第5章 恋人たちの夜
その日の昼、ロータに向かう街道の宿屋の一室で、ベラトリキスの小鳥組の前でラルゴが状況報告を行っていた。
「二人は現在予定通りに荷馬車に乗り換えて、裏街道を東に向かって移動中です。本日はそのまま進んで、ボンバ村近郊の廃屋で一泊することになっています」
アルマーザは最後列でそれを聞いていたのだが……
《二人とも屋根のあるところで寝られるんですかねえ……》
なんだか空模様がおかしくなっている。午後からは降りだしそうなのだが……
《でもこればっかりはしょうがないし……それに、あの子ならへっちゃらだけど……》
野生児サフィーナなら問題ないにしても、あのフィンという人はどうなのだろうか?
アウラの話ではわりとそんなアウトドア体験は多いから大丈夫とのことだが―――彼女は二人がちょっとかわいそうになった。
何しろ今いるこの宿屋は現在貸し切りになっており、ここはその最高級の一室だ。
彼女たちは地方領主の侍女たちといった触れ込みで、この宿屋のスイートルームに宿泊しているのである―――とは言っても、あの離宮の豪奢さになれてしまうと、かなり質素な部屋に見えてしまうが……
《贅沢ですよねえ。ほんとに……》
ヴェーヌスベルグでの生活から考えたら、何から何までが天地の差なのだが……
アルマーザがそんなことを考えている間にも、ラルゴは報告を続けた。
「現在は我々の一団が彼らを遠巻きに追っており、また先行隊は街道の封鎖を完了しています」
この“愛の逃避行作戦”では、レイモン側はアロザール諜報員の関与については知らないことになっている。すなわちル・ウーダとサフィーナは二人だけで逃げたという想定の下に、追跡しているのだ。
すると彼らはレイモンの地勢には詳しくないため、ロータに逃げ込むためには全速で馬を駆けていくしかないのだが……
『それだったら簡単に捕まえられますよ』
と、アリオールは笑って言っていた。
そもそもロータに行き着くにはどんなに急いでも馬で二日はかかる。
だがレイモン人というのは物心ついた頃から馬に乗っているのだ。しかも追跡側は途中で次々に馬を交換することができる。なので数時間ほどのアドバンテージではまったく不十分なのだと。
そこは諜報員側も重々承知していて、そのため彼らはその裏をかいて途中で荷馬車に乗り換えて裏道を進んでいた。付近で引っ越しが多いのは相変わらずだ。だからそういうグループに偽装してもまず目立たなかった。
ただこれだとレイモンの圏内を一日では抜けられないので、その途中どこかで一泊する必要がある。そこで発見されないためにはその宿というのが少々残念な所でも、彼らは我慢するしかなかったのだった。
とは言ってもそれは覚悟の上だ。何しろこの作戦自体、こちらで考えてやったものなのだから……
《ともかく現状は全く予定通りというわけですね》
アルマーザが見回すとみんな同様に感じているらしく、あたりにはのんびりした空気が流れている。
今回この追跡部隊に参加しているのは、小鳥組の二チームだ。
そのうちスズメ組が、リサーン、ファシアーナ、アウラ、シャアラ、アルマーザで、ヒバリ組がハフラ、ニフレディル、リモン、マジャーラ、アーシャだ。
ベストメンバーではアルマーザの代わりにマウーナで、アーシャの代わりがサフィーナなのだが、一人は妊娠中で、一人は追われる側だ。そのように都合がつかないときにはアルマーザやアーシャが適宜メンバーに入っていたのだが……
《アーシャとマウーナはあっちの方が多かったですからね……ふふっ》
そのためアルマーザは準レギュラーとして多くの作戦に参加していたのだ。
しかしその一方……
「アラーニャちゃん、大丈夫ですか?」
「えっ? はいっ!」
横に座っていたアラーニャは一人かちかちに緊張していた。
彼女はディロス駐屯地やアキーラ奪回作戦のときなどには出陣したが、それ以外はおおむね非戦闘員だった。引っ越しが多かったので重い荷物運びなどには大活躍してくれたのだが―――その彼女が今回の作戦には是非参加したいと言ってきたのだ。
《サフィーナとも仲良かったですしね……》
ティアと彼女がヴェーヌスベルグにやってきたとき、二人はまさに余計者であった。女の有り余った村にさらに女がやってくるなど、文字通りの穀潰しにしかならないからだ。
そんな立場でもティアの方はあの性格だ。簡単にはめげない図太さを持っていたのだが、アラーニャの方はまさに怯えた子鼠といった有様だった。
そんな彼女に親切だったのがアルマーザと、そしてサフィーナだった。
《何か放っておけないんですよねえ……》
彼女はトルンバ村にヤクートで行ったメンバーだったが、そこでアラーニャと出会ったときから気になっていた。
しかし驚いたのは彼女がおっぱいで物を動かせるという事実である。それを見て多くの娘は気味悪がった。
だがアルマーザは俄然興味がわいて『それってどうなってるんですか?』とむにゅっと揉んでしまったところ―――悲鳴と共に数メートル近く吹っ飛ばされて軽く意識が飛んでしまったのだが……
《ありゃあびっくりしたけど……》
気がつくとアラーニャが涙目でのぞき込んでいる。
