100のお題・079.愛は静かな場所へと降りてゆく 

(別設定の千と千尋の神隠しより)

別設定のお遊び話・第2部恋人編

 

11・愛は静かな場所へと降りてゆく

 

その2

 

はぁはぁはぁ・・・

トンネルを抜け草の茂る丘を一気に駆け上がる。

岩だらけの枯れた川床を渡り、階段を上ると見覚えのある

通りに出た。足を止めることなく通りを駆け抜け

しんとひと気のない赤い橋までくると

がくがくと崩れそうになる膝に

手をつきながら赤くそびえたつ油屋を見上げた。

 

『ここに来てはいけない、すぐ戻れ。』

『じきに夜になる。』

『その前に早く戻れ。』

 

『橋を渡る間息をしてはいけないよ。』

『ちょっとでも吸ったり吐いたりすると術が解けて

店のものに気付かれてしまう。』

『心を鎮めて。』

 

「ばか・・・」

あの時確かに側に寄り添っていてくれた温もりは

決して幻などではなくて。

溢れそうになる涙を留めようと目をつむると

たった今起きていたかのように鮮やかな映像が甦ってくる。

 

『いや、千尋はよくがんばった。』

『これからどうするか話すからよくお聞き・・・』

『辛くても、耐えて機会を待つんだよ・・・』

『行かなくては。忘れないで、私は千尋の味方だからね。』

『そなたの小さいときから知っている。』

『私の名は・・・』

 

「はく。」

「・・・のバカ。どうして・・・」

次々に押し寄せる思い出を振り切るように頭を振ると

そのまま一歩を踏み出し次第に速度を上げて橋を渡りきる。

そうして小さな潜り戸を抜け、

見覚えのある裏階段を一息に駆け下りた。

バタン

「お爺さん!!」

グゴォゴゴォ

響き渡っていたいびきがピタリと止むと

寝ぼけ半分の驚いたような声があがる。

「な、なんじゃい。人間の娘がこんなろころで何してる。」

「釜爺さんお久しぶりです。私千尋です。お爺さんに

お願いがあってきました。」

「まさか千尋ってあの千尋かあ。」

んんっと大きく伸びをしたまま、まるであの時のように

顔がぐぐっと近づいてくる。

「・・・大きくなったもんじゃのう。

すっかり娘らしくなって見違えたわい。」

そんなのん気な声ももどかしく、

足元にわらわらと寄ってくるすすわたりたちを

ぴょんと飛び越えると台座に手をかけ伸び上がった。

「お爺さん。そんなことより私銭婆のところに行きたいんです。

電車の切符ってどこで買えばいいのか教えてください。」

「銭婆ぁ?そりゃまた難儀なことを。その前に、

と、何かないかな。おお、これがいい。ほら口を開けなさい。」

「えっ?何?」

「知っておるだろうに。この世界のものを喰わんと

人間は消えてしまうんじゃよ。ほれ早く。」

器用に動く6本の腕がわたわたと周囲を探り

中の一本が指先で摘んだのは赤い金平糖で

そんな場合じゃと言いかけた口の中に

ひょいっと投げ込まれた。

「あ、ありがとうございます。」

もごもごと口を動かし甘い粒を飲み込む。

「そうそう、何事も慌てたところでしようがないもんじゃ。

落ち着いて訳を話してみなさい。」

穏やかな声に動転し焦燥に駆られて走り続けてきた

気持ちがすっと落ち着いて、千尋はほふっと息を吐き出した。

 

