第5章 王様の剣
それから数日の後、私服姿のメイとリモン、それにエルミーラ王女が、朝靄漂う波止場の桟橋にたたずんでいた。
あたりをロパス以下数名の護衛が同様に私服姿で固めている。
「大丈夫なのでしょうか?」
ロパスが心配そうに尋ねるが、王女は笑って答えた。
「大丈夫に決まってるわよ。もしそうじゃなかったら、ちょっと世界が終わるだけだから。ふふっ」
ロパスは絶句する。
《はあ……もう……》
王女のこういう言い方にはもう慣れてきたのだが、でも今回はそれがそれほど誇張ではないのも確かだ。
いま彼女たちが待っているのは、セヴェルス王子の迎えの者だった。
事件の翌日早々、エクシーレから王女の元に極秘の使者がやってきた。その使者はデュナミスという王子の側近で、王の懐刀とも言われている人物だ。
その彼が申し入れてきた内容というのが、昨日の件についてお礼がしたいので、リモン、メイ、そして王女を三日後に船釣りに誘いたいというのである。ただし、このことが公になっては困るので、そのことは内密に頼むというのだが……
《普段だったらあり得ない話なんだけど……》
だが昨日の刺客は本気で王子の命を狙っていた。すなわちリモンは文字通り王子の命の恩人である。
《それでお礼がしたいって言うのは分かるんだけど……》
そこに王女までが同伴してほしい、しかも極秘裏にというのはどういうことなのだ?
こういった場合もちろん、何らかの罠である可能性を真っ先に疑わねばならない。
《実際、そんなこと言われてさらわれたんだし……》
あの戦乱の引き金となった王女拉致事件は、誘拐犯の言ったロムルースが秘密裏にフォレスを攻めようとしている云々という口上を迂闊にも信じてしまったことが原因だ。
もちろん今回もそのような可能性は検討されたのだが……
『ま、これは信じて大丈夫でしょ?』
と、王女は早々に行くことを決めてしまったのだ。
リモンとメイが呼ばれるのは分かるが、どうして王女まで? という疑問については……
『変な憶測をペラペラ喋られたら困るからじゃないの? あちらにはあちらの事情があることだし。だから釘を刺しておこうっていうんじゃない?』
確かにそれはありそうだった。
あの襲撃のとき、アフタルは衛兵の格好をして襲ってきた。それが成功したならセヴェルスがベラ人に殺されたという話が広まることになる。そうするとエクシーレとベラの関係は前以上に悪化するだろう。
だがベラにもエクシーレにも和平反対派がいる。特にエクシーレではそういった勢力が強いと聞く。とすればそんな連中が仕掛けた策略だった可能性は高いわけで……
《多分そのあたりを説明してくれるのよね、きっと……》
それにメイが見る限り、セヴェルス王子は信頼できそうに思えた。
《ちょっと変な人だけど……》
ただ、彼女の場合そう思った挙げ句に裏切られた過去があるわけで……
《ストーーーーップ!》
あの思い出は永遠の黒歴史に封印なのだっ!
ともかく一つ確実なことは、もしこれで王女に危害が及ぶようなことがあれば、ベラとエクシーレの関係は、少なくともロムルースが生きている間は絶対に修復不可になるということだ。それどころかほぼ間違いなく全力でエクシーレに攻め込んでいって、この地はすべて焦土と化すことであろう。
《あははー、さすがにそれはないわよねー……》
―――そんなことを考えていると、朝靄の奥に淡い舟影が現れた。
「来たみたいね?」
それはかなり小さな釣り舟のようで、船頭の他に舳先に一人誰かが乗っているのが見える。
やがてそれが桟橋に横付けされると……
「あ、よかった。みんな来てくれたんだね?」
その人物を見て一同は一瞬絶句した。
「セヴェルス様?」
王女が目を丸くして尋ねると……
「あはは。だからその名前は今はひみつだよっ! ヴェル君って呼んでね?」
「……ヴェルさんが直々に?」
「だって命を助けてもらったんだし」
そう言ってリモンににっこりと笑った。
一同が顔を見合わせていると、王子が背後を固めているロパスに向かって言った。
「ということで、そちらのリモンさんとメイさん、それにミーラさんをちょっとお借りしますね? 僕が責任持ってエスコートするんで」
ロパスはいったいどうしたものかという表情だったが、王女が彼に小さくうなずいた。
「はい。承知致しました」
それを見て彼がうなずくと、船頭が渡し板を置く。
「さあ、どうぞ」
