5分で分かる邪馬台国への道――Web公開版の前書き
本書は、今から5年ほど前に出した「邪馬台国への道~熊本・宮地台地に眠る失われた弥生の都~」というKindle本がこの度残念ながら販売終了となったため、こうしてWebで公開したものです。
- Web版は縦組みが横組みになった関係で図の位置を示すところなどの文言が変わっているところはありますが、それ以外はKindle版と全く同じです。
本書の論旨は極めてシンプルなので、以下簡単に解説することにします。
この本はタイトルの通り、邪馬台国へのルートを検証した本です。
邪馬台国の場所とは「魏志倭人伝に書かれている道程を辿っていった先」としか定義のしようがないのですが、邪馬台国論争と呼ばれるものでその点をまともに扱ったものはありません。
その理由はほぼ全ての議論が奴国(博多)までを絶対真実として、それゆえに道程の方向や距離は信用できないという前提に立っているためです。
すると邪馬台国へのルートは自説に都合がいいように恣意的に引いても構わないということになってしまいますが、全ての人がそういう論法なので相手の経路に対しては突っ込みを入れないという不文律の下に論議されていたわけです。
これでは当然、議論になるはずがありません。
筆者がこういった本を出した理由は、ここでもう一度倭人伝の道程を検証してみたら不思議なことにこれまで語られていなかった二つの事実を発見したことによります。
しかし……
- 距離を1/10に縮小した経路ならば下図のように方向・距離共に、記述と矛盾しない経路が得られる
- 上記の経路については本書の4~6章で詳細に検証しています。
これだけでも十分に興味深い発見だと思うのですが、さらにもう一つ以下の事実があります。
- 縮小率が1/10以外では、必ず倭人伝の記述と矛盾する
これも下図を見てもらえば自明です。
以上は二つ共に単純な事実ですが、これは極めて不自然なことで、もし倭人伝記者が出鱈目に経路を作ったのならば偶然そうなるなど、確率的にまさにあり得ないことです。
このようなことが起こりうるためには、結局……
- 倭人伝の記者が実際の道程を10倍誇張して記述した
―――こう考える以外に解釈のしようがありません。
そして記者が誇張した理由が「倭國を10倍規模の國として紹介したかった」とするならば、距離が10倍ならば面積は100倍になるため……
- 國の戸数は100倍に誇張されている
―――ということになるわけです。
ただしこの3.と特に4.については他の可能性が全くないと言い切ることもできないので、本書はこれを一律誇張仮説と称して、まずこの仮説を最初に提示して道程を検証するという構成になっています。
- こういう構成にしたのは道程検証時に各國の集落規模も含めて検証したかったからです。
そしてこの仮説が正しければ、あとは単純な三段論法によって……
- 倭人伝の距離を1/10にした経路は熊本南部に行き着く。
- 倭人伝の経路は記者によって10倍誇張されている―――すなわち距離を1/10にした経路が本来の道程である。
- ならば熊本南部に邪馬台国は存在していた。
―――という論理的な帰結が得られるわけです。
そして調べてみたら、実は熊本南部の宮地台地には「新御堂遺跡」という竪穴住居が539棟で墳墓が各種合わせて397基という弥生後期の巨大な環濠集落があって、ならばそこが邪馬台国の有力候補であるというのが、本書の内容となります。