そこで「大丈夫ですよ?」とほっぺを撫でてあげたら泣きながら抱きついてきて―――そんな彼女の抱き心地がとってもきもち良くって、つい今度はお尻を撫でたら「きゃん」とか言って飛び離れちゃったりして……
《えへっ カワイかったなあ……》
―――とまあ、それ以来ずっと一緒につるんでいるのであった。
一方サフィーナは小さい子の味方だった。
彼女は自身の成長が早めに止まってしまったこともあって、小さな子がいじめられるのを看過できなかったのだ。
なのでアラーニャをいじめたりからかったりする奴がいたら、いつも彼女が現れては追っ払っていたのだ。
何しろサフィーナは相手が年上だろうと大きかろうと躊躇がない。そしてケンカするときは常に全力だ―――というか、体格差があるが故に手加減などできないのだ。
《あのときもそれが原因だったし……》
例のシャアラとの大喧嘩も、元をたどれば彼女が村の小さい子をいじめていたからだ。シャアラとてそこまで悪気はなかったのだが、あのガタイだ。いじめられる方はたまったものではない。
《あれからシャアラもちっとは大人しくなったし……》
そんなわけで村に来てからしばらくの間、アラーニャに親切だったのはアルマーザとサフィーナだけだったのだ。
《でも今じゃ……》
ティアはヴェーヌスベルグの女王様で、アラーニャは村一番の人気者だ。二人ともなくてはならない存在になってしまっている。
おかげで少し意地になっているところがあるかもしれないが―――でも、アラーニャちゃんのおっぱいは最高なのだ
―――そんなわけで彼女も今回の作戦に参加することになったのだが……
《まあ、多分出番はないでしょうけど……》
この作戦が上手くいったなら小鳥組の出る幕はほとんどなかった。
フィン達の“逃亡”はアリオール達の厳重な監視下にある。従ってロータに行きつくまでにまずトラブルはないはずだ。
問題はロータでフィンが上手く司令官から情報を引き出せるかだが、彼はアロザール時代は王国評議会相談役として国王直属の立場で、位はフィンの方が上だ。そこも多分問題ないだろう。
情報さえ引き出せれば後は脱出だが、フィンにとってはまさにお手の物だ。彼の軽身の魔法は何度も見せてもらったが、あれが便利なのは間違いない。
そして合図があったらファシアーナとアウラが迎えに行く算段で、そのメンバーなら少々何かあったところでどうとでもなる。
その翌日の朝、フィン達の部屋がもぬけのからだということが発覚して初めて騒ぎになるだろうが―――その頃にはみんな馬に乗ってロータから遠く離れたところを、アキーラに向かってひた走っているだろう。
しかし何事においても絶対ということはない。予想外の事態は常に起こりえる。
そこでそんな場合に臨機応変に対応できる布陣ということで、彼女たちがこうして一緒に来ていたのだが……
《でも予想外のトラブルってどんなトラブルなんでしょうねえ……》
これまでの話を聞く限りはそんなことは起こりようがないと思うのだが―――でも予想ができないから予想外というわけで……
《フィンさん達とは定期的に連絡はできるわけだし……》
彼らの逃走経路はすっかり分かっている―――というよりこちらが大いに協力した結果この経路なのだ。
宿泊場所もその建物の構造などもすっかり分かっている。すなわちフィン達が寝る部屋がどこかも分かっているので、そこから見通せる場所で発光信号のやりとりができる。
また彼らは遠巻きに追跡されているので、何か異変があったらすぐに駆けつけることができるし、逃げ出してそちらと合流してもいい。
ロータに着いた後だとさすがにそこまで簡単ではない。街の周囲にはアロザール軍が駐留しており、本部は大きな砦で出入りはかなり厳しい。
しかしロータの街はアキーラのような城塞都市ではないので、街中までは様々な方法で潜入できるという。
さすがに砦の中と直接コンタクトするのは厳しいが、元々そこはレイモンの砦だ。見取り図などはしっかりあるので、同様にフィン達が居住する可能性のある部屋も限られる。
そこを見通せる場所となるとこれはかなり制限されることにはなるが―――そこは魔法使いの協力があれば問題ない。
ただし昼間に空を飛んでいるわけにはいかないので、夜を待たねばならないだろうが……
それに何かあった場合、フィンならば脱出もできるだろう。
確かに彼の魔法は正直アラーニャにも劣るわけだが、彼にはアウラと共にそれを使いこなしてきた豊富な経験があるという。
また何か本当に非常の場合は信号弾を打ち上げることになっている。
これはレイモン軍では普通に使われていた連絡手段だが、当然他の者にも見えてしまうので緊急時にしか使えないが……
《とすれば……あとはサフィーナが何かドジを踏まなきゃいいだけですね》
しかし彼女はフィンにくっついていればいいだけで、交渉ごとなどはみんな彼がやってくれるはずだ。
何らかのトラブルで戦いになったとしても、その場合はむしろ戦力として当てにできる。
何しろ彼女もまたヒバリ組で散々戦ってきているのだ。ディロス駐屯地でケガをしたときは、メイが一人で突出してしまって焦っていたわけで……
