第10章 河畔の宴
エストラテの河畔を吹く風にはそろそろ秋の気配が感じられた。
《あれで良かったのかなあ……》
涼しい木陰でフィンは考えるともなく考えていた。
確かに彼らにできることを最大限に行った。少なくとも“二人”の命が救われたということは、これ以上ない成果だったといえるだろう。
《でもなあ……》
もはやそんなことさえ些細な問題と言えるほど、彼らは“敵”の術策に嵌まりきっていたのだとすると……
―――一昨日の早朝、フィン達はラビス卿の治めるバサール地方に向かって出立した。
領内はいたって平穏であった。途中の宿駅で聞くとラビス卿はいつもどおり館にいるはずだという。高飛びしていないということは、彼が直接の首謀者ではない可能性が大きいということだ。
午前中に彼らはラビス卿の屋敷に到着した。そこでネリウス長官を筆頭に、パウロム、ファルクス、フィンなどがラビス卿に面会を求めると、門番は少々驚いたようすだったが、普通に卿に取り次いでくれた。
《これってもしかしてラビス卿は無関係ってパターンなのか?》
それだったらもう手の打ちようがなくなってしまうのだが―――しかし、現れたラビス卿はネリウスが話を始める前からまさに挙動不審だった。
彼はちょっと小太りで頭も薄くなっているが、見るからにごく普通のその辺にいるおっさん風の男だったが……
「な、な、何でしょうか? 長官直々にこのような、と、ところまで……」
声が完全に裏返っている。
そこでネリウス長官が、フレーノ卿の馬車の扉が盗まれて他の馬車に取り付けられ、それが密会に利用された可能性があるので同型の馬車を調べていると言うと、ラビス卿は端から見てもよく分かるくらいに青ざめた。
「これについて何かご存じのことはありませんかな?」
「知らん。わしは何も知らん!」
「それでは馬車を少し拝見させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「み、見てどうする?」
「いえ、泥の汚れなどの様子を調べれば、扉が交換されたどうか分かるかもしれませんので」
「こ、断る!」
「どうしでしょう?」
「い、いったい何の理由があってわしを疑う?」
「いえ、ですからあくまで参考までにと」
「し、知らんと言ったら知らん‼」
一行は顔を見合わせた。ラビス卿のこの慌てようはまさに怪しさの極みなのだが、どうやらあくまでしらをきるつもりのようだ。
《はー……やっぱりそう来たか……》
準備を整えてきて本当に良かった……
そこでネリウス長官が警吏の一人に目配せをする。その警吏は軽くうなずくとすっと外に出ていった。
それからさらにネリウスは尋ねる。
「ラビス卿、フレーノ卿の処刑がもうすぐなので急いでいるのです。何かご存じのことがあれば教えて頂けないでしょうか?」
「だから……」
と、そのときだ。部屋の扉が開くとメイと一緒に、派手な柄の開襟シャツに大きな鍔付き帽子をかぶった老人が入ってきた。
「やあ、急にお邪魔してすまないな」
「あ、あなたは……」
「いや、彼女と一緒にドライブをしていたら喉が渇いてしまってな、お茶を所望しようかと思って立ち寄ったのだが……何か取りこみ中であったかな?」
と、セリフに起こせば和やかだが、グリムールの深淵のような目は全く笑っていない。
《こ、これは怖い……》
ラビス卿の眼がほとんど裏返る。
「だからわしのせいではないのだ! あいつが勝手にやってきて……」
もうほとんど金切り声だ。
「あいつとは誰なんです?」
「ひいぃぃぃ!」
ネリウスが問うが卿はほとんど錯乱している。
「ラビス殿、ここは知っていることをお話し願えませんか?」
ネリウスは辛抱強く問いかけるが……
「い、いやだ! そんなことをすれば今度はわしが機甲馬で踏まれてしまう! あのお館様なんだぞ⁉ だからわしは知らん! 何も知らんのだーっ‼」
一同はみんなあーっといった表情で顔を見合わせた。
今のでラビス卿は関係を自白したようなものなのだが―――この様子ではまともに喋ってくれそうもない。
こんな場合真実審判師が本気になれば、それこそ頭の中をほじくり返すこともできるのだが―――だがこれはされる方だけでなく、する方だって気持ちのいいものではないのだ。
《でも最悪そうしなければならないのか?》
グリムールにしてもできればそれだけは避けたいはずだが―――そう思うとフィンは少し腹が立ってきた。
《ってか、これって要するにあいつの普段の行いが悪いせいだろうが‼》
確かに迂闊に自首したりしたら、今度はどうして黙っていたとか言われて処刑されかねない。あいつだったらそういうことをやりかねないわけで……
《もっと公正な長だって思われてれば、この人だってとっとと話してたはずなのに……》
って、あいつが公正な長だったら?
