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バタフライ・エフェクト
原題:“The Butterfly Effect” / 監督・脚本:エリック・ブレス&J・マッキー・グラバー / 製作:クリス・ベンダー、A・J・ディックス、アンソニー・ルーレン、JC・スピンク / 製作総指揮:トビー・エメリッヒ、リチャード・ブレナー、ケイル・ボイター、ウィリアム・シヴリー、デヴィッド・クリンツマン、ジェイソン・ゴールドバーグ、アシュトン・カッチャー / 共同製作:リサ・リチャードソン / 撮影監督:マシュー・F・レオネッティ,A.S.C. / プロダクション・デザイナー:ダグラス・ヒギンス / 編集:ピーター・アマンドソン / キャスティング:カルメン・キューバ / 衣装デザイン:カーラ・ヘットランド / 音楽:マイケル・サビー / 音楽監修:ケヴィン・J・イーデルマン / エンディング曲:オアシス“Stop Crying Your Heart Out” / 出演:アシュトン・カッチャー、エイミー・スマート、エルデン・ヘンソン、ウィリアム・リー・スコット、ジョン・パトリック・アメドリン、アイリーン・ゴロヴァイア、ケヴィン・G・シュミット、ジェシー・ジェームズ、ローガン・ラーマン、サラ・ウィドウズ、ジェイク・ケーゼ、キャメロン・ブライト、メローラ・ウォルターズ、エリック・ストルツ、カラム・キース・レニー、ロレーナ・ゲイル、イーサン・サプリー、ケヴィン・デュランド / 配給:Art Port
2003年アメリカ作品 / 上映時間:1時間54分 / 日本語字幕:関 美冬
2005年05月14日日本公開
公式サイト : http://www.butterflyeffect.jp/
東銀座・東劇にて初見(2005/05/14)

[粗筋]
バタフライ効果(エフェクト)――一羽の蝶の羽ばたきが、地球の反対側で台風を起こす原因となりうる、即ち些細な行動が大きな変化の契機になりうるという論理。
 エヴァン(7歳:ローガン・ラーマン/13歳:ジョン・パトリック・アメドリン/現在:アシュトン・カッチャー)は小さい頃から少し変わっていた。普段はごく普通の子で、病院に拘束されたままの父に代わってひとり育ててくれる母を愛し心から思いやっているけれど、一方でときおり、一時的な記憶喪失に陥ることがあった。何かしている拍子に突如時間が飛び、そのあいだに起きていたはずの重大な事件の記憶を完全に喪っているのだ。母のアンドレア(メローラ・ウォルターズ)は記憶を補う手懸かりになれば、とエヴァンに日記をつけることを勧め、素直な息子はそれに従い、7歳の頃から丁寧に日々のことを記録した――記憶にブラックアウトが生じた日のことも。
 母と共に郊外の閑静な住宅街に越して以来、エヴァンには仲のいい幼馴染みが三人いた。トミー(7歳:キャメロン・ブライト/13歳:ジェシー・ジェームズ/現在:ウィリアム・リー・スコット)とケイリー(7歳:サラ・ウィドウズ/13歳:アイリーン・ゴロヴァイア/現在:エイミー・スマート)の兄妹に、レニー(7歳:ジェイク・ケーゼ/13歳:ケヴィン・G・シュミット/現在:エルデン・ヘンソン)、それにエヴァンの四人はことあるごとに一緒に遊んでいたけれど、ある時期から少しずつおかしくなっていった。特にトミーは成長するごとにサディスティックさを増していき、レニーはいつしか彼らを避けるようになり、ケイリーもまた兄の言動に怯えるようになった。そんな彼女を庇いながら、次第に惹かれあっていくエヴァンだったが、あるときトミーに察知され、以来目の敵にされるようになった。やがて事態は、トミーがエヴァンの愛犬を焼き殺すという事件に発展し、アンドレアは転居を決意する。悲痛な面持ちで見送るケイリーに、エヴァンは「必ず君を迎えに来る」というメモを車窓に押しつけて応えた。