《あれは誰だって慌てちゃいますもんね……》
今から考えれば彼女が戦闘指揮を取っていたというのも大概だったわけだが……
《んー、やっぱ大丈夫ですよね。これだったら……》
アルマーザがそんなことを考えていると、横の方でファシアーナが大あくびをした。
「ちょっと! ちゃんと聞いてるの?」
ニフレディルが突っついているが……
「あ? 聞いてるって。大丈夫だよ」
あはははは。本当にこの人は……
見ると横でアラーニャも苦笑していた。
《それじゃ最大の問題はやっぱりシアナ様のお部屋ですか?》
ルンゴでこの大魔法使い達と出会うと、アラーニャはすぐにその弟子となった。
それから彼女はずっと魔法使いたちと一緒だったが、それを覗いていたのを見つかって以来、アルマーザも一緒に生活することとなった。
《確かに魔法のこととかも教えてくれるんですけどねえ……》
しかしそれ以外の時間の大半が、ファシアーナの小間使いみたいになってきているのだが……
《あれ、パミーナさん一人でやってたんですからねえ……》
彼女の部屋にはちょっと目を離すと何故かぐちゃぐちゃになってしまう魔法がかかっているらしく、アルマーザが来るまでは彼女が片付けていたようなのだが、人の力には限界という物がある。
《リディール様が怒って魔法で片付けちゃったのはすごかったけど……》
これまでファシアーナがゴミの山に埋もれてしまわなかったのは、時たまニフレディルがそんな風にぶち切れていたかららしい。
《なーんかほんとに普段通りみたいなんですけど……》
宿屋のファシアーナの部屋は、来たばかりなのに既に足の踏み場がなくなりつつあるが―――そんなことを考えていたら、ラルゴが状況報告を終えて次の議題に入る。
「では続いて明日のみなさんの作戦についてですが……」
一同からおおっという声が上がる。
そう。全く何もすることがないというのも退屈なので、ささやかなミッションが用意されていたのだ。だがこれも作戦というよりはただのお使いみたいなもので……
《アカラとかルルーが来れなかったのは残念でしたねえ……ふふっ》
これはもうちょっとしたアトラクション付き観光旅行みたいなものなのだ。
あの離宮が綺麗なのはいいが、やっぱり彼女たちは行動派であった。野山を駆けまわっているときが一番楽しいのである。
二日目の昼、フィンとサフィーナは荷馬車でゴトゴトと移動していたのだが……
《だーっ……暑い……》
―――この暑さは少々想定外であった。
何しろ今は八月の半ば。一年で一番暑い季節だというのに、彼らは幌のついた荷馬車に隠れるように乗っているのだ。
しかも馬車の中は引っ越し荷物満載だ。
荷台にはうずたかく長持ちが積み上げられていて、その前には小さなタンスがある。その間に家財道具の入った箱や、袋詰めの布団なども詰め込まれていた。
二人はその間に辛うじてできた隙間に並んで座っていた。
その上、彼らがいることに気づかれてはならないので、出入り口は閉ざされていて、風がほとんど通らない。
しかも今日は昨日と違ってとてもいい天気だ。すると真上からの直射日光が外から馬車の中をガンガン暖めてくれて、もうサウナの中のようだ。
《うー……でもこれっきゃなかったもんなあ……》
夜中にコソコソ移動しているのが見つかったら間違いなく怪しまれてしまう。もう少し我慢するほかはないわけで……
と、そのとき御者台の方から声がした。
「旦那様、大丈夫でございますか?」
「何とかな……あとどのくらいだ?」
「まだまだでございます。夕方くらいにはなるんじゃないでしょうか」
「うへー……」
「それよりサフィーナ様は大丈夫でしょうか?」
「ん」
隣に座っていたサフィーナが返事をした。
彼らをエスコートしていたアロザール諜報組織メンバーは三人いて、リーダーがいま喋ったモデストという男で、その他に見張り台に来ていたヴェルスと御者のランブロスという二人の部下がいた。
《ギルってのがいたら心強かったんだけどなあ……》
ギルは組織に潜入している内通者だが、組織では下っ端なので囮の方に回されても文句が言えなかったのだ。
《でもまあ、計画通りなら何の問題もないはずだけど……》
だがこいつらはほとんど素人だ。向う側の方で勝手にずっこけるようなことも、無いとは言えないのだが―――そのあたりはアリオールの方も最大限の配慮をしてくれるだろうが……
と、そのときゴトンと馬車が大きく揺れた。
「わっ」
「んわっ!」
思わずサフィーナがフィンの膝の上に転がってくる。
フィンは慌てて彼女の体を支えた。
《あれ? 結構熱いぞ?》
体がずいぶんと熱を持っているが……
「大丈夫か? 気分は悪くないか」
「ん? まだ大丈夫」
「水はしっかりと飲んどけよ? あと時々そこの塩もなめた方がいい」
「ん」
サフィーナはうなずいて、水筒から水を飲む。この様子なら大丈夫そうだが……
そんな彼女を見ながらフィンは昔、似たようなことがあったのを思いだした。
「はは。そういえばあのときだよな。ぶっ倒れちゃったのは……」
フィンが思わずつぶやくと……
「ん? 誰が?」
サフィーナが尋ねる。そこでフィンは……
