ハビタルの48時間 第7章 処刑まで四十八時間

第7章 処刑まで四十八時間


 次の日の朝のことだった。

 フィン一行はハビタルの観光に繰り出そうとしていた。

「俺が行ったのは南の川岸だったぜ。間違いないから」

 ガルガラスはベラ風の開襟シャツに半ズボンといった姿だ。フィンも同様の格好で、確かにこれなら涼しくて気持ちいい。

「でも私は北の川岸って聞いたんですけど」

 今日の彼女はベラの標準的な衣装、すなわち両肩がむき出しのタンクトップに、丈の短いスカート。お腹もちょっと見えている。

《あの子が着てるとやっぱりほのぼのとするよなあ……》

 アウラとかパサデラが着ていたらちょっと目のやり場に困っただろうが……

「嬢ちゃんはハビタルに来るのは初めてなんだろ?」

「ガルガラスさんこそ、ここにいたのは子供のころなんでしょ?」

 二人が言い争っていたのは例のオバケ屋敷の場所についてだった。聞いての通りメイは北だと言うし、ガルガラスは南と主張して譲らない。

「これじゃ埒があかないからどっかで確認してきたらどうだ?」

「そうですね。それじゃもういちど聞いてきますから待ってて下さいね」

 メイはそう言って、たたたっと駆け去って行った。

「メイちゃんもけっこう頑固ですねえ」

 ヴィアスが苦笑しながらその後ろ姿をみつめている。

「まったくだぜ。あんな小娘じゃなけりゃはたき倒してやるんだが」

 おいおい、意見が合わないからって殴るのはどうだ?

 それを聞いてロッシがたしなめる。

「でも隊長、メイちゃんの方が正しかったらどうするんです?」

「あん? てめえはあの小娘の味方か?」

 敵とか味方とかじゃないだろ? まったく……

 最初は少々びっくりしたものだが、この何日か付きあってきてこれが彼らの平常運転ということが分かってきていた。ガルガラスという奴は少々無理でもなかなか自説を曲げないのだ。

 そんなことを考えながら一行は待っていたのだが……

「遅いですねえ」

「何してるんだ? 厨房なんて遠くないよな? そんなに」

「迷ったりは……しませんよねえ」

 女の子にはよく方向音痴の子がいるのだが、メイに関してはそれは大丈夫だった。一昨日もハビタルの市場をあちこち訪問して回っていたのだが、ロッシはメイに言われるままに馬車を走らせていただけなのだそうだ。

「何かあったのかな?」

「ちょっと見てきましょうか?」

「そうだなあ……」

 とフィンが言ったときだ。向こうの方からなぜかとぼとぼとメイが戻ってくるのが見えた。

「あ? どうしたんだ?」

「なにしょんぼりしてるんでしょうねえ……」

「まさか隊長の言ったことの方が正しかったから?」

 ガルガラスが少しうろたえる。

「だからって、あそこまでしょんぼりはしねーだろ? 普通」

 それはそうだ。

 そこで戻ってきたメイにフィンは尋ねた。

「どうしたんだ?」

「それが……」

 メイは大きくため息をつく。

「あん? もしかして今日は休みだったとかか?」

「ああ、今日は水曜日ですねえ。そんなこともありますか?」

 ガルガラスとヴィアスがうなずきあっている。

 だとすれば落胆する気持ちもよく分かるが―――メイは首をふった。

「違うんです。ちょっともう私、気が滅入っちゃって……」

「どうしたんだよ? 本当にいったい……」

 そこでメイは話しはじめた。

「それが、明後日の死刑なんですけど、なんでも私たちが来たから一週間延期になってたとかで」

「え?」

 フィン達は顔を見合わせた。

 そういえば最初の謁見のときにロムルースが宴の準備をせよと言ったら、なにやら回りが不穏になった気がするが―――そういう大切な行事をすっ飛ばしてあの宴会は開かれていたのか?

 だがそれでどうして彼女がここまで落胆しているのだろうか?

 メイが説明するにはこういうことだった。


 ―――メイが厨房に入っていくと、中で人が集まってなにやら深刻そうな話し合いをしているようだった。いきなり割りこむのもなんなので、メイは少し様子を見ることにしたのだが……

「ファリーナはまだ出てこれないのかい?」

「ちょっとしばらくは厳しいんじゃないかしら。分かるでしょ?」

「でもねえ、このままじゃ首にするしかないよ?」

「でもあの子がいなくなったらデザートはどうします? グレイシー様がことのほかお気に入りなのに」

 どうやら病気か何かで長期欠勤している子がいるらしいが―――体が弱いのだろうか?

