/ 『戦争のはじめかた』
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『light as a feather』トップページに戻る戦争のはじめかた
原題:“Buffalo Soldiers” / 原作:ロバート・オコナーズ(『バッファロー・ソルジャーズ』ハヤカワ文庫・刊) / 監督・脚本:グレゴール・ジョーダン / 共同脚本:エリック・アクセル・ワイズ、ノラ・マッコビー / 製作総指揮:ポール・ウェブスター、ジェームズ・シェイマス、ラインハルト・クロス / 製作:ライナー・グルッペ、アリアーヌ・ムーディ / 撮影:オリヴァー・ステイプルトン / プロダクション・デザイナー:スティーヴン・ジョーンズ=エヴァンス / 編集:リー・スミス / 衣装:オディール・ディックス=ミロー / 音楽:デヴィッド・ホルムズ / キャスティング:ローラ・ローゼンタール、アリ・ファレル / 出演:ホアキン・フェニックス、アンナ・パキン、エド・ハリス、スコット・グレン、エリザベス・マクガヴァン、マイケル・ペーニャ、レオン・ロビンソン、ガブリエル・マン、ディーン・ストックウェル / フィルム・フォー&フォーカス・フィーチャーズ製作 / 配給:cinequanon
2001年イギリス・ドイツ合作 / 上映時間:1時間38分 / 日本語字幕:齋藤敦子
2004年12月11日日本公開
公式サイト : http://www.cqn.co.jp/sensou/
シネカノン有楽町にて初見(2005/01/14)[粗筋]
1989年、西ドイツ、シュツットガルトにある米陸軍基地。長引く冷戦も終息を間際に控え、兵士たちにはするべき仕事とてなく気が狂いそうなほどの暇を持て余している。
基地の指揮官バーマン大佐(エド・ハリス)の事務官を務めるレイ・エルウッド(ホアキン・フェニックス)の退屈しのぎは、軍の豊潤な物資を駆使したビジネスだった。請求の通りやすい立場を利用して過剰な物資を調達すると、それを横流しして稼ぎ、また同時にサード軍曹が売り捌いているドラッグの精製を請け負っている。ドラッグをやりすぎた仲間が急死するというトラブルも発生したが、隠蔽工作もお手のもの、エルウッドにとってこの地での生活はまんざらでもなかった。
ある日、基地に新たな上官が派遣されてきた。その男――リー曹長(スコット・グレン)は着任早々、兵士にしては金回りの良すぎるエルウッドと仲間たちに目をつける。
折しもエルウッドは新しい取引材料を手に入れたときだった。エルウッドたちが捌いた麻薬にどっぷり使った状態で演習に参加したヒックスたちの運転する戦車が市街地を爆走した挙句にガソリンスタンドを破壊、折悪しくその場に行き会ってしまった武器を輸送中の兵士ふたりが巻き添えで死に、取り残されたトラックをエルウッドたちが掠め取った。ふだんは一切使われることのない核兵器保管施設に一時的に隠匿したあと、エルウッドは取引相手であるトルコと接触、モルヒネ30キロとの交換を約束する。
基地に舞い戻ったエルウッドを待っていたのは、彼の部屋を査察するリー曹長の姿だった。贅沢すぎる調度を非難するリー曹長を懐柔しようと試みたエルウッドだったが、手厳しくはねつけられる。
リー曹長に反感を抱いたエルウッドは、周囲の予測を超えたリアクションを起こす。リー曹長と共にやって来た彼の娘ロビン(アンナ・パキン)に接近したのだ。プールで彼女を発見するなり策を弄して接触するとすぐさまデートに誘い出す。厳格一途に見えるリー曹長の娘にしては妙に跳ねっ返りの印象がある彼女はすぐエルウッドの誘いに乗ったばかりか、逆に彼を魅了してしまった。
夢うつつの気分で兵舎に戻ったエルウッドだったが、間もなく当のリー曹長に叩き起こされ、早朝演習に駆り出される。慣れない機関銃を割り当てられ、部隊全員での銃撃を命じられた標的は――エルウッドの車だった……[感想]
この点を避けたとしても本編がハイレベルのブラック・コメディであり、痛烈な反戦映画であることは変わりないのだけど、やはり説明しておいた方がいいだろう。
