ハビタルの48時間 第4章 水上庭園

第4章 水上庭園


 そんなトラブルはあったものの、彼らがハビタルに着いたのはまだ陽も高い時刻だった。

 そのためフィンは初めての街をじっくりと眺めることができた。

 ハビタルはさすがに白銀の都とタメを張るベラの首都だけあって、彼が旅に出てから見たどんな都市よりも大きかった。だが都育ちのフィンにとっては、街の大きさはそれほど驚きには当たらない。彼にとってはこの街の持つ独特な景観の方が遙かに衝撃的だった。

 その異なった景観を生み出している最大の原因は、街の建物の作りの違いにあった。何しろこの街の建物はほとんどが木と土で造られているのだ。

 そのため町並みが、特にその色合いが全然違う。

 ハビタルの街は遠くからだと黒っぽく見える。そのため最初はここが街だとは気づかなかったぐらいだ。これがフォレスやグラテスなどでは大体は建物は石造りだったから町の色は灰色っぽくなる。

 また市街の周囲は大河エストラテから引き込まれた広い堀で囲まれており、城壁の代わりに外部からの侵入を防いでいた。堀は市街の内部にも細かく引かれており、街は堀でいくつかに分割された形になっていて、運河としての役割も果たしている。

 こういった街の作り方は、この土地の気候を考えれば納得がいく。ここはは暖かく、国のかなりの部分に広大な森林が広がっているのだ。

 だがそれだけが理由のすべてではないのかもしれない。

 フィンはアウラと出会う前、短期間メリスという町に滞在したことがある。そこの気候と地勢はこのハビタルとかなり似通っていた。だがその町は都同様に石造りだった。

 ベラは都とは常に一線を画してきた歴史を持っている。またそれを誇りにしてきた。こういった街作りも結局その伝統と誇りの延長にあるのかもしれない。

 その誇りは“ベラ首長国”という国の名前からして現れている。

 ベラを統治する者は代々国王ではなく国長(くにおさ)と呼ばれていた。この世界の多くの国が王国である中で、ベラがそういう制度を頑なに守っているのは、ベラがこの世界で最も古い国であるという誇りによるのだ。


 ―――伝説によれば、大聖が白と黒の女王を従えて東から渡ってきたとき、既にベラはここに存在していたという。そのとき大聖はフォレスの地に何年か滞在してそこで子を設けた。周囲にあった小国が次々に大聖に帰順していく中で、ベラだけはその独立を守り続けたという。

 そしてついに大聖は意を決して皆を連れてベラの地に来た。人々は皆、この生意気な小国を大聖がひねりつぶしてしまうのだろうと思った。

 だが大聖の行動は人々の理解を超える物だった。彼はベラの国長の前に現れると、皆の見ている前で生まれた自分の子供を長に託した。そのときに大聖の言った言葉が『私に従う者を私は愛するだろう。だが私に刃向かう者はそれ以上に私に愛されることになるのだ』というものであった。

 そして大聖はこう続けたという。『それ故にこの子をお前に預けよう。この子はお前の好きにするがいい。私が憎ければ殺しても良い。だが育てておいた方がいずれ私と本気で戦うときには、役に立つことだろう』と。

 それから大聖はその子を残して更に西に向かい、現在の白銀の都と呼ばれる国を築いた。

 今のベラの国長はその子供の子孫だという。そしてその子孫達には魔法使いの資質を持つ者が多く生まれたのだ。

 ベラが白銀の都と並ぶ魔導師の総本山となったのはこういった理由によるという―――


 と、いうわけでハビタルの街はそれだけでもフィンにとっては非常に目新しかったのだが、彼の目を奪ったのはそれだけではなかった。

 街に入ったとたんに、彼の目には通りを行く女性達の艶やかな姿が飛び込んできたのだ。

 その服はフォレスなどでは滅多に見られないような、明るく鮮やかな色彩だ。しかもそのデザインはかなり露出度が高く、若い女性が腕や足、それにウエストまでをむき出しにして平気で歩いているのだ。

 目のやり場に困っているフィンを見て、ガルガラスがにやにやしながらささやいた。

「どうしたんです? 旦那?」

「いや、その、今日は祭りとかそういうわけじゃないよな?」

 それを聞いてガルガラスはとぼけて言った。

「はあ。どうしてですかい?」

「い、いや、すごい服だなと思って……」

「すごい服? ああ、ここの女どもの服のことですかい? ここじゃいつもこんなもんですぜ」

「そ、そうなのか?」

「だってこんなに暑いんじゃ当然でしょう?」

「そ、そんなものかな?」

「うわあ。涼しそうでいいですねえ……」

 メイはなんだか羨ましそうに外を眺めている。

 フィンの育った都でもフォレスでも、まともな女性がこんなに肌を露わにすることなどあり得なかった。夜会用などには少し襟ぐりの空いたドレスなどもあったが、あそこまで肌を見せるのは、郭の遊び女と相場が決まっている。

 もちろん都やフォレスは高原地帯で、夏でも曇っていたらうすら寒いぐらいの日も多かったので、ある意味合理的だったのだが。

《ま、この子なら大丈夫だろうけど……》

 フィンはメイがそんな格好をしているところを想像してみたが―――うん。何というかほのぼのとなごむ光景だ。それに比べて道行く娘達の姿は……

「旦那。あまりきょろきょろすると田舎者だと思われますぜ」

「あ、ああ……」

 じゃあいったいどこを見ていればいいんだよ? 人類の半分は女だぞ? その上なんだ? どうしてこの町はこんなに人が多いんだ? こんなにくそ暑いんだから、家で昼寝でもしてろよ!

 ―――などということを考えているうちに一行は首長の館に到着した。


 館は町の北のはずれにあって更に広い内堀に囲まれている。だから堀に囲まれた館というよりは、湖の中に浮かぶ島のようにも見える。

 正面の橋を渡ると既に彼らが来るというニュースは伝わっていたようで、特に待たされることもなく中に通された。

 そこでメイと従者二人は控えに残り、フィンとガルガラスが二人で謁見の間まで案内されたのだが、案内してくれた女官の衣装は町中の平民の衣装に比べて更にあでやかな物だった。

 もちろん露出度という点では町の女達よりは少し落ちるが、微妙に見えそうで見えないような丈の長さとか、脇の下のスリットとかが逆によりエロチックで―――などということを考えないようにするためには、フィンは全精神力を使わなければならなかった。

 それでなくても彼は今、そちら方面ではかなり不幸な状況にあるのに、この光景はちょっと刺激が強すぎる。

《うう、いかんいかん。ちょっとなあ、アウラがあれだから……》

 アウラにこんな服を着せてみたらどんな風になるだろうか? あいつは結構スタイルはいいから、なかなか見栄えするんじゃ……

《だから!》

 などと妄想していたため、フィンはもう少しでロムルースがやってくるのを見落とすところだった。

「旦那。来られたようですぜ」

 ガルガラスが小声でつついた。

「あ、ああ」

 フィンは慌てて深呼吸した。

 やってきたのはロムルースと数名の高官だ。そのうちの一人はこの間フォレスに一緒に来ていたグリア将軍のようだ。

 フィン達の正面には大きな一本の木から彫りだしたように見える立派な玉座があった。ロムルースは鷹揚そうに腰を下ろした。

「これはル・ウーダ殿。遠路はるばるようこそ」

 その態度はいかにも面倒くさそうな感じだ。

「ベラの首長様もご機嫌麗しゅうございます」

 フィンは思ったことを外には出さないように注意しながら、教わったようにベラ風の挨拶を行った。ロムルースは満足したようにうなずいた。とりあえず今日は機嫌は悪くなさそうだ。