………………
…………
……
途端にフィンの頭の中でもやもやしていた霧が晴れていった。
「ああっ、そうか! なんだ、そういうことか?」
一同の目がフィンに集まるが、彼はそれにはお構いなしにラビス卿に詰めよった。
「ラビスさん、あなた、生きていたいですか?」
ラビス卿はたじたじとなる。
「な、何だ? お、脅そうというのか?」
フィンは彼の目を真っ向から見据えた。
「喋らなければあなたの命に関わる、ということに関してはその通りですが」
「ル・ウーダ殿?」
ネリウスが不思議そうに彼を見たが、フィンは任せろと軽く会釈する。
それから彼は一同の顔を見わたした。
「いや、おかしかったんですよ。この事件は。フレーノ卿が国長を暗殺しようとしたこともそうですが、事件の黒幕がフレーノ卿に罪を着せようとしたにしても、あまりにもやり方が変でしょう? 裏の裏とはいってもこういう場合、やはり隠密裡に事を運ぶのが自然ですよね? 今回はたまたま私たちが最初に気づきましたが、もう少し余裕を与えてもらえれば、ネリウス様でも間違いなくここに辿りつけたはずです。あまりにも杜撰じゃないですか?」
一同はうなずいた。誰もが感じていた疑問だったからだ。
「だとしたら黒幕の目的はいったい何だったんでしょうか? 間違いなく国長様を暗殺するというのはフェイクで、でもフレーノ卿に恨みがあって罪を着せようとしたと考えても不自然です。だとすれば……」
「どういうことです」
ネリウスの問いにフィンはにこっと笑った。
「真のターゲットは別人だったということになります」
「別人? 一体誰が?」
「まさかわしかーっ!」
ラビス卿がへなへなと崩れるが、フィンは首をふった。
「いえ、違います。あなたではありません」
「では誰だーっ!」
「それは……ロムルース様だったんじゃないでしょうか?」
「え?」
一同はフィンを凝視した。
「国長暗殺の嫌疑ともなればその審議はロムルース様が直々に行うことになりますが、そうすると容疑者の供述などもそのまま読まれます。あの暗殺団の首領の供述は、明らかにロムルース様を挑発したものだったんじゃないでしょうか?」
それを聞いた人々の目が泳ぐ。
「またフレーノ卿はあのような性格ですから、そんな根も葉もない嫌疑をかけられたら激高して審議がこじれる可能性は十分にあります」
フィンはそこでもういちど全員の顔を見る。
「要するに黒幕は、ロムルース様に誰が見ても理不尽な判決を下させようとしたのではないでしょうか?」
「……なんですと?」
「謂われのない罪にまともな審議もなく極刑を下すような、そんな不公正極まりない長に、誰がついていきたいと思うでしょうか。フレーノ卿がこのまま処刑されたりしたら、叛乱だって起こるかもしれません。それって単に暗殺されるよりもずっと、ロムルース様にとっては遙かに良くない結果なのではありませんか?」
一同は無言で続きを促す。
「そんなわけでラビス卿。もし真の黒幕の意図がそうだったとしたら、あなたはどうなると思いますか?」
「え?」
「もちろんあなたを生かしておくつもりはないでしょう。フレーノ卿が処刑されて完全に手遅れになったところを見計らって、なぜかあなたが自殺しているのが発見されるんですよ。フレーノ卿は実は無実だという悔悟の遺書を残してね」
「…………」
「だから、あなたがこれからも生きていたければ、今すぐ知っていることを話して、刑場まで同行して頂かないといけないんですよ」
「だが、そんなことをすれば……」
ラビス卿は此の期に及んで躊躇するが―――フィンは首を振って後ろにいる人たちを示した。
「大丈夫です。ここにいる人たちがそんなことはさせません。あなたが首謀者ではないのでしょう? それでしたらそれこそグリムール様が証明してくれるでしょう。それに……」
思わず頬が緩んでくるが……
「私がフォレスのエルミーラ王女の名代として来ていることをお忘れなきよう。私もあまり告げ口というのは好きではないのですが……」