「あ、メイだよ」
と、気軽に答えたのだが……
「えーっ? メイが?」
急にサフィーナが居住まいを正した。
「メイが倒れちゃったの?」
なんかもう真剣な表情なのだが……
「え? 昔の話だよ? 前に一緒にベラのハビタルって所に行ったことがあって、そこがまたここみたいに暑かったんだ」
「んで、どうして倒れたの?」
「それがな、何かトイレに行きたくなるからって、水をあんまり飲んでなかったんだってさ」
「えーっ? そんなことしたら死んじゃう!」
「ああ。もうびっくりしたさ。なんかいきなりこてって倒れてきて、白眼むいて気絶してるんだから」
「えーっ!」
「それで近くの農家に行ってな、頭から水ぶっかけたら息を吹き返したんだけど……」
「ん」
「そしたらそうそう。いきなりね、何もない方向に向かって『うわあ、ベル君がなんて姿に!』なんて言うもんだから、みんなてっきり錯乱してるのかと思ってな」
サフィーナの目が丸くなる。
「なに? それ?」
フィンは笑って答えた。
「いやね、そのベル君って、乗ってた馬車のことだったんだ」
「馬車?」
「うん。彼女、馬車にベル君って名前つけてたみたいなんだよ。それが泥道を走ってドロドロになってたのを見てそんな風に言ったみたいで」
サフィーナは一瞬絶句していたが、今度は笑い出した。
「あははははっ。へえ。メイってすごくしっかりしてるのにねえ」
「ま、今はそうだけど……」
ってか図太いって言った方がいいとは思うが……
「でもあの頃は初々しかったんだよなあ……」
フィンが少し遠い目でつぶやくと、サフィーナもうなずいた。
「あ、王女様も言ってた。昔はクリンみたいだったって」
「クリン?」
「うん。侍女の子なの。十五才っていってたかな? で、王女様がそう言ったら、メイ、目が三角になっちゃって……」
「へえぇ」
「そのクリンってね。コーラの妹なんだって」
「あ、そうなんだ」
コーラとは出がけにサフィーナを案内してきたレイモンの侍女だった。
当然のことながら、ベラトリキスに仕えたいという侍女の志願者は国中に星の数ほどいた。だが前述の理由で彼女たちには秘密が多い。そのため直接に仕える侍女はアリオール腹心の部下の家族から選ばれていたのだ。
しかしそういう者となると今度は数が限られてしまう。そのためかなりの年配のおばさんだったり、彼女たちのように姉妹でやってくることもあった。
だからこそ今回の作戦にも協力してもらえたのだが……
「水、いいかな?」
「うん」
サフィーナから水筒を受け取るとフィンは喉に流し込むが―――それはほとんどお湯になっていた。
《あー、また汲んできてもらわないと……》
飲んだ端から汗になって流れているような気がするが……
そのときだ。「ヘイヤーッ」というかけ声と共に、馬車が停止した。
それから、コン…コンコンコンと壁を叩く音がする。
フィンとサフィーナは顔を見合わせる。
《来たっ!》
二人は各々一番下の長持ちの側板を外して中に潜り込んだ。
積み上げられていた長持ちにはこのような細工がしてあって、非常時にはこうやって中に隠れられるようになっていたのだが……
《ぎゃーっ! 暑いぃぃぃ!》
そこに入っているともう全く風が通らない上、真っ暗でほこり臭い。まさに箱の中で蒸し焼きにされている気分なのだが……
『あの、何でしょうか?』
モデストの声がするが―――それに答えたのは女の声だった。
『あー、それがねえ、ちょっと人捜ししてるのよ』
大変聞き覚えのある声だ。
『ど、どんな人を探してるんでしょう?』
『それがね、こういう二人組なんだけど』
………………
フィンはその情景がありありと想像できた。
《ふふ、真っ青だろうな、内心……》
彼らは多分あまり検問に会うことはないと想定していた。
なぜならまずレイモン側はル・ウーダ・フィナルフィンが実は生きていて、しかもベラトリキスの一人を連れて逃げているとはなかなか公表できないだろうということだ。すると身内だけで捜索しなければならず、そうなれば追っ手の網は粗いと考えられたからだ。
また、アロザールの諜報組織の協力があることも知らないはずなので、そうすれば土地勘のないル・ウーダとサフィーナだ。まずは街道沿いが押さえられるはずだ。
それに大規模な探索が行われても、レイモン平原の裏道全てをカバーするのは困難だ。
実際に彼らの通っている裏道は、本当にこんなところを通れるのか? と思えるような道だった。呪いのせいで放棄農場が増えたせいで、その間をつなぐ道は草ぼうぼうになっていて一見ただの野原にしか見えない。先ほど馬車が大きく揺れたのも、そんなところを走っていたのが原因だ。
そのため今まで追っ手にも検問にも会わなかったのだが……
《でもちょっと想定外だったんだよな……ふふ》
諜報員側としてはそういう計算だったのだが、ここで仲間を攫われてぶち切れたベラトリキスが捜索に加わるとは想定していなかった。
『どう? その人相書きに見覚えない?』
聞き覚えのある声とは、もちろんリサーンの声だ。
『い、いえ、心当たりはございませんが……』
