第6章 夏の嵐
パサデラと一夜を共にした翌日、フィンはリアルに腰が抜けて動けなかった。
そしてさらにその翌日の月曜になって体の方はやっと回復してきたが、夜になってもまだ頭の中は相変わらず桃色に染まっている。
《うー……やっちゃったよな……》
客間の豪華なベッドに大の字になりながらフィンは思った。
こんなことをアウラに知られたらどんな言い訳をすればいいのだ?
《やっぱ黙ってた方がいいかな……?》
だが次の瞬間、この宴については王女がよく知っているはずだということを思い出す。
だとしたら―――アウラに伝わってないわけがない‼
「うわーっ!」
もちろんそのことまで含めて思わせぶりな表情をしていたのだ。あの王女は!
《こんな場合いったいどうしたら……》
遠くで雷鳴が轟いた。
夕暮れ時から少し蒸し暑くなったと思ったら、どうやら嵐が近いらしいが―――そんなことはともかく、問題はアウラだ。
《ってか、王女様、まだ知らないんだよな? あのこと……》
フィンとアウラの間の問題については、アイザック王とナーザしか知らないはずだ。あの二人が軽々しくそういう秘密を漏らすとは思えない。だとすれば王女はフィンとアウラが同棲している以上、愛の契りも行っていると考えるのが普通である。
ならばあの笑顔は―――いつも楽しんでるんだからちょっとくらい我慢できるわよね? という意味だったのか?
「なあああぁっ!」
そんなことになったら、あれって王女の信頼を完全に裏切る行為だったということになってしまうのだが……
ド・ドーーーン!
雷鳴が近づいてきた。
もしかしてまずかったのか? あれってやっぱりまずかったのかーっ?
だが、何もなくとも普通の若い男があの誘惑に耐えきるなんて不可能だ。挙げ句にフィンの今の状況なのだ。相手がメイとかだったならばともかく、あのパサデラなんだぞ⁉ 黒の女王様にだってこれだけは許してもらえるよな? 絶対……
《うう……って、あれ? そういえば……?》
そこでフィンはこの何日かメイのことをほぼ完全に失念していたことに気がついた。
あの暑気あたり事件のあとも、彼女のフィンに対する態度は相変わらずだった。だがガルガラスやロッシ達との間ではかなり打ち解けていた様子だったので、それ以上あまり気にしていなかったのだが……
《何か親子みたいな感じだったけど……》
フィンはクスッと笑う。
そもそもメイは単なる同行者で、受けた任務も全く別々だ。フィンが彼女のことをずっと見ていてやる必要はないのだ。
ただそれでも彼女がずっと一人で浮いていたのなら、少しはどうにかしなければと思ってはいたのだが、もうそんな心配もなさそうだし。
それに何より自分の任務であるロムルースとの謁見の方が大問題だった。実際あの後、いろいろと気を遣わされる羽目に陥ってしまったわけで……
《そういえば彼女ってこの大祝宴の間、何してたんだろう?》
フィンは何の気なしに考えた。
聞けばガルガラス、ヴィアス、ロッシの三人もお相伴にあずかれたということで翌日はつやつやしていたような気がするが……
………………
…………
……
「え? いくらなんでもそりゃないよな? あははははっ!」
エルミーラ王女だったならともかく―――いや、それはそれで問題だと思うけど……
そんなことになったら―――そんな光景をちょっと想像しようとして……
《あははははっ!》
フィンは考えるのをやめた。
ともかく今は余計なことは考えず、疲れを癒やさなければならない。明日は……
そこでふっと我に返る。
《あれ? 明日はどうなるんだ?》
確か週明けにはメイが魚市場などに行くようなことを言ってたと思うが……
《ま、明日の朝聞いてみるか……》
フィンはもう眠ることにした。
だが昼間ごろごろしていたせいかすぐには寝付けない。
ベッドの中で目を閉じていると、ぱらぱらっと大粒の雨が窓枠に当たる音が聞こえてくる。
風の音も強くなり、雷鳴が近づいて来る。
《すごい嵐だなあ……》
フィンがそんなことを考えながら雨音を聞いていると―――トントントンとノックの音がした。
??
《誰だ? こんな時間に……》
王女の来訪スケジュールなどについては今日の午後に話はついているはずだが―――何かやり残したことがあったのだろうか?
フィンがベッドから立ちあがって扉を開けると……
「メイ⁈」
そこにはあの小さな娘がうるんだ瞳をして立っていたのだ。
「えっと……どうしたんだ?」
「あの……実は……」
そこまで言って彼女はもじもじと下を向く。彼女は寝衣を着たままだ。
まったくもって予想外だったので、フィンは軽くパニックになっていた。
《えっと……どういうことだ?》
こんな時間に若い娘がそんな格好で男の部屋を訪ねるということは……
いやいやいや、さすがにそれはないだろ? いきなり!
というか、せめてもっと会話とかがあったならまだ分かるが、これまでほとんどゆっくり話もできていないわけで―――多分何かの間違いだ。そうに違いない! とフィンが思ったときだ。
メイは意を決したように顔を上げると言ったのだ。
「あの、一緒にいてもらえませんか?」
「え?」
一緒にいてって……
一緒に?
