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3days −満ちてゆく刻の彼方で−
Lass / 2004年06月25日発売 / Windows98・2000・Me・XP対応ゲーム / 
18禁 [amazon購入ページ]

[ゲーム概要]
青と蒼のしずく』でデビューを飾ったソフトハウス・lassの第二作。
 高梨 亮の平穏な日常はある日突然、崩壊した。憧れの先輩・柊 美柚が何者かによって惨殺され、翌日は同級生の自殺を目撃し――異常な出来事の連続を契機にはじめて幼馴染み・藤見たまきとの絆を実感して、体を重ねようとしたそのとき、何者かの襲撃を受けて亮は絶命する。意識を失う直前、彼が最期に見たものは、殺人鬼の手によって切り刻まれるたまきの姿だった。
 だが、次の瞬間、亮の意識は三日前の朝に戻った。惨劇の三日間の記憶を朧に留めた彼は、脱出を試みながら三日後にまたしても死を迎え、ふたたび三日前に舞い戻る。果たして亮は、永劫にも等しい悪夢の三日間の繰り返しから亮は無事に脱出し、身近な人々を救うことが出来るのか……?!

[感想]
 大健闘、しかし根本的な欠陥を最後まで拭うことの出来なかった作品。
 思うに本編はそもそも、“死に至る三日間を繰り返し、その円環から脱出するオカルト・サスペンス”というシチュエーションを設定したところから生まれたのではないか。このアイディア自体は非常にいい。AVGというのはユーザー側である期間内の出来事を反復し、事件の解決や事態の改善を目指すゲーム、という考え方が出来る。だが通常そういう認識はゲーム自体の枠の外側にあり、物語に認識自体が反映されることはない。この“三日間の反復”というテーマは、そういう事実を物語が自覚することで、作品世界を立体的に拡張するものだ。
 まるっきり独創的な概念ではない。小説では『リプレイ』や『七回死んだ男』のような形で表現され、ゲームにおいてもフラグを地図状に表示してその立体性を体感させるというところまで持ち込んだ『YU-NO』という名作が存在する。それでも本編は三日間の結末に必ず主人公・高梨 亮の死が訪れるという形で従来の作品よりも円環の終点を明確にし、それ自体をテキストに活かしている点で秀逸だ。
 ――ところが。完結したあとでの印象は、必ずしも良くはない。
 問題は、とある女性キャラクターの設定が根本的に孕んでしまった矛盾にある。もしこの設定、この結末を受け入れるとすると、どう考えてもこの物語の発端にある出来事のひとつが発生しえなかったはずなのだ。以下、伏せ字にて詳述すると。
[ここから下、ゲームを完結させた方のみ反転表示して御覧ください]
 問題は柊 美柚というキャラクターである。ご存知の通り、彼女が連続殺人犯によって惨殺されたことが主人公のなかに不安を芽ぐませ、その後の出来事の大きなキーポイントとなると同時に、そもそもこの円環が発生する原因を作った人物ともなっている。
 だが、円環を脱出した直後に描かれる出来事をよく検証していただきたい。美柚はそれ自体が魔術の結晶である、一種のホムンクルスとして描かれている。過去の出来事において、彼女から秘密を聞き出すために様々な肉体的苦痛を与える試みがなされたが、すべて無効だった、という記述がある。
 おかしいのはここだ。肉体的苦痛が無効で、しかも強大な魔力を操ることが可能だった美柚が、どうして簡単に殺害されたのだろう? どうして躰の一部を持ち去れるまで無抵抗でいたのだろう?
 如何に敵が強大であったとしても、梨花という器にある抵抗力のために魔力を存分に発揮出来ず、実力行使という形でしか害をなせなかったはずの相手に、同じく弱体化していたとは言え一定以上の魔術を使えたはずの美柚がやすやすと殺されるというのはまずあり得ないことだと思われる。たとえ切り刻まれたとしても、警察などに発見されるより以前に移動し回復を待つ、というぐらいは可能だったはずだ。過去の出来事を見る限り、痛覚や苦痛を感じることはあるようだが、それでも死体として発見されるまでその場に留まるということはなかったはず――何せ、彼女は草壁遼一という男の復活を待っていたはずなのだ。戸籍などは仮初のものにすぎず、放棄することなど問題でなかったとしても、消え去るときにあれほど目立つ状況を選択しただろうか?
 また、仮に警察でいったん死亡が確認されたとしても、美柚ほどの能力があれば再生は可能だったろうし、どこかで生存していたと考えられる。そうならば、閉ざされた三日間のなかでそういう描写があって然るべきだろう。ただ、この点については、三日間では回復が不充分だったため登場はできなかった、という逃げは打てる。何せ、彼女は恋人・遼一の転生した対象が高梨 亮であると気づいてはおらず、いつ自分の前に彼が帰ってくるか予想はしていなかった。連続殺人による被害が拡大し、しだいに敵が力を取り戻しているとは言え、確実に対抗するために静養するほうを選択しただろうとは察しがつく。気になったのでいちおう記してはおくが、この点だけは辛うじて許容範囲と言えなくはない。どちらにしても、設定と付き合わせる限り、彼女がああも簡単に殺されたことそのものが奇妙なのだ。