彼女たちなら空の上から探索できる。森の中ならいざ知らず、このような平原を走っていたら一発で発見されてしまうのだ。
『あーったく、このクソ暑いのにまた外れかよ?』
これはシャアラの声だ。
『でも、中、調べてみないと』
アウラの声だ。
『え? そんな奴は乗せてませんよ?』
モデストの声に焦りが見えるが、リサーンが答えた。
『あー、ほら、あなた達の知らない間に勝手に乗られてるかもしれないから。そういう悪賢い奴なのよ。こいつは』
………………
『まあ、それでしたらご覧下さい』
モデストは仕方なく同意する。
『悪いわねえ』
続いて後ろの幌が開けられる音がするが……
『うわー、いっぱいあるねえ』
アルマーザの声だ。
『へえ、一家全員の荷物なんで……』
『じゃ、ちょっと中見せてもらうから』
『え?』
『一応みんな開けてみないと』
『ええっ⁈』
モデストが驚愕したようすだ。だがアルマーザが答える。
『あ、大丈夫ですよ? おじさん達の手は取らせませんから……じゃ、お願いしまーす』
『本当におまえら、人使いが荒いよな?』
ファシアーナの声だ。
『だってあいつならやりかねないからってミーラ様が言ってたじゃない』
『ったく……』
リサーンの言葉にファシアーナが渋々といったようすで答えると、途端に馬車が揺れて、ゴトンゴトンという音がし始めた。
《あは、あいつら、肝を潰してるだろうな……》
これはファシアーナが魔法で馬車の荷物を次々に取り出してはあたりに並べている音だ。
『さすがにこんな下の方には入ってないんじゃないですかー?』
アルマーザの声だ。
『ま、一応見といて』
『はーい』
それからフィンの上の長持ちがなくなると馬車に誰かが入ってきて、彼らが入っている長持ちの蓋を開ける音がした。
もちろん一目見ただけなら衣類の詰まった長持ちだ。ただ本気で中を引っかき回されると、上げ底だということがバレてしまうのだが……
『こっちにもいませんよー』
彼女がそのようなことをするはずがなかった。
『分かったわ』
そして今度はしばらくゴットンゴットンと出された荷物が次々に戻される音がした。
『ごめんね。手間とらせちゃって』
リサーンの声だ。
『い、いえ……』
モデストは声が裏返りかかっている。
それから一同が口々に話す声が聞こえてきた。
『本当にもうなあ、ムカつくったらありゃしないよな』
『ああ、本気であのとき焼いときゃ良かったんだよ』
『見つけたら、ただじゃおかないから』
『あのー、二人とも見つけ次第焼いたり斬ったりしないでね。ミーラ様に言われてるでしょ?』
『ん、まあな。努力はするよ』
『大丈夫。殺さないようにするから』
『でも、あの子もバカですよねえ……あんな奴についてくなんて……』
と、そこでモデストが尋ねる声がする。
『あ、あの……』
『ん?』
『一体全体、誰を探してらっしゃるんで?』
『あー、それは秘密なの』
『もしかして、皆様方のお仲間とか……?』
………………
『だーかーら、秘密なのよ? でもまあ、それっぽい奴を見つけたら、近くの駐屯地とかに連絡してもらえる? 結構な報酬ももらえるから』
少々怒気を含んだリサーンの言葉に、モデストが慌てて答える。
『承知いたしました……』
『しょうがないなあ、んじゃ次行こうか』
とシャアラが言ったそのときだった。
『あの、少々お待ちを』
『ん?』
不思議そうなリサーンの声がするが―――聞いていたフィンもびっくりした。
《いったい何する気なんだ?》
最初のうちは笑いを堪えるので大変だったが、やがて暑さで本当に朦朧としてきていたのだ。
モデストは御者台に上がってごそごそしていたが、また戻っていくと……
『あの、これにサインを頂けませんか』
『ええっ?』
『皆様方に会って話できたとあれば、もう親類縁者中に威張れますんで』
『あはは。いいわよ』
おいこら!
フィン達がそれこそ蒸し焼きになろうとしているのに……
『あ、それならあっしにもお願いします』
『あっしにも』
ヴェルスとランブロスまで同調している。
《おい、ちょっと待てよ……》
だがここで騒ぐわけにはいかない。
………………
しばらくして……
『……はい。できましたよ』
アルマーザの声だ。
『ありがとうございますだ。これで娘も喜びます』
ランブロスの声だが……
『え? 娘さんがいるの?』
『はい。今年八つになりまして……』
『へえ、名前、何ていうの?』
『え? リアといいますが……』
『あ、じゃ、ちょっと待ってね♪』
おい、こら何してるんだ?
………………
それからまたしばらく待たされた挙げ句……
『はい。これ。リアちゃんに』
『あ? このかわいらしい動物は?』
『カワウソのアルちゃんとマーザちゃんっていうんですよ』
『素晴らしい! 娘も喜びます! 本当にありがとうございました!』
ランブロスが驚喜している。
《あ、アルマーザって絵も描けたっけ?》
前に何かに落書きしてるのを見たことがある気が―――って、本当に気が遠くなってきたんだけど……
『え? そんなに気に入ってもらえた? じゃあお友達の、ちょっと意地悪なリサちゃんとか、実はこの子たちのお母さんは、かの大魔法カワウソの……』
まてこらーっ!
