴を王様が王女様のお側に置いとかれるわけがないだろう?」

「はあ、そう言われればそうでしょうね。じゃあル・ウーダ様は人を魚に変えたりとかはできないんですよね?」

「あ?」

「いや、そうでもしないとあの女には勝てないって話で……」

 フィンは自分が恐れられていた理由をようやく理解した。

「あっはははは! まさか! そんなことできるわけがない。だいたい都にだってそんな魔法使いはいないよ」

「そうなんですかい?」

「ああ。だから盗賊とかに襲われたりしたら、本当に君たち頼りなんだよ」

 それを聞いて三人はまた顔を見合わせた。

「ええ? そうなんですかい?」

「もしかしてそんな奴らが来たら僕がやっつけるって思ってたのか?」

 三人はうなずいた。

 フィンは苦笑しながら自分にできることを説明した。

「僕にできるのはね、小さい火の玉を出すことと、何かを吹っ飛ばすことと、それから高いところから飛び降りても怪我しない、とこれだけなんだよ。だから後ろから少しは手伝うことはできても、君たちが頑張ってくれないと全滅だぜ」

 それを聞いて三人は笑い出した。

「そうだったんですかい? それじゃあっしらも頑張らないといけませんな」

「そうそう。でもこの街道って大体安全なんだよな?」

「まあこの道はさすがに大丈夫だと思いますがね。でもベラの中じゃ脇道に入ったらそうとも言えませんぜ」

「そうなんだ。まあ君たちみたいにごついのがついてれば大丈夫だとおもうけどな」

「ま、そういうときは任してくだせえって」

「ああ。頼むよ」

 一同は笑って乾杯した。とりあえずこれで変な誤解も解けたようだ、とフィンが思ったときだった。ヴィアスがガルガラスに話しかけた。

「でもそうすると隊長、じゃあやっぱりボースの奴が言ったことが本当だったんですかね?」

 それを聞いたロッシも言う。

「考えてみれば旦那は都のお方だし、俺たちの知らない方法を……」

「あ? おう! 確かにな」

 ガルガラスがうなずく。それから三人は向き直るとまた変な目でフィンを見た。

「ああ? 今度は何の話だよ?」

 訝しむフィンにガルガラスがにやにやしながら言った。

「旦那はアウラと決闘したんじゃないですよね?」

「だからさっきそうだと言っただろ?」

「じゃあどうやってあの女を手なずけたんですかい?」

 フィンはまた酒を吹き出しそうになった。

「いやね、ボースって奴がうちの隊にいるんですがね、そいつはずっと決闘の話なんか信じてなくて、旦那が夜這いして落としたんだって言うんでさ」

「ぶはっ!」

 フィンは咳き込んだ。三人はそれの意味を勘違いしたようだ。

「やっぱりそうだったんですね」

「どうやってやったんです?」

 部下の二人が口々に尋ねる。

「いや、そういうわけじゃなくてな」

「じゃあどうだったんですかい? あのアウラって筋金入りのレズですよね。そんな女を落とすなんて、そりゃよっぽどすごい手管を使わないと、ですよね?」

「そんな方法があるんなら教えて下さいよ」

「いや、あいつは、そう誤解されるのは仕方がないが、別にそこまで筋金入りじゃなくて、ちゃんとノーマルなんだよ」

「ええ?」

「だから、何というか、ここに来る途中に出会って一緒に旅している間に仲良くなったんだよ」

「ええ? でもそれじゃこの冬の間はどうして一緒じゃなかったんですかい?」

 何でこいつらがそんな細かいことまで知っているんだ⁈ 町の噂、恐るべしだ。

「あれにはいろいろ訳があってだな……」

 フィンは大慌てでごまかした。

 その後色々と紆余曲折はあったものの、とりあえずは彼らに事情を説明することには成功した。

 だがそのためにどうも彼らの夢を壊してしまったらしい。どうやら彼らはフィンの物凄い魔法を見るか、女を口説く物凄い方法を教えてもらえると期待していたらしい。

 彼らがあまりがっかりしているので、フィンは魔法で一緒に屋根の上からジャンプしたりして彼らの機嫌を取ってやった。大した魔法ではないにしろ、その体験は印象深いものだから……