またド・ドーンと雷鳴がすると、彼女はぴくりと体を震わせた。
《もしかして雷が怖いのか?》
そういうことなら理解できるが……
でも子供じゃあるまいし。雷が怖いから添い寝して欲しいとかそういうわけじゃないよな? 小さいころは妹のティアがそんな風に人の寝床に潜り込んできたようなことはよくあったが……
《でも確かこの子、十七って言ってたよな?》
だとすればいくらなんでもそんな子供っぽいことは言いださないに違いない。いくら子供っぽい体型だからとはいえ―――だったら?
途端にフィンの脳裏には先ほどの疑問が再び浮かびあがる。
《えっと……あの宴のとき、この子ってどこにいたんだ?》
そもそもあの歓待は紛れもなく“良き知らせをもたらした者達”に対して振る舞われたものであった。だからガルガラス達もまた歓待を受けることができたわけで―――ならば一行の一員であるメイにも当然その権利があったわけで……
ということは……
《まさか……何かあそこですごい体験をしてきちゃったとか⁉》
思わずフィンの脳裏にメイと遊女達の妖しい光景が浮かびあがってくる。
ぶはーっ!
「えっと、あの、どうでしょう?」
メイがうるんだ目で見上げてくる。
「いや、でも……」
フィンは頭の中が真っ白だ。
十七っていうと―――むしろ一番刺激が強い歳だよな? あの夜の水上庭園はどこもかしこも妖しげな声が漏れまくってて、まさに最高級の郭の中のような状況になってたわけだが、そこでそういう体験をしてしまったとしたら……
《彼女も体が疼いて眠れないとか……⁉》
………………
…………
……
そりゃ論外だってーっ‼
あの歓待のときはそれが目的だったんだから、ああなったって仕方ない。王女の誤解があったのなら少々ややこしいことにはなりそうだが―――その場合は本当の事を言って説明すれば納得してもらえるだろうし……
でもここでこんな子に手を出してしまったら―――ただのケダモノというか、人間失格ではないか! 信頼を裏切るとかいったレベルじゃなくって‼
「あの……やっぱりダメでしょうか? 一人じゃ、その、心細くって……」
メイがか細い声でそう訴えてくる。
《……………………》
だが―――いま目の前に怯えた少女が、フィンを頼りにしてやってきているのだ。
彼女がこんなことを言いだすには、途方も無い決意が必要だったはずで……
今ここで断ることはできるが、それはそんな彼女の気持ちを踏みにじることになってしまうのではないか?
《いったいどうすりゃいいんだ? これって?》
一緒にいてほしいというだけなら、単にそうしてやればいいようにも思うが―――考えてみればフィンは何ヶ月もあのアウラと“ただ一緒にいた”男なのだ。その試練を思い出せばこの子を抱いて寝ることなんて、子犬と一緒に寝るようなものだよな? はははっ!
だがそこでフィンを見上げるメイの瞳を見てしまうと……
《もし彼女が積極的に迫ってきたら?》
フィンの体には一昨日のパサデラの肌の感触がまだ生々しく残っていて、それを思い出すたびに体の一部が固くなってしまうような状況なのだ。たとえ相手がメイでも勢いがついてしまったらもう止められないかもしれないし……
それに何といっても彼女は前々から王女とも親しかったという―――とすれば、実は見かけによらず、そっちの方の経験があったりして? 何よりも世の男にはこういった犯罪すれすれの体型の子が好みの連中だっているわけだし―――いや、さすがにそれは考えすぎだよな?
だったら―――うん。そうだ、例えば嵐が収まるまで一緒に起きててやるとか、そういったことなら?
《うん。それなら大丈夫だよな?》
ちょっとお茶でも飲んでお喋りしてたら大丈夫だ。大丈夫に違いない。多分―――大丈夫だよな?