『ちょっと! そろそろ次に行くわよ』
と、そこでさすがにリサーンが割り込んだ。
『あー、じゃ、そういうことで』
『いえいえ、ありがとうございます!』
『んじゃ、引っ越し頑張ってねー』
『ありがとうございます』
『よっしゃ、じゃあ行くぞー』
『おう』
―――それからやっとモデスト達が戻ってくると、トーントーントーンとゆっくり壁を叩く音がした。
《やっとかよ……》
フィンは即座に長持ちから這い出した。サフィーナも同時に出てくる。
「うはー、死ぬかと思った」
くそ暑かった荷台がひんやりしているようにさえ感じられる。
「暑いー」
サフィーナもクラクラしている様子だ。
それからフィンは外に向かって怒鳴った。
「おい、なんでサインなんてもらってるんだよ!」
彼は半分本気で怒っていたのだが……
「すみませんです。でも本物のベラトリキスに出会えたなら、みんなこうしませんか?」
………………
…………
「うー、かもな……」
彼らもレイモン人として振る舞わなければならないのだ。
しかし、彼らも心底ほっとした様子だった。
そしてフィンがサフィーナの方を見ると、肩掛け鞄を覗いていた彼女が小さくうなずいた。
《よし。作戦成功だな……》
彼女の鞄の中にアルマーザが非常連絡用の信号弾を忍ばせてくれたのだ。彼らの荷物はモデスト達が用意したものだから、今更その中が調べられることはない。
作戦は順調に進行していた。
その日の夜、フィンは窓辺の長椅子に腰を下ろして、一生懸命に考えていた。
《えっと……どうしよう?》
フィンは側のテーブルの上にあるデキャンタを取ると、ワイングラスに注いで一口飲んだ。
《あはは。いいワインだよなあ……》
レイモンではワインは比較的高級品なのだ。こちらで一般的な酒というと、ビアかフランマになるが、ビアならともかく……
《あはは。ありゃ冬ならいいけど……》
しかもうかつに飲み過ぎたら一発で潰れてしまうが―――シャワールームから水音が聞こえてくる。
彼は思わず振り返り、部屋の中を見回した。
《あは。それに今日はいい部屋だよなあ……》
夕べの寝床に比べたら地獄と天国だ。
昨日泊まったのは完全な廃屋だった。放棄されてからもう何年も経っているようすで、母屋は屋根が崩壊していて危険なので、寝たのは納屋の一角だ。
まあ、寝藁はたくさん用意されていたのでそれなりに寝られることは寝られたのだが、午後からしとしと降っていた雨が夜半にかなり激しくなって、雨漏りがしてきたのは少々難儀だった。
《でも彼女、それでも平気で寝てて……》
誰かが彼女は野生児だからどんなところでも寝られると言っていたが……
しかし今日の宿は同じく無人の農場なのだが、例の農場合併があるまでは使われていたところで、少々埃は積もってはいたが今すぐにでも住めそうな所だった。
《いや、でも明日が肝心だからな……》
この二日間はレイモンの圏内だ。そのためこのように隠密裡に行動しなければならなかったのだが、ここからアロザール圏との境界まではあと僅かだ。なので明日はここから一気に馬でレイモン圏を抜ける予定なのだ。
《だからまだ暗いうちに出立するわけで……》
そうしてあちらに入ってしまえば後はアロザールの部隊に護衛してもらって、そうすれば夕刻にはロータに着いているだろう。
《追っ手のレイモン側も必死のはずだから……》
ここはこの逃走劇で一番緊張する場面なのだ。だから―――シャワールームから、さわさわさわと水音が聞こえる。
《いやあ、昼はひどい目に遭ったもんなあ……》
一応予定通りだったとはいえ、あの長持ちの中は暑くて暗くて狭くて埃臭くて身動き一つできなくて―――まさに拷問だった。
信号弾の受け取りという重要なミッションだったから仕方がないとはいえ、何だか調子に乗ってイラストまで描いてやってる奴までいたし、おかげで結構体力を消耗してしまった。だからやはり今日は早めに寝ていた方がいいわけで……
と、そのとき水音が止まった。
それからバサバサッとタオルで体を拭く音が聞こえてきて、思わずフィンがそちらに目を遣ると―――シャワールームから全裸のサフィーナが出てくるところだった。
!!!
ショートカットにした髪型もあって一瞬男の子にも見えたが、うっすらと盛り上がった胸の上にちょこんと立っている可愛い乳首は紛れもなく女の子のそれだ。
その腰から太ももにかけてのラインは、小さいながらも成熟した女性だ。
脇腹にはディロス駐屯地で受けたと思われる真新しい傷跡が見えるが、そんな物は気にならないどころか、今ではそそるポイントになっていたりするし……
《綺麗な足だな……》
その歩き方にはアウラを彷彿とさせる、なにやら獣じみた美しさがあった。
そんな姿に思わず見入っていると……
「フィンも入ってくる? 気持ちいいよ?」
彼女と目が合った。
「ちょ、ちょ……」
彼女は真正面を向いていて、何も遮るものなくその体のすべてが見えてしまうのだが……
「ん?」
不思議そうにサフィーナが首をかしげて、それからベッドの上に置いてあった例の“晴れ着”を羽織った。
もちろん彼女はあの服を持ってきていた。
しかしあのときは下にズボンやシャツを着ていたのだが、今は素肌の上にそれを纏っているだけなのだ―――するとそのゆったりしたドレスの袖口や胸元から、彼女の胸や脇の下が垣間見えて、裾からは健康的な素足が伸びていて……
《うわあ……》
そう。ここでフィンは一つの決断を迫られていた。
彼はグラスを取り上げて、もう一口ワインを飲むと、再度部屋の中を見回した。
部屋には必要かつ十分な物は揃っている。
シャワーの水は十分で、いつでも汗が流せるようになっている。
部屋の隅には大きなベッドが一つあって―――そこに枕が二つ用意されている。
《あはは……準備良すぎだよな……》
計画では単にこの農場に宿泊するというだけの話だったのだが―――どうやらモデスト達が気を遣って特別に準備してくれていたらしい。
しかも二人はいま愛の逃避行中なのだ。部屋にベッドが一つだったからといって、文句を言う筋合いは微塵もない。
《うー……でも今日はちょっと疲れたしなあ……》
そうフィンは心の中で独白したのだが―――そのとき窓から涼しい夜風が吹き込んできた。
「ん、気持ちいいね」
サフィーナが深呼吸する。
「ああ」
その姿を横目で見ていると、フィンは自分の股間がむくむくと大きくなりつつあることに気がついた。
《うへえ……》
昼間は暑さのせいでかなりバテたと思ったのだが、実は単に座っていただけで大して体を動かしたわけではない。
そのうえ夕食も、黒パンのハムサンドに果物といったものではあったが、量は十分でお腹もいっぱいだ―――要するに結構元気はあるのだ。
《えっと……》
フィンは葛藤していた。
《えっと……抱いちゃっていいのかなあ……?》
まずもって彼らは恋人同士という触れ込みだ。こんな状況で何もしないというのは、まさに不自然と思われかねない。
《でもプラトニックな間柄だったから、というのは……》
いや、それはあまりにも嘘っぽいし……
《じゃあやるだけやって飽きてるから、というのは……》
いや、このル・ウーダならありそうな話だけど、やっぱそりゃないだろ?
