エスケープ・フロム・アキーラ 第1章 絶体*絶命

エスケープ・フロム・アキーラ


第1章 絶体*絶命


 まさに一同は茫然自失だった。

 フォレスとベラの連合軍が介入してきたとの知らせを受けて喜び勇んだあの時とは打って変わって、会議の場には沈痛な空気が漂っていた。


「ん、なんですってぇぇぇ⁈」


 その中で一人、エルミーラ王女が激怒していた。

「で、ですからアラン王よりの使者がやって参りまして……」

「そんなことは分かっておりますっ!」

 王女が知らせを持ってきた兵士をにらみつけると、彼は小さくなった。

「そんなこと、答えは決まってるじゃないですか。そのふざけた提案を持ってきた者の生皮を剥いで、NO! と入れ墨を彫って送り返しなさいっ!」

「んえっ⁈」

「ちょっと、エルミーラ殿……」

 アリオールも少々慌てた様子でなだめようとしているが……

「と申す権限が私にないという事は本当に残念でございますが……」

 あたりに少しだけほっとした空気が流れるが……

《うー……ちょっとこれはなあ……》

 フィンは思った。

 王女が怒る気持ちも分かる事は分かるのだが―――あれからそろそろ一ヶ月近くが経っている。

 連合軍の介入でシフラのアラン王は首都防衛に引き返さざるを得ないだろうと考えて、彼らは相手がどう動くかずっと注視し続けてきた。

 だが……

《首都放棄だもんなあ……》

 そう。アラン王はそのままシフラから動かなかったのだ。

 そして昨日、フォレスとベラの連合軍がグリシーナを占領したという報告が上がってきたのだ。

 まさに予想外の展開だ。

《んなこと誰が予想するか?》

 これはフォレス・ベラ連合軍側も想像だにしていなかった事態に違いない。彼らもまた背後から突けばアラン王も動かざるを得ないと考えてグリシーナに進軍したのは間違いないからだ。

 ところがアラン王はシフラから全く動かず、連合軍はそのまま無血でグリシーナに入城したという。

《首都防衛隊に抵抗するなとという指示が下っていたんだよな?》

 でなければグリシーナもまた堅固な城塞都市だから、そこにいた守備兵だけでもしばらくは守り切れるはずだ。普通ならそこでベルジュなどから援軍がやってくる時間は稼げるだろう。

 だが、アラン王はそうはしなかった―――そしてエルミーラ王女が激怒する事になるわけだが……

「私も舐められたものですね」

 王女は憤懣やるかたない様子だ。

「これまで私はこちらにいる大皇后様と、レイモンの皆様とともに命をかけてきたという自負がございます。今や皆様は私のかけがえのない友、仲間でございます。それを見捨てて私だけが逃げ出すとか、ま・さ・に、あり得ません‼」

 王女は一気にまくしたてた。

「しかしエルミーラ殿、これにつきましてはもう少し熟考されても……」

 アリオールを王女がぎろっとにらんだ。

「答えはもう決まっております。お・こ・と・わ・り 致しますっ!」

 そう。アラン王からの提案とは、エルミーラ王女一行なら安全に通すから父親たちと一緒に国に帰れといった内容だったのだ。

《いや、確かに連合軍の大義名分がエルミーラ王女の救出だからなあ……》

 これで王女が帰ってしまったら、連合軍がこちらに駐留する意味がなくなってしまう。

 フォレスとベラはレイモンや都とはいかなる同盟関係にもない、完全なる無関係だ。その間を取り持つのは現状、エルミーラ王女の存在ただ一つだった。

 もし王女が戻ったにも関わらず連合軍が居座ったとしたら、これは単なる武力侵攻以外の何物でもない。建前上は軍を引かないと話が通らないのだ。

《しかしそんなことになったら……》

 結局状況は連合軍の介入以前と同じになってしまう―――というよりむしろより悪くなっている。

 なにしろ敵方には防御を固める余裕が一ヶ月あったのだ。しかもせっかく来てくれた友軍がいなくなってしまっては、まさに元の木阿弥以下である。

《それにエルミーラ様も結構貫禄が出てきてたしなあ……》

 彼女たちは大皇后の女戦士たち(ベラトリキス)という名で知られていたが、それを実質的にとりまとめていたのはエルミーラ王女その人だった。

 そのため彼女はアキーラ解放後にも重要な軍議などにはずっと参加しており、オブザーバーの立場ながら既に皆に一目置かれる存在となっていた。

《何てか、いてくれると安心できるんだよなあ……》

 解放時などにフィンが大胆な作戦を幾つも実行できたのは、彼女が後ろに控えているという安心感があったからだが、それは解放後のレイモンの人々も感じていたに違いない。

 レイモンはアロザールとの戦いで王族をすべて失っており、現在はアリオールが暫定王位を継いでいるが、彼は根っからの武人でともすれば前のめりの判断になりがちだ。

 そこにエルミーラ王女がいてくれたおかげで、ややもすれば暴走しがちな軍部にブレーキがかかっていたのは事実だ。

 またフォレスという田舎の小国の王女という立場は、この中原のどの勢力とも基本的に中立であることを意味している。だから何かもめ事が起こった際にはその仲介役としてもうってつけだった。

