cinema / 『華氏911』

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華氏911
原題:“Fahrenheit 9/11” / 監督・製作・脚本・出演:マイケル・ムーア / 製作:ジム・チャルネッキ、キャスリーン・グリン / 製作総指揮:ハーヴェイ・ワインスタイン、ボブ・ワインスタイン、アグネス・メントル / 製作監修:ティア・レジン、カート・イングファー / 共同製作:ジェフ・ギブス、カート・イングファー / 編集:カート・イングファー、クリストファー・スワード、T・ウッディ・リッチマン / 録音:フランシスコ・ラトーレ / 撮影:マイク・デジャレ / 記録主任:カール・ディール / オリジナル音楽:ジェフ・ギブス / ライン・プロデューサー:モニカ・ハンプトン / 出演:ジョージ・W・ブッシュほか / 提供・共同配給:GAGA Communications×博報堂DYメディアパートナーズ×日本ヘラルド
2004年アメリカ作品 / 上映時間:2時間2分 / 日本語字幕:石田泰子
2004年08月14日日本公開
2004年11月12日DVD日本版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.kashi911.com/
日比谷シャンテシネにて初見(2004/09/04)

[粗筋]
 2000年11月、アメリカ合衆国大統領選挙。フロリダ州で凱歌を挙げていたのは、民主党候補のアル・ゴアだった。この光景は夢だったのだろうか? 開票後しばらくは各地でゴア優勢が伝えられ、趨勢は決したかに見えていた。だが、アメリカ最大級のニュースチャンネルであるフォックスがフロリダでの対立候補勝利を速報で伝えたときから情勢は急変する。他のチャンネルも追随してゴア劣勢を伝え、各地で勝者が入れ替わり――遂にゴアは敗北宣言を出すことを余儀なくされる。
 その後開催された承認委員会は異様な展開を見せた。議長として対立候補であったゴア自らが立ち、提出される無数の抗議書や、不正によって選挙権を奪われたと訴える有権者たちの数千の署名が、上院議員たったひとりの署名が得られなかったというだけで却下される。そうして、ジョージ・W・ブッシュは数々の不透明な疑惑を残しながら、アメリカ合衆国次期大統領に就任した。
 それからあの日を迎えるまでの八ヶ月、彼の政治人生はお世辞にも順風満帆と呼べるものではなかった。失策を重ね支持率は低迷、批難から逃れるために彼は普通の人間が考えるごく普通の挙に出た。あの日までの八ヶ月間、彼が“休暇”を取った時間は、ワシントンポストによれば42%に及んだという。
 ホワイトハウスを離れているあいだにも大統領のもとには様々な報告が寄せられていた。そのなかには、あの日の出来事を警告する内容も含まれていたという。それでも彼の反応は鈍重だった。2001年9月11日、訪問していた小学校で子供達とともに本を読み上げながら、彼はいったい何を考えていたのだろう? 真面目に執政を行わなかったことを後悔していたか、それともアラブ諸国とのこれからの付き合いについて決断を下そうとしていたのか――教壇脇の椅子に腰を下ろした彼に補佐官が耳打ちをしてから約七分、大統領は具体的な行動をいっさい起こさなかった。
 やがて重い腰を上げた大統領ら政府陣営は、わずか数日後に一連のテロ事件をオサマ・ビン・ラディンの犯行と断定し、彼の指揮するテロ組織アルカイダらを庇護すると目されたアフガンに対して首謀者らの引き渡しを要求、これを拒否されると空爆に移った。
 だが、連続テロからの数日間、現大統領の父であり、かつて湾岸戦争に着手した当時の大統領であるジョージ・H・W・ブッシュでさえ飛行中に急遽着陸を余儀なくされ、全米で旅客機の飛行が制限される中で、ビン・ラディン一族をはじめとするアラブ人が立て続けに出国許可を得ている。これはいったい何故だろう? そのヒントは、若き日のジョージ・W・ブッシュが軍在籍中に起こした脱走事件の記録に隠されていた……