そこでフィンはうなずいた。
「えっと、分かった。ちょっと一緒にいるだけならいいよ。でも……」
と、そこまで言ったときだ。
「はー! よかったあ!」
メイがものすごく嬉しそうに大きく息をつく。
「え? でも……」
「分かってます! ル・ウーダ様にご迷惑はかけません。本当に一緒にいて下さるだけで、その他はみんな私がやりますからっ!」
「みんなやるって、いったい何を?」
「手続きとかです。それでは明日は魔導師会館に十時に約束なので、九時くらいには出発したいんで、それまでに準備をお願いできますか?」
「は? 魔導師会館?」
「はい。もう私、魔法使いの人ってなんか苦手で……それでガルガラスさんとかにも頼んでみたんですが、あの人たちでもやっぱりちょっと引いてて」
魚の買い付けにどうして魔導師会館が関係あるんだ? と、言おうと思った瞬間……
《あ、そういえばあの表に……》
旅の初日、フィンはメイに彼女の業務も確認しておいてほしいと言われて、何やら細かい字でぴっちり書きこまれたスケジュール表を見せられたことを思いだした。
《あ、あれか?》
厨房の業務なんてまさに門外漢だ。フィンはこの子も結構忙しいんだなと、適当に流し読んでそれっきりだったのだが……
「それじゃ冷凍輸送の?」
確かそんな単語を見た記憶がある。
ベラからフォレスまでは何日もかかる道のりだ。そのまま生の魚を輸送していたら途中で傷んでしまう。そこで冷凍魔法を使える魔導師に同行してもらう必要があるのだが……
「そうなんですよ!」
メイは大きくうなずいた。
「今まで専属の方がいらっしゃったんですが、都合が悪くなって別な方に代わるっていうので、契約し直さなきゃならないんです。でもあそこだけはちょっと一人じゃ行きづらかったんで……でもル・ウーダ様と一緒ならへっちゃらです! ありがとうございましたっ!」
フィンは開いた口が塞がらなかった。
そこにまたド・カーンと落雷の音がする。
それを聞いたメイがひゃっと言って小さく飛び上がった。
「あはは。小さいころ雷ってすごく怖かったですよね。だからお兄ちゃんのベッドに潜り込んだりしてたんですけど、ル・ウーダ様はそんなことありませんでした?」
「い、いや、僕はわりと……」
「そうですか。お強いんですね。じゃ、明日はよろしくお願いします!」
メイはぺこっとお辞儀をすると、したたたたっと自分の部屋に戻ってしまった。
その後ろ姿を呆然と見つめながらフィンは思った。
《魔導師会館だって?》
白銀の都とベラの魔導師はまさに宿命のライバル同士だ。以前フィンがフォレスの軍事施設にうっかり迷い込んでしまっただけであの騒ぎだったのだ。
《怖いから止めっていうのは……やっぱダメだよな? 今さら……》
まさに敵の中枢に単身乗りこむようなものなのだが―――しかも三流魔導師が……
《やっぱ、こうなるよな~》
魔導師会館のロビーで、フィンは孤立無援だった。
彼の正面に座っている初老の男はこの会館の館長、グリムールだ。そのローブを見ればフィンなどが足下にも及ばない熟練した魔導師であるのは一目瞭然だ。
《この人……真実審判師なんだ……》
魔導師には人の心の中を見抜く能力を持つ者がいて、そういう能力者が真実審判師という役職に就いているが、魔導師の中でも最も畏れられている存在だといってよい。
また魔導師はローブの色や模様からどのような力を持っているかおおむね分かる。
都とベラではその様式が異なるが、フォレスの魔導師がベラ式なのでフィンにももう分かる。目の前の男はほとんどあらゆるジャンルの魔法を使いこなせる、まさに大魔導師の一人なのだ。
《メイもなあ、もうちょっと空気読んでくれよ……》
とりあえず黙ってくれていれば、フィンの顔などここでは知られていないのだから、ただの通りすがりで済んだのだ。
なのにやってきた担当に真っ先に彼のことをル・ウーダと紹介してくれたりして……
もちろんその担当は青くなって館長を呼びに行き、メイが契約しに行っている間、フィンはこうやって館長直々のご挨拶を受けることになってしまったのである。
しかもその後ろには別な魔導師たちが二人のやりとりを見守っているのだが、その一人一人が超一級の力を持っていることも明らかだ。
グリムールはじろっとフィンを見つめると静かな声で話した。
「いや、都のお方がいらっしゃるなど、この何十年もなかったことですからな」
だがこういった場合、怒鳴りつけられた方がまだマシだろう。奥に隠された感情が全く見えないその言葉は、フィンの師匠の一人を思い出させる。
《あの人が一番怖かったからなあ……怒ったら……》
ともかく礼を失してはいけない。
「はい。その、いきなりのことで驚かれたかとは思いますが……」
「いえ、ここはどのような方にも門戸を開いております故、誰が来ようと構いませんので。それで今日はいかようなご用でおいでになられましたか?」
「それは……連れの付き添いなんですが」
「お連れの?」
「はい。そうなんです」
そう答えたフィンをグリムールはじろっと見つめた。
「確か若い女性とは伺いましたが、それでもフォレスの名代なのでしょう? 聞けば冷凍輸送の契約を交わしに来られただけのようですが……そのようなことにル・ウーダ様ともあろうお方の付き添いが必要なのですかな?」
うわー、ものすごく疑われてるって!
「いや、彼女も初めてでちょっと緊張しておりまして……」
まあこれもその通りなのだが……
「そうですか……お優しいことですな」
うわー。笑顔なのに目が笑ってないよ! 絶対別な目的があるって信じてるよな? これって……
と、そこに若い見習が湯気の立ったお茶を持ってきた。
グリムールはそれを受け取るとフィンに差しだした。
「いかが致しましょうか、このままで? それとも冷ましましょうか?」
「それでは……冷たいのをお願いします」
フィンがそう答えた瞬間、立ちあがっていた湯気がふっと消えて、カップにうっすらと霜が降りていた。
「それでは頂きます」
お茶はきんと冷えていて火照った体に染みわたっていく。
だがフィンは内心舌を巻いていた。
熱いお茶を冷ます―――それは単純な魔法のようだが、その加減を調節するのはかなりの熟練がいるのだ。ちょっとしくじると中途半端に生ぬるかったり、氷塊になってしまう。習いたての頃はそれだけでも随分の訓練が必要なものなのだが、それをたった一瞬で完璧な温度にして出したということは、まさに熟練の技の証なのだ。
「お見事ですね」
「いえいえ、都のお方の前ではまさに稚技のようなものですよ」
あはははは―――って!
