cinema / 『ブルース・オールマイティ』

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ブルース・オールマイティ
原題:“Bruce Almighty” / 監督:トム・シャドヤック / 製作:トム・シャドヤック、ジム・キャリー、ジェームズ・D・ブルベイカー、マイケル・ボスティック / 製作総指揮:ロジャー・バーンバウム、ゲイリー・バーバー / 脚本:スティーヴ・コーレン、マーク・オキーフ、スティーブ・オーデカーク / 撮影:ディーン・セムラー / プロダクション・デザイン:リンダ・デシーナ / 衣装デザイン:ジュディ・ラスキン・ハウエル / 編集:スコット・ヒル / 作曲:ジョン・デブニー / 視覚効果監修:ビル・テイラー / 出演:ジム・キャリー、ジェニファー・アニストン、モーガン・フリーマン、リサ・アン・ウォルター、フィリップ・ベイカー・ホール、キャサリン・ベル、スティーヴ・キャレル / 配給:UIP Japan
2003年アメリカ作品 / 上映時間:1時間41分 / 日本語字幕:戸田奈津子
2003年12月20日日本公開
公式サイト : http://www.uipjapan.com/brucealmighty/
日劇PLEX3にて初見(2003/12/20)

[粗筋]
 ユーモアのセンスとノリの良さは天下一品のブルース・ノーラン(ジム・キャリー)は、ローカル局のニュース番組でレポーターとして働いている。近頃、彼にとって最大の関心事は、番組のアンカーマンであるピートが引退した後釜に誰が座るか、ということ。ビッグになることに執着するブルースは上司のジャック・ケラー(フィリップ・ベイカー・ホール)への売り込みに躍起だったが、ブルースの知らぬ間にアンカーマンの席はライバルであるエヴァン・バクスター(スティーヴ・キャレル)に渡されていた。ナイアガラの滝からの生中継の真っ最中にその事実を知ったブルースは衝撃のあまりにトチ狂い、関係者に意味のない質問をした挙句に放送禁止用語を連発、その日のうちに局を解雇されてしまう。
 ブルースの不運はこれで終わらない。車に乗って帰ろうとしたところ、局のそばにいる目の見えない老人を数人のチンピラが小突き回しているのを見かけ、制止したブルースはその場で返り討ちにあった。車の窓ガラスは割られドアに釘で落書きされ、ぼろぼろの有様でブルースは我が家に辿り着いた。
 同棲中の恋人グレース・コナリー(ジェニファー・アニストン)はブルースを慰め、気晴らしをさせようとするが、目の前にあると思っていた出世の道を完全に断たれたブルースは闇雲に当たり散らすばかり。耐えかねたグレースは目を潤ませ、こう訴えた。「あなたは自分のことしか考えてない」
 家を飛び出したブルースはふたたび車を出し、ハイウェイを疾駆する。しかし前を走るトラックには「行き止まり」の看板が下がっていて、かわして前に出てみたら一瞬の油断で街灯に正面から突っ込む始末。とうとうブルースは天に向かって暴言を吐く。「あんたは職務怠慢だ!」
 そのとき、ブルースのポケットベルが鳴り響いた。液晶画面に表示された見慣れぬ番号を、はじめは無視していたブルースだったが、翌朝になってもポケベルは鳴り響き、窓の外に放り投げてバラバラになったあともまだ同じ番号が出たままとあっては無視も出来ない。試しに繋いでみると、相手は彼が名乗るよりも先にブルースであると見抜いて、町はずれのとある場所に来るよう指示する。
 やむなく訪れたその場所は、テナントの入っていない閑散としたビルだった。人の姿といえば清掃員らしき男だけ。ひとりでは掃除しきれないという男に「七日の七時に手伝ってやるよ」と適当な返事をして別の階に向かうが、やっぱり人の姿はない。そこへ、ふたたびあの清掃員がふたたび現れたかと思うと、作業服を脱ぎタキシード姿になると、こう名乗った――「私は神だ」
 神(モーガン・フリーマン)はいくつか自分の能力を披露したあと、ブルースに「このビルを出たあと、君には私と同じ力が備わる」と告げる。たちの悪い幻覚を見ているのだと思い必死に忘れようとするブルースだったが、明らかに自分を巡る状況がおかしくなっていた。スタートと言えば車のエンジンが掛かり、自分がクリント・イーストウッドだと口走ってみればダーティーハリーばりの展開が始まる。ものを取るのに他人を煩わせる必要もなければ、カップのなかのスープを『十戒』よろしくふたつに割ることだってお手の物だった。
 かくして、なんかよく解らないうちに全能の力を与えられたブルースの暴走が始まる。