「何というかフォレスの方々のせいでむしろ辛い思いをしてるんじゃないかしらねえ」

「ああ、そうですねえ……」

 メイは仰天した。自分たちのせいで? そして思わず話に割って入っていた。

「あの、すみません。何かその至らぬことがありましたか?」

 いきなり現れた彼女を見て、厨房の料理人達はぽかんとする。服装がベラ風だったからだろう。それから彼女がメイだと気づいて、今度は平身低頭した。

「いえ、メイさん。あなた方が悪いんではなくて」

「なにも気にしなくて構わないんですよ」

 と、恐縮しながら話してくれたのが、死刑の延期の話だった。

 今回死刑になるのはフレーノ卿という地方領主で、ロムルース暗殺の計画を立てたということなのだが、料理人達は口々にその領主はとても立派な方で、そんな悪辣なことをするはずがないと言うのである。

 そして休んでいるファリーナという娘は腕のいいパティシエールなのだが、そのフレーノ卿に大恩があって、いまこの首長の館に勤めていられるのも卿の口利きだったという。

 そんな彼女にとっては事件は本当にショックだったに違いないし、しかも処刑日が延期されたことで苦しみがさらに長引く結果になってしまったのだ―――


「すみません。そんな話を聞いちゃったもんで、ちょっと遊ぼうって気にならなくなっちゃって……あの私、残ってますから、皆さんだけで行って下さい」

 フィン達は顔を見合わせた。

「いや、こっちだってそんな話を聞いて、のんびり遊んでなんていられないよな?」

 それに男同士で行ったって残念な雰囲気にしかならなそうだし……

「へえ。そりゃもう……」

 ガルガラス達も何と言っていいか分からないという表情だ。

 だがこれってどうすればいいのだ? あの死刑に自分たちがこんな形で関わっていようとは……

「その領主ってそんなに人気があるのかい?」

「ええ。領民からの評判はすごくいい人みたいです。ただ何というか、とてもまっすぐな人みたいで、けっこう敵も多いとか……」

「でもその人、国長を暗殺しようとしたんだよね?」

「そうなんでしょうけど……」

 正直なところ、本当にフィン達にとって関係ない話と言えばそれまでだ。

 確かにたまたま彼らがやってきたせいで死刑執行日が延期されたのは事実だろうが、本当に偶然のことだし、そもそもこれはベラという他国の内政の問題なのだ。いかなる意味でも口を出せる立場にはない。

