別設定のお遊び話9

生きる

 

銭婆との契約はあと3日を残すのみとなった。

夏休みはまだ残っているけれど、残り半月あまりのうち

5日間はクラブの合宿があるのだ。本当は8月15日には

帰るつもりだったのだけれど、盆の出入りは避けたほうが良い

と言われて、盆送りの翌日、8月17日に向こうの世界に

戻ることになっている。お盆って七月の半ばが本当なんでしょ?

疑問に思って聞いてみたら、こういう行事も人間社会の風習と

リンクしていてあっちでは8月の夏休みに行うことが主流になって

いるようにこちらの世界でも8月での移動が主流になりつつあるらしい。

何が移動するの?という疑問には、お前達の先祖だろう、と何を言って

いるんだかと呆れたような答えが返ってきたのだが、

ご先祖ってあの世?にいるんじゃなかったっけ、という疑問には

意味ありげな笑みしか返ってこなかった。まあ、それ以上の

追求は怖いのでやめておいたのだが。

 

「盆は暇だねえ。」

お茶の茶碗を前に銭婆があくびをしながら言う。

そうして、さも思いついたかのようにわざとらしく声をあげた。

「そうだ、千尋。この前から言っているように今日こそ、あの雄鶏を

絞めて、チキンのマスタード焼きを作っておくれな。」

「・・・・お盆は精進料理のほうがいいと思うんですけど。」

カラカラカラカラ・・・とすっかり熟練の手つきで糸紡ぎをしている

千尋は、ちらっと銭婆に視線をやると小声で呟く。

「もう二日も精進料理とやらが続いているじゃないか。

今日こそは動物たんぱく質を取りたいね。」

「なら、お魚でもいいじゃないですか。」

お魚をさばくのは得意ですから、何匹でも作ってさし上げます。

往生際の悪い千尋に、銭婆はにやっと笑うと首を振る。

「あんたの得意料理なんだろ。チキンのマスタード焼きも。」

そうですよ。そうですけど、向こうの世界では鶏肉は切り分けられて

トレーに入って直ぐ料理できるように売っているんです。

もちろん、誰かが生きている鶏を絞めて羽をむしって切り分けて

くれているんだとは思いますが、その過程を見ることは

現代っ子のわたしたちは全くないんです。

というか、そんなこと意識したことも無かったし・・・

心の中でぎゃーぎゃー叫ぶように反論していた千尋は、

肩を落す。しばらく前から、銭婆に強請られているチキンの

マスタード焼きはたしかに千尋の得意料理なのだ。

しかし、毎日餌をくれて世話をしていた鶏たちと結びつけた

ことなどなくて。千尋は初めて銭婆に雄鶏を絞めるように

言われた時の衝撃を思い出す。

 

「え〜っ!!出来ません。そんなかわいそうなこと。」

「何言っているんだい。じゃあどうやって鶏肉を手に入れるのさ。

お前さん、まさか鶏肉は店で売っている形で工場で作られている

とでも思っているんじゃないだろうね。」

アジの開きがあのままの姿で海で泳いでいると思っている

人間がいるそうじゃないか。あんたもその口かい?

「うう、そうじゃありませんけど。でも出来ないんです。

生きているコウタ君を殺すなんて。」

「・・・・あんた、あの雄鶏に名まえをつけたのかい?」

まったく、自分の食料に情を移すなんて自分の首を絞めるようなもんだよ。

いいかい、生きるってことはね、そんな生優しいことじゃないんだ。

まったく近頃の人間ときたら・・・・

呆れ果てたというかのような銭婆は、そのあと

切々と千尋に説教をしたのだった。

 

「お前がいやなら、はく竜にやらせればいいさね。お前さんの

頼みなら嬉嬉としてやってくれるだろうよ。」

そう言われるのも、これが初めてではない。

しかし・・・

それも、違うのだ。

たしかにはくに頼めばやってくれるだろう。というより、

千尋があの雄鶏を食べる決意さえしてしまえば、頼むより前に

台所に切り身になって届いている気がする。

・・・そんなの、絶対、いや。

手を直接汚さなければ、自分は殺生をしていない、

他の命を奪って生きるような浅ましいことはしていない、

などと澄まして生きるような人間にはなりたくないのだ。

銭婆にお説教されるまでもない。

生きるということ、それ事態が他の命をいただいている

ということなのだから。自分の手を汚さないために

はくを利用するなんてできるわけない。

だって・・・・

 