王子が王女に手を差しのべる。王女は軽く礼をするとその手を取って舟に乗った。続いてリモン、メイも乗船する。
「それじゃあとはよろしくね?」
「はい……」
王女の言葉にロパスもうなずくが、やはり心配そうな表情だ。その気持ちは分かるが……
《でもむしろグルナさんの方が色々大変だったりして……》
なにしろこのことはロムルースには秘密なのだ。ところが二人が仲睦まじいのはいいのだが、王女の姿がちょっと見えないだけですぐ騒ぎ出すのである。
そこで今日は、王女は体調不良で自室に籠もっているという建前なのだが、実はまた変装して街に羽を伸ばしに行ってしまった、ということになっている。もちろん自室に誰もいないと怪しまれるから、替え玉にされたのがグルナである。
《まあ、セリウスさんが一緒だから大丈夫だと思うけど……》
本来ならロムルースにもきっちり通しておくべき案件なのだが―――彼女がセヴェルスの立場でも、まずはエルミーラ王女に話して、そこからやんわりとロムルースに伝えてもらおうとするに違いない。
《本当に困った人なんだから……》
まわりの人の苦労が痛いほどよく分かる……
そんなことを思っている間にも、舟は桟橋を離れてエストラテの水面を滑るように進んでいった。
アウローラの町並みが朝靄の中に消えていく。
あたりは真っ白で近くの川面以外は何も見えなくなった。
「何も見えませんねえ」
正直、こういう状況はちょっと不安なのだが……
「あ、大丈夫だよ。漕いでるのはプロだから。じゃなきゃこっちだって行きつけないし」
セヴェルス王子がこの間のような調子で答える。
「あー、まあそうですよねえ」
メイがうなずくと、王女がセヴェルスに言った。
「それはそうと、今日はお招きありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ」
「セヴェルス様はよく舟釣りを?」
「え? まあ、わりとよくするかな?」
「そうなんですか?……でも舟には釣道具はのっていないようですね?」
王子はあははと笑う。
「ま、この舟じゃ小さすぎるんで。沖で大きなのに乗り換えるんですよ。さすがに王家の紋章がついた船で乗りつけるわけにはいかないんで」
「ああ、そういうことでしたか……」
王女はにっこり笑ってうなずくと、それ以上は尋ねなかった。
すると王子が言った。
「それにしてもこの間は楽しかったですよ?」
「え?」
思わず王女が訊き返すと……
「そちらのお二人と街を歩くのは、本当に楽しかったですよ?」
そう言ってメイとリモンを見た。
「あらまあ、この子達が? お話し相手になりましたか?」
王女が横目でメイ達を見ながら答えるが……
「もちろん。ほら、あの宴にいたもう一人の子もいればもっと楽しかったかも、ですね」
コルネのことか?
というかそもそもあの小娘があそこで変なことを口走らなければ、こんなことにはなっていなかったのでは?
メイがそんなことを考えていると、王子がメイとリモンを見ながらしみじみと言った。
「でも、お二人とも変わってますねえ」
………………
…………
はあぁ?
「あらまあ、何か失礼なことを致しましたか? この子達……」
王女が目を丸くして尋ねる。
「いえいえ、違うんですよ。ほら、二人とも僕の正体を知ってて、それなのにすっごくマイペースで……」
王女がじとーっとメイとリモンを見た。
「マイペースって……何してたの? あなたたち?」
「え? だから……」
「いや、メイさんはいろいろおもしろい話をしてくれて……魚料理の話とか、馬車の話とか」
王女の目がさらに丸くなる。
「馬車? セヴェルス様に?」
「いえ、単に横にファルクス工房の馬車が通ったってだけでっ!」
「…………」
「リモンさんはずっと、隠れてついてきてた護衛を数えてたみたいで。ははは」
「………………」
「いえ、その……」
王女は呆れ顔で二人を見つめた。
「いえいえ、その子達を怒らないで下さいよ? だから楽しかったんだから……普通の子なんかだとカチンコになっちゃって、もうまともな会話にならないんで、こっちが疲れちゃうんです」
「まあ、そうでしたの……おほほほ」
あー、何かこれって後で文句を言われそうな表情だが……
《だって、変わった王族とばかり知り合いになるしっ!》
確かに王子様に対して少々馴れ馴れしすぎたかもしれない。だが状況が状況だ!
