cinema / 『ドッジボール』

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ドッジボール
原題:“Dodgeball : a true underdog story” / 監督・脚本:ローソン・マーシャル・サーバー / 製作:スチュアート・コーンフェルド、ベン・スティラー / 製作総指揮:メアリー・マクラグレン、ローズ・レイダー / 撮影監督:ジャージー・ジーリンスキー,A.S.C. / 美術:マエル・アーマド / 編集:アラン・ボームガーデン,A.C.E. / 衣装:キャロル・ラムジー / 音楽:セオドア・シャピロ / 出演:ヴィンス・ヴォーン、ベン・スティラー、クリスティン・テイラー、リップ・トーン、ジョエル・ムーア、クリス・ウィリアムズ、ジャスティン・ロング、スティーブン・ルート、アラン・テュディック、ジェイマル・ダフ、ミッシー・パイル / レッド・アワー製作 / 配給:20世紀フォックス
2004年アメリカ作品 / 上映時間:1時間33分 / 日本語字幕:古田由紀子
2005年04月29日日本公開
公式サイト : http://www.foxjapan.com/movies/dodgeball/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2005/04/29)

[粗筋]
 零細スポーツジム、アベレージ・ジョーのオーナーであるピーター・ラ・フール(ヴィンス・ヴォーン)のもとにその日、非情な通告が伝えられた。公共料金の延滞が数ヶ月に達し、差し押さえられたジムの抵当権は既に売却された。あと一ヶ月のうちに5万ドルを支払えないと、ジムは人手に渡る。銀行から財務調査のために派遣され、その事実をピーターに伝えたキャサリン・“ケート”・ヴィーチ(クリスティーン・テイラー)によると、買収したのはグロボ・ジムのオーナーであるホワイト・グッドマン(ベン・スティラー)……他でもない、一年ほど前にアベレージ・ジョーの真向かいに建ち、金にものを言わせた設備によって客を奪っていった張本人であった。
 驚異的なナルシストで貧乏くさいアベレージ・ジョーの有様に嫌悪感を示すホワイトは、自分の物になった暁には建物を潰してグロボ・ジムの駐車場にする、と息巻いている。直訴も虚しく追い出されたピーターは、アベレージ・ジョーを唯一の行き場にしている仲間たちと5万ドルの返済のために知恵を絞る。とりあえず洗車で金を稼ごうとするがあっさり壁にぶつかり頓挫、基本的に目的意識がなく諦めの早いピーターは「これも運命だ」と受け入れかけるが、そのときスポーツ知識マニアのゴードン(スティーブン・ルート)が雑誌記事に起死回生のアイディアを見出す。登録しさえすればどんなチームでも参加可能な国際ドッジボール大会がラスベガスで開催されるのだが、その賞金がジャスト5万ドル――ドッジボールのルールなど誰ひとり知らないのに、と渋るピーターに、ここが無くなったら行き場がない、と仲間たちは訴え参加を決断させた。
 ハイスクールの学生であるジャスティン(ジャスティン・ロング)が調達してきたビデオでにわか仕込みの勉強をして地区予選に臨んだアベレージ・ジョーの一同だが、拍子抜けなことに一勝すればラスベガスでの決勝に参加できるとのこと――しかし、そうでなくても練習不足なところに、意外な対戦相手とその戦略によってあっさり敗退してしまう。これで八方塞がりか、と落胆したのも束の間、対戦相手の不正が暴かれ、繰り上げの決勝進出が決まった。
 たまたま近所に住んでいたから、と観戦に訪れていたケートも交えて祝勝会を開いていたピーターたちだったが、水を差すように現れたのはホワイトたち。彼はピーターの思うようにさせない、という意地から裏工作を行い、予選抜きで決勝から大会に参加する、と言い放った。ジムの精鋭に、ドッジボールが国技という妙な国からスカウトしたという“ドッジボールの魔女”も加えた最強のチームを誇らしげに披露し、勝利宣言をして去っていく。
 一方で、ピーターたちの前に救いの手も差し伸べられた。予選での惨状を目の当たりにした車椅子の男が、彼らにコーチを申し出る。男の正体はパッチーズ・オフーリハン(リップ・トーン)――かつて全米ドッジボール協会にその名を轟かせた名選手である。そのトレーニングは数日で命まで失いそうな過酷なものだったが、憩いの場を守るためと奮起したピーターたちはよく耐え抜き、次第に力をつけていく。
 救いはもうひとつあった。実はソフトボール歴八年で男顔負けの豪腕の持ち主であったことが発覚したケートである。当初はピーターたちの勧誘にも、利害が矛盾する、と固辞した彼女だったが、かねてから秋波を送りつづけていたホワイトの画策によって銀行から解雇されたケートは、誘惑そのものをはねつけると同時に、アベレージ・ジョーのチームに加わることを約束する。
 そして、遂に決勝トーナメントが、娯楽の聖地ラスベガスで始まった――!