 ここで彼女を失うということは、まだまだ危ういバランスで成り立っている新生レイモン王国の支えの一つがが失われてしまうということでもあったのだ。

《でも立場上はただの客人だし……》

 彼女はレイモンとは縁もゆかりも無いフォレス王国の王女でしかなく、彼女が帰ると言ったならばそれを止める手立てはなかった。

 だが王女の答えはあれだったわけで……

《結構みんな安心してたみたいだよなあ……》

 メルファラ大皇后やベラトリキスの面々だけでなく、レイモンの将軍や都の魔導師にもそんな様子が見え隠れしている。

「ともかくこのようなつまらない事に時間を潰さずに、どうすればとっととファラ様の元にあの男の首を持って来られるか考えるべきなのではございませんか?」

「……承知しました」

 アリオールがうなずく。

 これから自分たちはどう動くか、早急に結論を出さなければならないのは間違いない。

《で、本当にどうするんだよ? これから……》

 フィンは頭の中で状況を整理する。

 まずフォレス・ベラ連合軍はグリシーナに無血入城することができた。もちろんこれはアラン王にとってもかなりの痛手であるのは間違いない。首都というのは国の要だ。そこが敵に占領されるというのは、普通は国が滅びるということだ。

 だがフォレス・ベラ連合軍の建前としてはシルヴェストを侵略しに来たのではなく、中原に孤立しているエルミーラ王女一行の救出が目的である。するとここでいきなりグリシーナを焼き払うような蛮行はできない。

《王女が人質に取られていたような場合はともかくだけど……》

 今回は彼女は自分の意思で中原に残った。その理由ならばまあ『裏切り者の言葉など信じられるか!』で済むわけだが……

 しかしこうなると連合軍側も動くに動けないだろう。

 現状はこのようになってしまったわけだが……



 元アイフィロス王国にサルトス軍がいる以上、グラテスの防備は固めておかねばならない。ここをうっかり奪われてしまったら連合軍が敵地内で孤立する事になってしまう。途中のツィガロ村も同様で、ここもしっかり守っておく必要がある。

 するとグリシーナから更に攻め込んでいくのはかなり困難になるだろう。

 シフラへの途中にあるベルジュ要塞はかつてのシルヴェスト王国の守りの拠点で、ここを攻略するだけで相当の手間がかかってしまう。連合軍は介入時点で間違いなくそんなつもりはなかったはずだ。

 しかも……

《グリシーナの防衛隊は手つかずなんだよな?》

 彼らは無抵抗で城を明け渡したわけだが、いつまた気が変わるか分かったものではない。

《かといってそれを無力化してもいられないし……》

 本気で侵略するつもりで来たのならそんな者たちを生かしておく道理はないのだが……

 連合軍側はまさに振り上げた拳のやり場に困っているのだ。

 そしてこうなってしまうと結局、フィンたちの立場からは連合軍の介入前とまったく状況は変わっていないというか、むしろ悪くなっているのだ。

《はあ……》

 この一ヶ月が全く無駄になってしまうとは―――そしてバシリカ方面でもアロザール軍が集結して侵攻が開始されそうな情勢だ。

《とっととシフラを攻めてれば……》

 そうすればアキーラはもっと安全だったのだが―――などと過ぎ去った事を悔やんでも仕方がない。

《んで、結局……あれしかないってことか?》

 ある意味、予定通りではあるが―――シフラの強襲を実行するしかない。もしくは降伏するか……

《あはは。そりゃないよな。絶対》

 そうすれば大皇后や王女の命は助かるかもしれないが―――残ったレイモン人たちがどうなるか?

「ははははは」

 想像だにしたくない。

 というわけでこの会議の空気も決戦あるのみといった流れになりつつあるわけだが……

《でもバシリカの軍が動くとなったら、アキーラにファラとか大皇様を置いとくわけにはいかないよなあ……》

 ここが大きな問題になっていた。

 都に戻る脇街道は未だに空いてはいるようだが、正直全く信用がならない。かといってもう十月になってしまった。となると西の大壁越えももはや無理だ。

《マジ、これどうするよ……》

 彼女たちを守るための軍勢を残すとなると、今度はシフラ攻めの軍が細ってしまうし……

 彼がそんな事を悩んでいると、アリオールの声がした。

「ともかく今日はもう遅い。続きは明日にしよう」

「しかし……」

「ともかくみな一晩頭を冷やせ。そして決定しよう」

 人々は一瞬黙り込み、そして黙ってうなずくと、三々五々にその場を立ち去っていった。

《はあ……》

 フィンも内心ため息をつきながら席を立った。



《うへえ……これってどうなっちゃうんだろう……》

 その会議から帰りながらメイは呆然としていた。

 こういった軍事的なことは専門外の彼女にとっても、これがただならぬ事態なのは明白だ。

 隣を歩くエルミーラ王女の憮然とした表情は、本気で怒っているのがよく分かる。

 話の流れからは結局シフラを全力で攻めるということになりそうだが、そうすると今回は前よりもずっとアキーラは危険な場所になってしまう。

《でも……どこに逃げればいいんだろう?》

 何だか凄く手詰まりのような気がするのだが……

 と、王女が言った。

「帰ったらすぐお風呂に入りますから」

「あ、分かりました。」

 王女はそのまますたすたと行ってしまったが―――これは王女は今日はこれ以上メイには用がないという意味だ。もし用事が残っているのであればメイも付いていなければならないが、湯浴みの手伝いとなればこれはリモンの仕事だ。

