cinema / 『theEYE3』

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theEYE3
原題:“見鬼10” / 英題:“the EYE - INFINITY” / 監督・原案:パン・ブラザーズ / 脚本:マーク・ウー / 製作総指揮:エリック・ツァン / 製作:ピーター・チャン、ローレンス・チェン、ジョジョ・ホイ / 撮影監督:デーチャー・スィーマントラ / 編集:カーレン・パン / プロダクション・デザイン:スタンレー・チャン / アート・ディレクター:アーブ・ヌントーン / 衣装デザイン:スタンレー・チャン、スラサーク・ワラギットゥチャローン / 音楽:パヨン・タームシット / 視覚効果:ダ・ジョイント・リミテッド / 出演:チェン・ボーリン、イザベラ・リョン、ケイト・ヤン、クリス・クー、レイ・マクドナルド、ボンコット・コンマライ / 配給:COMSTOCK+PHANTOM FILM
2005年中国(香港)作品 / 上映時間:1時間25分 / 日本語字幕:風間綾平
2006年04月29日日本公開
公式サイト : http://www.theeye-movie.com/
新宿武蔵野館にて初見(2006/04/29)

[粗筋]
 香港在住のタク(チェン・ボーリン)、メイ(ケイト・ヤン)、コーファイ(クリス・クー)、エイプリル(イザベラ・リョン)の四人組は、友人チェンカイ(レイ・マクドナルド)に逢いにタイを訪れた。
 ひとしきり遊んだあと、チェンカイの家で酒を酌み交わしていた五人の話題は、いつしか怪談に発展する。話が周りの人間の体験談ばかりで、全員が自ら幽霊を目撃したことがない、ということに気づいたチェンカイは、最近手に入れた奇妙な本を示す。謎めいた古書店で購入したその本のタイトルは、『幽霊を見る10の方法』――文字通り、霊感がなくとも幽霊を目にすることを可能にする手段が記されたものだった。
 象徴的なのは、視える人間の角膜を移植すること、妊婦が自殺を試みること。他にも存在する方法のなかから、五人はいちばん手軽に感じられる方法を選んだ。十字路にて、三人分の食事を用意し、空の器を叩き続けること。
 面白半分で始めた“儀式”は、五人が想像していた以上の成果を上げてしまう。大量の餓鬼の群れに恐怖して逃げ出した四人だったが、ただひとり、メイだけはその姿を目にすることが出来ず、別の方法を試みるよう主張する。
 続いて選んだのは、幽界かくれんぼ――鬼が黒猫を抱いて仲間たちを捜すと、幽霊がそのなかに混ざって、ひとりを隠してしまう。黒猫を放すと、その仲間の姿と共に幽霊が視えるのだという。この方法も至極あっさりと成功した――コーファイの存在を代償として。
 行方をくらましたコーファイを捜すために捜索隊も組織されたが、彼は遂に見つからなかった。チェンカイの祈祷師でもある母親は、面白半分に幽霊を見る方法などを試した罰が当たったのだと彼らを叱り、依然として異界のものに狙われているから早く逃げろ、と忠告する。タクとメイはその言葉に従い尻尾を巻いて香港へと逃げ帰るが、エイプリルはタイに残り、コーファイの行方を捜し続けた。
 以後、タクとメイは疎遠になってしまう。忘れたわけではないが思い出すのが恐ろしく、お互いに避けて生活するようになったのだ。だが、メイは日々、周囲をうろつく異形の者の存在を感じ、怯えを募らせていった。
 一方のチェンカイは、勇を鼓してあの古書店を再訪し、驚くべきものを目にした。そこに並ぶ本はすべてが『幽霊を見る10の方法』であり、挿絵に描かれていたものが、彼ら五人にすり替わっていたのだ――

[感想]
theEYE』、『theEYE2』と続いてきたパン兄弟によるホラー・シリーズのいちおうの完結編となる作品だが、物語に直接的な繋がりはないのは前2作同様、しかも本編に至っては雰囲気が大いに異なる。恐怖を煽ることよりも、ホラー映画に多用されるシチュエーションやニュアンスを流用して空想冒険もののような物語を構築している。
 だが、率直に言って、あまり出来のいい物語とは言えない。ハリウッドでお馴染みのホラー映画では、若者が愚直な行動に出て災いを引きこんだり、災いの火中に飛び込んだりするのは定石であり、本編はそれを逆手にとって一種のコメディとして描いているように見受けられるのだが、如何せん完璧に“自業自得”であるため、そのあとで強調される正統的な怪奇描写のインパクトまで削いでしまっているのはさすがにいただけない。
 また、そのまま儀式を行えば身に危険が訪れる可能性が高いと訴えながらはじめから防衛手段を取らず、途中で打ち切ったにも拘わらずいっさい対策を講じないまま逃げさせるなど、あまりに無防備でいい加減な行動を取っているので、終盤でようやく自ら行動を起こしてはいるものの、ファンタジーとしても冒険ものとしても中途半端な印象を齎してしまっている。
 他方、モチーフの描き方の巧みさは評価できる。餓鬼が出没した際の、不気味さと滑稽さが共存した描写。中盤でメイを襲う怪異の迫力。幽霊のヴィジュアルや怪奇現象の独創性については、『theEYE』『theEYE2』のクリエイターらしい才能を窺わせる。また『幽霊を見る10の方法』におけるシチュエーション選択の巧さと、本自体の来歴の不気味さも出色だ。
 但し、本の来歴については、序盤でジョークにしてしまったことが災いして、これも衝撃を欠いてしまっている嫌いがある。加えて、これだけ様々なことが起きるまで、主要登場人物たちが自らリアクションを起こさずなすがままになっているために、余計に“自業自得”という印象が強く、また感情移入しづらくなっているので、結果として怪奇現象の怖さまでも削ぐ結果となっているのは残念と言うほかない。
 結末についても、正直なところ拍子抜けと感じた。いちおうのオチはついているものの、要は「安易に幽霊を見る方法なんか試すべきではない」という有り体な結論になっており、冗談にしたいのかしたくないのかどこか曖昧であるのは問題だ。また、せっかくの優れた発想で構築された怪奇現象の数々が、結末にはあまり奉仕していないのが更に勿体ない。
 怪奇現象のアイディアやそれらを描く映像センスの素晴らしさ、また個々の演出の巧さなどにはパン兄弟らしい魅力が横溢しているが、作品としては失敗作と言わざるを得ない。その外した仕上がりや個々の描写の完成度など、個人的に楽しみようは幾らでもあったのだが、他人様にお勧めしたいとは思わない。――これなら、“幽霊を見る方法”で提示した手段を敷衍して、前2作と同じく正統的なホラー映画に仕立てたほうがよほどましだったのではなかろうか。

(2006/04/29)


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