それにあのイービス王女もそうだったが、このセヴェルス王子だってマイペースっぷりなら相当としか言いようがない。
《変な木をスケッチしたり、飴を買ってみたり、雑貨屋の籠を見たり、アウィス様のことで人をからかったりしてたのは一体誰よ?》
と、普通だったら速攻で言いかえしたいところだが、さすがにここは自重せねば―――そんなことを思っていると、あたりの靄が晴れてきた。
そして彼方に大きな船が浮かんでいるのが見えた。
「あ、あの船ですよ」
セヴェルス王子が指さした、
《うわー……》
メイは船に関しては専門外であったが、それでもその船がただならぬ船であることは容易に見てとれた。
内海の喜びの海には珍しい大きな一本マストの帆船で、全体が白く塗られている。朝日を受けて煌めいているのは黄金の装飾だろうか? そよ風にゆらめく三角の帆には、大きくエクシーレ王家の紋章が染めぬかれている。
「あれは?」
「我が王家所有のエスパーダ号だよ」
「まあ……」
一同が思わず見とれているうちに、小舟がその船に近寄っていくと、船縁からタラップが下りてきた。
「よくいらっしゃいました」
上から彼女たちを迎えたのは、先日使者としてやってきたデュナミスだ。
「階段が急ですからお気を付け下さい」
さすがにこのような船に乗るのは初めてなので、王女もおっかなびっくりという様子だ。
《ほえー……》
甲板に上がるとその船全体が一つの芸術品と言ってよいことがよく分かる。扉や柱などの構造材には見事な細工が施され、各所が磨き抜かれた金泊で覆われている。先ほど朝日で煌めいていたのはやはりそれだった。
「どうかこちらにお越し下さい」
一行は船室に案内された。
《うわー……》
その船室内もまさに贅を尽くした装飾がなされていたが、それ以上にメイの目を引いたのが中央のテーブルに用意されていた料理だった。
そしてもう一つ……
「よくぞいらっしゃった」
その奥にがっしりとした体躯の老人が座っていたのだ。
メイはその人物を見たことがなかったが、一目でただ者ではないことが分かった。
立派な老人というだけならいくらでもいるが、この身からオーラが発しているかのような迫力は、これぞまさに王者の風格だ。
とすればこの状況からして考えられるのはただ一つ。この老人がエクシーレ王国のティベリウス王に間違いない!
と、王女が老人に向かって一礼した。
「ティベリウス様とお見受け致しますが、お初にお目にかかります。フィリア・エルミーラ・ノル・フォレスにございます」
メイとリモンも慌ててティベリウス王に向かって最敬礼を行った。
王はそんな一同を見て微笑んだ。
「いやいや、今はそのような堅苦しい挨拶は抜きにしようではないか? わしもこうして普段着で来ておるのだし」
言われてみれば確かに彼もまたセヴェルス同様な庶民風のシャツ姿だった。
《全然気がつかなかった……》
その存在に射すくめられたと言うほかない。
「さあ、どうかお座りなされ」
王に促されて一行は用意された席に付いた。
「さて、お察しの通りわしがティベリウスだ。今回は招待を受けてくれて感謝するぞ」
「いえ、こちらこそ望外の幸せにございます」
ティベリウスという名は厨房時代のメイでもよく知っていた。何しろ昨年の今頃はフォレスに大軍で攻め込んできて、もう少しでガルサ・ブランカは戦場と化すところだったのだ。
だから彼女にとってはティベリウス王とは恐ろしい人だというイメージしかなかった。
ところが眼前の老人は確かに他にない迫力はあるが、決して残忍な雰囲気ではなかった。
《ナーザさんだっけ……ティベリウス様は話せば分かるお方って言ってたのは……》
だが実際の彼を見て思うのは……
《どうやって話したのかしら?》
メイだったらそれこそ硬直してしまって言葉が出て来そうにないのだが……
「さて、まずはともかく食事をしながら話そうではないか。なにしろ、宮廷料理人も来られているようだし、この田舎料理がお口に合えば良いが……」
「そんなことありません! すごいですっ!」
メイは思わず反射的に叫んでしまって、それから顔から火が出てくる。
「ははは。それはよかった。では召し上がれ」
王女が呆れたようにメイを見るが―――だがおかげで一同の肩の力がちょっと抜けたようだ。
実際それは一口口にするなり、まさにプロ中のプロが作ったことが一目瞭然だった。いったいどうやって作ったのか? またもやそんな興味がふつふつとわいてくるが……
《いやいや、今それはね……》
このちょっと普通でない状況でさすがにそんなことを尋ねているわけにはいかない。
一同はしばしその食事を堪能していたが……
《うーん……なんかもう気になってあんまり味がしないんだけど……》
エクシーレ国王との予期せざる会見だ。さすがの王女も緊張しているのがよく分かる。
と、そこで王が口を開いた。
「さて、エルミーラ姫。今日お招きした理由はある程度はお察しだと思うが……」
王女はうなずいた。
「はい。先日の件でございますね? この子達が言うには、何でも先日の剣術大会の優勝者だったアフタルが、ベラ衛兵の扮装をして王子を暗殺しようとしたとか」
「うむ。その通りだ」
ティベリウス王はうなずくと、王女に先を促した。
「もしそのような企てが成功していたら、ベラとエクシーレの関係は以前以上に悪化したことでしょう。すなわちエクシーレ国内にそのようなことを望む一派がいるということでございましょうか?」
「うむ。ご慧眼の通りだ。まさにそうであった」
「そう致しますと、“今回は”何とかその企てを未然に防ぐことができたということでよろしゅうございましょうか?」
王がにこっと笑った。
「ということは、次回以降もこのようなことがあり得ると?」
「そのような輩は決して一度の失敗で諦めたりはしないと心得ておりますが……」
「ふふふ。それはそうだ。確かに今回のベラとの和議に関しては、国内でも反対する者が多いのだ。奇しくもあの宴にてもそのような話になったとか?」
あの宴にて?
