第4章 与えられた命
《ちょっと……待ってくれよ……》
少々ふらふらとしながらフィンはアキーラ城の自室に戻ると、ベッドに体を投げ出した。
アラン王の裏切りが発覚してからというもの、連日防衛関係の会議に参加してきたが、この二週間はちょっと度を超している。
とは言ってもまさに緊急事態だ。
《ラーヴルが、陥落しただと……⁉》
ラーヴルはアイフィロス王国の首都だ―――すなわち、トルボ要塞が陥ちてから僅か半月で王国が滅んでしまったということなのだ。
………………
…………
……
《マジかよ……》
その事実を噛みしめるたびに呆然としてしまう。
そもそもトルボ要塞が攻略されること自体が想定外だった。
フィンもアリオールもみな、やってきた勢力でここを抜くことは無理だという前提で、戦略を練ってきたのだ。
ところがそれがこうも易々と覆されてしまった。そしてトルボを陥落させたサルトス軍は、そこから一気にディエタ山麓を抜けて、そのままラーヴルに侵攻していったのだ。
そんなことが可能になった理由はもちろん……
《本当に無念だっただろうな……》
薄々感づいてはいたが、それが確実になったのは先ほどだ。
アイフィロスからアルウィス王子の従者だったオトゥールが命からがら脱出してきたのだ。
―――オトゥールは着の身着のままで腕に大きな傷を負っていて、しかも追っ手を撒くために道なき道をほとんど飲まず食わずでレイモン領内に逃げ込んできたという。彼を発見したレイモン兵は最初は死んでいるのかと思ったという。
その知らせを聞いて軍関係者だけでなくエルミーラ王女たちも慌ててやってきた。アルウィス王子とオトゥールとは少なからぬ因縁があったからだ。
城に着いたときには彼は腕は吊っていたが、立って歩けるほどに回復していた。
エルミーラ王女が真っ先に声を掛ける。
「オトゥール様。よくぞご無事で……」
「ありがとうございます」
彼は大きく礼をするが、その表情はまさに悔しさに満ちあふれていた。
そこにアリオールが尋ねた。
「それで……あちらでは何が起こったのか?」
「奴らが……裏切ったのです……」
オトゥールはそう吐き出すように言って、歯を食いしばる。
あたり一同からおおっといった声が上がる。
「それはやはり……ヴェンドリン派か?」
「はい」
あたりはしんと静まりかえった。
それはまさに予想されていた答えだったからだ。
アリオールは大きくため息をついて、首を振った―――
アイフィロス王国が王位継承に絡んで揺れていることは事実だった。フィンはアウラから例の王子襲撃事件に関してその詳細を聞いて知っていた。
《でも、マジに国を売るとか……》
そう。彼らの手引きがあればそれはもちろん可能だった。
トルボ要塞はほぼ無血で陥落した。夜中に何者かが城門を開けて、そこから一気にサルトス兵が城内になだれ込み、まさに手際よく各拠点を制圧していったのだ。
その情報を聞いた瞬間、フィンもアリオールも内通を疑った―――でなければそんなことはほぼ不可能だからだ。アキーラ解放のときも、城内の一般市民が全員味方のような物だったからこそ成功したのだ。
アイフィロスではアルウィス派とヴェンドリン派が王位継承を巡って争っていたが、ヴェンドリン派が窮地に立たされていたのは明らかだ。でなければアルウィス王子を暗殺しようとは考えないだろうし、例の作戦がそれにとどめを刺したような形になっていたのだ。
すなわち彼らが敵方に寝返る動機は十分にあるのだが……
《でも……本気でやるか?》
フィンには全く理解ができないのだが―――しかし彼らはやったのだ。
トルボからラーヴルへは普通はメリス経由の街道を行く。これで行くのが一番早いからだ。
ディエタ山地の山麓には、メリスからトレンテ村へショートカットする脇街道はあるが、それ以外の道となると現地の者でなければ分からないような隘路だ。だが彼らはそこを抜けて主街道を迂回していきなりラーヴルを急襲した。
その際にはヴェンドリン派の兵士たちも共同しており、王宮は一気に攻め落とされてしまったという。
そしてそこで……
―――肩を落とすオトゥールにエルミーラ王女が尋ねた。
「それで、アルウィス様は?」
オトゥールはしばらく絶句する。そして―――黙って首を振った。
王女の顔から血の気が引いていく。
一緒に来ていたメイやヴェーヌスベルグの娘たちも同様だ。
だがそこで彼は顔を上げると、くっくっくと笑い出した。
一同が不思議そうに彼をみるが……
「しかし、奴らも……報いを受けました」
「え?」
「奴らは敵兵を城に引き込んで、王や王子を倒して満悦していたところを、今度はサルトス軍によってみな討ち取られたのです」
一同は顔を見合わせた。
「はは。ざまをみろ! ざまをみろ……でございます……」
オトゥールの言葉は嗚咽に変わっていった―――
一度裏切った者は何度でも裏切るものだ。だから裏切り者の末路は得てしてこういう結果になるものなのだが……
《でも容赦ないよな……》
こういう場合しばらくは傀儡政権として使うというのも有りだと思うのだが……
こうして現在アイフィロスはサルトス軍の支配下にあるという。だがそんな中でもあまり大きな混乱は起きていないらしい。
《アイフィロス王家って、結構浮世離れしてたからなあ……》
国民に強く支持されていたらこうはならなかったのだろうが―――アイフィロスの王家や貴族の目は都に向かっていて、民にはあまり向いていなかった。特に地方では貴族や領主が豪奢な生活をする一方、人々の生活はかなり貧しかったようだ。