あの時のはくの笑み。

赤い瞳で、手の中の闇の眷属とやらを握りつぶした

はくは確かに恐ろしい存在で。

しかし、冷たい残酷そうな笑みの奥には、同じくらいの哀しみがあった。

そう、千尋は、あの笑みを見たときにやっと気付いたのだ。

翠の瞳のはくと、赤い瞳のはくが、同じはくだ、ということに。

はくの感情が高まった時にその瞳の色は変わってしまうけれど、

ただ、それだけなのだということに。

はくは、はくなのだ。

仏の顔と鬼の顔。

神様だったはくを称するのは奇妙な表現だけれど。

はくの持つ二面性は、千尋の胸にすとんと落ちてきて。

 

神様であろうとしながら、闇の魔法に囚われ、

『やばい』ことも、たくさんその手でしてきていて。

大切なものはとことん大切にするけれど、そうでないものには

見向きもしない、そんな神様の傲慢さを体現したかのようなはく。

おまけに、千尋には優しいとはいえ、普段穏やかな分、

切れたときには何をしでかすか分からなくて。

そう、たしかにリンさんが『あんなやつ』と称するのも無理はない。

でも、千尋には感じられるのだ。

はくの、その真の姿を。

『竜は優しいよ。優しくて愚かだ。』

ほんとだね、お婆ちゃん。

はくは、千尋の手を汚(よご)すよりは自分の身を汚(けが)す

ことを、当たり前のように選ぶだろう。闇に穢れた身には

こんなことは全く平気だと、そんな振りをしながら。

あの千尋に目をつけてしまった闇の眷属を握り潰したように。

 

「わかりました。やります。わたしが自分で。」

はくがあの時手を汚した原因は、結局は

後先考えず飛び込んだわたしなのだ。

ほんとうに、穢れている存在なのは、このわたし。

なのに、はくは、何か勘違いしている。

 

家の中に連れて行ってくれたはくは、あれからずっと

すまなそうに謝り続けたのだ。

『そなたにあのような場面を見せてしまってすまない。』

『怖い思いをさせてしまったね。』

『このように穢れた手でそなたに触れるのは心苦しいのだけれど。』

『何か、言っておくれ。』

『・・・・ありがとう。守ってくれて。』

そんな千尋の言葉を信じられないというかのように

目を見開いて受け止めたはくは、細長くしなやかな指で

その顔を覆ってしまったのだ。

そうして、その手を離した時には瞳の色は翠に戻っていて。

泣いているかと思った瞳は濡れてはいなかったけれど

切なそうな溢れんばかりの思いを浮かべていてた。

『すまない。やはり、そなたを手放すことなど出来そうもないよ。』

搾り出すような声に、千尋ははくがこの世界に誘ったわけを悟った。

『わたしを解放するつもりだったの?』

千尋は胸に下がったロケットを握り締めながらはくの顔を覗き込む。

『手段がないわけではなかったから。でも、もう無理だよ。

わたしから、そなたの手を離すことなど絶対にできない。

そなたの光を汚してしまうね。いや、もう汚してしまっているのか。』

辛そうで、そうして、どこか自嘲と苦笑が混ざったような声だった。

 

はくは、わたしのどこがいいの?

わたしだって生きている以上、穢れに塗れた存在なのだ。

だから、自分が生きるためにコウタ君の命をもらおう。

銭婆は、そんな千尋を横目で見やる。

なにやら、自己完結をしたらしい、この娘は

この娘らしい決意の光をその瞳に浮かべている。

「今夜の夕食が楽しみだねえ。」

銭婆は胸の中の笑みを表に出さないまま

一つ頷くと真顔で言ったのだった。

 

 

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