《でもなあ……》

 何というか、ただ放って帰ったらすごく後味が悪そうなのだが……

「えっと、メイ、その人がどんなにいい人でも、主君を暗殺しようとしたりしたら、そんな極刑になるのは仕方ないよね?」

「はい。それは分かるんですが……」

 あ? 分かるんだ―――ここで感情的になられたらちょっと困ってたところだが……

 しかし何というかどうも引っかかる。

「でも……どうしてそんな人がロムルースを殺そうなんて思ったんだ?」

 それはほとんど一人言だったのだが……

「え? それは聞いてきませんでしたが……聞いてきますか?」

「いや、君に尋ねたんじゃなくって。ただこれだけじゃ何だか全然分からないから……もしかしたら、いい人ってのは実は上辺だけで、実は悪人だったかもしれないし」

「そうでしょうか?」

 メイがフィンを見上げる。

「いや、今のは例えばの話だからね? それに……あのロムルースだから、その人に何かひどい仕打ちをしたとかいうこともあるかもしれないし……」

「あ、そうですよねえ……」

 メイだけでなくガルガラス達までそれには納得した顔をする。

「おいおい、こんなこと思ってても絶対口に出すなよ?」

「あ、はい……」

 メイは慌てて口を押さえた。

 ともかくここであれこれ憶測を巡らしていても始まらない。本当にそのフレーノ卿がそんな大罪を犯していたのであれば、彼らにはもうどうしようもないのだ。

 ともかく一行が心安くフォレスに帰るためには、そこらあたりの事実確認はしておいた方がいいだろう。

 そこでフィンはみんなに言った。

「それじゃこれについては僕がもう少し事情を聞いてくるから。その間ここで待っててくれるか?」

「はい。わかりました」

「へえ」

 フィンは沈み込んだメイ達を残して、館の本殿の方に向かった。



《うーん。でもいったいどう尋ねようかなあ?》

 何かが引っかかるのだが、どうも考えがまとまらない。

 フィンが腕を組んで考えこみながら歩いていると、向こうからやって来たのは大臣のプリムスだ。

「おや? これはル・ウーダ様。見違えそうになりましたよ?」

「あ、あはは。ちょっと今日はハビタルの観光に行こうかと思いまして。で、あの格好は暑いですしね」

 プリムスは微笑んだ。

「そうでしたか。確かにフォレスのお召し物ではこちらはちょっと厳しいでしょうからね。ではごゆっくり……」

 と、彼は軽くお辞儀をしてその場を辞そうとする。

 それをフィンは慌てて引き止めた。

「あ、すみません。ちょっといいですか?」

「なんでしょうか?」

「いや、実はちょっと噂を耳にしたんですが、明後日広場で処刑が行われるそうですね? それがどうも私たちのせいで延期されていたとか……」

 プリムスの目が泳いだ。

「どこでそれを?」

「いえ、一緒にいた子が厨房で聞いてきたんですが……」

「あ、いえ、隠す気はなかったんですが、お客様をご不快にさせてはいけないと、箝口令を敷いていたのですが……」

 あ、そういうわけか……

「いえ、別にそのことをどうこうは思っておりませんので。ただちょっとお尋ねしたいのですが、そのフレーノ卿というのは大変領民に慕われている方なんだそうですが、そんな方がどうしてあんな大それたことをしたか、ということなんですが……」

 だがそれを聞いたプリムスは黙りこんでしまった。

《え? どうして黙っちゃうんだ? 何か動機はあるものだろう?》

 それからプリムスは首をふりながら答える。

「それが……分からないのですよ」

「は?」

 分からないって……

「フレーノ卿は私はそんなことはしていないの一点張りで……」

「え?」

 しばらく絶句してからフィンは尋ねた。

「本人は罪状を認めていないということですか?」

 プリムスは目を伏せながら答えた。

「そうなのです」

「それじゃどうして? よっぽど確実な証拠があるのでしょうね?」

「そういうことになっています」

「そういうこと?」

 ぽかんと聞き返したフィンにプリムスは答えた。

「お館様がそのような処断を下されてしまったので、もうどうしようもないのですよ」

 ………………

 …………

 ……

 首長の下した決定は絶対だ。白が黒であってもそれを他の者が翻すわけにはいかない。

 大臣のこの様子では、どうやら彼もその処断に納得できていないらしい。

《いや、それって何かまずいだろ?》

 あのロムルースだからトンチキな決定を下すことはありそうだとは思っていたが、人の命に関わることだぞ? 大丈夫なのか?

 そこで思わずプリムスに言っていた。

「えっとあの、そうだ、これって決してフォレスにも無関係なことではないと思うのですが。ロムルース様とはこれからも末永くおつきあいすることになるわけですし、いや、差し出口できる立場ではないのですが、もう少し詳しくお話しを伺うことはできませんか?」