「それで今日はいかなる用向きなのかな?」

 その口調にはこんな事はさっさと終わらせたいという気持ちがありありと感じられる。

「はい。ロムルース様に主君よりお預かりしました書状を持って参りました」

「して、それはいかなる知らせなのだ?」

「はい。まずはフォレスの東より侵入してきましたエクシーレ軍が撤退しましたことをお伝え申し上げます。今回の諍いでは幸い死人が出ることもなく、双方以前の国境線のまま現状を維持するということで和睦が成りました」

 後ろの高官達の方が小さく安堵の声を上げた。

 ロムルースは援軍の約束までしたらしいが、こんな小競り合いにベラが援軍を出すなど本来ならあり得ない話だ―――というより、援軍などを出したら本格的な戦争になりかねない。未然に終わって彼らがほっとしたのは間違いない。

 だがロムルース本人はそんなことはあまり気にならないようだ。

「今回のことではロムルース様及びベラの皆様には大変ご心配をおかけ致しました。ここにフォレスを代表しまして厚く御礼申し上げます」

「おお、そうであったか」

 言葉とは裏腹に、相変わらずロムルースは退屈そうだ。まあそんなことは大体予想通りだが―――さて、ではこの後はどうなるだろう?

「詳細はこの書状をご覧下さい」

 フィンが茶色の封書を差し出すと、高官の一人がそれを受け取ってロムルースに渡す。

 ロムルースはそれを受け取るといかにも大儀そうに封を切った。

 だがその中身を見るなり表情が変わる。

「ん? この筆跡は、エルミーラの物ではないか⁈」

 まさに予想通りの反応だ。

「はい。アイザック様は前線で指揮を取られておりまして、ガルサ・ブランカを留守にされております。その間エルミーラ様が国王の代行を勤めておられます」

「なんと! それでエルミーラは元気か?」

「はい。大変お元気です。ただ……」

「ただ、何だ?」

「いえ、アイザック様ご不在の間、大変ご多忙でしたので、さすがに最近は少しお疲れかと」

 ロムルースの顔が青くなった。

「なんと! いったいフォレスの者は王女をこんな風に働かせるなど、いったい何を考えておるのだ⁈」

 おいおい。そんなことを言われても……

 だがさすがにロムルースも言い過ぎに気づいたようだ。

「いや、ル・ウーダ殿に言っても仕方なかったな。なに、気にするな」

 こいつは考えたことをいきなり口にし過ぎるよな―――そう思ってフィンは横の高官達の顔色を盗み見た。

 皆平静を装っているが―――明らかに動揺しているようだ。

 フィンは彼らに少し同情した。

 それはともかく話はまだ終わっていない。フィンは続けた。

「いえ、ベラの国長様にこれほど心配して頂けるというのは、大変光栄至極でございます。で、ここでご厚意に甘えついでにもう一つお願いがあるのですが」

「なんだ?」

 ロムルースはじろっとフィンの顔を見るが、フィンは気づかないふりをして続ける。

「やっとエクシーレの件も解決致しましたので、アイザック様も復帰なされます。そこで王女様も少し骨休めしたいとのご意向なのです。そこでこの秋しばらく暖かなこちらで休養させて頂けないかとのご希望なのですが……」

「なんだって?」

 ロムルースはフィンの言葉を遮ると、いきなり立ち上がってにじり寄ってきた。

 フィンは少し慌てた。

「え? あの、何か問題がございましょうか?」

「それはまことか?」

 ロムルースの剣幕にフィンは思わず一歩下がった。

「は、はい。もちろんです。ここにエルミーラ様よりお預かりしました書状を携えております」

 そう言ってフィンが例の水色の封書を取り出すと―――途端にロムルースがひったくるように取り上げて、即座にその封を切ると食い入るようにそれを見つめた。

 それから顔を上げると満面の笑みを浮かべた。

「これは良き知らせだ!」

 彼は振り向くと高官達に手紙を振ってみせる。

「これは良き知らせだ! エルミーラが十月にはこちらに来たいとある! それに例のガルブレス伯父の養い子を紹介したいともあるぞ!」

 高官達に驚きの表情が浮かんだ。

「ガルブレス様の養い子といわれますと……アウラ様ですか?」

 年老いた高官の一人が言った。

「そうだ! エルミーラがやってくる!」

 ロムルースは今にも踊り出しそうだ。

「ル・ウーダ殿。貴公は大変良い知らせをもたらしてくれた。ロムルース、感謝するぞ! そうだ! 宴だ! 宴の準備をせよ!」

 だがそれを聞いた高官達が息をのんで目配せした。

 それからその中の一人がロムルースに近寄って小声で何かささやいたのだが……

「はあ? そんなことはどうでもいい! 後にしろ!」

 なんだろう? 何か予定でもあったのだろうか? 控えている高官達の表情が何やら不穏なのだが……

 しかしそんなことに細かく突っ込める立場でもない。

「ですが……」

 さらに食い下がろうとした高官を押しのけて、ロムルースは側に控えていた老人に向かって命じた。

「分かったな? ロスカ!」

 それを聞いてロスカと呼ばれた老人は一瞬ぽかんとした顔をしたが、慌ててうなずいた。

「御意にございます」

 その後の謁見はうやむやのうちに終わってしまった。

 謁見の間から下がりながらフィンは一人思った。

《うーむ。まあ成功と言っていいんだろうな?》

 それにしてもロムルースの反応は見事に予想通りだった。ある意味素直な奴と言うことなのだが、一国の首長たる者がこんなに分かりやすくていいのだろうか?

 ベラの国長というのはこれからのフィンにとっては決して他人とは言えないのだが……



 ロムルースに謁見した日の夜、普通ならば十分に宴と言っていいような夕食をごちそうになった後、翌日の金曜日にフィン一行は川船に乗ってハビタルやその近郊を周遊しながら、さらに立派なもてなしを受けた。

 フィンもメイもその時点で既に破格の歓待だと感じていたのだが、あまりにも急だったため宴の準備が間に合わず、このような次第になったことをご容赦願います、などと言われてしまって仰天したのだ。

 そして翌日の土曜日が宴の本番だったのだが……

《ちょっと待てよ。これが俺のために開かれたってのか?》

 会場に着いたとき、フィンはほとんど卒倒しそうになった。

 そもそも彼は宴というのはフォレスでも良く行われるような夕食会のような物を想像していた。だが目の前に広がる光景はそれとはもう何か次元が異なっている。

 前日に宴は“水上庭園”という場所で行われるということを聞いたときには、彼は庭で祝宴が行われるのだと思った。ベラはまだ暑いが夜はさすがに気持ちよくなる。ならば戸外で行われる宴というのもまた一興だろうと。

 前述の通り首長の館は湖に浮かぶ島のようになっている。実際館の半分は元々湖の小島にあったという。それから必要なところを埋め立てたり掘削したりして今の館の形ができあがったようなことを、案内されたときに聞いていた。