[感想]
 まず率直に言わせてもらおう。娯楽映画としての完成度は前作『ボウリング・フォー・コロンバイン』のほうが高い。
 原因は幾つか考えられる。本編がムーア監督自らで撮影した映像よりも、一連の出来事に関連した映像から発掘したもののほうが高い比重で扱われており、撮影時の熱気が悪い形で均質化されてしまったために、巧みな編集にも拘わらず全体に平板な印象を齎してしまったこと。またムーア監督の露出が低い分『ボウリング〜』で披露したユーモアが抑え気味になったこともそうした印象を助長している。場面場面のインパクトは前作と比較にさえならないほど強烈なのに、やもすると退屈を感じさせてしまうのが本編の弱みだろう。
 ――という評価は、ムーア監督が自負と共に本作を他の娯楽映画と同じ、と語っているからこそ、敬意をもって記すものである。だからこそ前作よりも娯楽としてはいまいち、と忌憚なく言い切ってしまうのだが、ちらっと書いたように、映像や採りあげられた出来事それぞれのインパクトは前作を遥かに凌駕している。ある意味発端になったと考えられる2000年の選挙戦の模様については、監督は異なるが意思に似通ったところのあるスパイク・リーによる短篇『ゴアVSブッシュ』(『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』の一篇)が詳しいのでそちらを御覧になっていただくとして、開票後から就任までのあいだに起きた奇妙な出来事、そして就任後から9.11までの、どう考えても不誠実な大統領の動向、そして連続テロ事件とそれに続くイラク攻撃に至る顛末の背後に隠されたあまたの事実――そうしたものを具体的な映像資料と共に並べ立てていく。こうした事実を膨大な映像から拾い上げていったことそのものが、既に大きな功績だし、作品にひとかどの価値を齎している。
 そうした情報の洪水をただ陳列するのではなく、よく考慮したうえで解りやすく再配置していることにも注目したい。大統領選から2001.9.11までの流れをオープニングに配し、続けてブッシュ一家とビン・ラディン一族をはじめとするアラブ諸国の有力者との関係を暴露して、イラク戦争に至る経緯を説いていく。そして、混迷する戦況にあって誰が犠牲となっているのかを静かに、しかし苛烈に告発していく、そこまでの道程が実に解りやすく示されており、論旨以上にこのムーア監督のストーリーテラーとしての才覚を窺わせる出来となっているのだ。
 その中でも圧巻なのは、ジョージ・W・ブッシュの滑稽な立ち居振る舞いの数々――ではなく、ひとりの母親であるライラの変節を描いたくだりである。最初、ムーア監督の郷里であるミシガン州フリントの職業訓練所所長秘書として、実質失業率50%に達する現地の若者の救済策として軍への入隊を薦め、イラク派兵にも賛成の立場を取っていた彼女は、そのイラクに派遣された長男の死を契機に反対派へと転向する。みたび登場した彼女がホワイトハウスを訪れた際の一連の出来事の説得力は、この映像が揃っていたからこそと言えるだろう。
 むろん、すべてを鵜呑みにする必要はない。多くの兵士たちのインタビューには本心を口にしなかったものも含まれているかも知れない。発掘された映像の作中に盛り込まれなかった箇所に何らかの誤謬が隠されているかも知れない。だが、ひとつの論旨に基づいてストーリーを仕上げ、それに添う形で膨大な資料から映像や事実を抽出し、娯楽映画としても鑑賞に堪えうるレベルまで仕上げてしまった手腕はそれ自体で充分に評価されるべきものだ。カンヌ映画祭でクエンティン・タランティーノ審査委員長が述べた言葉に間違いはない。単に映画として面白いからこそ、一見の価値のある作品である。語られていることの真偽は、観客それぞれが判断すればいい。

(2004/09/04・2004/11/11追記)


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