cinema / 『theEYE2』

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theEYE2
原題:“見鬼2” / 英題:“the EYE 2” / 監督・編集:パン・ブラザーズ / 原案:ジョジョ・ホイ、ローレンス・チェン / 脚本:ジョジョ・ホイ / 製作:ピーター・チャン、ローレンス・チェン、ジョジョ・ホイ / 撮影監督:デーチャー・スィーマントラ / プロダクション・デザイン・コンサルタント:ブルース・ユー / アート・ディレクター:サイモン・ソー / 衣装デザイン:スティーヴン・ツァン / 音楽:パヨン・タームシット / ポスト・プロダクション:A Plus Concept / 視覚効果:メンフォンド・エレクトリック・アート / 出演:スー・チー、ジェッダーボーン・ボンディ、ユージニア・ユアン、フィリップ・クォック / 配給:COMSTOCK+PHANTOM FILM
2004年中国(香港)作品 / 上映時間:1時間35分 / 日本語字幕:風間綾平
2006年04月08日日本公開
公式サイト : http://www.theeye-movie.com/
新宿武蔵野館にて初見(2006/04/15)

[粗筋]
 ジョーイ(スー・チー)は出版社での仕事を放り出し、旅に赴いたタイで狂ったように買い物を繰り返していた。三度目の失恋は彼女に、本人が予想していた以上の衝撃を齎した。茫然自失のまま滞在先のホテルに辿り着いたジョーイは、睡眠薬を大量に服用したあと、恋人のサム(ジェッダーボーン・ボンディ)に電話をかけたが、話半ばで切られてしまい、衝動的により多くの睡眠薬を飲みこむ――
 当初は本気でなかったことが幸いした。モーニングコールの要求に応えて入室したホテルの従業員が彼女を発見し、無事に一命を取り留める。死を選ぼうとしたことを後悔し、サムとの仲を清算しようと荷物の整理や部屋の引っ越しの準備を進めるジョーイだったが、どうしても未練が振り切れない。
 そんな彼女に追い打ちをかけるように、思わぬ事実が判明した。ジョーイはサムとのあいだの子供を身籠もっていたのだ。関係を振り払うためにも中絶を選ぼうとするジョーイだったが、既にいちど堕胎を経験しているジョーイは、もう一度堕ろせばもう子供は望めない、と忠告される。
 逡巡しながら夜道を帰るジョーイを、思わぬ災難が見舞う。道を聞く振りをして、麻酔を嗅がされたジョーイは路地裏に連れこまれ、犯されそうになったのだ。だが、目醒めてみると彼女は病院で介抱されていた。ジョーイは無傷だったが、まったく意識しないままに犯人の顔面に噛みついて大怪我を負わせていたのだという。車椅子に乗せられ搬送中の犯人は、ジョーイの姿を目にすると、怯え悲鳴を上げるのだった。
 ――結局、ジョーイは生むことを決意した。育児のための教室に入って躰の洗い方を学び、プールでのエクササイズに精を出し、やがて来る日を待ち焦がれ始めてさえいた。
 プールの更衣室にいたときのこと。啜り泣く声を耳にして、恐る恐る様子を窺うと、同じエクササイズに通う女性が夫との関係に悩んで嘆いていた。ジョーイは彼女を慰め、彼女の横に座っていた男に、ちゃんと話し合うように諭す。だが、女性は困惑して言った。そこには、誰もいない、と。

[感想]
 2003年に公開された『theEYE』の続編、という位置づけだが、登場人物や内容に接点はない。前作のように、角膜移植によって死者を見る能力を身に付けてしまう、という具合に題名と結びついているわけでもない。原題の“見鬼2”がいちばん実情に近いだろう――あるきっかけで、異界の者、死者が見えるようになってしまった人物の遭遇する悪夢を描いた、という点だけが一貫している。従って、前作を観ていなくても気にする必要はない。
 率直に言って、本編における幽霊が見えるようになるきっかけは、前作ほど衝撃的ではない。ジョーイの場合、死に瀕した状態を抜け出したことと、妊娠して敏感になった状態であることのふたつが重なったことで、飛躍的にその能力が高められた、という設定であるが、前者はわりとよく使われるシチュエーションであるし、後者も一風変わってはいるが発想としての衝撃には乏しい。
 だが、幽霊の見せ方と、自分が死者を目にしているのだ、ということをジョーイが自覚するまでの過程の描き方は着実で、違和感を抱かせない。特に、それが死者だと気づくまでは、どちらかというと虚仮威し的な不意打ちであったり、本人でさえあまり意識していないところに違和感のあるものが存在している、という程度で描かれていたものが、僧侶(フィリップ・クォック)によって自覚を促されてからは、そこにいることを意識して怯え、また実際に現れたものの異様さに恐怖する、という具合にスライドしていく、その合理的な話運びには好感さえ抱かされる。特に、自覚した直後に立て続けに登場する霊は、異様であり目撃しているジョーイには不気味でも客観的に滑稽なものがある一方、意表を衝くかたちで出没するものもあって、その創意の豊かさも評価したい。
 物語を締めくくるためのアイディアもきちんと用意されている。正直に言えばあまりに見え見えで、ヒロイン・ジョーイがなぜその可能性に思い至らないのかが訝しくさえ感じられるが、しかし冷静に成り行きを検証していけば、彼女の反応自体に不自然はないのだと解るはず。失恋の挙句に子を孕み、それによって霊が見えるようになってしまったら、恐らくああした反応をするのが普通だろう。
 いや何より、その結末に辿り着く過程に用意された出来事がおぞましく、また同時に哀しみさえ湛えているのは出色だ。ジョーイの取る行動は実に愚かとしか言いようがないが、それ故に切なく胸を打ち、最後に彼女に向けて語られる真実もまた切ない。そうしたひと幕を乗り越えたあと、ジョーイの身に起きていたことの詳細を知らないはずの人物が、作品の主題をそのまま裏付けるような台詞を口にする気の利いた構成も秀逸だ。
 着想にしてもクライマックスにしても、善作と比較してしまうと物足りなさは禁じ得ないが、しかしツボを突いた怪奇描写と、プロットの構成、台詞の選択などは前作以上に洗練され、全体の仕上がりは水準以上に達した良質なホラー映画である。本編に前後して製作され、日本ではやや先んじて公開された『アブノーマル・ビューティ』は、作家性こそ維持しているが内容的には今後を不安にさせる出来だったが、本編を観て少し安心した。

 なお、本編に続いて製作されたシリーズ第三作『theEYE3』は、本編と入れ替わる格好で2006年4月29日より公開される予定である。パン兄弟作品のファンとして、本シリーズを評価する者として必ず劇場で観ておくつもりだが……テーマを引き継ぎつつ、ホラーとはちょっと趣の違う作品である、という点に不安がつきまとう。果たしてどんなものなのやら。

(2006/04/15)


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