だがそれでも大規模な叛乱が起こることはなかった―――というのが、国元がそんな状況だと知れたら都の覚えが目出度くなくなるからだ。
実際アイフィロスには様々な理由で都からの客人が多かった。かつてフィンたちが都落ちする際の第一選択肢がここだったし、冬を暖かなカレーラ地方などで過ごす貴族も多かった。
そんな人々の目に薄汚い民人たちの姿を見せるのは憚られるという理由で、結果として人々が完全に食い詰めてしまわない程度の為政は行われていたのだった。
そのことには国民たちもとうの昔に気づいていて、例えば圧政を敷く領主などがいたら国王ではなく都に直訴するなど、適当に折り合いをつけて暮らしていた。
結局、アイフィロスの国民から王家や貴族というのはあまり敬われておらず、むしろ白銀の都と大皇こそが人々の崇敬の対象だったのである。
なので人々は自身に火の粉が降りかかってこなければ、お上の混乱があっても静観の立場だった。
そして進駐したサルトス軍はそのあたりを上手くやっており、人々の日常生活にはそれほどの影響がなかったため、異国の兵が駐留しているという状況になってもそれで蜂起が起こったりはしなかったのである。
《このあたり……やっぱりアラン王だよな……》
彼は長らく小国連合をまとめてきた。それが可能になったのはもちろん敵のレイモンだけでなく同盟国の事情についても知悉していたからだ。
彼はアイフィロス王国が小国連合の中では一番脆弱で、レイモンに本気で狙われたらひとたまりもないことを良く理解していた。だからこそあのフェデレ卿に内通工作をさせて、アイフィロスよりももっと美味しい餌があるぞと見せかけていたのだ。
だから間違いなく今回の侵攻や占領政策については研究済みであった。
だから今回のような手際よい侵攻が可能だった。
《だからといって……やるか? 普通……》
それこそアイフィロスは長年小国連合として肩を並べてきた仲間なのだが―――それをこうもあっさりと……
《そこまでしてレイモンを潰したいってことか?》
本当に今更どうして? アラン王は何を考えているのだ? ここの所が何度考えても分からないのだが―――それはそうと……
―――嗚咽しているオトゥールにエルミーラ王女が言った。
「本当に良く生きていらっしゃいました。ともかくこちらでどうかごゆるりと傷をお癒やし下さいな」
だがオトゥールは首を振る。
「いえ、そうは参りません」
「え? どちらに?」
「私がこうして生き恥をさらしておりますのは、王子に命じられたからです。あの子たちを頼むと……」
王女たちが息を呑んだ。
「なので教えて下さい。ヴェーヌスベルグにはどう行けばいいか」
王女は一瞬言葉に詰まるが、すぐにうなずいた。
「それは、教えて差し上げられますが……今あちらは?」
それにはアリオールの腹心のラルゴが答えた
「バシリカにはアロザール第三軍が駐留しておりますからそこを通るのは無理でしょうが……」
「ですよね……」
オトゥールの顔が険しくなるが―――そこでリサーンが言った。
「あたしたちが通ってきた道なら? カルネって村からクォイオへ直接行く道」
ラルゴが少し首をかしげる。
「確かに行くことはできますが、道が分かりにくいと思いますが……そういえば皆さんはどうやって間違えずに?」
「そういやティア様。どうしてあの道分かったの?」
リサーンの問いにティアが平然と答える。
「え? どうやってって……突っ走ってたらクォイオに着いちゃったんだけど?」
一同があーっといった表情になった。
「ともかくその際には案内をつけましょう。それからオトゥール殿、せめて傷がもう少し良くなるまで静養なされた方がいいでしょう」
アリオールが苦笑しながらそう言うと……
「あ……はい」
オトゥールは不承不承うなずいた―――
などというやり取りもあったわけだが……
《あのアホはもう……》
レイモンの平原というのは街道から外れてしまうと似たような景色が多くて迷いやすいのだ。本当に悪運だけは強い奴だが―――などというのはともかく、今はそれどころではない。
フィンたちは全く洒落にならない状況に陥っていたからだ。
これまでは戦争になったとはいってもまずは南北のにらみ合いで、直ちに危険になることはないとわりとのんびり構えていられたのだが……
―――このように三方を敵によって取り囲まれてしまったのである。
そして以前なら都やフォレスへ逃れる経路も空いていたのが、今は少なくともフォレスに行くのは無理で、都に戻るのも敵の目と鼻の先を通っていかなければならないのだ。
《ちょっと、マジまずいだろ、これって……》
これまでの状況は南北の勢力は、南がやや多いとはいえお互いに手が出せないという意味ではほぼ互角と言えた。
しかしこうなって敵が三方から同時に攻め入ってきたとしたら、とても支えきれない。
以前フォレスにベラとエクシーレが同時侵攻してきたときも同様であったが、今回はその比ではない。
《ってか、ここずっと平地だし……》
あのときはセロ近辺の険しい地形が利用できたからあんな作戦も取れたわけだが、ここにはそんなことのできる地形的要害がない。
しかも前回は二方向だったが、今回は三方向からなのだ。
その上ベラ軍はいきなり招集された徴募兵主体で軍の士気も低く規律もなっていなかったのに対して、今回のシルヴェスト軍、サルトス軍、そしてアロザール第三軍はすべて精鋭と考えていい。