 元々島だった部分はそれだけに景色が良く、ずっと歴代の首長の憩いの場であったという。

 そして時が経つにつれてその場所がどんどん整備されていった結果、この“水上庭園”と呼ばれるものになったという。

 その名からフィンは当然そこには“庭園”があるものと想像していたのだが、実際に来てみるとまるで街のような大建造物の中だった。驚いた様子のフィンに案内係の少年が自慢げに説明してくれる。

 その話によればここは最初は湖を見渡せる場所に造られた庵だったらしいが、それは時がたつにつれてだんだんと増築されて、最後には今目の前にあるような大小の建物が複雑な回廊でつながった大構造物になっていったというのだ。

 それだけなら単に無計画な建造物だ。実際ちょっと見には雑然と増築された建物群に見える。しかしそれにもかかわらず湖と建物、その間に配置された庭木や庭石などが見事に調和していることにフィンは気がついていた。

 その“庭園”の中央付近に、大きなステージのついた広間があった。そこが本当の宴の場所だった。

 聞けばここは第一級の客人をもてなす場所だという。その豪華さにフィンは圧倒されていた。その建物の豪華さだけではなく、今回の宴に参加した人々の数や姿もまた破格だったからだ。

 宴は昼前から始まり、そこに出された山海の珍味はほとんどフィンの知らない物ばかりであった。

 しかも相手をしてくれるのが例によって例のごとくの格好をした美女達だ。

 だがそれでもまだまだ宴は序の口だったのだ。

 日が落ちてきてあたりにかがり火が掲げられたときだ。

《うわ……これって……》

 昼間の光景は暗がりの中にフェードアウトして、水面に反射したかがり火のきらめきで、あたりは一種独特の幻想的な空間に変貌していったのだ。

 もちろん彼の生まれた白銀の都では規模からいうならもっと大きな宴が催されることはあった。だがここはそんな彼が今まで全く見たことのない異質な空間だったのだ。

「ル・ウーダ殿。どうだ? 楽しんでおられるか?」

 あたりを見回しながら目を白黒させているフィンに、上機嫌のロムルースが話しかけてきた。

「はい。もう圧倒されるばかりですよ」

 フィンは正直に答えた。

「都でもこのような宴にはお目にかかれません。いや、すばらしいの一言です」

 それを聞いてロムルースはますます喜んだ。

「そうか。ル・ウーダ殿にそう言ってもらえると、こちらも鼻が高い!」

 ベラの人々は当然ながらフィンの故郷の白銀の都に対して相当な対抗心を持っている。これまでも何人かの高官達に同じようなことを言ったが、皆それを聞いて嬉しそうだった。

 だがフィン本人は特に都の代表というつもりではなかったので、人々のそういった素振りを見ても何とも思わなかった。というより、そんなことを考える余裕がなかったといった方がいいだろう。

 フィンの空になっていた杯を見て、横に座っていた肌も露わな美女が言った。

「ル・ウーダ様。お注ぎ致しましょうか?」

「あ? ああ」

 なぜフィンに余裕がなかったかと言えば、こっちの方が原因だった。

 エルミーラ王女が“歓待”と言って意味ありげな表情をしたのは、これを知っていたからに違いない。

 ベラでは都やフォレスでは考えられないぐらい女性が開放的な衣装を着ているが、ここではそれが極限まで追究されていたといっていいだろう。フォレスなどだと郭の中でもここまでの衣装はない。

《ってか、この娘たちって……絶対そうだよな?》

 昼間にお酌をしてくれていた娘たちは、多分間違いなく館に勤める女官たちだった。だが暗くなってからはどうもそのメンバーが入れ替わっているようなのだ。

 フィンだってアサンシオンのような場所に出入りしているから分かる。彼女たちは最高級の郭の遊女達に違いない!

 昼間の女官達は露出した服を着ていてもその振る舞いはごく自然だったのだが、今いる娘達は明らかにその服装が男にどのような効果を与えるか、隅々まで知り尽くして実践しているという風情なのだ。

《ってことは要するにこれって……お手つき自由ってこと?》

 ということだとすれば―――エルミーラ王女があのような訳あり顔をした理由は一二〇パーセント理解できる。

 フィンが知っていた世界では、公式の宴というのはもっとお上品で格式ばっていたものだ。もちろんそんなところでも裏ではいろいろあるのだが、少なくとも建前上は常に礼節を忘れてはならなかった。

 同様にガルサ・ブランカでも、あまり華美な宴は開かれなかった。これはどちらかというとアイザック王の趣味による物が大きいようだ。後から聞いた話では、かつてはフォレスでも宮廷内でそういった派手な催しを開いていた王もいたらしいが、もちろん昔の話だ。

 だからフィンはこういったストレート直球ど真ん中のもてなしにはあまり慣れていなかった。

《うーむ。いったいどこまでが大丈夫なんだ?》

 王女は羽目を外しすぎなければとか言ってたような気がするが―――こんなに美女がいるのに、どう節度をもって行動すればいいというんだ? このままではついふらふらと何かしてしまいそうなのだが―――いや、これはそういうもてなしということなんだから、むしろあまり仏頂面している方が宴の主に失礼ってことじゃ?―――でもあまり本能のままに行動するのもまずいだろうし……

「お飲物はお口に合います?」

 酒を注いでくれながら美女が尋ねる。ふり返ると胸の谷間がもろに見えてしまうが、目を反らそうにも大概の方向にはそういった女性がいるし、上を見ればステージではもっと肌も露わな娘達があでやかな舞を披露している。

「で、ル・ウーダ殿。エルミーラには何か変わったことはなかったか?」

 ロムルースが話しかけてくれたのが有り難かった。

「いえ、特にお変わりは。もちろんアイザック様の代行をされていますので、今までとは随分変わった日常にはなっておられですが、それも大変ご立派にお勤めされていますよ」

 それを聞いてロムルースはため息をついた。

「ああ、あんな事にならなければ彼女にこんな事をさせずに済んだのに……」

 もちろんそれはロムルースの兄が事故で急逝してしまったことを指していた。

「レクトール様は大変ご不運でしたね」

「くそ! あの船頭め! あいつがあんな漕ぎ方をしてなければ兄者は生きておられたのだ! 大体兄者の方がこういったことには向いていたのだ」

 ロムルースはぐっと杯を空けた。彼はもう随分酔っているようだ。

 フィンは少し返答に困った。

 なぜなら彼の兄が事故に遭わなければ、今頃ロムルースは婿としてフォレスに来ているはずなのだ。それはすなわちアイザック王の後継として結局“こういったこと”をすることに他ならないのだが―――まあ、アイザック王はまだ健在であるし、ベラとフォレスでは国の規模が違うとは言えるだろうが……

 それをフォローしたのは横に座っていた美女だった。

「まあ、ご弱気なこと。お館様は立派にお国をお治めになっておりますわ」

「そう言ってくれるのはお前だけだ。グレイシー」

 ロムルースは彼女を引き寄せてキスをしようとした。だが彼女はその腕からするっと逃れる。

「まあ、こんなところでおよしになって下さいな」

「なんだと? 今更何でそんなことを言う?」

「ル・ウーダ様が見ていらっしゃいますわ。そんなことなされたら、エルミーラ様に筒抜けになってしまいますわよ」

 ロムルースは明らかに動揺した。

「ル・ウーダ殿は、まさか告げ口するつもりなのか?」

 冗談めかしているようだが、なんだか目が結構マジだぞ?

