Arrangeのこころ
アレンジは兵法に似たり!と述べた編曲の達人が居ますが、これには私も全く同じ意見です。
アレンジに取りかかる時には、いきなり五線紙に音符を書き込んで行くのはかなり無謀!
よほど慣れてないと、行き当たりバッタリの良いとこ満載の期待をしていても、ほとんどの場合途中で詰まってしまいます。
まず、全体の構成を考えてからスコアの作成に取りかかるのが途中で挫折するのを防ぐことができますし、出来上がった作品もバランスが整った聴く人に強くインパクトを与える曲となります。
この構成を考える事が、アレンジにおいて兵法に似ていると言えるのです。
兵法ではまず戦略をたててからその戦略を達成すべく戦術を練ります。
しかし、ここでは近代戦の戦略なんてのはとても小生の知識では語れたもんじゃ無いので、遠い昔の戦国時代を持ち出して話をすすめます。
なんせ、以前に「自衛隊の戦略に関する本」なるものをチラット見たこと有るんですが、これが又、なんと大辞典以上にぶ厚い本でした。
兵法=アレンジでは、まず、この戦略に当る構想をスケッチにまとめる事が不可欠でしょう。
例えば、この戦に勝つには、この砦を乗っ取って・・・次は、そこを拠点にして敵のあそこを攻めて( 戦略 )・・・と。
つまり、曲の始めはこうして・・・途中はこう変化して・・・最後はこう盛り上げて・・・んで、こう終わる・・と。
つぎに、砦を攻めるには左右の側面から200名の兵で弓矢攻撃をして、その後正面から1000名の騎馬隊が切り込む・・・ ( 戦術 )
これは、イントロは木管のメロディーをホルンの和音で支えて、この時にはPecc.は抜いておいて・・・などと考えることでしょう。
戦略・戦術に関しては次の機会に譲ることとして、ここでは「Arrangeの心」で話を進めましょう。
もしも、スコアの1ページ目から最後のページまで音符がぎっしりと詰まった楽譜が完成してしまってしまったら?
これじゃまるで、作戦が始まってからず〜っと戦い続けの全体攻撃ばっか!で休む間もありませんし「たまったもんじゃない」との声が。
これでは兵が疲れてしまって、ここぞ!といった大事な場面での戦う力が十分に出せません。兵には適度な休息も与えないと・・・
これは、スコアに音符を書いて行くアレンジの過程でスコア全体がまとまった感じになって来て、ついつい安心してしまった戦術のミスです。
しかし、これは良くある失敗例で大将( アレンジャー )としてのあなたの立場からすると何の問題もありませんが、実際に戦うのは戦士( プレイヤー )という事を忘れてしまった為に起こる出来事です。が、これでは毎日毎日続く戦いに明け暮れ、兵士を顧みない大将の元で戦うというのは戦国時代の武将ならいざ知らず、意図した戦意は期待出来ませんので負け戦に直結!
戦いにおいて勝利を収めるにはもちろんこの戦略・戦術を考える事が重要ですが、これと同等に、「兵をいかに動かすか」が見過ごされがちですが、大変重要なポイントとなります。そしてこれが、私の考える「Arrangeのこころ」と言うヤツです。
Arrangeのこころはパート譜でわかる
あるパートの音(例えば Trombone)が和音を受け持つのに司令官(アレンジャー)が好みだった為に、パート譜の始めからおしまいのページまでなんと、ズ〜っと全音符だらけ・・・たまに出てきた音符は二分音符!・・・・オヨヨ!
これを渡された瞬間のプレーヤーの落胆した顔が浮かびます。私だったら練習する気は全くもって起きませんネ。
また、アレンジャーがいくら気に入ったからといって、書きなぐって書いと思えるドエラい難しいフレーズがこれまた連続の嵐・・・エッ!?