 それから八年が過ぎ、エヴァンは州立大学に進学していた。ルームメイトのサンパー(イーサン・サプリー)とともにナンパでいい加減だがそれなりに楽しい学生生活を送る彼は、いつしか断続的な記憶のブラックアウトとも、忌まわしい事件が眠っているはずの郊外での暮らしも忘れかかっていた。だがある日、プールで誘い出した女の子に日記を見つけられてしまい、成り行きで読み上げる羽目になる。奇しくも拾い出したのは、トミーが愛犬に火を点けようとしている現場に行き会い、記憶を喪ったあの日の記述。文章を読み上げていたとき――忽然と、エヴァンの眼前に、失われていた時間の出来事がまざまざと甦った。
 事実を確認するためにエヴァンは急遽、あの街へと車を走らせた。レニーはあの日の出来事がきっかけで自閉症気味になり、空白の時間の出来事を確かめようとすると興奮し、エヴァンに食ってかかる。
 いったん自分の部屋へと戻ったエヴァンは、ふたたび日記を読み返していた。レニーが最初に転換に似た発作を起こしたその日――エヴァンもその日、記憶のブラックアウトを起こしていた――の記述を何気なく口に出して読み上げていたエヴァンは、ふたたびあの日の出来事が眼前に甦ったのを目にする。そこで発生した凄惨な事故の一幕のなかで、彼は思わず口にくわえていた煙草をシャツの上に落とし、腹部に火傷を負った。一部始終を見届け、現代に戻ったエヴァンの腹部には、かつて存在しなかったはずの火傷のあとがついている。このとき彼は初めて、己の力の正体を知った――エヴァンは、日記の記述を読み上げることで、記憶の脱落したその瞬間に舞い戻り、行動を改めることで過去を変えることが出来るのだ。
 ふたたびあの街に戻ったエヴァンは、今度はケイリーに会いに行く。場末のレストランで、客のセクハラや他の従業員の無理解に苛まれる彼女の様子を遠目に見て、エヴァンは胸を痛めた。帰り際の彼女を捕まえ、やはり空白になっていた日の出来事を確かめようとすると、思い出させないで、と痛切な表情になり、迎えに来るといいながらこんな境遇になるまでほったらかしていた彼を責めた。返す言葉もなく、エヴァンは学校へと戻る。寮に戻った彼を待っていたのは、トミーが残した留守番電話だった――ケイリーが、エヴァンに過去の傷を抉られたショックから死を選んだ、という内容の。
 影から葬儀の様子を見守ったあと、エヴァンは本格的に過去を改変する意を決した。ケイリーのトラウマの発端と思われる日付に舞い戻り――エヴァンとケイリーをモデルに幼児ポルノを撮影しようとしていたケイリーらの父・ジョージ(エリック・ストルツ)を脅し、ケイリーに対する性的虐待をやめ、トミーをちゃんと躾けるよう言い聞かせる。
 現代に舞い戻ると――エヴァンの暮らす世界は、文字通り一変していた。

[感想]
 タイムトラベル・テーマの映画そのものは昔から沢山ある。いちばん解りやすい『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズに『ターミネーター』シリーズ、最近にもSF小説の原点である『タイムマシン』が映画化されているし、本邦でも『時をかける少女』に最近にも『リターナー』という作品が発表されている。最も身近な視点から、極めて濃密なSF的ガジェットを盛り込みうるシチュエーションであるだけに、映画のみならずフィクション全般で持て囃されている。
 それだけ頻繁に用いられるだけに、タイムトラベルものだと最初から提示されていてはあまり目を惹かない。テーマの齎す解釈の幅が広いだけに、発展から結末までは如何様にも盛り上げられるが、如何に従来とは異なるスタンスから、“時間移動”、“過去あるいは未来へのアプローチ”という方向へ持ち込むかがまず勝負となる。
 その点、本編は非常に巧い。序盤では、唐突な記憶の脱落による不穏な雰囲気だけが物語の底流にあり、表面的にはひとりの男性の幼児体験と成長とが描かれているのみだ。それがSF的な展開に結びつけるための伏線だった、と判明したときから急激にサスペンスが加速する。どのくらい込み入った伏線が張られていたかというと、上の長い粗筋が実は前提段階のみで、しかも伏線となる過去の出来事について避ける方針で書いていたにも拘わらずあの長さなのだから、その緻密さは推して知るべしである。