《ちょっと待て! 誤解されてる?》
大魔導師のこの態度―――もしかして彼らはフィンの能力を大幅に過大評価しているのではなかろうか? だとしたら……
周囲の魔導師の目線がちくちく刺さる。
《うわーっ、やっぱり来るんじゃなかった……》
そもそも昨夜メイがあんな思わせぶりな登場をしなければ、変な約束をせずに済んだのだ。
だが―――それを思いっきり勘違いしたのはフィンだった。だからやっぱり止めにしようなどとは言い出せないし……
しかも今日の朝、彼女がフィンを見つめる目は―――まさに勇者を見るまなざしだ。
《あんな風に見つめられたらもう……》
娘の素直な期待に応えようとちょっと無茶しちゃったパパの気持ち、というのがこれなんだろうか?
などと内心蒼白状態のフィンにグリムールが尋ねる。
「ところでル・ウーダ様はフォレスに仕官なさったとか?」
ああ、この質問なら答えやすい。これまで何度も聞かれてきたことなので答えはもう用意できている。
「はい。まだ正式ではないのですが、アイザック王やエルミーラ王女の人柄に打たれまして」
グリムールは全く無表情に尋ねる。
「しかし都のお方が珍しいですな」
「皆さんにそう言われますね。でもわりとこちらの……フォレスの空気が合ってる感じで」
「そうですか。で、ル・ウーダ殿から見てベラの魔導師とはいかがですかな?
フィンは吹きだしそうになったのを全力でこらえた。
またいきなりそんな難しい質問を―――どう答えればいいんだ?
「いや、私などでは皆様の足下にも及ばないとしか」
まさにその通りなのだが、そもそもどうして彼らはフィンをそんなに買いかぶっているのだ?
「またまたご謙遜を。ル・ウーダ一族ともあろうお方が」
え? あ!
それを聞いてフィンは相手の誤解の原因が分かったように思った。
《もしかしてヴァルカーノ様とかのことを考えてる?》
かつての戦争のとき活躍した著名な魔導師の中に、ル・ウーダ・ヴァルカーノという大魔導師がいた。確かに炎の扱いにかけては当代随一だったというが―――そもそも都とベラの間は疎遠なのだ。だったらそういう昔の情報で話をしているのでは? この人も相当にお歳みたいだし……
「いえいえ、うちの一族が活躍してたのはずいぶん前の戦争の頃で、私なんかはまだ生まれる前で、それ以来鳴かず飛ばずなんですよ」
これは実際にそうである。だがそれを聞いてグリムールの表情が変わった。
「前の戦争とは……シフラ攻防戦の頃ですかな?」
「え? はいそうですが……」
いったいどうしたんだ? なにか地雷を踏んだのか?
「いや、失礼。ちょっと辛いことを思い出しましてな……グラテスでの最後の会合で……あのときは私もまだ新米だったのですが……」
グラテスの会合とは、シフラ攻防戦で都とベラの連合軍が大敗を喫して撤退した先で、最後の反攻を行うかどうか協議したときのことだ。
《うわ、やっぱりあの戦いに従軍してたんだ……》
そのあたりは本でしか読んでいなかったのだが、目の前の魔導師はまさに歴史の証人だった。
「意気消沈した私達に彼女が叫んだのですよ。あんたたちはそれでも黒の女王の末裔か! と」
フィンはそんなエピソードは聞いたことがなかった。
「都から来た、私よりも若い、まだ少女といってもよいお方でした。そんな彼女の叫びに私達は誰も答えてやることができなかった……」
グリムールは小さくため息をつく。
「もしかしてそのお方は健在ですか? 確かシアナ様とおっしゃったそうだが……」
「ぶはーっ!」
その名に思わずフィンは吹きだしてしまった。
「どうなされた?」
「い、いえっ!」
そういうことを叫びそうなシアナという愛称の当時の少女なら実はよく知っている。
「ご存じなのですかな?」
「はあ、まあその、師匠でして……」
「なんと!」
それを聞いた周囲の魔導師の間にも動揺が走る。
《あの人こっちでもそんなに有名だったのか?》
酔っ払ったときにはレイモンなんかあたしが一人でやっつけてやる! とか息巻いていたが……
「いえいえ、だからまさに不肖の弟子でして!」
正直、フィンが一応ル・ウーダの血筋であるから担当してもらえたというだけなのだが……
「いや、これはますます何かご教示頂かなければ……」
ひーっ!
ない! フィンが彼らに魔法で教えられることなど、何一つない!
こうなったらここはっ!
「いえ、違いますよ?」
「は?」
「あれはあなた方が弱かったのではないのです!」
とりあえず強引にでも得意な分野に引きずり込むしかない!