「まさか、言いませんよ。私だってこれをアウラに知られたらただじゃ済みませんから」

「はっはっは! そりゃそうだ! あのアウラは怒らせたら怖そうだからな」

「いや、もう怖いなんてものじゃないですよ。ははははは!」

 まさにそれは本音だった。可能な限りこういうことは秘密にしておきたいのだが……

 でもエルミーラ王女はロムルースの“歓待”のことを知っていた節があるわけだが、そのことをアウラに教えているのだろうか? あの王女の性格だと―――絶対教えてるに違いない!

 以前の図書館での出来事を仕組んだのも王女だと聞いている。だとしたら帰ったら絶対問いつめられるに決まっている。それをごまかしきれるかどうか……

《ごまかすって何だよ! まだ何もしてないし!》

 ただし、これから何もせずにいられるかというと……

 そんなフィンの心配はともかく、ロムルースは彼の言うことを信用したようだ。しかしグレイシーはちょっとむっとしたようだ。

「まあ、殿方のご友情は素晴らしいですわね。あら、ル・ウーダ様、杯が空ですわ」

 グレイシーは瓶子(へいし)を持って寄ってくると、酒を注ぎながらフィンにささやいた。

「それでル・ウーダ様、エルミーラ王女様ってすてきなお方ですの?」

 なまめかしい息がフィンのうなじにかかる。

 だがロムルースがこちらをじっと見ているので迂闊なことはできない。それ以上にどう見ても彼女はロムルースのお気に入りだ。手なんか出したら国際問題だ。

 それが分かっていたのでフィンはなるべく彼女の方を見ないようにして答えた。

「ええ? もちろんですよ。大変立派でお美しい方ですよ」

 これはお世辞ではなく本心からそう言える。

「そうでしょうね。あたくしなんかよりもずっとお綺麗なんでしょ?」

 フィンは咳き込んだ。

 ちょっと待て! そんなことに迂闊に答えられるわけがない。

 だがそれはフィンに対する質問と言うよりはロムルースに対する挑発だったようだ。

「グレイシー!」

 ロムルースが怒りを込めて言った。

「どうなさいましたの? ロムルース様?」

「ふざけたことを言ってると、湖に叩き込むぞ!」

「まあ、どうしてでしょう? あたくし、エルミーラ様をお褒めいたしておりましたのに」

 おい! 頭越しに痴話喧嘩をしないでもらえるか? フィンはそう突っ込みたかったが、黙っておいた。

「褒める? 褒めるだと? お前が言うと嘘にしか聞こえん!」

「まあ、それでしたらどう言えばよろしかったんでしょう? 私の方が綺麗だとでも?」

「グレイシー!!」

「まあ怖い」

 ロムルースの剣幕から逃げるようにグレイシーはフィンの後ろに隠れた。それからフィンの首に手を回して言った。

「ねえ、ル・ウーダ様。あたくし何かいけませんでした? だって、お館様は寝ても覚めてもエルミーラ様のことしかおっしゃいませんのよ。気になって当然ですわよね?」

 いや、だから、どうでもいいが胸が背中に……

「お前ごときをエルミーラと比べられるか!」

 ロムルースはキレかかっている。

「もちろんあたくしはしがない遊び女でございます。王女様と比較の対象になどなるはずがございませんわ」

 グレイシーもかなりムキになってきている。

 かなりまずい雰囲気になってきた。周囲の者達もそれを感じてか横目でちらちらとこっちを見ているのだが、面と向かって何か言おうとする者はいない。

《俺がこの場を収めないといけないのか⁈》

 そうは思ってもいかにも取り繕い方が難しい。

 そもそもロムルースとエルミーラ王女は結婚できない仲なのだ。そのことはロムルースだって理解しているはずだ。

 それなのにロムルースがこれだけ王女に執心だというのもどうかと思うのだが―――そう考えたらグレイシーの感覚の方がまともなのではないか?

《なんてストレートに言うわけにも行かないし……》

 ともかくここは適当にお世辞を言っておくに限る。そこでフィンは彼女の手を取って軽く口づけすると言った。

「あなたは大変お美しいですよ。都に行かれたら銀の塔の姫君がさぞ悔しがるでしょうね」

「まあ、都のお方はお口がお上手ですのね!」

「いえいえ、見てきた私が言うんです。信じて頂きたいですね」

「まあ!」

 それを聞いてグレイシーは少しはにかむように微笑んだ。

 OK。とりあえず機嫌は直ったようだ。

 それでは今度はロムルースを持ち上げてうまいこと仲直りをさせなければ―――と思った瞬間だ。

「ふん! 都にでもどこにでも行ってしまえ!」

 冷ややかな口調だ。

《馬鹿! フォローにならないだろう!》

 案の定グレイシーはロムルースを睨み付ける。

「まあ、それではもうここにはいなくてよろしいと、そういうことでしょうか?」

 ロムルースはふんと鼻を鳴らす。それを見てグレイシーはフィンの方を見る。

「それでしたらル・ウーダ様、都の方に紹介して頂けますか?」

 ロムルースが笑い出す。

「はっはっは! 本気か? 馬鹿め!」

 それを聞いてグレイシーは本格的に怒ってしまったようだ。

「都がだめならガルサ・ブランカでも構いませんわ。あそこでしたら“お優しい”王女様もいらっしゃいますし。分からず屋の首長様のお相手なんかよりずっとましですわ!」

 もちろんその“お優しい”には言外の意味が込められている。

 今度はロムルースの怒りが爆発した。

「グレイシー! 冗談でもそんなこと言うな!」

 その剣幕にあたりがしんとしてしまった。さすがにグレイシーも言い過ぎたと思ったのだろう。口に手を当てて黙り込んでしまったが……

《えっと、まずいんじゃないか? これは?》

 そのときロムルースが言ったのだ。

「お前達もそうだ! あんなつまらない噂を信じるんじゃない!」

 ―――って、何を言ってるんだ? こいつは? まさか……

 フィンの心に嫌な予感がよぎった。

 もしかしてロムルースは本気であの話が嘘だとでも思っているのか? いや確かにここでは伝聞にはなるだろうが、フォレスではもう公然の秘密だし、フォレスとこんなに人の行き来の激しいベラでそのことが伝わっていないはずがないのだが……

 しかしロムルースの次の言葉はそれを裏打ちしていた。

「エルミーラがあんなふしだらな事をしているなど、誰かの流したデマに決まっている! そうだろう? ル・ウーダ殿!」

 こ、ここで俺に振るかーっ⁈

 フィンは最高に困ってしまった。何しろ事実も事実。そもそもフィンと王女が初めて出会ったのは郭の中だ。そのうえ王からも直々にそうなった経緯を聞かせてもらったのだ。

 ここはどうする? 嘘をついてごまかすか?