 そしてその後は寝てしまうのだろう。さすがに今日はアウラなどと戯れている余裕はないと思うが―――そんな事を思っていると前方に何やら黄昏れた後ろ姿が見えた。

「あ、フィンさん!」

「ああ、メイか……」

 表情にはげっそりとした疲労が色濃く表れていた。

《あはは。ずっとですもんね……》

 この一ヶ月メイたちはわりとのんびりできていたのだが、彼は軍略会議にずっと出突っ張りだった。彼もまたオブザーバーの立場なのだが、これまでの実績からアリオールには大変信頼されている。なのでシフラなどの敵軍の動きに関する情報が入れば、それがどんなささやかな物でも呼び出されては一緒に検討に加わっていたのだ。

 メイは何となくフィンと一緒に歩き出す。

《なんかすごく顔色悪いけど……》

 とは言っても何と声をかければいいのだろうか? 多分一番いいのはアウラを連れてきてやることなのだろうが―――そんなことを思いながら城のロビーに差し掛かると、そこでリサーンがまたフィンとティアの父親パルティシオンに碁を習っていた。

「あ、また打ってますね」

「あはは。そうだな」

 見ると何やらリサーンが得意顔にも見えるが―――そこでメイが立ち止まるとフィンも釣られて立ち止まった。

 彼女は囲碁については何だかたくさんの場所を囲ったら勝てるぐらいの知識しかないので、盤面を見ても何が何やらである。そこで……

「これってどうなってるんですか?」

 そう尋ねるとフィンは碁盤をしばらく眺める。それから……

「あー、リサーンが結構頑張ってるか? これって、いや、白がちょっとヤバいか?」

「え? リサさん勝ってるんですか?」

「えっと……いや……」

 と、そこでパルティシオンが困ったような声で……

「ふっふーん。うーむ。これはどうするかな……では」

 そうつぶやいて白石を打った。すると……

「え? あ! んぎゃーっ!」

 リサーンの悲鳴が響き渡る。

「どーなったんですか?」

「いやこれ、リサーンの石も薄くて、あそこを切られたら逆に危ない」

「へえぇ」

 その後は一手打たれる度にリサーンがぎゃーぎゃー騒ぎ始める。

「あはは。これだと形勢はよく分かりますね」

「だな」

 それからしばらくしてリサーンが投了した。

「おじさん強すぎ!」

「ははは。まあそりゃ都では一応名人とも呼ばれていたからなあ……しかしリサ殿もなかなか。上手の石を殺しに来る度胸というか、無謀というか。だがその意気やよしだ」

 パルティシオンはにっこりと彼女に微笑みかけると、それから頭を上げてフィンを見る。

「そこの男など、ただただ固いだけのつまらん碁だからな」

「すみませんね」

 それを聞いたリサーンが振り返るとびっくりした表情でメイたちを見る。

「あれ? フィンさんとメイさん、見てたの?」

「いや、さっきからずっとだけど?」

「へえ。そうだったんだ……」

 気づいてなかったのか?

