自己責任版:白銀の都
白銀の都 7. 疑惑

7. 疑惑


「ドクター、書庫の鍵は?」

「そこにかかっとるじゃろうが」

「どこだよ」

「そこじゃ」

「ああ、これか?」

「そうじゃ。そんなもん何に使うんじゃ?」

「何にって、記録を調べるんだよ」

「お前がそんなことするとは、どういう風のふきまわしじゃ」

「ちょっと調べたいことがあるんだよ」

「そりゃいいが、調べた後はちゃんと片付けておくんじゃ。いっつもばらばらにして行きよる」

「わかったわかった」

俺は書庫の扉をあけた。

「ぷはー、きたねえな」

ドクターは俺達の学館の教授で、都の祐筆で、書庫の管理者でもある。ここに来れば都の歴史や出来事の記録がみんな残っていると言うわけだ。

 俺は中に入った。ちゃんと片付けろったって、こんじゃどうしようもないじゃないか。ええ?人にだけは文句言う癖に。

 それにしてもやっと騒ぎはおさまったようだ。この一カ月、なんだか分からないうちに過ぎてしまった。

 ティア達はハネムーンから帰ってきて、今ではジアーナ屋敷の別邸に落ちついている。

 しっかし、結婚してから何だか知らないけどフロウがやたらにきれいになった気がするなあ。ティアが色っぽくなったっていうんなら分かるが、あいつはどう見ても前のまんまだ。おかしな奴らだな。全く。いったい何してきたんだ?

 昨日久々にあいつらがうちに帰ってきた。結婚したからには少しはおとなしくなってるだろうなって期待していたんだが、会ったとたん、

「きゃあ、お兄ちゃん、おっひさしぶりい!それにパパもママも!」

だもんね。

 親父なんかもあきれたらしいが、口には出さなかった。もうティアはうちの娘ではないし、フロウの手前叱りつける訳にもいかないし。だから、

「ティア、よく帰ってきた」

と言っただけだった。

「うん。それよりフロウもいらっしゃいよ」

「ええ」

後ろから声がする。何だ?もう尻に敷かれてるのか?夫唱婦随の美徳はどうした!でも、ねえ。フロウはちょっと弱そうな所があるから……そしてフロウが入ってきた。

「い、いらっ……」

俺は挨拶しようとして絶句してしまった。う、美しい!

 あの美しさにますます磨きがかかったって感じで、なんというかすごみがある。こういう男に見つめられたら、誰だって身動き取れなくなっちまうだろうなあ。多分フロウは歴史に残る大皇になるんじゃないか?この調子で行けば。