 いや中途半端な嘘をついても仕方がない―――多くの者は事実を知っているはず。

 だとすれば……

 そしてフィンは慎重に言葉を選んで言った。

「王女様は……他に恥じるようなことなど、何一つなさっておりませんよ」

 確かに恥ず“べき”行いはされてしまっているのだが、本人がそれを恥じる“ような”ことはしてないので、これでいいはずだ―――けふんけふん。

「ほーら見ろ! ル・ウーダ殿もそう言っておられる!」

 ロムルースが勝ち誇ったように言った。

 その場に居合わせた者達は顔を見合わせているが、大抵はフィンの言いたかったことを理解してくれたようだ。

「ともかくだ! これ以上は……」

 ロムルースはそう言って立ち上がろうとしたが、その瞬間がっくりと膝が崩れる。酔いが足に来たのだろう。近くにいた侍従が慌てて彼を支えた。

「うーむ……ちょっと飲み過ぎたようだ……私はそろそろ下がることにする。だが、ル・ウーダ殿はもっと楽しんで行ってくれ!」

 彼は侍従達に抱きかかえられるようにして行ってしまった。グレイシーもそれに同行して行く。

《やっぱり何だかだ言って心配だったんだな》

 フィンはほほえましく思った。

 だが―――この状態というのは国の長としては少しまずくないんだろうか?

 そんなことを思いながらフィンはあたりを見回した。

 ロムルースが下がった後、周囲にいた侍従達の間にもほっとした空気が流れたようにも見える。

《結構持て余されてるのか?》

 まあ、あの若さでベラの国長としてやっていかなければならないのだ。その重圧というのは相当なものだろう。

 しかしそれを差し引いてもロムルースの今までの言動を総合すれば、一国の長としてはちょっとどうだろうという評価にならざるを得ない。

《それとも普通はこんなもんだったか?》

 思い起こせば白銀の都の貴族にはもっとバカな奴らもたくさんいたし、そういう奴らがえてして都の重職に就いていたりした。アイザック王やエルミーラ王女のような人は結構少数派だったような気もする。

 それに王女だって最初からああだったわけじゃなし―――だとすればロムルースはまだ若いし、これからも軌道修正はできるのではないだろうか?


 ―――などと考えていると、後ろから声がした。

「ル・ウーダ様~っ! お側に寄ってよろしいですか~っ?」

「お飲物をお注ぎいたしましょうか?」

 気がついたらフィンは娘達に取り囲まれてしまっていた。先ほどのグレイシーほどではないにしてもなかなかの美女揃いだ。

「あ、ありがとう。でも君たちどうしたんだ? こんな所に集まって」

 フィンはすっとぼけて訊いてみる。

「あたしたち都のお方って初めてなんです」

「都のお話をして下さいませんか~?」

 うむ。なんというか、入れ食い状態だな。最近久々な気がするぞ?

 フィンはちらっとあたりを見回した。男達は少し遠巻きにしながらこちらの方を盗み見ている。もちろん彼らも気になっているに違いない。何しろフォレスの名代とはいえ、都の貴族クラスがこの館に入ったのは、もしかしたらあのシフラ攻防戦のとき以来ではなかろうか?

 確かあのとき初めて都とベラの混成魔道軍が編成されて、そのときには都の魔導師がここに来ているはずだ。

 だがそれ以降となると都とベラはほとんど没交渉だった。

 昨日もフィンは館を案内されて色々な人に紹介されたが、みんな態度は丁寧なものの、微妙に距離を取っているようだった。魔道軍の師団長に至っては明らかに敵意を見せていた。

《うーむ。ここはでああいった人とお近づきになるいいチャンスなんだが……》

 だがいきなり話しかけたりしたら相手も引いてしまうかもしれない。こういった場合は急がば回れだ。

 そこでフィンは集まってきた娘達をぐるっと見回すと、少し芝居がかった仕草で言った。

「え、お嬢様方、都の話を聞きたいんですか?」

 するとあたりから黄色い声があがる。

「ええ! 聞きたいわ!」

「お話しして!」

 フィンも一応は都育ちなので、こういった調子で話をすることには結構慣れていた。それにここなら都では使い古されたネタでも新鮮に聞いてもらえるかもしれない。

「それでは一つ、都で流行っていたお話を披露することにいたしましょう。えっと皆さんは、都にかつてミュージアーナという舞姫がいたことをご存じでしょうか?」

 娘達の何人かはうなずいた。彼女は実在の人物で、都では既に伝説になっている人物だ。都以外でも知られていてもおかしくない。

「彼女がいたのはいまから数えて八十年も前の話なんですが、実はこの歌姫にまつわるこんな話があるんです……」

 そう言ってフィンは娘達に向かって微笑みかけた。

「きゃあっ!」

 掴みは結構なようだ。フィンはそれから話し始めた。


 ―――ミュージアーナ姫は若い頃は大変高慢な姫だったという。自分が気に入らなければそれが大聖直系の大公家である、ベルガの家からの呼び出しでも門前払いにするほどであった。

 ある日そんな姫の元に、見たこともない仮面を付けた不思議な使者が現れた。彼は姫に主君のために踊ってはもらえないだろうかと頼んだ。しかもその報酬としてなんと、一晩で金貨百枚を出すという。

 だがそのとき姫はちょうど機嫌が悪かったので、その使者の依頼を断ってしまったのだ。次の日もその次の日もその使者はやって来て、ついには一晩で金貨五百枚の報酬を出そうとまで言ったのに、それでも姫は首を縦には振らなかった―――


 それを聞いた娘の一人が言う。

「ええ! そんな! あたしだったら絶対行くわ!」

「あなたに金貨五百枚出す人なんているわけないでしょ?」

「なによ!」

 娘達が口論を始めそうになるところにフィンは割って入る。

「おや、話は終わりにしていいですか?」

「だめよ!」

「そうよそうよ!」

「それじゃ続きを行きますよ」

 フィンは続きを話しはじめた。


 ―――姫が行かないというのを聞いて使者は残念そうにこう答えた。

「わかりました。それでは帰って主君に伝えることにいたします。私はミュージアーナ様こそがかの舞姫よりも素晴らしいと申し上げましたが、それを証明する手だては失われてしまいましたと」

 姫にとってそれは聞き捨てならない話だった。彼女は常に自分こそがこの世で最高の舞姫であると思っていたからだ。姫はその使者に食ってかかった。

「その舞姫とはどのような方なのです? あなたの主君はその姫の方が私よりも優れているとでも言うのですか?」

 使者はそのとおりだと、彼の主君はそう言っているのだと答えた。

 それは姫のプライドをいたく傷つけた。

「わかりました。そこまでおっしゃるのならば行きましょう。そして誰が最も優れた踊り手であるのかはっきりさせましょう」

 姫は使者にそう答えた―――


 そこでフィンは手にした杯で喉を湿らせた。

 側にいた娘が減った分をすぐに注ぎ足してくれる。

 見ると何人かの男も近くに来てフィンの話を聞いているようだ。

《どうやらうまくいきそうかな?》

 フィンは続きを話し始めた。


 ―――ミュージアーナ姫は都にある大抵の館は知っていると思っていたが、その使者に連れられていった館は初めての場所だった。それでも姫はそれまで数々のステージで踊りを見せていたので、大抵のことには驚かない自信があった。

 ところがさしもの姫も、この館の豪華さには驚きを隠せなかった。何しろ館中がきらきらと輝く宝石で飾り付けられていて、夜中だというのに真昼のように明るいのだ。しかも通されたのは向こうが見えないほどの大きな広間で、そこには一面に仮面の貴族達が並んでいたのだから。

