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関西生活のアレコレ
6年半の関西生活、しかも有名な芦屋(といっても私は会社の社宅生活だが)、これまで関東地区を中心に生活していた身には、色々な面で感じることが多かった。そんな私なりの感じをまとめてみたい。
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食生活 お餅 正月も終わってしまったが、正月といえばお餅。初めて、芦屋のスーパーへ行ってお餅を見たとき「丸餅」であったことにビックリしてしまった。正月の餅と言えば、角型と思い込んでいた私。考えて見れば、丸は、日本人にとっては、一つの縁起物と考えれば、正月の丸餅はうなずける。昔、まだ餅を搗いていたころ搗きたての餅を延ばし、縦横から餅を切っていた光景を思い出す。しかし、これを丸い型にするのは、少々大変だ。東では効率を考え角型が一般化したのだろうか。西では手間暇かけても正月らしい丸餅にしたのだろうか。きっと昔から丸餅だったのが、東ではその手間を省いてしまったのではないかと思った。
尚、丸餅と角餅の境は、富山県・岐阜県のラインらしい。
但し、お雑煮として食べる時、西では白味噌ベースのお汁だが、これは私には合わなかった。やはり、醤油ベースのお汁でないと、お雑煮とは感じられない。

恵方巻 節分になると、恵方巻という巻き寿司がすし屋の店頭に並ぶ。今でこそ関東地区にもこの恵方巻なるものがPRされているが、私が関西に住み始めた頃、不思議な風習だと思った。何故このような風習があるのか聞いた事があったが、戦後にすし屋さんが、巻き寿司を食べてもらおうと、PRを始めたとの事だが、或る本では1977年に大阪海苔共同組合が、道頓堀で節分のイベントとして行ったとある。いつしか節分の慣習行事になったとのことだ。関西の人は、逆にこの風習は、全国的なものと思っていた。しかし、この頃は、関東ではこういった風習は未だ伝わっていなかった。毎年、決められた方行に向いて、一気に巻き寿司を食べつくすことにより、その年の健康などの祈願をするものだが、この巻き寿司結構太い。私など一本食べればそれで夕食代わりになりそうな量だ。この風習で、最後まで良く分からなかったのが、その年の方向をどうやって決めているかだ。それは、その年の歳徳神、年神のいる縁起の良い方角ということらしい。
それにしても、この風習が東にも広がってきているのを知って、更に驚いてしまった。

2005年の恵方は、西南西としてあった。
いかなご 三月の声を聞くと、神戸を中心とした地域では、いかなごのくぎにが年中行事の一つとなる。三月になって瀬戸内海で獲れるいかなごはを佃煮のように煮る。煮た姿が釘に似ていることから、くぎにとよんでいる。この煮方は、夫々の家毎の味付けがあり、代々伝えられていくという。一度、このくぎにに妻がチャレンジしたことがあるが、うまくいかなかった。まずは、いかなごを煮る鍋にあったようだ。大きな鍋にゆったりとした感じで煮ないと駄目。我が家では、何処の家でも持っているくぎに用の鍋を持っていなかった。そして、味付けと煮方。大量のいかなごを煮るのだから、その味付けには、分量などの経験が必要だし、煮方も色々あるようだ。
いかなごの煮付けを食べると、いよいよ春と感じたものだ。
こちらのデパートでも販売しているところがあるようだが、やはり、こればかりは地元で買い、食さないとその気分になれそうにもない。
うどん 関東のソバに対し、関西はうどんとなる。関西の人が東京に出かけうどんを頼んでそのお汁の濃さにビックリして、結局食べれなかったという話を良く聞く。確かに、関東から関西に来てうどんを食べる時、そのお汁の薄さには感心した。関東の醤油(濃い口醤油)と関西との醤油(薄口醤油)による差があるが、更に出汁の作り方も、関西は昆布が中心になっているのに対し、関東ではカツオ節が中心になっている。このことも、出汁の風味にも差を出しているように思える。元々大阪は、北海道で採れたコンブを北前船で集荷し、大阪から全国に配送していたこともあり、コンブは手近な物であったといえる。又、カツオなどの魚類は、生き物ということで忌み嫌われたとも云われている。そんな伝統を持つ関西のお汁、今では 私も関東風お汁より関西風お汁の方が口に合うようになった。但し、うどんそのものは、こしの強い讃岐もので、大阪のうどんはどうも食感が今ひとつの感じであった。