「あれとは……あの戦いのことでしょうか?」
「そうです。あなた方や私達の力が及ばなかったのではなく、その力が出せないように封じ込んだ、ガルンバ将軍の計略のせいなのです」
グリムールは少し驚いたようにフィンを見つめた。
「将軍は知っていました。私達の間の、さらには私達と一般兵士たちの間の信頼関係がどういったものであったかを。だからあんなデマで疑心暗鬼になり、ついには内から崩壊に至ったのです。そのことも含めて力というのであれば、確かに我々は弱かったでしょう。でもそんな弱さならこれから克服していくことはできるのではないでしょうか?」
グリムールはしばらく値踏みするようにフィンを見つめると尋ねた。
「都ではそのようにお考えなのですかな?」
「いえ、元はといえばこれはアイザック様やナーザ様のお考えです。私もこちらに来て初めて教わったといっていいでしょう」
「アイザック様がそのようなことをお考えに?」
そう言ってグリムールはしばらく黙りこむと、唐突に尋ねた。
「その“我々”に私達は含まれているのですかな?」
「は?」
フィンはその意味が理解できなかった。
「フォレスが私達を見限り、都と結ぼうとしているという話はどうなのです?」
「はあぁぁ?」
フィンはしばらく絶句するしかなかった。
「あの、いったいそれは何ですか?」
「お館様がフォレスより戻ってからというもの、そのような噂が流れているのですが……」
どういうことだ?
確かにあのとき初めてアイザック王は自身の考えを公にしたのだが―――ロムルースはいったい何を聞いていたのだ?
「ちょっと待って下さい! まさにそんなのは誤解ですから! 何だったら頭の中を見て頂いたって構いません。王は都とベラが信頼関係を築くために尽力したいとおっしゃっただけで、どこにつくとかそんな話はいっさいしておりませんが⁉」
グリムールは目を丸くしてそんなフィンの説明を聞いていたが、やがて首をふる。
「どうもよく分かりませんな」
いや、分からないのはこちらだって! どこをどうやったらそういう話になるのだ⁉
―――しかしいったいどうやったら納得してもらえるのだろう? ここで彼がそうではないと力説したとしても無駄に違いない。何よりも彼は白銀の都のル・ウーダ一族なのだから……
《えっとこれって……》
頭の中が真っ白になったときだ。
「……フェリエさん、ほんとに今日はお世話になりましたっ」
「いえ、こちらも、あなたのような可愛らしい方が来られるとは思ってませんでしたよ」
「あはー、どーもありがとうございますー。お世辞でもとっても嬉しいですー」
「お、お世辞なんてそんな……あはは」
―――などという会話とともに、まだ若い魔導師と一緒にメイが戻ってきた。
《やたっ! 地獄に大聖!》
フィンがそう思って彼女を見つめると、メイも彼に気づいて手を振ってきた。
「あ、ル・ウーダ様、終わりましたよーっ」
その姿を見てグリムールが目を丸くした。多分これほど子供っぽいとは思っていなかったに違いない。
「このお方の付き添いで?」
「いえ、なりは小さいですが、れっきとした十七歳なんですよ」
「ほう……」
これだったら付き添いだって説明を信じてもらえるかな?―――とフィンが思ったときだ。
メイがつかつかとやってくるとぺこりとグリムールにお辞儀をした。
「あ、おじさま、ガルサ・ブランカ城で料理人を務めさせて頂いておりますメイと申しますっ。今日は冷凍輸送の件でお伺いしました」
おじさまって……
「私がここの館長をしているグリムールです」
「ああ、そうなんですか。今後ともいろいろお手数をおかけするかもしれませんが、その節はよろしくお願いします」
いや、そんなにはきはきと挨拶されると……
「うむ」
グリムールはうなずくと、フィンの方を見て意味ありげな笑みを浮かべる。
「大変しっかりしたお嬢さんですな?」
えっと―――それってこの子なら付き添いなんか不要じゃないかって意味かな? あはは!
そんな二人の様子を見てメイが言う。
「えっとル・ウーダ様? お話の途中でしたらゆっくりしてらして下さい。私はこれで……」
ちょっと待ったーっ!
