100のお題・079.愛は静かな場所へと降りてゆく 

(別設定の千と千尋の神隠しより)

別設定のお遊び話・第2部恋人編

 

11・愛は静かな場所へと降りてゆく

 

その3

 

シャラン

トン

シャラン

タン

シャラン

トタン

 

澄んだ鈴の音がゆっくりとしたリズムを打つ。

それに合わせて地を踏みしめている

小柄な少女の足先は真っ赤に腫れあがり、

霜枯れの草に噛みつかれて

血さえをも滲ませている。

傍らの脱ぎ捨てられた緋の袴が

目に痛いほど鮮やかに浮かび上がり、

反対にその細い肩に薄絹の白装束1枚を

纏っただけの身体は、ちらつく雪に

まぎれるほどに真白く

今にも儚く消えてしまうかのようだ。

しかし、その足取りも手の動きも

まるで羽根がついているかのように

軽やかで、身体全体から脈打つリズムは

周囲の薄氷さえも溶かしてしまいそうなほど

熱気を帯びている。

 

シャラン

トン

シャラン

トタン

シャラン

トトン

 

惜しげもなく細い手足をさらしだし

心の赴くままゆったりと、そうして

力強い舞を舞い踊るその顔には

やつれ肉が薄くなった頬に

そこだけほんのりと色を乗せ

微かな笑みさえも浮かべていて、

黒く濡れた瞳は深淵さえも

見通すような強い光を宿している。

 

シャラン

トトン

シャラン

タタン

シャラン

タトン

 

重く覆い被さるかのような

暗い曇天に遅い朝日がようやく

差し込める頃から始められた舞は、

日が翳りやがて薄灰色の世界が

闇に覆われた後までも

止まることなく続いていった。

そうして

寒さも疲れも忘れはて

闇に対する畏怖さえも置き去りにして

一晩中舞い踊ったその足が、

2日目の朝日を認めたその一瞬。

 

タン

シャラン

 

神代の昔、天岩戸に閉じこもってしまった

アマテラスオオミカミを現世に

呼び戻すために使われたという

招霊(おがたま)の木の実を

模して作られたという神楽鈴。

その鈴の音がひと際(きわ)強い波動を放った。

リィィィィィ〜ン〜・・・

余韻がゆっくりと消え去り

静寂だけが泉の周囲を覆っていく。

 

『愛しい愛しい我が背の君。

愛しい愛しい我が夫(つま)よ。

怒りを鎮め我が前にその御姿を現わしたまえ。』

 

一昼夜の間止めることなく神鎮めの舞を舞っていた

神の巫女がその唇に祝詞を載せる。

何時の間にか白衣(びゃくえ)さえも脱ぎ去って

金の鈴のみを纏っただけの

生まれたままの姿で

美しい巫女は己の神に祈りを捧げる。

シンと静まり返った森の中。

薄氷が張られた小さな泉を前に

神のものである巫女は再び言霊を発する。

 

『龍神ニギハヤミコハクヌシ。

どうかその怒りを鎮め、

その御姿を現わしたまえ。』

 

ピシン

ピキピキピキピキピキ・・・

 