「エクシーレ古王国のことでございましょうか?」
王女の答えに王はうなずいた。
「そうだ。少なくとも我が国では、本来この旧界全域がエクシーレの物であって、その一部族に過ぎなかったベラが大聖に取り入って、その最も肥沃な地域を我が物にしたと、そう考えられておる」
「はい」
「その件に関してはわしもまた同様、ベラの主張など戯言に過ぎぬと考えておるがな」
王女は少し目を見張ったが、黙って小さくうなずいた。
ベラの主張では、確かに大聖様が来る以前にもこの地に人はいたが、国などという物は存在せず、部族単位でやせ衰えた獣のような暮らしをしていた。
そんなところに七つの家族を連れた大聖がやってきた。大聖はそんな彼らに手を差しのべたのだが、愚かな人々は恐れて逃げ去ってしまった。ところがその中に勇敢にも大聖の前に立ち塞がった男がいた。ベラの初代首長ヴァレンスである。
《教授も言ってたわよね……それって勇気なのではなく蛮勇ではなかったのかって……》
そして周知の通り、ヴァレンスは大聖の息子を養子として迎えることになり、そこからベラ首長国の歴史が始まるのだ。
《ここにエクシーレって出てこないのよね……》
習った歴史ではその後旧界の南東にエクシーレという蕃国が興ったとあるだけだ。
《これだけ見解が違えば、そりゃ話も合わないわよね……》
何しろ大昔の話だ。どちらが正しいなどと証明する手立てなどないわけで……
「よくそれでまとまったのよねえ……」
メイは思わずそうつぶやいていたのだが―――ところが王はそれを聞き逃さなかった。
「ん? メイ殿は姫から交渉の詳細については聞かされておらぬのかな?」
「え?」
ぽかんとするメイに王が言う。
「わしがアイザックの策に乗った理由についてだが?」
「え? いえ、それは……」
ナーザがグラースから帰ってきたとき、メイは直接その報告を聞いたわけではなく、その会議から戻ってきた王女から話を聞いたのだ。そして王女がハビタルでの会談の立合役になると言われて、そちらの方で頭が一杯になってしまったのだ。
なにしろまだ実務的な話があるからナーザはベラに同行できないと聞けば、王女のブレーキ役としての責任が前以上に重大になるわけで……
そのやりとりを聞いて王女があっという表情になる。
「ああ、そう言えば彼女には詳しく話していなかったかもしれません」
「ほう? ならばここでメイ殿も知っておいても良かろうな。わしがどうしてアイザックの話に乗ったかを」
「え? あ、はい……」
確かにその報せを聞いて、いったいどうしてそんなことができたのか不思議に思ったのは確かだが……
《考えたら本当にすごいのよね……つい一年前は本気で攻めてきてたんだから……》
フォレスは山間の小国だ。だから周囲を囲む大国とは、細心の注意を払って外交しなければならない。幸運にもベラとは長年親密な関係を築けている。そのため当面で最も重要なのがエクシーレとの関係だった。
そのためここ最近、アイザック王とナーザがそちら方面にかかりきりになっており、エルミーラ王女はベラ方面を担当するという形で分業体制が敷かれていた。
だがベラもまた別な意味で様々な問題を抱えている。前回と今回の視察旅行でも王女はベラの内政に関して様々な助言をしているのだが、そのためにはベラについて細かいところまで調べなければならない。
だが王女と違ってメイはまだ見習いの身分なのでそれだけでも全然時間が足りず、エクシーレ方面に関しては完全に後回しにせざるを得なかった。
そんな二人を見てティベリウス王は話しはじめた。
「さて、両国はかような歴史認識を持っている以上、簡単に和解できるはずもない。そんな両国を結びつけられる物といえば、共通の外敵の出現以外にはあり得ない。すなわちそれは中原の動静だ」
メイはうなずいた。このことなら何度も話は聞いた。
「山の向こうの情勢についてはもちろん我が国も色々と調査はしてきた。そしてレイモンの沈黙がいつ破られるか分からないこともよく理解しておる。そうなった場合どうなるか? まずは小国連合との全面対決だ」
「はい」
「確かに頭数の上では両者の勢力は拮抗しているとはいえ、一枚岩のレイモンに対して、寄せ集めの連合だ。一角が崩れれば一気に瓦解しかねない。そうなったなら今度はフォレスが最前線になるというのも納得できる」
再びメイはうなずいた。
「さて、そうなった場合、最前線となるフォレスが取る手段は三つある。一つは……」
王はにっと笑った。
「何もしないことだ」
メイは王女と軽く顔を見合わせるとうなずいた。
これについても説明を受けたことがある。
レイモンがたとえ覇権を握ったとしても、旧界に攻め入るには高いパロマ峠を越えてこなければならない。それにこの地域は彼らにとっては辺境でしかなく、決して魅力ある場所でもないはずだ。だから放っておいても攻めてくることなどないだろう―――確かにその可能性だってかなり高いと言えるのだ。
《でも……》
