cinema / 『レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード』

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レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード
原題:“Once Upon a Time in Mexico” / 監督・脚本・製作・撮影監督・美術監督・編集・視覚効果スーパーヴァイザー・再録音ミキサー・作曲:ロバート・ロドリゲス / 製作:エリザベス・アベラン、カルロス・ガラルド / 衣装デザイン:グラシエラ・マソン / スタンド・コーディネーター:ジェフ・ダシュノー / 出演:アントニオ・バンデラス、ジョニー・デップ、サルマ・ハエック、ウィレム・デフォー、ミッキー・ローク、エヴァ・メンデス、ダニー・トレホ、エンリケ・イグレシアス、マルコ・レオナルディ、チーチ・マリン、ルーベン・ブラデス / 配給:Sony Pictures
2003年アメリカ作品 / 上映時間:1時間41分 / 日本語字幕:菊地浩司
2004年03月06日日本公開
2004年07月28日DVD日本版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.sonypictures.jp/mexico/
丸の内ルーブルにて初見(2004/03/06)

[粗筋]
 メキシコに不穏な気配が立ちこめていた。実業家として民衆の信頼を集めながら、一方ではギャングの首魁として暗躍するバリーリョ(ウィレム・デフォー)の組織は、近頃彼らに対する締め付けを強化している大統領を暗殺する計画を立てていた。その為にバリーリョは、汚い仕事にも手を染めているマルケス将軍を雇い、クーデターを起こさせようとしていた。その情報を嗅ぎつけたCIA捜査官のサンズ(ジョニー・デップ)は、情報屋のベリーニ(チーチ・マリン)から得た話を手がかりに、手下として飼い慣らしていたメキシコ人のククイ(ダニー・トレホ)を使者として、ある男に接触する。
 その男はいま、ギター職人の集まる村に暮らしていた。たったひとりでふたつの村を壊滅させ、マルケス将軍の取り巻きを一掃し彼の女だったカロリーナ(サルマ・ハエック)を奪いながら、数年後に復讐を受けカロリーナとふたりのあいだに出来た娘を惨殺され、失意から現役を退いていた伝説の殺し屋エル・マリアッチ(アントニオ・バンデラス)――村で無意味な流血沙汰が起きることを避けた彼は、大人しくククイに導かれてサンズと面会する。サンズが彼に託した仕事は、クーデターによって大統領が暗殺された直後、マルケス将軍を始末すること。革命は必要だが、その政権をマルケスに手渡す必要はない。上手すぎる料理人を始末するように、バランスを保つのが俺の仕事だ、とサンズは言い放った。マリアッチにとって、大義はどうでも良かった。これは彼に与えられた、最上の復讐の機会だった――マリアッチは、その依頼を受け入れる。
 マリアッチに接触したあとも、サンズは暗躍を続けた。もともと敏腕なFBI捜査官であったが、バリーリョに相棒を拷問の末に殺されたことがきっかけでリタイア、いまはメキシコに暮らすラミレス(ルーベン・ブラデス)に接触し、かつての立場を利用して、バリーリョたちの行動を捜査して欲しい、と頼まれる。相棒の話を持ち出されたことで奮起したラミレスは、バリーリョの側近にかつてアメリカで大物犯罪者として手配されていたビリー・チェンバース(ミッキー・ローク)がいることに気づき、現役捜査官を装って接触する。バリーリョに匿われたはいいが、タダで惨い仕事をやらされることに辟易していたビリーは思いの外協力的であり、ラミレスはビリーの飼うチワワの首輪に盗聴器を仕掛けることに成功する。
 一方、サンズの仕掛けた罠をクリアし衰えぬ実力を見せつけたマリアッチは、かつての殺し屋仲間であり、いまは歌のスキルを利用したホスト・クラブを経営するロレンソ(エンリケ・イグレシアス)とフィデオ(マルコ・レオナルディ)のもとを訪ね、預けてあった銃器仕込みのギターケースを回収すると共に、協力を要請する。
 それぞれが暗躍するなか、最初の戦闘は思わぬ形で始まった……