本編はアメリカでの公開に当たって、多くの不運な出来事に見舞われている。カナダ・トロント映画祭でプレミア上映が行われた際、本編は絶賛を浴び、争奪戦が繰り広げられた結果、二日後にはミラマックスが全米での配給権を獲得した。しかし、その日付は2001年09月10日――全米同時多発テロの前日だったのである。その後、2003年07月の正式公開まで実に五回の公開発表と撤回を繰り返し、上映されたのも都市圏の限られた映画館のみだった。そのあいだに映画祭での上映も行われたが、一部の観客は過激な反応をしたという。
甚だ不運な経緯だが、一方でこの事実こそ本編がアメリカ軍部の最も探られたくない箇所を的確に描いていることを証明しているという解釈も可能だ。たとえ事実無根であったとしても、これから対テロ戦争という題目の下に攻撃を仕掛けようという矢先であったアメリカ民衆に対して大きな疑惑を投げかける作品であったことは間違いない。
とにかく目を疑いたくなるような現実が描かれる作品である。冷戦末期、西ドイツに駐留していたアメリカ陸軍だが、直接的な対決の場がない以上、兵士たちが差し迫った生命の危機を感じる状況どころか、格別にするべき仕事というもの自体が存在しない。退屈した彼らがしていることといえば果てしない暇潰し――兵舎のなかで喧嘩騒ぎを起こし、ラグビーをし、ドラッグを打つぐらいのものだ。この現実をすんなりと説明したあと、事態は更に無茶苦茶な方へと進んでいく。
後半の出来事への布石となる戦車の市街地暴走のくだりはさすがに「冗談だろ」と思わせるが、寧ろそれがすんなりと処理されてしまっているからこそあとの出来事が悪趣味で、薄気味悪く思える。この大事件を前にして、主人公のエルウッドは棚ぼた的に入手した武器を売り捌くため迅速に行動し、彼の上司であるバーマン大佐は出世のためのごますりに躍起でこれといった注意を向けることさえしない。リー曹長にしたところが、戦闘のない任地にうんざりしているのか、エルウッドという仮想敵を得て目を輝かせているように映る。他のキャラクターもまた然り、フィクションではお約束のように登場する“善人”が、本編では影も形もない。そうした人物たちが絶妙に絡みあい、クライマックスへと邁進していく。
リサーチを重ねたうえでよく出来事を重ね合わせたプロットではあるのだが、これだけ纏まっているにも拘わらず一部放置されたように感じられるキャラクターや要素があるのがやや勿体ない。また、出来事ひとつひとつが過激すぎるために、一貫した牽引力はあるのだけどそれ故に少々平板な印象を齎す、というジレンマに陥ってもいる。ちょっとしたサプライズが仕掛けられているのだが、あれをもう少し活かすためのエピソードを早い段階に盛り込むべきだったかも知れない。
しかしこういう嫌味はほとんど、作品全体の衝撃度が高すぎるが故に際立っているポイントに過ぎない。与えられた衝撃的な現実(フィクションに仕立てられてはいるが、多くはリサーチに基づいて描かれているそうだ)を巧く秩序立てて纏め、“笑えない”ブラックコメディとして一級の娯楽作品に仕立て上げた監督の手腕は鮮やかなものだ。
もともと本編に私が注目するきっかけだったホアキン・フェニックスも期待通りの名演を見せている。『サイン』『ヴィレッジ』で見せた線は細いが真摯な若者像とはほぼ真逆のキャラクターを楽しげに、しかし露悪的にならないレベルで演じる匙加減も巧い。これは演じているエド・ハリスも巧いわけだが、上司であるバーマン大佐が子供のようにさえ見え、圧倒的な貫禄を示したリー曹長役のスコット・グレンとも対等に渡り合っている趣がある。
反戦という言葉をいちどとして口にすることなく、嘲笑うことで反旗を翻す、ウイットに富んだ反戦映画であるが、そうした側面を除いてシンプルなピカレスクとして鑑賞しても極めてレベルの高い作品だ。無論、この醜悪な事実に目を瞑っては意味がないのだけれど――悪意を以て、その程度の理由で退けられるには惜しすぎる娯楽映画である、と言ってさしあげたい。誰に対して? さあ、誰でしょう?(2005/01/14)