第2章 旅立ち ~アキーラより~
それから数日後。
メイたちはアキーラ城の正面テラスから、出陣していくレイモン騎馬軍団に向かって早朝から手を振り続けていた。
広場にも通りの両脇にも彼らを見送る市民がぎっしりと並んで同様に手を振っている。
《うひゃあ……腕がだるくなってきた……》
振り返ると仲間たち―――メルファラ大皇后とその女戦士たちの顔にもちょっとうんざりした表情が浮かんでいる。
「あとどのくらいなの?」
リサーンが小声で尋ねてくるが……
「後もう少しですよ。これで八千くらいですから」
「あと二千かあ……ま、いっけど」
眼前を行進する騎馬軍団はいつものパレードではない。これから戦いに行くのである。
出陣する兵士たちの内心が穏やかなはずもない。命を落とす者も多々出てくるだろう―――そんな彼らに勇気を与えるのが彼女たちの役割だ。
だから今回は出陣する兵士たち全てに彼女たちが祝福を与えるのだ。しかし一万もの兵士の出立となると、それだけでも四時間くらいはかかってしまう。
最初の兵が出陣していったのは未明だったが、今はかなり陽も高くなっている。
《本当に時間かかるんだなあ……》
話には聞いていたが、こうやって見てみるとそれが実感できる。
それと共に、とうとう始まってしまったという現実を否が応でも思い知らされてしまう。
乾坤一擲の戦いが始まろうとしていた。
彼らはカロンデュール大皇の檄の元、アイフィロス王国を奪還するためメリスに向かう。
あの日、急遽検討しなければならなかったのはこれだった。
それまではずっとシフラ強襲作戦を行う前提で準備を進めてきたのだが、フィンの発案でそれよりもまずメリスを攻略した方が良いという結論になったのだ。
―――というのは、シフラは堅固な上に、そこにはシルヴェストのほぼ全軍が集中している。
それに対してアイフィロス方面のサルトス軍は旧王国全体を確保しなければならないため、メリスとトルボだけでなく首都ラーヴルやトレンテ方面にまで軍を展開せざるを得なかった。
メリスにはサルトス軍の主力が駐留しているが、それでもシフラに比べれば数は少なく、またメリスは要塞都市ではない―――すなわち遙かにシフラよりも与しやすいのである。
そうしてグラテスにいる友軍と連絡できてしまえばフィン曰く、アイフィロス王国陥落前のこちらが遙かに有利な状況に持って行くことができるわけだ。
―――とは言っても実際に勝つのはなかなか容易ではない。
まずアキーラとメリスの間には大河アルバが流れていて、こちらが迫っていることを知ったら橋は落とされてしまうだろう。そうするとサルトス軍の目の前で渡河作戦をすることになるわけだが―――真っ正直にそんなことを行うなど論外ということはメイでも分かる。
しかももしそこを何とか抜いたとしても街道はアルト川の南岸沿いに伸びており、メリス郊外で再び渡河が必要だ。そこでもたもたしていたらトルボからの援軍に背後から挟撃されてしまう。
すなわちメリスには大河アルバとアルト川が天然の要害となって立ち塞がっているわけだ。
《ふっふっふ。そこをどうするかというわけなんだけど……》
と、ここでメリスに行くためにはもう一つ経路がある。大河アルバ西岸の脇街道を通って北の渡し場からメリスを目指すコースだ。
そのコースは当然相手も知っているわけだが、だからといって軍を二つに分けて両方守るわけにもいかない。半分の数ではどちらも持ちこたえるのは難しいし、残り半分が無駄になってしまう。
しかしこのコースには大きな問題点があって―――こちらを経由すると分岐点からの距離が二倍に伸びてしまうのだ。
すると相手はこちらが迂回すると判断したら即座に軍をメリスに戻す余裕がある。なのでやはりメリス北での激戦は避けられない。当然相手もそういうことは想定しているだろうし十分な時間もあったから、メリス北部にもしっかりした防衛ラインは作られているはずだ。
《だ・が・し・か・し 》
これは敵と味方が同じぐらいの速度で移動するという前提の上での計算なのだ。
《ふふっ。でもその速度が全然違ってたらどうなるかなっ?》
レイモンの通常軍は騎馬兵と歩兵で構成されていて、また食料や武器や弓矢などを積んだ輜重隊がその後から付いていく。
歩兵というのは当然重い荷物を担いで歩かなければならないので、一日に歩ける距離は限界がある。非常時には一日数十キロの強行軍をすることもあるが、それを何日も続けるわけにはいかない。
また荷馬車というのは速度が出せないし、得てして脱輪などのトラブルにも巻き込まれやすい。そうなると全軍の進軍速度にブレーキがかかってしまう。
すなわち軍の行軍速度とは結局その歩兵と輜重隊の速度で決定されるのだ。
だがもしここにそんな足手まといがなければ―――騎馬隊だけであればその四倍の速度で移動することができるのだ!
