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日吉大社

神代の昔より比叡山に鎮座する地主神である大山昨神を祭る東本宮と天智天皇の大津京遷都にあたって、大和国三輪山(大神神社)より御神霊を迎え祭られた西本宮とからなる。その後京都へ都が移ったことにより、都の表鬼門であったことから鬼門除けとして栄えると共に比叡山延暦寺の建立と共に天台宗の護法神として「日吉大王」と称された。特に、比叡山延暦寺との神仏習合が進み、本地垂迹説(神は仏の姿として現れるという説)により寺院のように扱われた。特に、平安末期に比叡山の僧兵が、日吉大社の神輿を担ぎ出して朝廷への強訴を繰り返したことは有名な話だ。そのご織田信長の比叡山への攻略により全てが灰燼にかした。この日吉大社の分霊社は全国に3.800余社ある総本宮になる。世に言う山王21社とは、上7社・中7社・下7社の総称であり、その中でも上7社は重要な位置を占めている。それは、西本宮を筆頭に、東本宮・宇佐宮・牛尾宮・白山宮・樹下宮・三宮宮であり、それぞれに神輿を有している。
この日吉大社を見ていると日本人の祖先が思った神というものが何となく分かるような気がする。かって縄文・弥生時代は、自然との共生を基本としながら自然の持つ脅威と恵みという相反する環境で生きてきた人々は、自然を敬い尊んできたことは容易に想像できる。そして、それが神というかたちで表されてきたものだと思う。人の叡智だけではどうにもならない自然の事象。だからこそ、人々はそれを神と崇めつつ自然と共生していったのではないだろうか。しかし、その思いも 時の施政に操られ、思想的なものになってしまった。しかし、日本での神というのは もっと単純で自然を敬い慕う心ではなかったのではないかと思う。そんな 日本人として持つ心の原点を感じさせるところだ。そして、昨今の異常気象や大きな自然災害のニュースを聞くだびに、こうした思いを強くする。

珍しい型の鳥居

神輿

西本宮

御祭神は、大己貴神(おおなむちのかみ)で、天智天皇が778年大津京遷都にあたって、大和国三輪山(大神神社)より御神霊を迎え、大津京を始め国家鎮護の神として祀られた。

東本宮

神代の昔より比叡山に鎮座している地主神である、大山昨神(おおやまくいのかみ)が御祭神。御神名の「クイ」とは、山の樹木やその麓の田畑の五穀をグイグイ伸ばし育てるという意味があるという。その兄弟神には、竃神・庭の神・玄関の神・土の神があり、その両親の神が大年の神(稲の神)と水の神ということで、五穀豊穣から日常家庭の守り神と広く信仰されている。

広大な敷地の中に神輿が保管されている神輿庫がある。織田信長の焼き討ちによって神輿も灰燼に帰したが、それ以降の復興された。山王七社の神輿が保管されている。右は、東本宮に置かれている神輿。

古都を歩く

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