「お久しぶりです。フィナルフィン」

そう言ってフロウは固まっている俺に手を差し出した。

 こっちはあがっちまってたから……どうしてティアの旦那にあがんなきゃいけないか分からないけど、ともかくかちかちになっちゃったんだよね。

 俺はフロウの手を握った。フロウの手は小さい。何度か握手をしてたけど、今回は特に小さく感じられた。しかもきれいな手だ。

 後から考えたらこれもそうなんだよね。

 それから夕食をして、ちょっと三人で話す機会があった。

 そのころにはこっちもペースを取り戻していて、もちろんアルカ酒のせいだ、つまらん軽口も叩けるほどに回復はしていた。

「……でもやっと都も落ちついてきまたねえ。あんたらの結婚の時はもうすごかったから」

最近はやっと気さくに話ができるようになった。もちろんプライベートの時だけだが。

「ええ、もうあれはすごかったですね」

「あたし、あれ以来体の調子が狂いっぱなしなのよ」

「ええ?体が?頭は大丈夫なのか?」

「大丈夫よ!」

こいつの体は鋼鉄でできていると思っていたが。

「大皇の結婚の時もこうだったのかなあ」

「話では、同じようなものだったらしいですよ」

「ふうん。まあめでたい話だから。でもこっちが気の毒に思えてきたよ。あの時は。全く休む暇もなかったんだろ?」

「そうなの。足が棒になっちゃったんだから」

「フロウも……体は大丈夫だった?」

「ええ。こんな時に寝込んでいられませんよ」

だろうな。大切な用事が控えてるんだし……

「まあ、あの後ゆっくり休めただろうから……ハネムーンはどうだった?」

ちょっとからかってみよう。

「ええ、すてきだったわ」

「何が?」

えっへっへ。

「何がって、ハネムーンでしょ」

「……あ、そうか」

なんて鈍い奴だ。さもなきゃずぶといか……顔色も変えないよ。フロウを見ても……きょとんとしている。うーん。さすがは次期大皇。この程度では動じないのか?

「違うの?」

「いや、そうだけど」

ここまで来れば芸かな?

「でもねえ、すごかったのよ」

お、いきなり!

「ティア!」

フロウの顔色が……やっぱりねえ。ああいう所で、二人きり……きれいな夕日を見ながら目と目が合う。そして……ふっふっふ。

「デュールが来ちゃったの」

「はあ?」

何の話だ?

「ティア、それは言わない方が……」

「大丈夫よ」

「デュールって、カロンデュール?」

「ええ、実はね……」

ティアがカロンデュール乱入の様子を話し出した。狩にきて部下が負傷したので船を借りにきたということだ。

 冷静だよなあ。確かにあそこからならこの方が早い。体面よりも部下の安全を第一に考えるなんて、なかなか見所がある。

「……というわけなの」

「へえ、そりゃ珍しい」

「でしょ?デュールって結構いい人よ。あそこで部下に指揮してるとこなんてかっこいいって思っちゃった」

こらこら。

「ティア、ちょっとこちらへ来なさい」

「なによ」

「いいから」

俺はティアを引き寄せると言った。もちろんフロウに聞こえるように。

「だめだよ。最初から……」

「??」

「そりゃね。カロンデュールの方が立派な体はしてるけどね、男はそれだけじゃないんだから」

「あ、あのねえ!」

やっとわかったか。

「フロウは優しかった?」

「ば、馬鹿!」

ぱしーん。

「わはははははは」

「もう!」

俺はフロウを見た。どんな顔してる?やっぱり……あれ?な、なんて冷静な奴だ。信じられん!

 あいつは眉一筋変えていないじゃないか。どういう奴だ?いったい……

 ……………………

 俺がこんなばかばかしいことをする気になったのもこういう訳だからである。本当にばかばかしいよな。何度考えても。

 だが……まさかねえ。でも、ひっかかりは除いとかないと、精神衛生上悪いからなあ。

 誰かに相談できればいいが、あまりにもあほくさいんでとても人には言えないんだよね。フロウは女じゃないかなんて……

 でも、おかしいと思えばおかしいんだよな。最初からあいつは男か女かよく分からないような所があった。でもそんなことは良くあるさ。シアターに出て来る女形なんてどう見ても男には見えないし、女に見えない女だってよくいる。

 おかげでつまらん妄想にふけってしまったが……ああ情けない。

 その時はその時だが、本気でおかしいと思ったのは結婚式の時だった。ティアの奴が『フロウは男なんだから』って言うとき、確かにあいつの目玉はひっくり返っていた。

 お兄様の目は節穴じゃないよ。こいつがそういう目をするときには何か隠し事があるんだ。あいつははるか昔っからそうで、いまだにその癖が直らない。まあ根が素直なんだと言えないこともないが、正確にはただのアホという。

 それを直接に解釈すれば、フロウが男だと言うことが嘘になる……が、だ。もちろん別のことを考えてたのかも知れない。確か女装がどうとかいう話だったが……フロウがそういう趣味をしてるとか、実は変態だったとか……人に言えないことってのはいっぱいあるからなあ。特にああ言う連中はなあ。