[ここまで]
 いずれも、作者側では何らかの答を用意しているのかも知れない。だが、作中そのヒントらしきものさえ提示されることはなく、こうした矛盾は結果的にエンディングにまで歪な影響を残してしまった。
 ほかの作品の感想でもちらちらと述べていることだが、私はゲームというのはプレイヤーの労苦に対して正統的な報いがあって然るべきだ、と考えている。作品の尺が長ければ長いほど、そこまで苦労したプレイヤーに対して充分なカタルシスという形で報償があるべきだ。最近で言えば、『CLANNAD』は異常と思えるほど長い作品だが、結末は壮大かつ綺麗に閉じられていて、見事な充足感を齎す。一部、残念ながらプレイヤーにあまりいい印象を残さないキャラクターが出てしまったが、キャラクター別の結末でも概ね締め括りは爽快であり、全体の印象もいい。
 翻って本編はと言うと、キャラクター別のラストシーン、特にメインヒロイン格のふたりのエンディングが、妙に後味が良くない。誰かひとりを選ばなければならない、という結末の性質上、どうしても近い立場で相対するこのふたりの場合、どちらか一方が不幸になるのは致し方ないことなのだが、不幸になったほうの姿を映して幕、という締め括りはどうだろう。独特の余韻はあるし、たとえば小説などのように一本道でほかの結末はあり得ない、という体裁であれば問題視するようなものではないのだが、本編はキャラクター別のエンディングを用意したゲームという形を取っている場合はあまり評価できない。
 何より、この結末もまた主要キャラクターが物語の始点から孕んでいる矛盾を膨らませており、物語が決着したことによる爽快感よりも、納得しきれない据わりの悪さを残すばかりになってしまった。これについても以下、背景色にて詳しく記す。
[ここから下、ゲームを完結させた方のみ反転表示して御覧ください]
 ここでも問題となるのは美柚である。キャラクターの設定とエンディングの描写が、どう考えても矛盾しているのだ。
 彼女は主と規定した人物に忠誠を誓う生命体として創造されている。過去編で草壁遼一は、彼女に名前を与えたことで主として認識されるが、それよりは恋人として解釈される方を選択し、そのことが本編の結末まで影響を及ぼしている。
 ……だが、そういう設定だったならば、そもそも有限の生命である人間を遼一=亮が選択したとしても、彼女はそれすら受け入れて生きることを選んだのではないか? 作中繰り返し綴られる印象では、まさに美柚は“遼一なしでは生きられない”存在だ。遼一が存在し永らえてさえいれば問題はないのであり、もしその度量があるなら、遼一が選んだ女性と共に一緒にいることだって不可能ではなかったはずだ。そもそも、遼一=亮が選ぶ女性は魔力とは無縁の人物であり、いずれ死ぬ運命にある。それを、無限に生き続け、最終的に遼一と一緒に滅ぶことの出来る美柚がどうして拒む必要があるのだろう?
 この作品の結末での彼女は、明らかに有限の生命である人間の“独占欲”という概念に冒されている感がある。だが、あれだけ長いこと待たされたうえ、そもそも遼一の存在なくては生きられない彼女が、遼一の“現在”とその欲求を拒むということはどうにも想像しがたい。やはり、クライマックスでの彼女の行動は本来の設定と矛盾し、そのうえで結末の余韻を不細工なものにしてしまった、最大の失敗と言うほかない、と感じるのだ。