《何てかこういうときの集中力って凄いのよねえ。リサさんって……》

 メイがそんなことを思っていたときだ。

「ん? 何だその顔は?」

 パルティシオンがフィンに言った。

「あ、いやちょっと……」

 フィンが何やら口ごもるが、その顔をしばらく眺めた後、父は言った。

「リサ殿。ちょっと空けてもらえるかな?」

「え? うん」

 彼女が席を立つとフィンを促す。

「ちょっと座れ」

「え? でも……今からじゃ……」

「打つんじゃない。大した手間はかからん」

「え?」

 フィンが首をかしげながら相対して座ると、パルティシオンは一人で棋譜を並べ始めた。

「これは?」

 パルティシオンは無表情に答える。

「いつかおまえの母親を賭けて打った碁だ」

 フィンの目が丸くなる。

「え? で、どちらが父上で?」

「黙って見ていろ」

「………………」

 その会話にリサーンが首をかしげた。

「え? なになに?」

 そこでメイが答えた。

「あ、それがフィンさんのお父さん、昔ね、お母さんのウルスラさん賭けて碁を打ったんだって」

 まだ都にいた頃そんな話を聞いた記憶があるが……

「へえ……」

 それからしばらくパルティシオンは淡々と棋譜を並べ続けた。そして……

「ここまではどうだ」

 彼がフィンに尋ねると……

「え? ああ、黒が大優勢じゃないですか?」

 だがもちろんメイにはよく分からないのでリサーンに小声で尋ねる。

『そうなの?』

『あ、多分そうだけど……』

 そう言って彼女は碁盤をじっとにらみ……

「あの」

「何だね?」

 パルティシオンが振り返ると、彼女は碁盤を指さす。

「でもここを出られたらどうするの?」

 彼はにっこり笑った。

「ほほう。良いところに目をつけられたな。ほら、どうなる?」

 そう言ってフィンに笑いかける。彼は一瞬言葉に詰まるが……

「え? ああ、これならば……えーっと、こうしてこうなってこうなると、ほらこっちがシチョウで取られちゃうんだ」

「あー。そうなんだ」

 リサーンは納得がいったようだが、もちろんメイにはちんぷんかんぷんだ。

 パルティシオンはまたにっこり笑う。

「そう。そこが切れなければ大優勢だな。だから黒はこう打った。勝ちましたという手だな」

「はい」

 フィンがうなずくが……

「ところがそこで白はこう打ってきたのだ」

 フィンがぽかんとその手を見つめる。

「え? でも取られてるんじゃ?」

「まあそうだな」

 パルティシオンは先を続ける。

「それもダメですよね。自分からコウ立てを潰してるだけじゃないですか?」

「ああ。でももう一つこう打つと……」

「それもこう刎ねておけば?」

「ああ。すると相手は刎ねたところを切ってきた」

「え? でも下から当ててつなげば何事も……」

 ………………

 …………

 そこでフィンは目を見開いて固まった。

「どうしたのかしら?」

「さあ……」

 メイの問いにリサーンも首を捻るが……

「いや、これって……」

 パルティシオンがまたにっこり笑う。

「ああ。そうだ。先ほどのリサーン殿の手が今度は成立する」

 それを聞いたリサーンが一瞬考え込んだ後に叫ぶ。

「ああっ、ほんとだ!」

「え? どうしたの?」

「シチョウ当たりになってるのよ」

「シチョウ当たりって?」

「あー、何てか逃げ惑う敵を待ち伏せてやっつける、みたいな?」

「何か必殺技みたいですねえ」

「いや、決まったらマジそんな感じなのよ」

「へえ……でこれは?」

「うん。あそこを切られちゃったら黒が半分くらいは取られちゃうんだけど、だからって守ってたら今度はこっちの死んでた白石が大復活っ!」

「へえ……」

 何だかよく分からないが、ともかく凄いことになったのだろう。

 そこでフィンが父親に尋ねる。

「えっと、それでは?」

「ああ、その前のこの手とか、この手のときにどちらかを打っておけば、まあそこそこ損はするが、大勢には影響はなかった。だがこうなってはな」

「……うわあ」

「それで結局黒はこちらを打ったが、こちらに生きられてしまっては大損だ」

「それで?」

「そこで黒はこういう手を打つが、少々無理だった。こうされて……まあ白の大逆転だな」

「はあ」

 フィンがぽかんと盤面を見つめている。

「だが、ここで黒がもう少し冷静だったら……」

「え?」

「例えばこの手のときにこちらを打っておけばどうなったか?」

「え? あー、あれ、コミは五目半で?」

「ああ」

「んと、えーと……」

 フィンが悩み始める。

「あれ。どっちが勝ってるの?」

 メイが尋ねるが……

「分かんなーい」

 リサーンが首をかしげる。

 それからしばらくしてフィンが答えた。

「やっぱりちょっと白がいいですか?」

「ああ。確かに白が厚いが、でもこの程度の差なら一手もぬるい手は打てないな?」

「ですね……白も結構まだ危なかったんですね」

「ああ」

 パルティシオンがうなずいた。そんな彼を驚いたように見つめながらフィンが言った。

「……そんなギリギリの勝負だったんですか。でもさすが父上ですね。敗勢の中でそんな手を見ていたとか」

 ところがそこでパルティシオンがにやりと笑った。

「何を言っておる。わしが黒だ」

「え? でも母上は……」

 彼はまた楽しそうな笑みを浮かべた。

「はは。だから一緒に逃げてきたのだ」

 ………………

 …………

 ……

「え?」

「今話しておかなければもう話せなくなるかもしれないからな」

 ………………

「あ……はい」

 呆然としているフィンを見ながらリサーンがつぶやいた。

「あはは。フィンさんのお父様もただ者じゃなかったのね」

「ですねー。ティア様もフィンさんも血は争えませんねー」

「あー?」

 フィンが振り向いて二人の方をぎろっとにらむが……

「ほい。用は終わった。どこになりとも行け」

 パルティシオンが笑って手を振った。

 フィンが苦笑しながら席を立つと、リサーンがまたそこに座った。

「それじゃシオンさん。もう一局!」

「ああ?」

 パルティシオンが目を丸くしている。

「リサさん。もう遅いんじゃ?」

 メイが彼女をたしなめるが……

「あ、だからもう一局だけ!」

「ははは。もう一局だけだぞ?」

「やったー!」

 彼女は嬉々として盤上に石を並べ始める。

 まあ、大好きなことになると時間を忘れてしまうという感覚は分からないでもないが……

「あはは。本当に楽しそうですねえ」

「だよな」

 フィンも呆れたように彼女の姿を見ていたが、やがて軽く首を振ると歩き出した。