[感想]
 ……なんか粗筋だけ見ると『TRICK』のようですが全然違います念のため。
 ジム・キャリーの個性は強い。流石に売り出し前の『ダーティーハリー5』あたりは(出てたんですよ)まだ埋もれているが、『マスク』で完全にブレイクして以来、出る映画出る映画すべて圧倒的なキャラクター性で作品世界を支配するまでになった。才能のなせる技だが、反面どれも同じに見えてしまうという弱点もある。本編でも披露する物真似、形態模写をはじめ、自由自在の顔の筋肉を駆使した多彩な芸が、却って演じるキャラクターを同じようなものに見せてしまうのだ。
 が、『トゥルーマン・ショー』と『マン・オン・ザ・ムーン』による二年連続、二部門に跨るゴールデン・グローブ賞受賞が証明するとおり、演技力と表現力は折り紙付きと言っていい。キャラクターとシナリオが噛み合えば、この上ない力を発揮する。
 コメディの側面と、ハートフルな夢物語の側面を持つ本編は、ジム・キャリー自らが製作に名を連ねただけあって、うってつけの作品となっている。コメディアンとしての彼を存分に披露しながら、不器用で自分のしたいことを巧く成し遂げられず、神の力を得てもすれ違い気味だった恋人との仲を修復することが出来ず煩悶する「普通の男」の姿を自然に演じている。
 今回はシナリオも非常にいい。神の力を得る、というアイディアも、そこから導き出される展開もオーソドックスだが、無理をせずしかしあるべき常識を無視せずに納得のいく筋書きを選んで、実に綺麗に着地している。伏線の撒き方、間の取り方、いずれも娯楽映画の文法を弁えていて、終始心地よい雰囲気を漂わせている。前作『コーリング』ではなかなか堂に入ったナチュラル・ホラーの演出を披露した監督だが、元々こうしたヒューマンタッチのコメディを得手としていただけあって、安心感のある演出ぶりを示している。
 絵に描いたような大団円だが、偽善臭さをほとんど感じさせない点も好感触だ。個人的には「偽善」という評価を無闇に振りかざすこと自体が危険だと思うのだが、ことこうしたコメディタッチのもの、ヒューマンドラマなどと呼ばれるものは、予定調和の度合いが強いほど嘘っぽいものを匂わせてしまうのも事実である。が、本編にはそうした印象が(皆無ではないものの)少ない。それは、「神の力を得る」という経験から主人公ブルースが導き出した結論が、ごく当たり前で受け入れやすい種類のものだからだろう。同じ経験のあとなら、たぶん誰でも似たような想いを抱くはずだ、と解る。
 ただ、傷もある。ブルース自身と彼を巡る出来事には問題がなくても、例えば「人の意志には介入できない」としながらも一部人事面に手心を加えている形跡があったり、そうした条件付けだと動物の行動はどこまでコントロールできるのか、など疑問は残っている。全体に美しくよく作り込まれた映像も、何カ所か不自然な合成が見受けられた(特に序盤、ブルースが海の上を歩く姿をロングショットで映しているあたり)。
 とは言うものの、このくらいなら目くじらを立てるほどのものではなかろう。手堅くも綺麗にまとめた、人間味溢れるコメディ映画の秀作。いつ見ても、見終わったあとにいい気分になれるはず。

 本編が日本で公開されるのをずーっと楽しみにしてました。理由はふたつ。ひとつは、何だかんだ言いつつ化物らしい興行収入を誇った『マトリックス・リローデッド』を二週目にして破った作品だということ(証拠)。もうひとつは――公開しばらくして、本編にまつわる事件が全米を騒がせ、日本でもちょこっと報道されていたこと。
 本編では冒頭、神様がブルースとの出会いの場を設けるために、彼をポケットベルを利用して呼び出す。そのとき、液晶画面に表示される番号が、あちこちで実際に使用されている番号だったために、大問題に発展した。しかも、そのうちのひとつの所有者は名前がブルースで、しかも職業が牧師だったというから迷惑この上ない。
 この一件、続報を聞いていないのでどう解決したのか私は知らない。だからこそ、日本で公開されたときどう処理されているのかに興味があったのだ。で、結果はというと――そのまま、使っていた。液晶表示は無論のこと、ちゃんとジム・キャリーがその番号を読み上げていた。
 たぶん日本では使えない番号だからこそ、特に手を加えなかったのだろう。映画の内容が内容なので、本国でも実害なしとして手心は加えなかったのかも知れない。それでも、念のために書いておきましょう。
 ……かけるなよ。

 ついでに書くと、その後本編は『〜リローデッド』のほか『ファインディング・ニモ』が同時期に公開されているという悪条件のなか、隙間を突いた内容だったためか、ダブルミリオンを達成してます。ジム・キャリーを侮るなかれ。あんまり拡大公開作品に出ないジェニファー・アニストンが珍しかったからとかそんな理由じゃない、と思う。

(2003/12/20・2004/06/22追記)


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