《防衛戦なんてのはどう考えても無理だよな……》
一応平原の戦いではこちらにアドバンテージがあるとはいえ、敵勢力は合わせればこちらの三倍以上になるのだ。そのうえ何とか緒戦を食い止めたとしても被害は甚大だろうし、波状攻撃を食らったら間違いなくすり潰されてしまうだろう。
フィンはベッドに大の字に転がったまま大きくため息をついた。
《ってことはやっぱり……》
それでもまだ彼らは絶望的な状況ではなかった。
あの後、関係者が皆集まってこの状況の打開策を話し合っていたのだが……
―――会議の場には重苦しい空気が漂っていた。
僅か半月前まではアイフィロス巡幸の警備をどうするかというのが最大の懸念点で、むしろのんびりした空気が漂っていたのだ。ところがあれよあれよという間に状況は悪化して、気がついたら四面楚歌という有様だ。
しかもアイフィロス国内での事態だ。こちらからは手の出しようがなく、指をくわえて見ているしかなかった。
《まあ、干渉できたとしてもどうしようもなかっただろうけど……》
まさにアラン王に完全にしてやられたということなのだ。
ともかく済んだことを後悔していても仕方がない。彼らはこれからどうするかを考えなければならないのだが……
《でもなあ……》
方策が全然ないというわけではなかった。むしろこうするしかないという一択なのだが……
《でもなあ……》
それをフィンから言い出していいものだろうか? 彼がそのように悩んでいたときだ。
「ちょっとよろしいかな?」
そう言って立ち上がったのは白髪のがっしりとした老人だ。
《ティグレ将軍?》
彼はガルンバ将軍同様に先々代のルナール王に仕えてレイモン王国をあのような大国にした功労者の一人だ。齢はもう七十近いと思われるが、いまだに矍鑠としている。
将軍は沈んだ一同をしばらくじっと見渡した。
「あのときもこのような様子であったな……」
一同の目が将軍に集まった。
「あの頃の我が国は、アキーラ周辺だけの小国であったが……」
その場にいたレイモン人たちが目を見張る。
「そこにウィルガから国を明け渡せなどという失礼な手紙がやってきて……誰もがあのウィルガ軍に勝てるはずがないと思っていた」
将軍はにやりと笑う。
「まあ、あのときとはまた状況が違うというのも確かだが……我々は今、共に戦おうとしてきた仲間を失ったわけだが……」
そこでまた将軍は一同を見渡しすと、にやりと笑った。
「お前たちの中で本気でアイフィロスを頼りにしていた者はおるか?」
!
一同は一様に目を見張る。
《あははは……だよなあ……》
これまでの両国の会議に出ていたものならば控えめに言って面倒、口さがなく言えば足手まといにだけはなるな、という相手であった。
《しかもあの裏切りがもっと後になっていたら……》
もしレイモンとアイフィロスが共同戦線を張って戦っている最中に後ろから刺されるようなことになっていたら、それこそ今より遙かに悪い状況になったのではないだろうか?
一同は無言であったが、心中にそのような思いが去来していたというのは間違いない。
「むしろアランには感謝せねばな。我々から軛を取り払ってくれたわけだから」
一瞬場に沈黙が訪れるが―――やがてアリオールが笑い出した。
「あはははは。まさにその通りですな。父上……たしかにこれで我々は心置きなく自由に動くことができるようになったと」
「そうだ。それに敵勢は我らの三倍だというが……」
そう言って将軍は同席していたメルファラ大皇后やエルミーラ王女、それにその女戦士たちを見る。
「そちらには三百倍の敵に取り囲まれてもなお、へこたれなかった方々がいるではないか?」
会場はまた一瞬の沈黙の後―――今度は爆笑の渦に包まれた。
彼女たちは何と答えていいのか分からない様子だが……
「そして我々は彼女たちから一つの教訓を得ている。攻撃は最大の防御ということがな」
アリオールが大きくうなずいた。
「あははは。まさにその通りですな……要するに、アラン王の首を取ってしまえばいいと?」
「ふふ。まあそういうことだ。簡単だろう?」
「ははは。まさに簡単ですな」
場はまた笑いの渦に包まれた―――
確かにいま彼らは非常に不利な状況に陥っている。
しかし相手にしているのは無敵の怪物ではない。そこには明らかなウィークポイントが存在する―――アラン王だ。
今の状況は彼が中心に動かしているのは間違いない。とすれば彼を倒してしまえば敵は自然と瓦解するだろう。
《簡単かどうかは知らないけれど……でも不可能じゃないよな?》
現在アラン王はシフラにいる。そこを守っているのはシルヴェスト軍だが、その総勢力であれば現在のレイモンと互角だ。すなわち戦って勝てる可能性は十分にあるということだ。
ただし、もたもたしていて敵に先手を取られたらこちらが詰む。なので敵がやって来る前にこちらから一気に打って出てアラン王の首を取ることができればいい。
だが……
《それって要するにシフラを強襲するってことだよな?》
シフラは元はラムルス王国の首都で、レイモン王国に属するようになってからは最前線の要塞として整備されてきた。当然防御が固く簡単には攻め落とせない。
要塞攻略となると通常は包囲戦―――大軍で取り囲んで敵を孤立させ、時間をかけてじわじわ攻めていくというのが定石的な戦法となる。歴史上の要塞攻略戦では年単位の時間をかけた例も多々あるし、少なくとも包囲する軍は防衛軍よりも遙かに多く、蟻の這い出る隙もないように取り囲む必要がある。