 それにしても汚いところだ。どうにかしてくれよ。

「ええ、記録集はどこだ?」

ぶつぶつ言いながら捜しまわったあげく、やっと発見した。

「ぎゃあああ、こんなにあるのか」

そりゃそうだろう。四五〇年分だものなあ。とにかく見てみよう。

 ページをめくると都の歴史が次々に現われる。

 歴史は始大皇が東の地から七家族を率いてこの地にやってきたところから始まる。七家族とはマテラ、アスタル、カマラ、エルノン、クアン・マリ、ル・ウーダ、ヴァリノサである。これが今の都の七公家だ。

 そして三公家とは初代大皇の血を引く子孫である。ベルガの一族が直系に当たる。後マグニとハヤセの一族がいるが、これは言ってしまえば浮気の産物だ。マグニ家は大皇がマテラの娘に産ませた息子が始祖になっている。ハヤセはそれに怒った白の女王、初代大皇妃が浮気して産んだ子供の子孫である。

 まあ、最初からすごいもんだ。どうでもいいけど。

 都は始大皇が引き連れてきたスレーブによって一夜にして築かれたという。今でも彼らはこの都の維持に昼夜働いている。

 スレーブっていうのは人の恰好をした人形だ。だが動くことができるし言葉も喋れる。都が今のように繁栄できてるのも彼らのせいだと言うが、あまり気にしたことはない。

 時が経つにつれ、都の人口は増えていった。そして今の下町もできあがって行った。下町を構成する人々は、最初は旅の途中に拾ってきた人々だった。だがやがて公家のしきたりとか何とかはめんどくさい、という連中もそれに加わった。主に分家の二男三男といったところだ。下町では大抵のことが公族に比べて自由だからだ。

 俺も長男じゃなかったらこっちで暮らすようになってたかもね。変な家に婿入りする気なんてさらさらないし。でも俺はヤーマンの家を継がなきゃならない。うっとうしいよなあ。

 ええっと、だいたいどこに書いてるんだ。細かいんだよね。

『銀の暦第三二五年七の月二四日 銀の塔にてお披露目が行なわれる。その日祝福を受けるのはデラスの家のクアン・マリ・レナターン君、ガルトの家のヴァリノサ・エミリナラ姫のお二人である。その日はあいにくの天気で、雨が朝から降っていたが、式が始まった頃嵐の様相を示し始めた。お立会いはハヤセ・トランダール卿であったが、ご口上を述べられた後貧血を起こされたのでご子息のハヤセ・トランディランの君がご代行なされた……云々』

この後に参列者の氏名がずらずらときて、式の様子から何から何まで書いてある。こうやって見ると今も昔も変わっていないねえ。

 ええと、そうじゃなくて……おや?これはミュージアーナ姫に関する話だな。こいつなんだよ。こいつ。ジークとダアルの間に軋轢を生じさせた張本人は。 ブランの家のマテラ・ミュージアーナ姫は絶世の美貌と歌われてた。その彼女をめぐって曾祖父さん達が争った訳だ。で、結局ジークⅤ世がかっぱらっちまったわけだが……

『ジークⅤ世はミュージアーナ姫との結婚を祝し、都の西に屋敷を建造した。建物は長さ二六〇尋、幅九五尋あり高さは二〇尋あった。庭にはミュージアーナ姫が好んだライラックが一面に植えられていた。人々はその屋敷をジアーナ屋敷と呼んだ』

ここが今のジークⅦ世の屋敷だが、ジアーナ屋敷という呼び名は今でも残っている。それから建増しが結構あって、ティア達が住んでいる別邸は庭の反対側の池のほとりにある。

 ミュージアーナ姫は一度肖像を見たことがあるが、やっぱり美人だね。なんとなくフロウに似てるところもある。そりゃ血がつながってるからなあ。

 じゃなくて、フロウだよ。早くしないと日が暮れちまう。

 ええと、ああ、あった。

『銀の暦第四四六年四の月一二日、ベルガ・ジークⅦ世の妻エイジニア妃に御子誕生。双子であった。しかし、産褥の苦しみのためエイジニア妃はお隠れになり、双子の一人も同様に死亡。残った皇子はメルフロウと名付けられる。この方はお世継ぎの君となる』