 プリムスは驚いたようにフィンを見た。

「しかしちょっと私もこれから……」

「ああ、そうでしょうね」

 彼だって公務中なのだ。あまり引き留めるわけにもいかない。

 そう思ってフィンが別れようとしたときだ。プリムスは軽くうなずくと言った。

「それでは警吏部のネリウス長官への紹介状をお書きしましょう。彼がこの件の担当だったのですよ」

「え? 本当ですか? ありがとうございます。感謝します!」

 それからプリムスは執務室に戻り、紹介状をしたためてくれた。フィンは大臣に何度も感謝しながら、それを持って部屋に戻った。


 客室では四人が首を長くして待っていた。

「あの、どうでした?」

 心配そうな表情でメイが尋ねる。

「それがなあ……」

 フィンは彼らに今のことを話した。

「……ってことなんで、これから警吏部まで行ってこようと思うんだ」

 するとメイが言った。

「じゃ、私もついて行っていいですか?」

「君が?」

「ここで待ってるだけじゃもう胃が痛くなりそうで。それにお話しとかメモしておいた方がよくありません?」

「あ、そうだな。じゃあ頼むよ」

「はいっ」

 というわけで彼らは期せずして観光の代わりにフレーノ卿の事件を調査する羽目になってしまったのだ。

 そしてもちろんそのためにはちゃんとした正装―――フォレス風の暑い服装で行かなければならなかったのも残念な話だった。



 その日の夜、一同はメイの取ったメモを前にして頭をかかえていた。

 何だかんだで調査には午後一杯かかってしまったのだが……

「これって……全然ダメだよな?」

「いくらなんでも……ですよね……」

「これで死刑とか……あんまりじゃねえですかい?」

 メイはおろか、脳筋武闘派のガルガラス達でさえ唖然としている。

 というのは、彼らが知ることのできた事件の全貌とは次のようなものだったのだが……


 ―――今から一月半ほど前のこと、警吏部へロムルースの暗殺が企まれているという匿名のたれ込みがあった。事が事だけに、ネリウス長官が直々に密告にあった農場に踏み込むと、そこは本当に国長の暗殺を企むグループのアジトだった。彼らは盗賊上がりのごろつきたちだったが、ロムルースの外出のスケジュールなどもきっちりと把握しており、近いうちに本当に襲撃する手はずになっていたことを白状した。

 そしてそのグループの首領の口から、この計画の黒幕がフレーノ卿だということが明かされたのだ。

 フレーノ卿はフェレントムの傍系の一族で、二〇位くらいの首長継承権もある四〇過ぎの男であるが、代々の忠臣として知られていた。人柄は清廉潔白で、領民にはおっかないけどいい領主様と慕われている。

 しかしその反面、融通が利かないところがあり、目上の者にも歯に衣を着せぬ物言いで、ロムルースに対してさえ長として未熟なことに正面から苦言を呈するなど、政敵もまた多かった―――


「この暗殺計画に関してはこのとおりなんですよね」

「ああ。あの長官はすごくしっかりした感じの人だったし……」

 警吏部の長官ネリウスは、鋭い眼光をした四十過ぎの男だった。プリムスの紹介もあって、この件に関しては彼自身がいろいろと教えてくれたのだが、フィン達に疑いを挟める要素は見いだせなかった。

「フレーノ卿って人の評判も本当に良かったみたいですねえ」

 それについても出会った人々にいろいろ聞いてみたが、彼の清廉潔白さ、直情さはとみに知られていた。むしろあの人が暗殺なんてセコいことはしない。本当に殺したければ正面から乗りこんで長を一刀両断し、そのあと自分も首を掻っ切って果てるに違いないという意見さえあったくらいだ。

 そんな彼が暗殺計画の首謀者と目されたのは、暗殺団首領の証言からだった。


 ―――首領はある男から大仕事をしないかと持ちかけられていた。もちろんそんなうまい話があるなら乗ってやると答えたのだが、相手は具体的な話をなかなかしようとしなかった。

 ところがある朝急に呼び出されて、この間の件で偉いお方と密会して欲しいと、バサール地方にある村の宿屋を指定された。

 そこにやってきたのが、顔を半分隠した立派な服装の男だった。彼は自分はフレーノだと名乗った。またフレーノ卿の頬には若い頃行った決闘で受けた特徴のある傷跡があるのだが、その男の頬にもそんな傷跡があるのが見えたという。

 そしてその彼が依頼した大仕事というのが国長の暗殺だったのである―――


「いくらなんでもそんなときには偽名を使いやせんかい?」

 ガルガラスが突っこむ。

「傷跡なんて作ろうと思えば作れますからねえ……祭りの旅芸人とか、盗賊のボスとかでよくそんな傷跡を顔に貼ってたりするじゃないですかい」

 ヴィアスも首をかしげている。

 まさに彼らの言う通りである。旅芸人にはそんな特殊メイクの上手な一座も多く、傷跡どころか見た目完全な怪物に化けていたりもするのだ。

 だからそれを聞いただけでフィンも思わずずっこけそうになったのだが、話はそれで終わりではなかった。


 ―――また前述のとおり謀議はある田舎の村の宿屋で行われたのだが、そこに彼は見たこともないような立派な馬車で乗りつけたという。馬車の家紋は布を張って隠してあったが、一部が剥がれていてそこにフレーノ家の家紋がはっきり見えた。

 しかもその馬車は盗賊団だけでなく村の住人も目撃していた。さらにその目撃者の中には村の馬車工房の職人も含まれていた。彼はハビタルの大きな工房で修行した経験があり、何度も高級な馬車を修理したことがあったのだが、その彼がそれは間違いなくフォレスのベルッキ工房製“ブルーサンダー”に違いないと証言した。