だが今の戦力ではそれは不可能だ。また悠長に包囲していたら背後からサルトス軍やアロザール軍に襲われることになってしまう。
だからもし今の戦力でシフラを攻めるとなると、例えば一気に城壁をよじ登って中になだれ込むといったような作戦―――強襲作戦に出るしかないのだが……
《んなの……》
フィンは首を振った。
というか、要塞というのはそんな方法では容易に攻略できないように建設された建造物なのである。
まずその周囲には堀が巡らされ、町は高い城壁で取り囲まれている。
敵が攻めてきたら城壁の上から矢で射ったり岩塊を落としてくるし、城壁の櫓の中には敵の魔導師がいて、やってくる軍勢に火の雨を降らせることもできるだろう。
攻め手にも魔導師はいるだろうが、上から場所を特定されて集中攻撃されれば安心して精神集中ができず、まともに魔法は使えない。
要するに強襲とはそんな場所にあえて突撃していくということで、一般的にはまさに愚策である。これが成立するのは相手が小さな砦だったような場合のみと通常は考えるべきだった。
《でも……できるかもしれないんだよな……》
なぜならどんなに強固な要塞でもその内部に敵がいれば驚くほど脆くなってしまうものだからだ―――まさにアラン王が既にトルボでそれをしてのけたわけで……
そしてシフラはここ四十年近くレイモン王国の一部であり、彼らの多くは既に自分たちをレイモン人だと思っている。
確かにラムルス王国からレイモンに編入された最初は混乱したが、中原全体がレイモンの支配下となって交易が自由になったため、特に商人にとってはむしろその方が都合が良かった。
しかし今後シルヴェストの支配下に入ると、そんな商人たちの活動がこれまでのように自由にはいかなくなってしまう。
すなわち、シフラの住民の手助けも十分に期待できるとなれば、この作戦も全く絶望というわけではないのだが……
―――そんな雰囲気のなか、近くにいたハフラとリサーンが話すのが聞こえてきた。
「簡単って……でもシフラってアキーラよりもずっと堅固よねえ?」
「エッタさんもびっくりしてたじゃない。アキーラよりずっと大きいって」
「それにもちろん消防隊が見張りしてたりしないのよね?」
「そりゃそうでしょ」
そうなのだ。確かにそうすれば原理的には勝利できる。
《でも、厳しいなんてもんじゃないよな……》
まさに全く絶望ではないというだけで、その先にどれほどの障害が待ち受けているのか、俄には想像も付かないのだが……
その会話はアリオールにも聞こえていたようで、彼は二人の方を見るとにっこり笑った。
「まさにその通りだな。シフラを攻略するのは……ちょっと大変だ」
「えっと、でもそれって……」
アリオールは首を振る。
「いや、これはいかに大変であっても我々が成し遂げねばならないことなのだ。自分の国を自分の力で守る……そんなことさえできなくなっていた我々に、文字通りあなた方は力を与えてくれた。その力を今使わずにいつ使うというのだ?」
ハフラとリサーンが驚いたような表情で彼を見つめる。
「アリオール様……」
アリオールはニコッと笑った。
「あなた方には心から感謝している。だから今度は安全な所から我々の戦いを見守っていて欲しい。そうだな? お前たち」
「うおおおぉぉぉ!」
聞いていたレイモンの軍人たちが一斉にうなずいた。
「うええ……」
リサーンが目を白黒させているが―――彼らは本気だった。
彼らはあの呪いによってその誇りを木端微塵にされた。
その怒りはコルヌー平原で一度敵を蹴散らした程度で収まるはずもない。彼らはまさに怒り心頭に達していたのだ。
《ちょっと、熱くなりすぎなんじゃ?》
ここで犬死にしてしまったら元も子もないのだが……
彼らの気持ちもよく分かる。しかしそのまま突っ走っていっても損害が出るばかりだ。ここはどうにかしてクールダウンしなければ……
フィンはそう思ってあたりを見回した。
しかしここで最も役に立ちそうなカロンデュールはぽかんとしている。メルファラ大皇后も状況が今ひとつ分かっていない様子だ。
《えっと、これってどうすれば……》
フィンがそう焦ったときだ。
「お怒りはごもっとも。ただ怒りにまかせて吠えていても詮ないのではありませぬか?」
どこのどいつがそんなセリフを⁈ といった調子で一同の目がその声の主に向かったが―――それは都の魔道軍総帥、マグニ・アドラートだった。
彼はそんな一同を見渡すと静かに話し始めた。
「さて今我々は大変な危機のさなかにいるというのは間違いありません。だからといって急いては事をし損じるということにもなりましょう」
再び彼はあたりを見渡した。
「そのためにはまずご一同には思い起こして頂く必要がございましょう」
それからアドラート氏は演説を始めたのだ。
「かつて、我々の祖先は東の帝国の暗き窖の中で光という物を知らずに過ごしておりました。ただただ永劫に続く圧政の下で、その日を生きていくのみの生活でありました。いや、それは生きると言うにはあまりにも死に近かったと言えましょう。ただ現在が続いていくだけ。そこには明日への夢も希望もない。ただ永遠の現在とは、いったい死んでいるのと何が違っていると言うのでしょうか?」
………………
《一体何を話す気なんだ?》
フィンが思わずあたりを見回すと―――エルミーラ王女とメイが何だか目を白黒させているのだが……?