うーん。もう一人が男か女か書いてないな。まあ書いてても信用できるかどうか分からないけど。

 とにかくフロウが男だと分かるような記述はないかねえ。

 俺はページをめくった。細かい記録が次々に目に飛び込んでくる。頭がいたくなりそうだ。

 ええ『メルフロウ皇子は初めて銀の塔にお目見えになった』からどうだっていうんだ。『メルフロウ皇子が四才の誕生日を迎えられ、大皇の祝福をお受けになった』そりゃそうだろう。

 うう、むずかしいよなあ。こういうのって意外に決め手がない。俺だって俺が男だって証明しろっていわれたら、裸になって見せるしかないよなあ。まあ俺を見間違う奴はいるわけないけど。

 フロウってのは……本当に見分けがつかないもんなあ。

『メルフロウ皇子は狩にお出かけになり、初めて獲物をお仕留めになった』

これは?一〇才か。この歳でもう弓はうまかったんだな。女じゃこうは行かないよなあ。白の女王ならともかく、一人で東の帝国を叩き潰したっていうけど……伝説では弓がうまかったなあ。そういえばフロウはその血をひいているんだよな。まさかねえ。

 この頃初めて俺達に会ったんだよな。

 うーん。あのころは……子供の性別なんて分かりにくいから。気が弱いところはあったが…

 うう、背中に入墨でもあるとか言う話はないのか?人前で肌をさらしたようなことがあれば、間違いはないと思うんだが。でも、子供の時もないんだよね。湖で溺れたとかそんな話も。

 そういえば泳いだとか言う記述はなかったな。どうして泳がないんだ?泳ぐのが嫌いだ、と言われたらおしまいだよな。

 でも、この頃は健康みたいだな。病気だっていう記述はないな。ええと……あ、一二才でだ。

『メルフロウ皇子は急なご病気のため、ハヤセ・アンシャーラ姫の招きをお断りになった。これは今年三度目のご発病である』

一回目はいつだ?ええ、わかんないなあ。

 ううんと、ええと、ああ、もうお披露目だよ。一三才だな。早いなあ。ティアなんか一五なのに。俺も一五だったな。最初は。

 このあとは……いっぱいあるな。お披露目してしまえばいろいろな所から正式に招かれるもんなあ。

 うわあ、都で行なわれるほとんど全部の式や宴に招かれてるよ。これじゃ俺達と遊んでられないわな。大変なもんだ。まだ若いのに。

 でも人気はすごいなあ。

『マグニ・レナタンⅢ世の家で行なわれた定例のコンサートに初めてメルフロウ皇子が公式にご参加なされた。そのときの客人はすべてメルフロウ皇子に注目し、演奏者の方は誰も見ていなかった』

か、可愛そうに!レナタンのコンサートっていうのはすごいもんな。何回か行ったけど。レナタンⅢ世はやたらと音楽好きで、立派なオーケストラを持っている。楽員の腕は超一流の奴ばっかりで、あそこでやるコンサートっていうのは有名だ。それが完全に無視されるとは……

 それよりだ。段々疲れてきたなあ。難しい問題だよな。こいつは。

 えっとなんだ?おや、カロンデュールはフロウよりお披露目は後なのか。ふうん。だがカロンデュールも結構人気がある。まあ、家の確執が背景にあるんだろうけど。メルフロウの対抗馬としてかり出されたんだな。

 うんうん。おや、この頃から既に同時参加がないな。カロンデュールが出席したパーティーにはメルフロウは出てこないし、その反対もそうだ。うーん。どうでもいい気がするけどなあ。