 そしてフレーノ卿はその型の馬車を所持しており、それを目撃者に見せた所、全員が間違いなくこの馬車だったと答えた―――


「いやあ、ブルーサンダーとか、すごいの持ってますよねえ、フレーノ卿って」

「おお。一台で家一軒買える値段だよな、あれって……」

 メイとロッシはほとんど恍惚とした表情だ。

「ほら、フォレスって作物とかはあまり取れないから、職人仕事を奨励してるじゃないですか。馬車工房もその中にあるんですが、なんといってもベルッキとラットーネが双璧と言うべきで。まあ頑丈さとか実用性から言ったらラットーネなんですが、繊細な乗心地から言えばこれはもうベルッキ最高なんですよ。ベル君もすごく素敵なんですが、やっぱりあの王女様のフェザースプリングはもう……」

 この頃にはフィンも理解していたが、メイというのは実は重度の馬車オタだった。

 ロッシは男だし御者でもあるからまあ分かるのだが、どうして厨房の料理人がそんなことになってしまったのだろう?

《まあ、何が好きだろうと別に構わないけど……》

 ともかくこのまま喋らせておいたらいくらたっても止まらないので、とっとと話を進めることにする。


 ―――しかし、そのような密会にそんなに目立つ乗り物で来たことには誰もが疑問を抱くわけで、実際に暗殺団の首領も『そんな不用心なことでいいのか?』と、尋ねたという。

 するとやってきた“フレーノ卿”は『どんなに愚かで無能な奴だろうと、こうしておけば誰かが私に罪をなすりつけようとしていると考えるだろうから、むしろ安全なのだ』と答えたという。

 またどうしてこんな大それた事を実行しようとしたかについては『このままボンクラな国長に居座られたら国が立ちゆかない。あいつには言って分かるような頭はないから、もう消えてもらう他はない』などという。

 それはともかく、首領は依頼を引き受けることにした。この仕事で少なくとも金貨五百枚の報酬があり、また成功してほとぼりが冷めたらフレーノ卿がさらにいろいろ便宜を図ってやると約束してくれたからだ。

 こうして首領は手下達と襲撃の準備を始めたのだが、どこかからか情報が漏れてこうして一網打尽にされてしまったのだった。

 そしてこの首領やその配下達、および村で馬車を見たという複数の村人の証言は真実審判を受けていて、嘘を言っていないことは証明されている―――


「それにしてもやっぱり変ですよねえ。私だったら悪いことをするときには絶対コソコソやるんですけど。男の人ってこういうものなんですか?」

「いや、別に男でも同じだと思うけど……」

 まずもって不思議なのはこの点だ。

 確かに裏の裏をかくといった意味ではあり得ないわけではない気もするが、そのためにいきなり名前とか紋章をさらしたりするのは、やっぱりリスクが大きすぎるのではなかろうか?

 そこにヴィアスが口を挟む。

「って嬢ちゃん、絶対コソコソって、どんな悪いことをしたんだ?」

 メイの顔がちょっと赤くなる。

「だってほら、料理長とかジュリちゃんが作ったの、どんな味がするか知りたいじゃないですか。つまみ食いっていうんじゃなくって、研究なんですよ。研究!」

 あはは、何と答えていいやら―――まあそれはともかく……


 ―――こうしてフレーノ卿が召喚されたのだが、もちろん彼は身に覚えのないことだと否認した。

 しかし首領との密会があった日、彼にはアリバイがなかったのだ。

 フレーノ卿はよく一人で領内を見回ったり、狩りや釣をして楽しむ習慣があった。その間、場合によっては数日も消息不明になることがあるので、家臣にもせめて供を連れていけと言われていたらしい。

 その日もいきなり朝になってまた遠乗りに行くと言って出て行って、翌日の昼まで帰って来なかった。夜は奥地でキャンプをしていたそうで、確かに彼の言った場所にキャンプ跡はあったが、それがその日の物だったかは分からない。

 また密会に使われたという馬車は、当日は専用の車庫に入れられて施錠されていたという。しかし逆にそのため、本当に車庫内にあったかどうかについても、誰も確かなことが言えなかった。

 フレーノ卿の屋敷から馬車で出ていく経路は二つ、正面玄関か裏門であるが、正面には常に門番がいる。しかし裏門は通常は鍵がかかっているため門番はいなかった。また車庫と母屋はかなり離れていて、逆に裏門からは近く、気づかれずに出入りすることも可能らしい。

 そして車庫と裏門の鍵を両方自由に使えるのは、フレーノ卿だけだった。すなわち、その馬車でこっそりと出ていって戻って来られるのは彼だけだったのだ。

 もちろん屋敷の使用人や出入りの商人などは全て真実審判を受けていて、彼らがこの件に関してはなにも知らなかったということは証明されている―――


 要するにフレーノ卿ならそうすることができたってことなんだが……

「ねえ、ル・ウーダ様、この真実審判ってもう絶対正確なんですか?」

「絶対正確って言うか、嘘ついてないことはまあ確実と思っていいかな。でも嘘を信じこまされてないっていう保証にはならないけど」

「ああ、そういうものなんですね……でもフォレスじゃあまりやりませんよね?