すなわち今の設定では彼女をここで抱いてやるしか選択肢がないのである。
しかも……
《彼女……俺のことが好きなんだよなあ……》
この間それでメイが大迷惑を被っていたわけで……
ただ、彼女がそうだったとしてもフィンの方からは―――なんと言ったらいいのだろうか? 彼女たちのことはそれこそ心の底から尊敬しているというのが正しいのだ。
この何ヶ月か一緒に過ごしてみて、彼女たちは心底信頼できる仲間達という位置づけで、何というか恋人みたいなイメージでは考えられない、のだが……
《でもそれが一期一会なんだよな……》
そう。彼女たちにとって、男と寝られるというのは人生最大のイベントだった。
しかもその相手が好きな男だったなら、それがどんなに素敵なことか?―――そんな彼女の気持ちを無碍にできるだろうか?
そのうえ、ついこの間まで最大の障害だったヴェーヌスベルグの呪いの問題も解消している。
《あのバカが言ってたもんなあ……》
せっかくだから呪いを解いてやんなさいよ、とか……
《だからそれで呪いが解けるかどうかはまだ分かってないわけで……》
でも、フィンに呪いが効かないこともまた明らかであって……
《いや、呪いが解けたってことは、一期一会の機会じゃなくなったってことだろ?》
そのことを彼女たちは本当に喜んでいたわけだが―――でも生まれてから今まで培ってきた習慣がそう簡単に変わるはずもなく、彼女たちにとっては相変わらず男と寝床を共にすることは一世一代の晴れ舞台なのだ。だから彼女はこの任務にあの晴れ着を持参してきた。
《あれ作るのって、すごく手間がかかるって聞いたけど……》
彼女たちの母親たちが、娘たちの記念すべき日のためにこつこつと作ってくれた結婚衣装も同然の物だというが―――だから最初はそんな大切な物は着てこない方がいいだろうと言ったのだが……
『えーっ? ここで着ないでいつ着るのよ?』
と、誰もが不思議そうに首をかしげながらそんな返答を返してくるのだ。
そして、普通ならばこんな場合、最大の障害になるのがアウラの筈なのだが……
《なんかもう、あっけらかんと『いいんじゃない?』とか言うし……》
確かに彼女だって色々なところでお泊まりしてくることはよくあるのだ。
エルミーラ王女とは昔からだし、こちらに来てからはファラがそれに加わって、ここ最近はリエカさんともよく一緒だし……
《でも彼女が女を相手にするのと、俺が女を相手にするのじゃ意味が違うと思うんだけどなあ……》
もしアウラが別の男と同衾していることが分かったら、フィンは平静でいられる自信は全くないのだが―――まあ、そんなことは万に一つもあり得ないと確信はできるが……
そして今見たとおり、彼女の裸身は美しかった。
―――いや、人によっては胸がないところとかが問題にはなるだろう。
しかしフィンがツボってしまうポイントはその腰から足のラインとか、猫のような身のこなしなどにあって、しかもアウラが小さかった頃ってこんな風だったんじゃ? などと思ってしまうと―――フィンのモノはますますそそり立ってくるのである。
《いや、だから幼女趣味があるってわけじゃないんだけど……》
えっと、彼女を幼女とか言ったら失礼かな?―――じゃなくって‼
そのうえ、かつてアロザールにいたときには、チャイカさんの妖しすぎる色香に日々苛まれていたのだが、それを耐え抜く原動力となったあの誓いももうなかった。
そして、なのだ……
―――今日、夕食を終えてこの寝室に案内されたときのことだ。
《え? なんだ? この部屋って……》
こざっぱりとした部屋だ。隅にはシャワールームもあって、なかなか居心地は良さそうなのだが、奥にあるのは大きなダブルベッド一つ。そこに枕が二つあるのが見えて……
「どうか今日はごゆっくり」
モデストが手にしていた盆を窓際の小テーブルに置いた。
「よろしければお召し上がり下さい。お口に合うかどうかは分かりませんが……」
そこには小さなデキャンタにワイングラスが二つ置いてあった。
フィンは一瞬面食らった。だがすぐにここで騒ぎ立てるのはまずいと気がついた。
「あ、わかったよ。ありがとな」
「はい。それでは」
そう言ってモデストは出ていった。
後は部屋に二人が残された。
フィンはサフィーナの方をチラリと見るが―――彼女は部屋の中を物珍しげに眺めている。
彼は動揺を隠しながら窓際の長椅子に座った。
「はあ、やっと涼しくなったなあ……」
平静を装ってそう独りごちると……
「そだね」
サフィーナもフィンの横に腰掛ける。
「昼間は大丈夫だったか?」
「いや、暑くて死ぬかと思った」
「あは。だよなあ……おまけにあいつら、サインとかもらい始めるし」
「ん」
「おまけにアルマーザは調子に乗るし……あの子、絵も上手いのか?」
「ん。あいつ、何でも上手なんだ」
確かそんなことをメイが言ってたような気もするが……