だったらどうして普通そんなことをしないかというと、それはもちろん人も馬もお腹が減ったら動けなくなるためである。
《一万人分の食糧輸送とか、考えただけでもクラクラして来ちゃうけど……》
食料を運んでいる部隊を置き去りにして自分たちだけ突出しても、行った先で食料調達ができなければお腹を減らして後から来る部隊を待つことしかできない。
というわけで……
「もうそろそろ終わりかな?」
「多分次ので騎馬隊は終わりですよ」
目の前を行く騎馬隊だが、各馬はみなかなり大きな荷物を積んでいる。その中身が何かというと各人の十日分の食料なのだ。
それはすなわちこの戦いを十日で片付けるということなのである。
《あっはっは。まさに不穏な笑みだったもんねえ……》
この作戦の説明を受けたとき、もちろん十日で片が付かなかったらどうするのかという質問が出たわけだが―――その答えは『予定では七日だ。三日も余裕がある』なんてのだったし……
まあ、元々この戦いは短期決戦でなければならないというのは周知の事実で、その期限が十日になっただけと思えばいいらしいのだが……
《だらだらと作業するよりも期限が決まってた方がいい?、みたいな?》
ともかく国の命運を賭けた戦いだ。いろいろと厳しいのは仕方が無いのだ。
「おー、やっと終わったー……」
目の前を最後の隊が通り抜けていった。
とりあえずは一息だが……
「一休みしたら後続部隊の出陣ですよ」
「はーい……」
出陣は騎馬隊だけではない。その後から歩兵部隊と輜重隊も続いて出陣していく。
当然その速度はずっと遅いから、十日だと大河手前の分岐点くらいまでしか行けない。
しかしこの軍が迫っているとなれば、サルトス軍は大河アルバの防衛を行うかどうかで悩ましくなるのだ。メリスの防衛に全軍を集中したらアルバが突破されてしまうだろう。そうすると南と北から挟まれてしまうことになる。
すなわち何らかの理由で先行部隊が攻めあぐねた場合の保険なのだ。
《実際、けっこう急造の騎馬隊だものねえ……》
出陣していった一万というのは現在のレイモン騎馬隊のありったけの数である。
しかもその中にはそもそも騎兵ではなかった兵が結構混じっている。レイモン人は一般人でも乗馬はみんな得意だから自分の馬と共にはせ参じた者も多かった。しかしそういう新兵ではやはり戦力としては劣ってしまう。
だが少なくとも全員、士気―――やる気だけは満々だ。
《そういうのってどうなのかなあ……》
やる気だけある新兵とは無謀な行動を行いがちだと聞いているが―――ともかくそれ以上の心配をしていても仕方がない。これは彼らの戦いなのだから。
そしてこちらにはこちらの使命がある。
《はあぁぁぁ、疲れた……》
午前中一杯手を振り続けていたおかげで腕に力が入らなくなっているが、ともかく大仕事には片が付いた。
今日はもう会議もないし、わりかし午後は空いている。
というわけで……
「あー、昼からはちょっと車庫、行ってますんで♪」
「あ、そう」
みんなすごくどうでもよさげな顔をしているが、いや、これは大切なことなのだからな?
昼食が終わるとメイはその足でアキーラ城の厩舎と車庫のあるエリアにやってきた。
そこには城で使われる馬とか馬車が勢揃いしているが、さすがレイモン。ガルサ・ブランカ城などに比べて遙かに規模が大きい。
何列にも並んだ長い厩舎からはたくさんの馬たちが顔を出している。どれもこれも元気でよく走ってくれそうだ。
その間を抜けると今度は車庫の並んだ一角に来るが、ここにはレイモンの工房で作られた軍用の馬車がたくさん並んでいる。
《おお、これはマンデル工房か》
レイモンは平原の国だけあって馬車もたくさんある。そのため馬車工房はそれこそ星の数ほどあるのだが、ここはその中でも名工房の一つだ。
《これって見た目より乗り心地いいのよねー……》
軍用というだけあって作りはがっしりとしている。そのため少々の攻撃なら跳ね返してしまえるのだが普通の馬車よりは車体が重い。しかしそれを支えるための幅の広い車輪と頑丈なサスペンションがあるため、高速で飛ばしても意外に揺れないのだ。
そんな軍用馬車の間を抜けると見慣れたシルエットが現れてくる。
まず左手にある赤い馬車がラットーネ工房のファイヤーフォックス―――メイたちがフォレスからはるばる乗ってきた名車である。
中央が都のカヴァレ工房の手になるイル・ディアマンテという馬車で、これはメルファラ大皇后が最初にレイモンに来たときに乗ってきた物だ。その横の同じくカヴァレ工房のヴァンダーファルケだが、これはカロンデュール大皇の乗車である。
これらはまさに至高の作品としか言いようがなく、何だかいつまででも眺めていられそうだが―――しかし今日はそういうわけにはいかない。
メイがその間を抜けていくと車庫の一番端に流線型の小さな二輪馬車が鎮座していた。
その馬車にはピンク色の幌がついていたが、その幌を支える枠組みは普通のギグなどよりも遙かにしっかりとしていて、なおかつ前傾した形で取り付けられている。
それによってこの馬車は強風下でも煽られずに安定して突っ走ることができるのだが―――もちろんこれぞ彼女の愛車、ハミングバードだ!
《あはーっ いつ見てもカ・ワ・イ・イ 》
いやー、本当に事故って壊してしまったときにはどうしようかと思ったが、こうして修理できた上、より性能アップしたというのはまさに怪我の功名であったわけだが……
「あ、メイ様~!」
馬車の向こうから顔を出したのはクリンだ。
「あ、調整は?」
「もうバッチリですよ!」
クリンもニコニコ顔だ。彼女も馬や馬車が大好きで、何の因果かメイの専属従者ということになってしまったのだが……
「でもエクレールに信号旗って、やっぱちょっと変ですよねえ」
「あはは。でもしょうがないじゃない」
彼女のハミングバードはもう一つ普通と違うもの―――屋根の上に黄色い旗が立っている。
実はこれ、軍用の馬車にはみんなついているもので、行軍する際に他の車両と色々な通信をするために使われるのだ。
もちろんハミングバードに元々そんな物はついていなかったのだが……
―――その事実が判明したときメイは目の前が真っ暗になった。
「えーっ⁉ フィンさん、ドライブできるって言ってたじゃないですかー!」
「いや、確かに言ったけどさあ……」
フィンがしろどもどろに答える。
「それに他の馬車に乗ってったら、これ置いてかなきゃならないじゃないですかー!」
「そりゃ仕方ないだろ? あの赤い馬車だって置いてくんだし」
これからの旅は軍用馬車でないとダメなので、親愛なるファイヤーフォックスもここに置いていかなければならないのだが……
「こんなちっちゃいのなんだから、横をちょこっと走ってたっていいじゃないですかー!」
「いや、そう言われても……規則は規則だし……」
「規則なんて破られるためにあるんでしょーっ?」
「そういうわけにもいかないだろ」
いや、無茶なことを言っているとは重々承知であるが、やはりここは納得いかないわけで―――と、二人がそんな言い合いをしていると……
「どうしたのですか?」
そこにラルゴが通りかかった。
《あ! ラルゴさんなら……》
彼はこの馬車の制作や修理に色々尽力してくれたので、メイの悲しみも理解してくれるはずだ!