「なるほどなあ。」

黙って話を聞いていた釜爺は徐に火鉢から

やかんを取り上げると、別の腕で並べた

縁のかけた湯飲み茶碗にぽこぽこと湯を注ぐ。

さりげなく目の前に置かれた茶碗から立ち上る湯気に、

千尋は思わず緩んだ涙腺をごまかすように

軽く頭を下げると両手で包み込んだ。

「さて、のう。」

湯のみを持っている以外の5本の腕で、

ごそごそと周囲を探りながら釜爺は続ける。

「ま、とりあえずじゃ。どうやら必要なかったようじゃな。」

「え?なにが?」

「さっきの飴玉じゃよ。」

不思議そうに首を傾げている千尋に釜爺はにっと笑う。

「お前さんとはくが、のう。すでに夫婦だとはなあ。」

「は?」

「まあ、めでたいと言うべきじゃろうのう。」

「え?」

「愛じゃなあ、愛。」

「か、釜爺。今はそんなこと言っている場合じゃなくて。

そ、それにまだ正式に結婚しているわけじゃなくて。」

「ほほ、照れなさんな。」

「釜爺!」

真っ赤になってわたわたと腰を浮かしている千尋に

しかし、釜爺は湯のみをおくとピシッと指を刺す。

「それで、銭婆のところに行ってお前さんはどうしたいんじゃ。」

千尋はふっと視線を下げると湯飲みを置いて、両手を膝に揃える。

「・・・はくを止めたいの。」

「ふむ。なぜ?」

「だって、あのままじゃたくさんの人が巻き込まれてしまう。」

「ふむ。」

そうして続いた沈黙に千尋はおずと顔をあげる。

そんな千尋に視線を留めながら

釜爺はぽりぽりと顎を掻くと徐にサングラスを取った。

初めて見た釜爺の瞳はまるで昆虫のごとく

プリズムに輝いていて千尋は一瞬息を呑む。

「気持ち悪いかの。」

千尋はブンブンと首を振る。

「まさか。ちょっとびっくりしたけれど。」

「そうか。」

釜爺はレンズのように硬質に光る目に千尋を

映しながら嬉しそうに微笑む。

「わしは、はくと同じに秋津島の出身でのう。

こんな形(なり)じゃが、一応小さな林を縄張りとした

一族の長だったんじゃよ。まあ、お前さんたち人間から

すれば忌避すべき妖怪と呼ばれるモノだけどな。」

ずずっと白湯を啜ると釜爺はため息を吐く。

「しかし、他の妖怪たちと同様に、やがては人の手からなる

開発で棲家を追われて一族ともども秋津島中を放浪して

まわったんじゃよ。けどなあ、結局はどこにも居場所を

見つけられんでなあ、一族も一人減り二人減り、とうとう

わししか残らんかった。」

寂しげに呟く釜爺に千尋は瞳を落とすと

ちゃぶ台に置かれた手のうちの1本をそっと握った。

「寂しい?」

「そうさなあ、いや仕方がないことじゃったからなあ。」

「・・・でも・・・」

千尋は唇を噛む。人の手で追われた妖怪たちに

人間である自分が何を言わんかと。

安易にごめんなさい、などと言うべきではなかろう

ということだけは分かっているけれど。

「お前さんが気にすることじゃあないんだよ。

弱肉強食は世の習い。わしらが弱かっただけのことじゃから。」

「それにの、こうして思いもかけないほど長生きできているのは

女たちがいなくなったからだしのう。」

泣きだしそうな顔の人間の少女を見ながら

ふぉっふぉっふぉっととぼけた笑いを零す。

「わしらは女系一族でな。子をなした後は女に

喰われる運命でのう。まあ、不幸中の幸いじゃな。」

千尋ははっと首を振り仰ぐ。

それに頷いて見せた釜爺はにっこり笑った。

「いやいや、お前さんもはくもわしの孫のようなもんじゃし

こいつらも大事な我が子のようなもんじゃしな。」

だから寂しがっている暇なんぞないんじゃよ。

たたきの上でピョンピョン跳ねている煤渡りたちに

向って手を広げ、千尋の頭を軽く撫でると、

子をなしたこともないまま一族の最後のひとりとなった初老の

妖怪は、瞼のない瞳にもう一度サングラスをかける。

そうして居住まいを正すと千尋に向き直った。

「じゃがな、もしわしらに力があったらあの林を

人の手から奪い返しておったじゃろう。それこそ

幾たりの人を犠牲にしようもなあ。わしらには力が無かった。

だが、はくにはそれがある。奪われたものを奪い返す力がなあ。

お前さんは人を巻き込まないためにはくを

止めたいといったが、元々はくのものを奪ったのは人じゃよ。」

「・・・」

苦しそうに唇を噛む千尋に釜爺は容赦なく続ける。

「人間のために止めろというのは筋が違っておろう。」

「・・・」

いつの間にか穴の中に引っ込んでしまった煤渡りたちさえ

息を潜めるほどのシンと張り詰めた空気の中、

コトンと火鉢の中の炭が崩れる。

その音に励まされたように千尋はようやく顔をあげた。

「だけど・・・だけど・・・このままでは・・・」

「ほかの人なんてどうでもいい。

人がしてきたことを考えれば

何人犠牲になっても自業自得といわれて

しまうのも仕方がないことなのかもしれない。

だけど、いや。いやなの。

このままじゃはくははくでなくなってしまう。

憎しみに囚われて失ったものを取り戻すことだけに

囚われてはくは祟り神になってしまう。」

「もうすでにはくの耳には私の声が聞こえない。

どんなに呼んでもはくは私の前に姿を現してくれないの。

お爺さんわたしどうすればいいの?」

ほろほろと大粒の涙を迸らせて

千尋は肩を震わせる。

「わたしはくが好き。はくのままであるはくが好き。

赤い目をしたはくも澄んだ碧の目をしたはくも。

憎しみと怒りに囚われていても最後には

必ず碧の目のはくに戻ってくれたはく。

どんなに無情になろうとしてもその性である

優しさを捨てられないでいたはくが、本当に好きなの。」

そう、人に川を奪われようとしていたときでさえ

川に落ちた幼い子どもの命を救ってしまうようなあなた。

私を力で奪っておきながら最後の最後には私自身に

選択肢を与えてくれたあなた。

「だからはくと一緒に生きたかった。

はくがはくのままで生きられる場所で一緒に

生きたかった。だけどはくがはくでなくなってまで

失ったものを取り戻したいというのならば、私は・・・」

舞い散る涙の透明な輝きに釜爺は眩しげに目を眇める。

そうして・・・

 

 

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勝手に設定釜爺編

あくまで友林設定ですので。

元ネタは妖怪女郎蜘蛛さんでっす。(てへっ)