ラビス卿の目が丸くなる。もちろん彼もフレーノ卿の処刑がなぜ一週間延期されたかの理由は知っていただろう。
「わかりました」
「では時間が惜しいので続きは帰りの馬車の中でお聞かせ願えますか?」
「承知しました……」
そしてラビス卿は、確かに怪しい男に馬車を貸したと白状した。
その男はフレーノ卿の馬車の扉を手に入れたので、それで偽馬車を作って変態趣味の廓にでも出入りさせれば奴の評判はがた落ちだぞ? と、けしかけた。理由を聞いたらその男もフレーノ卿の融通の効かなさには少々頭にきているという。もちろん高額の報酬も出すというのでその男にしばらく馬車を貸したのだが、こんなことになるとは思っていなかった、などと何もかも喋ってくれたのだった―――
《マジぎりぎりだったよなあ……》
処刑場に着いたときには、もう関係者はみんな揃っていた。結局ロムルースは居残り組の説得を聞いてはおらず、もう少しで処刑が始められようとしているところだったのだ。
そして案の定というか、やってきたラビス卿の供述を聞いてロムルースは逆ギレした。
―――ロムルースは縛られているフレーノ卿を指さして叫んだ。
「だったらどうだというのだ! それを仕組んだのがこの男かもしれないではないか!」
フィンは少し気が遠くなってきた。いくらなんでもここまで頑なとは……
確かにこういう判断を下してしまった以上、それに固執したくなる気持ちも分からないではない。だがこうなるともう根拠のない言いがかりだ。
《これは本気で介入しないといけないのか?》
こうなってしまった相手にエルミーラ王女の名前も効果があるのだろうか?
と、そのときだ。
「おやめ下さい! これ以上の醜態をさらすのは‼」
そう言って前に出てきたのは大臣のプリムスだった。
「なんだと?」
ロムルースは大臣を睨みつけるが、彼は飄々としたものだ。
「ならばお館様がその証拠をお示し下さい」
「なんだと? そう言ったのはお前ではないか!」
それを聞いて大臣は首をふる。
「いえ、確かに私は様々な可能性は示しましたが、あくまでもお館様に正しいご判断をして頂くためでございます。少なくとも今、ラビス卿のところに来た男とフレーノ卿を結びつける証拠は一切ございません。すなわちこれに卿は無関係なのです。これ以上のごり押しをなされば、長は私怨で家臣を処刑したと言われることでしょう」
「んな……」
だがまさにその通りだった。プリムス大臣はさらに続ける。
「長の命が絶対なのは良く心得ております。しかし愚かな裁判で無実の者を殺したとあれば、もう誰もあなた命に従うことはなくなりましょう。私はこのフレーノ卿はそうなったときにも最後まであなたに付き従ってくれる者だと存じております。なぜ彼があれほど頑なに真実審判を拒否したか、その理由が本当にお分かりにならないのですか?」
そうきっぱりと言い切った大臣に対して、ロムルースは絶句して言葉が出ない。
「どうか私からも伏してお願い致します。フレーノ卿には何の咎もなかったと。ここでロムルース様のお心の広さを皆にお示し下さい」
そう言って彼が平伏すると、さらにベラの高官達が次々に出てきて同様に平伏した。
そうなってはさしものロムルースも処刑の中止を命ずる他はなかったのだった―――
《ってことで最悪の事態は回避できたにしても……》
彼らは少なくともフレーノ卿と、多分ラビス卿の命も救うことができた。
だがもし本当の黒幕の目的がロムルースの評判を地に落とすことだったとしたら―――それは完全に成功してしまったとしか言いようがない。
たまたまフィン達が来なければ処刑は行われていたわけで、それが奇跡的に回避されたとしても、ロムルースが愚かな処断を下したという事実は変わらない。その上あそこで大臣たちがあのように取りなしてくれたのだが……
《うーん……恥の上塗りって感じだったよな……》
あの場を見ていた者たちの長への印象は悪くなりこそすれ、改善されることはなさそうだし……