[感想]
 もともと監督のデビュー作『エル・マリアッチ』は(多分にジョークも混ざっていたにせよ)三部作として構想されていたのだという。言葉通りなら本編はそのトリを飾る作品となるわけだが、まさに相応しい一本である。
 予習として『エル・マリアッチ』と『デスペラード』をあらかじめ鑑賞してから劇場を訪れたのだが、必ずしも話は直接リンクしていない。それもそのはずで、話ごとに決着なり目的の達成を果たしているのに、物語が続くはずもなく、事実上メジャー進出以降の二作は新たな“動機”が立ち上げられているので、私のように律儀に予習していく必要はない。ちゃんと基本設定は教えてくれる。
 が、そこはそれ、旧作を観ておけば更に楽しみが膨らむのも間違いはない。旧作の出来事はリセットされているものの、冒頭で伝聞として描かれるエル・マリアッチに関するエピソードは、完璧に旧作を下敷きにしているのだ。しかもまったくそのままではなく、「尾鰭がついて」或いは「誇張して」描かれているのがまた面白い。どこがどう、とくどくどしく説明するより、機会があったら旧作をいちど確認したあとで本編を御覧いただきたい。笑えます。
 シリーズものである以上存在するお約束も、きっちり守っているのがまたいい。冒頭の回想による銃撃シーンにアントニオ・バンデラスのギター演奏をバックにしたオープニングタイトル、そして意味もなくギターケースに偽装された武器もきちんと登場する。兵器のディテールの確かさや、異常な銃撃戦のさなかにも弾の装填はちゃんとしているというリアリティの一線は守っているのも相変わらず。
 ――では、お話そのものはレベルアップしているか、というと……ちと首を傾げる。逆転やひねりを用意しながら、根っこがシンプルであったために展開の把握しやすかった旧二作と比べて、本編の背景はあまりに入り組みすぎている。クーデターをめぐって多数の人間の思惑が絡みあうという話だが、それぞれの登場人物の狙いや個々の繋がりがなかなか見えてこず、理解しきれないうちに裏切りや銃弾の応酬が始まるので、尚更に訳が解らなくなる。目的も見えなければ行動理念も解りにくく、そのために終盤で感じられるカタルシスが大幅に減じられているように思うのが惜しい。
 だが、まったくカタルシスがないわけではない。上に挙げた旧作から踏襲されているスタイルもそうだが、やや分量を減らしたとは言え相変わらず破天荒だが妙にリアルで迫力のあるアクションと、随所で登場する個性的な小道具や脇役の扱いが、痺れるくらいに格好いいのだ。ひとつ挙げてみると、マリアッチの回想シーンで、目醒めた彼と恋人カロリーナの腕が何故か鎖で結ばれていて、その状況で襲われたふたりは建物の五階の窓から逃走する。このとき、鎖で繋がれていることを逆利用して、ところどころの突起物などに交互に縋って降下していく。どー考えても脱臼や骨折のひとつぐらいしそうな危険な逃げ方だが、観ていて実に楽しい。ほか、何気ない台詞があとあと巧いタイミングで反復されたり、序盤で登場する意味不明のアイテムが終盤で突如効果的に使われたり、という具合で、その都度爽快感を味わわせてくれるのだ。
 思うに、ロドリゲス監督にとってもほかの出演者にとっても、設定やストーリーなどはそれぞれの見せ場を活かすための道具に過ぎないのだろう。あらかじめ、こういうシーンを作りたい、ここでこのアクションを極めたい、といったアイディアがあって、それをどう物語のなかでらしく魅せるかに執心しているようだ。
 ラテン・ヒーローとして創造されたマリアッチに、CIA捜査官のサンズがいささか目立ちすぎたため、こういう映画では理想的すぎるキャストふたり――ウィレム・デフォーとミッキー・ロークの活躍の場が少なく、ほかの名前付きの脇役とあまり変わらぬ程度の露出に留まってしまったのが勿体ないが、しかしそれこそ監督らの優れたバランス感覚を示すものだろう。あくまでマリアッチとサンズ、ふたりのダーティな英雄の活躍を徹底的に描くためだけに、本編は作られている。
 手段のためには目的を選ばない、もう平伏してしまいたくなるくらいの潔さで作られた、骨の髄まで娯楽づくしの映画。目的が破綻してるとか政治家たちがさすがにアホすぎないかとか、そんなものは本編の前にあって批判として機能しないのです。バンデラスとデップの勇姿に酔い痴れよ。

 デビュー作のように制作費を切りつめるためにではなく、自分の個性を存分に発揮するためにと、脚本はもとより撮影に美術、視覚効果まで手がけたロドリゲス監督だが、今回は更にBGMの作曲まで手がけている。さすがにオーケストレーションなどは専門家によるようだが、この入れ込みようは尋常ではない。
 が、クレジットを眺めていて吃驚したのは――なんと、作曲や演奏にジョニー・デップやアントニオ・バンデラスの名前まであることだ。確かに、バンデラスは前作で見事な歌声を聴かせているし、ジョニー・デップも『ショコラ』でギターの腕前を披露しているくらいだから、作曲ぐらい出来ても不思議ではない。が、なんというか……この感覚をどー説明したらいいのでしょう。
 とりあえず、機会があったらサントラを購入してゆっくり聴いてみたいわ。

(2004/03/06・2004/07/30追記)


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