「そこにかの御方が現れたのです。だがそのお姿は最初は普通の者と区別が付かなかったと言います。地味な灰色の服装をしたその方の背後には、黒と白のローブを纏った女性が二人付き従っておりました。でも別にそんな一行がいたからといって何も珍しくはありませんでした」
えっと―――いや、その話はみんな知ってると思うのだが……
「しかしその御方が立ちあがり口を開いたとき、人々は何か決定的に違うことが始まったことに気づいたのです……いや、圧倒的に多くの者は気づいてはいませんでしたが、それに気づいた者が確実に存在したということなのです。もちろん、その御方こそが、かの大聖その人でした」
アドラートはそこで少し言葉を切ると、ぐるっと一同を見渡した。
「大聖は人々に問いかけました。『お前たちは何をしているのか?』と……もちろんそれはひどく簡単な問いに思えました。自分が何をしているか知らない者などいないと。誰もがそう思いました。何人かの者はその通りに大聖に向かって答えました。すると大聖は微笑んで答えました。『そうか。分かっているか』と……」
と、そのときだ。
「あ、あの……」
エルミーラ王女が手を上げて話を遮った。しかし何故か彼女はそこで口ごもっているのだが……
「分かっておりますよ。エルミーラ様」
だがマグニ総帥はにっこり笑ってそう答えると、一同の顔を見渡した。
「この先のことは皆様もご存じだと思います。大聖は人々に問うたのです。お前たちは何をしているのか、何故お前たちはそうしているのか、そしてお前たちは誰なのだ? と」
そして彼はそこで目を閉じてしばし間を置いた後……
「なのでここで私もその問いに答えたいと思います」
王女の目が丸くなった。
隣のメイもぽかんとしている。
「まず我々がここで何をしているのかということですが……つい先の会議にて我らはカロンデュール大皇の名の下、恒久の平和を誓い合ったことは覚えておいででしょうが……まさにその舌の根も乾かぬうち、その神聖な誓いを破った不埒な裏切り者を殲滅するためだと答えましょう」
一同は言葉を失った。
「そしてなぜ我々がそれを行うかといえば、我が友のためです。大皇后様のご尽力により、これまで敵であったあなた方と我々は、晴れて友人となることができました。そしてアイフィロス王国とは確かに少々頼りにはならなかったとはいえ、都とはまさに古きからの友。その友を討ち滅ぼした者を許しておくわけにはいかないのは当然のことでしょう」
再びマグニ総帥はにっこり笑って続けた。
「最後に我々が何者なのかと問われれば……我々はそれを可能にする者だ、とお答え致しましょう」
あたりがしんと静まりかえる。
それからアリオールが彼に尋ねた。
「それはもしかして……」
「そう。まあ平たく言えば、我々はあなた方の戦いに全面協力するということですな」
「ええ? しかし……」
アリオールの顔が少し蒼くなるが……
「金額のことは心配ご無用。これは我々の戦いでもあるのですから」
彼はまたしばらく絶句したあげく……
「お力添え、誠に感謝申し上げます」
その場にいたレイモン人たちがみなマグニ総帥とカロンデュール大皇に大きく頭を下げた―――
《ちょっとびっくりしたんだが……》
フィンも都にいた頃から魔道軍の総帥、マグニ・アドラートのことはよく知っていた。
《でも……もっとおとなしい人だって思ってたんだけどなあ……》
彼はその魔法の才から魔道軍の総帥という立場になっていたのだが、温和な性格であまりそういうことには向いていないというイメージだった。
彼がレイモンが都に侵攻するという話を聞いてあのような工作を始めたのも、彼の率いる魔道軍にまともな対応ができるか正直危ぶんでいたからなのだ。
《総帥がシアナ様だったりしたらもっと違ってたかもしれないけど……》
そう思って軽く吹きだした。
《でもあの人、軍を統率するって感じじゃないしなあ……》
魔法の才能から言えば両者甲乙付けがたいのだが、性格というのはどうしようもない。
だが人は何らかのきっかけで変わることもある。
《そういえば王女様とメイが何だか挙動不審になってたよなあ……アルマーザに『アドラート様ってカッコいいんですねー』とか言われてたとき……》
―――まさか、何か関わってたりするのか?