 はあ、この後は……大したことは書いてないようだなあ。

『銀の暦四六一年八の月一六日 エルノン・ファルⅧ世邸で星見の宴が催される。メルフロウ皇子はご病気で欠席されたが……』

だの、

『銀の暦四六一年九の月一六日 ベルガ・ジークⅦ世邸で立秋の宴が開催される。通常はささやかに行なわれるのが常であるが、今回は参加者一〇〇人に及ぶ豪華な宴となった。ただ、メルフロウ皇子はご病気で中座された……』

こいつ病気ばっかりだな。

『銀の暦四六一年一〇の月一六日 銀の塔にて今年四回目のお披露目が行なわれた。祝福は大皇の具合いが思わしくないため当初メルフロウ皇子が行なう予定であったが、メルフロウ皇子ご発病のためカロンデュール皇子が代行なされた……』

へえ。こんなこともあったんだ。今が四六三年だから、一昨年ね。ちょうどティアがお披露目したときじゃないか。この年の一回めだったな。ええと……一月一四日、おや、フロウは休んでるね。ここも病気か。

 やたら病気が多いなあ。そんなに弱々しいって感じじゃないけどなあ。よく寝込んでるね。そういえば病名も聞いてなかったな。危ない病気じゃないだろうなあ。だいたいこんなに頻繁に発作を起こすなんて……んん?

 俺は飛び上がった。ページをめくる。そうだ、これもそうだ、これはいったい……三〇日、三〇日、三〇日、二九日、二八日、六一日、二八日、五九日、三一日、八九日、二八日、三〇日、二八日……

 何だこれは?どうしてフロウはこういう周期で病気になるんだ?基本が二九から三〇日で、そうでない場合はその倍数になってるじゃないか。

 ええ?すなわちだな、要するに、こういう周期で発作をおこす病気っていうのは……だ。

 月経?

 ちょっと、ちょっと、冗談だよな。だってなあ、フロウは男だよなあ。男にそんなものないよなあ。あったらちょっと恥ずかしいぞ。な。これは何かの間違いだ。もうちょっと調べてみれば……

 そして俺は全ての記録に当たってみた。その結果分かったこと言えば、フロウは平均二九・四日、標準偏差一・八五日の周期で病気になっていると言うことだけだった。

「嘘だよな、ははははは」

もう外は暗くなってしまった。だが俺の頭の中にはその数字だけが渦巻いていた。

「フィナルフィン、どこじゃ」

俺がぼうっとしていると、ドクターが入ってきた。

「ああ、ドクター」

「こんな暗いところで何をしておる」

「何をって……あの、そういえばドクター、非常に周期的に発作を起こす病気ってしりませんか?」

「何じゃって?いきなり。周期的な病気?そうじゃなあ。例えばマラリアなんぞでは周期的に発熱するぞ。多くの病気では午前よりも午後の方が悪化しやすい。それも周期と言えばじゃが」

「あの、一カ月単位では?」

「一カ月単位の周期?さあ……わしにも分からんが、そんな病気があるのか?」

「いや、あるかなと思って……」

「さあなあ。そういうことは医者に聞いた方がいい。わしの専門じゃないからな。それよりまだここにいるのか?」

「いえ、帰ります」

「じゃったらいい。まだ調べているのなら、ここの戸締りを頼もうと思ったのじゃが」

「ああ、調べ物は終わったんで帰ります」

「そうか、じゃあ気をつけるんじゃぞ。何か最近は物騒じゃから」

「あの盗賊の噂ですか?」

「ああ」

「こんな都には出ませんよ」

「じゃといいがな」

「それでは」

「ああ、気をつけてな」

俺はそそくさと学館を後にした。

 帰り道俺の頭にあるのはさっきのことばかり。

 いったいどういうことなんだ?ほ、本当にフロウは女なのか?だとしたら……ちょっと待て!いったい何を考えてティアと結婚したんだ?あいつは。本気で変態じゃないのか?