 その後ろ姿を見ながら……

《アリオール様、頭を冷やせって言ってたわよねえ……》

 だがフィンの顔を見るとどう見ても何か考え込んでいるようなのだが―――そこでメイは彼に言った。

「フィンさん、フィンさん」

「なんだ?」

「せっかくなので水月宮まで来ませんか? アウラ様も暇してますよ?」

「え?」

 フィンが驚いて振り向く。

「アリオール様もああ言ってましたし、ここはちょっと頭を休めてもいいんじゃないですか?」

 フィンはうっとしばらく言葉に詰まるが……

「ああ、でも何というか引っかかってて、今ここで諦めて後で後悔するってのも……」

「あ……」

 何だか昔彼女もそんなことを言ったような気がするが……

「あー、分かりました。じゃ、お部屋にコーヒーでも持ってきましょうか?」

「え? ああ……じゃあお願いしようか」

「分かりましたっ!」

 メイはにっこりと笑って厨房の方に向かった。



 たたたっと去って行くメイの後ろ姿を見ながらフィンは思った。

《あははは! アウラなあ……》

 それこそ本当に彼女を抱きしめてそのまま眠ってしまえたらどれほどいいことか。

 しかも今のフィンは客人の立場であって、レイモンのためにそこまで尽くさなければならない義理があるわけでもない。

 だが……

《何が引っかかってるんだ?》

 この感じ―――しばらくフィンは立ち止まって考えて……

「ああ!」

 思わず声が出る。

《思い出したっ!》

 これはフィンの人生でこれまでも何度かあった転機だ。

 例えばメルフロウがもしかして女だったら? といった疑惑を感じたあのときとか。それこそ馬鹿らしいと笑い飛ばしていてもよかった。そうしたところでフィンには何の責任もない。

 また例えばフレーノ卿の冤罪疑惑のときもそうだ。あのときもあれはベラの内政問題であって、フィンたちには一切関係のない話だった。

 そしてそもそも彼が中原に来てレイモンの侵攻を止める工作を始めたことだってそうだ。

 全ては彼がやらなくとも良かったことである。

 今度のことだって……

《もう事態はレイモンの人たちの問題だからな……》

 メルファラ大皇后はレイモンの人たちからまさに崇敬されているが、彼女に何の実権があるわけでもない。その取り巻きのフィンたちも同様だ。だから彼らのことは彼らに任せておいて、誰に誹られることもないのだ。

 だが……

「あははははは」

 乾いた笑いが湧いてくる。

《そういう所で毎回首を突っ込んできて……》

 おかげでひどい目に遭いまくりなのだが……

《でも……》

 今、彼がここにこうしていられるのはそのおかげなのだ。

 もしそうしていなければ……

《後悔していたよな?》

 もしメルフロウの疑惑を放置していたら、少なくともティアの命はなかっただろう。

 もしフレーノ卿の疑惑を放置していたら、ロムルースは完全に失脚していたかもしれない。

 そしてもし彼が中原で工作を行わなければ―――多分レイモンは消失し、中原はアロザールの支配下になって、メルファラはアルクスの妃となっていたのだ。

 そして彼はそれを遠くから眺めながら毎晩後悔していたに違いない。もしあのときああしていたらと……

 ともかく……

《今、やるだけやっとくんだ》

 残された時間は多くない。せめてその間精一杯やったと自信を持って言えるだけのことはしておかなければ……

 フィンは大きく深呼吸をすると部屋に向かった。

 彼はアキーラ城の客室の一つにずっと住んでいて、今では完全な自室となっている。

 部屋の勝手知ったるベッドに転がるとフィンは天井を見つめた。

《それで……》

 今後のことを考えようとするが頭がまとまらない。

 代わりに先ほどの父親の棋譜の盤面が浮かんでくる。

《まったく……あんな話をいきなりされちゃったら……》

 これまではずっと母のウルスラは父が勝負に勝って得てきたものとばかり思っていた。

《確かに勝負したとは言ってたけど、勝ったとは一度も言ってなかったもんなあ》

 自分で言うのも何だが、結構ハチャメチャな両親だと言うしかないが……

《しかし……あれって決して絶妙手ってわけでもないよなあ……》

 考えてみればシチョウというのはシチョウ当たりとセットのような物だ。シチョウで石が取れていれば、常にシチョウ当たりを警戒せねばならないというのは基本中の基本である。

 確かにまだ切られていない場所だから盤上にシチョウは現れていなかったわけだが、それで取れると読んだ時点でシチョウ当たりも同時に見ておくのが当然で……

《むしろ父さんからしたら凡ミスだよな……》

 それから思い当たる。

《母さんのかかった対局ってことで、平常心じゃいられなかったんだよな?》

 争碁に名局なしというが、盤外の事情が絡んだような対局を冷静に打ち続けるというのは、人にはなかなか難しいのだ。

《にしても、あんな圧倒的な優勢がすっ飛んだら、そりゃ悲観もするかもしれないけど……》

 実際はそうでもなかったところを必要以上に悲観して勝負手を打ったのだが、それが結局無理で逆転されてしまった。

《もし落ち着いて打ってたら、今度は相手だってミスしたかもしれないし……》

 正しい手を打っていればその後はお互いの小さなミスが勝敗に直結するという局面だ。そうなれば結果がどう転んだかは全く分からない。

「ははは……」

 それはそうと、それで二人で逃げてくるとか、本当に何をしているのだ? あの親は……

 そんなことを考えているとノックの音がした。

「フィンさん。いますかー」

「あ? メイか?」

「はい。入りますよー」

「ああ」

 扉が開いて彼女がコーヒーのポットと夜食の乗ったワゴンを押して入ってきた。

「おいおい。自分で持ってこなくても……」

 てっきり頼みに行っただけだと思っていたが……

「いやいや、こっちも何かしてないといたたまれなくって……」

「あはは。そうか」

 まあ、確かに城中の空気がピリピリしているのは確かだが―――メイはコーヒーをカップに注ぎながら言った。

「あははー。何かちょっとあのときみたいですね」

「あのとき?」

「クォイオの宿屋で。あのときもフィンさん、寝不足でしたもんね」

 言われて残念な記憶がフラッシュバックする。

「あはは。まあな」

 あのときは―――あのバカに一晩、訳の分からん話を聞かされてたわけだが……

「それにしても……ちょっとこれって……」

「え?」

「わりと……まずいんですよねえ。今の状況」

「ああ……確かに……」

 正直楽観できる状態では全然ないのだが……

 ………………

 …………

 ……

 楽観できない?