ともかくフレーノ卿の命が助かったこと、それだけでも良かったのは間違いないのだが……
《うーむ……でもなあ……》
何かえも言われぬ後味の悪さを感じるのだが―――そんな風に彼が悶々としていると……
「旦那! 支度ができたようですぜ!」
呼びに来たのはガルガラスだ。彼も今日はフィン同様にベラ風の涼しそうなシャツを着ている。
「ああ。分かった」
フィンは立ちあがると川岸に向かった。
そこには大きなテントがしつらえられていて、下に置かれたテーブルにはおいしそうな料理や飲み物が所狭しと並べられている。
これはフレーノ卿が、本当によき知らせをもたらしてくれたお礼にと開いてくれた宴だ。もちろんロムルースの開いたあの饗宴に比べればまさにささやかと言っていいものだったが、隅々にまで心のこもったとても気持ちの良い食卓だ。
宴には彼らの他にグリムールやネリウス長官、ファルクス親方など、事件解決に尽力してくれた人がみんな呼ばれていた。
「それではみなさま、ささやかな宴席ですがどうか存分にご堪能下さい」
フレーノ卿が乾杯の音頭を取る。
《ささやかなって……むしろ最高級だよな?》
今日の料理を用意してくれたのは首長の館の料理人達だ。こんなのを見たらメイがまた誰かを質問攻めにしてるんじゃないか? と思ってあたりを見ると、隅の方で彼女が期待に満ちた眼差しで何かをのぞき込んでいる姿が見えた。
彼女も今日は“ほのぼのと”した涼しそうな姿だ。
そこでフィンが何の気なしにそちらに向かうと、彼女が見ていたのはファリーナがボウルの中の白い液体をかき混ぜているところだった。
「何見てるんだ?」
メイがふり返ると満面の笑みを浮かべる。
「ル・ウーダ様。アイスクリームですよ!」
「え? これが?」
「そうなんです。これがアイスクリームの元で、混ぜながら冷やして固めていくとアイスクリームになるんです」
確かにあたりにはそんな甘い香りが漂っている。
そういえば結局オバケ屋敷に行くこともアイスクリームを食べることもできなかったが―――そこでフィンも一緒に見ていると……
「それではお願いできますか?」
ファリーナが側にいた男にやや心配そうな表情で尋ねる。
「大丈夫ですよ! お任せ下さい!」
そう答えたのはあの若い魔導師、フェリエだった。
彼はあの日はメイとグリムールの乗った馬車をずっと御していたため、この宴にも呼ばれていたのだ。
そこでファリーナがボウルの液体を強くかき混ぜ始めた。どうやらフェリエが魔法でそれを冷却するらしい。
《うー、やっぱ冷凍魔法っていいよなあ……》
寒いときに暖まるなら火をおこせばいいが、熱い物を特に室温以下に冷やすというのはそう簡単ではない。だから炎の魔法よりも冷凍魔法の方が日常生活にはいろいろ応用が利くのだ。
そんなことを思いながら見ていると……
「あらっ⁉」
ボウルの中の液体がいきなりかちかちに凍ってしまって、アイスクリームミックスを混ぜていた泡立て器が動かなくなってしまったのだ。
「え? あれ? おかしいな……」
フェリエが魔法に失敗したのか?―――と思った瞬間だ。いきなり凍ったボウルが宙に浮かび上がると、げしっとフェリエの脳天にめり込んだ。
「うがっ!」
フェリエが頭を押さえてうずくまる。
「未熟者が! お嬢さんの胸元ばっかり見ておれば、そうなるに決まっておる!」
現れたのはグリムールだった。
《そういえば混ぜてるときに彼女の胸が……》
ぷるんぷるんと楽しげに揺れていたが―――それで集中力を切らしてしまったのだ。いや、駆け出しの頃にはまさによくある失敗だが……
グリムールはメイの方に向きなおる。
「メイ殿。フォレスでこの男を雇ったと言うが、いったい幾らで雇ったのだ?」
「え? その、一日銀貨十枚ですが……」
「高い! この男にそんな価値はない。二枚で結構」
「えーっ!」
フェリエが抗弁しようとするが……
「なにか?」
グリムールにじろりと睨まれて沈黙した。
彼はさらに今度はファリーナの方を見る。
「ファリーナさんといったか? ミックスはまだ残っているのかな?」
