cinema / 『アンジェラ』

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アンジェラ
原題:“ANGEL-A” / 監督・脚本:リュック・ベッソン / 撮影監督:ティエリー・アルボガスト / 録音:ジャン・ミノンド / 録音編集:ディディエ・ロザイック / 美術:ジャック・ビュフノワール / 衣装デザイン:マルチーヌ・ラパン / オリジナル音楽:アンニャ・ガルバレク / プロダクション・ディレクター:ディディエ・オアロー / 出演:ジャメル・ドゥブーズ、リー・ラスムッセン、ジルベール・メルキ、セルジュ・リアブキネ、アキム・シール、ロイック・ポラ、ジェローム・ゲスドン / 配給:Asmik Ace
2005年フランス作品 / 上映時間:1時間30分 / 日本語字幕:松岡葉子
2006年05月13日日本公開
公式サイト : http://www.angel-a.jp/
丸の内ピカデリー1にて初見(2006/05/17)

[粗筋]
 もっとマシな生活を夢見ていた。けれど、アンドレ(ジャメル・ドゥブーズ)の現実は借金まみれだ。日付が変わるまでに四万ユーロは用意しないと、命がない。
 その日は一日金策に走ったけれど、己の無力さを痛感するだけだった。アメリカ大使館で仮の身分証を発行してもらってカードを作ろうと目論んでもあっさりと前科を指摘されて追い出され、窮して警察に2・3日だけ牢に入れて匿ってくれ、と懇願しても摘み出される。最後に辿り着いたのは、橋の上だった。
 そうするのが約束のように欄干を越え、眼下の川を見つめる。この世の最後の別れにと、視線を巡らせたとき、その女を見つけた。
 娼婦のような丈の短いワンピースに目の醒めるような金髪、女性としては稀な長身で、そのうえ絶世の美貌。自分と同じように欄干を乗り越え、化粧の崩れた顔を傾け川を見下ろす女に「いったい何をしてるんだ」と問いかけると、「あなたと同じ事よ」と応えた。いっさい躊躇することなく飛び込んだ彼女を、アンドレは追うように跳躍する。死ぬためではなく、彼女を救うために。
 右手が使えず、泳げもしないくせに、アンドレはその女を助けることが出来てしまった。たった今まで自分自身が死のうとしていた手前口幅ったさを覚えながら、アンドレは女を必死に説得する。自分のように醜男ではない、佇んでいるだけで華やかな容姿なのだから幾らでも生きていく道がある。どうせ死ぬつもりなら、アフリカの孤児たちにでも奉仕すればいいじゃないか。アフリカが遠すぎるなら、このパリで誰かを癒してやればいい。
 たとえば、それはあなたのような人間を?
 そう問われて、思わず「そうだ」と応えたアンドレに、女はあっけらかんと言う。では、いまこの瞬間から、わたしはあなたのものになる。
 ――これが、彼とアンジェラ(リー・ラスムッセン)との出逢いだった。

[感想]
 近年は製作や脚本を中心に手懸けてきたリュック・ベッソンの、『ジャンヌ・ダルク』以来6年振りとなる監督作品である。久々の作品に相応しく、渾身の仕上がりとなっている。
 但し、彼の『TAXi』『YAMAKASI』『トランスポーター』といった製作・脚本担当作品に見られる強烈なアクションやスピード感を期待すると、だいぶ肩透かしを食う。それらの作品にも一貫する暴力性は本編にも健在だが、アクションで魅せようなどとは毛頭考えていない。独特のユーモアや暴力性など、体臭ともいうべき特徴は備えているが、娯楽とは少し言い難い仕上がりだ。
 本編はむしろリュック・ベッソンが本来備えていた、娯楽としてではなく、表現としての映画というメディアへの愛着を思う存分注ぎ込んだ作品と言える。敢えて全篇モノトーンで統一し、映画のフレームサイズを活用した動きの捉え方をする。必要に応じて1シーン1ショットという古風な手法を採用したり、カメラと対象人物を並行して動かす、あおりから見下ろす角度へとカメラを一気に動かして人物の位置を動的に捉える、といったカメラワークの工夫に、細かな視覚効果を用いた演出もあり、映像的な趣向をふんだんに凝らして、人物の感情や状況の変化を表現している。
 物語の方向性も、生々しさを留めつつも基本はファンタジーだ――尤も、リュック・ベッソンが作品に盛り込む要素をそのまま陳列していくと、本質的にファンタジーになることは避けられない。無秩序で暴力的、しかし無邪気で天真爛漫で、知性的ながら純真さを備えた女が現れ、男と関わり物語を構築していく。そのエッセンスを濃縮すれば、ファンタジーにならざるを得ないのだが、それを破綻なく、ポリシーを以て具体化させたのは本編が初めてだろう。
 根っこにある暴力性は排除していないため、しばしば痛々しい場面が登場する。あちこちに登場するユーモアは自虐的で歪であり、やはり見ていて痛ましさを感じることがままある。発言は知的なのだけど会話としては抽象的に陥っている箇所も少なくない。
 だが、そうした要素が、白黒に統一された映像で綴られると、空想性を手助けする役割を果たしている。小柄で見場も良くなく、大きな夢はあるが実際には借金まみれで明日をも知れぬ身、という主人公アンドレの境遇の生々しさを、そうした描写に埋め込むことで、悲惨ながらもまだ滑稽の領域に押し留めている。それ故に、アンジェラが登場して以降のまったく先読みが出来ない、言い換えれば突拍子もない展開に巧く繋がっていくのである。
 上記の粗筋以降は、アンジェラがそうしてアンドレの度胆を抜くような行動を繰り返しながら、彼のどこか縮こまった心を解き放たせるように働きかけていく。動機はさておき、その手管は理に適っていて巧い。とりわけ終盤、鏡を利用した場面など、視覚効果の扱いにも厭味がなく、激しいほどに胸を打つ。これ以降、クライマックスに至るまでは見せ場の連続であり、いささか御都合主義的な流れであることも事実だが、いったん引きこまれたが最後、感動の嵐に巻き込まれるだろう。
 但し、結末については評価が分かれるところだと思う。個人的には途中の時点で三つか四つ予測して、実際に選ばれたのはなかでも出来ればやって欲しくなかった種類の幕切れであった。だが、いざ目にしてみると、これが思いの外沁みる。映画的な構成に拘り、先行する場面と対比させた画面作りが奏功していることもあるが、自覚的にファンタジーを貫いた結果であるがゆえに、優しくも綺麗に収まっているのだ。
 映画ならではの味わいを凝縮した画面作りとストーリー構成に徹し、旧作に鏤めていた要素を濃密に混ぜ合わせた本編は、映画人リュック・ベッソンの、文字通りの集大成と呼ぶに相応しいと思う。それだけに、彼の体臭とも呼ぶべき個性がどうしても性に合わない、という方には受け入れがたいだろうが、映画好きの希求には久々に全力で応えた作品であることも間違いなく、往年の彼の作品に愛着がある人には是非ともご覧いただきたい。

(2006/05/17)


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