《それって悲観的ってことだよな……》


 その言葉に関してはさっきずいぶん考えていたと思うが……

 フィンが考え込むとメイが尋ねた。

「どうかしたんですか?」

「あ、いやな、さっきの父さんの棋譜を見てただろ?」

「あ、はい。よく分かりませんでしたけど」

「いや、問題は最初すごく有利な状況になって、それをひっくり返されて悲観的になって、無茶な手を打ってしまったんだが……」

「はあ」

「ああいう手が残ってたって時点で実は有利じゃなかったんだよな?」

「あー、まあ、そうですか?」

 考えてみれば……

 まずはやっと平和になったと思っていたらいきなり戦乱になってしまった……

 最初は戦力互角と思っていたのに、アイフィロスが滅ぼされてしまってそのバランスが崩れてしまった……

 フォレスとベラの介入で相手が混乱すると思っていたら、それを華麗にスルーされた……

 ―――とにかく予想より悪い出来事が連続しているわけで、悲観するのも当然ではあるが……

 確かに平和から戦争というのは悲観すべきだろう。

 しかしその後誰もが敵味方の戦力は互角だと考えたのだが……

「ありゃ?」

「どうしたんですか?」

「もしかして……互角じゃなかったか?」

「何がですか?」

「いや、アラン王が裏切った後、南北で対峙したときだが……」

「でも、レイモンとアイフィロスの軍勢と、シルヴェスト、サルトス、アロザールの軍勢の数はあまり変わらないって言ってましたよね?」

「ああ。確かに数の上ではそうなんだが……こちらには大義があるわけで」

「大義? ですか??」

「ああ。そもそもアラン王は大皇様の名の下に各国が平和を誓ったところに、いきなりそれを裏切ったんだ。しかもその理由が訳分からないし」

「あ、それはそうですよね」

 そしてフィンは彼女に解説し始めた。

 戦いとは兵士やそれを支える人たちの士気が大きく影響する。何しろ兵士たちは自分の命がかかっているのだ。それだけの理由が必要になる。

 大義とはその理由を人々に与える物なのだが―――何しろこちらには都の大皇と大皇后がいて、さらにはベラまで味方と考えていい。対して相手は誰がどう見ても裏切り者以外の何物でもない。

 そんな者の下で戦う兵士たちはどう思う?

 当然疑問に思う者は多いだろうし、またアロザールから見てもそんな裏切り者がどこまで信用できるのか?

 そうなると各国の連携がちゃんとできるかどうかも怪しくなってくる。

 これまではこちらがどこかを攻めたりすればそれに呼応して他の軍も動くはずだから、こちらも動くに動けないと考えてきた。

 だがそれが無ければ一つずつ相手にしていけばいいだけのことなのだ。

《あー……だからこそ、アラン王はアイフィロスを落としたってことか?》

 確かにアイフィロスは少々頼りなかったが、それでももう少し時間をかけて大皇が説得できればそれなりになっていた可能性は十分にあった。またエルミーラ王女がアルウィス王子と懇意になればさらにその関係改善に役立ったかも知れない。

 そしてそうなってしまったらアラン王としてはもう手が出せなくなってしまうので、その前にヴェンドリン派という弱点を利用して一気に攻略してしまったとすれば……

「あちゃー……」

「え?」

「いや、要するに最初はこっちが圧倒的な優勢だったってことなんだよ。アイフィロスを取られてしまった時点でやっと互角ってぐらいで……」

「ほえー……」

 メイは分かったような分からないような表情だが―――別に彼女を納得させようとしているわけではなく、彼の考えをまとめるために話しているだけなのだ。

 フィンは続けた。

 要するに彼らは悲観のしすぎだったのではなかろうか?