 といったようなわけでフィンはガルガラスとその仲間たちとは意気投合できた。

 しかしもう一人の方とはどうもうまくいっていなかった。

《…………》

 フィンはちらっとまた横を見る。

 そこにはずっとメイが座っているのだが、朝からほとんど口をきいていない。彼女はフィンのことを見ようともせず、ただじっと馬車の外を見つめているだけなのだ。

《王女様に紹介されたときは、もっと喋る子かと思ったんだけど……》

 最初の頃はガルガラス達の方が気になって彼女のことをあまり気に留める余裕がなかったのだが、旅に出てからというもの、こちらはもう置物のようだった。

《やっぱあれがまずかったかなあ……》

 最初の日、メイがなんだか緊張している様子だったので、フィンから話しかけてみたのだ。


 ―――フィンは彼女のことはほとんどアウラから聞いたことくらいしか知らなかった。

 そこでさっきからずっとそっぽを向いているメイに話しかけてみたのだが……

「あ、メイ?」

「はいぃっ! なんでしょうかっ!」

 メイが飛び上がるようにこっちを向いたのでフィンの方が驚いてしまった。

「いや、別段何がってわけじゃないんだけど、えっと、君って厨房で働いてたんだって?」

「はいっ。そうですっ」

「ってことは料理も作るの?」

「はいっ。僭越ながら宮廷料理人の末席を汚させて頂いておりますっ!」

 ………………

 えっと、何だろう? これって……

「へえ、それじゃディナーとかも作ったりするの?」

「はいっ! ときどきお役目を授かることもございますっ!」

 いや、これじゃちょっと疲れすぎる。

「えっと、ほら、僕も同じ王様に仕える身だし、そんなにしゃちこ張らなくてもいいから」

「え? でもル・ウーダ様は白銀の都の貴族様ですし」

「ここじゃもうそれってあまり関係ないから。だからもっと気楽にしてくれないかな?」

「えっと……あ、はい……」

 彼女はやや混乱気味にうなずいた。

「えっと、それでどんな料理が得意なの?」

「え? それはいろいろできますが……」

「最近なんか作った?」

「はい。土曜日の夜のディナーは私が指揮して作りましたが」

「土曜日? って一昨日だよね……」

 そう思ってフィンはその日の夕食を思い出そうとしたが……

《あれ? 何だったっけ?》

 なぜだかさっぱり思い出せない。

 というかフィンはアウラとの関係や王女の婿候補の話などで頭が一杯で、最近は食事などに気にかける余裕が全くなかった。

「えーっと……メインは子羊のクリームソース煮だったんですが……」

「あ、ああ、そうだったね」

 言われてみたらそんなだったような気がする。

「あの、ル・ウーダ様のお口には合いませんでしたか?」

「いや、そんなことないよ。美味しかったから。普通に」

 ………………

 …………

 ……

「普通………………でしたか……」

 メイはがっくりと肩を落とした。

 うわああああ! しまった! つい口が滑っちゃったけど、これって一生懸命やってる人にとってはあんまり褒め言葉じゃないよね?

「いや、だからお城の料理の普通っていうのは、世の中の基準で言えば極上ってことだからね? それってすごいんだよ?」

「あははー。ありがとうございます」

 何だか目が死んでないか?―――


 などという残念な会話があったりしたせいか、それ以来何となく話しづらいのである。

 そのうえ事務的な会話でもできればまだいいのだが、彼女は身辺のこともきっちり行き届いていて全く付けいる隙がないし、夜も食事を終えたらさっさと自分の部屋に引きこもってしまう。