「あー、ラルゴさん。ひどいんですよー」
メイは彼に泣きついた。
「いったいどうしたのです?」
「いや、メイがあの馬車で付いてくって聞かなくって」
「あのエクレールでですか?」
ラルゴの目が丸くなる。
「せっかく直してもらったのに、これじゃ可哀想ですーっ!」
「でもラルゴさん、民生用の馬車じゃ行軍に混じるのはダメなんですよね」
「ああ、まあそうですが……」
フィンの言葉にラルゴも残念そうにうなずいた。
《あーっ⁉ ラルゴさんまでそういうこと言う? 泣いちゃうぞ? マジ泣いちゃうぞ‼》
そんな眼差しで彼を見つめていたら……
「あー、しかしあれに信号旗をつけるには、屋根に穴をあけないといけませんが……」
「え?」
屋根に穴?
あのカワイイ幌に穴をあけるのか?
だが―――もしそうしなければ彼女と決別せざるを得ないということならば、背に腹は代えられない!
「あ、それでもいいですっ!」
メイが即答するとラルゴは笑ってうなずいた。
「だったら早急にマレウスに依頼しましょう」
「え? いいんですか⁉」
「はい。ただし……」
「え?」
「この改造もメイさんご自身の依頼ということになりますから、費用もそちら持ちになりますが……」
彼が上目遣いでメイを見るが……
《は? それで引き下がると?》
メイは再び即答する。
「はいっ! 承知しましたーっ!」
ラルゴとフィンはちょっと呆れた表情だが―――彼女は今度の報償とこれまでに貯めたお金で少々小金持ちだった。ただし壊れた馬車の修理代はメイの手出しだったのでずいぶん減ってはいたが、でもまだまだ残っている。ここで使わずしていつ使う?―――
ということで、大急ぎの特注作業なので少々値は張ってしまったわけだが、ともかくこうして我がハミングバードにレイモン軍の行軍に混じっていく能力が付加されたのである。
ただし……
―――それからラルゴが言った。
「あ、それと行軍中は操車はクリンに任せて下さいね」
「え? どうしてですか?」
ドライブというのは自分で動かしてなんぼなのだが……
「メイさんは信号の出し方は分かりますか?」
「え?」
それにはさすがにぽかんとした顔を返さざるを得なかった。
ラルゴが説明する。
「行軍ではたくさんの馬や馬車がかなりの密度で走ることになります。そのため出発や特に停止の際にはきちんと合図をしないと、場合によっては大事故が起こります」
「はあ……」
彼が言わんとすることは分かるのだが……
「それがそつなくできるようになるには結構な訓練が必要です。なので行軍中はメイさんは動かさずにクリンに任せて下さい。彼女なら学院でそういった訓練も受けていますから」
「あー……そうですか」
そういう事情であればうなずかざるを得ない。
そこでしばらくは彼女が専属の御者になるというわけなのだが―――
おかげでクリンはとてもご機嫌だ。
《うー……いいなあ……》
ハミングバード初の長距離ドライブになるというのに……
だがその横に乗っていることはできるわけだから、ここはちょっと我慢するしかない。見ていれば信号の出し方も覚えられるだろうし、それに戦争がいつまでも続くわけでもないだろうし……
「で、メイ様~。疎開先ってどこなんですか~」
クリンがしれっと尋ねてくるが―――こらこら。この娘はカマを掛けて聞き出そうとしてないか?