 だがやはり戦いでは実際的な兵数が物を言う。この目に見えない大義という物をこちらの勝ちに結びつけるにはどうすればいいかということだが……

「まず敵は今、シフラにシルヴェスト軍、バシリカにアロザール軍、メリスにサルトス軍の主力が駐留していて、トルボにもサルトス軍の一部が入っているんだが……」

「囲まれちゃってますねえ」

「ああ。だがそれは相手の戦力が分散されているとも言えるわけで、どこか一カ所ならこちらの戦力を集中すれば突破できるんだが……」

「それでシフラをって話なんですよね?」

「ああ。確かにアラン王を倒してしまえば一気に戦いは終結するだろうからな。でも……トルボやメリスを攻める手もまだあるってことなんだよな?」

「そうなんですか? でもそうやっても相手に守られてしまって、その間に援軍がとか言ってませんでしたか?」

「まあそうなんだけど……でも相手の予想以上に早くアイフィロスを奪還できる可能性はあるかもしれなくって……」

「え? そうなんですか?」

「ほら、アイフィロスの人たちって都の大皇様をすごく尊敬してるよな? そして今回のサルトス軍の侵攻はものすごい速度で一気にラーヴルを落としてしまったんで、国内はほとんど荒らされてないんだ」

「えっと……そうすると?」

「元アイフィロス軍は今はサルトス軍の下についてるみたいだけど、でも大皇様が侵略者と戦えと言ってくれれば……」

「あ……その人たちが叛乱を起こしてくれると?」

「その可能性はあって、そうなれば一気にアイフィロスを奪還できるかも……そうしてグラテスの友軍と連絡できれば、無理にグリシーナを抑えておく必要もないし……」

 そうなれば元のずっと有利な状況に戻れるわけだが……

「上手くいくんですか?」

「あー、いや……」

 今のはそういう可能性もあるという話であって……

《でもともかくシフラ攻め以外に手がないというわけじゃないよな?》

 元アイフィロス軍がこちらの動きに呼応してくれれば、かなり現実的な話と言えると思うが……

《それこそ大皇様がどのくらい尊敬されているかに依存するよな?》

 まあ、正直一種の賭けと言ってもいい。だが決してそこまで分が悪い賭けでもない気がするが……

「でもそういうことしたらやっぱりシフラとかから援軍が来ちゃうんですよね?」

「まあそれは……でもその情報を聞いて援軍を編成して、それから例えばトルボまで来るのにはそうだなあ……やっぱ大急ぎでも二週間はかかるなあ」

「結構遅いんですよね」

「ああ。そりゃ馬車とかで普通に旅してれば数日ってところだけど、軍隊を動かすとなるとそうはいかないから。万単位の人が移動するんだ。兵糧や野営地の確保とかも必要だし」

「あ、そうですよねえ。一万人分の食べ物とか……もう馬車何台分ですか? うひゃあ。お城に急に五十人くらいやってきたときでも大変な騒ぎでしたからねえ」

「あはは。分かるだろ?」

「寝る所っていうのも、広い場所がないとダメですよね?」

「もちろんだよ。それに途中に橋とかがあったらそこを一定時間に通れる人数が限られたりするから」

「ああ、橋の手前で詰まっちゃうわけですね?」

「そう。ともかく色んな要素があって、そんなにめちゃ早くは移動できないから。しかも、シフラからトルボは平原地帯なんで、そういう所の戦いはレイモンの十八番だしな」

「ああ、あの騎馬軍団、強そうですもんねえ」

 彼らもレイモンの閲兵式には何度も出席していたが……

「ああ。壮観だったもんなあ……」

 あんな騎馬隊が突撃してきたら、少々の軍勢など一気に蹴散らされてしまうのは必定だ。

「ってことはやって来る援軍を逆にやっつけちゃうとか?」

「そういう作戦も考えられるな」

 うむ。とすれば一気にトルボを落として、やって来たシルヴェスト軍を平原の会戦で蹴散らすというのもあり得るか?

《ははは。要塞攻略戦はそれこそ準備万端だし……》

 シフラを落とせるほどの戦力があれば、トルボなどあっという間だろう。これまではそうする意味があまりないと思われていたが……

 ともかくアイフィロス方面を攻めることにも十分な意義があるのは間違いないということなのだ。

《でもなあ……守ってるのはサルトス軍だしなあ……》

 トルボやメリスであれば全力を集中すれば取れるかもしれないが、アイフィロスの本国は山がちな地形だ。そういう場所ではレイモンの騎馬隊は威力を失い、サルトス軍が本領を発揮してくる。

《戦術的には結構厳しいかなあ……》

 ゆっくり時間を掛けられればいいが、そうなるとさすがにシフラやバシリカが動いてくるのは避けられないわけで。ともかく短期決戦でなければならないというのは大きなハンデになってしまうのだが……

「うーん……」

「どうしたんですか?」

「あ、いや、サルトス軍も強いからなあと思って……」

「あー……」

 それを聞いたメイが憂鬱な顔になる。

《あ、そうか……彼女、イービス女王と懇意だったもんなあ……》

 後から聞いて驚いたが、彼女が魔道大学に短期留学したときにまだ王女だったイービス陛下が窓から侵入してきて、それから夕食を作ってやるようになったとか……

 そんなことを思い返していると……

「イービス様……どうしてアラン王なんかに協力してるんでしょうねえ……」

 どうしてって……

「さあなあ……急遽女王様になってしまって、アラン様頼りだったみたいだし、まだお若いし……」

 アラン王に言いくるめられてしまったのではということになってはいるのだが……

「でもあの方なら悪い事は悪いって分かると思うんですけど……」

 フィンはイービス女王とほとんど話したことはないのでなんとも言えないのだが、そういう意味ではメイが一番良く彼女のことを知っているわけだ。その彼女の印象を否定することもできないが……