 その中央にはひときわ大きな仮面の男がいた。それがこの館の主人だった。

 館の主人が丁重に「良く来てくださった。ミュージアーナ姫。あなたの踊りを私たちに見せて頂きたい」と言うと、姫は答えたのだ。

「私は一人で踊るために来たのではございません。あなたが私よりも優れていると信じる姫と一緒でないと嫌でございます」

 それを聞いた主人は「なぜそのようなことを求めるのだ? それに彼女は今日は体調が優れぬのだ」と答えた。しかし姫は「それができないのであれば、私は帰らせて頂きます」と一歩も引かない。

 主君は困惑した。だがそのとき一人の美しい、これも仮面を付けた姫が前に出てきたのだ。彼女は「あなたがそう言うのであればそういたしましょう。そしてここにいる皆様にどちらの舞が優れていたか決めて頂きましょう」と言い放った。

 その声には怒りの色があった。そして仮面の姫は続けて「ただ私が勝った場合は、これが欲しいのです」そう言って、主君の座の側にあった何の変哲もない青い石を取り上げたのだ。

 主君はそれを見て仰天し、彼女に何度も諦めるよう諭したが、仮面の姫の決意が固いのを見てしぶしぶといった様子でうなずいた。

 それから主君はミュージアーナ姫に「それであなたが勝った場合は何が欲しいのか?」と尋ねたのだ。

 ミュージアーナ姫は報酬が欲しくて来たわけではなかったので「私もその石で結構でございます」と答えると、なぜか主君も仮面の貴族達もみんな一斉に笑い出したのだ。

 いったい何がおかしかったのか姫には分からなかったが、そういったわけで二人の競演が始まった―――


 あたりの娘達はフィンの話を一心に聞いてくれている。

 また話を聞きに来た男の数も増えてきたようだ。

 フィンはますます言葉に熱を込めた。


 ―――そのときまでミュージアーナ姫は、自分が負けるなどとは一切考えていなかった。それはうぬぼれでも何でもなく、真の実力に裏付けられたものだったからだ。

 ところがこの仮面の姫の舞は、まさに途方もない美しさだった。ミュージアーナ姫はこの相手がただ者ではないことにすぐに気づいた。

 姫は迂闊なことはできないと悟った。そして彼女もまた全身全霊を込めて踊り始めた。それほど真剣になったのは、かの大皇の前でもなかったほどで、それを見た相手の仮面の姫の舞にも更に熱が入ってくる。

 こうして競い合う二人の姿に、ホールを埋め尽くしていた仮面の貴族達は声も出せなかった。そして二人の舞が終わってからも、しばらくの間は誰も言葉を発するどころか、息をすることさえできなかった。

 それからわき起こった割れるような拍手と歓声で、もう少しで館は壊れてしまうところだった。これほどすごい喝采は姫ですら初めてだったのだ。

 それなのに姫は喜ぶことができなかった。なぜなら生まれて初めて彼女は負けを悟っていたからだ。それほど仮面の姫の踊りは素晴らしい物だったのだ。

 そんな状況だったので、拍手だけではどちらが優れていたか決めらず、公正を期して投票をすることになった。なにしろ広間を埋めるほどの貴族達だ。果てしないと思われるほどの時間がかかったが、その結果は最後の最後に一票だけミュージアーナ姫が勝っていた。

 ミュージアーナ姫は信じられない面持ちだったが、それを見て仮面の姫が言った。

「口惜しいこと! わたしが今このような体でなければ、おくれなど取らなかったものを! でも私は約束は守ります。これはあなたの物です」

 そう言ってミュージアーナ姫に青い石を渡したのだ。

 その石は遠くからは単なる青い石に見えたのだったが、近くでよく見るとただの石ではないことがよく分かった。

 姫は少し恐ろしくなって主君に「いったいこれは何なんでしょう?」と尋ねた。

 それを聞いた館の主君は「それは大切にしておいた方がいいぞ。なにしろディアナが勝っていれば、間違いなくそれを粉々に砕いていただろうからな」と答えたのだ。

 それを聞いた姫は耳を疑った―――


 そこでフィンは眼前の美女達に向かって尋ねた。

「もちろんご存じの通りディアナとは月の女神の名前です。彼女が月の女神ならば、ここにいる貴族達とは一体誰でしょう? ここの館の主君とは誰でしょう? この青い石の正体とは何でしょう?」

 途端に娘達の一人が叫んだ。

「ブルー・アース!」

 フィンは彼女に向かってにっこりと微笑む。

「そうなんです! 皆様もよくご存じの通り、この世界はブルー・アースと呼ばれる宝石の上に乗っていると言われていますが、ミュージアーナ姫は知らないうちに世界を賭けての競演を行っていたんです」


 ―――ミュージアーナ姫は恐ろしくなった。いくらなんでもそんな物を受け取るわけにはいかなかった。そこで姫は「申し訳ありません。私にこれは受け取れません。私の手に余るものでございます」と言って青い石を主君に返そうとした。

 しかし主君は笑って「それはできない。お前が勝ち取った物なのだからな」といって取り合わない。それから「なかなか良い趣向だった。さあ夜が明ける。私は行かねばならない」と、彼がそう言った途端に、あたりはまばゆい光に包まれた。

 次に気づいたときには姫は、都から少し離れた月見の丘の上で朝日を浴びながら倒れていた。姫は夢を見ていたのだと思った。だが、その掌の中には誰も見たこともないほど大粒のサファイアが握られていたのだ。

 そして姫が空を見上げると、南東の空にうっすらと三日月が見えた。姫の背筋に冷たい物が走る。もしその夜もっと月が満ちていたら、ディアナの舞とは一体どのような物だったのだ? そしてそのときはいったいどんなことが起こっていたというのだ?

 それ以来ミュージアーナ姫は高慢な振る舞いをやめて、どんな人にも優しくなったという。そして彼女の舞を褒める人がいたら、必ずこう言った。

「私の舞など残月にさえ及ばない儚いものなのです」と―――


 話を終えてフィンがあたりを見回すと、彼は娘達の歓声に包まれた。

《やれやれ、とりあえずは成功みたいだな?》

 ともかくこのベラでもフィンが都で培った話術が通用することは証明されたようだ。フィンはほっとため息をついた。そのときだった。

「大変興味深いお話ですな?」

 拍手しながら男が一人近寄ってきた。

 やってきたのは三十過ぎくらいのやや小柄な男だ。彼の顔には見覚えがあった。昨日紹介されたベラの高官の一人だ。確か名前は……

「えっと、プリムス様だったでしょうか?」

「ああ、覚えていてくださいましたか」

 彼がやってきたのを見て娘達が席を空ける。大臣は軽く会釈をするとそこに座り込んだ。

「いや、大変面白いお話を聞かせて頂きましたな」

「いえいえ、これは都では誰でも知ってる話なんですよ」

「ほう? では都ではこのような形になっているのですか?」

「え? といいますと?」

「いえ、実は私も似た話を聞いたことがあったんですよ。まだエクシーレを遍歴している頃ですが、そのときにはですな、これは高慢な歌姫が歌合戦をする事になってましてね」

 それを聞いた娘の一人が言った。先ほど“ブルー・アース”と答えた娘だ。

「あ! 私それ知ってますわ! でもそちらはもっと悲しいお話でしたわね?」

 プリムスはその娘の方を見てにこっと笑った。

「そうなんですよ。彼女の場合は月がもっと満ちていて、悲惨な結末になってしまいます。でも太陽神の宮殿で競演をする所なんかはそっくりですな」

「そうなんですか? それは知らなかった。プリムス様はエクシーレの出身なんですか?」

「いえ、ちょっと若い頃は各地を遍歴していたんです。ほとんどその日暮らしみたいな暮らしで、あちこちの村を転々としているようなとき、良くこういった話を聞いたものです」