驚いて恐る恐る他のパートを見てみると、こりゃ又、正反対にシゴク簡単・・・ンググ・・・
中・高校生のバンドだったら、「センセ〜イ!個人練習に一ヶ月ちょうだい!合奏でとっつかまったらシボラレル〜!!」という切実な声が聞こえてきます。
んで、スコア上ではただの1パートでも、現実ではそこに人生が絡んでいる事も忘れてはいけない!と私はいつも胆に命じて書いてます。
Arrangeの力は2nd,3rdのPart譜でわかる
作曲と違ってArrangeの作業においては、クラシックの曲をポップスへ編曲する場合を除いてメロディーをいじらない限り、大アレンジャーと駆け出しの素人のアレンジ作品の間にはほとんど差は出ない。これは、ベートーベンとイモアレンジャーを比べてもメロディーラインに差は無いという事である。
しかし、これがハーモナイズを伴った2nd,3rdのパートとなると、ガゼンここで歴然とした差が出てくる。
言い換えれば、Arrangerの作業においてはこのパートを大切にする心が「良い仕事をしてますね・・・・」と言わせる秘訣です。
よく有ることですがPianoを専門にしている人がアレンジした場合に、パート譜が一段譜だという実感がない為にメロディー・ハーモニー・リズムが全て揃った大譜表でのスコアリング中に、出来上がったパート譜の予想がつかず編曲してしまうことです。これは、ついつい陥りやすい大きな落とし穴です。
1stはメロディを受け持っても、2nd以下は1stとUnisonでない限りはその1stのハーモナイズを行います。
が、メロディーを受け持つ1stはメロディアスでも2nd,3rdもメロディアスなラインでないと、無味乾燥な音の流れを受け持つこととなってしまいます。
ここでは2ヴォイス・ハーモニー又は3ボイス・ハ−モニーの編曲技法を使って1st以外のパートも大切にしたいものです。
最近はArrangerもコンピュータを活用してますから、アレンジが完成した暁にはパート譜も同時にプリントしてるはずですので、ここで取り出して見てみるとはっきりわかります。もし、これを自分が演奏するんだったら・・・・と。
ちょっと「旅なれした」奏者はパート譜から逆にArrangerの力を見抜きます。( 口には出さずとも、心では感じています )少し前まではスコアもパート譜も手書きでしたので、スコアを見て手馴れた編曲者かそうでないかを判別できたんですが、最近ほとんどの編曲をプロアマを問わずコンピュータを使用しているので、「旅なれした」奏者でも譜ズラでこの見極めが出来なくなりましたが・・・・
演奏者がノレル楽譜(パート譜)の作成
指揮者(アレンジャー)の立場からすると、バンド全体でメロディー・ハーモニー・リズムがステージに存在してればOKですが、それを作り出しているのはクドイですが、個々のプレイヤーです。例えば、ハーモニーの役目だからといって1小節に全音符一個の小節が4小節続く楽曲でも全体的に言えば音楽としては問題ありませんが、その楽譜をもらったプレーヤーはオヨヨ・・・です。
それよりも、リズム・バッキングをしながらハーモニーも充実させると言う方法だと、プレイヤーは2倍の楽しさを感じられるので、ノッテきます。
お寿司は一人前ではちょっと物足りない・・・二人前でやっと腹八分・・・ってやつです。
次ぎに、ハーモニー・パートでは音域も重要です。ハーモニーを連結させて行くとどうしても近隣の音へ移動させよ!との教え?で繋げて行くために、苦労して出来上がったら、何と、3〜4の音しか出てこないパート譜が出来てしまうことはザラです。これでは、またまたノレません。
この楽器はハーモニーに効果的と思っていても、楽曲全体でその役目を割り振ってしまうと、まして全音符か二分音符で埋めてしまうとそこに出来たパート譜はまるでバンド・メソード。時にはメロディーを受け持たせるか、それが出来ない場合せめてオブリガートかカウンター・メロディでも与えて気分を変えさせてくれ〜!と悲鳴が聞こえてきそう。
それから、ホントに必要な目立たせたい所の前は乗って演奏してもらう為に、お休みを与えるのは有効な手段だと言う事も忘れずに・・作品を作るときには、作り手は必ず聴き手のことも考えて独りよがりな曲にならない様にしてるものですが、完成した楽曲を実際に音にして演奏してくれるのは正に演奏者・・・ここでの共感を得てないと満足のいく音楽表現は絶対に望めない・・・・。