「あはは。だからね? それって国家機密だって言ったでしょ?」
「でも行き先によって準備が変わってくるんですけどー」
「大丈夫。こんな感じでいいってラルゴさんも言ってるから」
「はい~」
もちろんこれからのドライブは遊びではない。
今日ああやってメリス攻略軍が出陣していったのだが、そうするとアキーラの守りが非常に手薄になってしまう。するとそこに南からアロザール軍が攻めてくる可能性があるわけだ。
実際にバシリカには既に十分な数の兵が集結していて、それらがいつ動き出してもおかしくない状況だという。
なので大皇様や大皇后様をここに置いておくわけにはいかない。
なにしろこちらに大義があるのは彼らが味方だからだ。なので二人を敵の手に渡しては絶対にならないのである。
そこでアキーラから離れた場所にみんなで疎開することになったわけだ。
レイモンとは平べったくて目立つランドマークに乏しい。自分たちが解放作戦中に見つからずに済んだのもそんな要素が結構効いている。
なので王国内のどこか目立たないところにこれから行くのだが、もちろんその場所は厳重に秘密にしなければならない。
そのためクリンやコーラにも行き先は教えていない。もちろん不安なのは分かるが、ここは我慢してもらうしかなないわけで……
翌日。空は晴れて風も爽やかなの絶好のドライブ日和だ。
しかし……
《うー……もっと突っ走りたいなあ……》
メイのハミングバードは数十名の兵士に守られた馬車隊と共に走っていたが、当然自分だけ先駆けることはできない。みんなに合わせてトロトロ走らなければならないのである。
《ローチェだったら風みたいに走れるのに……》
彼女はハミングバードを引いてくれている馬車馬だ。メイの馬車が名車であるのと同時に、彼女もまた名馬といっていい。
実際そんな調子で走っていたら強風でひっくり返ってしまったわけで……
だが強靱なローチェといえどもそんな速さでは三十分くらいでへばってしまうだろう。今日の目的地までは結構ある。なのでゆっくりと馬がバテない速度―――この“並足”という速さで行かなければならないのだ。
さあっと秋風が吹き抜ける。
《あは! 気持ちいい!》
だがこれはこれで超いい気分だ
横を見ると凄く楽しそうな表情でクリンが手綱を取っている。
彼女が今着ているのはヴァレンシア学院の制服だ。まだ正式にレイモン軍に属しているわけではないのでこれが正装なのだそうだ。
《あのときシャアラさんやアカラさんが着てたけど……》
あの作戦ではちょっと笑わないようにしなければいけなかったが、彼女の場合はすごくお似合いだ。
振り返ると彼女の後から六台の大きな馬車が付いてくるのが見える。みんな昨日見たマンデルの軍用ベルリンだ。あの中にメルファラ大皇后やカロンデュール大皇、その他諸々が分乗しているのである。
それと一緒に見慣れた姿がいくつも馬に乗って随行していた。
「ん? どうかした?」
振り返ったメイに気づいてリサーンがやってきた。
「いや、ただ景色見てただけで」
「あは。今日はいい天気だもんねえ。なんか寝ちゃいそう」
「落ちないようにして下さいね」
「んなわけないでしょ」
ベラトリキスでもヴェーヌスベルグのみんなは乗馬で移動している。その気になれば馬車に席も用意されているのだが、こんな日にはやはり外が一番ということらしい。
《ま、それはそうよね》
そしてその先にいるのは同じく乗馬姿のロパスだ。
フォレス王家の親衛隊長で、エルミーラ王女に付き従って都まで一緒にやってきていた。そして王女がメルファラ大皇后に同行すると決めてしまったのでそれにも随行していたのだが、アキーラまで来た時点で例の呪いに冒されてしまってそこで離脱せざるを得なかったのだ。
そしてここ一年くらいは彼女たちがアキーラ城の後宮住まいだったので、普段はあまり顔を合わせる機会がなく、会議のときや外出する際の護衛でしか一緒になれなかったので、あまり彼らとのエピソードというのがないのだが……
《アウラ様とかはよく会ってたのよね……》
リモンやサフィーナの薙刀の練習相手はロパスたちフォレスの親衛隊が一番だ。レイモン兵士も十分強いのは確かなのだが、何分薙刀の太刀筋に慣れていないのでみんな瞬殺を食らってしまうのだ。
何度か彼らの練習を見る機会もあったが……
《あはは。凄くびっくりしてたもんね……》
リモンが初めて五人抜きしたときのことを思い出すが……
そして彼と馬を並べて走っているのがハルムートさんだ。
彼はメルファラ大皇后を幼い頃から育ててきた父親代わりのような人らしく、今は大皇后の警備隊長をしている。
彼もまた大皇后に同行してきたのだがロパス同様アキーラで呪いにかかってリタイアしていたのだ。
最近彼らと行動を共にしたのは……
《ああ、つけ払いツアーのときだったわよねえ……》
彼女たちがレイモンの解放作戦を行っていた際、手持ちのお金はすぐに底をついてしまったためメルファラ大皇后名義のツケでいろいろな物資を購入していたのだが、今年の二月、そのツケ払いのために各地を巡ったのだ。
《あのときはアルマさんとアラーニャちゃんが……あはは!》
“魔法の訓練中の事故”で二人は参加できなかったわけだが、残りはみんなで各地を回って色々と歓待してもらったのだ。そのときの護衛がロパス率いるフォレス親衛隊と、ハルムート率いる大皇后の警備隊だった。
《久々に旧交を温める、みたいな感じだったけど……》
心配事なしに各地をのんびり回れるというのは久々だったのは間違いない。
今回はそのときほどはのんびりできないのは確かだが―――そんなことを考えていると、両側の木立が途切れて広い平原が現れた。前方は緩い上り坂になっている。
《あはは、ここも来たわよねー》
坂を登り切ると眼前に平原が現れた。
その中程の場所に何やら黒い染みのような物が六つ見えるが―――そう。あそこがあの決戦が行われたコルヌー平原だ。
一行が近づいていくと遠くからは黒い染みに見えた黒点が、ひっくり返った機甲馬だということが分かってくる。