《うーん……》

 いや、だから別に彼女と親睦を深める旅というわけでもないし、互いの任務さえしっかり遂行できればいいのだが……

《でも、こんなガチガチで仕事ができるんだろうか?》

 一応王女のメガネにかなったということなのだろうが、彼女に仕事を任せるのはちょっと早かったんじゃないのか? と、他人ごとながら少し心配になってしまうのだが……


 ―――そんなことを考えながら進んでいると、街道は緩い丘を登り始めた。

 木が生えてないので先までずっと見えるが、結構高い丘だ。

「ああ、これを越したらハビタルが見えますぜ」

「そうなのか?」

 フィンは上の空だった。ガルガラスは彼が疑っていると思ったのだろう。

「信じられないって言うんですかい?」

 フィンは慌ててごまかした。

「いや、そんなことはないよ。でも、君がフォレスに来たのはまだ小さかった頃だよな」

 そう言ってしまってから、ガルガラスが使節の護衛になったのは当然これが初めてではないだろうということに思い当たった。だが彼はそこには突っ込まなかった。

「あっしが育ったのはこの近くなんですよ。ここから東に二時間ぐらい行ったところにある村なんでさ。だからこのあたりにも何度も来てるんでさ」

「ああ、そうなんだ」

 あたりは相変わらず一面の小麦畑だ。所々には木立も見えるが、街道沿いはずっと炎天下だ。

「結構豊かそうな場所だね。ここでもやっぱり仕事がないのかい?」

「まあ、長男坊ならいいんでしょうがね。それに土地の大部分を持ってるのは領主様ですからね。うちなんかはたいした土地があったわけじゃなし、それを兄弟で分けたりしたら猫の額みたくになっちまいます。で、フォレスに来たんでさ」

「そうなんだ。何人兄弟だったんだ?」

「あっしは四人兄弟の三番目でさ」

「へえ。俺は妹と二人だったからな。でもまあ……内弟子がいて兄弟みたいだったけどな」

「内弟子? ってなんです?」

「あ、いや、俺の親父が碁が強くてね、そっちじゃ都でも一二を争うって言うんで、住み込みの弟子が何人かいたんだ」

「へえ。じゃあ旦那もお強いんで?」

「いや、俺は全然だめ。アイザック王とどっこいどっこいだ」

「はあ」

 もちろんガルガラスは王の腕前を知っているわけではないから、いい加減にうなずくしかなかった。

 と、一行は丘の上に登りついた。

 さあっと風が吹き抜ける。広大なベラの平野が一行の眼前に広がっている。

「おお!」

 フィンは思わず声を上げた。こんな大平原を見たのは久しぶりだ。フォレスはもちろん彼の生まれ育った都も山の中だ。こんな平原はメリスの近くで一度見たがそれっきりだ。

 だがガルガラスはここからハビタルが見えるとか言ってなかったか? でもそんな町などどこにも見えないような気がするが?

「で、ハビタルはどこだ?」

「あれですぜ旦那」

「えっ?」

 フィンはガルガラスが指さした方向をじっと見つめた。その方向の遙か彼方に、平原をうねる太い川が見える。その対岸に確かに黒い染みのような物が見えるが……

「あ、あはははは。あれか?」

「はい。今の調子なら、あと四時間ぐらいでしょうかね?」

「あははははは」

 やっぱり自分はこの土地には向いていない、絶対にそうだ! フィンは心の中で呪った。

「あー、それじゃちょっと早いけど次の宿駅で食事にしようか。それと新しい水筒もな」

 目的地が近いのであれば一気に行ってしまおうかとも思っていたのだが、これではもちろんそうするしかない。ガルガラスはうなずいた。

「へえ。承知ですぜ。それじゃ先に行って準備してきやしょう」

「ああ。よろしく」

 そう答えてしまってから、メイの意見を聞いていないことに気づいた。

 彼女も一応フォレスの公式使節である。

「あ、もちろん君もいいよね?」

「…………」

 返事がない。

「聞こえたかい? 次の宿駅で昼食でいいよな?」

「………………」

 悪いわけがないとは思うが―――なぜか返事がない。

「メイ?」

 不審に思ってフィンが彼女の肩に手を掛けると―――彼女はなぜかそのままこてんとフィンの膝の上に倒れてきたのだ。

「はぁぁ?」

 フィンは一瞬パニックになりかかるが、続いて彼女の体がひどく熱いことに気がついた。

《ちょっと待て! これってもしかして……》

 フィンはメイの頬っぺたをぴしゃぴしゃ叩く。

「おい! メイ! 聞こえるか?」

「はにゃ?」

 メイは薄目を開けたが、何を言っているのか分からない。これはいけない!

