別設定のお遊び話2

2・真実

「はく、お待たせ。」

待ち合わせの場所にいた恋人の姿を見かけたとたん

走りよってきた千尋を見て、琥珀は思わず顔をほころばす。

「ああ、千尋っ。千尋。なんてかわいいんだ。」

言うと同時に抱きしめようとした手をするりとかわすと

千尋は手で×印を作る。

「はく、わたしに触らないって約束したでしょ。」

「うう、そうだっけ?」

「そう!!もう、そんなにとぼけるなら帰っちゃうから。」

強気の千尋に頭が上がらない琥珀は情けない顔のまま項垂れる。

そうして、ちらっと千尋に視線を流すとため息をつきながら頷いた。

「わかった。そなたになるべく触れないようにする。

だから帰らないでおくれ。」

「わかればいいの。じゃ、行こう。わたし楽しみだったんだあ。

久しぶりのプールだもんね。」

そんな千尋についていきながら、琥珀は千尋に

気付かれないように笑みをこぼした。

 

「ち、ちひろ?」

男女別〈当たり前だが)の更衣室から気が気ではなく

千尋が出てくるのをまっていた琥珀は千尋の姿を

見たとたん呆然とした。

「ち、ちひろ。その支度で泳ぐのか?」

「は?何言っているの?当たり前でしょ。」

「いや、そなたに見せられたカタログとやらに乗っていた

女子(おなご)の水着は、もう少し大胆だったように思うのだが。」

「ふーんだ。そんな格好したら誰かさんに

襲われるかもしれないもの。」

泳ぐ気バリバリの千尋は、つい最近買ったばかりの

体にぴっちりした袖つきタイプのアクアスーツを着ていたのだ。

微妙に残念そうな表情の琥珀を無視した千尋は

ストレッチをきっちりこなすと、競泳用の

50メートルプールに飛び込んだ。

『きっもちいい〜。』

まさに水を得た魚のように綺麗なフォームで水を掻く千尋は

全身で水の感触を満喫する。小学生の頃はむしろ

水泳は苦手だったのに、いつの頃からか、いや、たぶん

あの出来事のあとから、どういうわけか千尋はときたま

無性に水の感触に浸りたくてたまらない気持ちになることが

あるのだ。夏はともかく冬などは無理を言って母が行っている

スポーツジムの会員カードを使わせてもらっていた程で。

なので、デートにプールを指定した千尋は、琥珀と遊ぶと

いうよりも、まさにプールに入ることそのものが目的だったりした。

琥珀はしばし、呆然と千尋の泳ぐ様を見つめる。

と、ふっと笑みを浮かべると小さく頷いた。

千尋が焦がれる水。

身を切られるように辛かった別れの時に思わず

千尋の体に気付かれぬようにインプットした

琥珀の属性が、しっかりと生きているのを感じ取る。

琥珀は笑む。

水に焦がれることは、すなわち琥珀に焦がれていること。

千尋の無意識はいつも琥珀を求めていたのだ。

(そのようにしむけたのは自分なのだが。)

琥珀は思わず遠い目をして、あの別れの時に思いを馳せた。

 

「またどこかで会える?」

「きっと。」

「きっとよ。」

「きっと。」

「さあ行きな。ふりむかないで。」

行かせたくはなかった。

やっと会えた小さな輝き。

だが、このあとの自分の身さえどうなることか

はっきりとはしていなかったのだ。

湯婆婆には 坊をつれもどすことと交換に千尋をこの世界の

理から解放するための条件を与えることを約束させた。

しかし、そのあとの琥珀の身のふりかたは

湯婆婆の心一つなのだ。

一度死んだも同然の身。千尋を元の世界に

戻すためなら、八つ裂きにされても悔いはない。

そんなつもりでいたのに。

千尋の指が離れてしまう一瞬の狭間で

思わず琥珀は千尋を自身に縛り付けてしまった。

せめて、他の神に触れられないように。

この娘は我のものであると、神々に示す

マーキングのようなもの。

それが結果的には琥珀を救った。

 