[感想]
 実は、アメリカ向けコメディというのがけっこう好きだ、と自覚したのは『ズーランダー』を観たのがきっかけであった。幾らなんでもバカすぎるだろ、という突き抜けた登場人物、んなことあるかい、とツッコミまくりの事件、予定調和のある意味美しい結末に、随所に盛り込まれた小技とんなことまで気づくか、というパロディの数々――馬鹿馬鹿しい、と思いつつもその潔いまでに「笑い」に徹した作りに魅了されたものだった。特にその作品で監督・製作・脚本・主演と八面六臂で活躍したベン・スティラーの才能を確信し、彼の拘わる作品が日本で上映されるのを心待ちにしていた。
 ――本編は実に、それから二年半ぶりに公開された、ベン・スティラーを中心とする真っ当なコメディなのである。
 この間、彼がコメディをまったく作っていなかったわけではない。両者のあいだに『ザ・ロイヤル・テネンバウムス』、『おまけつき新婚生活』、『スタスキー&ハッチ』、『Meet the Fockers』の四本が、このあとにも『ポリー My Love』、『隣のリッチマン』が全米では公開されている。その殆どが一定レベルの成績を収めており、ベン・スティラーの実力は疑いようもない。だが、このなかで現在までに日本において劇場公開されたのは僅かに『ザ・ロイヤル・テネンバウムス』一本。ようやく最近になって『おまけつき新婚生活』が邦題とともに公開を決め、大立者が名前を連ねたシリーズ最新作である『Meet the Fockers』は時期は兎も角公開は確定した。しかし、残る作品はすべてビデオ直行となっている。それどころか、『Along Came Polly』は『ポリー My Love』に、『Envy』は『隣のリッチマン』に、とそれぞれオリジナルであるにも拘わらずパロディかと思わせるような邦題にされてしまっている。まだ本格的に映画を見始めて間もなく、ようやくコメディに開眼しようかというところだった私には迷惑なことこの上ない。尤も、むこうで話題になりながらもビデオにさえ落とされることなく消えていく作品だって無数にあるので、日本のベン・スティラー・ファンはまだしも報われていると言えようか。
 前置きが長引いたが、斯様に冷遇されているコメディ映画であるが、本編を観るとしかし「仕方ないのかな」と思うのも事実だ。作中繰り出されるギャグには、アメリカの文化や芸能事情にある程度通じていないと解りかねるものが多数含まれているのである。かくいう私自身詳しい方ではなく、観賞後プログラムを参照して一部の観客が妙なところで笑っていた理由に気づいた次第だ。笑いというものが観客の“常識”に訴えかけるのをひとつの作法としている以上、どこの国のコメディであっても抱えざるを得ないジレンマであり、このことがコメディ映画越境の妨げになっているのであろう。
 その点本編がよく出来ているのは、動きや言動、そして伏線によって導く笑いも無数に鏤められていることだ。のっけから登場するベン・スティラー=ホワイトのグロボ・ジムPR映像は言っていることが根本的に変だし、続いて描かれる会費をほとんどまともに徴収しないピーター=ヴィンス・ヴォーンの暮らしぶりは悲惨すぎて苦笑いするしかない。高校生のジャスティンはトレーニング機材のロープに絡んでいるし、何故か自分を海賊だと信じ込んでいる男もいる。グロボ・ジムがスカウトした女性ドッジボーラーを巡る経緯も実に可笑しい。また、細かい描写にも一目で「おいおい」と解るような遊びを施しているので、そういうところを探しながら観るのも一興だろう。
 そんななかでも特に気を吐いているのは、やはりベン・スティラーである。昔の太っていた自分が嫌いな余り、自らが築いたマッチョで押しの強い男、という自己像に浸り内実が伴っていないバカを見事に演じ、その行動を観察しているだけでも楽しい。自信満々だが中身はないので口論になると矛盾した発言の挙句に強制終了させるし、女性の口説き方をぜんぜん知らずにケートに特攻してあっさり玉砕するし、執務室における妙な行動の数々が素敵に楽しい。
 話の流れは完全に予定調和である。ある人物の途中退場とクライマックスの捻りはちょっと意外だったが、他の出来事は伏線などから予測はつくし、コメディである以上ハッピーエンドもお約束でしかない。が、それ故に拘りなく楽しめ、後味も爽快な本編、まさに望んでいたとおりのコメディ映画である。晦渋な文芸ものや緊張感を強いられるホラー・スリラーなどに疲れて何も考えずに楽しみたい、とお考えの方は試してみるが吉です。
 なお、例によってエンドロールのあとにもかるーいジャブが待っていますので、よほどお急ぎの理由でもない限り最後まで席を立たれませぬようご注意を。

(2005/04/29)


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