「ああ、フォレスは真実審判師は雇ってないしね。ずっと雇ってたら高いから、必要になったらベラから呼び寄せればいいってお考えみたいだな。アイザック様は……」

 それに真実審判には別な問題もある。


 ―――事件の経緯はこのようなものだったのだが、もちろん事は重大であるから国長直々の裁定となった。だが正直ロムルースは自分に対する暗殺計画ということもあって完全に頭に血が上っていた。

 フレーノ卿はあくまで容疑を否認する。また『私はあの馬車をことのほか大切に扱っているから、そんなところには絶対に乗っていかない』と答える。

 だが彼が馬車を使ったことについては暗殺団の首領が聞いたという説明があった。そこでロムルースはそういうこともあるだろうと詰めよったが、フレーノ卿は頑として否定する。そこでロムルースは、ならば真実審判を受けてみろと迫ったのだが、フレーノ卿は自身の名誉にかけてそれを拒否したのである。

 どこぞの盗賊が聞いたとかいう言葉と、代々忠義を尽くしてきた彼の言葉を天秤にかけて真実審判を受けろなどはまさに恥辱の極み、こんな情けないことはないと。そして臣下を信じることのできぬ首長のいる国などまさに立ちゆかない。その偽物の言ったことは決して間違っていない、とロムルースに面と向かって答えたのだ。

 それを聞いて逆上したロムルースが下した判決が『この男を機甲馬に踏ませよ』というものであった―――


「ロムルース様ももうちょっと冷静になられないとダメですよねえ」

「まったくだな……」

 ただ彼の場合だとこのぐらいが普通に思えてくるのだが―――それで死刑にされる方はたまらない。

 確かに証拠は一応はフレーノ卿を示しているわけだが、でもこれだけでは決定を下すにはほど遠いというのが誰しもの感覚だろう。彼らにいろいろと教えてくれたネリウス長官も、正直ひどく辛そうな表情だった。

「でもそのフレーノって人も、そこまで頑固に真実審判を拒否しなくてもよかったんじゃないですか?」

「まあ、それはそうなんだけど、忠実な人であればあるほど、主君にそんなことを言われるのは辛いものなんだ」

「そういうものなんですか?」

「だって真実審判をしろって言うことは、結局相手の言うことを全然信用してないってことだろ?」

 そう問われてメイはあっという顔をした。

「君だったらどう思う? 例えば王女様の大切なものが盗まれたとかいう事件があったとして、王女様が有無を言わさずに君たち全員を真実審判にかけるなんて言いだしたら?」

「うわー……そんなことされたら、リモンさんとかなら絶対悔し泣きしますよ。王女様のことみんな大好きなんだし……私だってすごくがっかりしちゃうだろうし……」

 真実審判というのは濫用すると、人と人との間の信頼関係を損ねてしまう物なのだ。

 だからこそアイザック王は通常は真実審判師を身近に置かず、どうしても必要な案件が発生したときだけわざわざベラから呼び寄せるということにしているのだろう。

 それはともかく……

「でも……何とかしてあげたいですよねえ……」

 メイがため息をつく。

「そうなんだけどね……」

 できることがあれば何とかしてやりたい―――その気持ちはフィンも全く同じだった。

 彼らは完全な偶然とはいえ、フレーノ卿の運命に大きく関わってしまっていたからだ。

 しかもだ。確かにフレーノ卿の言動には少なからぬ問題があったと言えるが、彼の方にも立腹するだけの十分な理由があったのだ。

 というのは、裁判が始まって重要な証拠の検討などが行われていたとき、いきなりロムルースが不在になってしまって審議が中断し、フレーノ卿はそのまま拘禁状態で何日も放置されてしまったのである。

 もちろんそれが重要な用件のためだったのならともかく、実はそのときロムルースはガルサ・ブランカに来ていて、王宮の庭でアウラに叩きのめされそうになっていたのだから―――その経緯を聞いたフレーノ卿は激怒したという。