 ちがうよ。その訳ないよな。あいつは生まれたときから男として育てられたってことになるんだから……どうして?それは……男が生まれる前にエイジニア姫が死んでしまったからだとすれば……

 背筋がぞうっとしてきた。

 やばいよ。これは。とってもやばいよ。

 ティア、ティア、大丈夫なんだろうな?あの馬鹿じゃ……わかんないだろうなあ。この恐ろしさを……

 わああああああ。どうしよう!い、命があぶない!



 それから一週間後、俺はフロウの別邸の前に立っていた。

 どうするか、まだ帰れるよなあ。今なら……でもここで帰って後で一生後悔するのも……

 だけどここで入って一生後悔することもあり得るわけで……

 どっちがいいかねえ。やっぱり入って後悔した方が、ましだよなあ。そうだよな。絶対そうだ……

 だけど……

 もういい。どうなったって知るか!

 俺は今日の計画をもう一度おさらいすると、一、二、三……ゆっくり十まで数えてからドアをノックした。すぐにムートが現われた。

「やあ、フィナルフィン様、よくいらして下さいました」

「いえ、こちらこそ突然にお邪魔しまして」

「とんでもありません。さあ、中へ」

「では」

フロウの別邸への初めての訪問である。一応ティアの兄と言うことで、ここはほとんどフリーパスで来られる。

「でも、ずいぶん警戒が厳重なんだね」

「それは、お世継ぎに何かあっては大変ですから。それに最近は何かと物騒なので」

「そうだねえ。君も大変だね。夜も寝られないんじゃないか?」

「まあ、そこはなんとか」

「ティアをよろしく頼むよ」

「ええ、お任せ下さい」

 俺はムートに案内されて奥の居間に入った。きれいに片づいている。派手じゃないけど家具や調度の一つ一つが渋い。

「いい家ですね」

「そう思われますか?」

「ここはミュージアーナ妃が住んだ所ではないんですよね」

「ええ、ずっと後に建てられた物です」

「でもいい景色ですねえ」

池のほとりの別邸はこじんまりと落ちついていて新婚が暮らすにはうってつけのようだ。

「静かでいいですね」

「はい……」

そのとき、ティアとフロウがやってきた。が……

「まあ、お兄ちゃん、いらっしゃい……きゃあああああ」

ずでーん。

 あ、あの馬鹿……

「ティア!」 

「だ、大丈夫」

フロウが助け起こす。

「ありがとう、フロウ……」

「だめですよ。走っては」

「だって……」

「ははははは。ティアはやっぱり転んでますか?」

「ええ。よく」

「だって!」

全く静かでいいですねって言ったとたんだ。しょうのないやつだ。

 すねてるティアをなだめるフロウは、うーん。どっちにも見えるよなあ。こうして見ると男っぽく見えるし……何だか自信がなくなってきたぞ。

「それでは私は。御用があればお申し付け下さい」

「ああ」

ムートは出ていった。

 この間恐ろしい発見をしてしまったので、俺は最近寝不足である。あれが本当に事実ならいったいどうしてなのかとか、この後どのようなことが起こり得るのかとかいったことを考えると、夜も落ち落ち寝ていられない。

 しかしどう考えてもだ。どう好意的に考えても結論は……

 とにかく、最悪を考えて行動しなきゃ。リスクと恥を天秤にかければ……

 そのためにはまず確認が必要なんだ。本当に本当なのか、俺の思い違いじゃないのか?