「え? はい。何種類か用意していますが……」
「どれか出しておいで」
そこでファリーナがチョコレート色のアイスクリームミックスを出してきた。
「あの……グリムール様が冷やして下さるのですか?」
「いや、ちょっとそれを貸してみなさい」
グリムールはボウルを受け取ると両手に持ってじっと見つめる。すると―――いきなり茶色い液体が高速で渦を巻き始めたかというと、やがてとろっとした固まりになった。
「さあどうかな?」
小皿とスプーンが浮かびあがりファリーナの前に浮かぶと、アイスクリームの一部がちぎれて丸まってすとんと乗った。
ファリーナがそれを受け取って恐る恐る口にすると、目がまん丸になった。
「まあ……なんて滑らかな! すごい……」
グリムールがにこっと笑う。
「若い頃は川岸でずいぶん小遣いを稼がせてもらったよ。攪拌と冷却を一人でできれば、手間賃は二倍もらえるしな」
それを見てフィンは内心舌を巻いていた。魔法というのは一種類をコントロールするだけでも難しいのに、二種類を同時にこれだけ制御できるというのはまさに達人の技と言っていい。
「だがまずは一つだけでも確実にできるようにするのだ。愚か者め!」
フェリエの脳天にもういちど凍ったボウルが落ちた。
《あはははは! すごい鬼教官なんだ、やっぱり……》
グリムールの作ったアイスクリームは舌の上でとろけるような、まさに絶品だった。これを食べられただけでもあんな苦労をした甲斐がある、そう思える代物だ。
と、そんなところにやってきたのがフレーノ卿だ。
《うーむ、まさに見たとおりだな……》
彼のイメージを一言でいえば、熊だった。がっちりとした体格に、顔は髭で覆われている。その眼差しにはてこでも動かないような強靱な意志が秘められていた。
「ル・ウーダ様、楽しんで頂けているでしょうか? それにメイ殿も」
「もちろんですよ。大変すばらしい宴を心から感謝致します」
「みんなものすごく美味しいですよ。このアイスクリームいかがですか?」
「いえ、私は甘い物は少々苦手で……」
うむ。確かにこの顔でケーキとかを食べているのは想像がつかないが……
「しかしル・ウーダ様、メイ殿、あなた方にはもう何度お礼してもし足りないのですが、やはり明日お帰りに?」
「はい。こちらも主君の命を受けて来ている身なので」
彼はあのあと、フィン達が放免のために尽力してくれたことを聞いて、まさに涙ながらに感謝の意を表してくれたのだが、さらに彼の屋敷にも招待してねぎらいたいと言ってきたのだ。
《これがフリーの旅ならもちろん受けるんだけどな……》
だが今回の旅ではそうもいかない。そこで急遽開かれたのが今日の宴だったのだ。
「そうですか。本当に残念です……しかし……」
「どうなさいました?」
「その、エルミーラ王女様とはどのようなお方なのです? お館様をあのように夢中にさせるなど、何か良からぬ魔法でも使っているのではないかと」
フィンは吹きだしそうになった。
《いや、いきなり何なんだよ!》
確かに王女に対するロムルースののめり込みようというのは少々常軌を逸しているから、そんな疑惑が生まれるのも分からないではないが……
《いったいどう答えりゃいいんだ?》
違うと言うことは簡単だが、それで納得してもらえるかというのはまた別で……
「フレーノ殿!」
「これはグリムール様……」
「ル・ウーダ殿が困っておるではないか! 貴公は正直なのは良いのだが、もっと物の言い方を勉強する必要があるな。今からでも遅くはない。ちょっと大学に戻って修辞学を習ってくるのがよろしかろう」
「は、はーっ!」
強面のフレーノ卿がぐうの音も出ない。フィンはすこしほっとした。
だがそれからグリムールは小さくため息をついた。
「ただ……長様にしてもあんな理由で国を空けるとか、控えて頂きたいのだが……おかげで奴の言ったことをうっかり真に受けてしまったが……あのときはすまなんだ。ル・ウーダ殿」
え? 何の話だ?