 但し、なまじ構成が丁寧であるだけに、前提条件が揃った時点でどこに物語を導きたいのか察してしまう人も多いだろう。私自身、最初の変化が訪れた段階で着地点だけは推測がつき、結末の要旨はほぼそのまんまだった。
 にも拘わらず失望も落胆もしなかったのは、序盤で張られた伏線の丁寧さもさることながら、過去にアプローチしたことで生じる変化の巧さ、その予測困難な筋運び、そして結末に至るドラマ作りの素晴らしさゆえだ。主人公エヴァンが次の“着地点”に選ぶ“過去”の意外性と、予測できないその影響力。どう足掻いてもどこかにツケが廻り、脱出不能に陥っていく過程で、エヴァンの視野が次第に広がっていくのにも気づくはずだ――それはそうだ、設定上“過去に跳躍した”という経歴のない記憶に、他の人生で経験した記憶が更に継ぎ足されていくことになるのだから、否応なくエヴァンは成長していく。当初、ただ己の無思慮のあまりに傷つけ死に追いやった初恋の少女を救うためだけに過去を改竄したはずが、泥沼に陥っていくジレンマと、その悲痛な結果。たとえば、過去にどうしていればこんな結末を辿った、ということを知らなければ傷つくはずもなかったのに、ターニングポイントが明確であるだけにエヴァンが負う心の傷も、その観客への伝わり方も濃密だ。
 当初、疑問として感じたのは、環境が変化した直後の主人公のリアクションである。それまでの経歴が異なれば、エヴァンも他の登場人物も同じ成長過程を辿ったはずがなく、実際その変化自体も物語のドラマ性に貢献しているのだが、単純にそれまでの経験に主人公の経験が上書きされたなら、新しい歴史での記憶や性格も残っているのが道理で、ああまで困惑することはないだろう。周辺の人物の動向にしても、たとえば変化の結果疎遠になっていたとしてもある程度実情は知っていていいはずで、その世界で再会して無惨な姿を目の当たりにしたとしてもあそこまで大袈裟なショックを受けたとは考え難い。
 尤も、こんな風に考えるのはこちらが多少うがったものの見方に慣れているからであって、普通にああいう状況に直面すればその都度衝撃を感じても不思議ではないだろうし、実際一般的な観客はそこまで踏み込んで想像はしないかも知れない。寧ろ、あそこで主人公が率直に受けた衝撃を表情や言動に出してくれるからこそ、観客もストレートに感情移入が出来る。また、咄嗟に変化に順応できないがゆえにドラマが生じている部分も多々あり、ある程度は不自然を承知のうえでこういう描写を行っていたとも捉えられる。判断は難しいが、匙加減としては悪くない。場面ごとに性格も外見もかなり変えてそれぞれのキャラクターを演じた俳優たちも健闘だが、アシュトン・カッチャーはじめエヴァンを基本的に性格的にはフラットに、しかし感情の変化を丁寧に演じた役者三人もこのドラマ性に貢献している。
 そして、必然的な決着であるラストシーンを、あまり情感過多にならぬようさりげなく描いている点にも好感が持てる。これでもかこれでもか、と主人公の取った行動の結果を突きつけるのではなく、いちばん重大な変化とその結果としてのラストシーンをぽん、とさりげなく提示することで、逆に深く痛切な余韻を残す。中盤での描写の意味をろくに考えもせず漠然と観ていると「これで終わり?」と呆気なく感じるかも知れないが、きちんと主人公の感情を辿っていくと、実に痛ましくも達成感のある結末だ。
 しかも、結末から改めて全体を顧みると、SF的なシチュエーションを選択しながら正統的な“青春物語”になっていることにも気づく。過程は特異ではあるが、本質的にこれは初恋を巡る“痛み”の物語であり、苦しみを経て成長していくひとりの男性の物語でもある。
 それなりにこういう強烈なワン・アイディアものの映画を見慣れた身にはもっと掘り下げて欲しかった、という嫌味が禁じ得ないものの、しかし解りやすく、張るべき伏線は徹底的に張り巡らせて良質の娯楽映画に仕立てた手腕はお見事。個人的には今年、『エターナル・サンシャイン』とともに、理屈抜きで“好き”と言い切れる映画のひとつと断言したい。

(2005/05/15)


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