今ではぴくりともしないその回りに秋の草花が咲き乱れていた。
《アラーニャちゃんが大活躍だったのよね……》
残念ながらその勇姿を見ることは叶わなかったわけだが―――と、前方を行く騎馬兵が手を振っているのが見えた。
「はいっ!」
横でクリンが小さく声を上げると天井から伸びている棒を握って左右に振り始めた。
この棒の先に信号旗がついていて、こうやって後ろの車両にこれから停止するぞという信号を伝えているのである。
それから少し間を置いて一行はすーっと停止した。
《さすが上手だなあ……》
基本的な信号の種類だけなら覚えるのにそれほど手間はかからない。
こうやって左右に振れば停止信号で、前に振れば出発、前に二回ずつ振ると加速の合図、後ろに振れば減速と、基本はこれだけである。
だが問題は例えば止まるとき、停止信号を出してもそこでいきなり止まったりすると後ろがつっかえてしまう。なので信号が全体に行き渡ったタイミングを見計らってゆっくりと停止しないといけないのだが……
《結構難しいのよねえ。これが……》
速すぎても遅すぎてもいけないし、部隊の規模によってもタイミングは変わってくるという。
また発進するときも急に出すぎると後ろを振り切ってしまう恐れがある。
それで後続がはぐれてしまったら大変だし、遅れたから待ってくれと伝えようにも、それが結構大変なのだ。
行軍の場合、前から後ろであればこうやって手や旗で信号を伝えられる。
しかし後ろから前だとそれでは気づかないし、馬の足音などが結構うるさいので声も聞こえにくい。そこで結局走って行って伝えるしかないのだが、そうすると並足よりも速い“速歩”で馬を駆る必要がある。
しかも急いでいる場合、行軍全体が速歩になっている場合もあり、そうなると前に追いつくためにはこんどは“駆足”で行かなければならない。
もちろん速歩や駆足では馬の疲労度が全然違う。並足だったら一日中でも歩いていられるが、速歩だったら一時間くらい、駆足だと三十分くらいで馬はバテてしまう。
すなわち後ろから前への通信は必要最低限に抑えなければならないわけで、それでうっかり馬がバテてしまったら止まって休ませるしかなくなってしまうのだ。
なのでスタートも全体が一団となって整然と動き出す必要があるわけだ。
《さすがクリンちゃんよねえ……》
今手綱を握っている彼女はヴァレンティア学院という学校に通っているが、ここは軍の士官の子弟を教育する場所で、教練の科目もあるという。
その中にクラス対抗の長距離競争というのがあって―――もちろんレイモンなのでみんな乗馬で遠くの目的地を往復してその速さを競うのだが、当然脱落者が一人でもいたら失格、負けである。
すると上のようにクラス全員の間の意思伝達というのがとても重要になるわけで、乗馬なら手信号、馬車ならば信号旗の使い方を覚えていくのだ。
『あははー。最初はひどかったですよー。隊列グチャグチャ、ペースはメチャクチャ、馬は疲れちゃって、みんな泣いちゃって』
―――などとクリンが笑っていたが、彼女やコーラは八才くらいからそういうことをやってるそうで、これに関してはもうベテランなのであった。
そんなことを考えていると向こうからコーラが馬に乗ってやって来るのが見えた。
彼女もまたヴァレンシア学院の制服を着ているので結構目立っている。
「あ、みなさんはこっちでーす」
それから踵を返すと一同を先導し始める。
クリンが信号を発してその後に従うと後続の馬車もそれに続いていく。それからしばらく草原の中を走ると地面に広いシートが敷かれていて、そこではお昼の準備の真っ最中だった。
一行はそれを半円形に取り囲むように馬車を止めた。
「あ、それじゃ!」
「うん」
クリンが馬車から降りるとすたたたっと準備の手伝いに行く。
続いてメイが愛車から降りて振り返ると、後続の馬車からもVIPの面々が降りてくるのが見える。
まず一号車からはエルミーラ王女とリモン、それにアウラだ。
二号車からティアとアラーニャ、それにキールが降りてくる。三号車からはファシアーナとニフレディル、四号車からはメルファラ大皇后とカロンデュール大皇、それにパミーナとアルマーザだ。
アルマーザは本来は三号車の予定だったのだが、どうしてこちらなのかというともちろん大皇の妾妃に内定してしまったからだが……
《なんかアルマさん、本当に気に入られちゃって……》
妾妃を取るとなると正妃と悶着が起きるというのが世の常なのだが、何故か彼女の場合両方から気に入られていて、しかも彼女の仲立ちで大皇后と大皇の関係まで改善されてしまったのだ。
《まさに瓢箪から駒、なんだけど……》
こんな展開を誰が予想しただろうか? これがアーシャとかだったらともかく……
《いや、笑っちゃいけないわよね……》
何というか本当にアルマーザというのは評価に困る人なのだが―――それはともかく馬車からは更に続々と人が降りてくる。
五号車から降りてきたのはイーグレッタだ。
本来ならば彼女が一緒に来る理由はあまりない筈なのだが、アルマーザに頼まれたら何故か二つ返事で同行して来たのだ。
《なんか最近仲いいし……》
イーグレッタはアルマーザのあの変な踊りをずいぶん気に入っているらしく、暇なときにはよく水月宮で新しい振り付けを考えていた。また最近は大皇様を彼女たちとファラ様の三人でお慰めもしているとか……
そんなわけで彼女が来るのならばラクトゥーカも付いてくるわけだが、その後から現れたのはアヴェラナだ。彼女は単にここが空いていたから相席しているそうだが……
《イーグレッタさんみたいな人と一緒にいるってのはどんな気分なのかなあ?》
メイだったら間違いなく運命について考察しているところだろうが……
ちなみにこのアヴェラナはアルマーザとかとは凄く親しいようなのだが、何だかメイのことはあまり目に入らないようで話をしたことがほとんどない。人見知りする質なのだろうか?
