別設定のお遊び話5

自覚

 

やっと、目的の家が見えてきた。

あの時とは違い、まだ真昼の明るさに満ちているけれど

それでも千尋は懐かしさに頬を緩ませる。

 

「千尋、銭婆に会いに行かない?」

はくからそんな誘いを受けたのは、一人暮らしが始まって、

半月もしないうちにあった一学期の期末試験をどうにか乗り越えた

ある日曜日。千尋がどこかぼんやりとしながら庭の水撒きをしていると、

このところ顔をみせなかったはくがひょっこり庭先に現れたのだ。

「え?」

思いがけなく現れたはくと言われた内容に呆然とした千尋は、

思わず持っていたホースをはくに向けてしまった。

「うわっ。」

「きゃあ、ごめんなさい、はく。ああどうしよう。大変。」

千尋は慌ててホースを放り出すと、家の中に駆けこんでタオルを持ってきた。

全身ずぶぬれのはくは、苦笑しながらタオルを受け取って髪を拭う。

すまなそうにその様子を見ていた千尋は肌が透けるくらい

濡れてしまったシャツにしばらく迷っていたが、

「あの、よかったら家に入って着替えて。お父さんの

Tシャツじゃ大きいと思うけれど乾くまで貸すから。」

おずおずとした誘いに目を見開いた琥珀は嬉しそうに頷く。

初めて入ることが出来た家の中はこざっぱりと片付けられていて、

一人暮らしであっても、きちんとした日常を過ごしている様子が見て取れる。

着替えを手渡され洗面所に案内された琥珀はそっと微笑んだ。

「千尋ありがとう。」

ダイニングと続いている居間に戻ってきたはくにううん、と

首を振ると千尋は冷蔵庫から取り出したティーポットの中味を

氷の入ったグラスに注ぐ。そうして、ふだん食事をとる2人用の

ダイニングテーブルに、コトンとおくと、はくにすすめた。

自分のアイスティーを持って向かい合わせに座った千尋は、

琥珀の視線に居心地悪そうに座りなおし、視線を

合わせないままグラスを傾ける。

咽を潤しホ〜と息をついた千尋を、じっと見つめていたはくが微笑む。

「そなたの顔を久しぶりに見る気がする。」

慈しむような視線を受け、千尋はやっと口を開いた。

「ん、2週間ぶりくらい?」

「そうだね。そなたに会うことが許されなかった

6年間よりも、そなたに会えるのに会えなかった

この2週間のほうが辛かったな。」

冗談っぽい口調に、しかし真剣な想いが込められているのを

敏感に感じた千尋は顔を赤く染めながら、焦ったように応える。

「だ、だって、勉強に集中したかったし。」

 

母が父と旅立っていった日、はくの千尋を守りたいとの

申し出を退けた千尋は、あのあと初めて、はくとの

あの出来事を思い返したのだ。いつもは、慌てて

思考を断ち切るのに、歯を食いしばって考えつづけた千尋は、

そうして、自身の思いをやっと自覚した。

 

あんなひどいことをした人、

徹底的に無視をして、拒否しつづければいいのに。

どうして、最後のところではくを受け入れてしまうのか

自分でも自分が不思議だった。

はくが怖い。

でも、はくが好き。

翡翠の瞳でいつも千尋を見守り、想いを

注いでくれる優しいはくが好き。

でも、赤い瞳のあの男。

ほんとに、あの人もはくなのならば、

怖い。

怖い。

怖い。

でも・・・

好きなの。

ずっと、ずっと、

別れたあの時から

はくが好きだった。

 

自分の想いを自覚して眠れぬ一夜を過ごした千尋はその朝、

登校しようとしたら玄関先で待っていたはくの姿に動揺して、

もう、来ないで。

と叫んでいたのだ。

なぜ?

悲痛な声に顔をあげて、哀しそうな、まるで心が凍えそうなほど

しんと静まり返ったはくの翡翠の瞳を見てしまった千尋は

瞬間、恐怖が罪悪感に取って代わり、震える声で

試験勉強に集中したいから。

と紡いだのだ。

ならば、試験が終わったら訪ねてきてもよい?

ほっとしたようなはくの声に千尋は頷いていたのだった。

 

「で、千尋。さっきの返事は?」

首をかしげている千尋にはくが続ける。

「銭婆に会いに行かない?」

「だって、そんなことできるの?向こうに行ったら、

豚にされるか、消えるかしちゃうでしょう。湯婆婆ともう一度

契約するなんていやだし、第一そんな暇ないもん。」

しり込みをする千尋にはくはにこっとすると、

「大丈夫だよ。わたしは今では湯婆婆たちと張れるくらいの

力を持っているんだよ。そなたが望むなら、

そなた一人くらい遊びに連れて行くことなど簡単だよ。」

「でも、戻って来られないと困るし。」

「大丈夫だってば。それとも、銭婆に会いたくない?」

千尋ははくの言葉に慌てて首を振る。

「会いたいよ。銭婆さんだけでなく、リンさんや釜爺や、坊やかおなしにも。」

みんなに会いたい。

「じゃあ、行こうよ。」

千尋は躊躇いがちに、それでもしっかりと頷いた。

「いつ、行くの?」

「いつでも、そなたの好きなときに。」

今からでもいいよ。

まるで、うきうきとはしゃぎだしそうなはくに、千尋も思わず笑顔になって、

少しだけ考えると、夏休みにはいって直ぐに行こう。と決めたのだった。

 

そうして、今、千尋ははくとともに銭婆の家の庭に立っている。

トントン。

ギ〜!

ドアをノックすると、それはゆっくりと開き始める。

「よくきたね。」

次の瞬間、千尋は、銭婆の胸に飛び込んでいった。

 

 

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別設定目次

 

やっぱ、千尋ってばいい子やん。

琥珀にはもったいないよ〜。

てか、まだ全然ラブラブじゃないけれど、

ちょっとだけ日常の穏やかな風景がでてきたよ。