京都までは良く行くものの、隣の滋賀県まではなかなか足を延ばしてこなかった。考えたみれば、近江の国滋賀県、その大半が日本最大の琵琶湖になっているような所だ。日本の古代から大きな歴史の変革を残してきた地域である。古くは、天智天皇の近江朝があり、やがて弟の大海人皇子(後の天武天皇)により子大友皇子の戦いにより滅ぼされた歴史の地である。さらに時代が下がり、京都への道の要所でもあり、東国と北国への分岐点にもなる地政から織田信長をはじめ拠点とした武士などの歴史に埋もれたところ。そんな近江(滋賀県)は、日本で一番寺院数が多いところだそうだ。常識的には京都と思われるが、事実は違う。こういったところにこの滋賀の歴史の深さを感じずにはおられない。そんな滋賀に初めて訪れたのは、ゴールデンウイークも明けた夏のような日差しがきつい日であった。
大津に行くには、JRを使うか、京阪線の京津線を使うかだが、今回は、京阪線で行くことにした。京都の地下鉄東西線から乗り換えて京津線に乗れる。京津線は、嵐山へのヒトツのルートである叡山電鉄と同じような市電感覚である。窓外の景色も家々や山肌が身近に感じられる。やがて少し長めのトンネルを越えると近江に入る。大津市内の一般道に入り、車やバスと共に走っていく。浜大津駅が終点で、ここで琵琶湖西岸を南北に走る石山坂本線に乗り換える。北側の最終は比叡山延暦寺の入り口坂本、南側の終点が石山寺である。まず、石山寺を目指すことにした。
石山寺
三井寺
日吉大社
石山寺といえば、紫式部が源氏物語の構想を練った所として有名だ。石山寺の駅を降り、瀬田川沿いに下っていく。途中にはマンション建設をしている工事現場の脇を通る。時代の波がこうした所にも押し寄せて来ている事が感じられる。
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本堂には、秘仏である本尊・如意輪観音半跏像が安置されている本堂。本尊近くを拝観させてもらう。本尊の厨子前には、お前立ちの如意輪観音が祀られている。2002年のご開帳時、像の内部から1245年(寛元3)の銘がある木製厨子とそこに納められていた四体の銅像仏像が発見され、本堂内に安置されている。
本堂の下を見ると、正面は清水寺のような懸造りで、珪灰石の上に建っている。正確には内陣を取り囲んでいる礼堂だ。本堂横に源氏の間と呼ばれる小部屋があり、そのなかに紫式部の像が金網越しに設置されている。この部屋から夜更けに琵琶湖を眺めると十五夜の月が湖面を照らし、「源氏物語」の構想が思い浮かんだと云われる。 |
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本堂手前に蓮如堂がある。何故、ここ石山寺に真宗を盛り立てた蓮如のお堂がここ真言密教のお寺にあるのだろうか。それには、6歳の時に別れた生母が、蓮如のもとを立ち去る時鹿の子の小袖を着た蓮如の姿を絵に描いてもらったという。その御影が石山寺にあり、後年蓮如がそれを見つけ出したそうだ。そんな伝説も正当化してしまいそうな石山寺である。 |
石山寺には、珪灰石(けいかいせき)と呼ばれる石山が本堂前の広場からそそり立っている。石灰岩がマグマの噴出による熱作用で変化したもので、表面は侵食されたようなデコボコして自然の作り出す曲線美を感じさせる。この珪灰石がこのように見られるのは珍しいそうで、国の天然記念物に指定されている。岩山の上には多宝塔を望むことが出来る。多宝塔は、1194年(建久5)に源 頼朝が寄進したもので、国内最古の多宝塔である。
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国宝指定されている多宝塔。塔の内部には、大日如来像が安置されている。薄暗い塔内だが、如来像を拝顔できる。 |
石山寺の境内には多くの草木で、四季それぞれを楽しめる。今回は新緑の時候だったが、桜や紅葉の時期には又趣きの異なった情景が楽しめるのだろう。多宝塔から小高い丘に登り、紫式部の展示を行っている豊浄殿から無憂園と呼ばれる庭園に出る。
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庭園の中の池には、花菖蒲の花が咲き始めていた。 |
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月見亭そばの展望台から琵琶湖方向を望む。遠く瀬田の唐橋から琵琶湖が望める気持ちの良い場所だ。 |
三井寺へ 日吉大社へ 古都を歩くへ
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