「と、いいますと?」
フィンが不思議そうに聞き返すと……
「ほら、アイザック様が都と結ぶとかいった風聞じゃ。言いだしたのはわしの同僚じゃったが、さすがにそんな理由でもないとあり得ないと思ったのでな」
「あーっ! そうだったんですか」
確かにそのぐらいの緊急性のある用でもなければ普通はあんなことはしない。
「何やらそれでメイ殿も大変な迷惑を被ったとか?」
「あははは……いや、まあ……」
横にいたメイも苦笑いするばかりだ。あのときは町中を駆けまわってロムルースをもてなすための食材をかき集めたそうだが。
と、グリムールはフィンの顔をじっと見た。
「だが……アイザック様の目論見は、確かにおもしろいかもしれぬな。都のお方がみな貴公のような話の分かる方であればだが……」
アイザック王の目論見って―――もしかして?
「あの、それって、レイモン王国に対抗する、都とベラの同盟の話ですか?」
最初に魔導師会館で会ったときには知らなかったようすなのだが……
「ああ、昨日馬車の中でメイ殿より聞いてな。彼女は料理人と聞いたが、国政のことにもいろいろ詳しいのだな」
フィンが驚いて彼女の顔を見る。
「え? 君も聞いてたんだ」
メイは苦笑しながらうなずく。
「ええ。近いうちに王女様のお側仕えになることになってて、それでいろいろ勉強させられてるんですよ」
「ほう……」
「だから中原のこととかもいろいろ教わってて……王女様が重要だから知っておけって」
何やら友達のことを話しているような口ぶりに、グリムールが尋ねた。
「あなたはエルミーラ様とはずいぶん懇意のようすですな?」
「あは。いえ、わりと昔からお側に出入りはしてるんですよ。侍女のコルネというのがおりまして、その子とずっと友達だったんで、おやつとかをよく持って行ってたんです」
「なるほど……それではあなたから見てエルミーラ様とはどのようなお方でしょう?」
それを聞いてメイはちょっと考えこむ。
「うーん……何といいますか、わりといいお方ですよ?」
「わりと? ですか?」
グリムールがやや意外そうに尋ねる。それにメイは笑って答えた。
「だって、ちょっといけないところに出入りされてるのは本当だし、それでものすごく評判が悪くなっちゃったっていうのもそうだし……」
「そういう噂を聞きましたが、本当だったのですか?」
「本当ですよ。月に二回。息抜きにいらっしゃるんですけど……」
あっけらかんとメイは答えるが―――この話題ってどうなんだ? 周囲の男たちの目がなにやら興味津々になっているが……
確かにフォレスではもう公然の秘密というより周知の事実なので、ここで隠したって仕方がないのだが……
「それには私も途中まで良く乗せてもらうんですよ」
「乗せてもらう?」
グリムールの目が大きくなった。
「そうなんです。王女様の素敵なフェザースプリングで、お城に勤めている女子だったら誰でも街まで送ってもらえるんです。でも一度に二~三人しか乗れないから予約が必要で、多かったら抽選したりするんですけど」
「ほう?」
そういえばあの相乗りはこの子が発案したとか言ってたっけか?