 でももうここまで来ちゃったからなあ……まだ後には引けるけど……

「フィン、フィン」

「あ、ああ?」

「どっちがいいの?」

「ええ?どっちって」

「もう、お茶がいいのコーヒーがいいの?それともお酒?」

「あ、ああ。ええと、お茶を」

「もう。人前でぼうっとするのやめてよね。ここに来てまですることないじゃない」

「あ、ああ」

「そんなにぼうっとするのですか?」

「そうなの。お兄ちゃんたら何か考えだしたら何も目に入らなくなっちゃうのよ」

「そんなことはない」

「うそよ!それに今日はカップもってうろうろするのやめてね。絨毯が汚れちゃうから」

「わ、わかったよ。フロウ。こんなうるさいのとよく一緒になったね」

「なによ!」

「ええ?私は気になりませんが」

「やーいやーい」

くそ!

「でもとっても仲が良かったんですね。私がティアを取ってしまったみたいで恐縮です」

「いやいやそれこそとんでもない。こんな奴は喜んで差し上げます。何なら捨て賃をつけてでも……」

「あたしはお兄ちゃんの持ち物じゃないのよ」

「昔からそうでしたね。私には兄弟がいないから……」

うーむ。そういう考え方があるなあ。結婚した理由には……

 こいつら見た感じじゃとても仲がいいよなあ。騙されてるんだとしたらこうはいかないよな。いくら相手がティアでも。

「あたしがいるからいいでしょ?」

「ええ、ティア」

うーむ。仲睦まじいのか、それとも……

 その時ルーがお茶を持って入ってきた。

「フィナルフィン様、いらっしゃいませ」

「やあ、ルーいつもティアをどうも」

「とんでもありません」

見るからに実直なおばさんだ。

「そういえば、今何時ぐらいですか」

「ええと、ちょっとお待ちを……ああ、六時半ですわ」

「やあどうも」

もうちょっと時間があるな。ルーは七時に本邸に戻ってしまうはずだ。ここにはムートだけが残ることになる。その間馬鹿話でもして間を持たせなければ。

「そういえばフロウ、あなたはティアが最初に馬に乗ったとこのこと聞きましたか?」

「ええ?聞いていませんが……」

「あああああああ、やめてよ!」

「面白そうですね」

「だめだめだめ。そんなことしたら絶交だから!」

「じゃあ後で教えましょう」

「いったい何しにきたのよ!」

「だってこの間フロウにこういう話をするって約束しちゃったんだから。男と男の約束だ」

「あのねえ」

うーん?ちょっと反応があった気がするな。フロウの眉が動いたぞ。でもまあもう少し様子を見るか。

 そしてしばらく俺達は歓談した。七時になった頃ルーがやってきた。

「お飲物はお下げしてよろしいですか?」

「ああ、まだ飲んでないなあ」

「いいわよ。ルー。あたしが下げとくから」

「でもエルセティア様」

「いいのよ。このぐらい。そろそろ帰る時間でしょ?」

「ええ、ですが……」

「ルー、ティアもああ言っていますからどうぞお帰りなさい」

「はい、それでは……」

ルーは下がった。

 さあこれで一人減った。

「あれ?ルーはかえっちゃうのかな」

「夜になると本邸に戻るの」

「はあなるほど。そりゃそうだよな。当然だ」

「何よ、そのいやらしい笑いは」

「いやらしくなんかないよ。いったいお前何を考えてるんだ」

ちゃんと反応するな。今日は。でもなあ、またフロウは冷静だし。そういう性格なのかなあ。

「もう、本当に何しにきたのよ」

ええと、時間はもうそろそろだぞ。

「そうだなあ。そろそろ本題に入らないとね。このまま朝まで話し込んでしまう」

「そうですね。急な御用とは一体なんでしょう」

「実は……あれ?」

「ええ?どうかしましたか?」

「外に人影が動いたような……あっちはルーの帰り道じゃないですよね」

「ええ……」

俺達は窓に近寄って外を見た。もう暗くなってよく見えない。

「確かにあの森の中に何かが動いた気がするんだが……」

「私には見えませんが……」

「あたしも」

見えるわけがない。

「気のせいかな」

「ムートに調べさせましょう」

「そ、そこまでせずとも」

「ムート、ムート!」

「はい」

すぐにムートが入ってきた。やっぱり声の聞こえるところに控えているんだ。

「外に怪しい人影があったとフィナルフィン殿が言われました。調べてきて下さい」

「ええ?」

「気のせいかも知れないから、そんなに大げさにしなくとも」

「いえ、こういうことは。では」

ムートは剣を持って飛び出して行った。

 ひええ。すごい反応。この程度でねえ。ばれたら殺されるんじゃない?