と、幾度目かの呼びかけの後、

唐突に泉の氷が砕け散る。

飛び散る氷を避けようともしないまま

少女は僅かに目を瞠ると

その唇にかすかに微笑を浮かべた。

そうして、

ポコポコと湧き上がる清水とともに

泉の真中に浮かび上がってきたのは

闇色の直衣を纏った異形の男。

無表情な赤い光を放ちつつ

白い顔を縁取る腰まで覆う黒髪を靡かせて

瞳と同じく真っ赤な唇の端からは

小さな牙さえも覗かせて、

その額には捻り上がった

2本の角が生えている。

泉の中から現れたのは

まさに魔と称されるべきモノ。

しかし、少女は顔色一つ変えずに

はんなりと笑うと足を踏み出した。

「はく。」

「・・・」

「はく。」

赤い瞳を見つめ名を呼びながら

ゆっくりと泉の淵に近づいてゆく。

と、唐突に闇色の直衣の袖から

病的なほど真白い手が突き出された。

『近寄るな。』

押し留めるように上げられた手と

低く発せられた拒絶の言霊。

ちらちらと再び雪が舞い始めた森の中。

構わずに泉の中に踏み出そうとした

少女の足が宙に浮いたまま固まる。

魔法で縛られ身動き一つできないままに、

しかし少女はその瞳に呼びかけ続けた。

「はく。」

闇色に染まった男と純白に染まっていく女。

互いの姿の間をさえぎるかのように

降り始めた雪が次第に激しくなっていく。

「・・・はく。」

まるで自身も魔法がかかったかのように

身じろぎもせず、異形の男は

雪の彫像と化していく少女をじっと見つめている。

再び薄氷が張り始めた泉の上。

男自身の足元にもゆっくりと氷が這い登っていく。

「・・・は・・・く・・・」

色を失った唇から言霊が搾り出されると同時に

ポタリ

泉の上に一滴の赤い雫が零れ落ちた。

ポタリ

泉の上に突き出したまま

固まっている傷だらけの足先から

さらにもう一滴(ひとしずく)。

 

ピキピキピキ・・・

 

そうして、まるで炎のごとく

赤い血が白い氷に亀裂を走らせる。

その亀裂が男の足元に届いたとたん。

赤い瞳が大きく見開かれた。

 

ゆっくりと崩れ落ちていく白い裸体。

その姿がまるでスローモーションのように

男の瞳に写し出される。

「千尋!!」

瞬間、少女の身体は

魔物と化した龍の腕に

抱きとめられていた。

 

 

・・・・・・・・

 

 

 

ピチャン

耳元に木霊する水音に

ふと意識が浮上する。

背中全体を包み込むような温もりに

気を引かれ、少女はぱちりと瞼を開いた。

「目覚めた?」

ちろちろと流れていく水音に混ざって

耳に心地よい低い声が

すぐ真後ろから聞こえてくる。

「・・・ん。・・・はく・・・も?」

「・・・ああ。すっかりね。」

穏やかな声の響きが周囲に木霊する。

目の前に揺蕩う(たゆたう)

湯気の向こうには

黒く濡れている岩肌があって、

ボヤンと篭って聞こえる音に、

どうやらどこかの洞窟に

湧く湯に浸かっているらしいと気付く。

同時に重なる肌の感触に自身の現状も理解して、

真っ赤に染まった頬を隠すように

一瞬瞼を伏せた少女は、

しかし、思い切ったように目を開くと

ゆっくりと身体の向きを変えた。

「・・・は・・・く。」

まるで何年も離れ離れだったように

感じるほど懐かしい姿が

次第にぼやけていく。

「泣かないで。」

「・・・はくだって、泣いている。」

「・・・そう、だね。」

翡翠の瞳から零れ落ちた涙が

ポタリと湯の中に落ちて。

「千尋。」

万感の思いを込めて囁かれた名前に

千尋はゆっくりと唇を寄せる。

「愛しているわ、はく。」

 

今ここに、ともに在る。

ただそれだけで湧き上がる

幸福感の大きさは空恐ろしいほどで、

ほかに何も必要としないその充足に

二人はいつまでも固く固く抱きあっていた。

 

 

それから・・・

 

あるべき定めを受け入れた人の娘は

失いかけた貴重な存在を二度と手放さざるべく、

その生涯を通じ常に龍の傍らに

寄り添って生きたという。

そうして、

失ったモノ以上の存在(もの)を得た龍は

神還る必然を失って、

愛する娘をその腕の中に抱きながら

魔法使いとしての生涯を

まっとうしたのだそうだ。

 

 

 

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別設定目次  100のお題目次

 

 

長いことお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

何気ないコメントから始まった別設定のお話も

これにて完結とさせていただきます。

未完成発展途上だった龍の魔法使いと

青春真っ只中の人間の少女は

迷って悩んで迷って悩んで、

最後、周囲にはた迷惑を撒き散らしながらでも

ようやくあるべき場所にたどり着いたようです。

ふぅ〜

いろいろ言い訳しようかとも思ったけど、

最後の一文を書いたら気が抜けてしまいました。

また後ほど気が向いたらいろいろ言い訳を

付け加えるかもしれません。

ということで、皆さま

第3部(というより番外編)夫婦編、いる?

いちゃこら話オンリーになっちゃうけど。