とそのときフレーノ卿が目を輝かせながら口を挟んだ。
「フェザースプリングとは、もしかしてあの先代ベルッキの?」
「そうなんですよ! 世界に一台のフォレス王室仕様ランドーなんです。もう乗心地が最高で、まさに春風の中を舞う羽根のようで……
「おお、それは一度見てみたい……」
「でもあのブルーサンダーも素敵じゃないですか?」
「はは、いやいや、あれに比べれば……」
などと馬車談義が始まりそうになったときだ。
「その素敵な馬車に乗せてもらえるので、エルミーラ様は良い姫だと?」
グリムールがちょっと窺うような眼差しで尋ねた。だがメイはそんな意図を知ってか知らずかまたにっこり笑って答える。
「いえ、それもあるんですけどね、そこでみんなとお話しするんですよ。そうすると王女様が実際にどういう方か分かるから、そうなったらもう誰も王女様を悪く言わなくなるんです」
「ほう……たとえばどんなお話しをなさるのです?」
「ああ、そうですねえ……いろいろなんですけど、たとえば特に初めての子がいたりした場合、その子の仕事について尋ねるんです。そしてそれを聞いた後、今度は王女様がどんな仕事をしてるか聞きたいかって尋ねるんですよ……」
「ほう……」
「もちろん誰だって聞きたいに決まってるじゃないですか。だからはいって答えると王女様がにこ~~っと笑ってですね、王女様っていうのは素敵なお仕事なのよ? こんなきれいな服を着て、とても美味しいものを食べて、ずっとわがまま言ってればいいんだから、なんて言うんですよ。そんなこと言われたってもちろん『はい』とも『いいえ』とも答えられないじゃないですか?」
「それはそうですな」
「でしょ? そんな風に目を白黒させている子に向かって、さらにこんなことを言うんです。でも王女様には一つだけできないことがあるんだって。それは夜に床を共にする相手だけは、自分で自由に決めることができないんだって。それってまるで遊女みたいだけど、でもあの子たちは一晩我慢すればいいのに、王女の場合は一生我慢しなければいけないんだって」
グリムールの目が丸くなる。
「まるで遊女と……そんなことをおっしゃったのですか?」
「そうなんですよ。それだけじゃないんです。さらにこんなことを言うんです。だから私は王女様はやめて、女王様になることにしたんだけど、女王様のお仕事はもっと素敵なのよって。こんなきれいな服を着て、とても美味しいものを食べて、ときにはこんな馬車で息抜きにも行けて、普段はお城の上から行く道が違ってないかただ見てればいいんだからって」
「行く道を……見ていると?」
「そうなんですよ。そして最後にですね、でもうっかり行き先が間違ってたりしたら首を刎ねられちゃうんで、その覚悟だけはしとかなきゃいけないのよ? とかニコニコしながら言うんで……初めての子なんかはまず白目になりますね。本当に性格悪いんじゃないかなーっと。あのお方は」
「はっははは! そうなのですか。少々性格がお悪いのですか……」
「あーっと、それ私が言ったってのは秘密ですよ?」
グリムールはにっこりと微笑んだ。
「もちろん黙っておきますよ。しかしなかなかおもしろい王女様ですな?」
「ええ、そうなんですよ。だから秋に王女様がいらしたときは、みんなもお話ししてみればいいと思うんです。王女様もいろんな方々とお話しするのはすごく好きみたいだし」
「ほう。それは楽しみにしてよろしいですかな?」
「もちろん。みなさんを真っ先にご招待しますよ……って、私が招待するんじゃないですよね、あの、そうお願いしておきますんで、多分だいじょうぶだと思いますけど……」
こういった話はフィンも初耳だった。
《あの馬車、アウラも一緒に乗ってるはずなんだけどな……》
詳しく聞き出そうとしたことはなかったのだが、彼女からこんな話は全く出て来なかったが……
《まあ、そういうことには興味なさそうだからなあ……》
それにしてもこのメイという娘の適応力には少々驚かされた。なにしろ来たときにはあの調子で一人では魔導師会館の門もくぐれないほどにかちんこちんだったのが、今では多分ベラ“最恐”の魔導師とタメ口で話していたりする。