だからと言って何もせずに油断しているところを攻められたら、フォレスなど簡単に消し飛ばされてしまう。そもそも魅力があるかないかなど向こうが決める話だ。
『世界地図の隅に塗り残しがあったら気になってしまうだろう?』
アイザック王はそう言って笑っていたが―――ともかくそんな希望的観測にすがっているわけにはいかないのだ。
「そしてもう一つは、レイモンと組んで小国連合を後方から攪乱し、レイモンの勝利に貢献すること。そうすればこの地域の領土くらいなら安堵することも可能だろう」
「……はい」
「だがそうやって小狡く今の領土を守ったとして、山の向こう全てがレイモンの版図になっていたとすれば、いつまで独立性を保てるだろうな?」
それもまたそうである。
そんな大国の尻馬に乗って少領を安堵しても、いつ何時無理難題を押しつけられないとも限らない。そうなった場合にもはや抵抗の手段はない。
「だとすれば……そうなる前に、小国連合に加担して、何としても彼らに勝ってもらうしかないわけだ。そしてお父上はそう腹を決めていると」
そう言ってティベリウス王が王女の顔を見る。
「はい。その通りでございます」
王女はうなずいた。
「そしてこの選択肢は我が国においてもほぼ同様だ。何も起こらなければ今のままでいいし、レイモンと組んでお父上の邪魔をしてもいい。そうすればこの旧界くらいならもらえるかもしれないしな」
王はにっと笑う。
「それはある意味我が国の大願成就とも言えるな?」
王女はにこっと微笑む。
「それはそうでございますね」
「実際、そういうことを主張する者も多いのだよ。真のエクシーレ王国を再建するためにそうするべきだとな」
「はい……」
「ところがだ。姫のお父上はこう持ちかけてきたのだ。自分はもしそのようなことになれば、小国連合には最大限の援助を行い、レイモンには徹底抗戦すると。だから最低そのときには邪魔をしないと約束してくれればそれでいい。だが……」
王はそこで言葉を切って、くっと杯から酒を飲むとメイを見た。
「もし自分を手伝ってくれるのならば、色々美味しい話もあるのだが、などと言ってきたのだ」
「美味しい話……ですか⁇」
この話も何度か聞いたことがあるのだが―――そこで問題になるのが、エクシーレがアイザック王の企てに加担するメリットがないということだった。
もしアイザック王の計画が成就したのなら、レイモンは拡大を断念するかもしれないが、まあその程度と見るしかない。国を完全に滅ぼしてしまうというのはまず無理だ。
すなわちレイモンが縮小して小国連合が拡大する形で国境線は変わるだろう。しかし旧界への影響はほぼないと言って良い。
ここでフォレスの場合ならベラと都を取り持ったという名声が得られるだろう。だがエクシーレには何がある? 逆にむしろレイモンに加担して古王国を再建した方がずっとマシだと思えるわけで……
首をかしげているメイに王はにやりと笑った。
「そこでナーザ殿が言ったのだよ。これが起こっているのは、山の向こうの肥沃な土地での話だとな」
!!
《山の向こうの肥沃な土地⁉》
現在のエクシーレはお世辞にも肥沃であるとは言えない。彼らの多くが酪農で暮らしているのも、乾燥気味で水源に乏しく、良い農地が作れないためだ。
そんな彼らの間で語られる伝承に“約束の地”の物語がある。
それはあるバージョンでは大聖の、別なバージョンでは虹の獣の約束なのだが、大筋はウルトゥス公というエクシーレの長が村を訪れた大聖(または獣)を歓待したため、そのお礼に山の向こうの肥沃な土地をやろうと言われたことになっている。
だがそこに至る道のりが険しいことを知り、長が出立の決断をためらっているうちにベラ首長国が興り、そこと諍いをしている間にいつの間にかうやむやになってしまうのだ。
エクシーレ人にとってはベラに邪魔されたことになっているし、ベラから言えば行きたければ勝手に行けばよかったのに知ったことかと、これまた両国の諍いの原因の一つだった。
《これはむしろベラの言い分の方が通ってると思うけど……》
もちろんこれも本当の事情がどうだったかなんて分からないので、それ以上どうしようもないのだが……
「そしてここで存在感を示すことで、別な伝説が成就できるかもしれないと、そう言うのだよ」
王はそう言って笑った。
………………
…………
しばらくメイは王のその言葉の意味を咀嚼せねばならなかったが―――思わずエルミーラ王女に向かって尋ねていた。
「えええ? それじゃアイザック様は、中原にエクシーレの領土を約束したと、そうおっしゃるのですかーっ?」
王女がくすっと笑う。
「まあ、そういうことね」
………………
…………
「でも……いくら何でも……」
メイは開いた口が塞がらなかった。
《だってそこって……他人の土地じゃ?》
フォレスにしてもベラにしても、中原にはいかなる領土も持っていない。確かにベラ派の国はあるのだが、領土を分けてやれなどと言って“はい”と言うところがあるはずない。
持ってもいない物をやるとか―――絵に描いた餅どころか、ほとんど詐欺ではないのか?