「いや、ほら、あれがあっただろ? 一緒に行かなきゃしょうがないじゃないか?」
「は?」
メイはきょとんとしている。
「すみません。このあともう一件寄るところがありまして、今日はいろいろありがとうございました」
フィンはそう言ってグリムールや他の魔導師に礼をすると、メイを引っ張ってそそくさとその場を後にした。
帰りの馬車の中でメイはすっかり緊張がとけていた。
「そんなことなら最初に言っといてくれれば、名前を呼んだりしなかったですよ?」
「いや、だからちょっと言いだす機会がね……」
怖いからどうしようなんて相談できるわけがない。
「でも、ほんとに助かりましたよ。一人じゃちょっと玄関をくぐることもできなかったと思いますから。あー、もうスッキリしたっ! こっち来て初めて息したみたいな感じです!」
来る途中彼女は、まるで借りてきた猫みたいにおとなしかったのだが……
「でも実際お話ししてみたら、魔法使いの人って親切なんですねー。あのフェリエさんですか? 私が緊張してたら目の前でかき氷を作ってくれたりして。すごく美味しかったですよ」
今では何やらハイテンションに喋りまくっている。どうやらこっちの方が地なのだろう。
「いや、魔法使いって普通の人には親切なものなんだよ?」
「他の人もみんなそうなんですか?」
「ああ。僕たちだって化け物じゃないんだから、特に女の子なんかに怖がられるとやっぱり傷つくものなんだ」
「あ、あー……」
メイは納得したように大きくうなずいた。
《まあ、そのせいでいろいろハッタリも効くわけなんだけど……》
ガルサ・ブランカに来る旅の途中、一人旅でもけっこう安全だったのは、ちょっと魔法を見せてやれば多くの人が畏れてくれるためだった。特にアウラと出会ってからはいろいろあったが……
「じゃ、あのおじさまもそうなんでしょうか? なんかすごく怖そうに見えましたが……」
「そりゃ見かけが怖い人もいるさ。でもむやみに怒ったりはしないから」
「へえ……」
でも、魔法使い同士となるとそうはいかないわけで。
魔導師の間には厳然たる力関係が存在する。実力のない者はいつまでたっても上の者に頭が上がらない。その上、都とベラの確執もある。
《うー、せめてもうちょっと準備できてから行きたかったよな……》
ともかく都の魔導師ではなく、フォレスの使節みたいな立場で行けたのならもう少し和やかな雰囲気になれたものを……
《でも……あれはちょっとヤバくないか?》
魔導師会館の館長という立場の者が、おかしなデマを信じているようなのだが……
ただあそこで彼も混乱していたようだから、本当にそんな出所不明の噂が流れているだけなのかもしれないが―――少なくともアイザック王の意図があまり正しく伝わっていないということは確かだ。このことはちゃんと報告しておかないとまずいだろう……
そんなことを考えているとメイが尋ねた。
「ところで昼ご飯はどうしますか?」
「え? ああ、もうそんな時刻か。どうするって……」
フィンは館に戻ればいいくらいに考えていたのだが。
「いえ、実はちょっと聞いたんですが、河畔にナマズのサンドイッチを売ってるお店があると聞きまして」
「ナマズ?」
さすがに少し驚いて彼女の顔を見る。メイは嬉しそうな笑顔だ。
「はい。私も最初びっくりしたんですが、これがけっこう美味しいらしいんですよ」
「誰に聞いたんだ? そんなの」
「厨房の人にですよ。だから味に間違いはないと思いますけど。いえ、無理にとはいいませんけど……でもガルガラスさんも知ってたんですよね?」
馬車の横を併走していたガルガラスが答える。
「おう。昔食ったことがあるぜ。小さかったころだけどな」
「ル・ウーダ様がナマズとか無理ーっておっしゃるなら、私ちょっと一人で行ってきますから」
それを聞いた御者のロッシがたしなめるように言う。
「だから嬢ちゃん。一人はダメっていっただろ?」
「でもロッシさんは大丈夫なんですか? ナマズ」
「え? あー……」
まあ普通はちょっと引くだろう。こういう話は―――しかしフィンは違っていた。
「いや、一緒に行ってもいいぞ。おもしろそうじゃないか」
「え、本当ですか?」
メイはちょっと意外そうな表情だ。
「ここに旅してくる間に結構いろんなもん食べたからなあ。アイフィロスで食べたカエルは結構行けてたし」
メイの目が丸くなった。
「カエルって、あの跳ねるカエルですか?」
「ああ。こんな大きい奴だったが、それがなんていうか鶏肉みたいで……」
「へー……」
「で、店の親父が言ってたなあ。世の中には二種類の人間がいる。カエルが鶏そっくりと知ってカエルが食えるようになる奴と、鶏が食えなくなる奴だ、ってな」
「あははは。おもしろいこと言うんですね。で、ル・ウーダ様はカエルが食べられる方と」
「ま、そうなるのかな?」
この子もどうやらこっち側みたいだが……
「わかりやした。じゃあ、まあ行きましょうか?」
御者のロッシは明らかに気乗りしていなさそうだったが、馬車を河畔の広場の方に向けた。
その道すがら、またメイが尋ねてくる。