 フィンは窓から首を出して先行しようとしていたガルガラスに向かって叫んだ。

「ガラス! 待ってくれ、メイが倒れた!」

「なんですと?」

 驚いて引き返してきたガルガラスはメイの様子を見るなり言った。

「暑気あたりですね。こりゃヤバい」

「えっと、どうすればいい?」

「体を冷やさなきゃならないんでさ。まず服を緩めてやって、それから水をぶっかけて……」

 服を緩めてやって??

 って、あれ? こういう場合何かしら感じるべきことがあるような気がしたが、何だっただろう?―――なんてことはともかく!

「水筒の水、飲んじゃったんだが君のはあるか?」

「いや、あっしもたった今……おい。お前ら、水は?」

 運悪く残りの二人も同様だった。

「すみません。暑かったもんで……」

「ここまでとは思いませんで」

「じゃあ、ともかく次の宿駅まで突っ走ろう」

「わかりやした」

 フィンの言葉に御者台のロッシが馬に鞭をくれようとしたとき、ガルガラスがそれを止めた。

「待ちな! それよりも引き返してちょっと前にあった脇道に入れ」

「どこに行くんだ?」

 フィンが尋ねるとガルガラスはにたっと笑う。

「その道を下っていったらすぐ農家があるんでさ。そこで井戸を借りやしょう」

 ガルガラスはこの近くの出身と言っていたなら確かだろう。

「分かった。任すよ」

 そこでガルガラスは一行を先導して脇道に入っていった。

 のはいいのだが……

「うわ、ひどい道だな」

 その脇道はとんでもなく凸凹していて、馬車は大揺れに揺れている。おかげで喋るときには舌を噛まないように注意しなければならないし、シートに寝かせたメイが転がり落ちないようしっかり押さえておかねばならない。