《あはははは!》

 もうなんだか乾いた笑いしか出てこない。

 もちろんエルミーラ王女に何の責があるわけでない。単にロムルースが勝手に来ただけで……

《こんなんで後から違ってたなんてことになったら、取り返しがつかないぞ?》

 というより実際フィン達が来なかったら処刑は行われていたのだ。フレーノ卿がまだ生きているのはまさにあり得ないような幸運の産物なのだが……

《せっかく命が助かったのになあ……》

 このまま放っておけば、ある男の死が単に一週間日延べされただけということになる。

《でも、どうしたらいいんだ?》

 そう。彼らにできることがあれば何でもしてやりたい。

 だがそれも“できることがあれば”なのだ。

 一介の使節が国長の下した裁定をどうやって覆したらいいのだ? 並大抵のことでは不可能だ。

《これがエルミーラ王女だったらなあ……》

 彼女ならロムルースの意向を変えることもできそうな気がするが……

 そう思ってフィンは首をふる。

《いや、ダメだって……》

 そんな方法でベラの内政に首を突っ込むのが良いわけないし、そもそもあと二日では連絡のつけようもない。それにそのフレーノ卿なら恩赦などと言われても、許される謂われなどない! とか言ってむしろ余計に怒り出しそうだし……

「あと二日なんですよねえ……」

 メイがぼそっとつぶやいた。

「旦那、どうしますかい?」

「どうするってなあ……」

「いくらなんでもその領主さん、かわいそうですよねえ。こんなんで死刑になっちゃ……」

 ガルガラス達も暗い表情だ。

 もちろんこのことに関して彼らには何の責任もないし、そのことで責めを負うことも一切ない。

 でもこれを放置して帰ってしまったら……

《ううううう……》

 多分このあとどう転がろうと、一生後悔することになるのだろう。

 もしあのとき何かしていればどうなっていたのだろうか? と……

 フィンはかつてこれに似たような“別にしなくともよい選択”を行ったことがある。その結果は正直ろくでもなかったが―――でも今の自分という存在につながることになったのも事実だ。

《だとしたら……?》

 何かしたい。してやりたい。だが……

「でも僕たちに何ができるんだ?」

 その問いに答えられる者はいなかった。

 この異邦の地で残り四十八時間……

「ともかく、僕たちがやらなきゃならないことってのは……真犯人を見つけるか、フレーノ卿のアリバイを見つけるか……」

 フィンはそう口には出してみたのだが、自分で言っていて雲をつかむような話だ。

「そんなこと、あっしらにできるんですかい?」

「いや、できたらいいかなってことを並べてみただけなんで……」

「それにそういうのってネリウス長官がすごく調べてますよね?」

 メイも残念そうにつけ加える。

「う、まあそうなんだけど……あの人達が見すごしてることって、あったりしないかなあ……」

 ある程度のことは彼らが既に調査済みなのだ。確かにそこに手落ちがあった可能性はあるが、それを再度調べ直している暇はない。

 そのときメイが口を開いた。

「あの、ちょっと思ったんですけど……」

「なんだい?」

「これってもしフレーノ卿が無実だったんなら、密談に来た黒幕は偽物だったってことですよね?」

「そういうことになるな」

「じゃあ、ああいう傷を作れる人を探すとかできませんか?」

「ああ、そん中に手伝った奴が見つかるかもってか? そりゃあ無理じゃねえか?」

 ガルガラスが首をかしげる。フィンも同感だった。

「だよな……そんな劇団なんていくらでもありそうだし、旅芸人だったらもうベラにはいないかもしれないし……」

「だからちょっと思っただけで……」

 メイは小さくなったが、それはフィンがあまり考えていなかったことだった。

 要するに真犯人とかアリバイとかだけでなく、容疑を崩せる証拠は他にもあり得るわけで……

 だとすれば?

「ああ、それじゃ馬車はどうだ?」

「馬車、ですか?」

 メイが目を丸くする。

「だから誰かが仕組んだとしたのなら、その馬車も偽物だったってことになるよな? そういうのを作るのって結構大変だよな?」

 だがそれを聞いてメイもロッシも肩を落とす。

「えー? それって絶対無理ですよ?」

「どうして?」

「だって調書を見たでしょ? フレーノ卿の馬車ってベルッキのブルーサンダーなんですよ?」

「すごく……上等な馬車なんだろ?」

「そりゃそうですけど、どんなのか分かりますか?」

「いや……知らないんだけど……」

 メイはえーっというような表情をするが―――知らない物は知らないんだって!