そして最後の六号車から降りてきたのはカロンデュール大皇の御側方のルチーナさんとダアルの家に古くから務めているパルティラさんとウィオーラさんだ。
カロンデュール大皇の側仕えの侍女はまだいたのだが、今回の旅の場合いざとなったら馬車を捨てて馬で移動という可能性もあるため、乗馬ができない人は残らざるを得なかったのだ。
今回馬車に乗っていたのは以上だが、天候が悪かったりした場合はヴェーヌスベルグのみんなも適宜分乗することになる。
《ま、天気がよければ外の方が絶対気分いいものね》
メイもこうしてハミングバードの旅を満喫していたわけで。
やがて昼食の準備ができたので一行は敷かれたシート上にめいめいに腰を下ろした。
「うわあ……」
出てきたのはゼーレさんたちの渾身のお弁当だ。様々な食材の挟まったサンドイッチに、美味しそうなローストビーフ、チキン、ソーセージ。新鮮な果物など、見ただけで涎が垂れてきそうだ。
もうこれだけなら本当に秋の素敵なピクニックなのだが……
「わあ! 美味しい!」
横でサフィーナが満面の笑顔で肉にかぶりついている。
「あはあ。凄いわねえ……でも今日までなんでしょ?」
側にいたリサーンが尋ねるが……
「いや、もう二~三日は。あたしたちは一応宿屋に泊まれるし……でもその後は……」
「あはは」
今回はもちろんピクニックではない。今日は一日目だからまだ何とかなっているが、今後はどんどん食べ物は質素になっていくだろう。だがそれでも……
「兵隊さんたちは、やっぱ?」
「あはは。あんな数、泊まれないし」
彼女たちの護衛は合わせれば百人近くいるのだ。そうなると全員は宿には泊まれず一部は野営生活なのだ。可哀想だがどうしようもない。
そして彼らが食べているのは今日はめいめいが持参してきた弁当だが、明日からは軍用の糧食だ。
《んー、まあ控えめに言って美味しくないものねえ……》
糧食と言えばメイも試食したことがあるが、基本カチカチのパンと塩辛い干し肉と水、といった代物だ。しかし携行しやすく長期間常温で保存しても腐りにくいような物だとそうならざるを得ない。
だがともかく今は戦争中だ。食べられるだけでも良しとしなければならないわけで……
《あ、今日は食べられてるかな?》
そう思ってメイがエルミーラ王女やアウラの方を見ると、その横にフィンとその父パルティシオンが座って彼女たちと同じ弁当を食べているのが見えた。
この一行には彼らも同行している。だが彼らはベラトリキスとは無関係のリーブラ・トールフィンと都からの単なる旅行者なので、馬車には乗れず寝るのも兵士たちと一緒の天幕なのだ。
《うう……可哀想だけど仕方がないのよねえ……》
彼はまさにアロザールとの戦いではなければならない存在だったのだが、諸般の理由でこのような待遇にせざるを得ないのである。
《シオンさん共々、キャンプには慣れてるって言ってたけど……》
後で陣中見舞に行ってやらなければ―――などと考えていたら……
「それにしてもメイさんの馬車、目立つわよねえ」
リサーンがハミングバードを眺めながら言う。
「あはは。やっぱり?」
「こんな黒っぽい一団の中にまさに紅一点だし。それにカーテンがひらひらするし」
「うふ。カワイイでしょ」
おもわず顔が緩んでしまうが―――ハミングバードの後部はカーテンになっていて、走ると後ろにひらひらなびいてカッコいいのである。しかもこうして風が抜けるようにすると、幌が前傾しているために高速安定性が高まるという副次効果もあるのだ
「なんか後ろから見てると親子連れが乗ってるみたいね」
「あ?」
「だってねえ」
リサーンとサフィーナが顔を見合わせてクスッと笑う。
「いーじゃないですか!」
クリンは今年十六だが、すごく発育がよくてメイよりももう頭一つ高くなっているのだ。
「まだ彼女、伸びそうよねえ」
「うんうん」
悪かったですねえ。もう伸びしろがなくって!
だが本当にあと何年かしたら彼女はすごく素敵な女性になってしまうのは間違いない。
《うー……》
こういう現実を見せつけられると運命という物について考えてしまうわけだが……
「ん? どしたの? メイ」
いきなり黙り込んだメイにサフィーナが尋ねてくるが……
「いや、何でもないのよ」
ふふふ。でも彼女だけは仲間なのだ! 回りが大きい人ばっかりの中、見上げなくてすむのは彼女だけだし、それに……
《うふふ。強くって、カッコよくって、それに……うふふふふ》
なーんて思ったらまたまた怪しい笑みが浮かんでしまうわけだが……
「んー?」
サフィーナは不思議そうな顔でメイを見るが、にっこり笑うとそれ以上は何も尋ねてこなかった。
《ありゃ? バレた?》
まあ、このように彼女とはわりともう以心伝心で気持ちが伝わるわけだが……
「あ、皆様、こちらでしたか」
と、そこにやってきたのはコーラとクリンだ。
「あ、ほら、それ。取っといたから」
メイが彼女たちの分のお弁当を指さす。
「ありがとうございます!」
「うわーっ! 美味しそう!」
二人は感激している。
何故なら彼女たちは原則として兵士と同様の待遇なので、食事も彼らと同じ物なのだ。しかしいろいろとよく働いてもらっているので、せめて今日はこのお弁当を分けてあげることにしたのだ。
と、そこでコーラがサフィーナに言った。
「それで、午後からなら大丈夫ですけど?」
「あ、分かった」
それから彼女は振り返るとメイににこ~っと笑う。
「あ、午後からコーラに信号の出し方教えてもらうんだけど、いいよね? メイ」
「ん、別にいいに決まってるじゃないの。どうしていちいち尋ねるのよ」
「だってちゃんと言っとかないと。またメイが……」
「もう済んだことじゃないのよっ!」
その会話を聞いていたコーラが少々引きつり笑いをしているが―――メイがどうして焦っているかというと、先日こんな事件があったからだ。
それは出陣も間近に迫ったある夜のことだ。
その日もメイはお腹がいっぱいで幸せだった。
《あー、美味しかった!……でもこれも……》
アキーラ城の食事もあと数日で食べ納めになってしまうのだ。それを思うとちょっと悲しい気分になってしまうのだが―――何事にも永遠というのは存在しない。いつか終わりが来るのは仕方ないわけで……