 そう言ってプリムスは笑った。

「失礼ですがこちらに来られたのは?」

「ああ、何年か前にベラに来て、そこで運良くグレンデル様のお目にとまったのです。グレンデル様がいらっしゃらなければ、私は相変わらずの生活だったでしょう。でもその体験のおかげで今は外交政策に関して、色々と責任ある立場に立たせて頂いております」

「そうなんですか……」

 そんな感じでフィンとプリムスが雑談を始めると、そのうち他の高官達も近くに寄ってきた。

《どうやら成功のようだ!》

 とりあえず彼らと仲良くなっておけば、今後いろいろなことがやりやすくなってくるだろう。

「それにしても今回のエクシーレの件では、皆様にご心配をかけました」

「ああ、そのことですか? まあいつも通りのことですからな。年中行事と言ったところですかな?」

 プリムスはそう言って笑ったが、他の高官達はあまり面白そうではなかった。

「あまり面白がってはおられんぞ。プリムス」

 背の高い初老の男が言った。髪はもう灰色になってしまっているが、体つきはがっしりとしている。彼はベラ軍最高司令官のモルスコ将軍だ。

「将軍殿は心配なされすぎなのではないですか? この程度の挑発なら奴らはいつでもやってきますよ?」

 そう言ったのはロムルースと共にフォレスに来ていたグリア将軍だ。

「わしはエクシーレのことを言っておるのではない! お館様のことを言っておるのだ!」

 それには他の高官達も顔を見合わせる。

「まあまあモルスコ殿、このような場所でそのような話題はどうだろうかな?」

 彼をなだめたのはもう髪は真っ白になった老人だ。確かここの侍従長のロスカといったっけ?

「うむ」

 モルスコはそう言って持っていた杯を一気に空にする。側にいた娘がすぐに酌をする。

 あたりを気まずい沈黙が支配した。それを破ったのはプリムスだ。

「皆さん、せっかくのお客様がいらっしゃるのにそんな顔はないんじゃないですかな?」

「そうですな、ル・ウーダ殿がおられることを忘れぬように」

「そうそう。それはそうとルクレティア姫はお元気ですかな?」

 尋ねたのはロスカだ。フィンは姫と言われて一瞬戸惑ったが、すぐに王妃のことだと思い当たる。彼女はもうずいぶんな年齢だが、この老人にとってはいつまでたっても姫なのだろう。

「はい。大変お元気です。多分この秋にエルミーラ様がこちらに参られる際には、同行されると思いますよ」

「そう、そうじゃな。ああ、何年ぶりであろうかな? この前やってきたのは、まだ姫が小さかった頃じゃったな。あのときは姫が機甲馬から落ちて大騒ぎになったのう」

 姫? って今度はエルミーラ王女のことか。それを聞いてグリア将軍が言った。

「ああ、全く覚えておりますよ。肝が縮みましたよ」

 その話はアウラからちょっと聞いたような気がするが……

 フィンは昨日市内を案内されたときに、広場に安置されていたその姿を思い出した。

 馬と言いつつ全体は六本足の大きな虫のような形だが、虫のような体節はなくずんぐりした胴体から六方向に足が出ている。背面の高さはフィンの頭の上よりずっと高く、背中の真ん中に円錐形の突起があり、そこにまた六つの目のような物がある。

「その機甲馬ですが、昨日見せて頂きましたが、なかなかすごいものですね。あれってどうやってここにやってきたんですか?」

 それに答えたのはモルスコ将軍だ。

「それには色々と説があるんですな。一般的には、今からずっと昔、エクシーレの初代王であるアルウェウス公の時代には、エクシーレには機甲馬軍団があって、それを我が魔道軍が撃破したときに得た戦利品だということになってますな」

「そうなんですか?」

「もちろんエクシーレの側ではそんなことあるはずないと言われております。彼らはベラの魔導師が作ったできそこないだと言っております」

「あれってどのくらい動くんですか? 話によれば罪人を踏ませているとか……」

「ああ、足を一本動かすことができますよ。それ以外はもう壊れてしまっているのでしょう」

「機甲馬軍団って、あんな物が大量にわさわさとやってきたらたまりませんよね」

 それを聞いてプリムスが言った。

「そんな物はもうないでしょうな。私が思うにあれは東の帝国で使われたいた物なんじゃないでしょうか。帝国は黒の女王に滅ぼされてしまいましたからね。もし作れたとしても二度と作るべきじゃないんでしょう」

 フィンはうなずいた。言われてみればそうなのかもしれない。

 この世界にはこういったよく分からない物が各地に残されている。古い時代の遺跡からは不思議な品がたくさん見つかる。

 この機甲馬もそうだし、西の方の国に空飛ぶ車があるという話を聞いたこともある。白銀の都にも動く人形が何体か残されているし、動かなくなったガラクタであればもっとあちこちで見つかる。

 だがいずれにしてもそれがどうやって動いているのか解明した者はいない。

 そのとき娘の一人がフィンの杯が空いていることに気づいた。

「お酒をお注ぎいたしましょうか?」

 ちょっと堅い話になっていたので、娘達が少し退屈しているようだ。

 それに気づいたプリムスが言った。

「ああ、なんだかつまらない話をしてしまったかな?」

 大臣に気を遣わしてはいけないだろう。フィンは話題を変えることにする。

「いえ、でもそれにしてもなかなか皆さんお綺麗な方ばかりですね。うらやましいです。アイザック王はまじめですから王宮がこんなに華やぐことはなかなかありませんし」

 娘達はまたきゃあきゃあ声を挙げた。

 だがそれは高官達にはあまり受けなかったようだ。

《ありゃ? しまったかな?》

 彼らが沈黙してしまったのでフィンは少し慌てた。いったい何がまずかったのか?