………………
…………
《あはは。んなことないよな! それより……》
そう。これは大変な事態なのである。
マグニ総帥の言葉を額面通り取るのならば、現在こちらに来ている都の魔道軍の精鋭、三十人以上がその戦いに参加するということになる。
以前メイが一級魔導師は軍勢五百人に換算するという話をしていたわけだが、そうするとこれだけで一万五千。しかもそれは並の魔導師の場合で、今来ているのはまさに都の最精鋭だ。すなわちこれだけで総戦力三万近くの兵力があると言える。
しかもそれだけの魔導師が結集した戦というのも、ほとんど聞いたことがない。
なぜならばこれまでは都やベラが直接戦うことはせず、各国に魔導師を派遣してその国同士が戦うという形を貫いてきたからだ。
魔導師を雇用するには莫大な費用がかかる。従って通常の戦では多くて十人、普通は数名くらいの魔導師が参加するというのが関の山だった。
《あれ、マジビビったもんなあ……》
ロムルースが血迷ってフォレスに進軍してきたとき、ベラの一級魔導師が十八人いたわけだが―――そんなことはベラだからこそできたことで、普通は不可能なのだ。
《それが今回は三十人⁉》
間違いなくシルヴェストの魔導師を全て投入しても全然足りないだろう。だがそこでベラに泣きついたにしても、このアラン王の暴挙にはベラも賛同はできないだろう。
かつてレイモンは魔導師の力を借りずに中原に覇権を築いた。そして史上初のベラとの連合軍もまたレイモンに敗れ去った。そのために両国の影響力が大きく落ちたことは事実だ。
だがそれが決して魔導師の力がなかったことを意味しないのは、フィンはもうよく知っている。
その後、更に具体的にどのように魔道軍が協力するかということに関しても話し合われたわけだが……
《その気になればあれまで使えるって事だよな……》
メイが発案したマグナフレイム―――あれは量が多すぎたからあんな惨事になってしまったが、これが魔導師一人が抱えて飛べる程度の量であれば、もっと安全に使えるのは間違いない。
《数十人であれを落としまくったりしたら……》
―――まさにシフラを無人の廃墟にしてしまうことができるのだ。
そんなことは考えるだに恐ろしいが―――しかしそういう脅しをかけることはできるし、そうなれば相手も動揺するだろう。
そうして相手が投降してくれれば万々歳で、そうでなくとも内部からの蜂起が期待できるやも知れない……
そんな話を聞きながらエルミーラ王女やベラトリキスの一同は終始硬い表情だった。
《無理もないよな……》
シフラにはルルーやアルエッタといった家族同様の人々がいるのだ。そうでなくともあそこに住んでいるのはほとんどが一般人だ。
今回の戦いはそういう人たちを否応なく引きずり込んでしまうことになる。
その結果は……
《いや、よそう……》
フィンは首を振った。今ここでそれを考えていても仕方がない。
ともかく―――彼らにはそれが可能なのだ。
だが……
《これにアラン王が気づいてないなんて事は……ないよな?》
彼はこれまで表だって争いに参加してこなかった白銀の都という眠れる獅子を目覚めさせてしまったのだが―――それともこうまでしても都が本気で怒ってこないと舐めてかかっていたのか?
《あの方がそんな甘い考えのわけ……ないよな?》
まず第一のそして最大の問題は、今こちらに打てる手がこれしかないということだ。
当然こちらがシフラ強襲すると分かっていれば、全力でそれに対する防御策を講じてくるのは間違いない。
まず、城壁や城門の防衛は間違いなくシルヴェスト兵によって行われ、一般民が近づくことはできないだろう。現在駐留しているシルヴェスト軍には十分その規模がある。
次に内部の協力が期待できるかもというところだが……
《結構これも厳しいよなあ……》
内通工作をするにはまずもって期間が足りなすぎる。本来こういうことは何年も時間をかけてやるべきことなのだ。
またシフラは元ラムルス王国の首都だが、ここはそもそもベラ派の国家でシルヴェストやサルトスとは親密な関係を築いてきた国だ。また現在のシルヴェスト軍はシフラをアロザールの蹂躙から救った解放軍でもある―――すなわちアラン王の裏切りまではシフラ市民とシルヴェスト軍は非常に良好な関係を保っていたのだ。
だから現状は現地の人々も大混乱のさなかで、このままシルヴェストに与するか、レイモンに味方するか決めきれていない者も多いだろう。
すなわちまだ誰が敵で誰が味方かということ自体が混沌としている状況なのだ。
《うーん……内部の協力というのはやはり難しいのか?》
となると―――やはり魔法で城門や城壁をぶち抜いて一気に攻め込むといった話になるが……
《魔道軍が一緒だから結構やりやすくなったとは思うんだが……でもあそこはなあ……》
フィンは実際に見てきたのだが、シフラの市街は道が曲がりくねって、伏兵が置きやすいよう考えて設計されていた。城門を突破して市街戦になると、屋根の上などに置かれた弓兵で魔導師を狙い撃ちにすることもできる。
市内に突入できたからといってそれは単に第一段階クリアというだけだ。
そして最後の大問題はこの戦いは一気呵成に行われなければならないということだ。
何故なら、もしレイモン軍がシフラに向かっているという情報が伝われば、トルボやバシリカの敵軍が援軍に来るのは必然だ。
だが大軍を動かすのは時間がかかる。アキーラからシフラまで、少人数の旅行なら一週間程度の道のりだが、数万の軍勢が動くとなるとそうはいかない。
《普通なら一ヶ月くらいかかるか?》
全力の強行軍でも二十日程度は見込んでおかなければならないだろう。
そしてそのような動きは当然相手にもばれてしまう。
《そうするとシフラに付く前に援軍も動き出しちゃうんだよな……》
となると―――シフラを攻めていられる時間というのは僅か数日程度と見込んでおかなければならない。これはすなわち……
《数日時間が稼げれば向こうの勝ちってことなんだよな……》
それ以降になると北と西からの軍に囲まれてしまうことになる。それまでにシフラを落としてアラン王の首を挙げなければならないわけだが……
「うううううっ!」
フィンは思わずベッドの上で呻いた。
《マジ、本気であれを?》
魔導師総出でマグナフレイムを使って、シフラを焼き尽くすとか?
………………
…………
……
「いや、ダメだろ! そんな……」
考えるだに恐ろしいのだが―――しかし、もたもたしていてアラン王に逃げられたり、援軍がきてしまったらそれこそ終わりである。力の出し惜しみをしている状況ではないのだが……
だが、それで勝ったとしても―――途端にトゥバ村の惨状が目に浮かんだ。
《シフラが……あんな風に?》
………………
…………
……
「おえっ!」
何だか胸が悪くなってくる。それで勝ったところで―――そんな多数の屍を踏み越えた先の勝利に何があるのか? 何かもっととても大きな物を失ってしまうような気がするのだが……
《アラン王はそうはならないという確信でもあるというのか?》
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ベッドの上でフィンは大きくため息をついた。
「本当にアラン様は一体何を考えているんだ?」
とどのつまり問題は全てここに帰着する。
彼は一体どうしてこんなことをしているのだろうか?