《ま、ともかくお風呂にでも入ってゆっくり寝よっと!》
と、彼女が入浴の準備を始めたときだ。
「あ、メイ様! エルミーラ様がお呼びです!」
いつも通り元気よくやってきたのはクリンだ。
「え? こんな時間に? 何が?」
「さあ……メイさんを呼んで来てって頼まれただけですから」
彼女にこれ以上言っても仕方がない。そこでメイは首をかしげながら王女の部屋に向かった。
「メイですが」
「お入りなさい」
そこで中に入ると―――王女と共にティアがいた。
あ? 何だかすごくデジャヴな気がするのだが……
「えっと……何のご用でしょう?」
王女とティアは顔を見合わせる。
「えっと、コーラさんのことなんだけど……」
コーラさん⁈
「彼女がどうしたんですか?」
「あなた、知らないの?」
王女が首をかしげる。
「え? 何をですか?」
「彼女、最近ずっと眠そうだったじゃない」
「あ、それはそうですねえ」
確かにこの間、居眠りが見つかって叱られていたようだが……
「彼女が夜更かししてた理由っていうのが、どうもサフィーナみたいなのよ」
………………
…………
「ええっ⁉」
サフィーナって、何の関係が⁈
「あなた、本当に知らないの?」
「いや、知りませんが……って、彼女、何したんですか?」
「それがね、ほら、最近会議でいないことが多かったじゃない」
「はい」
「その間にコーラさんがあなたとサフィーナの部屋によく出入りしてたそうで」
………………
…………
「出入り、してた⁉」
そこでティアがうなずいた。
「あー、リサーンが何度も見たって」
確かにそういうときにはサフィーナは部屋で一人なのは確かだが……
「いや、いろいろお仕事がありますから、出入りくらいは普通にするでしょ?」
だがティアは首を振る。
「それがね、この間はハフラが夜中に、サフィーナがコーラさんの部屋に忍んで行くのを見たんだって」
「えええ?」
夜中に彼女の部屋に⁉
それってまさか―――いやいや、そんなことあるはずが……
「それでね、今度は今日の朝なんだけど、またコーラさんとサフィーナが立ち話していて、それをマジャーラが聞いてたんだけど……」
「な、何を話してたんですか?」
「それが、サフィーナが何か言ったら彼女が、でも指が止まらなくなっちゃってダメなの、とか答えてたそうだけど……」
………………
…………
……
指が⁉ 止まらなくなってダメ⁉ って……
顔から血の気が引いていくのが分かる。
「それで、サフィーナ、彼女に何かいけないこと、してないかしら?」
………………
…………
……
いけないこと⁈ っていったら、その、イケないことか⁈
「い、いやいやいやいや、彼女に限ってそんなこと……」
だがそこでメイの脳内にとある光景が浮かび上がってきた。
《そういえばコーラさん、サフィーナに尻尾があるかどうか知りたがってたわよねえ……》
あれは笑い話だ! そのはずだが―――もしかしてあの後、彼女は直接サフィーナに尋ねたのか? そうしたら……
《ま、さ、か、あれって正夢だった⁉》
―――密室の中、コーラはサフィーナと向き合っていた
「あの、すみません。サフィーナ様、本当に尻尾がないか見せて頂けませんか?」
サフィーナがちょっと恥ずかしそうに答える。
「え? それはいいんだけど……一人だけ裸になるのはなあ……」
「え? でも……」
「君も一緒に裸になるのならいいよ?」
そう言って彼女がにこっと笑いかけると―――コーラは真っ赤になる。
しかしやがて意を決したかのように着ている服を脱ぎ始める。
「君の体、綺麗だね」
「そんな、サフィーナ様こそ早く!」
「ふふ。じゃあ見ててね」
彼女も自分の服を脱いで一糸まとわぬ裸になった。
「それじゃじっくり見ていいよ。ほら……」
そう言って後ろを向く。
「ほら、触ってごらん? 尻尾はあるかい?」
「そんな……」
コーラはおずおずとサフィーナのお尻を撫でるが、そこに何もなかったことに少し安堵するが……
「それじゃ今度はあたしにも確かめさせてね?」
「え、何を?」
「君にも尻尾がないかどうか」
コーラは体中真っ赤になるが、やがておずおずとサフィーナにお尻を向けると、サフィーナの指が彼女をまさぐりはじめる。
「ああっ」
コーラの喉からは甘い喘ぎ声が漏れはじめて―――
「メイ?」
「はにゃ?」
「なにボケッとしてるの?」
気づくと王女とティアが覗き込んでいる。
「あ、いや何でもありませんよ? あはははは!」
しまった! 妄想で意識が飛んでいたが……
「ともかくメイちゃんが知らないなら本人に聞くしかないわよねえ」
「そうねえ」
あわあわあわ……
んなことがあるはずないと思いつつも、メイにはそれを否定する材料もない。むしろ……
《ああああ……最近会議が多くてすぐ寝ちゃうことも多かったし……》
そういう場合はキールの所に行ったりするのでは?
《でもコーラさんって何てか、初々しくって……》
ちょっと可愛がってあげたくなるという気持ちが分からんでも……
………………
…………
「げほーっ!」
「どうしたの」
「いえっ! 何でもありませんっ‼」
というわけで今度はサフィーナが呼びにやられたのだった。
彼女は親衛隊の制服姿で、薙刀の自主練をやっていたとみえて軽く汗ばんでいた。
それはともかく……
「ん? どうしたんだ? みんな」
メイにエルミーラ王女、それにティアが揃っているのを見て彼女は首をかしげた。
「サフィーナ、ちょっと尋ねるんだけど……」
「ん」
王女の言葉にサフィーナがうなずくが……
「あなた、コーラさんの寝不足の原因を知らない?」
「んえっ⁉」
―――途端に彼女が挙動不審になった。
《んええええええええええっ⁉》
そんな、まさか―――目の前が真っ暗になってくるが……
王女とティアが顔を見合わせる。
「もしかして……何かいけないことを?」
「え? あの、えと……」
サフィーナの眼が盛大に泳ぐ。
「あ、あの、サフィーナ……やっぱりその……」
思わずメイは駆け寄って彼女の手を取っていた。
《何て……こういう場合、何て言ったら?》
頭の中がぐるぐるして、涙まで出てきてしまう。
それを見たサフィーナの血の気が引いていく。
「えと……その、そんなにいけなかったか?」
!!!!!!!!!!!!