音楽の三要素と編曲の四要素
音楽の三要素はメロディー・ハーモニー・リズムですが、これに音色が加わったのが編曲における四要素です。
つまり、スコアのはじめっからず〜〜っと全員が楽器ならしっぱなし・・・つまり、Tuttiだと音色の変化は絶対起こりえませんよね。
プロはいつもこの音色の変化については心配りをしながらオーケストレーションを行ってます。どの楽器とどの楽器はブレンドするがどの楽器とどの楽器はブレンドしないといった事は、某編曲技法の本に載っていそうな項目ですが、現在はコンピュータの世界。
私のスタジオでは常時16名から32名の演奏家?がいつでも常駐していてどんなに深夜でも、何十回でも、初見でしかも文句一つ言わないで( あっ、時々フリーズしてストライキするけど・・・)演奏してくれますし、大勢の演奏者をかかえていても給料払わなくとも良いし、イモ・アレンジを与えても不平も言わずに演奏してくれるので、納得行くまでシュミレーションを重ねながら作品が作れます。
数年前までは、完成した曲をはじめて音だしをするのは結構曲数こなしてても緊張してましたが、ここで「あっ、イケネ!ここはこうしたい」とアレンジの変更をしたくとも、仏の顔も三度。そうそう変更が受け入れてくれるハズは無い。自分のリハーサル・バンボやスクールバンド指導者ならいざ知らず、時間で仕事をしているプロの世界のスタジオなんかだとそうはいかない。どうしても変更したければ、ここは一応とりあえず完成させた様にしておいて、後で改訂版を出すというハメになってしまう。
ところが、最近は先のコンピュータが使えるのでこの手の変更は自宅で完了しているので随分と減りました。( これって、編曲の五番目の要素?)ここんところは、コンピュータを楽譜書く為のワープロ代わりに使っているアレンジャー諸氏には無関係のことなんですが・・・・
作曲家と作・編曲家のチガイ!
さる有名な作・編曲家がある文献で「日本ではベートーベンと古賀政男を同じ作曲家と呼ぶことで間違いが・・・・」と述べてましたが、全く賛成。
別に古賀政男さんをコケにする気はサラサラ有りませんが、作曲家と作・編曲家のチガイのことを言いたいだけですのでゴカンベンのほどを・・・
つまり、ベートーベンはその作品をオーケストラで演奏出来るまでにしたが、古賀さんはメロディは作るがオーケストレーションは別の編曲家と呼ばれる人が担当していた。この様な作曲家は欧米、特にアメリカではメロディ・メーカーと呼んで区別していると・・・単旋律にコードが付いたメロディーを楽曲として仕上げているのは実は編曲家だと。
そう言えば小生の依頼を受けてアレンジする際、この手のメロディだけの曲( このメロディが全くのイモ )でどうやってカッコ付けるか途方にくれてしまう場合も多いし、これをいかにカッコ良い曲( 又は、演奏しても聴いてもアキない )に仕立てるのが、編曲家としての仕事です。
んで、有能なアレンジャーはオブリガートや副旋律を作り、コードもリハーモナイズしたりしているので、ここでメロディさえ自分で作った楽曲ならば作曲として登録なんだと。そこで、そういった仕事が出来る人を作・編曲家と呼びたいとおっしゃてました。
もちろん、クラシック界ではこの手の作曲家ではない、全てにおいて楽曲を作り上げる作曲家が殆んどなのでこの限りではないので念の為。
一方、クラシックの曲を楽器編成を吹奏楽に変えて演奏する楽譜作りをするのは、編曲の作業には違いは無いが私は編曲家とは言わない。
これは英語でも、アレンジとは言わずトランスポーションと呼んで区別していることですもんね。これだけの作業ではアレンジャーとは口が裂けてもいわない。
つまり、オーケストレーションが堪能なだけでは有能なアレンジャーでは無いということです。
アレンジャーとは、メロディ・メーカーと等しく旋律を作り( オブリガートや副旋律 )、コードを必要ならばリハーモナイズできる知識を持ちオーケストレーションももちろん出来る。これが正に、真のアレンジャー( 作・編曲家 )といえるでしょう。
ここでメロディ・メーカーの弁護も一つ、決してメロディ・メーカーが無能と言うのではありません。現に、アレンジャーが思い浮かばないメロディを沢山アレンジャーに提供してくれているのもメロディ・メーカーなんですから、ね。( これで夜道も歩ける・・・・カナ?)