 と、ざっぱーんと大きな水音がした。

「何だ? 川か?」

「いや、でっかい水たまりでさ」

「水たまり? 雨も降ってないのに?」

「いや、夕立はよく降るんですがね、そのせいでああいう水はけの悪いところに溜まってたりするんですよ」

 そんなところは盛り土とかしておくもんじゃないのか? などと言ってみても始まらない。

 さらにしばらく跳ね回る馬車の中でフィンはメイの体を押さえていたが、やがて馬車は数軒の農家がある小集落に入って停止した。

 庭先には涼しそうな木陰が見える。

「ロッシ! それに旦那! 嬢ちゃんをそちらまで。ヴィアス、お前は水汲んでこい」

 ガルガラスが手際よく指示を出している。

「こういうことには慣れてるのか?」

 フィンが尋ねるとロッシがうなずいた。

「ええ。夏に行軍してたらときどきそういう奴が出てきますんで」

 フィンとロッシは木陰までメイを抱えていって、下草の上に寝かせた。

「えっと、それから?」

「その上っ張りを脱がせてやってくだせえ」

 再び何かちょっと引っかかる物があったが―――今は危急の時である。

「ああ、そうだな」

 フィンは彼女の服のボタンを外しはじめた。

 メイが着ていたのはフォレス王宮で使われている一般的な侍女の正装だ。

 もちろんこの季節だから夏仕立てなのだが、残念な事にフォレスは高原の王国だった。生地は薄手だとはいえ長袖だし、襟元までぴっちりとボタンで留めるようになっている。

 フィンとロッシが上着を脱がし終わったところに、ヴィアスが両手に水の入った桶を下げて戻ってきた。

「じゃいきますぜ」

 ヴィアスが水をぶっかける。

「……ぬぁ?」

 メイがぴくっと動くと何かつぶやいた。

「ほれ、もう一杯」

 彼が再び水をぶっかける。

「……うにゃああああ!」

 今度は妙な叫び声と共にメイが飛びおきた。その姿を見て一同はみんな胸をなでおろした。

 メイはびっくりしたような表情であたりを見回していたのだが―――いきなりあらぬ所を指さすと叫んだのだ。

「ふわあああ! ベル君がなんて姿に!」

 いや、そちらには誰もいないのだが……

 一同は顔を見合わせる。それからロッシが小声で言った。

「ヤバいですね、錯乱してるみたいですよ」

「それってまずいのか?」

「ええ、重症ですよ。こりゃすぐに医者を探した方が……」

 ロッシがそこまで言ったときだ。メイが割りこんだ。

「誰が重症ですかっ!」

「嬢ちゃん。でもね、ベル君って誰なんです? 恋人ですか?」

「はい?」

 目を丸くするメイにフィンもやさしく話しかける。

「いいかい? 気をしっかり持つんだ。あっちには誰もいないから……」

「そりゃ誰もいませんけど?」

「え?」

「だから、ベル君ってそこのベルリンですよ。ラットーネの。それがこんな泥だらけになっちゃって、うわー、可哀相!」

 フィンはまだ彼女が何を言っているのか分からなかったが、ロッシはそれを聞いて吹きだした。

「あん? あんたあれに名前つけてたのかい?」

「いーじゃないですかっ! ガルサ・ブランカからずーっと一緒だったんだし。ポリーとサラドにだって名前があるんだからっ」

 ポリーとサラドというのは馬車馬のことだが―――ベルリン?

「えーっと、ベルリンって?」

 それを聞いたメイとロッシは驚いたようにフィンを見た。

「えっと、この馬車、ベルリンっていう車種なんですが、ご存じありませんでしたか?」

 よく見ればメイの指さした先には彼らの乗ってきた馬車があった。先ほどの水たまりを越えたせいか、下半分が泥でひどく汚れているが……

「あー、いや、知らないけど……」

「あれー、そのくらいみんな知ってると思ってましたが」

「そうですよ。基本常識ですよね

 ロッシとメイがうなずき合うが―――いや、だから馬車の車種なんて決して基本常識じゃないと思うから。特に女の子にとっては。

 ともかく彼女が錯乱していなくてよかったとしておこう。

 と、そこに農家の女将と一緒にガルガラスが戻ってきた。

「すんませんねえ。いきなり」

「いえいえ、あるんですよ。ときどき。フォレスの方が暑さで行き倒れるのが。こちらの暑さをあまりよく知らないんでしょうねえ」

 あはははは。

「おう、気づいたみたいだな。じゃあまずこれを飲みな」

 ガルガラスがメイに大きなコップに入った水を手渡す。メイはこくんと頷くと、ごくごくとたちどころにそれを飲み干した。

「気分はどうだ?」

「ぷはあっ、何とか生き返った感じです」

 その様子を見てガルガラスは安堵したようだ。

「全く、暑いなら暑いって言うんだぞ? それから水とかはちゃんと飲んでたか?」

 そう問われてメイはうっといった表情になる。

「ん、まあそれは……ほら、途中でお手洗いに行きたくなったら困るし……」

「そんなことだと思ったが……あのなあ、んなこた誰も気にしねーから。おばちゃんの言うように、こっちの暑さ舐めてんじゃねーぞ?」

「あの、あー、すみませんでした。みなさん。それに奥さんも、申しわけありませんでした」

 ガルガラスの剣幕にメイはぺこぺこと全員に謝りだす。

「それで具合は? どっか痛かったり()ってたりしないか?」

「いえ、べつにどこも……」

「じゃ、そろそろそれ着替えてきな。濡れっぱなしじゃ今度は風邪を引くぜ」

 そこでメイが何げなく下を見ると―――次いで急に寒気がしてきたのか胸に手を当てて震えはじめた。

「着替えはあるんだよな?」

「ありますっ!」

 フィンの問いにメイは弾かれるように立ちあがって馬車の方に歩くが、途中でなぜか立ち止まってがっくり肩を落とした。

「おい? まだふらついてないか?」

「大丈夫ですからーっ!」

「本当に大丈夫か? ガラス。何だったらもう少し休んでった方が……」

「いや、あれなら大丈夫ですよ。治るときはわりとすぐ治るんで」

 ―――そんな会話を聞きながら、びしょ濡れで肌が透けてたのが恥ずかしかったんじゃないのかねえ? と思ってくれたのは見知らぬ村の女将さんだけだった。