醤油の塩分の濃さでは、薄口醤油の方が多いと云われている。関西の醤油名産地は、兵庫県の龍野だが、そーめんも美味しい。
すし 大阪駅近くにすし屋横丁というところがある。両脇にすし屋が並んでいる。初めて訪れた時、その安さと効率の良さに感心した。当然すしのネタで値段が異なるのだが、それを色つきの小さなカードを棒に差込み、勘定するときに、色毎の値段で勘定するという仕組みで、丁度回転すし屋での皿を見て勘定する方法と同じだ。すしのネタも東京では見られないうなぎなどがあったのは面白かった。こうした江戸前すしは、大阪でも珍しくはないが、本来 大阪すしは、箱すしと呼ばれるものであったが、今では数少なくなってしまったようだ。元々すしの発祥は、「なれすし」と云われている。今でも、京都を中心とした鯖すしは、絶品だし、奈良の柿の葉すしも美味い。但し、滋賀の鮒すしだけはどうも口に合わなかったが、通に云わせればこれこそすしというが。

うなぎ うなぎは、江戸に限るが持論だ。関西のうなぎは、まず割き方が違う。江戸は、切腹をイメージして背から開くが、関西は関係なく腹から開く。問題は、焼き方で、江戸では必ず白焼きを蒸し、その後秘伝といわれるタレをつけて焼く。だから、眼の前に出てきた時、箸を入れるだけ簡単に切れるし、口の中に入れれば溶けそうな感触とタレの風味で絶妙な味わいが感じられる。しかし、関西(名古屋もそうだが)では蒸すと言う事はしないので、うなぎの口当たりを十分に感じられる。大阪の人は、東京のうなぎはうなぎでないというし、私は私で、うなぎは、江戸に限るといつまでたっても平行線になる。但し、名古屋名物のひつまぶしは、病み付きになった。

肉まん 関東では、肉まんという。同じ事ながら関西では、豚まんという。関西では、肉といえば牛肉を指すのが当たり前とか。だから豚肉と分かるように豚まんという。豚まんといえば、神戸の中華街にある「老祥記」だ。何時行っても行列しているので、並んでまで食べる気もしないので、素通りしてしまうケースが多いが、何回かは行列の短い時に買って食べたことがある。小さな饅頭から口の中に豚肉の肉汁がはみ出してくる。皆が買い求めるのは分かるが、味が今ひとつ濃いように感じた。私達は、豚まんというと、必ずJR元町駅前にある小さな中華料理屋の豚まんを買ったものだ。老祥記の豚まんに比べると大きな饅頭となるが、中のアンの味が私らには合うようだった。最近、横浜中華街にも肉まんの有名なお店があるらしいが、残念ながら未だ食べていない。一度試してみたいものだ。

トコロテン 私は、トコロテンが好きで、甘味所では良く頼んでいる。関西で初めてトコロテンを頼んだら黒みつがかかったトコロテンだった。東京では、酢醤油であり、それにからしを利かせて咽越しの感触と口の中の清涼感を味わったものだが、黒みつとは驚いた。以降、必ず酢醤油と指定したものだ。関西では、トコロテンも葛と同じように食べるお菓子という感覚のようだ。