フィンは大きく深呼吸した。
ふわっと夜風が吹き抜ける。
《さて、それから何を話そうか……》
そう考えてから、二人の間に共通の話題があまりないことに気がついた。
《確か昼間メイの話をしたらえらく食いついてきたよな……》
とは言ってもフィンも彼女とそこまで親しかったわけではない。ハビタルに一緒に行ってからまともに話したのはこちらで再会してからだし……
彼がそんなことを考えていたときだ。
「なあ、フィン」
「ん、なんだ?」
サフィーナが潤んだ瞳で彼を見つめると……
「する?」
………………
…………
……
するって―――何を? って、そりゃこういう場合……
「え、あ……」
彼が思わず口ごもるが、それを見てサフィーナはOKだと思ったのだろう。ニコッと微笑むと、彼女の荷物の包みからあのドレスを取り出してベッドに置いた。
「じゃ、ちょと浴びてくる」
そう言ってシャワールームに入ってしまったのだ―――
そう。彼女はもう完全にやる気満々だった。
「えっと……どうだ? 一杯飲む?」
フィンはとりあえず彼女にワインを勧めてみた。
「ん」
そこで彼はもう一つのグラスにワインを注ぐ。
サフィーナはそれを手にして匂いを嗅ぐと、こくっと一口飲んだ。
「えー、これ美味しいねえ」
「ああ。どうもシルヴェスト産らしい」
「ふーん」
そう言ってサフィーナはワインを飲み干すと……
「もう一杯くれる?」
「え? あんまり飲むと……」
「ん。これだけにしとく。でないと寝ちゃうから」
フィンは二杯目を注いでやりながら考えた。
《なるほど、自己管理もしっかりできるのか……うっかり酔い潰れてくれたら……》
良かったのだろうか? 悪かったのだろうか?
ともかく、結論から言えば……
《断る理由がないんだよな?》
こうなればフィンも腹をくくるしかなかった。
とは言っても体の方はもう十分にスタンバイできているわけで……
「あ、じゃ、ちょっと信号送るから」
「ん」
フィンは立ち上がると窓際に行って外をうかがった。農家の周囲は森に囲まれていて、この時間は真っ暗だ。
《あっちの方って言ったよな……》
フィンはカンテラを持ち上げると、連絡員がいる方向に万事順調という内容の発光信号を送る。
しばらくすると森の木の梢あたりで了解の信号が点滅した。
《よっしゃ、それじゃ後は……》
振り返るとサフィーナと目が合った。
頬はバラ色に染まり―――期待に満ちたキラキラした眼差しがフィンを見つめている。
《うわ……カワイいなあ……》
思わずそのままぎゅっと抱きしめてしまいそうになったが、フィンは自制した。
「じゃ、ちょっと僕もシャワーを浴びてくるから」
「ん」
到着したときにあまりにも汗だくだったので早々にシャワーは浴びたのだが、あれからずいぶん経っていた。
《せっかくだから綺麗にしといてやらなきゃな……》
フィンはシャワールームに入ると服を脱ぎ捨てた。
中には大きな水瓶があって、水が半分くらい入っている。天井の梁から桶が吊してあって、その側面からシャワーのノズルがぶら下がっている。
ノズルの脇にあるコックを回すと水がシャーっと出てきた。
《確かに気持ちいいな……》
だがあまり使いすぎないように注意しなければならない。水が尽きてしまったら一旦桶を下ろして水を入れて再度吊り上げて、という作業が発生する。終わった後にそういうことをしているのは何かちょっと間抜けだし……
それはそうと……
《えっと……どうやったらいいかな?》
彼女はどんなやり方が好きなんだろうか?
アウラの場合はいつも向こうの方から乗っかってくるのだが、サフィーナはどうなんだろう?
《やっぱこっちからリードした方が?》
フィンとて決してそういうことに慣れていないわけではないのだが……
《でも、アウラはなあ……》
どうやらそれだと彼女はあまり満足してくれないような―――確かに彼女に任せていれば間違いはないのだが、でもやっぱりここは男の沽券という物もあるわけで……
そんなことを考えながらフィンは汗を流すと、体を拭いて腰にタオルを巻き付ける。それからシャワールームを出たのだが……
「あん?」
見るとサフィーナが長椅子の上ですやすや眠っている。
………………
…………
……
《おい! ちょっと待てよ‼》
フィンはがっくりと膝をついた。
《あれだけ悩ませた挙げ句が、このオチかよ?》
勝手に葛藤していたのはフィンの方なのだが―――それはともかく、こんなところでお預けとか、さすがに止して欲しいのだが……
《いや、でもからかわれてるって可能性もあるよな?》
ティアとかに変な入れ知恵をされていたとしたなら―――思いっきりありそうな話だが?
《だったらちょっとお仕置きだぞ? ふふっ》
そこでフィンはまずは彼女を抱えてベッドまで運んでいこうと立ち上が……
《??》
―――れないんだが?
それに何だ? この眠気は……
………………
……