「なんだい、辛気臭い顔をして。さっさと帳場に戻りな。」

戻ってきた琥珀を追いやろうとした湯婆婆はこの弟子を

縛っているはずの契約の効力が切れているのに気付く。

琥珀のほうも、いつも湯婆婆に命じられたときに感じる

心を縛り付けるような束縛がないことに気付き、呆然と

湯婆婆を見つめた。そんな琥珀を睨みつけると、

「お前、いったい何をした?」

湯婆婆の問いに首をかしげている琥珀に目を眇めると

「まあいい。契約が切れちまったもんはしょうがない。

で、どうする?もう一度契約を結びなおすかい?」

「・・・考えさせてください。」

「ふん。ならさっさとどっか行きな。目障りだよ。」

油屋から飛び出した琥珀は、しばらく考えたあと

先ほど行ったばかりの沼の底を目指した。

「銭婆様。」

「おや、また来たのかい。まあいい。お入り。」

言われるままに湯婆婆の姉の家に入ると、

導かれるままいすに腰をおろす。

琥珀の前にお茶を置いたかおなしが席を外すと

銭婆に問われるまま契約が解除されていたことを話した。

銭婆は問う。

「それで、真名を取り戻したのだね。」

「はい。千尋のお陰で思い出しました。」

「で、その千尋と別れるとき千尋の体に呪をかけたと?」

「・・・はい。」

「お前の鱗を千尋の体に仕込んだというのかい?」

「はい。」

「それがどういう意味をもっているのか、お前わかっているのかい?」

苦しそうな顔をしている琥珀を追い詰める

かのように銭婆は続ける。

「まったく。竜というのはほんとに愚かだね。そんなことを

したら、千尋がこの先どうなるかわからなかったのかい?」

いいかい?

まず、この世ならざるものの匂いを纏わりつかせた

子どもは、仲間から排除されるだろう。

あの子は辛い日々を送ることになるだろうね。

それに、神くずれとはいえれっきとした竜の印しを身に帯びて

いる以上、嫁ぐこともままならなくなるだろう。

ただでさえ、こちらの世界に身を置いた娘だ。

人間としてまともな生活を送れなくなることは必定だろうね。

「そのようなつもりではありませんでした。

いまからでも、取り戻しに行くことが可能ならば、

行って、千尋からわたしの印しを取り出してきます。」

琥珀の必死の形相に銭婆はため息をつく。

「まあ、お待ちな。」

「しかし、」

立ち上がりかけていた琥珀を強引に座らせると

銭婆は仕方がないというように話を続けた。

「湯婆婆との契約が解除されたのはそのお陰でもあるのだよ。」

「え?」

呆然としている琥珀の目を思いがけないほどの優しさを

含んだ瞳で見返すと銭婆は微笑んだ。

「つまりね、千尋の体はお前の神としての宿り場となったんだ。

真名と宿り場を得たお前は、神崩れではなく神として蘇ったのさ。

だから、湯婆婆も契約ごときでお前さんを縛り付けられなくなった

ということだね。いくら力のある魔女でも神を使役することは

できないからね。もっとも、人間の体は脆いからね。あの子の身になにか

あれば、お前の神としての地位も元の木阿弥となるだろうよ。」

「で、ですが、そのせいで千尋が不幸になるのならば、

わたしが神となって蘇ったことなどどうでもいいことです。」

琥珀の言葉に銭婆は頷く。

「そう、このままでは、そうなるね。」

「ですから、行って千尋を解放せねば。」

「で、お前はどうなる?神崩れにもどったらもう一度

湯婆婆の弟子になるのかい?」

「・・・いえ、それは。」

黙ってしまった琥珀に銭婆は言う。

「ハク竜、お前さんにはいくつかの選択肢がある。

どの道を行くか、自分で選びな。」

そうして、琥珀は選んだのだ。

それは一種のかけでもあった。

千尋に人間らしい生活を送らせるために。

自身が何物にも流されず、千尋を守ることのできる

力を手に入れるために。

たかが6年。されど6年。

この6年、千尋が幸せにあることだけを望んで、

千尋と再び見(まみ)えることだけを希望として。

一番辛かった道。

けれど、一番幸福につながっていく道。

そうして、今、琥珀はそのかけの勝利者として

ここにいる。

 