「それで明日はどうしましょうか?」
「どうするって魚の買い付けとかがあるんじゃないか?」
「それは昨日済ませちゃいましたけど」
「え?」
驚いてメイを見ると彼女はにっこり笑う。
「元々ゆったりしたスケジュールだったんで、ちょっとがんばったら終わっちゃいました」
終わったって―――あれ結構たくさんあった気がするんだが……
「じゃ、明日は何もすることがないんだ?」
「はい。ル・ウーダ様のお勤めも終わってるんですよね?」
「ああ」
フィンの主任務については最初の日にほぼ終わったといっていい。残りの細かい手続きも昨日協議して決まっている。
「それじゃどうするかなあ……」
考えこむフィンにメイが言った。
「予定じゃ帰るのは明後日ですが、一日早めることもできますけど……」
「まあ、そうだけど……」
「それだとおみやげとかこれから買わないといけませんね。アウラ様へのおみやげとか決まってるんですか?」
「え? ああ、まだきちっとは……」
フラン織りの何かというところまでしか決まっていないが……
「いや、ほら週末があんなことになってしまって、あそこでおみやげゆっくり見繕えるかなって思ってたんですが……」
確かにフィン達はロムルースの“歓待”は金曜日で、土日は休めると思っていたのだ。
それはともかくフィンはメイの言わんとすることが大体分かってきた。
「それで要するに明日は市内観光か何かをしたいと?」
「いけないでしょうか?」
メイが怖々といった表情で尋ねるが……
「いや、いいんじゃないか? 何だかんだで緊張しっぱなしだったんだし」
「うわ。本当ですか? あはっ!」
何というか幸せそうに笑う娘だ。
ハビタル市内は金曜日に公式使節としてあちこち案内されたのだが、正直肩が凝ってしまった。ここでゆっくりお忍びで回るのも悪くない。
《ってか、街の噂とかもちょっと聞いてきた方がいいしな……》
グリムールに聞いた噂もあるし、フォレスの王女がこちらではどんな風に思われているのかも直接聞いてみたい気がするし……
「それじゃ後でちょっと服を買わなければいけませんね」
「服を?」
「だってこの格好じゃ目立っちゃいますよね。それに暑いし」
「ああ、そうだな……」
フォレス風の衣服では確かに浮いてしまう上、本当に暑い。
《いろいろと細かいことに気づく子だよな……》
魚の買い付けとかを一日で終わらせてしまったのも、彼女の手際が良かったからに違いない。王女に買われているというのも、どうやら伊達ではないようだ。
「シータ街にはそういう服を売ってるお店がいっぱいあるそうですよ」
「それも厨房の人に聞いたのかい?」
「はい。いろいろ教えてくれました」
「それにしても厨房によくそんな知り合いがいたよね? 誰かフォレスから来た人でもいたの?」
だがメイは首をふる。
「いえ、別にそんな人いませんでしたが?」
「え? じゃどうやってナマズのことを聞いたんだ?」
「ああ、それがですね」
メイはにっこり笑った。
「あのものすごい宴会があったじゃないですか。昼間っからもう飲めや歌えの大騒ぎの。私あんなのもう初めてで……」
えっと―――あの大歓待のことかな?
「それでもうびっくりですよ。ピチピチしたのがよりどりみどりで」
「え? ああ、そうだったね」
確かにそのようなものがよりどりみどりだったのは事実だが……
「肉づきはぷりぷりしてて、舌触りもとろけるようで……」
《ぷりぷり? とろける? 舌触り……?》
もちろんフィンの脳内でそういう単語は別な対象へと関連づけられていた。
「あんなお魚はやっぱり本場じゃないとダメですよねー」
「そ、そりゃーそうだよねー。うん。まったくだ! あはっ」
フィンのそんな動揺を知ってか知らずか、メイは話し続ける。
「そのほかのお料理ももう見事なのばっかりだったでしょ? それで私、配膳の方にずっといろいろ尋ねてたら、なんだか厨房から料理長さんが呼ばれちゃって……」
おいおい……
「ところがその料理長さんがまだお若かった頃、ルクレティア様にお料理をお出ししたことがあったそうで、ルクレティア様のお魚好きのことで盛り上がっちゃって」
「はは、そうなんだ」
「それから厨房に案内してもらって、他の料理人の人とも仲良くなっちゃって、そのうえ上等なお酒まで頂いちゃってお部屋に戻ったらもうそのままぐたーって寝ちゃって」
「へええ」
「翌日はル・ウーダ様も他のみんなも起きてこないし……いったい何時くらいまで飲んでたんですか?」
げふっ。
「いや、本当に盛り上がってな、もう朝方だったかなあ、寝たのは……」
「お酒はほどほどにしないとダメですよ?」
「はい」
「で、なんでしたっけ。そうそう。みんな起きてこないからまた厨房に行って、いろいろお話ししたり見せてもらってたりしてたんです。もうつまみ食いしすぎて昼のご飯が入りませんでした。あはは」
「そうだったんだー」
うう、ごめんな。変な想像しちゃって。本当に君はいい子だねえ―――などとフィンが心中で謝っていると……
「ところでル・ウーダ様は冷凍魔法とかは使えるんですか?」
なんだ? 藪から棒に?
