cinema / 『人形霊』

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人形霊
英題:“The Doll Master” / 監督・脚本:チョン・ヨンギ / 製作総指揮:スタンリー・キム、ソ・ボムソク、キム・サンミン、ヒュン・コ / 製作:ハン・マンテク、イム・ギョンテク、イム・ヒチョル / 共同製作:シン・ウソン / 撮影:チョ・チョルホ / 美術:チョン・スア / 編集:ナム・ナヨン / 出演:イム・ウンギョン、キム・ユミ、オク・ジヨン、シム・ヒョンタク、チョン・ホジン、キム・ボヨン、ナム・ミョンニョル、イ・ガヨン、イム・ヒョンジュン / フィルマ・ピクチャーズ&マイン・エンターテインメント製作 / 配給:COMSTOCK
2004年韓国作品 / 上映時間:1時間29分 / 日本語字幕:根本理恵
2005年07月16日日本公開
公式サイト : http://www.ningyorei.jp/
新宿シネマミラノにて初見(2005/08/06)

[粗筋]
 ある人形師の若者が、着物姿の美しい女性に恋をした。男は思いの丈を籠めて、彼女に似せた人形を作る。だが、愚かにも男は気づいていなかったのだ――人形もまた人を愛そうとすることを。やがて女性は無惨な姿で発見され、男は殺人犯の疑いをかけられた挙句、村人から打擲されて絶命する。野辺に葬られた男の無辜を信じて、人形はひとり、傍らでずっと、ずっと見守り続けていたという……
 それから六十年後、僻地にある工事途中で放棄された聖堂を改装した美術館、という触れ込みの洋館に、四人の男女が招かれた。彫刻家のヘミ(キム・ユミ)、小説家のチョン・ヨンハ(オク・ジヨン)、高校生の女の子イ・ソニョン(イ・ガヨン)、写真家のホン・ジョンギ(イム・ヒョンジュン)。四人は館にアトリエを構える人形師ジェウォン(キム・ボヨン)の新作のモデルになって欲しい、という依頼で集められたが、どこからその情報を聞きつけたのか、自らを売り込むためにモデルのキム・テスン(シム・ヒョンタク)という男も紛れ込んできた。幸か不幸か、テスンは人形師のお気に召したようで、美術館への滞在を許される。
 館内はまさに人形づくしだった。ホールは無論のこと、客室にも様々な趣向を凝らして人形が配置されており、“鈍感”を自認するヘミでさえ異様な印象を受ける。事実、ホールで展示された人形を写真に撮っていたヘミは、どこからともなく聴こえてくる物音に気づいた。潜りこんだ先に館長のチェ・ジスァン(チョン・ホジン)がいたためになし崩しになってしまったが、その出来事はヘミの心に微かな痼りを残す。
 明くる日、ヘミはどこか淋しげな面持ちで自分を見つめる少女・ミナ(イム・ウンギョン)と出会う。人形師の話によれば、ミナはヘミをよく知っていた、というのだが、ヘミにはそんな心当たりはない。ただ、彼女のあまりに儚げな様子が気に掛かった。
 やがて、最初の変事が滞在客たちを襲った。人形師のデッサンがてら、ホールで催されたジョンギの撮影会のさなか、ヨンハが「人形たちの囁き声がする」と訴えた挙句、失神してしまった。更にはヨンハが“デミアン”と名付け愛していた人形がバラバラにされ、目を突かれた無惨な有様で発見される。成り行きからヘミの仕業と勘繰られるが、そのヘミの部屋もまた何者かの手によって荒らされていた。
 夕食のあと、人形師のアトリエで話をする約束になっていることを思い出したヘミは、彼女の部屋に向かう途中、館の外に沈痛な面持ちで佇んだミナを見つける。何故か彼女のことが気懸かりだったヘミは駆けつけて話を聞こうとするが、その両手が血にまみれているのに気づいて愕然とする。逃げ出したミナを追う途中、ヘミは斜面から転げ落ちてしたたか頭を打ちつけ、気を失ってしまう。
 ヘミがそうして昏倒しているあいだ、館の中では更なる悪夢が滞在客たちを見舞っていた……

[感想]
 毎度繰り返し書いているが、どうも私は韓国産ホラー映画とは相性が悪い――ストレートに「韓国産ホラーは駄目」と言い切ってしまいたいぐらいだが、世間的にはそれなりに楽しまれているようだし、中には『箪笥』のようにすれっからしの目にも優秀な作品が潜んでいるようなので一概に否定出来ない(そもそも部分で全体を批判すること自体が問題だが)。何より、たまたま私がハズレくじばかり引いている可能性もあるのだから。それでもチェックしているのは、方向性という意味で日本のそれに近く、やがて優れた作品に巡り会える鉱脈ではないか、という予感があるからなのだけど。
 残念ながら本編もまた出来は良くない。不気味な予感を掻き立てる描写は悪くないのだが、肝心の“現象”がどうにも中途半端なものばかりで物足りない。序盤の、異様な気配に怯えている姿のほうがよっぽど怖く、“彼ら”が本格的に滞在客を襲いはじめてからの出来事は、その死に様の滑稽さもあってあまり恐怖に結びつかない。
 サプライズを齎す意図からだろう、本編は物語を構成する背景が複数存在する。そのために若干ながら奥行きは出ているのだが、それらの絡め方が巧くいっていないのが残念だ。一連の事態の黒幕はどうしてこういう形で容喙していったのか。地下室の“アレ”はどんな経緯からああいった状況に追い込まれたのか。招待客に潜りこんだその人物はいったいどうしてこの館に関する情報を聞きつけ、その人物の追っている出来事と館とのあいだにどんな関連があると疑っていたのか。また終盤、思わぬ形で事態をかき混ぜるアレはどういう経緯でこの館に関わったのか――作中の説明では、この辺の事情がまったく不明なままになっている。
 提示した謎をあえて充分に解きほぐさないことで、展開や結末にある恐怖や余韻を増幅させる、という手法はホラーならずとも作劇の定石ではありますが、本編のやり方ではそういう効果にまったく繋がらない。不明なことでより深い背景を窺わせるのではなく、却って説明がつかなくなったり、前後に不整合を起こして居心地の悪さを感じさせるような“疑問”ばかりなのが拙いのだ。だいたい、この設定なら“館”はもっと“霊”だらけになっていて然るべきだろうし、そうでなくても黒幕の計画に邪魔な存在が、その気になれば放逐出来る位置にいたにも拘わらず、そのまま留めていた意図がいまいち解らない。物語の背景それぞれについてはいいアイディアだと思う一方で、その掘り下げや絡め方はあまりに杜撰で、作品全体をぎくしゃくしたものにしてしまっている。
 本編の美点は、人物設定やその動きに、韓国映画に見られがちな大袈裟さやわざとらしさが乏しいこと。そのなかで作りものめいた美貌によって一個の“違和感”として介入するミナというキャラクターの位置づけが巧い。そんな彼女を包み込む、奇妙な気配を漂わせた美術も独特な世界観を感じさせて印象に留まる。
 同じ韓国映画を引き合いに出すなら、『コックリさん』などよりは格段にましな出来だと思う。あちらに比べれば筋はずっと通っているし、話の組み立てにも誠実さが窺える。が、それでも私から本編にあげられるのは“努力賞”が限界。無数に勿体ない、と感じる点が多いのだが、その結果、多少なりとも“怖い”と感じて記憶に刻まれるシーンがひとつもないのは、さすがにホラー映画としては問題だろう。

(2005/08/06)


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