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約6年半強生活の中心であった関西での生活も残り僅かになった。当面の最後の京都散策として、源光庵と銀閣寺を選び出かけた。源光庵は、京都の拝観できる寺院のなかでも珍しい曹洞宗の小さなお寺だ。京都の禅宗のお寺といえば、殆どが臨済宗を中心とした大きなお寺が多い。例外として、宇治にある黄檗宗の万福寺くらいであろうか。曹洞宗の始祖である道元禅師は、時の権力と離れた地越前にその道場をかまえたが、臨済宗は、足利幕府や朝廷との結びつきからかこのような差になったと思われる。そんな中での曹洞宗のお寺であることと、本堂内で座っていると、眼の前に四角い窓と丸い窓があり、窓外には庭園が見える。そんなお寺にひかれ、3回目となった。特に 2004年の10月から2006年9月末までの2年間拝観できなくなるので、当面の見納めという気持ちもあった。

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源光庵は、千本通を登りきったところにある。しかしバスの本数が少ない。事前に時刻を確認して行くか、手前の仏教大学で降りて、しばらく歩く必要がある。バス停から少し戻ったところが、源光庵への入り口になる。

門をくぐると木々に囲まれた狭い参道を進むと、山門が姿を現す。

角窓を「迷いの窓」と呼ば
れ、人間の生涯を象徴し、
生老病死などの四苦八苦
を表す。

丸窓は、「悟りの窓」と呼ばれ禅の心と真理があまねく行き渡る意味の円通の心、さらに大宇宙を示す。

廊下の天井は、伏見城の遺構で、俗に桃山の血天井と呼ばれている。関が原の合戦の前哨戦で徳川方の鳥居元忠らが自刃した時のどす黒い血が生々しく残っていている。このような血天井は、大原の宝泉院にもある。

源光庵(げんこうあん)
沿革:1346年(貞和2)に大徳寺二世徹翁国師が創建。その後 衰退したが、1694年(元禄7)卍山道白禅師が曹洞宗の寺として再興。
本尊は、釈迦牟尼仏。

源光庵