「え? いや、ちょっと……」
「ああ、そうですか。じゃあしかたありませんねえ」
まあ事実なんだが―――ちょっと傷つくなあ、あはは。
「冷凍魔法をどうしたいんだ? まさか土産に魚を持って帰ろうとか……」
「まさにそれなんですけど?」
「おみやげに魚ってどうなんだ?」
「いや、昨日見た魚市場は凄かったんですよ。あそこ見たら絶対そういう気分になりますから」
「はあ? そんなもんか?」
「あと穀物にしても何にしても、ベラって本当に豊かなんですねえ。本では読んでましたが、実際に見てみると全然違ってて……あれだけあればフォレスに少しくらい売ったって困りませんよね」
「まあ、そうだろうね」
「でもそうすると、本当にベラの人とは仲良くしてないといけませんよね。あんなお魚にしても穀物にしてもフォレスじゃ取れないし。喧嘩してもう売ってやらないとか言われたら困っちゃいますよね」
「そりゃそうだね」
「そういうのを“センリャクブッシ”とかいうんでしたっけ?」
フィンは驚いて彼女の顔を見た。
「どうしました?」
「いや、よく勉強してるなって思って……」
メイは笑った。
「いや、そのうちお側に仕えるなら読んどけって、王女様にいっぱい本を押しつけられちゃいまして。一生懸命読んでるんですが、難しくって……」
ってことは相当に本気なのか? 王女は……
「王女様は君を秘書官に取りたてるつもりなのかな?」
メイはうなずいた。
「ええ。グルナさんの代わりにやってくれないかって言われてはいるんですが……でも私なんかにできるんでしょうか?」
彼女はやや自信なさげだが―――だとすれば今回の任務というのはそれを確認するためなのはほぼ間違いないだろう。フィンと同様に……
そこでフィンはメイに言った。
「だからできるかどうかのテストなんじゃないか? 今回の任務が」
だがそれを聞いたメイはおろおろし始める。
「え? そうだったんですか? どうしよう? じゃあ遊んでないですぐ帰った方がいいでしょうか?」
彼女はそんなことには気づいていなかったようだ。
「いや、そんな必要ないさ。予定より早く仕事が終わったんで、あとは市内を視察してましたって言えばいいのさ」
「おお、何と悪賢い! さすがです!」
メイは感動の眼差しだ。
「悪賢いってなんだよ!」
そんな会話を交わしながら、フィンは多分この子なら王女の秘書官でもやっていけそうに思った。
《ただあの王女だとそれ以外のところにもいろいろありそうだけど……》
そのとき馬車は中央広場にさしかかった。
中央広場とはその街の顔だが、このハビタルの中央広場には他では見られない物体が鎮座している―――機甲馬である。
「あれ? 何してるんでしょう?」
見ると機甲馬の下に人だかりがしている。立て札が立っているようだ。
《もしかしてこれって……》
フィンは併走していたガルガラスに何が書いてあるか見てきてもらった。
その答えは想像通り……
「金曜日に死刑があるそうですぜ。旦那」
「あ、やっぱり……」
「死刑って……あれで踏むってのですか?」
メイの問いにガルガラスが嬉しそうに答える。
「そうみたいでさ。死刑囚を大の字に縛りつけて、端っこの方からゆっくりミンチにしてくって話ですぜ。そんなんだからなかなか死ねなくて、もう地獄の苦しみだとか……」
「ひぃぃぃっ!」
メイは蒼白だ。フィンも想像しただけで気分が悪くなった。
「いやあ、旦那。おもしろそうじゃないですか。見物していきませんか?」
「却下~っ!」
「だめーっ!」
フィンとメイが同時に叫ぶ。
「でも滅多に見られるもんじゃありませんぜ?」
馬車の後ろに乗っていたヴィアスも言うが……
「見たきゃ見てていいよ。僕は一人でも帰るから」
「一人って馬車は誰が動かすんですかい?」
別に一人で馬に乗って帰ればいいと答えようとしたら、いきなりメイが割りこんだ。
「それなら私が操車しますっ」
「君、馬車が動かせるのか?」
「荷馬車ならよく操ってましたから」
「ということなんで大丈夫みたいだが」
ニヤニヤしながら尋ねたらガルガラスも苦笑しながら答える。
「勘弁して下さいよ。旦那。もう……」
もちろんガルガラスたちがフィンとメイを放っていけるわけがない。
「でもそんな刑を食らうなんてどんな奴なんだ?」
「それが何とかいう領主で、国長を暗殺しようとした咎って書いてましたね」
「ああ……そんなんじゃ仕方ないか……」
君主を殺そうとしたのであれば、極刑は免れないのは確かだ。
ともかくもうこれ以上関わりたくない案件だ。
「で、明日はどこを回る? 何かいいところはありそうかな?」
フィンはメイに尋ねる。
「それでしたらオバケ屋敷なんてどうかって言ってましたよ」
それを聞いたガルガラスが驚いたように言った。
「お、あれってまだやってるんですかい?」
「ガルガラスさん、知ってるんですか?」
「おお。ちっちゃい頃つれてかれたんですがね、いやあ、びびったねえ。しばらく暗い夜は一人でトイレにも行けやしねえ」
「なんだ? それって?」
それに答えたのがメイだ。
「なんだか凄く古いお屋敷なんですけど、滅ぼされた東の帝国の亡者や怪物が出てきて人を冥界に連れていってしまうそうなんですよ」
「ええ?」
「もちろん仕掛けなんですけど。でも魔導大学の学生がアルバイトで出てるんで、もういろいろ凄いんだそうで……」
「ああ、なるほど……」
魔導演出というのはフィンの故郷にもあったが、あれは音楽劇などの舞台を華やかにするために行われるのが常だった。だがこんなやり方もあるわけか……
「それにですねえ、そこにはなんとアイスクリームの屋台が出るそうですよ?」
「この真夏にか?」
「もちろんそれも学生のアルバイトだそうですが」
「あ、だよね」
頭の上は今日も夏空だ。都やフォレスは夏でも過ごしやすかったからあまり欲しくもならなかったが、確かにここでは最高のごちそうではなかろうか?
フィンもなんだかウキウキしてきた。