《要するに美味しいって分かれば、カエルどころかヘビでもトカゲでももりもり食べられるタイプなんだな?》
何だかそのうち恐いものなしになってしまいそうなのだが……
それはそうとこのグリムールやフレーノ卿と懇意になれたというのは、大変な成果だったかもしれない。フィンはアイザック王から都とベラの橋渡しをしてほしいと頼まれたのだが、都はともかくベラには全く足がかりがなかったところなのだ。
彼自身が戦々恐々としていたのも、彼がベラという場所をまったく知らなかったからに他ならない。
《こんな人たちがいるなら、まだまだ捨てたもんでもないかも……》
国長のロムルースに関してはまさに唖然とした―――あれではとっくの昔にベラという国が瓦解していてもおかしくないレベルだ。
だがベラはこうして存在している。
その理由はいまこうして目の前にいる人々が支えていたからなのだ。
この世界で唯一、白銀の都の魔導師達に立ち向かえるのは自分たちだけだという誇りが、それを可能にしているのかもしれない。
そう思ったとき、フィンの脳裏にあのアイザック王の言葉がよみがえった。
―――フォレスはこのような田舎の小国だ。あたりを見回してみてもそれほどの人材がいるわけでもない。とりあえずは奨学金制度なども作ってはみた。だがその芽が出て来るまでにはまだまだ時間がかかる。ともかく今はそういった人材が一人でも欲しいのだ。ル・ウーダ殿、これがまさに貴公にお願いしたいことなのだ。そしてあ奴を、エルミーラを支えてやってはくれまいか?―――
王女、いや、ゆくゆくはフォレスの女王となる女性を支えていってほしい―――まさに国は一人で動かせる物ではない。だからその一員になってほしいという王の望み。
王はそのために彼やアウラを買ってくれた。
そして今、目の前にいるまだ幼さの残る少女もまた、その一人となるべく期待されているのだとしたら……
《今後長いつきあいになりそうだな……》
確かにこの何日かで彼女はその片鱗を示したのだが……
「ああ、でもマルデアモール。ああいうところには初めて入りましたが、ちょっとドキドキしちゃいますねえ。王女様ってあんなところで息抜きなさってるんですねえ。あははっ」
いきなりの言葉にフィンは吹きだしそうになる。そういえば彼自身もテンパっていたせいであまり記憶に残っていなかったが、あそこにも彼女は同行していたはずだった……
それを聞いたフレーノ卿が不思議そうに尋ねる。
「なに? それはどういうことです?」
「あ、いえね、もう一台のブルーサンダーがマルデアモールにあったんですよ。なんでも“夢の馬車”とかで」
フレーノ卿は驚愕した。
「なんですと? 話に聞く夢の馬車はブルーサンダーだったのですかな?」
「そうみたいなんですよ。実物を見てる暇はなかったんですが」
「そ、それは一度行ってみなければ……」
とそう言ってしまってから、フレーノ卿は赤くなって咳払いをしまくった。
《うむ。いかなフレーノ卿と言えども、さすがに馬車だけに注目というわけには……》
などとフィンが思ったときである。
「でも、綺麗な人でしたねえ。マリキータさんっていってましたっけ……ル・ウーダ様」
うわああああ!
「あ、なんだ?」
「あんな方と朝まで一緒にお酒を飲んでたんですよねー? そりゃー飲みすごしちゃいますよねー? あはははっ」
………………
…………
……
おい、ちょっと待て!
この娘は―――さっきの話じゃ王女様がああいうところで何してるか知ってるような口ぶりだったよな? まさか朝までお酒を飲んだり話をしたりしてるだけなんて思ってないよな?
大体もう十七歳っていったら、お嫁に行ってたっておかしくない年齢だし―――じゃあ、プリプリとかトロトロとか、知っててからかわれてたってことかーっ⁉
「あ、ファリーナさんファリーナさん、これ、おかわりありませんか?」
「ええ? あまり冷たい物を食べ過ぎたらお腹こわしません?」
「それはだいじょうぶですっ! お腹には自信がありますのでっ!」
………………
どうやら彼女はあの王女に選ばれるべくして選ばれた人材―――だったようだ。