街中にて 交通ルール 交通ルールという面で云えば、車も人もルーズといえるだろう。そんなルーズにはすっかり慣れてしまった自分だが。典型的なのが、JR大阪駅から阪急電車や阪急百貨店への横断歩道だろう。そこの歩道者用信号灯には、赤から青に変わるまでの時間がカウントダウンされる。それでも、車の進行が一時でも止まると横断する人が当たり前のようにいるのには驚かされる。
車も黄色は進めの意味だし、赤になっても平気で通る車も多い。よくよく注意していないといけない町である。又、道路への違法駐車も当たり前の感。驚くのは、一方通行の道なのだが、逆方向に駐車している車があることだ。何れも、大阪人のバイタリティを示す行動なのかもしれない。
エスカレーター エスカレーターの追い抜き側が東とは何故か違う。東は、右側が追い抜き通路になるのだが、関西では逆の左側となる。関西在住時代、東京へ出かけた時などは、良く勘違いしたものだ。今は逆に大阪へ出かけた時、ついつい確認しながらエレベーターに乗る習性になってしまっている。
自転車 大阪の街中では、自転車姿を多くみかける。淀川のデルタ地帯として発展した大阪の中心地は、殆どが平地なので自転車でもスムースに移動できるからであろうか。東京も平地は多いが、それでも坂が結構あることや多少の格好も気にする人が多いのかあまり自転車姿は見ない。こんな所に大阪の人たちの簡単に移動できるという、合理的な考えを見る思いだ。
筋と通り 大阪市内の道路は、御堂筋や中央大通りなどの幹線道路が走っているが、感心するのは、南北方向が筋、東西方向を通りとしている点。道路名を聞けば、どの方向になっているか容易に想像できる。道路行政上、東西南北の碁盤目を意識した結果なのであろうが、東京に比べれば分かりやすい。もっとも、東京の道路は、東西南北といった網にはなっていないので、所詮無理な話かもしれない。面白いには、京都へ行くと、この筋と通りのルールがなされていないことだ。
鉄道 路線競合 関西地区は、JRと私鉄の競合路線が多い。特に、大阪ー神戸、大阪ー京都は、JRに対し、私鉄が2社競合する。その中でも、大阪ー神戸間は、六甲山系の麓を走る阪急、海側を走る阪神、そしてその中間を走るJRと、お互いの路線が見えあうところもあるという隣接した所だ。それだけに、ハード面だけではないソフト面での競合も多く、利用者にとっての利便性が高いと云えるだろう。
大阪ー神戸間では、震災後、阪神、阪急からJRに切り替えた人が多いそうだ。理由は、JRの復興が早かった事、そして、山と海の中間帯を走行していることから、線路がほぼ直線に走っていることから、速度も速く出せる点から、移動時間も早いという利点性からといわれている。
特割切符 良く利用していたのが、昼特と呼ばれているJRの特割切符であった。回数券方式だが、運賃が約4割位安くなる割引切符で、10時から16時までの間に使えるものだが、これは平日のみの制限で、土曜、休日、祝日は、終日利用できるというもので、京都や三宮へは、この切符を良く利用したものだった。同様なサービス切符は、阪急なども販売されているが、上記にも記したスピードの面からもJR利用が多かった。このような種類の切符を、JR東でも出して欲しいと思うのだが、経営ベースや競合の少ない東では、難しいのだろう。 芦屋から京都までだと結構な運賃になるが、芦屋ー大阪、大阪ー京都の組合せだと、安くなる。
改札 インアウト チェック 自動改札などの省力化を最初にはじめたのが、阪急だったと聞いた事がある。そんな関西で、キセル防御対策で打ち出したのが、自動改札でインアウトチェック方式。その結果が良かったのだろう、関西の私鉄、そしてJRもその方式をとり始めた。やがて、首都圏の鉄道各社も取り入れられ、今では当たり前のチェックになっている。関西の発想のユニークさと経済的合理性を見るようだ。
カード 私鉄のどの路線でも共通に使えるプリペイドカードを始めたのも関西であった。これも結構重宝で、私鉄路線が多い関西では、私鉄から私鉄という経由する機会も結構多いので、一枚のカードで乗り継げたので、便利であった。今では、首都圏私鉄の共通カードが出ているが、こうしたアイデアがいつも関西先行で走り出すのは、サービスという発想が高いからだろうか。
そして、もっとも大きな違いは、前払い方式か後払い方式かの違いにあるようだ。関西では、カードで乗車してもその時点で、カードから金額は引き去りがされないで、下車した駅で一括精算される。これに対し、首都圏では、最初に最短乗車運賃が乗車時に引かれる仕組みになっている。周りを見ていると、バスでもそうで、一定料金のバス路線でも、関西では降車時運賃を支払うが、首都圏では、前払いになる。考えて見れば、まだ移動もしていないのに、何故支払う必要があるのかという関西の経済的発想に同感してしまう。
車輌 競合路線が多いといこともあるのだろう、概して関西の路線の車輌は、いかにも鉄道に乗っているという感じとなる。首都圏では殆どが、通勤用車輌となり、面白味がなくなっている。JRの幹線、神戸線・京都線(東海道本線)でも快速・新快速共ボックス席がある。特に新快速では、二人掛けシートなので、旅気分にしたれる。私鉄のなかで最も楽しめるのが、大阪ー京都間を走る京阪電車で、その特急電車(特急料金はない)には、2階建て車輌やTV付車輌などがあり、楽しめる。
女性専用車輌 痴漢対策の一環として始まった朝の通勤時間帯の女性専用車輌は、確か、京王線が始めてだったと記憶しているが、昨今の関西の鉄道各社の殆どが、この方式を取り入れている。確か、最初は大阪市営地下鉄が始め、その後JRや私鉄各社に広がったと思う。殆ど、先頭から何両目が専用車とし、車輌の柄も変えたりしていて、何時から何時までといった仕組みになる。それを知らず、あわてて飛び込んでみて、それが女性専用者であったことを知り、次の駅であわてて車輌を移ったという経験者も多くいる。中には、そのまま目的駅まで行ってしまったという豪の者もいた。専用時間が過ぎた直後に、たまたま専用車輌に乗った経験があるが、正直、化粧の匂いが充満していて、車輌を移動してしまった経験がある。

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