 でもこれで更に一人減った。急がなきゃな。

「こんなに騒がなくてもいいのに」

「いえ、本当のことを見逃す方が罪が重いですよ」

確かにそうだ!

「それはそうですね。まあいいか。とにかく話の続きです。ええとティア、この間の手紙あるか?フロウに見せた?」

「手紙?」

「そう、手紙。見せたか?」

「何の手紙よ」

「何のって、先週だしただろう」

「知らないわよ」

「ちょっとちょっと、それじゃ話が進まないだろうが。先週お前あてに出したんだよ。茶色の封筒でヤーマンの封印をしてる奴」

「えーと……知らないわ。手紙はいっぱい来るから……」

「ちょっと捜してこいよ。何かとごっちゃにしてるんじゃないの?茶色い封筒だよ。うちのいつも使う奴じゃないんだ。ちょうど切れてたからカーンにもらったんだ。色が違うから見落としたんじゃないのか?」

「うーん……ちょっと待っててね」

「急げよ」

「分かったわよ」

ティアは自室に戻って行った。がんばって無い手紙を捜してもらわなければ。

 よしよし、これでフロウと二人きり。

 俺は深呼吸をした。

「どうしました?ため息なんかをついて」

「いえ、ティアの奴はいつになっても間が抜けてて……」

「そんなことないですよ」

「そうですか」

俺の人生最大の冒険だな。情けない冒険だが。

 俺は再びフロウを見つめた。フロウの姿は……男にも女にも見える。

いったいどちらが本当なんだろう。男だよなあ。いくらなんでもなあ。だけど……

 さあ、時間がもうない。ええい、やってしまえ。

「フロウ、話と言うのは他でもないんですが……僕はもしかしたらちょっと遠いところへ行くかも知れないんです」

「遠いところ?ええ?」

「まだ確実に決まった訳じゃないんですが、そのことを手紙に書いたはずなんですが」

「そんな……いったい何処へ?」

「まだそれは……でも行ったらちょっとすぐには帰って来れないと思います」

「そんな……」

俺はカップを持って立ち上がった。

「というのは、あなたのご病気のことなんです」

これに賭けるしかない!俺が阿呆か天才かこれで分かる!

「ええ?私の?」

ちょっと動揺しているぞ……

「ええ、遠くにそういう病気を直すよい薬があると聞いた物で……」

「そ、そんなことなさらなくとも……」

「いえいえ、生まれて来る子供のためにもあなたには丈夫でいてもらわなければ……」

ますます動揺の気配。

「フィ、フィン、そこまで私のことを気になさらなくともよいのですよ」

「どうしてですか?」

「大した病気ではないですから……」

「そうですか?そういえばフロウ、結婚式のすぐ後に病気が再発しませんでした?」

俺の計算じゃハネムーンの入りっぱなの頃にあるはずだ!

「ええ?ああ、いえ、少し……」

ものすごい動揺……俺はカップを持ったままフロウの後ろに立った。さあ、いくぞ……

「でしょう。ティアに父なし子を産ませたくない。それにあなたは次期大皇、健康が何よりです……ですから……わああああ、しまった」

俺はよろめいてお茶をこぼす。

「あっ」

「すみません、かかってしまいました。いいズボンなのに」

俺はこの時のために用意していたハンカチを取り出した。

「お拭きします!」

「あ、け、結構……な、何をする!」

ばきっ!

 俺はもろに肘打ちを食らって床にしりもちをついた。

 だがその一瞬で十分だった。