「ふふふ。もちろんわしも最初にその話を聞いたときには、君のような顔をしていただろうな。ふふふ」
「えっと……いったいどうやったらそんなことが?」
思わずメイが尋ねると……
「うむ。アイザックは今回の事をなすために、都とベラの仲介をしようとしているな?」
「はい。そう聞いておりますが……」
「だとすればご存じの通り、白銀の都とベラ首長国の間にはこれまた長い長い不和の歴史がある。確かに今回は強大な敵がいる。だから敵の敵という意味で両者が協働することはできるかもしれぬ。だが一旦ことが成就した暁にはどうなる? 喉元過ぎればなんとやらと言うな?」
「はい……」
「そこでまたベラ派と都派が相争い始めては、何をしたか分からないことになるわけだ。レイモンの時代の方が良かったと言われてしまってはな」
「それはそうだと思いますが……」
「そこで必要になるのが緩衝地帯だと、そう言うのだ。お父上は」
「緩衝地帯⁉……ですか?」
メイがぽかんと訊き返すと王は言った。
「そう。もし事が成就した暁には、レイモンの版図はもっと小さくなり、小国連合の各国が勢力を伸ばすだろう。だがその間にもう一つ国が必要になると言うのだ。位置的には、例えばシフラ周辺などがいいかもしれないが」
「はあ……」
「例えば国同士で何らかの争いが起こった場合、話し合いで決着できればそれがいい。だがそんな場合にはその両国と中立な場所が必要になる。でなければ嵌められる危険もあるからな」
「はい……」
「すなわちその緩衝地帯とは、都にもベラにも与しない、中立の勢力でなければならないわけだ」
そこまで聞いてメイも納得した。
「じゃ、そこをエクシーレに治めてもらうってことですか?」
王は彼女の顔を見てにたっと笑う。
「そうだ。この世界のほとんどの国が都派かベラ派のどちらかに分かれる中、歴史的にどちらでもなかったのは我が国以外ない。だとすればその緩衝地帯を治めるのに適任なのも我が国しかないとな」
「…………」
「もちろんそういうわけであるから、決して大して大きな国ではない。それどころか四方を敵に囲まれているとも言える」
「はあ……」
「だが逆に……」
「逆に?」
ティベリウス王はまたにっと笑った。
「その国は世界の中心にあるとも言える……と、言うのだよ」
世界の……中心⁉
「王様がそんなことを……⁉」
メイは呆れたように尋ねた。
「ふっ。あの男の口車に乗るというのは少々引っかかるが、だが魅力的な話なのは確かだ」
「でも……」
「そう。まさに絵に描いた餅だな。仮定の上に仮定を重ねた、まさに砂上の楼閣とも言える理屈であるが……」
王はにやりと笑った。
「その可能性があるのがこの道だけなのも確かだ」
道!
そう。このティベリウス王も、エクシーレという国の民を導いて闇の中を歩いているのだ。そんな中で彼方に見える小さな光明。その光に魅せられる気持ちは、メイにも薄々分かり始めていた。
「というわけで、アイザックの策に乗ってやることにしたのだ。それにそもそもレイモンのお情けで所領を得ても、その後ずっと奴らの顔色を見ていくなど、気分の良いものではなかろう?」
エルミーラ王女がにっこり笑ってうなずいた。
「父上もそれでは少々面白くないと申しておりました」
王は笑った。
「ふっ。面白くないか……まあそういうわけで、今回のベラとの講和はその線上にあるわけだが、こんな夢物語を信じぬ者が多いのも致し方ない。そんな輩がヴィクトゥスの背後についていろいろ画策を始めているのだ」
「はい」
王女は小さくうなずいた。
《反対派かあ……》
フォレスやベラの反王女派にひどい目に遭わされたのは記憶に新しいが、エクシーレもやはり一枚岩というわけにはいかないらしい。
と、そこで王がセヴェルス王子の方にふり返った。
「さて、そんなところにだ。この男が三国対抗の剣術試合なぞを決めてきたのだ。どうせまたアウローラで羽でも伸ばそうと思ったからだろうが……」
王子が慌てて手を振って答える。
「そんな、父上。アウローラはベラとエクシーレの親善試合には最適な場所だと思ったからですよー」
メイが聞いても何だか棒読みっぽいのだが……
「ふっ。どうだか。では試合が終わったら大人しく帰るつもりだったのか?」
「え? だってせっかく行ったんなら、ちょっとぶらついてきたっていいじゃないですか」
やっぱりそのつもりだったんだ……
「ふん。この男がこうなのは今さら言っても始まらぬわけだが、まあそうなれば誰でもこの男がまたあのあたりを一人でうろつくだろうと思うわけだ。そこでこいつがベラの衛兵に襲われて死んだとなったらどうなる? そう。反対派にとっては願ったりの状況だ」
それを聞いた王女が小首をかしげて尋ねた。
「ですが、そこまで分かっていたのなら、どうしてわざわざ……ああ⁉ それではもしかして囮を?」
王はにた~っと笑った。
「まあ、そういうことだ」