フィンは再び大きくため息をついた。
《それはともかく……》
いくつかの現実的な問題を片付けておかねばならないのだが―――まずは大皇や大皇后をどうするかという話だが……
《どう考えてもここは危険だよな……》
レイモンと都の連合軍がシフラ攻めをするとなれば、まさに全戦力を投入していくしかない。しかしそうするとアキーラの守りがほぼなくなってしまう。そんなところをアイフィロスのサルトス軍やバシリカのアロザール軍が見逃してくれるとは思えない。
すなわちアキーラが彼らに攻められる可能性は非常に高いということだ。そうして大皇や大皇后が敵の手に落ちるようなことになれば、その時点で負けだ。
もちろん彼らはその前に決着をつける気ではいる―――だが当然ながら、何事にも百パーセントということはない。
となれば彼らにはどこかに避難してもらうしかないわけだが……
《どう考えても都しかあり得ないよな?》
選択の余地はほぼないわけで―――だがそこで問題になるのが都への避難経路だ。
アキーラから都へ行く場合、普通はメリス経由の主街道を通る。だがアルバ川の西岸を通っていく脇街道もあって、現在の報告ではそこを商人などが行き来できているようだ。
だがそこは敵地の目と鼻の先だ。しかもアイフィロスを占拠しているのはサルトス軍で、彼らの強さは侮れない。
《それにわざと通してるのかもしれないし……》
包囲の際にわざと退路を空けておくというのは、攻め手がよくやる作戦だ。
だとすれば後は西の大壁を越えていくかだが……
《あそこ通れるのか? 本当に……》
話によれば大壁越えで都に達することは可能だというが、少なくとも馬車が使えるような道はなく、場合によっては徒歩になるという悪路だという。
大皇たる者が敵を恐れてそんなところをこそこそ逃げたと思われるだけでも不面目だし、帰るなら真っ正面から堂々と帰ってもらいたいのだが……
フィンがそんなことを考えていたときだ。
ノックの音がした。
《あん? 誰だ? こんな時間に……》
フィンは少々むっとしながら体を起こすと、ドアの前に行った。
「どなたです?」
「あ、私。アルマーザですが」
アルマーザ⁉
《ってかまた何だ? 変なときにばっかりやって来て……》
フィンはため息をつきながらドアを開ける。
「ちょっともうずいぶん遅いんだけど……」
そこまで言ったところで、そこにはアルマーザだけでなく、侍女服を身に纏った女性がもう一人いることに気がついた。下を向いていたので一瞬パミーナかと思ったのだが……
「ちょっとよろしいですか?」
この声は……
「ファラ⁉」
フィンは大混乱に陥ったが、ともかく二人を中に導いた。
翌日。アキーラ城の大会議室には再びレイモンと都の主要な関係者が集められた。
《これで……良かったのかなあ……》
フィンは朝からずっと自問自答し続けていた。
人々が集まると奥から最高級のドレスを身に纏ったメルファラ大皇后と、彼女をエスコートするカロンデュール大皇が現れる。
メルファラの表情は何か晴れ晴れとしているのだが、カロンデュールは顔面蒼白だ。
人々はその様子に訝った。この会議は珍しくメルファラ大皇后の要請で開かれたのだが……
―――深夜、フィンの部屋に侍女の姿に変装をして現れたのはメルファラ大皇后本人だった。
《一体どうして彼女が?》
思い当たることといえば……
《まさか……これでお別れになるからって最後の思い出とかを?》
途端に体がカッと熱くなる。
《いや、でもいきなりやってこられても……》
何の準備もできていないし―――などという思いが頭の中をぐるぐる回るが……
「と、ともかく座って下さい」
フィンが応接用のソファを進めると、メルファラとアルマーザがそこに並んで座った。
《アルマーザが⁈ 帰るんじゃないのか?》
そんな場所で見ていられるとちょっと恥ずかしいのだが―――と、そのときだ。
「フィン。私は考えていました。私に何ができるのかと……」
「あ、え?」
何ができるかって、いやその―――あはっ
「お尋ねしますが……私はやはり都に戻った方がいいのでしょうか?」
………………
…………
「え?」
フィンは一瞬その意味が分からなかった。
ぽかんとしているフィンにメルファラは尋ねる。
「やはり私がここにいると足手まといになるのでしょうか?」
「え?」
頭の中がピンク色に染まっていたフィンにも、彼女が何か別な質問をしていることが分かってきた。
《足手まといって……》
そこでフィンは尋ねた。
「えっと……もしかしてこちらに残りたいということですか?」
メルファラは首を振る。
「それが分からないのです。私は、一番皆さんの力になれることをしたいのです。フィン。レイモンの人々は私の励ましの言葉が何よりも嬉しいのだと、あなたは言いましたよね?」
「え? あ、それはそうですが……」
「でも、都に戻ってしまうとその言葉も届かないのではないかと……」
「いや、その……でもここに残るのは危険です!」
メルファラは小さくうなずいて、それからじっとフィンの目を見つめる。
「分かっております。でもそれはあのときに比べてどうですか?」
………………
…………
あのとき⁈ もちろん彼女の言わんとする意味は……
「あのときって……レイモンを解放しようとしたときですか?」
「はい」
彼女はうなずいた。
《いや、あれより危ない事なんて……》
仲間は僅か二十三人。まさに小さなボートに乗って嵐の海に漕ぎだしたようなものだった。
それに比べれば今は、海は少々波が高くても文字通り大船に乗っているようなものとは言えるが……
「いや、でも……」