[ここまで]
 結果として、キャラクター別の結末を眺めていちばん据わりがいいのが、Hシーンの類もなくキャラクターの格付けで言えばせいぜい彩り程度でしかなかったはずのキャラクターに対して告白するエンディングだった、というのはさすがに承伏しかねる。作中、ある意味誰よりも壮絶な運命を辿った少女のエンディングでさえ(道義的にはかなりやばいことになってるよーな気もするが)まだすっきりとまとまっているのに、肝心のメインヒロインがいちばん不快な余韻を残しているのだ。
 三日間の円環と鏤められた伏線、そこからの脱出に至るシンプルながら実に明快なアイディアなど、三日間の内側の出来事については高く評価する。デスティニー・クリックというシステムがあまり有効に感じられない(変にプレイヤーを急かすような形にせずとも、問題の場面に辿り着いたとき普通に選択肢を追加すれば済むことだし、“前の三日間で知った事実と関わる選択”という趣旨であれば、ほかにも選択肢が登場して然るべき場面が沢山あるように感じられ、恣意的な印象しか齎さない)こと、事件の解決やクライマックスに至る伏線が不充分であることを除けば、かなりの水準に達した組み立てになっている。
 だが、その外に脱出したあとの設定、展開が悉く拙い。前作でも、テーマとその決着のバランスの悪さを指摘したはずだが、続編でもその構造的欠陥から抜け出せていない。ベースとなるアイディアは秀逸だし、キャラクター描写のバランスも(月子が暴走した箇所の鬱陶しささえ除けば)格段に良くなっているだけに、シナリオ全体としてはまたしても“失敗”と言わざるを得ないのが残念だ。オカルトやフィクションに対する造詣の深さ、テーマなどの志の高さには相変わらず期待させられるものがあるので、次も遊んでみたいとは思うのだが――さすがにそのあと、は保証出来ない。

 システムの完成度は前作同様素晴らしい。修正ファイルがやたらと発行されたのには閉口したものの、バグフィックスがはじめからやりやすいように作られたプログラムであるためあまり問題には感じなかった(但し、インターネットをあまり使用しないユーザーに対して迅速に対応していただく必要はあると思うが)。グラフィックも前作より魅力を増している。
 だが、これはほかのソフトハウスでも多く見られる欠点なのだが、男性キャラがあまりに拙すぎる。ときおりフレームに割り込む主人公・高梨 亮の描き方もそうだが、終盤で対峙する最大の敵キャラが、デザイン的にも雑で、彼が登場するシーンの構図も悉くバランスが悪い。大事な場面で、ヴィジュアルの拙さで失笑させられることがあったのはさすがに駄目だろう。特に本来壮絶なはずのその死に様が、デッサンに骨太さがなくふにゃふにゃした印象を齎しており、あまりのギャップに緊張感が一瞬で崩壊してしまったのはいただけない。
 男性キャラが出てこない場面でも、たとえば机に肘をついて亮を眺めているたまきという頻出する場面をはじめ、構図の悪さが認められる。パッケージや、エンディングにも使用された一枚絵が非常に整っているだけに、まるで急かされて描いたような一部の原画の雑さが勿体なかった。

 まとめとしては、全体的に前作と比べて成長の痕跡は大いに認められるものの、根本的な弱点は解消されなかった、と感じる。三日間の円環の内側に関してだけ言えば、伏線の不足やデスティニー・クリックというシステムが不完全にしか活かされていないという不満があるくらいでほぼ満足の出来なのだが、その外側がヴィジュアル面でもシナリオ面でも大雑把だったのが残念だ。
 それでも、クライマックスの残酷描写というハードルさえ問題なく乗り越えられるユーザーであれば遊んでみるだけの価値はある一本だと思う。少なくとも、これだけハードな素材を真っ向から扱おうとした志の高さは積極的に評価したい。

(2004/08/27)

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