「それじゃ、ほら、王女様がご休息に行かれるときの馬車、あれなら分かりますか?」

「え?」

 その馬車なら確かに見覚えがあった。何かひどく込み入った構造の台車の上に、見事なカーブを描いた客室が乗っていた。表面には宝石が埋め込まれていて、側面には真珠やルビーで作られたフォレス王家の紋章が輝いていたが……

「あんな奴なの?」

「もちろんですよ。王女様の馬車はフェザースプリングという完全な一品物で、世界にただ一台の、もう走る芸術品なんですから! ブルーサンダーだって確かにあれよりはワンランク落ちるとは思いますが、でも余裕で家一軒買えますよ? 私なんかだったら十年くらい飲まず食わずですよ?」

「そうなんだ……」

 そういうことにあまり興味の無かったフィンにも、あの王女の馬車の偽物を作るのがどんなに大変そうかは想像がついた。

「だいたいベルッキの車体なんかを真似して作ったって、ちょっと走ったら壊れちゃいます。そんな偽物を作るくらいなら、どっかから本物を盗んできた方がずっと早いですよ?」

 盗んで⁉

 それを聞いたフィンははたと手を打った。

「あ、もしかしてそれなんじゃないか? 馬車は盗まれたんだよ!」

 メイは一瞬ぽかんとして尋ねた。

「え? でも鍵のかかる車庫に入ってて……」

「そう。その上鍵のかかった裏門から出てかなきゃならないから、フレーノ卿にしかできないことだって言われてるわけだけど」

 メイが目を輝かせた。

「それで盗む方法があるんですか?」

「いや、あるかどうかは……でも例えば、力の強い魔導師が一味にいれば、馬車を持ち上げるくらいできるから、壁越えで出すことはできるよな?」

 それを聞いたメイが大げさにうなずいた。

「おお、なるほどーっ! じゃあ車庫の中からも? もしかして瞬間移動とかで?」

 フィンは苦笑いしながら首をふる。

「ちょっとそりゃ無理じゃないかなあ……そんなことができる人は世界中探してもほんの一握りだし、馬車みたいな大きな物を飛ばすなんて……」

「うーん……やっぱりダメなんでしょうか……」

 肩を落とすメイにフィンは首をふる。

「いや、だからまだ分からないんだよ。それにそんな念動魔法が使える魔導師が味方なら、車庫の鍵さえ何とかなればいいわけだし」

「ああ、そうですよね。でも……館の人はみんな調べたんですよね……あ、誰もいない隙にこっそり鍵の型を取るくらいできますか?」

 何やら少し見えてきたような気がする。

「ああ。この方面はあまり突っこんで調べられてないと思うから、まだ何かが見つかるかも……」

「ってことは……フレーノ卿のお屋敷に行ってみるってことですよね?」

「え? ああ、そういうことになるな」

「あはっ! それってすごくいい考えですね!」

 メイが嬉しそうに笑った。

 確かにここにいて考えているだけではこれ以上何もできないだろう。しかしフレーノ卿の館に行けば、いま言ったようなことであれば何かの手がかりが掴めるかもしれないが……

「でもあそこって結構遠いよなあ?」

 フレーノ卿の領地であるファーラ地方は急いでも半日近くはかかる距離だ。何もなかったらそれだけで一日を浪費してしまうことになるのだが……

「大丈夫ですよ。きっと何か見つかります。ふふっ」

 何を根拠にそんなに目をきらきらさせているんだろう?

「でも……いきなり行って入れてくれるかな?」

 彼らのような怪しい一行が来たら間違いなく警戒されると思うが……

「あ、それならファリーナさんに頼んでみたらどうですか?」

「ファリーナさん?」

「ほら、ショックで寝込んでしまったという、厨房の方ですよ。元はフレーノ卿のお屋敷に勤めてたそうなので」

「あ、あの子か……」

 でも病気なんじゃ? とフィンは言おうとしたが、考えてみれば彼女の病気はまさに気の病だ。卿の容疑が晴らせるかもしれないと言えば元気になるに違いない!

「じゃあ頼める? メイ」

「もちろんです! それじゃちょっと行ってきますんで!」

 したたたっとメイは部屋を駆け出していった。

「ああ。じゃあガラス達も。準備してくれよ」

「わかりやした」

 彼らの顔にも安堵の表情が見える。

《まだこれで何が分かったってわけじゃないんだが……》

 というより何かが分かるという可能性そのものがほとんど皆無なのだが、何もせずに後悔するよりはましだった。