囮⁉
確かにメイもそれで合点がいった。
王子の回りをそれとなく囲んでいた護衛達、襲われた際の『話が違うじゃないか!』という王子の言葉―――王子が囮だったと考えれば全ては納得がいいくが……
「でも、セヴェルス様が直々に囮など、少々危険すぎではありませんか? 実際に危ない目に遭ってらっしゃいますし、それに刺客を捕らえることに成功しても、黒幕が誰かなど……」
メイもうなずいた。
そうなのだ。こんな場合は大抵トカゲのシッポ切りでうやむやにされるのがオチなのだ。あのフォレスの反王女派も結局、黒幕を潰すまでには至らなかったわけで―――ところがティベリウス王はまたにた~っと笑った。
「ふふ。そこは大丈夫なのだ。何しろ奴らに襲撃を仕組ませたのはわしなのだからな」
………………
…………
「え?」
「ティベリウス様が、仕組まれた⁉」
メイと王女がぽかんと王を見る。そんな二人を見て王はにやっと笑うとうなずいた。
「そう。わしが仕組んだ」
思わず二人は顔を見合わせる。
「アウローラでこいつがベラの衛兵に襲われたとなれば、当然その責めはベラが負うことになる。だがそれがベラ衛兵に扮したエクシーレの刺客だったと判明したらどうなる? エクシーレが姑息にベラを嵌めようとしたと思われるのは必然。今度は立場が逆になるのはお分かりだな?」
二人はうなずいた。
「ところがその襲撃が未然に防がれたとしよう。反対派にその証拠を突きつけてやればどうだ? 王族の命を狙っただけでなく、ベラに対する面目も丸潰れになるのだ。もはやどんな処罰でも下せるであろう?」
王は笑った。
《うわー……えぐい……》
メイは唖然として王を見つめた。
《王様ってそんなことまでしなくちゃならないのかしら……》
そう思ってエルミーラ王女の方をちらりと見るが、彼女は静かに笑って答えた。
「さようでございましたか」
………………
「だがこのような経緯であるから、黒幕については筒抜けであったが、現場で誰がそれを実行するかについては詳細が掴めなかったのだ。そんなわけでこの男の回りをひそかに護衛で固めて、来た刺客を捕らえる手はずであったのだがな……」
「はい」
「ところがその罠が食い破られてしまったのだよ。まさかあのアフタルだったとはな。本気で冷や汗が出たぞ。もし本当にあそこでセヴェルスが斬られていたら……」
「でも、そんなことをされても調査すれば分かるんじゃありませんか? ベラには真実審判師もいますし……」
思わずメイは尋ねていたが、王女が首をふった。
「ダメよ。ベラから見れば王子を殺したって言いがかりを付けられて、あとから相手の狂言だって事が分かるわけでしょ? ベラの反和平派が黙ってないわ」
「あ、ああ……」
メイは頭を抱えるしかなかった。
《ってことはもう……?》
おずおずと顔を上げると王と目が合った。
「そう。まさに瀬戸際であった」
背筋が冷たくなった。
そこでまた王がにっと笑う。
「ふふ。このような策謀というのは、立てているときは完璧だと思っていても、たった一つの見込み違いで瓦解してしまうこともよくある。だが……今回はたまたま見込み違いが二つあったせいで、元の鞘に収まった」
そこで唐突に王はふり返るとリモンに言った。
「そういうわけでリオン殿」
そのときリモンはまたもやわれ関せずといった調子でひとり食事を堪能していたのだが、いきなり呼ばれて小さく飛び上がった。
「は、はいっ!」
そこにセヴェルス王子が突っこむ。
「父上、リオンではなくリモン殿ですよ?」
「あ、そうだったか? でも彼女ならリオンでも構わぬのでは?」
リオンとは伝説に出てくる黄金色のたてがみを持った神獣の名前であるが―――リモンは慌ててぶるぶると首をふる。
「ともかく……」
そう言って王はテーブルの下から一本の剣を取りだした。細身のまっすぐな剣で、柄が少しねじれたような形をしている。
「私からこれを差しあげたいのだが」
それを見たリモンと、そして王女の目が丸くなった。
「それは……名誉の剣⁉ でございますか?」
「そうだ」
その実物は見たことがなかったが、その名ならメイも知っていた。エクシーレでは戦いにおいて大きな武勲をあげた者に贈られるという剣である。
「リモン殿はその一撃で我が国を救ってくれたと言っても良い。それどころかアイザックやひいてはそこのエルミーラ姫を救ったとも言える」
「え?」
王女がちょっと首をかしげる。
「ふふ。分からぬか? 足下が盤石でなくしてお父上の計画が達成できるとでも? その計画を引き継ぐのはいったいどなたかな?」
「あ……」
確かにそうであった。エクシーレとベラの間が一触即発の状況で、フォレスがじっくりと中原の対策をしているわけにはいかない。下手をすると何もかもが手遅れになってしまうことだってあり得るわけで……