「はく?」

気が付けば焦がれていた娘が目の前にいた。

綺麗に纏め上げていた髪からはいくつものほつれ毛が

零れ落ちていて、身には滴り落ちる水玉を纏っている。

「千尋。」

思わず伸びそうになる手を意思の力で封じると琥珀は笑いかけた。

「はくは泳がないの?」

不思議そうに首をかしげている千尋に、

「そなたの泳ぎにみとれていたのだ。そなたは

水にはいると生き生きとしているね。」

「ん、泳ぐことが好きなの。水の中って気持ちいいし。」

はくも泳ごう。

自分から手を引いてプールサイドまで行くと、千尋は

ふざけて思いっきり琥珀をプールに突き飛ばした。

が、とっさに千尋の腰を抱えた琥珀は

そのままプールに飛び込む。

「もう、はくったら。わたしに触っちゃだめでしょ。」

「いや、そなたが突き飛ばすから思わず

なにか縋るものにつかまったのだよ。

それに触れてきたのはそなたではない?」

「わたしからなら、いいの。でも、はくからはだめ。」

そんなことを言ってじゃれている二人は

派手に水しぶきをあげたことへの周囲の非難の

目も入らないかのように水中で追いかけっこをする。

 

神としての力を銭婆にあずけること。

そうして、神でなくても二つの世界で通用するほどの

魔法の力を身につけるための修行をすること。

千尋の記憶を封印して、千尋があるがままの姿で

生きられるように、銭婆に千尋の守りを委ねること。

その間、千尋が恋に落ちて純潔を失ったら

ゲームオーバーであることを認めること。

そうして、決して、千尋と会わないこと。

 

神としてあったがゆえにやり遂げることが出来た修行。

幾度となく命を危険にさらして取り組んだこの

修行は、本来ならばその麓にたどり着くだけで半世紀は

かかるといわれているほど厳しいもので。

琥珀はこの修行中、両手と片足を失っている。

もっとも、ある段階を過ぎたとき、自然と元の姿を

取り戻すことが出来たが。

そうして、神ではなく魔力を得た魔法使いとして琥珀は千尋の元を

訪れたのだ。千尋を宿り場ではなく自身から解放するために。

そう、千尋の体から自身の鱗気を取り除く、

そのためにこちらの世界にやってきたはずなのに。

しかし、焦がれつづけたその姿を見たとたんに

理性など吹き飛んでいて。

気が付いたときには千尋を組み敷いていた。

はっと気づいた時にはすでに遅く・・・

竜その本性現す・・・か。

許されることではない。

魔法で千尋の記憶を消して、最初からやり直す。

そう、その選択もできる、できるのだが。

千尋、そなたにはわたしのあるがままを受け入れて欲しい

と望むのは、贅沢なのだろうか。

 

そなたに焦がれ

そなたを無理やり我が物とし

そうして、そなたに許しをこうている

愚かな竜。

神であることより

一人の男として

そなたの心が欲しい。

 

あの時、あの場所で、出会ってしまったときから

そなたは、わたしに捧げられた供物となってしまった。

解放するつもりなど、もとよりあったのかどうか・・・

我ながら己が恐ろしい。

力を得てしまった今、何をしでかすことか。

あの時こぼした千尋の涙。

あの涙を見た瞬間、そなたを我が物と出来た

歓喜と、そなたの意思を無視して得てしまった

ことへの慙愧の念にわが身がくだけるかと思った。

竜の恋情はすべてを滅ぼす。

神代より伝わる真実。

だが・・・

 