一同は一瞬凍り付き、それからエルミーラ王女がにこーっと笑って何か言おうとしたのだが……
「ちゃんといつも返してたんだが」
………………
…………
……
王女の笑みが引きつった。
ティアは目がまん丸だ。
メイも何だかよく分からずサフィーナをぽかんと見つめるが……
「返したって、何を?」
王女の問いにサフィーナが答える。
「本だが……コーラに貸すのってそんなにいけないことだったのか?」
「えっと……どういうこと?」
状況がよく分からない三人に彼女が説明を始める。
「いや、この間本を読んでたときなんだが、よく分からないところがあって、そこにメイが帰ってきたって思ったから尋ねたんだよ。でも実はそれがコーラで」
サフィーナはメイに読み方を教わって以来、読書も結構好きになっていて、練習のない日には結構読んでいたのだが……
「コーラ、賢いんだよな。分からなかったところ、教えてくれて。それで最近メイがいないときが多かったし、そういうときにはいろいろ聞いてたんだ」
一同はぽかんとしてうなずいた。
「そしたらコーラがあたしの読んでた小説、すごく読みたそうだったんで貸してあげたんだ。家じゃ小説なんて読ませてもらえないからって」
あはははは! 彼女の家は厳格な武家なので、そんな話は何度も聞いていたのだが……
「そしたらコーラ、ものすごくハマっちゃったみたいで、なんか最近目が赤いし、あんま読み過ぎるなよって言ったんだが、ページめくる指が止まらなくなっちゃってダメなのとか」
………………
…………
……
あははははははははっ!
「あの……天陽宮の本を勝手に貸したりしたらいけなかったのか?」
王女が少々引きつり気味に答える。
「んまあ、黙って他人に貸すのはあまりよくありませんね。そういう場合は司書の人に許可を取って下さいね」
「ん。分かった。今後はそうする。が……」
サフィーナは不思議そうにメイの顔を見る。
「でもどうして泣いてるんだ?」
「あ、それはね……」
王女がにこ~っと笑う。
《あ? 何ですか? その笑みは!》
イヤーな予感がするが……
「メイがちょっと勘違いしちゃってて」
「勘違いって何を?」
あ、こらっ!
「ほら、あなたがコーラさんをメイみたいに慰めてあげちゃったんじゃないかって」
………………
…………
……
サフィーナがぼしゅっと真っ赤になる。
「メイ! そんなこと思ってたのか?」
「いや、まあ、でも王女様だってそうだったでしょ!」
「あら? なーに?」
この、裏切り者がーーーーーーーっ!!
「それ、ちょっとひどくないか?」
「いやいや、だからちょっと勘違いしただけでーっ!」
サフィーナがじとっとした目で彼女を見るが……
―――という事件があったりして、それ以来ちょっといじめられているのだ。
ちなみにコーラがその話を知ったときにはポッと赤くなって……
『あ、でも私は男の方の方がいいですから、大丈夫ですよ。メイ様』
などと大人の対応をされてしまったのだった。
《うぬー……コーラさんももう十九なのよね。色々分かっててもおかしくないし……》
メイの初恋のときは十八だったわけだし……
………………
…………
《って、あたしのファーストキスはぺぺちゃんとだもんね!》
いかんいかん。またダメな記憶が蘇ってくるところだった。まあ、最近はそれでのたうち回ったりはしなくなったが―――などと考えていると……
「済んだことって何がですかー?」
不思議そうな顔でクリンが尋ねてくる。
「いや、大したことじゃないのよ。あははははっ! あ、それよりあなたたち、一杯食べときなさいよ? これからはそうも行かなくなるから」
「あ、はいっ」
彼女はまだ色気より食い気の年齢だ。そうやって食べてすくすく育って―――いやいや、その話題はNGだよねっ!
―――と、そんなこんなの昼食が終わると午後の行程だ。
今日はもう少し行った先の宿屋に泊まることになっている。ただしそれはVIPのメンバーだけで、コーラやクリンも宿屋には泊まれずテント泊だという。
《雨降ったら大変だろうなあ……》
この時期は雨は少なくなるから多分大丈夫だとは思うが、それでも悪天というのは最大の敵である。それに関してはまさに運を天に任せるしかないわけで……
そんなことを考えていると平原が終わってまた森の中の道になった。
そこをしばらく進んでいると、両脇の木がところどころ倒れているのが目に付いてくる。
《うわ……》
背中がぞくりとした。
そう。これから元トゥバ村のあった場所を通り抜けなければならないのだ。
あの出来事は、まだ時々夢に出てきたりするわけで……
《あー、いかんいかん。余計なこと考えたら……》
とは言ってもこの場所に来てしまうとそうもいかない。
「大丈夫か? メイ」
気づくと横をサフィーナが併走して、心配そうに見つめている。
「あ、大丈夫よ」
そうは答えたものの、あたりの倒木は更に増えていく。
そして森を抜けたその先には崩壊した村とそこに散らばる死体の山があったのだが……
「えっ?」
思わず声が出てしまった。
目の前に広がるのはそれとは全く違った光景だ。
確かにそこには村の廃墟があった。爆風で壊れた家が各所に放置されていて―――だが今はそれが丈の高い草に半分方埋まっていて、周囲には秋の草花が咲いている。
何かうら寂しい光景だが、言われなければここでそんな惨劇が起こったとは分からないだろう。
あれから一年。
トゥバ村に住んでいた人々は引っ越してしまい、この場所は放棄されて自然に帰るままになっているのだ。
「これなら怖くないだろ?」
「あ、そうね……」
一行が丘を登り切ると爆心地に石積みの碑が立っていた。
メイは振り返らずにそこを通り抜ける。
まだそんなことをする勇気は出ない。
今晩はまたサフィーナに幽霊を追い払ってもらうしかないだろう。