口ごもるフィンに向かって彼女が言った。
「私は、私の言葉が彼らの益になるというのであればここに残ろうと思いますし、私の存在が彼らの害になるというのであれば立ち去りたいとそう思っているのですが……」
そう言って彼女はまたフィンをじっと見つめた。
「フィン。どう思いますか?」
………………
…………
「いや、害になるなんてそんなことはありませんよ!」
フィンは思わずそう答えていたが―――それを聞いたメルファラはにっこり笑った。
「ありがとう。すっきりしました」
そしてすっと立ち上がると側にいたアルマーザもそれに続く。
「え? ちょっと、どこへ……」
「私は残ることに決めました。明日それを皆さんにお話ししようと思います」
「いや、でも……」
目を白黒させているフィンに彼女はまた微笑みかける。
「今晩はありがとう。それではお休みなさい」
彼女は踵を返すと、アルマーザと共にすたすた出て行ってしまった。
《えっと……おい……》
後には呆然としたフィンが残された―――
「どうもお集まり下さいましてありがとうございます」
メルファラ大皇后が人々に向かって優雅に一礼した。
「本日は一つ皆様にお願いがあってこうしていらして頂きました」
彼女は一同の顔を見渡した。
「現在私どもが大きな危難の中にあるのは間違いございません。なぜなら盟友と思えた者が我々に牙をむき、友となろうとしていた人々は討ち滅ぼされました」
彼女はそこで黙祷をささげるかのように言葉を切った。
「昨日の話を聞いておりまして、門外漢のこの私にとってもその戦いが容易ならざる事は理解ができております」
メルファラはふっと顔を上げた。
「しかし一つ知っておいて欲しいのです。かつて私はルンゴにて申し上げました。我が名はベルガ・メルファラ、だと」
アリオールが驚いたように顔を上げる。メルファラはにっこり笑って続けた。
「その名の示すとおり、私は大聖の直系の子孫にあたります。この体の中に大聖と白と黒の女王たちの血が脈々と流れているということだけが、この私の持てるただ一つの誇りでした。それなのに私は、その証としてにあなた方に与えられる息子がおりませんでした……それゆえに私はこの首をあなた方に差しあげると申し上げました」
一同は唖然として声が出ない。
ティグレ将軍が思わず口を挟む。
「しかし、大皇后様……」
だがメルファラは微笑みながら首を振った。
「そのための対価を私は申し分なく頂いております」
「対価を⁈」
「はい。私は都にいるときはまさに命のない人形でした。ところがその人形が少々欲をだして、命が欲しいと願ってしまったのです」
「命を?」
「はい。そしてその願いを叶えてくれたのが、レイモンの人々、あなた方だったのです」
「んな……」
それ以上言葉の出ない将軍に大皇后はまた微笑みかけた。
「だから私は、そのような大恩のある方々を見捨てるわけにはいきません。なのでひとつあなた方にお願いがございます」
一同の視線が彼女に集中する。
「私はここで待っておりますので……」
人々が不思議そうな表情になるが―――そこで彼女は高らかにこう宣言したのだ。
「あの裏切り者の首を銀の盆に乗せて、私の下に持ってきて頂きたいのです」
一同は度肝を抜かれた。
そんな彼らに彼女は静かに言った。
「あなた方はそれを可能にする方々だと……私は信じております」
………………
…………
……
しばらくはその場全員が無言であったが、やがて……
「ぬ……おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
―――そのどよめき声でアキーラ城は震撼した。
《あーっ! 言っちゃった……》
昨夜、彼女はフィンに尋ねた。
彼女の言葉が彼らの益になるのなら残ろうと思うし、彼女の存在が彼らの害になるというのであれば立ち去りたいと……
そこで彼は思わずああ答えてしまったのだが―――しかし正しくは、それはイエスでもありノーでもあった。
戦いには兵士の士気というものが重要だ。これの多寡によって少々の兵力差をひっくり返してしまったという例も多い。
今度の戦いは元々決して勝算がないわけではなかった。それどころか都の魔道軍が全面協力することで、五分かそれ以上だったと思ってもいい。
ここで彼女がこう宣言したことでその可能性がさらに高まったのは間違いない。
《でも……》
同時に、その言葉はまさに劇薬だった。
レイモンの人々は心の底から彼女を崇敬していた。
その彼女が望むというのであれば―――彼らはアラン王の首を取るまで、最後の一兵までがその命を省みずに戦うことだろう。
それは文字通りの狂戦士の群れだ。
フィンは背筋がぞっとした。そんな戦いの先に何が待っているかと思うと……
「ファラ、やはり……」
そこで口を開いたのがカロンデュールだ。
だがメルファラは振り返るとにっこり笑う。
「貴方があたふたしてては都の威信は守れませんよ? そもそも大皇たる御方が、このような些細な争いに首を突っ込む必要はございません。あなたにはあなたの、もっと大切なお役目がございます」
「些細な争いだと?」
「はい。大皇様は世界のもっと大きな問題についてお案じ下さいませ。この程度のこと、大聖と白の女王の直系であるあなたの出る幕ではございません」
「しかし……」
「あなたは都に戻り、後は私たちにお任せ下さい。そして去り際に一言、かの不埒な奴原を殲滅しておけと私と魔道軍にお命じになって頂ければ、それでよいのです」
「………………」
カロンデュールはそれ以上何も言えなかった。
―――こうして戦いの準備が始まった。