今更言っても詮ないこと。

琥珀はすでに選択をしてしまったのだ。

そう、あの瞬間から千尋はその意思のある

ところによらず琥珀の妻となった。

もはや、気を取り出すだけですむような事態ではない。

 

「はく、すごいね。」

泳ぐと言うより、水中にもぐったまま自由に身を躍らせている

琥珀に思わず感嘆した千尋は、慌てて顔を背ける。

その流麗な姿態に見とれそうになる自分を押さえて。

この人は自分をあんな目に合わせたのだから。

ひどい人なのだから。

なのに、なんでこんなに綺麗なの?

千尋に向って微笑んでいる優しそうな人と

あの時の恐ろしい人と、どっちが本当のあなた?

神様なのか魔法使いなのか、

なのに人間のふりをして千尋の言うがままになっている。

あのあと、学校の先生のふりなんて止めてっていったら

哀しそうな顔をして、

『そなたが送りたいという高校での生活を見守っていたいのだ。』

と言ってきて、それでもいや、と言いつづけたら

琥珀先生の存在はみんなの記憶から消えていた。

『ならば、学校がお休みのときは会っておくれ。』

懇願しつづけるから仕方なしに今日のデートを承知したのに。

 

「そなたの側にいたい。」

プールの淵につかまっている千尋のすぐそばに浮上してきた

琥珀は、真剣な顔で囁く。

「学校でも、家でも、朝も昼も夜もいつもそなたの側にいたい。」

・・・ああ、はくのばか。そんなこといわないで。

千尋はふと気付いて琥珀に問う。

「そういえば、はくはどこに住んでいるの?

まだ油屋で働いているのじゃないの?」

「ならば、今日はそのへんの話をしようか。」

流れるような動作で水から上がると、千尋に手を差し出す。

「つかまって。そなたから触れるのならばいいのだろう?」

千尋は水中から琥珀の顔を見上げる。

そうして、躊躇いがちにゆっくりと手を伸ばすと

琥珀の腕につかまったのだ。

 

許されることではない。

そうよ、許してあげない。

許して欲しい。

・・・まだ、いや。

 

一瞬で水から上げられた千尋は抱きしめられるかと

身構えたが、琥珀はそっと腕を離してきて。

「そなたの許しなくば、そなたに触れない。」

約束しよう。

千尋はそんな琥珀から顔を背けると、小さく頷く。

そうして、琥珀のほうに顔を戻すと微笑んで言った。

「おなかすいちゃった。どこかに入ってお昼にしよ?」

一瞬呆けたように千尋を見つめている琥珀に

気付かないまま、千尋は更衣室に入っていく。

その後姿を呆然と見詰めたまま、琥珀は固まっていた。

・・・・笑ってくれた?

千尋、わたしに笑いかけてくれたの?

叫びだしたいほどの歓喜が身を貫く。

愛しい娘の些細な行為にも心が振るえて。

ああ、千尋。

そなたを幸せにしたいのだ。

わたしの手で。

 

琥珀は震えるようなため息を吐くとゆっくりと歩き出す。

焦がれつづけた愛しい存在を 真実得ることのできる

未来に向って。

 

 

 

前へ  次へ

 

別設定目次へ

 

1を公開したあと、ラブじゃないという反応が返ってきて

にやっとしてしまいました。そりゃそうだ。千尋サイドの

話だったもんね。2はどっちかというと琥珀サイドのお話。

どんなもんだったでしょうか。

こっちの部屋の千尋はそう簡単には琥珀に気を許さないよっ

てつもりだったのに、琥珀ったら口説いているし。

二人が本当の恋人同士になれるのは、そんなに先じゃないかもね。

ほら、現代版でいちゃラブさせることが目標だから・・・ね。