「であるからして、本来ならばグラースの城に招いて授与し、なおかつ叙勲も行うべき物であるのだが、かような事情である故、このような場を借りるしかないのだ」
だが王がそう話している間も、リモンはただ凍りついたようにその剣を見つめていた。
「いかがであろう? リモン殿」
「………………」
だがリモンは答えない―――と、そこに王女がはっとしたような表情になる。
「もしかしてリモン、覚えてるの?」
彼女はうなずいた。
「……はい。目の前に落ちておりましたので……」
「ん? どういうことだ?」
王の問いに代わって王女が答えた。
「いえ、実は彼女は以前、それと同じ剣で斬られたことがあるのです」
王の目が丸くなった。
「なんと? ではもしかして、あのときの女官というのが?」
「はい」
王は驚いてリモンを見つめた。
王女誘拐の際にリモンは大けがをしたが、その刺客が犯人をエクシーレ人の仕業と見せかけるために“名誉の剣”を使ったのだ。親衛隊が使っているような大剣ではないが、そのため彼女は命を取り留めたとも言える。
王はふうっとため息をつく。
「それは悪かった。ならば何かもっと別の物にするか?」
だがリモンは首をふった。
「いえ、頂戴致しとうございます」
王が眉をひそめた。
「いいのか?」
「はい。今度は背中を切られないよう心に刻むためにも」
………………
…………
ティベリウス王はしばらく絶句した。
その様子を見てリモンが何かまずいことを言ったのかと少し焦り始めるが―――いきなり王は大爆笑した。
次いでリモンに向かって剣を差しだす。
「ではリモン殿。お受け取り下され」
「有り難き幸せにございます」
リモンが王の横に跪き、その剣を拝領する。
それからしばらくじっとその剣を見つめていたが、再度大きく王に礼をした。
王はそんな彼女の姿を眺めながら、また何やら嬉しそうに笑う。
「はっはっは! いや、それにしてもフォレスの女性には色々と驚かされることが多い!」
それからひとしきり笑っていたが……
「何しろ姫殿からして変わっておられるし……」
「まあ、いったい何が?」
どうしてそんなにしれっと答えられるんでしょうねえ、本当に……
「あのナーザ殿にしても、彼女が使者に来なければわしの心は動いていなかっただろうし……」
ああ、それはそうかもしれません。あのお方は本当に底知れない―――などと思っていると、王は今度はメイを見た。
「そこの小さなお嬢さんも色々とお分かりのようだし……」
ほえ?
それから再び王はリモンを見ると……
「それにリモン殿はこの男の護衛を四人も見つけたとか? まったく半分も見破られてしまうとは情けない奴らだ」
ところがそれを聞いてリモンはひどく驚いた。
「え? あと四人もいたのですか?」
王は目を見張ると、次いで腹の底から爆笑する。
《えっと……えっと……》
要するにとりあえずは上手く片付いたということなのか?
何だかものすごい綱渡りをしていたようなのだが―――まさに知らぬが仏。知ってたりしたらもう胃に大穴が開いていたに違いない。
ティベリウス王はそれからひとしきり笑った後、ふっと真顔になると王女に向かった。
「そういうわけで、姫殿。こうしてこちらは本気で取り組んでいると言うことをお忘れなきようにな?」
王女は一瞬言葉に詰まるが、それからにっこり笑う。
「はい。もちろんでございます。父も私もティベリウス様を失望させぬよう、誠心誠意努力致します」
王は満足そうにうなずいた。
「ではまあ、堅苦しい話はこの程度にして、ゆっくり食事でも味わって頂こうか」
「はい。ではお言葉に甘えまして」
王女がうなずくと場の空気が一変する。
《やたっ!》
話の内容が内容だっただけに、素敵な食事も味がしなかったのだが、これでやっとじっくり味わえる! と思った瞬間だ。
「あ、そうそう。もう一つ聞き忘れていたが……」
王が王女に言った。
「何でございましょうか?」
「姫殿にはもう婿はお決まりなのかな?」
「え?」
ピクッとして王女が固まった。
《王女様のお婿様?》
それはフォレスの今後にとっても極めて重大な問題だったのだが……
「いえ、まだなかなか……」
王女が伏し目がちに首をふる。すると王が言ったのだ。
「ふふ。ならばこちらも考えておこうか。姫殿の婿ともなれば、こちらとて全く無関係というわけにはいかないからな」
「え?」
王女は驚いた表情でしばらく王を見つめていたが、やがて深々と頭を下げた。
「良いご縁がございましたら、よろしくお願い申し上げます」
会話はそれだけであったが―――メイにもそこに含まれる意味がよく分かった。
《王女様の婿様って……》
メイはちらりとセヴェルス王子の顔を見る。
フォレス王家はベラとの関係が深かったせいで、エクシーレ王家との婚姻は少なくともこの百年はない。一昔前ならばまさにあり得ない取り合わせだったのだが……
《今なら……あり得る?》
風が吹き始めていることが、メイの肌にも感じられた。