 そのときロスカが小声で尋ねた。

「ル・ウーダ殿……エルミーラ王女はやはりフォレスをお継ぎなさるのでしょうか……」

「え? はい……」

 ロスカの意図が今ひとつ不明だったので、それ以上何と言っていいかよく分からない。

 困っているフィンを見てロスカが言った。

「ああ、申し訳ござらん……老人の戯言と思って下され」

「えっと、その……」

 それを聞いたグリア将軍が言った。

「すみません。ル・ウーダ様。ただあなたにも無関係ではないでしょうから……お館様がエルミーラ様に未だに未練を持っておられるのは隠しようもありません」

 それはフィンもうなずくしかない。というか未練とかそういったレベルではないように思うのだが……

 そこにグリアが尋ねたのだ。

「ル・ウーダ様……エルミーラ様にこちらに来て頂く方策というのはもうないのでしょうか?」

 フィンは絶句する。

「……その、何といますか、私にはちょっと……」

「いえ申し訳ありません。もちろんあなたを困らせるつもりではありませんでした。フォレスの後継の件に関しては我々も良く理解しております。エルミーラ様を迎えることでフォレスの血筋を絶やしてしまうわけにはいかないことも重々存じ上げています。ですがロムルース様には……あのお方が必要なのです」

 彼らがそう考えるのは当然かもしれない。しかも王女はこの何年かで国王の代行を行えるまでに成長している。彼女がサポートすればロムルースももう少ししっかりするかもしれないが……

 だがフィンはこう答えることしかできなかった。

「……申しわけありません。私にはエルミーラ様はフォレスに必要なお方だというご返答しかできません。アイザック様ももう決してお若くはありませんし、あのお方が決められたことなのです」

 当然彼らも無理な話だとは承知していた。半ば愚痴のようなものだ。

 フィンの答えを聞いてロスカは手にしていた酒をぐびっと呷ると、ため息混じりに言った。

「はあ、どうして人は歳をとってしまうのでしょうな?」

 モルスコ将軍もそれを聞いてため息をつく。

「そうですな。グレンデル様がお元気でしたら……」

 だんだん話が辛気くさくなって来そうだ―――と思った瞬間だ。

「それだったらこの際、ちょっと君、ロスカ様のために犠牲になってもらえるかな?」

 そう言ってプリムスが横の娘の肩を抱くと、途端にその娘が黄色い叫び声を上げる。

「いやーっ! だめですって! だって私、処女じゃありませんし!」

「ええ? そうだったのか? 私にはとてもそうは見えなかったが!」

 プリムスはそう言ってわざとらしく笑う。

「嘘ばっかり言わないで下さい! もう!」

 周囲の娘達も笑い出す。だがフィンは彼らが何で笑っているのかよく分からなかった。

 ぽかんとしているフィンに気づいてプリムスが言った。

「あ、ル・ウーダ様、もしかしてご存じじゃなかったですか?」

「あ? ああ。ちょっと話が見えないんですが……」

「そうでしたか。いや、実はですね、エクシーレの地にはこんな言い伝えがあるんです。新月の夜に東の帝国の廃墟にて、高貴なる処女の血を捧げよ。さすれば黒き女王が現れて年老いた者に再び若さを与えてくれるであろう、というんですが……」

「えっ? 聞いたことありませんよ?」

「ほう? やはりこちらだけの話でしたか……」

 プリムスが笑う。

《要するにエクシーレのローカルな伝説ってことか?》

 世の中にはいろいろおもしろい話があるらしい。そこでフィンは尋ねた。

「っていうか、何で黒の女王なんです? そういったことなら白の女王の方がふさわしいように思うんですが」

「さあ。でもこちらでは黒の女王の方が人気がありますね」

「そうなんですか? でも東の帝国を一夜にして滅ぼしたのは、黒の女王ですよね」

 その問いにプリムスも首をかしげる。

「そう言われたら返す言葉もありませんが……でも若さを与えるというのと命を奪うというのは表裏みたいなものではないでしょうか?」

「ああ! なるほど。そんな考え方もできるんですか? 面白いですね」

「恐れ入ります」

 このプリムスという男はベラの外交を担当しているということで、なかなか柔軟な考え方を持っているようだ。今後都とベラの関係改善を行う際には、彼がベラ側の窓口になることだろう。彼のことはよく知っておいた方が良さそうだ。

 そこでフィンはプリムスに尋ねた。

「そういえばプリムス様のご領地はどちらの方になるんでしょうか」

「ああ、フラン地方です」

「フランって、あのフラン織りの?」

「ええ、恥ずかしながら」

「いや、そんなことないですよ。実はアウラに何か土産を買って帰ろうかと思ってたんですが、昼間訊いたらフラン織りがいいと言われましてね」

 フラン織りとは実際この地域では最高級の絹織物である。

「ああ、それでしたら良い店を紹介できますよ。お戻りの際にはお声がけ下さい」

「それは、ありがとうございます」

 そのときだ。斜め後ろにいた娘が驚いたように「アウラお姉様?」とつぶやくのが聞こえたのだ。

 フィンは反射的に振り返ってその娘を見た。集まった奇麗どころの中でも十指には入りそうな美人だが……

 いきなり見つめられてその娘は少し慌てた。

「え? あの、何でしょうか?」

 そう問い返されて今度はフィンが慌てた。

 ここであまりアウラのことを問いつめるのは得策ではない。何しろ彼女はガルブレスの養い子であるということは知られているものの、その正体が“ヴィニエーラのアウラ”だということはまだ知られていないのだ。

 もちろん秋に本当に彼女が来てしまえばすぐに露見はしてしまうだろう。胸に大きな傷があって、薙刀を使わせたら他に並ぶ者のいないような女なんて、他にいるはずがない。

 だからといってこんなところでいきなりそれをばらすのも論外だ。

 そこでフィンはその娘に尋ねる。

「君、今アウラがどうとか言わなかった?」

 娘は慌てて手を振った。

「いえ、関係ありませんわ。別のアウラ様ですわ」

「あはは、そうだろうね。僕の知り合いにもアウラって子がいるんだ。なかなかいい子なんだけどね。それはそうと君の知り合いのアウラ様ってどんな人?」

 そう聞くと娘はぽっと赤くなった。それを見てフィンは確信した。

 今ここにいる娘たちがハビタルの高級遊郭から出向いてきているのであれば、アウラの噂だって知っているに違いない。

「えっと、あの……」

 娘はもじもじして、なかなか話そうとはしない。まあ確かにとってもお強くてとってもお優しくてとってもお上手! とはなかなか言えないだろうが……

 それを見てフィンはにやっと笑って言った。

「君はそのアウラお姉様を見たことがあるのかい?」

 娘はあがっていて、フィンがお姉様といったことに気づかなかった。

「え? ええ、一度だけ、まだそのころ私は小娘だったんですが……」

「ふうん。じゃあ君、もしかしてヴィニエーラ出身?」

 それを聞いた娘は驚愕した。

「え? どうしてお分かりなんですか?」

「あはは、ごめん。実は僕もそのアウラお姉様の話は聞いたことがあるんだ。その子って、胸にこう傷があってすごく強いんだって?」

 それを聞いた途端、娘達が騒ぎ始めた。

「えっ? 本当なんですか?」

「まあね。いろいろあって……で、うちのアウラとね、どんな子なのかなって良く話してたんだ」

「本当ですか? アウラお姉様は今どちらにいらっしゃるんですか?」

「さあ、それはちょっと……」

 その会話を聞きながらフォレスの高官達は顔を見合わせている。どうやら彼らは“ヴィニエーラのアウラ”の噂はあまり耳にしていないようだ。無理もない。これ以上話していると彼らに不審に思われるかもしれない。どちらにしてもそろ引き時だ。

 そこでフィンはヴィニエーラにいたという娘の手を取って言った。

「ちょっと暑くなってきたな。君! 涼しいところに案内してくれないかな」

 それを聞いて娘がぽっと赤くなる。嫌ではないようだ。

「あ! パサデラずるい!」

 誰かがそう言うのが聞こえた。ということは彼女はパサデラというのか?

「いいかい? パサデラ」

「え、ええ」

 フィンは一同に礼をすると、娘と共にそこを後にした。