「うーん。正直よく分からないけど……でもアイフィロスを滅ぼしたのが実際にサルトス軍だったしなあ」

「ですけどねえ……」

 何だかメイまでがどよーんと落ち込んできている。

「あー、ともかくだな。君まであまり根を詰めても仕方ないから。そろそろ帰って寝たらどうだ?」

「あー、でも……」

 彼女が何やら心配そうな顔でフィンを見る。

「大丈夫だよ。ともかくまだ色んな可能性があるって分かっただけでも」

「それじゃフィンさんも無理しないようにしてくださいね?」

「ああ、もちろんだよ」

 そこでメイは立ち上がるとこくっと挨拶をして出て行った。

《はあ……俺も寝た方がいいかな……》

 だが、頭の隅に何かが引っかかっている。

《うーむ……なんだろう?》

 ともかくまだいろいろ選択肢はあるから、勝手に悲観して無理な手を打ってはいけないということなのだが……



 森の中をサフィーナがすたすたと歩いて行く。

「待ってー。どこいくの」

「こっちこっち」

 彼女は振り返らずに先を進む。

「どこなの? ここは」

 アキーラ城の後宮に来てからずいぶんになるが、こんな場所あっただろうか?

 やがて森がぽっかりと開けた場所に出る。

 そこでやっと彼女が振り返った。

「うふ。ここなら誰も見てないかな?」

 確かにそんな場所だが―――メイがあたりを眺めていると……

「ふふ。それじゃ見せてあげる」

「え? 何を?」

「尻尾だよ」

「えーっ⁈ でも……」

 あれは無いということになったのでは?

 だが……

「そんな誰にでも見せるものじゃないから」

 ―――そう言ってサフィーナは服を脱ぎ出した。

「えっ⁈ えっ⁉」

 下着一枚の姿で彼女はメイに言った。

「ほら。メイも脱ぐの」

「どーして⁇」

「だって一人じゃ恥ずかしいもん」

 あー、それはそうか?

 そこで彼女も服を脱ぐと、二人は裸で向き合った。お風呂場ではいつもこんな感じだが、こんな森の中だとちょっと恥ずかしい―――なんてのはともかく……

「え? 尻尾なんかないじゃない?」

 彼女のお尻はどう見てもいつも通りなのだが……

「ふふ。いつもはしまってるの」

「え? どこに?」

「ほらここ。触ってみて?」

 そこで恐る恐るメイは彼女のお尻を触るが……

「えー、どこなの?」

「もっと強く」

 そこでメイは彼女のお尻をぎゅっと掴んでみるが―――ん? 何だかおかしな感触だ。いつもならきゅっと締まった手触りなのに、何だかふわふわしているが……

「サフィーナ、お尻おかしくない?」

 もしかしてどこかで落としちゃったんじゃ……

「メイ。それ枕」

 ………………

 …………

 ……

「はにゃ?」

 思わず目を開けると彼女がのぞき込んでいる。

「起きてよ。クリンが朝ご飯、持ってきた」

「え?」

 振り返るとクリンが朝食を乗せたワゴンを押して入ってくるところだ。

「あ、おはようございまーす」

 彼女がにこやかに挨拶する。

「うわーっ!」

 メイは慌てて飛び起きる。

「あたしのお尻がどうしたの?」

「いやいや、なんでもないからーっ!」

 彼女と一緒になってからというもの怖い夢は見なくなったのだが、逆にこんなしょーもない夢はよく見るようになっていたりして……

 彼女は慌てて顔を洗うと、サフィーナと一緒に朝食をとった。

「うわー……午前から会議なんだよねー」

「がんばってね」

 それから大急ぎで支度をしてロビーまで行くと、エルミーラ王女がもう待っていた。

「遅かったわねえ」

「あはは。ちょっと夕べ遅くまでフィンさんと話し込んじゃって」

「まあ」

 いつもならばもう少し嫌みを言われるのだが、今日は王女も無口だった。

《はあ……》

 夢から覚めると現実がどよーんとのしかかってくる。

 アリオールが今日決定するみたいなことを言っていたが……

《どうなるのかなあ?》

 これからの会議はかなり重要なものとなりそうだ。だが、その結果はあまり面白くはなりそうもない。

 二人は無言で城に向かった。

 ―――すると前方からフィンとアリオールがやって来るのが見えた。

 フィンは何だか目が真っ赤だが、アリオールも何やらひどく真剣な表情だ。

《え? フィンさん、あれって徹夜でもした?》

 しかし彼は昨日の黄昏れた様子ではなく、何やら足取りがしっかりしているのだが……

 と、そこでアリオールが二人の姿を見ると手を上げる。

「あ、エルミーラ殿。申し訳ない。会議は午後に延期になりました」

 王女が首をかしげる。

「どうされたのです?」

「急遽検討しなければならないことができまして」

「はあ」

 そういうことなら仕方ないのだが―――と、そこで唐突にフィンが言った。

「そういやメイ。ドライブはできたのか?」

「え? いや、まだですが……」

 結局あれから何だかんだでまともにハミングバードに乗る機会は全然無かったのだが……

 するとフィンがにやっと笑った。

「だったら思いっきりドライブできるぞ。きっと」

「は?」

「どういうことです?」

 エルミーラ王女も不思議そうに尋ねるが……

「この検討の結果次第ですが」

 アリオールもにっこり笑う。

「はあ……」

 えっと、何なんでしょう? これって……